死霊術師(ネクロ)ちゃんピンチ! 作:段々剃刀
・レナータ・ハーカー
女死霊術師。倫理観に問題がある。
死体に狂っている。
・アナスタシア・カンバック
女魔法使い。倫理観は商売でよく使っている。
金に狂っている。
・グレナデン・ド・レジュレクシオン
女騎士。倫理観は状況判断による。
妹に狂っている。
グレナデン・ド・レジュレクシオンは武家の長女として生まれた。
当主である父は一等国士であり、領地は東部に広がる肥沃な平野一帯に、森と、山がいくつか。海には面していないが、開拓権を有し、代を重ねるごとに領地が拡がることはあっても、切り取られることはなかった。魔物にも、他の貴族にも、まして他国にも。
本人は勇者隊になど潜り込んで、いたって気楽な旅道楽など決め込んでいるが、レジュレクシオンという家名は押しも押されもせぬ大貴族といってよかった。
住民よりも牛の方が多いなどと揶揄されることはあるが、それはひるがえって見れば十分な家畜と食糧とが、大地に担保されているということでもあった。
十分な──住民が生きることに、飢饉に備えることに、そしてなにより軍を維持することに。
広大な領地は、父を寄親とする国士たち、仕える郷士に騎士たちが支配していた。彼らはみな筋金入りの武家であり、剣を持たずして家名を名乗ることを許されぬもののふたちであった。
グレナデンには年の離れた兄がいた。
兄はやがて家を継ぐべき人だった。
しかし兄は病弱だった。
幼いころのグレナデンは、兄がベッドに横になる姿しか見たことがなかった。
遊ぼうとせがむ妹に、いつも困ったようにすまないと笑う人だった。
やがてグレナデンにそれなりの分別というものが身についてきた頃、妹が生まれた。妹たちが。
グレナデンには自分と血のつながる母の他に四人の母がいたが、生まれてきたのはみな娘ばかりだった。
父も五人の母たちも、兄だって、子供たちの誕生を喜びことほいだ。グレナデンも間をおいて次々に増えていく家族に困惑しつつも、言葉にならぬ嬉しみがあった。
しかし貴族というものはそれだけではいけないのだということも知った。
父は、その寄子たる国士や郷士を呼び集めて祝いの宴を開いた。
グレナデンは彼らの勇ましい騎士ぶりに感嘆の声を持って迎え、野蛮とも言える武勇伝をせがんで語らせた。いたいけな子供に素直な尊敬の目で見られれば、誰とて嬉しくなるものだ。もののふたちはこぞって話しては聞かせていった。
そこに酒も入れば、彼らの口も緩みもするというものだった。
それが誰のものであったのか、詳しくは覚えていないが、古参の郷士の誰かが酔いに任せてぼやくのが聞こえたのだ。
「本家の
「挨拶にゃ顔出しよらしたが、あとは引っ込んじょらす」
「ちゃっちゃ、顔ば見損ねたのう、ふてーなっとやろうあん子も」
「んにゃ、
「まこつや。分家ん誰ぞ
「んにゃんーにゃ、取らんち言いよらす」
「はー、婿ば取るんかねえ、いけんすかいねえ」
老人たちの言葉はみな古く、グレナデンにはわからないところも多かったが、彼らは病弱な兄のことを憂いているようだった。
武勇がすべてという時代は過ぎたものだが、それでも当主たるものがか弱いようでは、納得のいかないものも多いだろう。少なくとも自分の上に頂こうというものが、剣ももてぬような身では、武家も面白くはなかろうと思われた。
養子をとるのか、それともまだ幼い娘たちに婚約者を宛がい、婿を取るのか。彼らはそう言っているのだった。
貴族というものは小難しい理屈もあるもので、幼いグレナデンにはよくわからないところもあった。いまでもわからないのだから当然だ。
しかし、それでもはっきりしていることはあった。
つまり、貴族は
兄が病弱であることは、仕方のないことだ。
病弱であることが、兄を貶めるものでは決してない。
しかしそれはそれとして、武家の棟梁たるものは強さを見せつけなければならない。
幼い妹たちを守ろうと思った。
いつかは嫁に行くなり、婿を取るなりするだろう。しかしそれは致し方なくという形であっていいはずがなかった。
病弱な兄を守ろうと思った。
生まれつきの体質は仕方のないことだった。それが優しい兄の全てを貶め、全てを決めつけていいはずがなかった。
グレナデンは、だから、兄の代わりになろうと思った。
幸い、グレナデンには才能があった。
熱心に剣を振るい、暴れ馬を御し、大人たちに交じって組み手もした。
鎧を着たまま崖をよじ登ったり、川を泳いだりもした。
岩を持ち上げたり、立ち木を一人で伐ったりもした。
また魔物や野盗を相手に、命の取り合いもした。
そうして背は健やかに伸び、腕力は野放図に増し、元気に暴力を振るった。
気づけば誰もついてこれなかった。
棟梁の娘ではありながら、一介の従騎士として騎士のもとで働き、学び、ついには自らも騎士として叙任されるに至った。
その過程で生意気な郷士の息子の鼻っ柱とあばら骨を何本か圧し折ったりというアクシデントもあったが、蛮族の地ではよくあることだったので、かえって褒められた。
兄の代わりになろうと思った。
兄のように優しくあろうと思った。
兄ではかなわぬ武力にも通じようと思った。
妹たちはそんなグレナデンによくなついてくれた。
甘え、頼り、わがままを言い、そして素直に憧れてくれた。
四人の妹たちはなにもわかっていなかった。
病弱な兄の苦悩も、それを支えんとするグレナデンの覚悟も。
だから無邪気だった。純粋だった。素直だった。
妹たちをお姫様として扱い、かわいがるうちに、グレナデンはその称賛の虜になっていった。
立派に兄の代わりを務めようとしていた。
そのために騎士を目指し、騎士らしくあろうと思った。
妹たちを甘やかすのはその一環のはずだった。
けれど、いつしかその一環は、グレナデンの中で重みを増していった。
剣を振るうことよりも、妹を抱き上げることが多くなった。
領地の様々な報告書に目を通すよりも、妹たちに送る詩文を練る時間が増えた。
退屈な時間と思っていたお茶会に足しげく通い、妹たちに給仕するようになった。
妹たちの称賛が、全てになっていった。
妹たちから以外の称賛に心が響かなくなってきていた。
どれだけ鍛えようと、どれだけ野盗を討ち取ろうと、どれだけ魔物を駆除しようと、グレナデンに投げかけられるのはお決まりの称賛だけだ。
勝って当然。やれて当然。そして、女の身でなという無自覚で無責任な侮り。
騎士たちはグレナデンを称える。女の身でよくぞと。
父はグレナデンを称える。女だてらにやるではないかと。
そして兄は謝る。女のお前に無理をさせてすまないと。
「よくわからんがそうだな! 私はかなり強いと思う!」
ぶっちゃけたところメンタルが割と狂人だったので、違った、えー、強靭だったので、女だから云々という無自覚の侮りとか何とかに関しては別にそこまでダメージでもなかった。
そうは言うが私が本気を出せばお前をミンチにできるんだが、という心の余裕があった。
越えられぬほど大きく見えた騎士たちの背を見下ろすようになって、あ、
自分は兄の代わりとして、完璧に至ったのだと。
その兄が、
突然、ではなかったそうだ。
グレナデンが我武者羅に努力する姿を見て、兄は奮い立ったのだという。
妹にだけ頑張らせて、自分ひとりのうのうとしているなど、と。
父もまた、兄妹の頑張りに応えようと、高名な医師を呼び、高価な薬を買い求めた。
そうして徐々に兄は体力を回復し、ついには人並みに健康な体を手にしたのだった。
自分の足でしっかりと立った兄に、いままですまなかったと言われた時、グレナデンは自分がどういう気持ちでいるのかわからなくなった。
嬉しかったのだと思う。
喜ばしかったのだと思う。
祝いたかったのだと思う。
兄様と呼びたかったのだと思う。
子供のように抱き着きたかったのだと思う。
私は頑張ったよと、褒めてよと言いたかったのだと思う。
もう寝ていなくていいの、身体はつらくないの、私と遊んでくれるのとまくしたてたかったのだと思う。
でも。
ぽかん、と。
呆然としたグレナデンの、その真っ白になった空っぽの胸の中に、ころりと転がったのは「なぜ」の一言だった。
兄の代わりになるつもりだった。
だから、兄が元気になれば、自分はただのグレナデンになることはわかっていた。
わかりきっていた。
そのはずだった。
でもそうはならないはずだった。
兄は元気になどならないはずだったから。
グレナデンは愕然とした。
兄の代わりになろうという気持ちは、確かなものだった。
本心からそうしたいと思っていた。
家のために、兄のために、そうしなければと思っていた。
でもそれは兄が病弱なままでいることを前提とした決意だった。
兄が生きているうちから、兄が死んだものとする判断だった。
いったい何と返事をしたものか、グレナデンははっきりとは思い出せない。
グレナデンに難しいことはわからない。わかろうとしてこなかった。
だから我武者羅に努力してきた。
その努力を認めてくれた人たちも、その努力を褒め称えてくれる人も、みな兄が戻ってくるその日までの代理だということを知っていたのだという、その事実がグレナデンを打ち据えた。
口では兄の病弱さを憂いていた連中さえ、兄が戻ってくることを願い、そして実際に戻ってくれば、当然のようにそちらを持ち上げ始める。
いや。
いや、それで、いいのだ。
それでいいのだ。
グレナデンに当主の座を争おうなどという気持ちはない。
兄にだってそんなつもりはないだろう。
だが、グレナデンを持ち上げてくれた連中でさえ、
自分が馬鹿みたいに
なにより応えたのは、妹たちが兄に懐いたことだった。
いや、以前から懐いていたことだった。
兄が恢復を宣言し、姿を見せるようになると、妹たちはこぞって兄に甘えた。
いままでは病床にあって構ってもらえなかった分を、まとめて取り返そうとするように。
それは、そうだろう。
グレナデンだって、きっとそうしたかった。
けれどできなかった。
胸の中に転がった「なぜ」が、ごろりと音を立てるから。
それでも妹たちは、グレナデンのかわいいお姫様だった。
くじけそうになるときも、妹たちの笑顔があれば、グレナデンは頑張れた。
だから。
だから、妹たちの言葉に耐えられなかった。
「もういいのよ、お姉様」
「お姉さまはたくさん頑張ってこられたんですもの」
「もういいんですのよ、お姉様」
「もう乱暴なことはなさらないでいいの」
「もう殿方のようになさる必要はないわ」
「もう」「もう」「もう」
「もう、いいのよ」
妹たちはグレナデンの努力をいたわり、ねぎらい、感謝の言葉を告げた。
いままでありがとう、そして
違う。
違う。違う。
そうではない。
そうではないのだ。
グレナデンはグレナデンとして、妹たちを愛してきたのだった。
愛してきた。つもりだった。
だが妹たちは、グレナデンの可愛いお姫さまたちは、もうグレナデンが凛々しい騎士のようにふるまうことを望まない。
愛らしいお茶会で、華やかなドレスや煌びやかなアクセサリーをグレナデンに贈ってくれる。
さあどうぞ。きっとお似合いになるわ。お姉さまは綺麗な方ですもの。さあ。きっと素敵ですわ。着てみて下さるかしら。ほら、やっぱりお似合いよ。
鏡の向こうで着慣れぬドレスを身にまとった女は、知らない顔をしていた。
知らない女が、知らない顔で、途方に暮れていた。
自分がどういう理屈をでっち上げたのかわからなかったが、グレナデンは騎士として務めを果たすと言い張り、訳も分からぬまま家を出た。
領内を巡り、野盗を懲らしめ、魔物を狩り、いさかいがあればこれを止め、困っているものがいればこれを助けた。
そうしているうちに慕ってくれる娘が現れれば、妹に接してきたように遇してやった。お姫様のように扱ってやった。そうして喜ばれると、グレナデンの中で傾いた何かが、少しだけ持ち直すような気がした。
旅すれば見えてくる。
身寄りのないもの。
不幸があったもの。
体の不自由なもの。
いくら豊かな領地と言えど、全てを全て満たせる道理などない。
数え切れぬほどの不幸や不運がこの世にはあって、その全てを救うことは誰にもできない。
領主の娘とはいえ、領主の娘だからこそ、無責任に手を出して、命を選ぶことは許されなかった。
それでも。
求められれば応えずにはいられなかった。
乞われたならば応じずにはいられなかった。
無数の不幸の中から、無責任に不平等に、命を選んで掬い上げずにはいられなかった。
誰かを選ぶことは、誰かを選ばないことだった。
誰かを救うことは、誰かを見捨てることだった。
無尽蔵のリソースがないのであれば、限られた相手にしか分け与えることはできなかった。
グレナデンは、だからそれに名を与えた。
これは私の
はじめは言い訳のように。
次は惰性のように。
やがてはもうどちらが目的かわからなくなりながら。
義妹は増えに増えて八人にもなった。
グレナデンは義妹たちに姉と呼び甘えるように命じた。
義妹たちは素直にそれに応えた。
姉と呼んだ。
甘えて頼った。
そして
命の恩人だと。救い主だと。どんなことでもすると。
違う。
違う。違う。
そうではない。
そうではないのだ。
グレナデンはただ妹が欲しかっただけだ。
妹を愛し、妹に愛されたかっただけだった。
本当にそうなのかもうわからなくなったとしても。
聖戦管理局から勇者隊への斡旋があったのは、そんなころだった。
「まあ、そんな感じで私はアネモネ隊に入ったわけだな」
「想像してた八倍くらい重い感じの話もってくんのやめてくれないかしら?」
「重くはないだろう。ただちょっと妹に対しての感情を把握できてないだけだ」
「心の病気の話かなんかしてる?」
けろっとした顔で五千字ちょっとばかりぶちまけたグレナデンに、アナスタシアはげんなりとした顔で茶をすすった。すでに冷めきっているが、香りはいい。
関わり合いになりたくないと顔面に書いてあるのが目に見えるようである。
一方でレナータと言えば、唇を尖らせて不満顔である。
「にゃー……あんまりよくわからなかったです」
「すまないレナータ。確かに私は自分でも妹という概念をきちんと把握できていないようだ。だからこそ、どれだけ
「ねえこれ妹だけの問題なの? もっと家庭に深くかかわる問題じゃないのこれ」
アナスタシアのもっともな疑問は、しかしレナータの営業トークに押しやられてしまう。
「うにゅ……やっぱりこれだと、わたしが
「フムン。君の死体細工というのは、あの狼の魔物に使うような技術のことだろう? 確かにあれは自然にふるまうが、生きているように、と言うほどではなかったように思うが……」
心外だと言わんばかりに、レナータは子供っぽく首を振った。
確かに狼の魔物を素材とした死体細工、ガブはどうしても造り物めいたところがある。しかしそれは必要ない機能をそぎ落としているからだ。むしろ、必要な機能だけを的確に残しながら、不要な部分をなくして全体のリソースに回せるということは高度な技術なのだ。
「あれだって、生体由来の嗅覚器官の利用や、生体脳の記憶を用いた狩りに適する振舞い方の実行、ファジーな指示に対して自力で条件達成を目指せる
「いや、かわいいかしら……?」
「夢中になる君は可愛い」
「メンタルが無敵なの?」
いまいちピンと来ていないような反応に、レナータはむくれた。
グレナデンもアナスタシアも、それどころかアネモネ隊の全員が操屍術について無知であり、実際に目で見てもなんとなくでしかその技術を把握していない。
比較的悪感情なしに見てくれる彼女らでさえそんな認識なのだから、世間が
もー、
実際、レナータの用いる疑似体液と死体細工は、ほぼほぼ特許技術で構成された極めて高度な魔法生物である。
同じ国家操屍術師の資格を持つものであっても、レナータが挙げたいくつかの特徴の、そのどれか一つを動死体で再現するだけでも特別な処置が必要だろう。もちろんコストもかかる。あるいはうちではできないとはっきり述べるものもいるだろう。
レナータの師匠が生きていた頃も、しばしばこのような無知からくる不当な評価はあった。師匠は優れた操屍術師であったが、その技術が広く認められることはなかった。操屍術師界隈そのものが過疎気味であったことだけでなく、他分野からの理解がなかったからだ。
納得がいかない話であった。
レナータが師から受け継ぎ、改良した疑似体液は、多くの分野にまたがる技術だ。現在市場でよく見られる錬金製品や魔道具にも、レナータや師匠の特許技術を利用したものは数多くある。なんなら収入の大部分は特許料だ。
にもかかわらず、あまりにも理解されない。
自分ひとりのことであればレナータも少し俯いて何かもっちゃりした半笑いを浮かべてやり過ごしたことだろう。
しかし、自分の技術について語り始めてヒートアップし、相手がある程度親しくなった相手でもあるということで心の扉が緩くなり、口まで緩くなっていた。
それで、
「
「…………フムン?」
「あっ、ばか!」
「ばかって何ですかもう! アナスタシアさんだって、ほら、見てくださいよ、
アナスタシアの制止は遅すぎたし、レナータが自覚するのも遅すぎた。
頭を抱える女魔法使いと、なんか鳴き声あげてのけぞる女死霊術師。
そして女騎士は静かに冷めたハーブティーを口にした。
グレナデンには難しい話は分からない。
グレナデンは、自他ともに認める脳筋である。
剣を振るい、魔物を殺して旅してきた。
けれども、考えるのが好きではないだけで知性で言えば高等教育を受けたインテリであった。
だから賢いが間抜けの
「……詳しく聞かせてもらおうか?」
まさかここから逃げるという手を打てるわけもなく、レナータは盛大にどもりながら包み隠さず悪事を暴露することとなった。
もちろん、他の客もいる市井の喫茶店で話していい内容ではないので、魔術師アナスタシアが盗み聞きを防止する術をいくつか張った上でだ。普段盛大に魔物を焼き尽くすことにしか使われないが、もともとアナスタシアが習得した術は、こういう商談にも使えそうな小技が多いのである。
「……まさか、アネモネがすでに死んでいたとはな。全く気付かなかった。死体細工というのは恐ろしく精巧なのだな」
「まったくよ。あたしも全く気付かなかったわ」
「お二人ともほんとに勇者様に興味なかったんですね……」
興味がないし、その上、アネモネの死体細工が手品みたいな手管でころりころりと
それはもう恒例のこととして、レナータは放置されっぱなしだったイチゴのタルトを手早く腹に収めた。
疲れると甘いものが欲しくなる。
だけでもないが。
「そしてアナスタシア、お前まで、死体細工とやらだとはな」
「あくまで仮死状態からの蘇生だったらしいから、厳密には、そうね、
「アネモネはともかく、お前も、何というか……」
「違和感ないでしょ。まあ、不思議に思うのも当然よ。あたしだって自分がそんなのだって感じはしないし。むしろ元気なくらいだし」
もうバレてしまったからにはと、アナスタシアは積極的に情報を公開していた。
それはやけっぱちということではなく、死体細工という技術、死霊術改め操屍術、ひいてはレナータのこと、アナスタシアのことに肯定的な感情を作るべく、印象を操作せんとしているのだった。
自分の美貌、肢体、若さ、コネに金に権力、使えるものは何でも使うし、使えないものでも使えるようにでっちあげる。
アナスタシアはいま、自分が磨き上げてきた詐欺とペテンぎりぎりの話術を振り絞って、このゴリラを言い包めようとしているのであった。
きっと腹芸はできないだろうと放置されているレナータは、タルトを平らげると、ハーブ・ティーも一息に飲み干した。
甘いものを食べると喉が渇く。
だけでもないが。
自分の分をあらかた片づけたレナータは、二人の会話を聞くとはなしに聞きながら、テーブルの下に隠して膝の上でクロ、黒猫の
全身の細胞を構築する疑似体液が酸素供給や栄養の保持・循環を行っているため、ほとんどの内臓は死体細工にとって意味をなさない。生きている素振りをさせなければ、いくらでも省スペースにできる。
その内臓が省かれたスペースを、レナータは
隣で行われていることにアナスタシアは顔を向けない。レナータが疑似体液に干渉してこちらを気にかけないようにしているからだ。
いつも俯いているレナータが下を向いてごそごそしていても違和感はない。しかしアナスタシアがレナータに意識をやれば、グレナデンもまた視線をやるだろう。そうならないように操っているのだ。
なんだったか、「自由意志を持つ主体を操るのは信条に反」するとかいうのはどこへいったのか。
別に忘れているわけではない。訳ではないが、共犯者たるアナスタシアには、有事の際には協力する義務があると考えているのだ。許可もとらず勝手に操ることを「協力」と表現するあたり倫理観に問題があるが。
しかもアナスタシアが内面で気付くこともない、操られていることに自覚のない操作である。あとで聞かれなければ、レナータが自分で説明することだってないだろう。道徳の授業はお休みしたのかな?
ともあれ、レナータは中身のない猫の腹から、金属製の筒を取り出した。試験管程度の大きさで、実際、内側にはガラスの試験管が仕込まれていて、ふるとちゃぷりと液体が揺れる。
割れないようにする造りなのだ、これは。
中身は毒である。
「あんたあんまり気にしないかもだけど、お肌の張りがヤバいわね。寝不足のはずなのに眠くないどころか、肌プルンプルンよ」
「化粧のノリがやけにいいと思っていたが、よもやよもやだな。触っても?」
「驚くわよ」
「失礼……おお……まるで子供の肌だ。ずっと触っていたくなる程ではないか」
「あんたが言うと怖いんだけどそのたとえ」
「ロリコンではないというに」
毒ではあるが、経口のもの、つまり飲ませるものではない。
また致死性のものでもない。毒性があるという程度だ。
そう、精々目に入ったら痒くなって涙があふれ、喉に入ればひどくむせて、せき込む程度。水で洗えば落ちるし、後々まで尾を引くような後遺症もない。
ただ、非常に高い揮発性を持っており、封が解かれた瞬間から急速に気化して周囲に拡がる。お洒落で高級感のあるこぢんまりとした喫茶店の一角くらいなら数秒も要らない。
毒と言っても、毒ガスなのだ、これは。
本人は護身用と言い張り、本心から護身用途で所持しているが、毒ガスは毒ガスである。
危険物取扱資格も製造者資格も持ち合わせているが、そう言う問題ではない。
その毒ガス入りの容器の栓に、すでに手をかけている。
グレナデンが否定的な態度を取り、交渉が決裂しそうな際には、躊躇なくこれをテーブルに投げ、そしてとんずらここうと考えているのである。
アナスタシアは死体細工で生理的反応は調整可能であるし、レナータにもこの手の毒物への耐性があるので平気で逃げられる。
その際、近くの席の客がこのテロ行為の巻き添えになることは深く考えていない。
どのみち、勇者の死亡を隠蔽した挙句、動死体に加工した事実だけでお縄頂戴なのだ。手ではなく、首に。
ならばその発覚は極力遅らせるべきであり、逃走は極力急ぐべきなのだ。
グレナデンという暴力装置はレナータ程度が対応できるレベルを大きく超えているのだから、下手に暗殺を考えるより逃げるのが最善策だ。
という風に、嫌な方向に開き直る悪い癖がレナータにはあるのだった。
何しろ普段からメンタルがゆらゆらしているのだ。ピンチになればそれはキワキワにもなる。
キワキワメンタルのグルグルお目々でヤバヤバな覚悟を決める。
その顔はコミカライズできない顔だぞ。
「レナータ」
なので声をかけられた瞬間、咄嗟に栓を引っこ抜きかけたのだが、続くイケメンボイスに手は止まった。
思考も止まった。
アナスタシアも止まった。
「
「…………………………は?」
さわやかに、白い歯見せる微笑みで、イケメンゴリラがなんか言ってる。