死霊術師(ネクロ)ちゃんピンチ! 作:段々剃刀
・レナータ・ハーカー
女死霊術師。倫理観に問題がある。
前科が増えた。
・アネモネ・リターナー
女勇者。倫理観がふわっとしている。
被害者その1。
・アナスタシア・カンバック
女魔法使い。倫理観は商売でよく使っている。
被害者その2。
・グレナデン・ド・レジュレクシオン
女騎士。倫理観は状況判断による。
次の説得対象。
・ルネー・ルネサンス
女神官。倫理観に自信がある。
肉体と聖痕さえあれば、そこに魂がなくても、人格がなくても、勇者は機能する。
勇者アネモネが死体人形となったことで奇しくも発見された事実であったが、この公表できない一件はあまりにも残酷だった。
誰もアネモネのことを気にかけないというのならば、彼女が生きてきた意味とは何だったのだろうか。彼女が死んだ意味とは何だったのだろうか。
仲間にさえ気に留められないまま瘴気を祓い続け、そしていまも、死んだことにさえ気づかれないまま瘴気を祓っていく。
本当に生命を冒涜するのは、いったい誰なのだろうか。
それはそれとして干し肉が硬すぎて歯が立たないレナータであった。
アネモネ隊は昼休憩をたっぷりととる。
この間に反省会をしたり、装備の手入れをしたりといったことは一切しない。そう言った時間は休憩する前か、休憩し終えた後に別に取る。
休むときは休むことに徹する。それがアネモネ隊のルールである。
最初、レナータはついついガブのメンテナンスをしたり、疲れた一行に治療を施そうとしたりしたのだが、その頃はまだ生きていたアネモネに優しく、しかししっかりとたしなめられた。休むことも仕事なのだ。全員がしっかり休まなければならない。誰か一人が崩れれば、チームというものはそこから崩れるからだ。
だから今では、ほんとにいいのかなあとうっすら思いながらも、疲れの方が強いのでぐったりと動けないまま過ごしている。
休憩時間中に何をするも、それは当人の自由である。本を読んでもいいし、寝てもいいし、体をほぐす軽い運動をしてもいい。相手がそれを許すなら話しかけて、会話を楽しんでもいい。しかしきちんと休んでリフレッシュしなくてはならない。
アネモネ隊はもっぱら寝る。ぐーすか寝る。会話などしない。くだらない雑談は食事中に済ませてしまう。
どこでも寝られるように訓練を積んでいるというグレナデンは、鎧を着たままで、しかし足元は緩めて、横になってすぐに寝てしまう。傍目には快適そうには見えないが、鎧下がいいクッションになって悪くないとは本人の談だ。
生前のアネモネは木立に背を預けて、脱力して目を閉じていた。寝ていたかどうかはわからない。しかし少なくとも、レナータが気兼ねなく休めるように率先して休んでいたのは確かだ。アネモネ人形もまた、それに習っている。
ルネーは食後に祈りをささげた後、日当たりの良い場所を選んで膝を抱えて座るようにして寝る。恐ろしく窮屈で寝づらそうに見えるが、当人はそれが一番落ち着くらしかった。
アナスタシアは本を読むことが多い。読んでいるうちにうたたねに入ることもあるが、眠りは浅く、しばしば顔をあげて周囲を見回した。
レナータはとても疲れているのに、半端に高ぶり、寝るに寝られず、目をつぶりはするものの、落ち着かないまま時を過ごすことが多かった。そしていつの間にか本当に疲れて気絶するように寝入り、誰かに起こされるのだ。
アナスタシアとレナータはこの日、寝るふりをしながら、しかし静かに会議を始めた。
声は出さない。アナスタシアにはその原理はよくわかっていなかったが、互いに強く念じると、疑似体液とやらを通じて言葉や、言葉にならない思いさえもを伝えあうことができるのだった。
それは耳で聞こえるのではなく、頭の内側で響くというか、自分の思考に他人の声が混じるようなものだった。レナータの恐る恐るささやきかけるような声が通話を試みてきた時、アナスタシアは背筋にぞわぞわ伝うものを感じて変な声が出るところだった。耳元でささやかれるよりももっと内側で響くのだ。
『うわ、変な感じ……』
『慣れれば便利ですけどね』
『なんかえっち』
『えっ』
『あっ』
思念通話は、慣れぬ内は余計なことまで漏らしてしまうものである。
『えっと、午前中動いてみて、どうでした?』
『問題ないわ。むしろ調子がいいくらい。本当に死んでるのかしらって感じね』
アナスタシアの頭の中で波の揺れるような感覚がした。なんとなく笑っているなというのが感じられた。
『厳密には、肉体的にはまだ生きているって言ってもいいんです』
『死んでるんじゃないの?』
『人が死んでも、細胞はすぐには死にません。徐々に死んでいきます。疑似体液は血液に混ざるようにして全身の細胞に浸透して、これを保護します。そして最初のうちはこの細胞を活かして、動いてもらって、身体を動かしています。なので普通は呼吸や、食事も必要です』
少し想像力が必要だったが、疑似体液というものは人間の体に沁み込んで、内側から操るものらしかった。それも細胞単位の、とても小さなレベルで。この状態をレナータの流派では「泥」と呼ぶそうだ。土に水がしみ込んで、泥。
ガブのような道具として割り切るのならば、この時点で不要な内臓を溶かして栄養にし、変化を速めるようだが。
『脊髄や脳に浸透した疑似体液は神経系を掌握して、身体を動かします。この時期は演算や思考を生体脳に依存するので、頭部を破壊されると機能を停止します。気を付けてくださいね』
『まあ、そりゃ、頭がやられたら死ぬわよね』
『脊椎をはじめ骨の内側、骨髄に浸透した疑似体液は造血器官を通して自身を複製し始めます。血液の代わりに疑似体液を造るんです。私が術式の時に打ち込む初期投与用の疑似体液も死体細工の骨髄から採取しています。たとえば勇者様ですね』
となると自分に打ち込まれた疑似体液とやらはアネモネ由来のものなのか、と思うとあまりいい気持のしないアナスタシアである。いやまあ、誰のものであれ、よくわからない液体を流し込まれるのはあまり気分のいい話ではないが。
『十分に浸透して身体機能を掌握した疑似体液は、時間をかけて細胞を消化・吸収して模倣・複製し始めます。すべての細胞が少しずつ、疑似体液で出来た細胞に置き換わっていくんです。体液、とは言ってますけれど疑似体液は全くの液体というわけではなく、古い言い方ではキメラ粘菌なんて言いますね。これが新しい細胞として体を作っていくんです』
こうして新しく生まれた、細胞を模倣した疑似体液を「粘土」と呼ぶ。水と土が混ざり合い、きめ細かに馴染んだもの。この「粘土」は元の細胞の機能を再現するだけでなく、自分で動き、形を変えることもできるようになる。だから「粘土」だ。
アナスタシアは自分の体が徐々に別のものに作り替えられて行く様子をポップにディフォルメされたイメージと共に説明されて、困惑した。それはおぞましい想像だった。いまこの瞬間も、アナスタシアは疑似体液とかいう未知の生命体に体を貪り食われ、置き換えられているのだ。
だというのにレナータは専門分野ということもあって至極楽しそうに語り続ける。
『「粘土」はとても柔軟で、丈夫です。身体能力が向上するだけでなく、例えば腕が取れてしまうような傷でも、自分でくっつけることができます。また生体脳の置き換えがすっかり済んでしまえば、その記憶情報や思考回路は疑似体液全体で共有されるようになり、つまり全身で考えて全身で記憶できるようになります。考える筋肉ですね。えへへ、グレナデンさんみたいなんて言ったら悪いですよね。ここまで変化が進めば、もう脳が破壊されても大丈夫です。「粘土」をこねるように元通りの形に戻りますし、全身で覚えているのでへっちゃらです。既存のアンデッドが死んでるからこれ以上死なないのとは違い、疑似体液は全身が全体として生きているので殺されても死ぬことがないという』
『待って、待って待って』
『あ、ごめんなさい、メートルあげすぎましたね。もう一回説明しましょうか?』
えへへぇ、と可愛らしく笑う気配がアナスタシアの脳裏に響く。かわいい。しかしかわいいだけでは済まされない。
念話に専念するために寝たふりをしていたアナスタシアは、咄嗟に顔をそむけて吐き気をこらえた。
可愛らしい声と可愛らしい気配になにもかもを誤魔化されてしまいたいが、無駄に聡明な頭脳が理解してしまっている。このおぞましい真実を理解してしまっている。自分が今まさに作り変えられているというおぞましい真実を。
アナスタシアはリンゴを思い浮かべた。みずみずしく赤いリンゴの実。けれどそこに見るもおぞましい身の毛もよだつ毛虫が顔を出す。
毛虫はしゃくしゃくと小気味よい音を立てながらリンゴの実を食い進める。潜り込み、顔を出し、這いまわり、そしていつしか無数に増えながらリンゴを食い荒らしていく。
やがて訪れるのは毛虫に覆われた、リンゴの形をした何かだ。いや、もはやそれはリンゴの形さえ成していない。もはやそれはうごめく醜悪な毛虫の集合体だ。
それがアナスタシアの頭の中で起こっている。
アナスタシアの脳が無数の目には見えない虫たちに食い荒らされ虫たちに変わっていく。
頭蓋骨の中で
増えていく。
増えていく。
そしてそれはがやて溢れ出しアナスタシアだったものを埋め尽くす。
それはあまりにもおぞましい想像だ。
いや、いやいや! いや! なによりもおぞましいのは、アナスタシアの吐き気を、恐れを、その気配を感じ取りながら、念に触れながら、心底不思議そうに
人間が、人間の存在が、内から溶かされ別物に作り替えられるということを、この娘はそのおぞましさをまるで理解していない。その仕組みを原理を誰よりも詳細に理解していながら、そのおぞましさを理解しない。
死体を人形にする所業がすでにしておぞましいというのに、その上でさらに?
『なに、え? つまり、あたし、あたしなんなの? なにになるの?』
『アナスタシアさんはアナスタシアさんですよ?』
『あたしじゃないものになるんでしょ? そういうことでしょ? 訳わかんないものに、いま全身食われて、作り変えられてるんでしょ?』
アナスタシアの強い念に、レナータは少し気圧されたようだった。
その素朴な困惑がアナスタシアには理解できない。
全身を、皮膚の下を、血管の中を、正体不明の何かが今この瞬間も這いまわり、自身をおぞましい何かに作り替えている、その想像がこの娘には理解できないのだ。
念を通して伝わってくる恐ろしく穏やかな知性と理性が、アナスタシアにはかえって恐ろしかった。
それは
レナータは少しのあいだ考えて、このように答えた。
『細胞はレンガに例えられることがあるんです』
『はあ?』
『レンガです。建物をつくるレンガ。いくつものレンガを重ねて、家が建っているとします。アナスタシアさんのお家です。ある日、レンガが一つ欠けたので、新しいレンガに換えました。この家は誰の家ですか?』
『そりゃ、そりゃあ、あたしの家、なんでしょ?』
『ではある日、強い風が吹いてレンガが十個割れて、取り換えました。この家は別の家ですか?』
『ん……同じ家、じゃないの』
『そうして何度も何度もレンガを取り換えて、全てのレンガが別のレンガになったら、それは別の家ですか?』
『それは、別の、ううん、でも、あー、同じ家、って言っていいんじゃないかしら』
答えながらも、なんだか言い包められているような気がしてくるアナスタシアである。
いいや、気がするだけではない。それはペテンだ。どうしようもないペテンだ。レンガをいくら置き換えようとそれはレンガの家だ。しかし置き換えられるのが奇怪に動きまわる毒虫だとしたらそれはもはや家ですらない。
だがアナスタシアはそれを考えたくない。恐れながら、恐れる故に、目をそらしたい。
『私たちは、つまり私の流派の操屍術師は、人間の体もそうだと考えています。細胞は日々新陳代謝で入れ替わっていますし、常に変化し続けるものです。もちろん、細胞が置き換わるペースが非常に遅いものもありますけど』
『ううん……でも、やっぱり脳が置き換えられるのって変じゃない?』
『確かに、脳の細胞は新陳代謝等で自然に入れ替わることはありませんね』
『ほらぁ!』
『でも仮に脳に傷を負って、それを埋めることのできる治療法ができたらどうでしょう。脳の一パーセントを取り換えても本人でしょうか。一割なら。二割なら。どこまでが本人でしょうか。私たちはこう考えます。全く同じ出力ならば、それは同じものなのだと』
アナスタシアはいよいよわからなくなってきた。耳をふさぐことも出来ず流れ込んでくる声はどこまでも優しく言い聞かせるようで、幼さの残るその声音はしかし母のように安らぐものでもあるのだ。けれどその声がささやきかける言葉は倫理と常識とを揺さぶる不可思議な問答なのだ。
なにが恐ろしいと言って、おぞましい想像と不安にさいなまされながら、それでもアナスタシアはレナータに対して嫌悪を抱けないのである。この娘の健気な空気を感じているのである。脳にそれを響かせているのである。
あるいはこれは死体細工と成り果てたアナスタシアの意識を死霊術師の手腕でもっていいように誘導されているのではないかとさえ思う。そしてそう思いながらもなおそれを嫌悪することができないのだった。
『なによりアナスタシアさんの人格を持つ個人の「霊なるもの」がそこにあるんです。あるいは魂もあるかもしれません。医学的には肉体の死が人の死ですが、死霊術の観点で言えば個人の「霊なるもの」が本人の証明です。魂ともなれば確実です。また月の神の教典にも人は死んだ後、その魂は永遠の安らぎに包まれた夜の国で眠るとされ、逆説的に魂が離れていなければそれは本人が生きていると言っていいでしょう。魂を失った個人の「霊なるもの」はやがて散じるとされますから、それが残って正常に機能しているアナスタシアさんは魂が残っているんじゃないかなということが言えるでしょう。あるいはまた魂の変質を恐れているのかもしれませんねしかしそれもまた自然の成り行きですよね肉体だっていつまでも同じわけではないんですただ生きていくだけで私たちの体の細胞は生きて老いて死んで置き換わっているんです川はいつでも同じように流れているように見えますが川の水はその一瞬ごとに違う水なんですそれと同じように私たちの心や思いも変わり続け昨日の自分と今日の自分と明日の自分は常に全く別のものなんです別のものでありながらしかし同一のものなんですそれが同一性というものなんですだから何にも問題はないんですよわかりますね』
『……わかるような、わかんないような、ペテンにかけられてるみたいな……』
『そうですね。そうでしたね。不安を感じているんですね。初めてのことですものね。大丈夫ですよ。大丈夫。わたしの声を聴いてください。大丈夫です』
『大丈夫じゃ、ない、のに……なんで……』
『怖いですね。不安ですね。でも大丈夫なんです。だって大丈夫だから』
『やめ、やめて、あ、あ、』
『リラックスしてください。気持ちがとても楽になります。なりました。なると不安が薄れます。薄れていきます。薄れました。なくなります。楽な気持が大きくなっていきます』
『あ、あああ、だめ、だ、め、楽に、楽になる……だめ、楽になっちゃう……!』
『幸せな気持ちで満たされます。幸せな気持ちになるととても気持ちがいいので、幸せになることはいいことです。いいことなので何の不安もありません。悪いことなんてありません。いいことなので。ごあんしんです』
『あっ、あ、あっ、あ、しあっ、しあわせにっ、しあわせっ、しあわせになっちゃう……!』
『大丈夫。いいんですよ』
『あっあっあっあっあっ』
『大丈夫なんです』
『あ゜っ 』
おぞましい。
おぞましい事実。
おぞましいという理解。
すべて変わらないままだ。
おぞましいと考えることができる。
しかしアナスタシアはそれを不安に思えない。恐ろしく思えない。
圧倒的な快と愉悦とが脳髄にじんわりと沁みてくる。骨の髄からぬるま湯に包まれたようなあたたかさが拡がっていく。
しあわせだ。しあわせだ。しあわせだ。しあわせだ。しあわせが押し寄せてくる。そして溺れそうになった瞬間、それはすっと波がひくように消え去っていく。
ただ穏やかに弛緩した精神だけが取り残される。風呂上がりの夜風のような清涼感さえ感じる静けさが、アナスタシアの精神を洗った。
おぞましさはただ理解だけのものとなり、感情はそこから取り除かれた。
そして愛らしい声が上書きを試みる。
『実利的な面で言うと、死体細工は身体機能を再現しますが、同時に操作もできますので、頭痛とか月のものとかなくせます』
『えっ』
『当然お肌も常につやつや潤う最高の美肌です。夜更かししても雑なお手入れでも大丈夫』
『あらっ』
『靭帯も再生するのでおっぱいもたるみません』
『そんなっ』
『お通じが悪いなんてもうありません!』
『やだお買い得っ』
おぞましい理屈を放り投げて、アナスタシアは目先に差し出されたメリットに飛びついた。
考えすぎるとまたあのしあわせが襲ってくるかもしれないし、考えたところで仕方がない問題でもある。
それならばよくわからん不安より目の前にある事実の方が大きいのである。
人は来世のしあわせよりも露骨な現世利益を尊ぶのだ。
不安を開き直れば、後は実利と実務だ。
『魔法の調子は良さそうでしたね』
『そうなのよね。普段よりスムーズに魔法が構築できるし、威力も高い。詠唱も、省略どころか、無詠唱でもいけそうだったわ』
『よかったあ。魔法が使えるかは怪しかったんですよね』
『えっ』
『理論上は脳機能が正常に機能していれば現実改変能力の行使は可能なんですけれど、具体的に脳のどの部分がどのような機能で現実改変をなしとげているのかは詳しいところがわかっていなかったんですよね。防腐処理を施した脳髄を利用した死体細工では現実改変能力の変質や著しい劣化、時には全く使用できなくなる事例も多くて、人工精霊を用いた憑霊式の方が安定してたんですけれどこれはやっぱり性能がそこまでよくなくてですね。違法な事例ではほぼ完全な魔法使いの人格を有する個人の「霊なるもの」を用いたアンデッドの製作が行われたことがありまして、こちらは不安定ながら魔法が行使できただけでなく現実改変能力に著しい変化が見られてですね、これらの事実から脳器質は現実改変能力に大きく関わるのは確かとして、その中でも個人の人格が有する認知・認識が現実改変に大きく関わっていると見られて』
『ごめんまとめて?』
『にゃ……アナスタシアさんがちゃんと魔法を使う感覚を覚えてたので、ちゃんと魔法を使えていますって言うことですね。それで、調子がいいのは、脳の性能がアップしてるからだと思います』
脳の性能。
アナスタシアがいままで考えたことのないワードである。
放っておくとまたメートルあげてしゃべくりそうなので、アナスタシアは刻んでいくことにした。
『単に頭の良さってわけじゃないわよね』
『そうですね、道具の品質みたいなものです。いまの段階では疑似体液が脳に浸透して保護しているわけなんですけれど、これがもともとの脳が行っていた機能を補佐し、思考速度をはじめとして効率よく』
『つまり油を差したみたいにスムーズになったってことね』
『あー、そうとも言えます。それで魔法を使いやすくなってるんだと思います。なので』
『だから、疑似体液の置き換えが進めば、もっと効率よくなるってことね』
『えー……と、そうですね。そんな感じです』
恐ろしくはある。おぞましくはある。
しかし前向きに考えていかなくてはならない。
アナスタシアはレナータが唱える呪文としか思えない理論を聞きながら安らかに眠りに落ちた。
あるいはその安らかな心持ちさえもこのあどけない死霊術師のもたらすものなのかとは、考えないようにしながら。
「はいじゃあ、午後の作業を確認して、えー、いきます」
昼休憩を終えて、午後の作業工程確認と危険予知活動を済ませた一行は、健やかに暴力と殺戮を再開した。
アネモネ隊は暴力が売りの勇者隊としてはそれほど暴力的ではなく大人しい方ではあるが、それでも瘴気源につられて変異した木っ端魔物程度は物の数にもならない。体力の続く限り、問題なく殺戮を続けることができる。
そしてその体力は、貧弱な死霊術師を除けば有り余っている。人間の範囲ではあるが、どちらかと言えば魔物に近い。
瘴気を突き進むものは、自らをより強力に作り変えていく。現実があいまいに希釈され変異していく瘴気の中で、確立された自我は自分という現実を強靭なものに上書きしていく。
まして、ただでさえ有り余る体力は、死霊術師のサポートによってより一層疲れ知らずである。
レナータの調合する栄養剤は、もとは死体細工の補給用のものであるが、少し調整すれば人体にも用いることができる。その効果はわずかな倦怠感さえも払底させる。それは気分ばかりではなく、疲労した肉体に速やかに浸透して実際に癒しを与える。それはある種の
薬事法に引っかかるのであくまでも気休めの栄養剤を謳っているが、用法用量を守らずに使用すれば尋常ならざる滋養強壮とめくるめく澄み渡った精神を得られる代物である。実際合法な薬物であり、レナータは毎日使用しているが全然中毒になっていない。
端的に説明すれば、目ン玉ギラギラさせた顔のいい暴力装置どもが、進路上に動くもの、息をするものを見かける度に、動かなくして息をしなくさせる作業を繰り返すつまらない光景が続くだけなのだ。
おおむね、血と出血と流血が続くだけの簡単なお仕事で、読者諸氏もうんざりしたころだと思うので詳細は省く。
作業工程はだいたいのところ予定通りに進み、日が傾きかけた頃に、一行は雑木林を抜けて街道に戻り、宿場町に辿り着いた。
宿場町は街道沿いに宿と店舗、継ぎ馬のための馬がつながれた
当然衛兵による
幸い、宿の部屋は空いていた。というよりほかに客がなかった。
宿と言っても町の宿ほど立派なものではなく、いわゆる木賃宿の類であった。
部屋は雑魚寝の大部屋で、寝具もないので客が持参する。食事も、欲しければ薪代か薪そのものと食材を持ち込んで調理してもらうことになる。調理まで客にさせることはないが、それは親切心などではなく、うかつに火を使われて火事にでもなればたまったものではないからである。
一行は道中で仕留めた一角兎の肉をいくらかと、瘴気に汚染もされず沢近くで平和に飛んでいたシジミをとらえていたので、これと薪代とを渡して夕餉と、翌日の朝餉を頼んだ。
それらはまとめて鍋で雑に煮られたが、これがなかなかどうして、身体に沁みる素朴なうまさがある。
獣にしてはあっさりした兎と、確かな力強さのあるシジミの出汁とが、少ない具材でも満足感を与えてくれる。少しききすぎな塩加減も、肉体労働で疲れた身体にはしみいるというものだ。
勇者アネモネの死体細工が、どういう交渉をしたものか不愛想な老婆からエールをひとり一杯ずつ手に入れてきたものだから、満足度はますます高まった。死体細工に加工した本人であるレナータをもってしても、反射的に繰り出されるこの社交性の異常な高さは理解不能だった。
いかなる手練手管か、アネモネはさらに大きなたらいにたっぷりと湯ももらってくる。水をくむだけでも重労働で、それを沸かすのは決して安い仕事ではない。いつものこととはいえ、不可思議である。
女所帯の気兼ねの無さで、手に手に濡らした手拭いで体を清めながら聞いてみれば、訳はない。
小銭を握らせ、肩をもみ、話を聞いてやり、そっと抱き寄せ、耳元で優しく囁いてやる。
口説いたのだ、要は。老婆をさえ。
かさついた頬を乙女のように赤らめさせ、声も気持ち高くさせるのは、もはや魔性の技である。
「詐欺とかペテンの神の加護でも貰ったのですかこいつは」
「あたしよりよっぽど魔法使いよね……」
「女性に優しくというのは騎士の習いでもあるが、恐れ入ったな」
あまりの懐の深さというか、節操のなさというか、アネモネの手の広さに一行は驚くやら呆れるやらといった気持ちであったが、レナータはその中で一人いっそう深い驚きに包まれていた。
何しろアネモネはいまや死体細工なのである。その脳を利用して自動操縦させているとはいえ、自律的な意思など持たない。つまりこれはほとんど反射なのである。状況に対応した行動がすでにプリセットされているのである、この女は。
死んでこれなのだから、生前からそうだった可能性は高い。つまり、反射的に女にコナかけていたのである。
『まあ、その場限りの話で言えばほんとうまいことやるのよ』
背嚢を枕に薄い毛布をかぶり、さっさと明かりを消した部屋の中で、アナスタシアが念話でボヤくように言う。
『個人として付き合ってると、気が利くのよこいつ。まず不快な思いはしないわね』
『でも扱い雑ですよね』
『事前に悪い話も聞いてたし、あいつが趣味じゃないから選ばれたみたいなとこあるんでしょうね』
現アネモネ隊は、前アネモネ隊が痴情のもつれで崩壊したことから、改めて神殿や役所で人員を集めて編成されたという。つまり、アネモネに心動かされない人員をだ。
アナスタシアで言えば、気安く親しみを感じる相手ほど警戒する癖がある。それは商人、いやむしろ詐欺師によく見る顔だからだ。都合のいい話は疑ってかかるものだ。まして相手を金銭価値に換算する教育を受けた女である。
『その場で相手を見ての対応はほんと完璧よ。でもほんと、その場限り。あとのこと考えてないから、話は矛盾するし、破綻する。誰彼構わずいい顔するし、気軽に安請け合いするしね。悪意からじゃないっていうのがほんと困りものよ』
アナスタシア自身も嘘は吐くし、人間は誰でも嘘を吐くものだと思っている。潔癖なところのあるルネーのように、嘘を悪徳とは断じない。むしろ嘘はコミュニケーション・ツールの一つでしかないとさえ思っている。うまく使えば悪徳どころか美徳だ。
しかしアネモネは嘘が下手過ぎる。その場では完璧なのに、その場限りでしかない。思ってもいないことを平然と口にして、表情さえも自由自在に変えて、態度すらも相手によって容易く切り替えて見せる。それはもはや天性の詐欺師か天賦の嘘つきの所業だ。しかしそれが後に続かない。
まるでひと時の幻影か何かのように、ショーを終えて別れてしまえばアネモネはすっかりそのことさえ忘れてしまう。いや、そもそも覚えていないのではないかとすら思う。
悪意がないとはいえ、悪意がないからこそ、たちが悪い。
レナータとしては嘘を吐こうとしても顔にも言葉にも態度にもすべてが出てしまう挙動不審だから、嘘を手段として選択肢に入れることすら稀だ。すぐばれるとわかっている。だからアネモネ人形を造った件は一世一代の大博打のつもりだったのだが、そもそも普段から挙動不審だったのでバレなかったという悲劇だか喜劇である。
『まあ、あんたは嘘を覚える必要はないと思うけど……でもある程度、交渉に慣れた方がいいのは確かね。それ以前の交流とか、会話のレベルから』
『ふなー……生きてる人の目って怖いので……』
『死んでる人間の目をキラキラした目で見る方がよっぽど怖いけど……まあでも、少なくともあと二度は交渉をこなさなきゃいけないわ』
そう、二度だ。
二度と言うより、二人と言うべきか。
レナータの勇者隊脱退の件を、どうにかして撤回してもらわなければならない。
本来は三人であったが、アナスタシアは死体細工になってしまったし、すでに交渉は終えたものと見ていい。
『うう……全然できる気がしません……』
『しなきゃなんないのよ。あたしだって命っていうか人権かかってるし』
『でもぉ……』
『あたしだって助けてあげるから。とはいえ……まあ簡単じゃないわよね。事前に決めた順番だと、次にあんたに勧誘を仕掛けてくるのは、グレナデンよ』
『グレナデンさんなら、話せばなんとか、なり、ませんかね……?』
年上の女騎士を素直に尊敬するレナータに、アナスタシアは何とも言えない念を伝えてきた。
『まあ、がんばることね』
『えっなにそれこわい』
翌日、レナータはアナスタシアが濁した理由を明かされた。
確かにそれは説明しがたいものであった。理解しがたいものであった。もっと言えば説明したくないし理解したくないものであった。