RESONANCE ARENA   作:エーアイ

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第11話:その一勝を、それぞれが持ち帰る

 三度目のスパーリングを終え、九条美月と別れたあと。

 神谷蓮司は訓練区画の転送設備を使い、ROOKIE帯の格闘家に提供されている宿舎へ戻った。

 まだ公式ランクの低い格闘家でも、最低限の生活に困らないよう用意された居住施設だ。

 部屋は簡素だが、一人で暮らすには十分な広さがある。

 

 今日、美月との公式戦に勝ってROOKIE 3へ上がったからといって、すぐに住む場所が変わるわけではない。

 蓮司にとって、ここが今の自分の帰る場所だった。

 

 身体にダメージは残っていない。

 最後に側頭部を打ち抜いた美月のハイキックも、その前に受けた旋牙も、もう痛みとしては消えている。

 

 それでも、三度負けたという結果は消えなかった。

 自室へ戻った蓮司は、少し休んでから公式戦の記録を開いた。

 

《OFFICIAL RECORD》

《KAMIYA RENJI》

《1 WIN / 11 LOSS》

 

 今日だけで、美月には六つ負けた。

 

 公式戦で三敗。

 スパーリングで三敗。

 その間に返せた試合は、一つだけ。

 だが、その一つは公式戦だった。

 三度のスパーリングで負けたあとに見ても、表示された数字は変わっていない。

 

 十一敗。

 その横に、一勝。

 

「……残ってるな」

 

 当然のことを、蓮司は小さく口にした。

 公式戦で得た勝敗は、訓練区画で何度負けても書き換わらない。

 その下には、もう一つ、以前とは違う表示がある。

 

《OFFICIAL RANK》

《ROOKIE 3》

 

 美月との公式戦を始める前、自分はROOKIE 5だった。

 

 四試合目。

 三敗した相手に初めて勝ち、二つ上がった。

 たった一勝で強くなったわけではない。

 

 スパーリングでは、そのあと三度続けて負けている。

 それを思えば、なおさらだった。

 それでも、ROOKIE 5とROOKIE 3が同じではないことも分かる。

 

 公式ランクは、次に誰と戦えるのかを左右する。

 

 この世界では、名誉や順位だけの数字でもない。

 生活保障給の基準にもなる。

 勝って上へ行くことには、戦いの外でも意味があった。

 

 蓮司はさらに記録を進める。

 そこで、別の数字が現れた。

 

《FIGHT PURSE》

 

《VS KUJO MIZUKI》

《APPEARANCE PAY 1 FC》

《WIN BONUS 9 FC》

《RANK UPSET BONUS 10 FC》

《TOTAL 20 FC》

 

「……二十」

 

 蓮司の目が、そこで止まった。

 

 Fighting Credit。

 この世界で食事をし、部屋を借り、服や生活用品を買うために使う通貨だ。

 

 公式戦へ出れば、負けても出場分は受け取れる。

 それは十一回負けてきた蓮司も知っていた。

 だが、勝利加算のついた明細を見るのは初めてだった。

 まして今回は、自分よりランクの高い九条美月を倒した。

 

 その分の格上撃破加算まで乗っている。

 基本的なハンバーガーなら、一つ1FC。

 20FCあれば二十個分だ。

 

 大衆食堂で普通に食事をするなら、一度や二度では使い切らない。

 少し良い夕食を選んでも、まだ残る。

 

 最低限の生活そのものは、運営から定期的に支給される生活給で維持できる。

 だが、それだけで余裕のある暮らしができるわけではない。

 

 より良い食事。

 新しい衣服。

 練習に使う道具や施設。

 そうしたものを自分で選びたければ、公式戦で勝って稼ぐことには明確な意味がある。

 

 蓮司は、もう一度二十という数字を見た。

 

「勝つと、こうなるのか」

 

 昨日までとは違う。

 正確には、美月に勝つ直前までとは違う。

 

 十一度負けても、出場した分は残った。

 しかし、勝者として受け取った金は、それとは明らかに違った。

 

 二十FC。

 試合が終われば消える数字ではない。

 食事を選ぶこともできる。新しい服を買うことも、練習に使う道具や施設へ回すこともできる。

 自分が勝って得たものが、そのままこれからの生活につながっている。

 そのことが、初めての勝利を別の形でも実感させた。

 

 勝った。

 だから、公式記録に一がついた。

 

 ランクが上がった。

 そして、RESONANCE IDに紐づいたFC残高にも、二十FCが加算された。

 

 蓮司が情報端末を開けば、公式戦の報酬として振り込まれた二十FCが表示されている。

 

《FC ACCOUNT》

《FIGHT PURSE +20 FC》

 

 この世界では、ファイティングクレジットは現金として持ち歩くものではない。

 個々のRESONANCE IDに紐づいた電子通貨として管理され、食事や買い物、施設の利用時にもそこから支払われる。

 

 勝った。

 だから公式記録に一勝がついた。

 ランクが上がった。

 そして、自分の生活に使える二十FCが残った。

 どれも、同じ一勝から生まれたものだった。

 

 蓮司は拳を開き、もう一度握る。

 最後に美月を倒したときの感触を思い出した。

 

 破陣で距離を奪った。

 拳を受け止められても《連進》でもう一歩入り、美月が離れようとすれば追った。

 

 最後には、美月がこちらを止めようと動いた瞬間へ拳を合わせた。

 

 そして。

 そこから《烈進連破》を最後まで通した。

 一閃轟破を一度当てただけでは届かなかった試合勝利を、四試合目でようやく取った。

 

 そのあと、スパーリングでは三度負けた。

 

 空中から入る方法を覚えた。

 対空も使った。

 押し崩しも通した。

 それでも最後には、美月の方が三度とも立っていた。

 

「……まだ、あいつの方が強い」

 

 そこは変わらない。

 自分でも、そう言った。

 

 けれど。

 だからといって、一勝した事実まで小さくする必要もなかった。

 蓮司は二十FCの明細を閉じる。

 

「今日は、少しくらい良い飯にしてもいいか」

 

 誰に聞かせるでもなく呟いてから、少しだけ口元を緩めた。

 初めて勝った日だった。

 それくらいは、自分で決めてもいい気がした。

 

 十一敗は消えない。

 三度のスパーリングで負けたことも消えない。

 

 その全部を持ったまま。

 神谷蓮司には、初めて自分で勝ち取った一勝と、その一勝がもたらしたものが残っていた。

 


 

 九条美月が自室へ戻ったころには、今日の対戦はすべて終わっていた。

 情報端末には、公式戦の対戦記録が残っている。

 

《OFFICIAL HEAD-TO-HEAD》

《KUJO MIZUKI 3 WIN》

《KAMIYA RENJI 1 WIN》

 

 三勝一敗。

 美月はその数字を一度だけ見て、端末を閉じた。

 

 今日、神谷蓮司とは七試合戦った。

 

 公式アリーナで四試合。

 訓練区画で三試合。

 同じ日に、一人の相手とここまで続けて拳を交えることは、そう多くない。

 

 最初に向かい合ったとき、蓮司はROOKIE 5だった。

 公式戦はまだ一度も勝っていなかった。

 実際、最初の二試合は美月が二対零で取った。

 三試合目で初めて一ラウンドを奪われ、それでも最後は自分が勝った。

 そして四試合目。

 初めて、試合そのものを取られた。

 

 美月はその敗北よりも、試合のあとに言われた言葉を思い出す。

 

『今はまだ、おまえの方が強い』

 

 そこまでは分かる。

 三勝一敗。

 実際の対戦成績を見ても、美月の方が上だった。

 だが、そのあと。

 

『だから、また俺と戦ってくれ』

 

「……だから、なのよね」

 

 美月は小さく呟いた。

 自分の方が強い。

 そう認めたうえで、離れるのではなく、もう一度戦いたいと言った。

 

 美月も、

『次に戦うときは、私が取るわ』

 そう返した。

 

 だから、訓練区画で同じRESONANCE IDを見たとき、驚いたのは再び戦うことそのものではなかった。

 早すぎたのだ。

 公式アリーナを出た直後だった。

 

 そして一試合で終わらなかった。

 

 一度目のスパーリング。

 美月が勝った。

 蓮司は空中から入る方法を覚えた。

 

 二度目。

 美月が勝った。

 今度は天衝脚で自分を落とし、《連進》から《押し崩し》まで使ってきた。

 

 三度目も美月が取った。

 だが最後は、あと一撃違えば自分が倒れていた。

 

 拳、投げ、待つ、空中から入る。

 こちらの跳び込みを迎撃する。

 最初に向かい合った蓮司にはなかったものが、一日のうちに少しずつ増えていた。

 

 だからといって。

 美月はそこで、特別な意味を探すつもりはなかった。

 

 長くスパーリングパートナーをしてきた。

 戦いながら変わる相手も、昨日できなかったことを今日使う相手も見てきた。

 神谷蓮司だけが、そういう格闘家というわけではない。

 ただ、七試合という長さは、少しだけ残った。

 

 最初は、八連敗している新人だった。

 最後には、美月をあと一撃まで追い込んでいた。

 

 その間に、自分は六つ勝った。

 蓮司は一つ勝った。

 そして最後に、蓮司は言った。

 

『一つしか返せなかった』

 

『次は、もっと取る』

 

 美月はそのとき、

 

『そのときは、そのときよ』

 

 とだけ答えた。

 今も、それ以上の答えはなかった。

 次がいつあるのかは分からない。

 本当にまた同じ相手と組まれるのかも分からない。

 

 だから、待つ理由もない。

 

 けれど、もしまた向かい合うことがあるなら。

 少なくとも、最初に会ったROOKIE 5の新人と同じつもりで構えることはないだろう。

 

 美月はそう思ってから、今日の対戦記録を閉じた。

 

 七試合。

 六勝一敗。

 長い一日だった。

 

 今は、それだけでよかった。

 


 

 少し遅い時間。

 

 別の訓練区画で、桐生玲奈は一人で基礎練習を終えたところだった。

 昨日、同じIDの神谷蓮司と五試合続けて公式戦をした。

 

 それ以降も、自分の鍛錬まで止める理由はない。

 軽く呼吸を整え、長い黒髪を背へ払う。

 練習を終えて区画を出ようとしたところで、壁際の情報盤へ新しい格闘ニュースが流れた。

 大きな大会の記事ではない。

 その日に行われた公式戦の中から、少し目立った結果をまとめた小さな記事だった。

 玲奈は最初、そのまま通り過ぎるつもりだった。

 

 表示された名前を見るまでは。

 

《KAMIYA RENJI》

 

 足が止まる。

 神谷蓮司という原型は珍しくない。

 だから玲奈は、その下に表示されたRESONANCE IDまで確認した。

 

「……」

 

 覚えている。

 昨日、自分と五試合戦った蓮司。

 五度戦って、五度とも自分が勝った相手だった。

 記事が切り替わる。

 

《FIRST OFFICIAL WIN》

《VS KUJO MIZUKI》

《2 - 1》

 

《OFFICIAL RECORD》

《1 WIN / 11 LOSS》

 

《CURRENT RANK》

《ROOKIE 3》

 

「……一勝目」

 

 玲奈は小さく呟いた。

 

 昨日、自分との五試合を終えた時点では零勝八敗だった。

 最後の試合で一ラウンドを取られた。

 低HPから放たれた一閃轟破を受け、自分が初めて倒された。

 最終ラウンドでは、完全勝利を狙ったところへ一発だけ拳を通された。

 それでも試合は玲奈が取った。

 

 五戦五勝。

 

 その結果は変わらない。

 けれど昨日まで公式戦で一度も勝ったことのなかった蓮司の記録に、今は一がある。

 しかも相手は、自分より上のランクにいた九条美月。

 その勝利によって、公式ランクもROOKIE 3まで上がっている。

 

「勝ったのね」

 

 声には、喜びも悔しさもほとんど混ざっていなかった。

 ただ、事実として受け取った。

 

 記事には結果しか載っていない。

 

 どんな攻防だったのか。

 何を覚えたのか。

 どうやって九条美月から二ラウンドを取ったのか。

 

 試合後に何を話したのか。

 そうしたことまでは分からない。

 

 まして、その一勝で蓮司自身の生活に何が増えたのかも、公開された格闘ニュースの扱う情報ではなかった。

 

 玲奈が知ったのは、一つだけ。

 昨日まで零勝だった相手が、今日、初めて公式戦で勝った。

 

 それだけだ。

 

「十一敗して、一勝」

 

 数字だけを見れば、まだ大きく負け越している。

 玲奈との直接対戦に限れば、五戦五敗のまま。

 

 自分が優位だった事実も、一ラウンド取られた事実も、どちらも変わらない。

 

 それでも。

 もう次にこのIDを目にしたとき、

 

 ──公式戦で一度も勝ったことのない神谷蓮司。

 

 そう見ることはできない。

 玲奈はもう一度、ROOKIE 3という表示を見る。

 

「……少しは上がったのね」

 

 そこで記事を閉じた。

 次にいつ戦うのかは分からない。

 同じ相手との連戦上限へ達した以上、今すぐもう一度というわけにもいかない。

 

 だから、蓮司が戻ってくるのを待つつもりもなかった。

 

 玲奈には玲奈の戦いがある。

 自分の武術を磨き、自分が戦う相手と向き合えばいい。

 ただ昨日まで知っていた蓮司の履歴に、新しい一行が増えた。

 その事実だけは、玲奈の中にも残った。

 

 神谷蓮司。

 

 一勝十一敗。

 ROOKIE 3。

 

 昨日、自分が五度倒した相手が。

 今日、別の誰かから初めて一試合を取った。

 

 玲奈は情報盤から離れ、そのまま歩き出した。

 

 同じ一勝だった。

 

 けれど、その一勝が残したものは、それぞれ違う。

 蓮司には、自分の名前の横についた最初の勝利と、上がったランクと、初めて勝者として得たファイトマネー。

 

 美月には、三度のスパーリングで勝ち返しても消えない公式の一敗。

 

 玲奈には、昨日まで零勝だった相手が、一つ先へ進んだという新しい記録。

 

 誰か一人だけの意味ではない。

 一度成立した勝敗は、それに関わった者たちの中へ、それぞれ違う形で残っていく。

 

 その夜。

 一つの公式勝利を、それぞれが自分の場所へ持ち帰っていた。

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