死霊術師(ネクロ)ちゃんピンチ! 作:段々剃刀
・レナータ・ハーカー
女死霊術師。倫理観に問題がある。
勇者を動く死体に加工した。
・アネモネ・リターナー
女勇者。倫理観がふわっとしている。
レナータに加工された。
・アナスタシア・カンバック
女魔法使い。レナータに脱退を勧告した。
ざっくり簡単に説明してしまえば、死霊術師に拾われたレナータは立派な死霊術師になったものの見事に生きてる人間とのコミュニケーション不和におちいり、あばばばばとなりかけていたところを勇者アネモネに勧誘され社会復帰を果たした。
と思ったらその勇者が死んでしまって、誤魔化すためにゾンビィにしてしまった。
そうしたら今度は誤魔化し切る前に脱退勧告という名の解雇通知である。
怒涛の展開に
なんでこんなことになったのかって回想入ろうかというところだが、少なからずいらっしゃるだろう長文を読むのがお好きでない皆さんは、読み飛ばすなら右端にスクロールバーがあると思うのでそちらで。多分特に困らない。
さて、裏寂れた墓石の前に一人の赤ん坊が。
いや戻り過ぎか。
回想シーン嫌いな人もいるので、そのあたりは慣らし慣らし行きましょう。しないとは言わない。
改めて、一か月前のことである。
レナータ・ハーカーは人と目を合わせることのできない人見知りのコミュ障で、話しかけられても少し俯いてなんかもっちゃりした半笑いでもごもご言うことしかできない陰の者であったが、それでもアネモネ隊でやっていくうちに若干の社交性を手に入れてきた。
そんな頃であった。
なけなしの社交性をフルに使って、レナータは買い物を済ませてきたところであった。
共用資産から費用を出すべきではあるのだが、操屍術に用いるものなので特殊なものが多く、説明が難しかったのでこっそり自分で買いそろえている。
なおこの「難しい」というのは品物の特殊性のことだけでなく、レナータが人と会話することの難易度が大きいが。
大手の商店は品物も多く値段も良心的だが、店員が気さくに「何かお探しですかー?」と話しかけてくる店はNGだ。レナータは確かに挙動不審で人生にさえ困っている人種だが、話しかけられる方が困るのだ。声をかけられた瞬間にはもう、自分の挙動不審が万引きの疑いをもたれているのだろうと反射的に思ってしまう体質なのだ。
もうそうなってしまうとその店で買い物はできない。もごもごとごめんなさいを繰り返して逃げるしかできないのだ。
裏通りにひっそりと構える、「比較的」、「安心」、「とても合法」などという欺瞞広告を掲げたいかにも暗黒勢が営んでいるだろう店舗などは、実に薄暗くて陰の者にお似合いなようにも見えるが、これもなかなか難しい。
そもそも個人店は陰の者にとって、一言さんお断りの雰囲気というバリアが存在するのだ。
入っていいのか不安になるし、入った後もここにいていいのか不安になるし、商品も手に取っていいかわからないし、そもそも商品なのかわからないこともざらだし、値札がない場合は店員に聞かないといけないのでそれもつらい。
店員が世間話も愛想笑いもなしに機械的に会計だけ済ませてくれると少しほっとするが、それはそれとして余所者を見る目と威圧感が怖い。
そんな恐ろしい世間の荒波にもまれて社交性を消費し切ったレナータは、黒猫の刺繍を入れた買い物袋を抱えて宿の部屋に戻ってきた。もう疲れて、荷物を置いたらすぐに横になりたい気持ちだった。
そして宿についてから、部屋のドアを開けるのもしんどい。
宿の部屋は、いつもアネモネと二人部屋である。拾ってきた責任というものがあるのだそうだ。
レナータとしては他人と同じ部屋というのがまず休まらないし、他人が寛いでいる部屋に入るというのも全く落ち着かない。部屋に入るだけで覚悟がいる。
しかしまさか一人だけ個室にしてくれとはとても言えない。つらい。
レナータは何度か深呼吸を繰り返してから、一応自分の部屋でもあるのにかかわらず、お邪魔しますと一声かけてドアを開けた。
そこにはなんと腹にナイフの突きたてられた勇者アネモネがあおむけに倒れていた。
ドアを閉める。
レナータは深呼吸した。
まずドアを開ける時点でつらいのだ。宿っていうもの自体が馴染みがなくて落ち着かないし、そこにきて相部屋だ。さして広くもない部屋で、まだそんなに親しくもない他人と過ごさなければならないのである。
アネモネは確かに自分を拾ってくれた恩人ではあるが、それはそれとして一緒にいて落ち着くわけではなかった。
はーつらい。
はーしんどい。
そのように現実逃避してからドアを開くと、そこにはなんと腹にナイフの突きたてられた勇者アネモネがあおむけに倒れていた。ドアを閉める。
目をこする。
ドアを開ける。
そこにはなんとドアを閉める。
「…………えー……これ、えぇ……つら……」
逃れえぬ現実が辛い。
とは言え、逃げ続けるわけにもいかない。
もしかしたら幻覚かもしれないし。現実ならつらいだけだが、幻覚にはしばしばお世話になっている。安心だ。
しかし意を決して部屋に入ると、やはりそこにはなんと腹にナイフの突きたてられた勇者アネモネがあおむけに倒れていた。
いい加減「なんと」ではない。
現実逃避を済ませておいたレナータは、極めて冷静にアネモネに駆け寄り、様子を検めた。レナータは生きている人間には怯えるが、動かない人体にはむしろ好意的でさえあるのだ。死体はよくわからない理由で行動しないし、気分で態度を変えたりしない。
まず腹に突き立てられたナイフだが、果物ナイフのようなご家庭にありそうなものだ。それがほとんど根元まで突き刺さっている。鍔のないナイフでここまでしっかり刺さっているということは、体重をかけて体当たりしながら刺したのかもしれない。殺意が高い。
ナイフが刺さった衣服には血が広がっている。まだ触れると湿り気があるが、指にべっとりつくほどでもない。
苦労して体を起こしてやると、べりべりと半分固まった血が剥がれる音がした。背中側は血でべったりで、床にも広がっていた。
念のため脈をとり、半開きだった瞼を押し開いて瞳孔反応も見てみたけれど、自然な反応しかなかった。つまりなにもなかった。動かなかった。
「うん……死んでる、ね」
その時まで、レナータの中には二つの悩みがあった。
死んでたらどうしよう、と。
これで悩みは一つになった。
死んでる、どうしよう、だ。
やったね。
いや本当に、どうしよう、だ。
レナータはふらっと立ち上がって自然にドアの鍵を閉め、そのままドアにおでこをくっつけた。
「うぇええ………どうしよう……どうしたら」
呟く。
それも文句なしの大ピンチである。
今回もスムーズにタイトル回収である。
ひやりとした木目が、徐々に体温でぬるくなっていくのを感じながら、レナータは考えた。
生きていたなら、懸命に蘇生したことだろう。
レナータは操屍術師であった。
世間的に言えば死体を愛する死霊術師であった。
生きている人より死んでいる人の方が好きなくらいだった。
しかし生きている人が死んでしまえばいいとまでは思わなかった。死ぬのはつらいことだ。死なれるのはつらいことだ。
医師の免状もあり、操屍術師として人体を暴き尽くした身としては、死んでいなければかなりの確率で助けることはできた。しかし死んでいるものを生き返らせることは無理だ。
勇者アネモネは死んだ。
魔物との戦いでもなく、魔王との戦いでもなく、ゴシップにでも載りそうな死に方をした。多分痴情のもつれとかで。
ならレナータがすべきことは何だろうか。
死体を整え、葬儀を行い、埋葬してやるのが正しいだろう。
月の神官の資格も持つレナータならすべてを十全にこなしてやれる。
しかし正しい手順の前には、困難が待ち受けていた。
「でもでも、これって、つまり……」
このまま仲間たちを呼び、官憲に通報すれば、流れは正しい方向へと自然に流れていくだろう。
そしてそれはそれとして、犯人捜しが始まる。勇者殺しの犯人を捜しにかかる。
それで一番先に疑われるのは誰だろうか。
「
決まっている。第一発見者で、被害者と相部屋で、そして
何なら死体にもたっぷり触れてしまっている。指紋ベッタベタである。
弁明はできない。状況証拠が揃い過ぎているのもあるが、そもそもレナータは
お前がやったんだなと机を叩かれたら、やってもいないことをやりましたと認める未来しか見えない。
それはまずい。実にまずい。ピンチだ。
引きこもるのは好きだが、刑務所に引きこもるなんてのはごめんだった。第一懲役で済むのだろうか。勇者殺しは勇者法で何と定められているのだったか。専門外の知識には疎いが、軽い罪ではないだろう。
「なんとかしなきゃ……なんとかしなきゃ……なんとかしなきゃ……」
「ぷぎゅ……ぶにゃ……」
ぐるぐると考えながら、レナータは黒猫の
嫌なことも言わず、自分の嫌がることもしない、ただそばにいてくれるぬいぐるみの何と心強いことだろう。毛皮と肉と骨をぐにぐにして、レナータは黒猫を見下ろす。ボタンの目がきょろりと見上げてくる。
クロはレナータのお気に入りだった。何度も修理し、改修してきた。
レナータがそうするように命じれば、この
「…………
それがプロの作る
「えひっ、えひひ、へ、へ、へ、へぇ、そうだよ。わたし、プロだもん。そうだよ。そうだよね。そうだよぉ」
レナータは心底
解決策が見え、それが実現できそうだとなれば、あとはするだけだ。
アネモネはレナータを誘ったとき、守ってくれるとそう言った。君を守ってあげるよと。
世間の目とやらを誤魔化すために、結局レナータは世間に屈したのだった。きちんと弁解して誤解を解くというまっとうな道を捨て、大分ヤバめなオリジナル笑顔で盛大に道を踏み外したのだった。
レナータは不釣り合いに大きな鍵付きのトランクを開け、準備を整えた。
「えっと。施術者はレナータ・ハーカー。被術者はアネモネ・リターナー、女性。特筆すべき点として、勇者の加護を持つ。勇者の施術ははじめてなので一般との相違点を比較しながらの施術となります。死因は腹部刺創による出血死と思われる。凶器は果物ナイフ、かな。死後硬直はまだ見られず、死斑もなし。体温からも死後三十分程度と思われます。これは施術者の外出時間からも推測できます。血流停止による脳組織の劣化が予想されますので、術式としては、まず頸動脈経由で保護液を浸透させ、賦活術式にて状態を維持。続けて腹部刺創から広げる形で開腹、内臓、血管の破損を確認、修復後、疑似体液を部位ごとに浸透、固着させ死体細工への加工を行っていきます」
普段からは想像もできないほど流暢に、レナータは誰に聞かせるわけでもない独り言をぼそぼそと呟きながらレポートを執った。証拠になってしまうということもすっかり忘れて、普段の癖で記録をとってしまっているのである。
何しろこの時のレナータは大いに動揺していたし、それだけでなく高揚もしていた。
人間の献体を用いた施術は何度かしたことがあったが、防腐処理もまだの死にたてほやほやの死体に施術するなんてこのご時世ではめったにできない体験だ。それも勇者だ。文献にさえ記録が見たらないレア・ケースだ。
詳しい施術に関しては大方の読者の皆様は欠片ほども興味がないと思われるのでざっくり飛ばしてしまうとして、一応気になるという方のために音声ダイジェストでお送りしたいと思う。
「凶器を除去。先端に欠け……背骨に当たった模様」
「腹腔内にたまった血液を除去しました。小腸に損傷あり。洗浄後縫合を」
「わあ……すごくきれい。ドキドキしちゃう……タバコ吸わないですもんね……あ、肝臓もお酒飲むのに綺麗」
「腹部大動脈縫合終了。急激な失血で意識を失ってそのまま、かな」
「疑似体液の浸透を開始……あ、馴染みがいいなあ。健康ですね。かわいい」
「骨が元気だと疑似体液の増殖が速くていいですねー、がんばれ、がんばれ」
「ふーんふーんにゃーん♪」
「左眼球に聖痕を確認。これが勇者の証……角膜上、かなあ? どうやって見えてるんだろう……」
「脳神経系への浸透を確認。若干の……おっと、痙攣を確認。生体脳の保護を優先しましたが、やはり脊髄神経系から浸透する方が安全ですね」
「にゃーんふふーんにゃー♪」
「疑似体液の固着を試験…………右手、左手、右足、左足、……試験完了。固着及び動作を確認」
「細胞賦活による開口部の閉鎖を確認。液漏れないですねーっと」
「術式を終了します。お疲れさまでした」
なんやかんやあって、レナータは術式を終わらせ、こうして勇者アネモネは死体細工となったのだった。
その最初の仕事は、レナータと二人で床にはいつくばって、いくつかの薬品で血痕を綺麗さっぱり掃除してしまうことだった。
死体細工への加工自体は、極めて真剣に、手抜かりなく行ってはいたが、その完成度はともかくとして、レナータはアネモネの死体細工を早々に処分しなくてはならないと考えていた。もったいないが。
死にたてほやほやで脳へのダメージが少なかったからか、死体細工は生前のアネモネの仕草をかなり正確に再現できた。古い死体ならばある程度しっかり組んでやらなければならない行動プログラムも、生体脳に簡単な指示を出すだけで済んだ。
しかし、それでもやはり死体細工は死体細工だ。
魂を持たないお人形に過ぎない。
レナータが指示を出さなければ遠からずぼろを出す。必ずだ。指示を出したところでレナータがぼろを出すのは目に見えているのだから、絶対に絶対を重ねて必ずぼろが出る。
そうなる前にアネモネにはうまいこと
操屍術師は極めて数少ない技能職だし、少し調べられたくらいではバレない、とは思う。しかし勇者の死体は勇者法に基づき、回収されて国葬されることになっている。さすがに中央の検死官に調べられたらバレる。おまけにレナータの死体細工は師から受け継いだ流派のものだし、疑似体液はそこから発展させたレナータの特許技術だ。犯人まで露骨にばれる。
そうならないために、死体が残らない死に方がベストではある。
勇者というものはもともと命がけの仕事であるから、いつかチャンスは、とレナータは粘ったが、なかなかそのチャンスが来ない。
湖でおぼれたとなれば浮かんでこなくてもおかしくはないし、回収するまでの間に腐乱して操屍術の痕跡が誤魔化せるかもしれないと落として試してみた。しかしアネモネの体は泳ぎが達者で、反射的に泳いでしまって失敗。
深い森の中で遭難したことになれば見つからなくてもおかしくないと森に放ってみたものの、他のメンバーが優秀過ぎて普通にさくっと見つけられて回収されてしまった。法術と魔法と野生の勘の三段重ねってどういうことだ。特に最後。
じんわりじわじわとやばいなー、やばいなーと焦れてはいたのだが、しかしレナータは極端な手に出られないままずるずると一か月も過ごしてしまった。
過ごせてしまった、ともいえる。
というのも、誰一人として勇者アネモネの異変に気付かなかったのである。
本人の脳を使って行動させているとは言え、入ったばかりであんまり親しいとも言えないレナータが指示出ししているのに、普段と違うと誰も思わなかったのである。
「近頃のアネモネ、大人しくなったわよね」
「庇護すべき対象がそばにいるから、少しは控えることを覚えたのかもしれんな」
「節度ある生活を営むのは良いことなのです。やっと真人間の入り口なのです」
むしろ女遊びが減って大人しくなっただけよかったなどと思われているくらいだったのである。
そのあまりの気付かれなさっぷりは、レナータもいっそ哀れになるくらいであった。
「勇者様……本当に、皆さんに興味持たれてなかったんですね……」
レナータがやらかして指示を間違えても、仲間は怪しむどころか、またアネモネの奇行が始まったなどと言い出す始末である。なんなら焦って動揺するレナータの方を心配して、休憩を多めにとってくれたり、早めに宿をとってくれたりしたくらいである。その間勇者アネモネはもちろん放置された。
別にアネモネが嫌われているわけではない。はずだ。
普通に会話するし、冗談も言い合う。同じ部屋で黙って過ごしていても、嫌悪感を感じるようなこともないらしい。しかしそれはそれとして、この三人の女たちは、勇者アネモネ個人を極めて軽く、ぞんざいに扱っていたのだった。
その雑さのあまり、日頃の行いって大事だな、と思わず冷めた目でアネモネの死体細工を眺めてしまったレナータである。
おおよそそんな事情があって今日にいたるわけだが、皆さんお忘れの頃だと思うのでもう一度説明しておくと、レナータはそんな地雷案件を抱えながら、解決前に解雇通知を出されてしまったのである。
一応一か月の猶予はあるとはいえ、この一か月で有効策がなかったのだから、次の一か月で急にできるわけもない。
一か月後に解雇されてしまえば、もうアネモネ人形をどうこうすることはできない。ある程度は反射で受け答えできるかもしれないが、レナータの指示がなくなったアネモネ人形はどんどんぎこちなくなり、やがて露見するだろう。そして犯人はひとりしかいない。
「うう……やらかしたぁ……やらかしちゃったよう……でもでもあの時は仕方なかったし、ああするしかなかったし……」
多分もっと別にいくらでも手段はあっただろうが、色々と限界のレナータにはどうしようもなかったのだ。そしていまも、どうしようもないのである。ピンチは続行中である。
いっそのこと、みんながいる前で突如アネモネ人形を爆発四散させ、原因不明の謎の事故として処理してしまうか、などとレナータは真面目に考え始めたほどである。なんかこう、加護とか聖痕とかの勇者ソウル的なものが高ぶり過ぎてサヨナラするのである。
徹夜明けで頭の回っていない脚本家か。
「はあ…………こういうこと考えてるときは頭回ってないんだよね……ちょっと気晴らししよう……」
明確に期限が切られたことで、一時は焦ったものの、一周回って妙に落ち着いてきた。破滅を前に妙に頭が冴えてくるのだ。やけっぱちと紙一重である。
髪をまとめて縛り、帽子に収めた。猫の刺繍がされた革のエプロンを身につけ、手袋をする。
頑張ってお洒落するのも嫌いではないが、結局レナータが一番落ち着くのは実験や研究中の格好であった。
「勇者様、失礼しますね」
レナータはベッドに横たわるアネモネ人形を立たせて、シーツの上に防汚シートを広げた。その上にアネモネ人形を寝かせて、そばによりそうとボタンを一つ一つ外し始める。
前をくつろげてやると、アネモネの白い肌が薄暗い宿の部屋に浮かび上がった。そっと指を這わせてみれば、染みひとつない肌はびっくりするほどしっとりときめ細かく、とても人々のために戦う勇者とは思えない。あるいは勇者の加護が、この美しい肌を守っているのだろうか。
それでも、ほっそりとした腹部を軽く押してやれば、その下には確かな筋肉が感じられる。柔らかく、しなやかで、けれど貧弱なレナータには決してない力強い厚みがそこにある。
レナータはアネモネの胸にひたりと耳を当てた。アナスタシアほど豊かな胸ではない。けれど少年のように朗らかにふるまうアネモネにも、確かに柔らかなふくらみがあって、その絶妙なバランスが彼女のあやうい魅力を引き立てていた。
耳を済ませれば、鼓動が聞こえる。血流が聞こえる。筋肉のきしむ音がする。生前の機能を再現するために、レナータの疑似体液は生体本来の機能を可能な限り復活させている。だから食べ物を食べることもできるし、それを糧として活力にすることもできる。新陳代謝だってする。
疑似体液の花の香りに包まれながら、レナータは偽物の体温と生命にうっとりとした。
そしておもむろにアネモネの腹を
メンテナンス用に開口部を作られた腹部は、普段はぴったりと癒合していて、見ても触ってもわからないが、一度レナータが指示を出せば、疑似体液が内側から操作して、左右に開いて中身をさらすのであった。
その詳しい描写とレナータの息抜きに関しては、あんまりしっかり書いてしまうと偉い人に怒られると思うし、ライトなノベルをお求めの読者諸氏にしてもお求めではないと思うのでざっくり割愛するので、ごあんしんだ。
この小説は健全です、と言いなさい。
三回繰り返して言いなさい。
この小説は健全です。
この小説は健全です。
この小説は健全です。
三回言ったことは大体本当なので、実際健全。ごあんしんである。
ともあれ、健全を装ったところではたから見ればどうなのかというのは、すぐにわかった。
「レナータ、まだ休んでないんだったらちょっ、とはな、し、が、」
「にゃっ」
がちゃっとノックもなしにドアを開けたのは魔法使いアナスタシアであった。
そう言えば鍵をかけ忘れてた、とレナータは今更に慌てたが、時すでに遅しである。
具体的に言うとぐったりと横たわったアネモネと、その腹を切り開いて健康なつやを見せる中身を取り出しているところだった。絵になる時には海苔とかが張られると思うから実際健全である。ごあんしん。
硬直したアナスタシアを見て、慌ててモツをしまおうと、レナータは急ぎすぎて絡まらせてしまった。
えーと肝臓を先に収めないと、あ、脾臓は胃の後ろに置かないと、大腸は右巻きだっけ左巻きだっけ。あわあわと慌てる姿はあどけないが、手元は修正が必要な絵面だ。
「れ、レナータ、あなたそれ、ちょ、ちょっと……!」
「ち、ちが、えと、違う、訳でもないようなでも違ってあのえとデスネ……!」
「確かに勇者は女たらしで割とクズで控えめに言っても友人を紹介したくない女ではあるけど……!」
「ええとあの……?」
「正直そのうちだれかに刺されるだろうなーとはうっすら思ってたけど、あなたがやることはなかったのよ……!」
「う、うーん?」
責められて、いるのだろうか。
むしろアネモネがぼろくそに言われ始めてレナータは困惑した。
そんなレナータを置いてアナスタシアは一度ドアを開けてきょろりと左右を見回すと、静かに閉じて鍵をかけた。魔法で防音までかけて、それから長い溜息をついた。
「……大人しいあなたがこんなことをしてしまうなんて……そうね。そうよね。急にあんな話を切り出されたら、ショックだったわよね」
「え、いや、あの、ショックではありましたけど……」
「おおかた困ったあなたを言い包めていけないことをしようとしたんだろうから、まあ仕方ないのかもしれないわね。時間の問題だったっていうか」
全然そう言うことではないのだが、アナスタシアの中ではなにやら筋の通ったストーリーが展開されているらしい。ファンも多い勇者であるアネモネと、胡散臭い死霊術師であるレナータを比べてこの評価であるから、いかにアネモネの行いが悪かったのかうっすら見えてこようものである。
「とはいえ、仮にも勇者が死んだってのはまずいわ。こんなやつでもスポンサーはお金出してるし、うちの実家だってそう。戦死なら声高には言われないでしょうけど、こんな痴情のもつれみたいな死に方じゃ……もう、死んでも問題ばっかりなんだから……! あたしたちの今後だって危ういわ!」
散々な言われようである。しかしそれも仕方がないのだ。
レナータは知らないが、以前からアネモネは女性関係で問題を起こして、刃傷沙汰になりかけたことも一度や二度ではないのだ。訴訟騒ぎになったことだってある。そして少ないながらも男性相手でもやらかしている。
何ならそう言うのが原因で以前のパーティは解散になり、アナスタシアたちはそうならないように組まれた二期メンバーでさえある。
「とにかく、あなたはなにもしてない。こいつは勝手に死んでた。いいわね」
「え、えでも、あの」
「勇者法何条だったかしら、『指定勇者を故意に死傷せしめたもの、またその計画を企てたものは国家及び人類への反逆の罪とし、極刑に処する』みたいのがあるの。未来あるあなたをこんなことで失うわけにはいかないわ」
「きょ、きょきょきょ極刑!?」
つまり死刑である。
大いにビビったレナータであるが、これは単に死刑に怯えたためではない。
勇者法だけでなく、操屍術師法の合わせ技も閃いてしまったからである。許可なき死体の加工は許されていないし、犯罪のために動死体を用いることも重罪である。色々重ねていったら、レナータの首が三つか四つないと足りない。なんなら厳しい尋問という名の拷問も有り得る。
操屍術師として考えれば、死後の安寧さえ保障されてはいないのだ。
うまく死ねればいい方くらいのレベルだ。
「あたしもここにきてないし、そうね、あなたもこの時間ここにいなかったことにしましょう」
「え、で、ど、どういう……?」
「とにかく今はここから出ないと……鍵は開けておいて、でも入り口からは出られないわね。窓から出ましょう」
「あ、あのあのあの」
半笑いすらできずもごもごとするだけのレナータを置いて、アナスタシアはてきぱきとアリバイ工作と証拠隠滅を進めていく。この女、パーティの要たる勇者の死を早々に受け入れ、さっさと保身に入っているのである。
さすが顔のいい厄介な女を中和するために選ばれた顔のいい厄介な女である。
「ほら、行くわよ。あたしが飛行魔法で飛ぶから」
「あばばばばば」
てきぱきと窓を開けて足をかけ、さあ、と手を指し伸ばすアナスタシアは、夜風になびく風もあってかなり格好良い絵面ではある。あるのだが、そのお誘いは犯罪隠蔽のためである。
展開が急すぎて何が何だかわからず、ただただもだもだするレナータにしびれを切らして、アナスタシアは強引に手を取ると窓から半身を乗り出した。
そして伺い見るものがいないか慎重に視線を巡らせながら呪文を唱え始める。その横顔は格好いいが以下略、だ。
そんなアナスタシアに引っ張られたレナータはと言えば、その拍子にポロリとクロを、ぬいぐるみを取り落した。取りに行こうにも、アナスタシアに捕まって動けない。
混乱のきわまったレナータは、だからそのとき、咄嗟に、反射的に、一言、
「あ、
「えっ? えっ、きゃ──」
レナータの特に対象の指定のない指示は、声の届く死体細工全てに届いた。
クロはするりと立ち上がって本物の猫のように駆けより、待機状態で固まっていた狼の魔物の死体細工も途端に起き上がって駆け寄った。
そしてもちろん、アネモネの死体細工もむっくりと起き出した。
甘やかなスマイルの下でその腹からモツがぼろりと零れ落ち、それに足を取られながらアネモネの死体細工が歩き出す。
レナータのあげた声に思わず振り向いたアナスタシアがそれを目撃してどうなったかと言えば、それはとても自然な成り行きだった。
まず驚き、そしておののき、混乱と恐怖のまま咄嗟に逃げようと、離れようと身をよじった。窓の向こうへと。飛行の呪文は、まだ完成していなかったのに。
驚きのあまりレナータの手を放してしまったことだけが救いだった。
悲鳴は短く途切れ、ほんの一拍を置いて、重たい荷物の落ちる音がした。
「……もしかしてわたし、やっちゃいました……?」
割と最悪めの「なんかやっちゃいました?」系主人公は、頬をひきつらせるのだった。