第12話 神谷蓮司は、同じ拳と戦う
翌日の昼休み、前の席から振り返った航が、直希に今夜の予定を尋ねた。
「今日は、先に練習する」
「昨日あれだけやったのに?」
「だからだよ。相手に近づいたあと、まだすぐ殴りたくなるんだ」
昨日、直希が操作する蓮司は航の美月に公式戦で一勝した。
しかし、そのあとに続けた三度のカジュアルマッチでは、一度も勝てなかった。
最後の試合も勝機が見えたところで攻め急ぎ、美月の反撃を受けている。
直希は、同じ失敗を繰り返したくなかった。
「あとさ。あの玲奈と、またランクマをやりたいんだけど」
「五回戦った相手?」
「そう。まだ再戦申請を送れないんだよ」
航は頷いて説明した。
「連戦制限だな。解除には、お互いが別の相手とランクマを五試合以上。それに、それぞれ三つ以上の違うIDと戦う必要がある」
「俺だけ条件を満たしても駄目なのか」
「向こうも必要だよ。カジュアルマッチは数に入らないぞ」
直希は昨日の対戦を思い返し、指を折って数えた。
「航の美月とは公式戦を四回やった。じゃあ、別の二人と一回ずつ戦えばいい?」
「ああ。それで六試合、三つのIDになる。直希の側は条件を満たすけど、玲奈側の条件が終わっていなければ申請はできない」
「分かった」
「制限の解除に勝敗は関係ないからな」
「それでも勝ちたいよ」
航は直希の返答を聞いて、小さく笑った。
「まあ、そうだよな」
直希は次の授業の教科書を机から取り出した。
玲奈との五試合はすべて敗北で、奪えたのは最後の試合の一ラウンドだけだった。
今すぐ再戦して勝てるという自信はない。
美月との試合を振り返っても、直すべきところはまだ多かった。
それでも、初めて玲奈と戦った頃とは違う。
攻撃を当てる方法だけでなく、当てたあとに何をするかも考え始めていた。
「今日は練習してから、ランクマを一試合だけやるつもり」
「本当に一試合だけか?」
「今日はね」
航はそれ以上追及せず、前を向いた。
その夜、直希はトレーニングモードで、短い攻撃を出したあとに手を止める練習を繰り返していた。
拳を当てたら、すぐに次の攻撃を重ねるのではなくガードへ戻す。
相手の反撃を想定してから距離を詰め直す。
動きを決めた標的に対してなら落ち着いて実行できたが、相手が判断を変えてくる対人戦でも同じように動けるかは分からない。
「……よし。やるか」
直希がRANKED MATCHを選ぶと、しばらくして対戦相手が見つかった。
画面の左右には、同じ名前が並んでいる。
《KAMIYA RENJI》
《VS》
《KAMIYA RENJI》
「同キャラか」
ただし、二人のCHARACTER IDは異なり、ランクだけがともにROOKIE 3だった。
直希が相手の公式戦績を確認すると、そこには見慣れない数字が表示されていた。
《10 WIN / 3 LOSS》
直希の戦績は一勝十一敗。
同じランクでも、これまでに積み重ねた勝敗は大きく違っていた。
《MIRROR ARCHETYPE MATCH》
《IDENTIFICATION COLOR APPLIED》
表示が切り替わると、相手側の蓮司は白髪と青系の戦闘服に変更された。
直希が操作する蓮司は、黒髪と濃紺の戦闘服のままだ。
元の外見も身体の性能も同じ二人を、試合中に区別するための識別色だった。
「白い方が相手側か」
直希は操作するキャラクターを確認し、コントローラーを握り直した。
公式アリーナへ転送された蓮司は、向かいに立つ同位体を見た。
識別色を除けば、相手の顔立ちも体格も蓮司と寸分違わない。
両拳には同じようにバンテージが巻かれ、使用する武術も同じ実戦打撃術だった。
だが、同じ身体と技を持っていても、積み重ねてきた経験まで一致するわけではない。
蓮司には相手のRESONANCE IDに覚えがなかった。
以前、練習場で言葉を交わした三勝二敗の同位体とも違う。
今日が初対面だった。
待機区画で確認できた相手の戦績は十勝三敗。
蓮司自身の一勝十一敗と比べれば、勝利は九つ多く、敗北は八つ少ない。
昨日、蓮司はようやく九条美月から一勝を挙げた。
その勝利がどれほど大きかったか、今も覚えている。
一方、目の前の同位体はすでに十度、公式戦で勝っていた。
対戦相手や戦いの内容を知らない以上、数字だけで実力のすべてを測ることはできない。
それでも、同じ武術で十勝を積み重ねた相手を軽く見る理由にはならなかった。
蓮司は、白髪の同位体がどのように技を使い、どんな判断で勝ちを重ねてきたのか、実際に拳を交えて確かめようとしていた。
蓮司が胸の前で両拳を軽く打ち合わせると、白髪の同位体も同じ仕草を返した。
「同じ技なら、何をするか分かると思うか?」
蓮司が問いかけると、白髪の同位体はわずかに首を振った。
「技は分かる。おまえのことは、まだ分からない」
蓮司はその返答に小さく頷いた。
「なら、戦った方が早いな」
白髪の同位体は静かに構えを取った。
肩の力は抜けており、蓮司の戦績を持ち出して挑発する様子もない。
蓮司も前足の位置を整え、同じ実戦打撃術の構えで向き合った。
開始の合図とともに、白髪の同位体が床を蹴った。
《疾歩拳》。
低い姿勢から一気に踏み込み、直拳を伸ばしてくる。
蓮司は両腕を合わせて受け止めた。
衝撃で踵がわずかに滑ったが、構えは崩れない。
相手が拳を引くところへ、蓮司は短い直拳を返した。
胸元への命中を確かめると、すぐに《連進》で身体を滑らせるように前進し、もう一歩間合いを詰める。
白髪の同位体は続く打撃を警戒して両腕を固めたが、蓮司は拳を重ねなかった。
相手の上腕と肩を押さえ、踏み込みに合わせて足を掛ける。
《押し崩し》。
「っ……!」
白髪の同位体は体勢を崩し、背中からリングの床へ倒れた。
だが、蓮司が次の間合いを作るよりも早く起き上がり、踏み込んでくる蓮司へ大きな回し蹴りを返した。
蓮司は蹴りを受けて横へ押され、踏みとどまって構え直した。
「近づいたあとは、拳だけじゃないってことか」
白髪の同位体が構え直しながら言った。
蓮司は、素早く起き上がった相手の足運びを見て答える。
「そっちも、倒されたままじゃないな」
白髪の同位体は落ち着いた声で返した。
「三回は負けてる。起きたあとまで考えるさ」
白髪の同位体は攻撃を終わらせず、短い拳を蓮司の腕の内側へ差し込んだ。
蓮司がもう一歩踏み込むと、その出足にも拳を合わせてくる。
同じ技を使う相手でも、攻撃を置く位置や仕掛けるタイミングは同じではなかった。
蓮司はいったん距離を取り直した。
白髪の同位体も深追いせず、拳を構えたまま口を開く。
「記録を見た。一勝十一敗だったな」
「ああ」
蓮司が答えると、白髪の同位体は記録にあった対戦相手の名を挙げた。
「桐生玲奈に五敗。次は九条美月に三敗して、四つ目で初勝利か」
白髪の同位体は公開された記録から、二人の対戦相手のRESONANCE IDと試合の順序まで確認していたらしい。
玲奈との五試合も、美月との四試合も、蓮司にとって忘れられない勝負だった。
「玲奈にも美月にも、負けるたびに自分から再戦を申し込んだのか?」
「そうだ」
白髪の同位体はわずかに眉を寄せた。
「……よく続けたな」
白髪の同位体の声には、感心だけでなく、同じ相手に繰り返し挑むことへの戸惑いも含まれていた。
「一回で終わったら、次を試せないだろ」
「試して、また負けるかもしれない」
「それはある」
蓮司は敗北の可能性を否定せず、床を蹴った。
《疾歩拳》の直拳が白髪の同位体の胴体へ命中する。
だが、相手は一歩下がったところで踏みとどまり、近い間合いに残ろうとした蓮司の胸元へ短い拳を差し込んだ。
その一撃を起点に、白髪の同位体の中で蓄積されていた力が技へ変わった。
《烈進連破》。
踏み込んだ直拳が蓮司の構えを崩し、続く肘打ちが身体を押し戻す。
腕を引き戻そうとしたところへ腹部への拳が入り、最後の回し蹴りが身体を横から打ち抜いた。
「ぐっ……!」
蓮司は後方へ弾き飛ばされ、背中からリングの床へ叩きつけられた。
片足を立てて起き上がろうとしたが、衝撃で息が詰まり、身体が思うように動かない。
競技中に感覚として把握できる残りの力も、一連の打撃によって大きく削られていた。
《烈進連破》は、蓮司が昨日、美月を倒すときにも使用した技だった。
ただし、白髪の同位体は《破陣》を重ねず、追い詰められた状況でもない。
通常の拳を一発当てた機会に、ためらわず連撃へつないでいた。
「……そこで使うのか」
直希は、相手側のレゾナンスアーツのレベルゲージが減ったことを確認した。
昨日、美月に《烈進連破》を決めたときは、最大まで溜めたゲージから《破陣》を使い、残った一段を決着へ回している。
通常の攻撃からレゾナンスアーツへつなげられることは知っていたし、実際に直希はその使い方で勝っていた。
ただ、今日の相手ほど早い段階から使う選択は考えていなかった。
技を逆転のために温存するだけではなく、一発でも攻撃が通った機会に使って主導権を握る。
白髪の同位体は、直希が知っている技の別の使い道を見せていた。
そのことを考えている間にも、画面の白髪の蓮司が距離を詰めてくる。
直希はゲージから画面中央へ視線を戻した。
「……考えるのはあとだ」
直希は操作する蓮司にガードを取らせ、低く踏み込んできた相手の拳を防いだ。
イヤホンからは打撃音や技を放つ際の短い掛け声が聞こえていた。
ただし、AIキャラクター同士が交わす会話はゲームの音声として出力されない。
直希が二人のやり取りを聞くことはできなかった。
蓮司が蹴りを返して距離を作ると、白髪の同位体は正面で足を止めた。
攻防を重ねた二人の呼吸は、試合開始時よりも深くなっている。
「女に何度負けても、おまえは平気なのか?」
白髪の同位体は、先ほどの会話で言いかけたことを改めて尋ねた。
「相手が強いのは分かる。だが、それで男として恥ずかしくなくなるわけじゃないだろ」
蓮司の表情がわずかに硬くなった。
相手が指摘したのは、試合の技術や戦績だけではなかった。
公式アリーナの競技では、男女の基本的な身体能力が均等になるよう調整される。
男性だから打撃が重く、女性だから押し負けるという条件ではない。
それでも、女性に敗れた男性がどのような視線を向けられるのかは、二人ともよく知っていた。
蓮司には、実際に敗者として見上げた女性がいる。
五度の試合で勝利した桐生玲奈と、公式戦でも訓練区画でも幾度となく蓮司を上回った九条美月だった。
どちらも実力のある格闘家で、蓮司は敗北した理由を少しずつ理解し始めていた。
しかし、その事実を認めても、女性に敗れた悔しさまで消えるわけではなかった。
「恥ずかしいさ」
蓮司は白髪の同位体から目を逸らさずに答えた。
「同じ女に何度も倒される。相手の強さを認めていても、そのたびに敗者として見上げるのは悔しい。慣れるものじゃない」
白髪の同位体は、しばらく蓮司の顔を見ていた。
「それだけ負けても、まだあの二人と戦いたいのか?」
蓮司はためらわずに答えた。
「ああ。俺は、あの二人に勝ちたい」
蓮司は敗北を恥じないから挑戦を続けているのではなかった。
玲奈と美月の強さを認めながらも、自らランクマッチのID指定で再戦を申請し、再び敗北した経験がある。
それでも、二人に勝ちたいという気持ちは変わっていなかった。
「……俺なら、少し考えるな」
白髪の同位体が言った。
「強い女に挑まれたなら受ける。だが、自分から同じ相手に再戦を申請するとなると、話が違う」
「俺も、何も考えてないわけじゃない」
「そうか」
「今日は、おまえに勝つために来た」
蓮司がそう言うと、白髪の同位体は彼の拳に目を向け、改めて構え直した。
「なら、俺の方を見ていろ」
蓮司はその言葉を受け、前へ踏み込んだ。
白髪の同位体が差し出した拳を両腕で受け止め、相手の踏み込みが止まったところへ《連環打》を返す。
蓮司の直拳と肘打ちが続けて命中し、最後の蹴りまで相手の身体を捉えた。
しかし、白髪の同位体も簡単には崩れなかった。
蓮司が蹴り脚を戻したところへ踏み返し、同じ《連環打》で反撃する。
蓮司は胸元へ拳を受け、肘打ちで体勢を崩されると、最後の蹴りまで受けて数歩後退した。
双方とも確実に消耗していたが、残された力にはまだ差があった。
白髪の同位体の方が余力を残しており、蓮司は大技に回せる力を蓄えながらも、目の前の攻撃をしのぐ必要があった。
白髪の同位体が《疾歩拳》で迫ると、蓮司は両腕を固めて受け止めた。
直撃は防いだが、ガード越しの衝撃でも残された力は削られていく。
蓮司はいったん間合いを外し、白髪の同位体の足運びを見た。
相手は決着を急がず、細かな歩幅で蓮司の反応を探りながら、拳を届かせる位置を探している。
白髪の同位体が前足を進めた瞬間、蓮司も深く踏み込んだ。
《疾歩拳》の直拳が、攻撃へ移ろうとしていた相手の胴体を捉える。
「がっ……!」
白髪の同位体は腹部への衝撃に顔を歪め、大きく後退した。この一撃によって、相手もあと一度の有効打で倒れかねない状態まで追い込まれた。
蓮司は拳を戻しながら距離を測り直した。
ここで追撃できれば勝負を決められるかもしれない。
だが、蓮司は九条美月との試合で、勝機が見えたところから踏み込み、反撃を受けた経験を忘れていなかった。
蓮司は衝動的に飛び込まず、白髪の同位体の出方を待った。
白髪の同位体は構えを整えると、《疾歩拳》で踏み込んでくる。
蓮司はその拳を両腕で防ぎ、相手がいったん離れてから短い踏み込みで放った二度目の《疾歩拳》も受け止めた。
腕の奥には痺れが残り、蓮司の体力も限界に近づいていた。
白髪の同位体は、両拳を構えたまま間合いを詰めてくる。
ガードされても前進をやめない。
あと一度押し込めば、蓮司を倒せると見ているようだった。
蓮司にも、その狙いは分かった。
両拳を上げたまま、相手が最後の一歩を踏み込む瞬間を待った。
白髪の同位体が間合いを詰める。
蓮司は軸足を踏み込み、回し蹴りを放った。
相手が拳を伸ばすよりも早く、その蹴りが胴体へ命中した。
「──っ!」
白髪の同位体は衝撃に身体を傾け、踏ん張りきれずにリングの床へ倒れ込んだ。
直後、決着を告げる合図が響く。
K.O.
蓮司は蹴り脚を戻し、構えを解くと深く息を吐いた。
勝利したものの、蓮司にもほとんど余力は残っていない。
最後の蹴りが間に合わなければ、倒れていたのは蓮司の方だった可能性が高かった。
第一ラウンドは、紙一重の勝利だった。
「……危なかった」
直希は画面の端に表示された、操作する蓮司のHPを確認した。残りは八だった。
相手の最後の前進を止められなければ、第一ラウンドを落としていただろう。
勝利が確定しても、直希の手にはまだコントローラーを強く握る力が残っていた。
深く息を吐き、次のラウンドへ持ち越されるゲージを確認する。
二段以上が残っているため、《破陣》を選ぶこともできる。
ただし、必ずその技を使わなければならないわけではなかった。
「一発入ったら、そこから取る」
白髪の同位体が第一ラウンドで見せたように、通常攻撃が通った機会に《烈進連破》を使う。
直希は、次のラウンドではその選択も試そうと考えた。
技の存在を知ることと、実戦で使う判断ができることは違う。
それでも、直希には以前より多くの選択肢が見え始めていた。
ラウンド間の回復が終わると、白髪の同位体は最後の回し蹴りを受けた胴へ、一度だけ手を当てた。
身体の痛みは消え、蓮司の腕を痺れさせていた衝撃も残っていない。
しかし、どこで攻撃を受け、どのように決着したかという記憶は、二人とも持っていた。
「一つ、取られたな」
「ああ」
「最後は来ると思った。おまえも、あと一発だったからな」
蓮司は白髪の同位体を正面から見た。
「俺も、そう思って負けたことがある」
相手はわずかに目を細めた。
「それで待ったのか」
「次も待つかは、まだ決めてない」
「……そうだな」
白髪の同位体は両拳を合わせ直した。
「まだ一ラウンドだ。試合は渡してないぞ」
「分かってる」
蓮司も構えを整えた。第一ラウンドを奪ったからといって、試合の結果が決まったわけではない。
先にラウンドを取っても最後には敗れた経験が、蓮司には二度あった。
その苦さを思い出すまでもなく、相手はまだ戦う意思を失っていなかった。
第二ラウンドは、白髪の同位体が放った短い拳から始まった。
蓮司の胸元を狙うと、相手はすぐに構えへ戻る。
蓮司が深追いしたところへ反撃を合わせようとしているのだろう。
蓮司は追う歩幅を小さくし、届く距離で一発だけ拳を出した。
その直拳が白髪の同位体を捉える。
画面で命中を確認した直希は、そこで操作を止めず、次の技につなげた。
《烈進連破》。
蓮司の直拳から肘打ち、腹部への拳へと連撃が続き、最後の回し蹴りが白髪の同位体を大きく弾き飛ばした。
「ぐっ……!」
白髪の同位体は背中からリングの床へ叩きつけられた。
蓮司はすぐに追撃せず、起き上がる相手を見据えて構えを残した。
第二ラウンドはまだ始まったばかりで、蓮司の体力にも十分な余裕がある。
《破陣》も使っていない。
それでも、先に命中した一発を連撃へ変えられたことは大きかった。
「俺と同じ使い方だな」
立ち上がった白髪の同位体が言った。
「使うところを見せてもらったからな」
「覚えるのが早い」
「使える技だ。使えるときに使う」
白髪の同位体は頷いたが、笑ってはいなかった。
先ほど相手が見せた攻めを、今度は蓮司が成功させている。
その事実を確かめるように、白髪の同位体は蓮司の両拳へ目を向けた。
再び白髪の同位体が《疾歩拳》で間合いを詰める。
蓮司はガードで受け止め、近い距離から短い拳を返した。
命中後に《連進》で素早くもう一歩踏み込むと、白髪の同位体は連撃を警戒して両腕を固めた。
しかし、蓮司が選んだのは打撃ではなかった。
相手の上腕へ手を掛け、構えを残したままの身体を前へ押しながら足を掛ける。
《押し崩し》。
白髪の同位体は背中からリングへ倒れたが、すぐに膝を立てて起き上がった。
「打つか、投げるか。どっちも使ってくるな」
「おまえも持ってるだろ」
「ああ。だから、それだけで終わるなよ」
白髪の同位体は立ち上がりざまに回し蹴りを放ち、蓮司の肩口を捉えた。
開いた間合いへ《疾歩拳》も重ねられ、今度は蓮司が防御を間に合わせられなかった。
「ぐっ!」
胴体へ直拳を受けた蓮司は押し戻され、相手が近距離から続けて放った拳を、戻した腕で受け止めた。
白髪の同位体はそこで攻撃を切らず、さらに《烈進連破》へ移った。
蓮司はガードを解かなかった。
連撃の直拳を防ぎ、続く肘打ちにも腕を残す。
腹部への拳を受け止め、最後の回し蹴りまで守りきると、身体は後方へ押されたものの、第一ラウンドのような直撃は免れた。
ただし、無傷ではない。
ガード越しに重い衝撃を受け、蓮司に残された力も削られていた。
序盤に作った優位は小さくなっている。
「今度は、途中で返さないのか」
「まだ続くと分かってたからな」
蓮司の返答を聞くと、白髪の同位体は足を動かして間合いを測った。
二人は同じ連撃の構成を知っている。
だからこそ、途中で反撃しようとしても、技の続きに捕まる危険があることを蓮司は理解していた。
白髪の同位体は次に低い拳で地上への攻撃を意識させ、そこから一気に前へ跳び込んだ。
画面の相手が前へ跳んだのを見た直希は、前進させようとしていた指を止めた。
跳び込んでくる脚だけでなく、その前に相手が身体を沈めた動きも確認できている。
「上だ」
直希が入力すると、操作する蓮司が《天衝脚》を放った。
軸足で床を捉え、上方へ鋭く蹴り上げた脚が、空中攻撃を伸ばそうとしていた白髪の同位体を迎え撃つ。
相手を高く打ち上げたわけではなかったが、跳び込みを止めるには十分な一撃だった。
昨日、直希は蓮司を不用意に跳ばせてしまい、航の操作する美月に何度も迎撃された。
今回は相手の跳び込みを見てから対応できていた。
直希はすぐに追加の攻撃ボタンを押さず、相手の着地へ視線を移した。
白髪の同位体は床へ片足を着くと同時に、両腕を上げ直した。
蓮司も距離を詰めたが、相手の着地を狙って無理に大技を重ねず、構えと足の位置を確かめていた。
白髪の同位体が短い拳を放つと、蓮司はわずかに間合いを外し、拳が戻るところへ回し蹴りを合わせた。
「っ……!」
白髪の同位体は衝撃に身体を揺らしながらも、踏みとどまって距離を詰め直した。
蓮司は相手の拳をガードで受け止め、攻撃が終わる瞬間に重い直拳を返す。
それ以上は深追いせず、再びガードへ戻った。
白髪の同位体が一歩下がると、蓮司は蹴りの届く距離だけを保った。
相手が向きを整えようとしたところへ回し蹴りを放ち、脇腹を捉える。
「くっ……!」
白髪の同位体の呼吸が深くなった。蓮司も繰り返し打撃を受けていたため、呼吸を整えなければならなかったが、まだ次の攻防を選べる余力は残していた。
「……その待ち方も、あの二人と戦ったからか」
白髪の同位体が尋ねた。
試合の前半に見せた戸惑いとは異なり、相手の戦い方を確かめようとする真剣な声だった。
「待っただけで勝てたことはない」
蓮司はそう答え、続けた。
「美月は、こっちが止まれば自分から来た。投げれば、次は下がった」
白髪の同位体はその説明を聞き、蓮司の攻め方を思い返すように頷いた。
「一つ通しただけじゃ、続かないか」
「ああ」
蓮司は、美月の反応が変わるたびに対応を試し、そのたびに何度も敗れてきた。
理解したつもりでも、次の試合では別の攻め方に崩されている。
玲奈への五敗も、美月への敗北も、学んだからといって消えるものではない。
それでも、目の前の同位体の足が動くとき、蓮司は相手が次に何を狙うかまで考えられるようになっていた。
蓮司は短い拳を伸ばした。
白髪の同位体が受け止めると、拳が接触した直後に《連進》で身体を滑らせるように前進し、さらに一歩踏み込んだ。
しかし、白髪の同位体はすぐには反撃せず、両腕を固めて次の連撃に備えている。
蓮司はその上腕を押さえ、足を掛けて身体を前方へ崩した。
《押し崩し》。
「──っ!」
白髪の同位体はバランスを失い、背中からリングの床へ倒れた。
すぐに身体を起こしたものの、立ち上がる動きは試合の序盤よりも重くなっている。
残された力は多くなかった。
蓮司は手を離して構えを戻した。
相手を倒しきるまであと少しでも、攻撃を急げば逆転される可能性がある。
白髪の同位体には大技を使えるだけの力がまだ残っており、蓮司もその危険を理解していた。
白髪の同位体が床を蹴り、再び《疾歩拳》で踏み込んでくる。
蓮司は両腕で受け止め、ガード越しに重い衝撃を受けながらも、すぐには拳を返さなかった。
相手がもう一歩距離を詰めようとした瞬間、蓮司の直拳が先に胴体へ届いた。
「っ……!」
白髪の同位体は身体を揺らしたが、まだ倒れない。
蓮司は相手の腕が戻りきる前に、近い距離からもう一発だけ拳を通した。
大振りな追撃ではなく、届く距離で確実に当てる一撃だった。
白髪の同位体の膝が折れ、支えようとした腕からも力が抜けた。
その身体がリングの床へ崩れ落ちる。
K.O.
蓮司は拳を引き、倒れた相手から距離を取った。
呼吸は乱れていたものの、第一ラウンドのように立っているだけで精いっぱいという状態ではない。
競技中に感じ取れる力も、半分ほど残っていた。
やがて、二人の勝敗が表示された。
《MATCH RESULT》
《KAMIYA RENJI 2》
《KAMIYA RENJI 0》
画面に勝者として示されたRESONANCE IDは、黒髪の蓮司のものだった。
「……勝った」
直希はすぐにはコントローラーを置かなかった。
相手のHPがゼロになり、二ラウンドとも直希側が勝利したことを確かめてから、戦績表示へ目を移した。
《OFFICIAL RECORD》
《2 WIN / 11 LOSS》
二勝目だった。相手の戦績も十勝四敗へ更新されている。
第二ラウンドでは、通常の拳が当たったところから《烈進連破》を使い、相手の連撃を最後までガードした。
跳び込みは《天衝脚》で落とし、打撃を警戒して固めた相手には《押し崩し》を選べた。
直希にとって、どれも最初から成功が分かっていた操作ではない。
それでも今回は、目の前の攻防に合わせて一つずつ判断できた。
「昨日、あれだけやったからかな」
航の美月に勝てた公式戦だけではなく、そのあとに負けた三度のカジュアルマッチも、直希が攻め急がずに手を止める理由になっていた。
公式十勝の相手を倒したからといって、次も必ず勝てるわけではない。
第一ラウンドはHPが八しか残らず、紙一重で奪った勝利だった。
それでも、直希は二つのラウンドを続けて取った。
直希は結果画面を見ながら小さく笑った。
玲奈との連戦制限がかかってから、これで公式戦は五試合。
対戦した相手は航の美月と今の蓮司で、異なるRESONANCE IDは二つだった。
「あと一人か」
直希の側で残るのは、別のIDとの対戦だった。
ただし、玲奈側の解除条件が済んでいるかどうかは分からない。
直希は予定どおり、その夜の対戦を一試合で切り上げた。
更新された戦績を確かめ、対戦メニューへ戻る。
二勝目の結果と、新しく試せるようになった操作は画面に残っている。
しかし、勝った蓮司と、敗れた白髪の同位体がそれぞれ何を感じたのかまでは、直希には分からなかった。
回復を終えた白髪の同位体は、二人の公式戦績を示す表示を見上げていた。
十勝四敗と、二勝十一敗。勝利の総数ではまだ白髪の同位体が大きく上回っている。
しかし、今終わった試合で二ラウンドを奪ったのは蓮司だった。
「……二つとも取られたか」
白髪の同位体は拳を開いた。
試合中に受けた打撃の痛みは回復によって消えている。
それでも、どこで拳を止められ、どの技で崩されたかは覚えていた。
「最初は、あと一発だった」
蓮司が声を掛けると、白髪の同位体は彼へ視線を移した。
「そこで俺が焦ってたら、負けてた」
「だが、焦らなかった」
「二つ目では、教わった使い方も試せた」
「《烈進連破》か」
「ああ。あんなところから使われると、やりにくい」
白髪の同位体は苦笑した。
「それを、そのまま返されたわけだな」
蓮司もわずかに口元を緩めた。
昨日、美月から初めて勝ち取った一勝とは違う喜びがあった。
白髪の同位体は同じ名前、同じ身体、同じ武術を持ちながら、蓮司よりもはるかに多くの公式戦を勝ってきた相手だった。
第一ラウンドではあと一撃で敗れていた。
第二ラウンドでも決して楽に勝てたわけではない。
それでも、その相手から二つのラウンドを続けて奪えたことを、蓮司は素直に嬉しく思っていた。
白髪の同位体は、そんな蓮司の表情を見つめていた。
「おまえ、負けるのが平気なわけじゃないんだな」
「言っただろ」
「ああ。今の顔を見れば分かる」
白髪の同位体は、二勝十一敗という表示へ改めて目を向けた。
「それでも俺には、あの記録になるまで挑戦を続けられるか分からない。女に何度も負けて、それでも同じ相手へ自分から再戦申請を出すとなるとな」
蓮司は口を挟まずに聞いていた。
「また負けたら、同じように勝者を見上げることになる。それを考えないわけにはいかない」
「俺も考える」
白髪の同位体が蓮司へ顔を向けた。
「考えたうえで、挑むのか」
「負けるのは嫌だ。あの二人の前で、また膝をつくのも嫌だ」
蓮司は一度、バンテージを巻いた拳へ目を落とした。
「でも、恥ずかしいからって、あの二人の強さまで否定する気はない」
玲奈の掌底は蓮司を捉え、美月の蹴りも蓮司の攻めを止めてきた。
相手が女性だという理由で、その技を軽く扱っても敗因は変わらず、次の勝利へつながるわけでもない。
「だから、次は何を変えるか考える。勝ちたい相手は、変わらないからな」
白髪の同位体はしばらく答えなかった。
蓮司の考えを聞いたからといって、同じように十一敗するまで挑み続けられると確信できたわけではない。
ただ、目の前の蓮司が羞恥を感じないから戦っているのでも、負けるために戦っているのでもないことは理解できた。
「今日、俺に勝っても、あの二人に負けた分は消えないぞ」
「分かってる」
蓮司は白髪の同位体へ向き直った。
「それでも、おまえに勝てたのは嬉しい」
その言葉に、白髪の同位体の眉がわずかに動いた。
蓮司にとって今回の公式戦は、玲奈へ再戦申請するためだけの消化試合ではなかった。
美月との実力差を測るための代わりの対戦でもない。
蓮司と白髪の同位体がそれぞれ勝とうとして拳を交え、その結果として蓮司が勝ったのだ。
「……そうか。俺は悔しいよ」
白髪の同位体ははっきりと言った。
「同じ技を持ってる。だから、どこで取られたのかも分かる。分かるから、なおさらな」
蓮司は頷いた。
相手を慰めて勝利を小さく扱うつもりはなかったし、悔しさを理解できないわけでもなかった。
白髪の同位体は拳を下ろし、改めて蓮司へ向き直った。
「今すぐじゃなくていい」
「何だ?」
「もう一度、俺と戦ってくれ」
蓮司は少しだけ目を見開いた。
先ほどまで、何度も同じ相手に挑む蓮司の行動を不思議そうに見ていた白髪の同位体が、今は自ら再戦を望んでいる。
「次は、今日おまえにされたことも持ってくる」
白髪の同位体の声は真剣だった。
蓮司も両拳を胸の前へ上げた。
「受ける。俺も、その次のおまえと戦いたい」
白髪の同位体は頷いた。
二人はそれぞれリングを降り、転送区画へ続く通路へ歩き出した。
蓮司は歩きながら、先ほど白髪の同位体から告げられた再戦の言葉を思い返していた。
敗れた相手にもう一度勝ちたいという気持ちは、蓮司自身にもよく分かっている。
初めて顔を合わせた同位体が、今度は蓮司を倒したいと言った。
その言葉は、公式二勝目を手にした喜びとともに、蓮司の胸に残った。