死霊術師(ネクロ)ちゃんピンチ! 作:段々剃刀
・レナータ・ハーカー
女死霊術師。倫理観に問題がある。
前科が増え続けている。小動物。
・アネモネ・リターナー
女勇者。倫理観がふわっとしている。
回避ゴリラ。
・アナスタシア・カンバック
女魔法使い。倫理観は商売でよく使っている。
魔法ゴリラ。
・グレナデン・ド・レジュレクシオン
女騎士。倫理観は状況判断による。
物理ゴリラ。
・ルネー・ルネサンス
女神官。倫理観に自信がある。
奇跡ゴリラ。
うっかり死体を増やしてしまい、アッチャートホホイッケネーと死体細工に加工したレナータだったが、どうしたことか死んでいると思っていたアナスタシアは死体細工の体で息を吹き返してしまった。
体は豊満ゾンビ、頭脳はゴリ押し魔法使い、その正体はか弱い死霊術師を脅迫して商売に利用しようとする腹黒女商人であったアナスタシア。
彼女はこれを機にレナータを縛り付けることを宣言。
正直なところ、もう一回殺し直そうかなと思わないでもないレナータだったが、職業倫理的に諦めたのだった。というところである。
翌朝、朝食の席でアナスタシアはルネーとグレナデンから疑いの目で追及を受けていた。
というのは、アナスタシアの様子がおかしかったから、ではない。
「昨夜はずいぶん遅い帰りだったようだな」
「夜中に起こされるのはたまったもんじゃねーのです」
「悪かったわよ。次からは防音の魔法でもかけるわ」
「夜遊びの習慣は止めてもらいたいものだな」
夜更けにレナータを勧誘しにいき、その後うっかり死んでしまって、死体細工にされた後もいくらか打ち合わせをして、とやっているうちに気づけば結構な時間で、こっそり部屋に戻ったときはどちらかと言えばもう朝の方が近い時間だったのである。
おかげで寝不足気味だと言い張るルネーは、ねちねちとしつこい。
レナータを勧誘することは事前に伝えていたが、いくらなんでも遅すぎたのでいぶかしんでいるのである。
いっそ責めていると言ってもいい。
鍋一杯のオートミール粥をレードルで直接食べながら、グレナデンは冷ややかな目を向けた。
「パーティ脱退の件の説明を任せたから一番手は譲ったが、あまり露骨な抜け駆けは感心しないぞ」
「ルネーもそういう小細工はどうかなーと思うのです」
「だから悪かったわよ。アネモネがちゃちゃ入れるから、ちょっと時間かかっただけだって」
なにしろグレナデンにしろルネーにしろ、その理由はそれぞれ違うにせよ、アナスタシアと同じく脱退後のレナータを引き抜こうとしているのは同じなのである。
アナスタシアにはいまいち理解できない理由だったが、恐らくこの二人にしてもアナスタシアに対して同じように思っていることだろう。同じ勇者隊の一員とはいえ、出自も違えば価値観も違う。
解雇通知を直接告げることになったアナスタシアは、その件を盾にして交渉の一番手をもぎとったのだ。とはいえそれはあくまでも交渉の順番であって、交渉の優先権ではない。全員が全員交渉の時間を与えられるべきで、受けるか否かはレナータ自身なのだと三人で話はつけている。
当のレナータはそんなことはまるで知らず、しょぼしょぼした目をこすりながら朝食をもそもそもちょもちょ、少しずつ削るように食べていた。
本人曰く、陰の者なので朝に弱いとのことだったが、単に元から小食で、長年の昼夜逆転生活が尾を引いているだけである。
「アナスタシア。お前が彼女を実家の商売に引き込もうというのは、まあいい。生活に不自由もしないだろうし、彼女の才能を活かせるだろうからな。しかしそれはそれとして、ほとんど朝帰りのような真似は感心せんぞ」
「朝帰りって……話し込んじゃっただけよ。それに、アネモネだっていたのよ?」
「アネモネがいる方が問題なんじゃないのか?」
「あー……否定できないのがちょっと、ね。でもなんにもなかったわよ」
「ならいいのですけど。以前、ルネーと同室の時にオンナノコを連れてきたのはマジで許さねーのです」
一応はばかって声を潜めてはいるが、ちらりとアネモネに向けられた視線は冷たい。
そのアネモネはもとよりそんな視線など意に介さない人種だし、いまとなっては気にすることさえしない死体細工なのだから、手ごたえなどあってないようなものだが。
とはいえそんなアネモネも、勇者である。それもそれなりに年季の入ったベテランの勇者である。
アネモネが勇者隊を組んで戦うようになってから、六年ほどだという。若手と言えば若手だが、脱落も多い勇者業界では中堅どころと言っていい。
研修として他の勇者隊に入って戦っていた時期も含めれば、八年になるというから、そろそろ大台も見えてくる。
アナスタシアたちは、以前アネモネが組んでいたメンバーが痴情のもつれの果てに内部崩壊したのちに、役所の方で推薦されてあてがわれた二期メンバーである。
もともと戦闘経験のあったグレナデンはともかくとして、アナスタシアもルネーも実戦経験はアネモネ隊に入ってからの二年程度である。
単純に考えて、アネモネは他のメンバーの四倍程度の経験があるのだ。
死体細工としてレナータの指示待ち人形になっている今も、指示さえ出されれば脳が経験を頼りに的確に行動を組み立てるから、まったく遜色はない。
これはレナータの死体細工が優れているとも言えるし、また生前のアネモネが存外に真面目に勇者をしていたとも言える。
「はい、じゃあいいかな」
日が出るか出ないかの頃に朝食を済ませた一行は、ブルックウッドの村を出るや、ベテラン勇者アネモネのてきぱきとした指示で街道の端に並んだ。
朝早い内で、まだ通行人は多くないが、邪魔にならないような配慮が大事だ。
一人立つアネモネに向き合う形で、四人が間隔を置いて並ぶ。そしてアネモネの合図で、一同は奇妙な振り付けで踊り始めた。
「はいじゃあ、背伸びの運動からー」
知らぬ者には邪教の儀式めいた謎の踊りだが、これは古来より勇者たちに受け継がれてきた、体をほぐし、整える、準備運動なのだ。ものぐさな勇者などはこれを省いてしまうこともあるが、作業前にこの運動を欠かさず行うことで、日頃の健康を保ち、増進するだけにとどまらず、過酷な勇者業務の事故率は明確に低下するのである。
通行人の奇異の目を受け流しながら一連の準備運動を行うと、インドア派のレナータでさえなんだか何かをやり遂げたような気持ちになるし、錆びついた体の動きも心なし滑らかになったような気がした。
騎士グレナデンなどは、重量のある板金鎧を身にまといながらも、その動作に何の乱れもない。筋肉で考え、筋肉が応える、理想的な脳筋蛮族の姿である。
準備運動を終えると、一同は街道の端で蛮族の儀式めいて円陣を組んだ。
指定勇者第二二〇三九号アネモネは全員が揃っていることを改めて確認し、邪教の経典よろしく作業予定表を広げる。
「えー、おはようございます」
『おはようございます』
「それじゃ、
何たる聞き取り辛い早口の一本調子か!
これは余人には理解できない邪教の
否。これこそが作業工程確認である。
昨日とほとんど同じ内容だが、アネモネは死体細工になる以前からこの工程を早口にきっちりこなす。やや早口過ぎて怪しい部分もあるが、そういうものなのだ。
これを面倒くさがってざっくりと済ませてしまう勇者隊もあるが、作業工程確認を軽んじるものはいざ現場についてからもたついたり、後になってから作業内容を確認しだしたりとロスが多いし、その分危険も増えるのだ。
危険な勇者業務ではわずかな気のゆるみも命にかかわる。
「それでは、予想される危険を順にお願いします」
「うむ。見通しが悪く、死角からの魔物の接近があるかもしれん」
「えー、足元が悪いので転倒するかもしれねーのです」
「魔法の使用時に延焼があるかもしれないわ」
「えっと、えと、け、怪我するかもしれません」
「はい、えー、あとは、まだ涼しいけど熱中症の可能性、かな。じゃあ対策を」
「周囲への警戒を怠らず、互いにカバーすること」
「無理して急がず足元を確認することなのです」
「あー、炎以外の魔法を使うか、使用範囲をしぼる」
「うー、えっと、ま、前に出過ぎないようにします」
「はい、水分補給をこまめに摂ることで。じゃ今日の安全目標は足元でいいかな」
「確か昨日もだったのです」
「だっけ。じゃあ周囲の警戒よしで。安全確認三唱ー」
『周囲の警戒ヨシ! 周囲の警戒ヨシ! 周囲の警戒ヨシ!』
『今日もゼロ災でいこう! ヨシ!』
『ご安全に!』
全員で虚空を指さし、邪教の
しかしこれも命がけの業務において少しでも危険を減らすべく必要な儀式なのだ。
危険予知活動と指差し喚呼を怠ることは、自分のみならず仲間の命も軽んじるのと同じことなのだ。
このような地味で地道な意識改善ができないものは路地裏でひっそり幕を閉じることになる。
その後も、互いの装備を指さし確認したり、動作不良がないかを検めたりといった朝の一連の儀式をつつがなく終えた一行は、街道を外れて雑木林にもぐっていく。
このあたりの木は木材としてはあまり需要がないが、近隣の村などで、薪拾いや、キノコや山菜の採集、また狩りなどにも使われている里の一部だ。豚などの家畜に、木の実を食わせたりもする。なので普段は人の出入りも多い。
しかし、近くに瘴気源が発生してからは、このあたりの瘴気も強くなっている。人畜に害をなす魔物が見られるようになり、いまは人の姿もとんと見られない。
生活がかかっているから、まったく出入りしないというわけにはいかない。しかし魔物に襲われれば即座に命にかかわるから、最低でも何人かでまとまって、集団で自衛することになる。
地場の勇者隊も頻繁に街道を巡って瘴気を祓ってはいるが、街道を外れた里山にまでは手が回っていないのが現実である。
瘴気が祓われずにたまっていけば、それは動植物を、時には鉱物を、また土地や自然現象を汚染し、魔物へと変貌させる。
一度魔物になってしまえば、浄化は困難になる。殺し、壊し、打ち崩してからでなければ、瘴気を散じさせることはできない。
故に、勇者とは常に暴力を携えるのである。
その日の最初の
発見したのはレナータが操る、便宜上「ガブ」と名付けられた狼の魔物の死体細工だった。
ガブは発達した嗅覚を保っており、死体でありながら鋭く臭いをかぎ分け、また生前の習性か風向きをうまく判断して、敵に肉薄し、偵察する優れた斥候だった。それにうっすら花の香りもして毛皮もふかふかだ。お手もできる。
この斥候が取り入れられてから、アネモネ隊の戦闘は殆ど先制攻撃から始められ、効率は何倍にも高まっていた。
発見された魔物は、兎の魔物であった。
これは魔物の中でもよく知られたものだ。瘴気汚染によく見られる肥大化によって、普通の兎よりも大きく、一頭あたり一抱えはある。
そして額からは角が生えている。
一般的な、角兎とか鹿兎として知られている兎の角と違うのは、それが枝分かれするものではなく、らせん状の鋭いものだということだ。
俗に
そして殺した人間をばりばりと食うし、里にまで進出すれば家畜もばりばりと食う大食漢の肉食害獣だ。
よく知られているし、よく見かけもするが、それで油断していいわけではない、十分に厄介な魔物である。厄介でない魔物というのはそうそういるものではないが。
一角兎は群れをつくる魔物ではないが、しばしば行動圏が被るので、何頭かまとまって遭遇することも多く、この時も四頭の兎どもがばりばりと何かしらの動物の死骸をむさぼっているところだった。
それが通常の動物であったのか、何かの魔物であったのかは不明だ。魔物同士の共食いなど珍しくもない。
いっそ共食いの果てに共倒れしてくれればいいのだが、往々にして魔物は共食いするといっそう強くなるので、早めに駆除するに限る。
一応、記念すべき第一魔物なのである程度の説明は入れてみたが、長文に恐れおののく読者諸君には安心して頂きたい。すぐ死ぬ。
「えっと……一角兎? が四頭……です。まだ気づかれてません」
「距離は?」
「四……四十メートルくらい、かな、です」
「アナスタシア、ひと当てお願い」
「射線通ったらね」
やり取りは簡潔である。
レナータのもたらした情報をもとに
レナータの死体細工は使役者と念でつながっており、ガブが見聞きした情報を、レナータは自分で感じるように受け取ることができる。だから一角兎どもが無防備に食事を続けていることもリアルタイムで報告できた。
勇者隊としてこなれた面子であれば、つまり暴力と殺戮に手慣れた連中であれば、それだけ情報が充実していれば隠密裏に接近することなど訳はない。足元のおぼつかないレナータのおもりをしながらでもだ。
木陰からちょいと先を覗けば、報告通りに兎どもが死体をむさぼっている。
草食獣の群れであれば、食事中であれ周囲を敏感に警戒するものだ。しかし一角兎どもは強者としての自覚を持つ肉食であり、なによりその長く鋭い角がお互いにぶつかり合って苛ついていた。互いを睨みあうぴりぴりとした一触即発の空気である。他所へ向ける警戒など無きに等しかった。
だからすぐ死んだ。
「『輝くもの、燃え盛るもの』以下略──《
雑に省略された詠唱の後、アナスタシアの構えた杖から光る豆粒が飛び出た。発現情報を書き込まれ圧縮されたエーテル塊だ。
エーテル塊は投げつけられたような速度でまっすぐに、兎どもの囲む死体に飛び込んでいく。
そして次の瞬間には、その豆粒は圧縮された発現情報を開放して現実を侵食、轟音を立ててまばゆい火球となった。
火の球などと言ってはいるが、その実態は爆炎である。情け容赦のない火力が、兎どもの鼻先で炸裂し、ローストを通り越して爆散せしめ、僅かな痕跡も炭化して崩れ落ちるばかりである。
普段から殺意過剰な火力のアナスタシアであったが、今日の調子は抜群に良いようだった。
つまり環境にも人にも優しくない破壊力であった。
その後も一行は順調に、方角と街道からの距離を確かめつつ森を進んだ。
魔法使いアナスタシアは魔物を焼き払い、騎士グレナデンは魔物を引き裂き、神官ルネーは魔物を叩き潰し、勇者アネモネは魔物を斬り捨て、そして浄化した。
操屍術師レナータは直接戦闘においては活躍の場はなかったが、仲間をよく助け、死体をよく操った。
おおよそ一時間ごとに小休憩を取りながら、殺戮と浄化は続けられた。太陽が中天に差し掛かり、昼休憩に入る頃には、殺した魔物の数を数えるのも面倒なほどだった。
勇者隊というものは基本的に、こうした暴力と殺戮が日々の業務なのである。
とはいえ誰も彼もが暴力と仲のいい世界ではない。勇者と言っても戦闘向きでないものは多い。
そういう暴力に乏しい勇者たちは、魔物とあまり戦わず、街道なんかを巡回して瘴気を浄化することで、まともな道を維持することに従事する。彼らは地場の勇者とか巡回組とか呼ばれて、ほどほどの暴力で地域の勇者として活躍する。
アネモネ隊はそういう大人しい勇者隊ではなく、遊撃組と呼ばれるタイプだった。御覧の通り戦闘と殺戮と暴力が得意な、逆に言うとそれ以外はあまり得意ではない連中だ。
巡回組が異変を察知したり、魔王現象のような手に負えない案件が出てきたとき、近場にいれば呼ばれてそれを解決しに行く。遊撃組というのはそういう、デリバリー暴力なのだった
もちろん、呼ばれた時だけ働くのでは給料泥棒もいいところなので、あちこち移動して、地場の勇者の応援に入ったり、細々とした浄化もする。暴力行脚だ。しかも一応公務員なので、国家公認暴力である。
いまこうして魔物を狩っているのも、瘴気源の発生により増えすぎた魔物を駆除しているのだ。
貧弱な体力でこの暴力集団の暴力作業になんとかついていったレナータも、さすがに昼にはぐったりと沈み込んだ。
直接戦闘はしないとはいえ、ガブを操り、
クソ生意気なドヤ顔で欠片ほどの現世利益にもならない説教だか何だかを垂れ流すルネーでさえおりこうさんに見えてくる。見えてくるだけで実際にはクソ生意気なドヤ顔で欠片ほどの現世利益にもならない説教だか何だかを垂れ流す顔のいい厄介なクソガキに過ぎないが。
休憩によさそうな開けた場所を見つけ、ルネーが魔物避けの結界を張ってくれた時点で、レナータはそのまま文字通り倒れ込んでしまった。ガブのふかふかの毛皮にぐでりともたれかかり、すっかり死に体だ。汗でまみれてぐでぐでにとけ、染みついた疑似体液が揮発して甘い花の香りが濃く立ち上った。
それなりにこの暴力作業にも付き合ってきたとはいえ、引きこもりの頭脳労働者が悪路を平気で踏破するほどのマッスルはまだ身についていなかった。
死霊術師のこの体たらくを、一行の誰も蔑んだりはしない。軽んじることもない。
むしろ泣き言を漏らしながらもついてくる気概には感心さえしていた。それが実際には、滅茶苦茶しんどいしマジで帰りたいけど目も合わせられないので言いたいことも言い出せないだけだということを知らないからだ。
仕事が辛いものは、その辛いことを上司や同僚に申し伝えることすらしんどいのだ。
だからずれた親切心で、悪路に向いた靴を新調してやったり、良く効く軟膏を塗ってやったりして、それでますます言い出せない空気を醸造させてきたのだ。
その癖、急に解雇通知など出すものだから、レナータのメンタルはぼろぼろだ。
レナータが火照った体を冷まし、息をととのえている間に、一行は手早く昼食の支度をととのえた。と言っても大したことはしないし、できない。腰を下ろして休めるように敷き布を広げ、宿でこしらえてもらった弁当を広げるくらいのものである。
弁当と言っても安宿に銅貨をいくらか渡した程度のものだから、たかが知れている。焼き締めた硬いパンに、硬いチーズ、硬い干し肉と顎を殺す気のメニューだ。それでもうれしいことに、リンゴが人数分あった。さわやかな酸味と甘みは、疲れを癒す。それはそれとして顎を使う硬さだが。
「はあ、はっ……そもそも、瘴気って何なんですか?」
水筒の水をちびちびと口にして、息をととのえながらレナータは呟いた。
しばらく勇者隊の一員として過ごしているはずのこの死霊術師は、そのくせいまいち勇者隊の仕事を把握していなかった。
ただ漠然と、おっかない魔物を殺しているなーという雑な理解である。というより、そういうおっかない所業を平然とこなす顔のいい暴力装置どものことをあまり深く考えたくなかったのである。怖いから。
いまのこの問いかけとて、回らない頭が知的好奇心のままに垂れ流しただけのことである。
誰にと特別にむけられたわけではない疑問は、一同の間で少しの間ふわりと曖昧に漂った。
倒木に浅く腰掛けたルネーと、その隣で鎧を少しだけくつろげて塊のようなパンを飲み込んでいくグレナデン。苔むした岩にシートを敷いて座るアナスタシア。木立に背を預けて足を伸ばすアネモネ。一行は目に見えないメモ書きか何かを探すように、寸時虚空を眺めた。
「瘴気はねえ、なんかこう、
「もやっと」
レナータの問いかけに反応したアネモネ人形の答えは、あまりにざっくりしていた。
かなり状態の良い脳を使用しているのにこの返答ということは、生前からこの勇者はこのようなふわっとした認識でいたに違いなかった。
それこそもやっとした空気が流れた。
「全く、ほんとにダメダメ勇者なのです。ここはルネーが説明してあげるのです」
「やあやあ、司祭様」
「茶化すな、なのです」
グレナデンに囃し立てられながら、太陽神の若き司祭ルネーは人差し指を軽く立てて舌足らずに講釈を垂れた。
「瘴気というのは端的に言うと、『悪い気』なのです。不安だとか、恐れだとか、『こうなったら嫌だな』っていう思いなのです。これは善悪の話じゃないのです。生きて行く上で、人でも獣でも必ず抱くものなのです」
「えっと、ルネーちゃんもですか?」
「ルネーはパーフェクト神官なのでそんなことはねーのです。といいたいとこですけど、ルネーにだってちょっぴりはあるのです」
ひとりの想像は、脳から垂れ流されるひとしずくに過ぎない。しかしそれが集まれば一筋の流れになり、それらが幾筋も束ねられれば川にもなろう。川は流れ流れて、やがて大地を削りながら荒れ狂い、何もかもを押し流していく。
瘴気とはそれだ。たわいもない想像が、やがて現実を侵食する。
「『こうなってほしくない』、そう言う恐れが少しずつたまって、
野生の動物もまた瘴気を生むが、人間は特に多くの瘴気を生み出すという。
そのために人間が多く住む都市ほど瘴気は多く生まれるが、同時に悪いものは遠くにあってほしいという無責任な想像に追いやられ、瘴気は人の見えないところで、少し離れてたまっていく。
これが薄い内は、恐れるほどのものでもない。しかしある程度以上に濃度を増した瘴気は、神官の祈りが奇跡を起こすように、魔法使いが魔法を操るように、現実を侵食して書き換え始める。
これによって変質した生物や鉱物、現象が魔物だ。『こうなってほしくない』という恐れが強ければ強いほど、それはかえって呪いめいて万物を変質させる。『こうなってほしくない』形へと捻じ曲げていく。
だから魔物は例外なく凶暴で凶悪な習性を持ち、他者を傷つけることを習いとする。
もっとも単純な形であればそれは暴力として人々を襲い、傷つける。
より複雑な形となれば、毒を吐き、それこそ呪いを振り撒き土地をも汚す。
そしていよいよ瘴気が極まれば、自ら瘴気を生み出し呪いを際限なく深める瘴気源となる。それこそが魔王とも呼ばれる現象だ。
「魔王というのは、『こうなってほしくない』の極み、みたいなもんなのです。人々は恐れから瘴気を生み、瘴気を恐れることでさらに瘴気を強め、そして最悪を想像してしまうのです」
最悪の想像から生まれる、最悪の呪い。だから魔王現象というものは、およそ人の考え得る限りの最悪を体現する。人間であれば自分の想像を『でもそんなことは起きない』と否定できる。遠ざけて拒める。しかし魔王はそうではない。そうはしない。魔王はそれ自体が『そう』だからだ。自身を肯定する。最悪を肯定する。
現実に干渉するほどの濃度となった瘴気は、神官の祈りでも容易くは祓えない。
歪められた現実そのものである魔物や魔王となれば、もはや祈りではどうにもならない。
「これを祓うのが、勇者なのです。大変遺憾なのですけど、
「いやあ、照れるなあ」
「それ、多分、褒めてないですよね……」
勇者は、その身に神の聖性を宿すとされる。
法的な文言で言うところの「神または神々の加護と聖痕を賜りしもの」こそが勇者だ。
神官も神の力を借りるが、それはあくまでも借りものに過ぎない。その都度、祈りを捧げ、願いを託し、奇跡を起こす。
しかし勇者はそうではない。勇者は、より正確には勇者がその身に宿す聖痕は、それ自体が神々の奇跡だ。神官が契約した蛇口を専用のハンドルで開いて水を押し頂くのと違い、勇者は神という巨大な水源から、直接水を引いて垂れ流しにする。
どんな神にどんな加護を賜ったかによって、勇者がふるう権能は異なる。水の神であれば水を操る権能かもしれない。鍛冶の神であれば優れた合金を生み出すかもしれない。
戦闘向きの「強い」加護もあるし、そうでない加護もある。
名高い《嵐の勇者》や《剣の勇者》といった優秀な勇者の加護が民衆にも広く知られ、大いに語られていることもあれば、アネモネのように隊員にさえ加護を詳しく説明していないようなものもいる。
しかしどの勇者も例外なく、その身に神の聖性を宿す。
それは世界を肯定し、固定し、瘴気を祓う。
言い方を変えれば、神々という絶対的な現実を押し付けることによって、瘴気という歪んだ現実を平らかにする、そういう力技なのである。口さがない学者などは、奇跡はより強い奇跡によって駆逐されるなどともいう。
アネモネは確かに素行は悪かったが、しかしその身に宿す聖痕は本物であり、彼女が歩くところでは瘴気は祓われ、彼女が切り捨てた魔物は瘴気を失う。
神官も限定的には瘴気を祓うことはできるが、その規模と性能は比べ物にもならない。
魔物を殺すことは誰であれ殺意と暴力を持つものには可能だが、しかし土地に満ちて汚染し続ける瘴気を祓うことは容易ではない。
魔王現象ともなれば、これを殺し、祓うことができるのは、現実的には勇者だけなのだ。
いや、違うなとレナータは気づいた。
勇者にその権能があるのではない。
その権能を持つ
その実態は、聖痕の運び手でしかないのではないだろうか。
動揺を胸に、レナータは呟いた。
「……すごいんですねえ、勇者って」
「ふふふ、実はボクってすごいんだよ」
「褒めるとつけあがるのですよ」
「中身も伴っていれば良かったのだがな」
そう言って胸を張るアネモネ人形の仕草は生前のアネモネそのもので、そしてそんなアネモネ人形に向けられる白けた生暖かい視線も生前のアネモネにむけられものと同じだった。
ただ、レナータだけは何とも言えない気持ちでそっと目をそらした。苦い気持ちというのでもない。憤るというのでもない。嘆くというほどに親身でもない。ただどうしようもなく尻のすわりが悪いような、そんな落ち着かない気持ちだった。
死体であっても、生きているようにふるまうのならば、見分けることなどできない。
操屍術師としてうそぶいた言葉が、いやにまとわりつき、絡みつくようだった。
勇者アネモネの到来に黄色い悲鳴を上げる娘たち。
不穏な瘴気を祓う勇者隊の訪問に喝采を上げる人々。
軽口と共にぞんざいな扱いをする仲間たち。
誰も彼も、人形を繰る操り糸が見えないのだ。
その人形さえろくに見てこなかったのだから。
彼女が華やかなだけの人形じゃなく、人間だったということさえ、誰も真面目に考えたことなどない。
そして神が与えたもうたという聖痕さえも、勇者の生死を見分けず、是非を問わない。勇者アネモネの体は、死してなお瘴気を確かに祓っていた。意思もなく魂もなく、ただ反射と反復とによってつくられた勇者は、生前と変わらぬ働きをする。
わが身かわいさにその死体を弄び、いかに廃棄するかを考えていたような娘が何をというところだが、レナータはアネモネという一人の人間の死がどうしようもなく哀れだった。
その生にどんな意味があったのか。その死に何の意味があったのか。
しかして何を言えるというわけでもなく、少女はただ少し俯いてなんかもっちゃりした半笑いでもごもごと呟くだけだった。
「すごいですよ、勇者様は」