公式アリーナの転送区画で、蓮司は白髪の同位体と別れた。
「もう一度、俺と戦ってくれ」
去り際に向けられた言葉が、まだ耳に残っている。
相手は十勝三敗で試合に臨み、蓮司に二つのラウンドを奪われた。
通算では蓮司より多く勝っている男が、敗れた直後に再戦を望んだのだ。
蓮司にも、その気持ちは分かる。玲奈にも美月にも、敗北したまま終わりたくなくて挑み続けてきた。
今度は自分が、相手から勝ちたいと思われる側になった。
蓮司は通路を抜け、ROOKIE帯の格闘家向け宿舎へ戻った。
汗を流して自室へ戻ると、蓮司は端末で公式戦績を確認した。
《OFFICIAL RECORD》
《2 WIN / 11 LOSS》
十一敗という数字は変わらない。
それでも、昨日まで一つだった勝利が二つに増えていた。
蓮司は端末の表示を切り替え、今夜の試合の精算を開いた。
《FIGHT PURSE》
《VS KAMIYA RENJI》
《APPEARANCE PAY 1 FC》
《WIN BONUS 11 FC》
《TOTAL 12 FC》
対戦相手も同じROOKIE 3だったため、大きなランク差を覆した場合の加算はない。
それでも、十二FCが蓮司の口座へ入っていた。
十一敗で得た出場給は合わせて十一FC。
昨日、美月から初勝利を挙げた試合では二十FC。
そして今日の十二FCを加え、公式戦で得たファイトマネーは四十三FCになった。
生活を支える保障給とは別に、蓮司がリングで積み重ねた金だった。
「……勝つと、違うな」
勝てなかった頃も、宿舎を失う心配はなかった。
しかし、勝利を重ねれば暮らしの中で選べるものが増える。
昨日は初勝利のあと、少し良い食事を取ろうかと考えただけで終わった。
二勝目を手にした今夜は、そのまま部屋に戻っていつもの夕食を済ませる気にはなれなかった。
蓮司は端末を閉じ、上着を羽織って宿舎を出た。
公式アリーナや格闘家向け施設に近い商業通りには、夜になっても人通りがあった。
蓮司は普段利用する食堂を通り過ぎ、少し落ち着いた雰囲気の店の前で足を止めた。
入口の献立には、肉や魚を中心とした料理が並んでいる。
香草焼きの鶏肉に、温かいスープと野菜を添えた夕食。
六・五FC。
いつもの定食なら二、三FCで済む。
今夜の一皿はその倍以上だったが、今日のファイトマネーで払える額でもあった。
「……今日はいいだろ」
蓮司はそう呟き、店の扉を開けた。
店内は混んでおり、奥の席では食事を終えた格闘家らしい客たちが試合の話をしていた。
蓮司が一人だと告げると、店員は空席を探してから申し訳なさそうに頭を下げた。
「二名席に一席だけ空きがございます。先にお客様がいらっしゃいますが、相席でもよろしいでしょうか」
「俺は構わない」
「ありがとうございます。先のお客様にも確認いたします」
店員が窓際のテーブルへ向かった。
そこに座っていた女性は、長い黒髪を翡翠色の髪飾りで片側に留め、落ち着いた色合いの私服を着ていた。
リングで見慣れた白と翡翠色の戦闘服とは違う。
だがその顔立ちには、確かな見覚えがあった。
桐生玲奈。
蓮司は思わず足を止めた。
ただし、同じアーキタイプの格闘家はほかにも存在する。
外見だけで、五度戦った相手と断定することはできなかった。
蓮司は相手のRESONANCE IDを確認した。
表示された識別情報は、五度の公式戦で対戦してきた玲奈のものと一致していた。
店員の説明を聞いた玲奈も、向かいの空席に目を向けたあと、蓮司の姿に気づいた。
彼女も蓮司のRESONANCE IDを確かめると、わずかに目を見開いた。
「……神谷蓮司。あなたなのね」
「ああ。俺も驚いた」
玲奈は店員へ向き直った。
「私は構いません」
「ありがとうございます。では、こちらへどうぞ」
案内された蓮司は、玲奈の正面に腰を下ろした。
公式戦で五度拳を交え、そのすべてに敗れた相手だった。
最後の試合では一ラウンドを奪ったものの、最後に勝者として立ったのは玲奈である。
食卓を隔てた今の玲奈は拳を構えていない。
それでも蓮司は、相手が玲奈であるというだけで、過去の敗北を意識せずにはいられなかった。
「よく来るのか、この店には」
「時々ね。練習の帰りに寄ることがあるわ」
「そうか。俺は初めてだ」
蓮司が献立を開くと、玲奈は彼の手元を見た。
「私がいるからといって、注文を変えなくてもいいわよ」
「変えるつもりはない。これを食いに来たんだ」
蓮司は入口で決めた鶏肉の香草焼きを指し、店員に注文した。
玲奈の前には、すでに魚料理が運ばれていた。
彼女は蓮司の注文が終わるのを待ってから、自分の食事へ手を伸ばした。
「今日は少し贅沢ね」
「……そう見えるか」
「いつもより良い食事を選んだのなら、何か理由があるのでしょう?」
蓮司は玲奈の顔を見た。
何も話していないのに、普段より金を使うつもりで来たことは伝わったらしい。
「公式戦で、二つ目の勝ちを取った」
「二つ目?」
「ああ。今日、もう一勝した」
玲奈は手を止め、改めて蓮司へ目を向けた。
「最初の一勝なら知っているわ。格上の九条美月に勝ったのでしょう? 二対一で」
「ニュースを見たのか」
「ええ。初勝利だったこともあって、ニュースで取り上げられていたわ」
玲奈は杯を置き、改めて蓮司へ目を向けた。
「最初に記事を見たときは、私も驚いたわ。あなたのRESONANCE IDを確かめるまでは、同じ名前の別人かと思ったくらい」
「……そうか」
「五度戦った相手だから、あなたがどんな拳を使うのかは知っている。でも、SILVER 3の九条美月に勝つとは思っていなかったわ」
玲奈の言葉には、蓮司の勝利を軽く扱う響きはなかった。
蓮司は小さく息を吐いた。
玲奈との五試合では、最後に一ラウンドを奪ったものの、公式戦での勝利は一度もない。
その事実を、玲奈は今も当然のように覚えている。
「九条美月にも三回続けて負けた。勝てたのは四回目だ」
「……そう。三度敗れて、それでも挑戦を続けたのね」
「ああ。あいつも強い」
「でしょうね。ランク差がある相手に、簡単に勝てるものではないわ」
玲奈は少しだけ微笑んだ。
「でも、最後に勝ったのはあなたなのね。それは素直にすごいと思うわ」
蓮司はそれ以上何も言わず、杯を手に取った。
美月との試合で得た手応えも、彼女に重ねた敗北の悔しさも、今なお鮮明だった。
「それで、今日の相手は?」
「神谷蓮司。同じ原型の、別のRESONANCE IDだ」
「同位体戦だったのね」
「ああ。同じROOKIE 3で、相手は十勝三敗だった」
「十勝していた相手に勝ったの?」
「二対〇でな」
玲奈は少しだけ眉を上げた。
「それは、良い勝利ね」
「楽ではなかった。だが、二つとも取った」
第一ラウンドでは、あと一撃で蓮司の方が倒されかねなかった。
それでも相手の攻めを見て勝負を決め、第二ラウンドでは別の戦い方を選べた。
蓮司が誇りに思っているのは、その結果だった。
目の前の玲奈に認められたからではない。
「だったら、今日は良いものを食べたくなるでしょうね」
「そのつもりで来た」
「ええ。勝った日の食事だもの。楽しめばいいと思うわ」
玲奈はそう言って自分の料理に視線を戻した。
玲奈の言葉は素直な祝福だったが、それで蓮司の五度の敗北が軽くなるわけではなかった。
「……おまえに勝てたら、もっと旨い飯になるんだろうな」
蓮司が漏らすと、玲奈の手が止まった。
「そうでしょうね。でも、あなたはまだ私に一度も勝っていないわ」
「ああ。忘れてない」
「それならいいの。私も、負けるつもりはないもの」
玲奈の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
蓮司を軽んじているわけではない。
それでも五度勝ってきた相手として、譲るつもりはないのだろう。
蓮司も彼女から目を逸らさなかった。
そこで店員が料理を運んできた。
蓮司の前に置かれた鶏肉には香ばしい焼き色が付き、皿の端では野菜が湯気を立てている。
香草の匂いが広がると、蓮司の意識はようやく目の前の夕食へ戻った。
「……まずは食うか」
「ええ。せっかくの料理が冷めてしまうわ」
蓮司は鶏肉を一口食べた。肉は柔らかく、香草と塩の味が広がった。
普段の定食に不満はないが、今夜はこの店を選んで正解だったと思えた。
「……うまいな」
「それならよかったわ」
「おまえの方は?」
「こっちも悪くないわ。魚の焼き加減がちょうどいいの」
玲奈は自分の皿へ視線を戻し、蓮司も食事を続けた。
リングの上では何度も向かい合った二人だったが、互いの食事について話すのは初めてだった。
会話が途切れても、不自然に話題を探すことはなかった。
蓮司には玲奈へ勝ちたいという思いがある。
しかし、それと今夜の料理を味わうことは、別の話だった。
食事が半分ほど進んだ頃、玲奈が杯を置いた。
「それで、あなたはまた私と戦うつもりなの?」
「ああ」
蓮司はスープの器をテーブルへ戻した。
「まだ公式戦の連戦制限がある。俺の方は、別のIDとの試合があと一つ必要だ」
「そう。私の方は、もう条件を満たしているわ」
蓮司は玲奈を見た。
「……もう済ませたのか」
「ええ。あなたとの五試合のあとも、別の相手と公式戦を続けていたもの」
玲奈にとって、蓮司との五試合が格闘家としての活動のすべてではない。
彼女は彼女の対戦相手と拳を交え、次の試合へ進んでいる。
蓮司はその当然のことを、今夜初めて本人の口から聞いた。
「そうか。なら、残っているのは俺の条件だけだな」
「そういうことになるわね」
玲奈は蓮司の反応を見ていたが、いつ再戦するかまでは尋ねなかった。
蓮司も、ここで彼女に約束を求めるつもりはない。
ID指定による再戦は、正式に申請できるようになってからの話だった。
「今は、どこまで上がった?」
「ランクのこと?」
「ああ」
「GOLD 3よ」
蓮司は一瞬、言葉を止めた。
現在の蓮司はROOKIE 3。
五度の公式戦で敗れた玲奈は、今も蓮司よりはるかに上のランクにいる。
「……俺はまだROOKIE 3だ」
「知っているわ。そもそも、最初にあなたと戦ったのはランク認定中のマッチングだったでしょう?」
「ああ。普段なら当たらない相手とも組まれる、あの条件があったからな」
「今のランク差では、普通に対戦相手を探しても私とは当たらないでしょうね」
玲奈は落ち着いた声で答えた。
最初の対戦が成立したのは、通常より広い実力帯から相手が選ばれる認定中の特殊な条件によるものだった。
しかし、その後の四試合は違う。
敗れた蓮司が自分から再戦を求め、そのたびに玲奈が受けて成立した試合だった。
「だが、二戦目からは俺が申し込んだ」
「ええ。覚えているわ」
玲奈は杯を置き、蓮司を見つめた。
「一度負けて、すぐにもう一度。二度目も負けて、それでもまた申し込んできた」
「ああ」
「私が何度実力差を示しても、あなたは再戦を求めてきたわね」
玲奈の声は静かだった。しかし、蓮司にはその言葉が単なる思い出話ではないことが分かった。
「……気に入らなかったか」
「嫌なら再戦しなかったわ。ただ、何度勝ってもあなたが挑んでくるのは、少し癪だった」
玲奈はためらわずに答えた。
「戦い方を変えようとしていたことは分かっていたわ。でも、少し攻撃が届くようになったからといって、それまでの敗北が消えるわけではないでしょう?」
「そうだな」
「それなのに、あなたはまた私への再戦を選んだ。連戦既定の上限まで挑んできた」
玲奈は少しだけ眉を寄せた。
「私は何度も言ったはずよ。変えたつもりになるだけじゃ、結果は変わらないって」
「ああ、覚えてる」
蓮司は玲奈から視線を逸らさなかった。
「俺も、勝てていないことは分かっていた。だから、次はどうするか考えた」
「……そう」
「だが、最後まで試合を取れなかった。それも事実だ」
玲奈はしばらく蓮司を見つめていた。
五戦目では、蓮司の《一閃轟破》が玲奈を倒し、初めて一ラウンドを奪っている。
あのとき彼女がどれほど悔しかったのか、蓮司には分からない。
しかし、最後に試合を取ったのは玲奈だった。
「五戦五勝。私とあなたの公式戦績は、今も変わっていないわ」
「ああ」
「それに、女の私に五回も負けたのよ。男として、悔しくないわけではないでしょう?」
蓮司の表情がわずかに硬くなった。
この社会では、女性への敗北は男性格闘家の自負を強く刺激する。
蓮司もその価値観の中で生きており、玲奈に倒されるたび、男としての屈辱を味わってきた。
相手の技術を認めているからといって、その悔しさがなくなるわけではなかった。
「……悔しいさ。恥ずかしいとも思っている」
「でしょうね」
玲奈は当然のように頷いた。
「五回とも私が勝ったんですもの。あなたがどれほど強くなろうとしても、その五敗は私との間に残っているわ」
「分かってる」
「なら、忘れないことね。私はあなたに勝った側で、あなたは私に負けた側よ」
蓮司は玲奈を正面から見た。
食卓を挟んでいる今も、彼女の態度はリングの上と変わらない。
五度の勝利に遠慮はなく、蓮司が重ねてきた敗北を軽く扱うつもりもない。
だが、蓮司にも譲るつもりのないことがあった。
「忘れないさ。だから、おまえに勝ちたいんだ」
玲奈の目がわずかに細くなった。
「……まだ、そう言うのね」
「ああ。今度は一ラウンドじゃない。試合を取りたい」
「一ラウンド取れたことを、ずいぶん大事にしているのね」
「嬉しかったのは確かだ。だが、試合に負けたことまで忘れてない」
玲奈は杯へ視線を落とした。
蓮司は、以前の五連戦を思い返した。
あの時も負けたまま終わりたくなくて、何度も再戦を求めた。
だが、今は二つの公式勝利がある。
九条美月からの初勝利。
そして、十勝していた同位体からの二勝目。
それでも玲奈は、すぐには表情を変えなかった。
「別の相手に勝てるようになった。それは分かったわ」
玲奈は顔を上げた。
「でも、それが私にも通じるかどうかは、まだ分からないでしょう?」
「ああ。戦わなければ分からない」
「そうね。少なくとも、今のあなたはまだ私に一勝もしていない」
蓮司は短く頷いた。
「連戦制限が解除されたら、もう一度申し込むつもりだ」
「私のRESONANCE IDを指定して?」
「ああ」
玲奈はわずかに目を細めた。
「……本当に、懲りないのね」
「まだ、おまえから一勝も取ってないからな」
「そうね」
玲奈の口元に、小さな笑みが浮かんだ。
「なら、次はどこまで届くのか見せてもらうわ」
玲奈はそう答えたが、再戦を心待ちにしているような様子は見せなかった。
「ただし、次に申し込んできても、前より良くなったというだけでは納得しないわよ」
「分かってる。今度は結果を出す」
玲奈は蓮司を見つめた。
「なら、次は公式アリーナのリングで見せてみなさい」
蓮司はそれ以上、再戦について話さなかった。
五度の敗北も、玲奈とのランク差も変わっていない。
彼女は今も蓮司より上の立場におり、女性勝者としてその事実を堂々と示している。
蓮司はその強さを認めていた。しかし、玲奈に勝つことを諦めたわけではない。
蓮司は杯を置き、冷めないうちに残りの料理へ手を伸ばした。
食事を終える頃には、店内の客も少し減っていた。
蓮司が会計のために端末を取り出そうとすると、玲奈が先に店員を呼んだ。
「二人分、まとめてお願いします」
「……玲奈?」
蓮司が顔を上げると、玲奈は平然とした様子で店員に頷いていた。
「今日は私が払うわ」
「待て。俺は自分で払える」
「そうでしょうね。二勝目のファイトマネーも入ったのでしょう?」
「ああ。だから、今日は少し良いものを食いに来たんだ」
「知っているわ。だから、今日は私に払わせてほしいの」
玲奈は落ち着いた声で続けた。
「あなたにとっては二勝目なのだから、今日はその分を取っておいたら?」
「……おまえにそんなことを言われるとはな」
「私はGOLD 3よ。このくらいの食事で困ることはないわ」
玲奈はわずかに微笑んだ。
「それに、二勝目のお祝いでしょう? あなたが勝ったことは、素直に喜んでいいと思うわ」
「……勝った方には余裕があるな」
「そうね。少なくとも、今は」
その言葉に、蓮司はわずかに眉を寄せた。
「……おまえに祝われるのは、複雑だな」
「そうでしょうね」
玲奈の口元に、少しだけ笑みが浮かんだ。
「でも、遠慮する必要はないわ。私がそうしたいだけだから」
蓮司は玲奈を見た。
彼女は、自分の勝利を軽く扱っているわけではない。
それでも、ランクにも戦績にも余裕のある玲奈が、当然のように食事代を引き受けようとしている。
その落ち着いた態度が、蓮司には少し悔しかった。
「……次におまえに勝ったら、今度は俺が払おう」
蓮司がそう告げると、玲奈はわずかに目を細めた。
「そう。なら、そのときは考えてあげるわ」
「何だ、その言い方は」
「まだ私に勝っていないでしょう?」
玲奈は穏やかに微笑んだ。
「そういうことは先に勝ってから言いなさい」
蓮司は一瞬言葉に詰まり、それから苦笑した。
「……分かった。今日は祝いとして受け取っておく」
「ええ。それでいいわ」
玲奈は店員から提示された会計を、自分の端末で決済した。
蓮司はその様子を見守っていた。
玲奈の申し出が、金に困っている蓮司への施しではないことは理解している。
しかし、彼女が勝者としての余裕を隠さないことも、十分に思い知らされた。
「……ありがとう。ごちそうになった」
「どういたしまして」
玲奈はいつもと変わらない調子で答えた。
蓮司は椅子から立ち上がった。
食事代を払ってもらったことには感謝している。
それでも、五度も自分を倒した女性に対する悔しさが消えたわけではなかった。
むしろ蓮司には、次こそ玲奈に勝ち、その余裕を崩してやりたいという気持ちが強く残っていた。
店を出ると、通りには涼しい夜気が流れていた。
玲奈は人通りの多い方へ、蓮司は宿舎へ戻る方へ向かう。
「じゃあ、私はこれで」
「ああ。今度は公式アリーナのリングでな」
玲奈は振り返り、蓮司を見た。
「ええ。あなたの条件がそろったらね」
「そのときは勝つつもりで行く」
「そのつもりで来なさい。私も負けるつもりはないわ」
玲奈は穏やかに言い、夜の通りへ歩いていった。
蓮司も背を向けて宿舎への道を進む。
今日の食事は確かに旨かった。
自分への祝いとして選んだ店で、思いがけず玲奈から祝福まで受けた。
しかし、五度も自分を倒した女性から奢られたことには、まだ少し複雑な思いが残っていた。
蓮司は、その感情を無理に消そうとはしなかった。
玲奈の好意を侮辱と決めつけるつもりも、感謝したからといって勝負への悔しさを捨てるつもりもない。
彼女はすでに連戦制限の条件を満たしている。
蓮司も別のIDとあと一試合戦えば、同じ相手との公式戦を申請できるようになる。
だが、条件がそろっただけで玲奈に勝てるわけではなかった。
蓮司は歩きながら、何も巻いていない拳を軽く握った。
次に玲奈と向かい合うとき、今日の礼を思い出すことはあるだろう。
それでも、公式アリーナのリングの上では遠慮しない。
五度も蓮司を倒したその女性に、今度こそ勝つために。