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別IDの九条美月との公式戦から一夜明けた、昼休み。
直希が弁当箱を片づけていると、向かいに座った航が顔を上げた。
「昨日のランクマ、どうだった?」
「勝ったよ。二対一」
「お、三勝目じゃん。誰に?」
「美月」
航の箸が止まった。
「……俺のじゃないよな」
「当たり前だろ。別IDの九条美月」
「分かってるけどさ。同じキャラが負けたって聞くと、ちょっと気になるんだよ」
「おまえが負けたわけじゃないぞ」
「だから、そこは分かってるって」
航は笑って箸を置いた。
その反応に直希も笑いかけたが、最初のラウンドを思い出すと、素直に自慢だけをする気にはなれなかった。
「最初は、ほとんど何もできなかったんだ」
「二対一ってことは、先に取られたのか?」
「そう。《弧月蹴》のあとに下がると思ってたら、逆に入ってこられちゃって。おまえの美月が何回かやった動きで、その先まで読んでたんだよ」
「俺とは別の人が動かしてるのに?」
「分かってるつもりだったんだけどさ。見慣れた技が来たら、そっちが先に浮かんじゃった」
同じ神谷蓮司でも、使う技の順番が違えば攻め方が変わる。
それは一昨日の同キャラ戦で経験していた。
それでも、何度も戦った美月の顔を見ていると、自分の知っている続きを待ってしまった。
「そこから、相手の動きを見直したんだ。昨日教えてもらった《轟天拳》も当たった」
「もう実戦で使ったのか」
「普通の方は、二回。最後は《破陣》を使ってから」
「《壊》、出た?」
「出なかった。左で崩して、右で打ち上げる方」
直希は空になった弁当箱の蓋を閉じた。
最後の攻防では、美月の蹴りが先に蓮司へ届いていた。
体力が減ったのに二段の拳は止まらず、そのまま相手を倒した。
「勝ったけど、思ったとおりじゃなかったんだ。蹴られても技が止まらなかったから、取れたところがある」
「ああ、耐えるところがあるんだっけ」
「たぶん。でも、トレーニングでは普通に潰されたし、何が違うのか、まだよく分かってない」
航は頷いた。
動画の説明を読んだだけで、蓮司の技を何でも知っているわけではない。
昨日、航自身も《壊》を成立させる距離や待つタイミングまでは分からないと話していた。
「それで、玲奈の方は?」
「再戦できるようになったよ。向こうの条件も終わってたみたい」
「もう申し込んだのか?」
「それはまだ」
直希は答えてから、航へ向き直った。
「今日、カジュアルに付き合ってくれない?」
「玲奈の前に?」
「うん。でも、それだけじゃないんだ。《轟天拳》をもう少し使ってみたい。普通の方と《破陣》中の二段。できれば、《壊》も」
「やっぱりあれか」
航が少し楽しそうに笑う。
「俺の美月を、練習用の標的みたいに言うなよ」
「だから、おまえに頼んでるんだよ。こっちが出したいところへ、毎回跳んできてくれる相手じゃ意味ないし」
「玲奈とは戦い方が違うけどな」
「玲奈の真似をしてほしいわけじゃないよ。俺の攻め方を知ってて、一回当てたら次は変えてくる相手とやりたい」
前に航の美月と戦ったときも、一つ通っただけでは終わらなかった。
跳び込みも、対空も、投げも、覚えたことを試すたびに別の対処が返ってきた。
昨日勝てた使い方が今日も通じるかを確かめるなら、航を選ぶ理由は十分にあった。
「……じゃあ、三試合」
「三つ?」
「一回当たって分かったつもりになっても、次に俺が変えたらどうするんだよ。そこまでやろうぜ」
「いいよ。三つで」
「ただし、全部勝つつもりでやるからな」
「OK。こっちも、試して終わるつもりはないよ」
航は頷き、夜の時間を確かめた。
直希は鞄を机の脇へ戻した。
今日は玲奈への申請を急ぐより先に、目の前の友人から一試合を取りたかった。
その夜、直希は航との通話をつなぐ前に、短くトレーニングモードを開いた。
簡単入力で出る《轟天拳・中》に加え、手動コマンドで小の強度を出す。
右拳の振り上げは中より小さく、前へ出る距離も短かった。
昨日試した大と同じ感覚で使えば、相手まで届かないこともある。
直希は数回だけ動作と距離を確かめてから、メニューへ戻った。
『準備できたか?』
「うん。今送る」
航の美月のCHARACTER IDを指定し、カジュアルマッチを申し込む。
受諾の表示が出ると、直希はコントローラーを握り直した。
三試合の約束はしているが、まず始まるのは一つ目だ。
体力は双方とも満タン、RESONANCEゲージは空の状態で対戦を迎える。
訓練区画へ転送された蓮司は、正面に立つ九条美月を見た。
長い黒髪を高く束ね、黒を基調に白と青を差した短いジャケットを身につけている。
頬の近くに両拳を置く構えも、昨日戦った別IDの美月と変わらない。
だが、目の前のRESONANCE IDは、公式戦で四度、スパーリングで三度戦った、あの美月のものだった。
「予定どおりね」
「ああ。今日は三試合だな」
「ええ。昨夜、運営から通知が届いていたわ」
美月は蓮司の構えに目を向け、口元をわずかに緩めた。
「三勝目、おめでとう」
「知っていたのか」
「あなたの記事を見たの。私と別れたあと、神谷蓮司の同位体と、私とは別IDの九条美月に勝ったのでしょう?」
「ああ」
「昨日の九条美月は、どうだった?」
「強かった。最初は、おまえと同じように距離を取ると思って、逆に押し込まれた」
「私と戦うつもりで待っていたら、前へ出られたのね」
「ああ。途中からは、あいつが実際にどう動くかを見るようにした。それで二つ取り返した」
「なら、今日は私の番ね」
美月は足元を整えた。
別IDの九条美月に蓮司が勝ったと聞いても、自分まで負けたつもりになる様子はない。
蓮司も、そのつもりで来たわけではなかった。
「初日に公式戦で戦った桐生玲奈との再戦条件も、昨日の試合でそろった」
「最初に五度戦った、あの玲奈?」
「ああ。運営からおまえとの三試合を知らされたとき、ちょうどいい機会だと思った。玲奈との再戦に向けて、今の俺がどこまで通用するか確かめたかったんだ」
美月はグローブを握る手を止めた。
「私は桐生玲奈に勝つための調整相手、ということ?」
「それもある。だが、前はカジュアルマッチで三つとも取られた。今の攻めが、おまえに通るかも確かめたい」
「通るところだけ確かめて、負けてもいいとは思っていないでしょうね?」
「思ってない。三つとも、俺が勝つつもりだ」
美月は蓮司をしばらく見ていたが、やがて両拳を上げた。
「なら、私も同じよ。あなたを桐生玲奈のところへ送り出すためだけに立つつもりはないわ」
「ああ、分かってる」
「試したいものがあるなら使ってみなさい。そのうえで、私が勝つから」
その言い方に、蓮司は小さく息を吐いた。
以前の七試合で、この美月が簡単に勝たせてくれる相手ではないことは分かっている。
今日の三試合も、厳しい勝負になるだろう。
それでも、三つとも勝つつもりだった。
蓮司は左足を前へ置き、拳を構えた。
一試合目の合図が響くと、美月は中距離から《弧月蹴》を伸ばした。
蓮司は両腕で受け止め、蹴り脚が戻るところへ一歩入る。
短い左の直拳が美月の胸元を捉えたが、それ以上は追わず、すぐに構えへ戻した。
美月も打たれた場所に留まらなかった。
わずかに間合いを変えたあと、今度は床を蹴り、斜め前から脚を伸ばしてきた。
蓮司は跳躍を見て腰を沈めた。
右足で床を押し、腰から背中、肩へ伝えた力を右拳に乗せる。
《轟天拳》
突き上げた拳が美月の身体を捉え、蹴り脚が届く前に上へ弾いた。
「っ……!」
美月がリングへ落ちるのを見届け、蓮司は右拳を引いた。
昨日、別の美月を打ち上げた拳が、今度はこちらの美月にも届いた。
それでも、相手はすぐに片膝を立てて身体を起こし、蓮司の足元へ視線を戻している。
「前に戦ったときとは、違う拳を使うのね」
「ああ。こっちも使う」
美月は短く頷いたが、同じ高さからもう一度入ってはこなかった。
構え直した蓮司へ、今度は地上から《迅条》で踏み込む。
鋭いストレートが胸元を捉え、蓮司の身体を後方へ押した。
「ぐっ……!」
蓮司は足を踏み直した。
上を止められても、前から来る拳まで防げたわけではない。
美月が間合いを作り直す前に、自分から《疾歩拳》で入る。
低い踏み込みに乗せた直拳を胴へ通し、近い距離を保った。
そのまま、もう一発。
蓮司が肩を前へ出したところへ、美月の前脚が先に上がった。
《弧月蹴》が打撃の出始めを潰し、前のめりになった脇腹へ深く入る。
「くっ……!」
息を押し出された蓮司へ、美月は次の蹴りを重ねた。
腰の回転を乗せた長い脚が上体を捉え、立て直しかけた姿勢をさらに崩す。
蹴りで攻撃の出始めを止めたあと、美月の攻めは一段鋭くなっていた。
「拳を一つ増やしても、そこは同じなのね」
蓮司は返事をせずに両腕を戻した。
近づいたあとに攻め急げば止められる。
前から何度も経験していることを、今度もやられていた。
それでも、美月が脚を戻す隙に踏みとどまれた。
改めて拳の届く位置へ入り、《連環打》の直拳を通す。
続く肘で美月の姿勢を崩し、最後の蹴りまで当てると、ようやく相手を大きく下がらせた。
互いに決着が見え始める。
だが、先に攻め直したのは美月だった。
《迅条》の拳を蓮司が両腕で防ぐと、美月は一度足を戻し、守りを解いて前へ出ようとした身体へ《弧月蹴》を差し込んだ。
脇腹を打たれた蓮司は、息を詰めて足を踏み直す。
残された力は、美月より少なくなっていた。
直希は体力とゲージを確かめた。
蓮司は四分の一を切り、美月には三割ほど残っている。
序盤の《轟天拳》は成功したが、そのあとに受けた攻撃の方が多かった。
RESONANCEゲージは、ようやく二段分を超えていた。
「《破陣》を使う」
直希が入力すると、画面の蓮司に淡い光が走った。
昨日は、この状態で二段の拳を通して勝った。
ただし、蹴りを受けてから打ち返す形だった。
練習では、高い跳び込みに間に合わず潰されたこともある。
通常版と同じ動きではないと、頭では分かっていた。
美月が跳んだ。
先ほどより高い軌道だったが、直希の指は、序盤に迎撃できた入力へ動いていた。
「ここで、もう一回――」
蓮司は腰を落とし、左拳で美月の胴を崩そうと踏み込んだ。
しかし、美月の身体はその拳より高い位置を通っている。
右拳へつなぐ前に、上から伸びた蹴りが肩を捉えた。
「ぐっ!」
左拳を送り出す姿勢が崩れ、蓮司の身体が横へ流れた。
昨夜は被弾しても踏みとどまれた。
今度は、動作を保てるところへ入るより早く蹴りを受けてしまった。
《破陣・轟天拳》の右拳は、打ち上げまで進まなかった。
美月は着地すると、蓮司が構えを戻す前に腰を回した。
横から振り抜かれた《旋牙》が、残っていた余力を奪う。
蓮司は踏ん張りきれず、リングへ倒れた。
K.O.
美月は脚を下ろし、倒れた蓮司へ目を向けた。
美月には、まだ三割ほど戦える力が残っていた。
「まず一つ、私の勝ちね」
「……ああ」
蓮司は身体を起こしながら、さっき左拳を伸ばそうとした高さを見た。
「強めた方の拳は、間に合わなかったわね」
「使う場所を間違えた」
「そう。でも、それだけじゃないでしょう?」
美月は口元に笑みを浮かべた。
「これでカジュアルマッチは四戦続けて私の勝ちね。公式戦では一度あなたに負けたけれど、そのあとの勝負は全部取っているわ」
「……ああ。まだ取り返せていない」
「私の方がランクは上よ。でも、あなたも男の格闘家でしょう? 女の私にここまで続けて負けて、恥ずかしくないの?」
蓮司は美月を見上げた。
公式戦では、確かに一度勝った。
だが、そのあとに行われたカジュアルマッチでは、四試合続けて一つも勝ちを奪えていない。
「……恥ずかしいさ。四つ続けて取られたんだからな」
「ふふ。だったら、あの公式戦の一勝は、まぐれだったのかしら?」
美月は楽しそうに問いかけた。
「違う。あのときは俺が勝った。今日の一敗も、おまえが勝った。それだけだ」
「そうね。あの一勝まで否定するつもりはないわ。でも、今は私が四つ続けて勝っている。その差は覚えておいて」
「……忘れるつもりはない」
蓮司は立ち上がり、両拳を握り直した。
「次は、もっと近いところで使う。あの高さへ、同じようには出さない」
「そう。ちゃんと考えているのね」
美月の笑みが、少しだけ深くなった。
「でも、私も同じところへ入るとは限らないわよ。五つ目も取るつもりだから」
「なら、その前に止める」
「ええ。見せてもらうわ」
試合結果が表示されると、画面は勝者である九条美月へ切り替わった。
美月はグローブを胸元へ戻し、倒れた蓮司を見下ろしていた。
口元には、勝者としての余裕を感じさせる笑みが浮かんでいる。
「私の方がランクは上よ。でも、あなたも男の格闘家でしょう? 女の私にここまで続けて負けて、恥ずかしくないの?」
その言葉が、勝利演出の字幕とともに表示された。
「……美月、キツくない?」
直希は思わず口にした。
四連敗したことは事実だ。
ランク差があることも分かっている。
それでも、わざわざ男として恥ずかしくないのかと聞かれるとは思わなかった。
『それがいいんだよ!』
航はむしろ楽しそうだった。
「いや、そこまで言わなくてもよくない?」
『何言ってんだよ。勝った女の格闘家が、負けた男のプライドを刺激するのも、このゲームの世界観だぞ?』
「そうなの?」
『そうそう。男が女に負けるのは、あっちの世界だと特に恥ずかしいことなんだって。だから女の格闘家も、勝ったら結構はっきり言うんだよ』
「美月だけじゃないのか」
『女の格闘家はみんな、そういう価値観の中で生きてる設定だからな。ただ、言い方はキャラによって違うぞ。玲奈ならもっと静かに刺してくるし、美月はこういう勝ち気なところがいいんだよ』
「……おまえ、本当に美月好きだな」
『そりゃ、ずっと使ってるからな』
航は笑ってから続けた。
『それに、俺の美月は実際に四つ続けて勝ってるんだぞ。勝ち誇るくらいいいだろ』
「それは、そうだけどさ」
直希は結果画面に目を戻した。
蓮司は一度、公式戦でこの美月に勝っている。
しかし、そこから続くカジュアルマッチは四戦全敗。
新しい《轟天拳》を使えるようになっても、まだ勝ち切れていない。
「……分かってたはずなのにな」
『通常の《轟天拳》では落とせたな』
「そう。でも、《破陣》中は左拳が先に出る。昨日の練習でも、それで蹴られたんだよ」
『なのに、また出した?』
「最初に普通の方が当たったから、つい同じ感覚で押した。昨日は蹴りを食らっても止まらなかったし」
『今日は止まったな』
「そうだね。航の美月に潰されました!」
直希は少し強く答えてから、息を吐いた。
航の指摘は正しい。
昨日うまくいったことを知っているだけでは、今日の失敗を防げなかった。
通常版なら右拳がすぐに出る。
《破陣》中は左拳から始まる。
その違いを、技表の説明ではなく、相手が跳んだ瞬間に思い出さなければならない。
それに、美月もこちらの新しい技を見て対応を変えている。
勝者セリフは厳しかったが、実際に四つ続けて勝っているのは航の美月だった。
『二つ目、行くか?』
「うん。今度は、地上でも試す」
『言っていいのか、それ』
「隠して一回当てるために、頼んだわけじゃないから」
『なるほどな。じゃあ、こっちも遠慮なく対策するぞ。五連勝、狙わせてもらうからな』
「……そう簡単には勝たせないから」
直希は二試合目を申し込み、航の受諾を待った。
画面の二人は競技用の回復を終え、体力もゲージも新しい試合の状態へ戻る。
前の試合で溜めた分を、次の《破陣》に使うことはできなかった。
二試合目も、先に間合いを支配したのは美月だった。
中距離から鋭く伸びた《弧月蹴》を蓮司は両腕で受け止めたが、今度は跳び込みを待つつもりはなかった。
美月が蹴り脚を引き戻す動きに合わせて踏み込み、《疾歩拳》の直拳を胴体へ突き込む。
「くっ……!」
美月もすぐに《迅条》で応じた。
踏み込みから放たれたストレートが蓮司の胸元を捉え、身体を押し戻したものの、蓮司は足を踏み直して近距離に踏みとどまった。
美月が続く攻撃を警戒して両腕を上げたところで、蓮司は拳を止め、相手の上腕と肩を押さえた。
美月が構えを保とうとする力を利用し、足を掛けながら前方へ押し込むと、踏ん張りきれなくなった美月が背中からリングへ倒れる。
《押し崩し》が決まった。
しかし、美月は倒されたまま蓮司の接近を許さなかった。
素早く身体を起こすと、追ってきた蓮司が拳を伸ばすよりも早く腰を回し、《旋牙》を振り抜いた。
「ぐっ……!」
横から叩き込まれた蹴りによって蓮司の前進が止まる。
それでも蓮司は構えを崩さず、美月が蹴り脚を引き戻すところへ再び踏み込んだ。
「っ……まだだ」
今度は直拳を胴体へ通し、美月の身体が折れたところへ肘打ちを重ねる。
さらに姿勢を崩した美月へ最後の蹴りを叩き込み、《連環打》を最後まで通した。
美月は大きく後退したものの、すぐに足を踏み直して両拳を上げた。
蓮司は蹴りを越えて拳を届かせ、近距離では投げも成功させた。
しかし、美月も反撃の機会を逃さず、接近してくる蓮司を蹴りで押し返している。
互いに攻撃を通しながらも、どちらも自分の得意な間合いを簡単には譲らなかった。
蓮司がもう一度踏み込もうとしたところへ、グローブが横から伸びた。
前へ置いていた腕を押し退けられ、上体が傾く。
その隙に美月が密着し、首と肩を固定した。
《月檻連膝》
「――くっ!」
腹へ膝が入る。
蓮司は身体を離そうとしたが、美月に上体を制され、次の一撃からも逃れられない。
連続する膝を受け、最後の強い打撃で息を押し出された。
拘束を解かれて足を踏み直したところへ、美月は短いストレートまで通してきた。
蓮司は両腕を構え直した。
今回も、先に追い込まれたのは自分だった。
蓮司は浅くなった呼吸を整えながら、美月との間合いを測った。
競技身体に備わる感覚から、自分と相手の残された戦闘余力が伝わってくる。RESONANCE ARTSを使えるだけの力も、すでに蓄積していた。
だが、状況は厳しい。
美月にはまだ四割ほどの余力があるのに対し、蓮司に残された力は二割を少し超える程度だった。
直希は、二段分に届いたゲージを確認した。
体力の減り方だけを見れば、前の試合と似ている。
それでも、直希は美月のいる高さと距離から目を離さなかった。
美月は地上にいる。短い蹴りが届く、近い位置だった。
直希はRESONANCE ARTS Lv2《破陣》を選択した。
蓮司は左足を半歩前へ出し、腰を低く落とした。
両拳を身体の近くへ引き寄せ、深く息を吸い込む。
踏みしめた足から腰へ、腰から背中、肩へと力が巡り、全身を包むように淡い光が浮かび上がった。
《破陣》
蓮司が息を吐くと同時に、淡い光が身体の輪郭に沿って流れ、足元へと収束する。
蓮司は左拳を前に置いたまま、右足で床を押して踏み込んだ。
先ほどまでより鋭く、力強い一歩だった。
美月はその変化を見逃さなかった。
「……《破陣》ね」
「ああ。ここから押し返す」
「そう簡単には近づけさせないわ」
美月は両拳を高く構え直し、前脚をわずかに動かした。
蓮司が近距離へ踏み込むのを待ち、美月は長く間合いを取る代わりに、その場から短い《弧月蹴》を繰り出そうとしていた。
直希は画面の美月が前脚を動かすところを見ていた。
距離は近い。美月も地上に残っている。
「ここなら、左が届く」
直希は簡単入力の中強度ではなく、練習で確かめた手動コマンドから小強度の《轟天拳》を選んだ。
大きく踏み込む必要はない。美月が蹴りを出そうとしている、この距離で二段攻撃を通すつもりだった。
美月の《弧月蹴》は、蓮司の左拳よりわずかに早かった。
鋭く伸びた蹴りが脇腹を捉え、低く沈んだ蓮司の身体へ強い衝撃が走る。
「ぐっ……!」
蓮司は確かにダメージを受けた。
だが、踏み込みの勢いまでは失わなかった。
《破陣・轟天拳》の始動中、打撃を受けても動作を継続できる短い区間に、美月の蹴りが重なっていた。
蓮司は身体を支える左足へ力を込め、蹴りを受けた姿勢から左拳を突き出した。
近くに残っていた美月の胴体を捉え、短い一撃で上体を起こす。
「っ……!」
美月の体勢が崩れた瞬間、蓮司は右足で床を強く蹴り、腰から背中、右肩へと力を連動させた。
右拳が斜め上へ鋭く突き上がる。
《破陣・轟天拳》。
「っ、あ……!」
二発目の右拳が美月を捉え、強烈な打撃によってその身体が高く打ち上がった。
蓮司は右拳を引き戻しながら、蹴りを受けた脇腹の痛みに顔をしかめた。
美月の攻撃を防ぎきれたわけではないが、打撃に耐えて左拳から右拳への二段攻撃を通すことはできた。
拳の届く間合いであれば、まだ十分に戦える。
美月がマットへ背中から落ち、すぐに身体を起こそうとするのを見て、蓮司は再び距離を詰めた。
先ほどと同じ近さまで踏み込めば、もう一度拳を届かせられると考えたからだ。
しかし、美月はその接近を待っていた。
蓮司が左拳を伸ばしかけた瞬間、美月はグローブでその腕を内側から押し流し、空いた懐へ素早く踏み込んだ。
「――っ!」
腕を引き戻す間もなく首と肩を捕らえられ、蓮司の上体が前方へ崩される。
踏ん張って身体を離そうとしたものの、美月はその動きを許さず、密着したまま膝を鋭く突き上げた。
「ぐっ……!」
腹部へ食い込んだ一撃に、蓮司の身体が折れた。
それでも右拳を引いて反撃を試みたが、首と肩を固定された姿勢では十分に力を込められない。
《破陣》による強化はまだ続いていたものの、それだけで美月の拘束から抜け出せるわけではなかった。
美月は蓮司の抵抗を抑えながら、さらに膝を重ねた。
《月檻連膝》
最後の膝が深く腹部へ突き刺さると、蓮司の脚から力が抜けた。
決着の合図が響き、美月はすぐに拘束を解いた。
蓮司はその場に踏みとどまろうとしたものの、もはや身体を支えきれず、美月の足元へ膝から崩れ落ちた。
K.O.
美月は荒くなった呼吸を整えながら、倒れた蓮司を見下ろした。
《破陣・轟天拳》を受けた美月にも、余裕はほとんど残っていなかった。
戦える力は四分の一を下回っている。それでも、最後に勝者として立っていたのは美月だった。
「……今の拳は、効いたわ」
美月は蓮司の右拳へ一度視線を向けた。
「正直、あそこまで打ち返してくるとは思わなかったわ」
「……ああ。だが、次は止められた」
「ええ。あなたがまた近づいてくるのは分かっていたもの」
蓮司は片膝を立て、ゆっくりと上体を起こした。
自分の拳を通したことで、もう一度同じ間合いへ入ろうとした。
しかし、美月は最初の二段攻撃を受けたあと、蓮司が再び接近する機会を逃さず、蹴りではなく腕を制することで勝負を決めた。
蓮司が攻め方を変えたように、美月もまた、目の前の相手に合わせて対応を変えていた。
「……拳が通ったから、もう一度いけると思った」
「そうね。でも、あなたの拳が届く距離なら、私の手も届くのよ」
美月はグローブを胸元へ戻し、蓮司をまっすぐ見下ろした。
「それにしても、これでカジュアルは私の五連勝ね」
「……ああ。五つとも、おまえに取られた」
「公式戦では一度負けたけれど、そのあとは全部私の勝ちよ。あなたも男の格闘家なのに、女の私にずいぶん負け続けているわね」
美月は口元に笑みを浮かべた。
「しかも、今回の負け方はどうだった?」
「……《月檻連膝》だ」
「ええ。あなたを引き寄せて、首と肩を押さえて、逃げられないようにしてから膝を入れたわ」
美月は自分の両腕へ軽く目を落とした。
「あの技、外から見たら私があなたを抱きしめているみたいに見えるでしょう?」
「……そう見えるかもしれないな」
「ふふ。じゃあ、聞かせて」
美月は少しだけ身をかがめ、蓮司と視線を合わせた。
「女の私に抱きしめられるみたいに捕まって、そのまま膝で倒された気分はどう?」
蓮司の奥歯が噛み合わされた。
技だと分かっている。
美月が自分を抱き寄せたのは、身体を固定して膝を通すためだ。
それでも、女性格闘家に間近で捕らえられ、力で振りほどくこともできずに倒された事実は、男としての自尊心を強く刺激した。
「……最悪だ。何も返せずに倒された」
「でしょうね」
美月は満足そうに微笑んだ。
「しかも、これで五回目のカジュアル勝利よ。新しい拳を覚えて、私に打ち込むところまではできたのに、最後はまた私に捕まったんだもの」
「……ああ。そこは認める」
「だったら、覚えておいて。私はあなたの技を試させるためだけに戦っているんじゃないの。今日も、あなたに勝つために戦ったのよ」
蓮司は美月を見上げた。
新しい拳を通した手応えはあった。
しかし、それをどう使うか考えている間に、美月は対処を変え、勝ちを奪っていった。
今日の二試合は、どちらも美月の勝利だった。
「……分かってる。おまえは勝つつもりで来ている」
「ええ。もちろんよ」
美月は背筋を伸ばし、もう一度両拳を握った。
「次も捕まえられたら、また同じように倒してあげるわ。六つ目も私が取るつもりだから」
蓮司はゆっくりと立ち上がった。
「……次は、その腕に捕まる前に止める」
「そう。できるものなら、やってみなさい」
美月の笑みは消えなかった。
試合結果が表示されると、画面は勝者である九条美月へ切り替わった。
美月はグローブを胸元に戻し、倒れた蓮司を見下ろしている。
先ほどの《月檻連膝》を決めたときとは違い、その口元には楽しそうな笑みが浮かんでいた。
『これでカジュアルは五連勝ね。新しい拳を覚えても、最後はまた私に捕まったでしょう?』
続いて、勝者セリフが字幕とともに表示される。
『ねえ、女の私に抱きしめられるみたいに捕まって、そのまま膝で倒された気分はどう?』
「……うわ」
直希は思わず声を漏らした。
「美月、さっきよりキツくなってない?」
『いいねえ! そういうところだよ!』
航の声は、明らかに嬉しそうだった。
「おまえ、めちゃくちゃ喜んでるじゃん」
『そりゃ喜ぶだろ。五連勝だぞ? しかも《月檻連膝》で決めたんだから』
「いや、勝ったのは分かるけどさ。抱きしめられた気分って……」
『実際、そう見えるだろ? あの技』
「見えるけど! だからって、わざわざ言う?」
『言うんだよ。それが美月のいいところじゃん』
航は笑いながら続けた。
『男相手に勝ったら、ちゃんと勝ち誇る。しかも今回は、あの近い距離で捕まえて倒したんだから、そりゃ刺すだろ』
「……俺、普通に悔しいんだけど」
『お、効いた?』
「効くよ。自分で操作して負けたんだから。しかも、あの言い方だと余計に」
『ははっ。いいじゃん。それだけ悔しかったら、次は捕まらないようにしろよ』
「簡単に言うなよ……」
直希は画面の美月を見た。
公式戦では一度勝っている。
だが、そこからカジュアルマッチで五連敗。
しかも今回は、新しく覚えた二段の拳を当てながら、最後には《月檻連膝》で捕まって負けた。
技としては、腕を制して首と肩を固定し、連続する膝蹴りで倒す攻撃だ。抱きしめているわけではない。
それでも、そう見えることまで勝者の美月に指摘されると、負けた悔しさが余計に大きくなった。
「……二段は当てられたけど、負けた」
直希は結果画面へ視線を戻した。
『あの蹴り、耐えられたな』
「そう。昨日とは違う場所でも通った。でも、もう一回近づこうとしたら捕まった」
『蹴って止まらないなら、別のことをするだろ』
「それ、何回もやられてるんだけどね」
『何回もやられてるから、そろそろ警戒しろって』
「してるつもりなんだよ。でも、拳が当たったら、もう一回いけるって思ったんだよ」
直希は苦笑しかけたが、すぐに表情を戻した。
新しい二段の拳が使えても、《月檻連膝》を警戒しなくてよくなるわけではない。
以前覚えたはずの注意点を、新しい技への期待が押しのけていた。
しかも美月は、こちらが打撃を耐えて反撃できると分かると、次は打撃で止めようとはしなかった。
「耐えられるから近づけばいい、じゃないんだな」
『何でも受けてくれるなら、俺も困るよ』
「技が始まってる間だけで、しかも打撃によるんだろうな。残りの体力もいるし」
『少なくとも、今みたいに腕を取られたら駄目だったな』
「……それはもう、十分分かった」
直希は小さく頷いた。
詳しい限界は分からない。
昨日は蹴りを受けても続き、今日は高い跳び込みに潰された。
一方で、近い位置の短い蹴りには耐え、二段を返せた。
強いという言葉一つでは、どの場面にも当てはめられなかった。
そして、その性能を覚えたからといって、美月が同じ攻めを繰り返してくれるわけでもない。
『で、三つ目は?』
「当然、やる」
『お、まだ来るか』
「当たり前だろ。五連敗のまま終わりたくないし」
『そうこなくちゃな』
航は上機嫌のまま答えた。
『ちなみに、俺は六連勝するつもりだから』
「……次は負けない」
直希はコントローラーを握り直した。
「今度は、使う技を分ける」
『じゃあ俺は、その使い分けも見てやる』
「それでまた勝者セリフに煽られるのは嫌だな……」
『だったら勝つしかないな!』
「そうだね。今度こそ勝つ」
直希は再び申請した。
航が受諾すると、画面の二人は競技用の回復を終え、体力もゲージも初期状態へ戻る。
二試合の敗北を持ったまま、三試合目だけは同じ失敗で終わらせたくなかった。