試合後の会話選択シーンの挿絵を見る。(pixiv)
試合結果シーンの挿絵をpixivに掲載しています。
試合結果シーンの挿絵を見る。(pixiv)
二試合目の決着後、勝敗を巡るやり取りが終わると、運営母体による競技用の回復処理が行われた。
蓮司と美月の身体に残っていた打撃の痛みと損傷は、一瞬で消えた。
次の試合に備えて戦闘状態が整えられ、二人は新たな一戦を迎えようとしていた。
蓮司が立ち上がると、美月は少し離れたところで待っていた。
「次で、今日最後の試合ね」
「ああ。今度こそ取る」
「ふふっ。ずいぶん強気ね」
美月は蓮司を見つめ、楽しそうに口元を緩めた。
「でも、あなた。前に三回、今日も二回。カジュアルマッチでは、私に五連敗しているのよ?」
「……ああ。分かってる」
「女の私に五回続けて負けて、それでも次こそ勝つって言うのね。男として、悔しくないの?」
「悔しいさ。だから、六度目は負けるつもりはない」
美月の笑みが深くなった。
「そう。なら、私も六連勝を狙わせてもらうわ」
美月はグローブを握り直し、蓮司を正面から見据えた。
「あなた、公式戦では一度、私に勝ったでしょう? でも、そのあと一度も私を倒せていないのよ」
「……そのとおりだ」
「ふふっ。ちゃんと分かっているのね」
美月は少しだけ顎を上げた。
「今度は拳を当てるだけじゃなく、私を倒してみせて。できるものなら、ね」
「ああ。今度こそおまえを倒す」
「いいわ。そのつもりで来なさい」
美月は勝ち誇った笑みを浮かべた。
「でも、最後に勝って立っているのは、また女の私よ」
蓮司は美月の勝ち誇った笑みを受け止め、左足を前へ出して構えを整えた。
公式戦では一度勝った相手に、カジュアルマッチでは五連敗。
今日も二試合続けて倒され、女性格闘家としての美月に六連勝を宣言されている。
悔しくないはずがなかった。
それでも、今日の二試合で何も得られなかったわけではない。
最初の試合では《天衝脚》で跳び込みを迎撃し、二試合目では地上から踏み込んできた美月へ《破陣・轟天拳》を通した。
ただし、攻撃が一度成功したからといって、次も同じように通じるとは限らない。
蓮司は両拳を構え直し、目の前の美月を見据えた。
五連敗を止めるためには、使いたい技を先に決めるのではなく、美月が実際にどう動くかを見て判断する必要があった。
三試合目が始まると、美月はそれまでとは違い、早い段階から跳び込みを仕掛けてきた。
蓮司が地上からの接近を警戒して構えていると、美月は斜め前へ踏み切り、長い脚を伸ばして迫ってきた。
蓮司はその跳躍を見て腰を低く沈め、右足で床を蹴る勢いに乗せて右拳を斜め上へ突き上げた。
《轟天拳》が美月の蹴りより先に届き、空中の身体を捉える。
「っ……!」
美月は大きく打ち上げられ、姿勢を崩したままリングへ落ちた。
蓮司は右拳を引き戻し、起き上がろうとする美月を見据えた。
しかし、美月は同じ攻め方を繰り返さなかった。
立ち上がるとすぐに地上から踏み込み、《迅条》のストレートを蓮司の胸元へ突き込んだ。
「がっ……!」
胸を打ち抜かれた蓮司の上体がのけぞる。
美月は追撃せずに身を引き、長い脚を生かせる間合いへ戻った。
蓮司はすぐに踏みとどまり、美月を追って距離を詰めようとした。
しかし、その動きを待っていたように美月の腰が鋭く回り、《旋牙》が横から襲いかかる。
踏み込みかけた蓮司は避けきれず、胴体へまともに蹴りを受けた。
重い衝撃に身体が横へ流れ、肺に残っていた息が押し出される。
蓮司は歯を食いしばって踏みとどまったが、再び美月との距離を広げられてしまった。
それでも相手が蹴り脚を引き戻すところを見逃さず、低い踏み込みから《疾歩拳》を放つ。
直拳が美月の胴体へ入り、ようやく相手を押し戻した。
蓮司はそこで攻撃を止めず、拳の届く間合いを維持しようとした。
だが、美月は下がらなかった。
蓮司が次の拳を伸ばそうとしたところへ、美月はグローブを添えて左腕を横へ押し流した。
生じた隙へ素早く踏み込み、蓮司が腕を戻すよりも早く首と肩を捕らえる。
「しまっ――!」
蓮司が抜けようと身体を引いた瞬間、美月の膝が腹部へ深く食い込んだ。
《月檻連膝》
腹部への衝撃で蓮司の身体が折れた。
首と肩を固定されているため、後ろへ逃げることも、十分に踏ん張ることもできない。
美月はその抵抗を抑えながら膝を重ね、最後には引き寄せた腹部へ強烈な一撃を突き込んだ。
「ぐあっ……!」
拘束を解かれた蓮司は大きく後退し、どうにか倒れずに踏みとどまった。
腹部の痛みで呼吸が乱れ、すぐには上体を起こしきれない。
しかし、美月の攻撃は終わっていなかった。
蓮司が構えを立て直そうとしたところへ《弧月蹴》が伸び、両腕の守りが整うよりも早く脇腹を捉える。
蓮司は短く息を詰まらせ、よろめきながらも足を踏み直した。
競技身体を通して感じ取れる残りの戦闘余力は、すでに二割を下回っている。
一方、美月にはまだ半分以上の力が残っていた。
最初の跳び込みこそ《轟天拳》で迎撃したものの、その後は美月の踏み込みと蹴りに主導権を奪われ、近距離でも《月檻連膝》によって大きく体力を削られていた。
蓮司は浅くなった呼吸を整えながら、美月の構えを見据えた。
直希はゲージを見た。
また、追い込まれてから二段分が溜まった。
美月の体力は自分の三倍ほど残っているが、ここでただ待っても状況は良くならない。
《破陣》を使い、蓮司を前へ出した。
航の美月が、それを迎えるように高く跳ぶ。
一試合目にも見た軌道だった。
指が《轟天拳》へ動きかけたところで、直希は選び直した。
あの高さへ左拳から始めれば、また先に蹴られる。
「こっちだ」
入力したのは、《天衝脚》だった。
美月の蹴りが頭上から迫るのを見て、蓮司は軸足を踏みしめた。
深く腰を沈める代わりに、その場から鋭く脚を蹴り上げる。
《天衝脚》が美月の蹴りより先に届き、空中の身体を弾いた。
「っ!」
美月は姿勢を崩しながらも着地し、すぐに両拳を構え直した。
蓮司も蹴り脚を引き戻し、美月の動きを見据える。
先ほど《轟天拳》で打ち上げたときほどの手応えはなかったが、美月の攻撃を受けずに迎撃できたことは大きかった。
蓮司の身体には、まだ《破陣》の淡い光が残っている。
美月は一度、蓮司の脚へ視線を落としたものの、再び跳び込もうとはしなかった。
今度は地上を蹴り、間合いを一気に詰めてくる。
《迅条》のストレートが蓮司の胸元へ伸びた。
しかし、蓮司は後退しなかった。
美月の拳が届くよりも早く、低く沈んだ姿勢から左拳を胴体へ突き込む。
踏み込みによって前へ出ていた美月の上体が、その一撃で跳ね上がった。
「くっ……!」
蓮司は間を置かず、右足で床を強く蹴った。
腰から背中、右肩へと力を伝え、全身の勢いを乗せて右拳を斜め上へ突き上げる。
《破陣・轟天拳》。
右拳が美月を捉え、強烈な打撃によって身体を高く打ち上げた。
「ぁ……っ!」
美月は空中で姿勢を立て直せず、背中からリングへ倒れ込んだ。
蓮司は右拳を引き戻し、深く息を吐いた。
高い位置から迫る美月には蹴りで応じ、地上から踏み込んできたところには拳を合わせた。
どちらも美月の攻撃を確かめてから選んだものだった。
しかし、蓮司自身にも余裕はなかった。
美月から受けた打撃によって戦闘余力は大きく削られており、これ以上の攻撃を受ければ、そのまま倒されかねない状態だった。
一方の美月も、二度の迎撃によって蓮司とほぼ同じ程度まで戦闘余力を失っていた。
立ち上がった美月が両拳を構えると、蓮司も左足を前に出し直した。
互いに次の攻防が決着につながりかねない状況で、二人は再び向き合った。
直希は、二人の短くなったHPバーを見た。
ほぼ並んでいる。先ほどまでの差はなくなっていた。
《破陣》の光が残る時間も、もう長くはない。
高い跳び込みには《天衝脚》を選べた。
続く地上の踏み込みには、二段の《破陣・轟天拳》を通した。
だから、今度こそ。
美月が前へ足を出す。
直希の頭に、航から見せてもらった動画が浮かんだ。
深く踏み込んできた相手を待ち、左拳を出さずに右拳だけで撃ち抜く《破陣・轟天拳・壊》。
今の体力なら、中の二段がもう一度当たっても勝てる。
それでも、大の手動コマンドを選ぶつもりで指を構えていた。
まだ、押さない。
美月が、もう一歩深く入るのを待つ。
しかし、相手の足は途中で止まった。
拳の届く位置まで身体を運ばず、その手前へ上体を残している。
直希には、その停止が見えていた。
それなのに、ここまで待ったのだから、次の瞬間には入ってくるはずだと考えた。
「今度こそ──」
直希は入力を終えた。
蓮司は腰を低く沈め、美月がさらに踏み込んでくると見込んで左拳を突き出した。
しかし、美月はすでに足を止め、蓮司の拳が届かない位置に身体を残していた。
左拳は空を切り、続けて放った右拳も、美月のわずか手前を突き抜ける。
《破陣・轟天拳》の二段攻撃を、どちらも外された。
美月は大きく後退したわけではなかった。
蓮司の拳が届かない間合いを保ちながら、二発目の右拳が伸び切る瞬間を待っていたのだ。
蓮司が右腕を引き戻そうとしたときには、美月はすでに腰を回していた。
《旋牙》
長い脚が横から鋭く振り抜かれ、無防備になった蓮司の側頭部を捉えた。
「ぐっ……!」
強烈な衝撃に蓮司の身体が傾く。
踏みとどまろうと足を動かしたものの、崩れた体勢を支えることはできず、そのままリングへ倒れ込んだ。
K.O.
美月は蹴り脚を下ろすと、肩を上下させながら大きく息を吐いた。
蓮司の拳は、美月をあと一歩のところまで追い詰めていた。
残された戦闘余力は二割にも満たず、最後の攻撃をまともに受けていれば、倒れていたのは美月だったかもしれない。
それでも、最後に勝負を決めたのは美月の蹴りだった。
美月は両拳を下ろし、リングの床へ倒れた蓮司を見つめた。
腹部には打撃を受けた痛みが残り、呼吸もまだ乱れている。
勝負が終わっても、身体に受けたダメージは消えなかった。
蓮司も、すぐには起き上がれなかった。
最後の《旋牙》を受けた側頭部には、鈍い痛みが残っていた。
腹部や脇腹にもそれまでの打撃の痛みがあり、蓮司は片手を床について身体を支えた。
何度か呼吸を繰り返し、ようやく顔を上げる。
その視線の先には、まだ肩で息をしている美月がいた。
消耗しきった様子は隠せない。
それでも彼女は倒れず、勝者として蓮司の前に立っていた。
「これで、今日の三試合は全部私の勝ちね」
「……ああ。三つとも取られた」
「それに、カジュアルは六連勝よ。公式戦では一度あなたに負けたけれど、そのあとは一度も負けていないわ」
美月はグローブを胸元へ戻し、口元に笑みを浮かべた。
「これが今の私とあなたの差よ。ランクの差は伊達じゃないわ」
蓮司は身体を起こし、片膝を立てた。腹部の痛みはまだ残っている。
「……そうだな。最後まで取れなかった」
「ええ。でも、最後の試合は危なかったわ。あと一度まともに拳をもらっていたら、倒れていたのは私だったかもしれない」
美月はそう認めると、自分の脇腹へ一度視線を落とした。
蓮司の拳が届いたところには、今も鈍い痛みが残っている。
決して余裕のある勝利ではなかった。
だからこそ、美月の笑みは深くなった。
「それでも、勝ったのは私よ」
「……ああ」
「あなた、今日は新しい拳を何度も見せてくれたわね。私の跳び込みを落として、蹴りを受けながら打ち返して。最後には、私を倒せるところまで追い詰めた」
美月は蓮司の右拳へ目を向けた。
「でも、最後の一撃は届かなかった」
蓮司の表情がわずかに硬くなる。
「……もっと深く来ると思った」
「来ると思った?」
美月は小さく首を傾げた。
「それとも、来てほしかったの間違いじゃない?」
「……っ」
「あなたが待っているのは分かったわ。だから、私はそこで止まったの」
美月は軽く前足を出し、先ほどの踏み込みを再現した。
身体を大きく動かすと腹部に痛みが響いたが、その程度で勝者としての笑みが消えることはなかった。
「私があなたの都合に合わせて、最後まで踏み込むと思った?」
「……いや。そこまで読めていなかった」
「そうでしょうね。あなたの拳が届く場所で戦ってあげる義理はないもの」
美月は足を戻し、蓮司を見下ろした。
「それで、男としてはどうなの?」
蓮司が顔を上げる。
「何がだ」
「女の私に六回続けて負けていることよ」
美月は勝者としての笑みを隠さなかった。
「一度は公式戦で私を倒した男が、そのあと六戦六敗。新しい必殺技まで覚えたのに、最後は私の蹴りで倒されたのよ」
少しだけ顎を上げる。
「ここまで女の私に勝てないなんて、男の格闘家として悔しくないの? それとも、もう私に負けることに慣れたのかしら?」
蓮司は奥歯を噛み合わせた。
六度続けて敗れた。
今回も三試合すべてを取られた。
最後の試合では、あと一撃まで追い詰めながら、その一撃を届かせられなかった。
しかも今、自分は美月の蹴りを受けた痛みを抱え、片膝をついたまま勝者を見上げている。
美月は腹部に拳の痛みを残しながらも、女の自分が男の蓮司に勝ったことを堂々と誇っていた。
蓮司にとって、その姿は悔しかった。
だが、敗北に慣れたつもりはない。
蓮司は美月から視線を逸らさなかった。
美月は勝者の笑みを浮かべたまま、その返答を待っていた。
直希は画面から目を離せなかった。
《CRITICAL》は出ていない。
《壊》の一撃もなかった。
入力した大の《破陣・轟天拳》は、二段とも空を切った。
『三つ、取ったぞ』
航の声で、直希はようやく息を吐いた。
「……全部負けたな」
『うん。最後のは危なかったけどな』
「並ぶところまでは行ったんだけどね」
『そこから取るつもりだったんだろ。俺も同じだよ』
セッションの結果が表示された。
《SPARRING SESSION RESULT》
《KUJO MIZUKI 3 WIN》
《KAMIYA RENJI 0 WIN》
《OFFICIAL RECORD:UNCHANGED》
公式の三勝十一敗は、そのままだった。
今日の三敗でRPが減ったわけでもない。
それでも、いま戦った三試合のうち、一つも取れなかったことは変わらなかった。
結果表示が切り替わり、勝者である九条美月が画面に映った。
美月はグローブを胸元へ戻し、倒れた蓮司を見下ろしていた。
身体には打ち合いの消耗が残っており、胸元が呼吸に合わせて上下している。
最後の試合で残された体力は、二割にも満たなかった。
それでも勝者として立っているのは美月だった。
蓮司の方は、まだ片膝をついている。
試合終了を境に二人の身体が健康な状態へ戻ったわけではない。
そして、勝者セリフが表示される。
『一度は公式戦で私を倒した男が、そのあと六戦六敗。それまで使ってなかった《轟天拳》まで使ったのに、最後は私の蹴りで倒されたのよ』
「……うわ」
直希の口から声が漏れた。
しかし、美月の言葉はまだ終わらない。
『ここまで女の私に勝てないなんて、男の格闘家として悔しくないの? それとも、もう私に負けることに慣れたのかしら?』
「……慣れるわけないだろ」
直希は思わず画面へ言い返した。
『ははっ! 効いてるなあ』
「航、笑い事じゃないって。六戦六敗って、わざわざ数えなくてもいいじゃん!」
『そりゃ数えるだろ。俺の美月が六連勝したんだから』
「しかも最後の言い方! 負けることに慣れたって……!」
『いいねえ。今日の締めにふさわしい勝者セリフだな』
「おまえ、満足しすぎじゃない?」
『そりゃ満足するよ。三試合全部勝ったし、最後はあそこまで削られても勝ち切ったんだぞ』
航の声は明らかに弾んでいた。
『それに、美月らしいじゃん。勝った相手にはちゃんと勝ち誇る。でも、相手が強くなったからって勝ちを譲るわけじゃない』
「分かるけど、実際に言われると結構悔しいんだよ」
『じゃあ、次は勝てばいいじゃん』
「簡単に言うなって……」
直希が息を吐いたところで、画面に新しい表示が現れた。
《POST-MATCH》
《会話意図を選択》
1.確かに今日の俺は女のおまえに負けた。それは認める。だけど俺は何度でもおまえに挑戦する。だからまた俺と戦ってくれ。
2.今日のおまえが強かったことは認める。今回は俺の負けだ。
3.俺が公式戦でおまえに勝ったことは変わらない。次も戦うだけだ。
「……あ」
直希は三つの選択肢を見比べた。
二番なら、今日の敗北を素直に認めて終わることができる。
三番も、言っていること自体は間違っていない。公式戦で一度勝った事実は消えないのだから。
しかし、いまそれを持ち出せば、六連敗したことから目を逸らしているようにも聞こえる。
直希の指は、一番のところで止まった。
『どうした?』
「いや、会話の選択肢が出た」
『こっちは、おまえの会話意図の選択待ちって表示されてる』
「……これにする」
直希は一番を選んだ。
六度負けた。
その事実は否定しない。
それでも、もう戦いたくないとは思わなかった。
この美月に勝ちたい。
公式戦で一度勝ったから十分だとも、ランクが違うから仕方ないとも思いたくなかった。
画面の蓮司が、美月を正面から見た。
「……今日も、おまえの勝ちだ」
落ち着いた声だった。
「女のおまえに六度続けて負けた。男として悔しいし、恥ずかしい。その結果は認める」
美月は黙って聞いている。
「だが、それで終わりにするつもりはない」
蓮司は片膝に力を込めた。
最後の《旋牙》を受けた側頭部が鈍く疼き、腹部にもそれまでの打撃の痛みが残っていた。
それでも蓮司はゆっくりと立ち上がり、美月と目の高さを合わせた。
「何度でもおまえに挑む。だから、また俺と戦ってくれ」
「……おお」
直希は小さく声を上げた。
自分が選んだ意図だったが、蓮司が言葉にすると、思っていた以上に強い決意として聞こえた。
『……ちょっと待て』
通話の向こうで、航が妙な声を出した。
「どうした?」
『今、こっちの選択肢が出た』
「美月の返答?」
『そうなんだけどさ……』
航は表示された三つの選択肢を見つめていた。
《POST-MATCH》
《返答意図を選択》
1.呆れた。まだ私に挑戦するつもりなんだ? いいわ、いくらでもかかって来なさい。
2.まだ私に負け足りないんだ? いいわ、またあなたの男としてのプライドを折ってあげる。
3.まだ私に挑戦するつもりなの? 男の意地ってやつなの? なら私も女として何度でもあなたのプライドを砕いてあげる。
『…………』
「航?」
『……なんだ、これ』
「え?」
『全部、同じ方向じゃない?』
「何が?」
『全部、また戦うって言ってるんだけど』
「そりゃ、再戦の返答だからじゃない?」
『いや、そうなんだけどさ!』
航はもう一度、選択肢を上から読み直した。
一番。呆れながらも、何度でも挑戦を受ける。
二番。まだ負け足りないのかと煽り、再び男のプライドを折る。
三番。男の意地を正面から受けて、女として何度でもプライドを砕く。
言葉は違う。
違うのだが、どれも美月が蓮司の再挑戦を受け入れる方向だった。
『……え、何これ。六連勝した美月が、まだ勝負する気満々なんだけど』
「いいじゃん。次も戦えるってことでしょ?」
『いや、そうなんだけど……』
航はしばらく選択肢を見つめた。
頭の中が、すっかり宇宙猫になっていた。
『……すげえな、この選択肢』
「何がそんなに?」
『いや、何でもない』
航は三番へカーソルを合わせた。
せっかく六連勝したのだ。
そして、直希の蓮司は六度負けても、まだ美月に勝ちたいと言っている。
ならば、こちらも中途半端な返答をする必要はない。
『……よし。これだ』
「何選んだ?」
『一番きついやつ選んだ』
「えっ!?」
航が三番を決定した。
画面の美月が、蓮司を見つめる。
「……まだ私に挑戦するつもりなの?」
わずかに目を細めた。
「六つ続けて負けても、諦めない。そういう男の意地ってこと?」
「ああ」
蓮司は即答した。
「次は勝つつもりだ」
美月はしばらく蓮司を見ていた。
腹部には、蓮司の拳を受けた痛みが残っている。
あと一撃で倒されかねなかった試合を終えたばかりなのだから、無理もなかった。
それでも、目の前の男がまだ自分に勝ちたいと言っていることは、美月にとって嬉しかった。
彼女は口元に笑みを浮かべた。
「……いいわ」
その声には、勝者としての余裕が残っていた。
「だったら、私も女として何度でもあなたのプライドを砕いてあげる。次に戦うときも、勝ちは譲らないわ」
「……望むところだ」
美月は満足そうに笑った。
蓮司の身体には、まだ打ち合いの痛みが残っている。
美月もまた、拳を受けた腹部に鈍い痛みを感じていた。
それでも二人は視線を逸らさず、次の勝負でも相手を倒すつもりで向き合っていた。
直希は画面に映る二人を見つめた。
六連敗した蓮司が再戦を求め、美月は女性勝者として何度でも勝つと応じた。
自分が選んだ会話意図だった。
それでも、蓮司が実際にその言葉を口にすると、単にもう一度対戦したいと伝える以上の重みが感じられた。
「……航」
『ん?』
「次は絶対、一つ取りたい」
『取れるなら取ってみろよ。こっちも負けるつもりないからさ』
直希は小さく頷いた。
訓練区画では、蓮司と美月が試合後の痛みを残したまま向かい合っていた。
最後の《旋牙》を受けた蓮司の側頭部には、まだ鈍い痛みがある。
腹部や脇腹にもそれまでの打撃の衝撃が残り、深く呼吸するたびに身体が疼いた。
美月も決して無傷ではなかった。蓮司の拳で打ち上げられたときの衝撃が腹部に残り、長い脚で勝負を決めたあとも、息を整えるのに時間がかかっていた。
「ねえ、蓮司。ひとつ確認していい?」
「何だ」
「今日の三試合、玲奈との再戦に備えるためだったのでしょう?」
「そのつもりで新しい技を試したのは確かだ」
蓮司はそう認めてから、美月を正面から見た。
「だが、試合が始まれば倒そうとしていたのはおまえだ。練習だから負けてもいいなんて、一度も考えていない」
「……そう」
美月は短く頷いた。
「なら、よかったわ」
その答えには、先ほどまでの勝ち誇った響きとは少し違うものがあった。
「私ね、長い間、男性選手のスパーリングパートナーを務めていたの」
「ああ。前にも聞いた」
「いい練習になったと言ってもらえるのは嬉しかったわ。相手の役に立てたということだから。でも、私が勝ったときも、その人にとっては次の試合へ向けた練習の成果として終わることがあったの」
美月は一度、自分のグローブへ目を落とした。
「私は勝ったことが嬉しかったのに、相手はもう次の試合のことを考えている。もちろん、それが仕事だって分かっていたけれど……少し物足りなかったわ」
蓮司は口を挟まなかった。
美月は顔を上げ、彼の目を見た。
「だから、今日の勝負まで、玲奈に挑むための練習だけで終わらせてほしくなかったの」
「終わらせるつもりはない」
蓮司は迷わず答えた。
「俺はおまえに勝ちたかった。最後も倒せると思って拳を出した。だが、おまえは踏み込みを止めて、俺の攻撃を外した」
「ええ」
「そこで読み負けた。今日の三つは、おまえに勝とうとして、おまえに取られたんだ」
美月の口元に、ゆっくりと笑みが戻った。
「……ふふっ。そう言ってもらえると、嬉しいわね」
彼女は蓮司が敗北を認めたことだけを喜んでいるわけではなかった。
蓮司は自分との勝負を、次の誰かに勝つための準備だけで終わらせようとしていない。
六度続けて負けても、自分を倒したいと望んでいる。
その男に、今日も女の自分が勝った。
美月にとって、それは誰かの練習成果ではなく、ほかの誰でもない自分自身の勝利だった。
「……なら、次も本気で来なさい」
「ああ。そのつもりだ」
「私も遠慮しないわ。次に戦うときも、あなたを倒すつもりでいるから」
「分かってる」
美月は満足そうに頷いた。
「それで、玲奈には挑むのね?」
「挑むつもりだ。だが、今すぐどうするかは決めていない」
「そう。なら、次に向かい合うときは勝ってきなさい」
「……応援してくれるのか?」
「あなたが勝つつもりで行くと言ったからよ」
美月は少しだけ顎を上げた。
「でも、玲奈に勝っても、私との六敗が消えるわけじゃないからね」
「……ああ。そこは忘れない」
「ふふっ。それならいいわ」
美月は片手を軽く上げ、訓練区画の出口へ歩き出した。
腹部にはまだ痛みが残っている。それでも、蓮司を倒した喜びは薄れなかった。
出口を通過した瞬間、運営母体による競技用の回復処理が働き、身体に残っていた損傷と疲労が一瞬で消えた。
美月は軽く息を吐き、健康な状態へ戻った身体を確かめた。
試合の痛みは消えても、六度目の勝利を掴んだ記憶は鮮やかなままだった。
一方、蓮司はしばらくその場に残っていた。
最後の《旋牙》を受けた側頭部は、まだ痛んでいる。
その痛みも、女性格闘家に六連敗した悔しさも、今は確かに自分のものだった。
蓮司はゆっくりと出口へ歩き出した。
美月が最後に止めた一歩。
来てほしかった場所へ、相手は来なかった。
次に戦うなら、その一歩をどう引き出すのか。
あるいは、踏み込んでこないと分かった時点で、何を選ぶべきなのか。
訓練区画を退出すると、蓮司にも運営母体の回復処理が行われた。
側頭部や腹部に残っていた痛みが消え、損傷した身体も瞬く間に健康な状態へ戻る。
蓮司は足を止め、右拳を軽く握った。
身体は元に戻った。だが、最後に空を切った二つの拳と、直後に受けた美月の蹴りは忘れない。
次は、あの場面で別の答えを出したかった。
対戦画面を閉じたあとも、直希と航の通話は続いていた。
『最後、《壊》を狙っただろ』
「……分かった?」
『待ち方が変わったからな。途中で美月が足を止めたのも、見えてたんじゃないか?』
「うん。見えてた」
直希は最後の攻防を思い返した。
それまでの試合では、相手の動きを見てから《天衝脚》と《破陣・轟天拳》を選べていた。
最後だけは違う。
美月が止まったことに気づきながら、もう一歩来るはずだと決めつけた。
「……《壊》を出したかったんだよ」
『まあ、気持ちは分かるけどな』
「でも、技を出すことが先になったら駄目なんだよね。今日、それで負けたんだから」
『そこまで分かってるなら、次はもう少しやれるんじゃないか?』
「そうだといいけど」
直希は苦笑した。
一試合目では三割ほど残され、二試合目では四分の一を切るところまで削った。
最後の試合では、あと一撃で倒せるところまで追い詰めている。
だが、勝負を取りきったのは三度とも航だった。
『三つとも勝ったけど、こっちだって途中で戦い方を変えたからな』
「うん。最後は、俺が待ってるところへ入ってこなかった」
『分かってても止められるとは限らないぞ』
「そうだよね。だから、また練習したい」
『もちろん。次も勝つつもりでやるからな。それに、また美月が蓮司の男としてのプライドを折るところも見たいし』
「……おまえ、そっちも楽しみにしてるの?」
『そりゃそうだろ。六連勝して、あんなに嬉しそうに勝ち誇ってるんだぞ。次はどんなこと言うのか、気になるじゃん』
「……俺は、もう言われたくないんだけど」
『だったら、次こそ勝てよ』
航は楽しそうに笑った。
直希も小さく笑い、メニューへ戻った。
そこには、再戦制限が解除された玲奈のCHARACTER IDも表示されている。
『このあと行くのか?』
「今日は送らない」
『《壊》が出るまで待つつもりか?』
「それは違うよ。出せるようにはなりたいけど、そればっかり狙ってたら今日と同じだろ」
直希はカーソルを止めた。
「玲奈と戦うなら、相手が何をしてくるか見て、ちゃんと技を選べるようにしたい」
『向こうだって、最初に戦った頃と同じじゃないだろうしな』
「うん。それに、航の美月にもまだ六連敗したままだし」
『ははっ。そっちも取り返したいか』
「当たり前だよ」
直希は即答した。
今日の三試合で覚えたことは多い。だが、勝てなかったことも事実だった。
そういえば、ゲーム内のニュースに、おまえが最近挙げた二勝が載ってたぞ』
「同位体の蓮司と、別IDの美月?」
『そう。玲奈に五連敗した話も一緒に載ってた』
「……そっちも載るのか」
『そのあと、別の相手に二つ勝ったって記事だからな』
「だったら、次は玲奈にも勝ったって載りたいな」
『まず勝ってからだろ』
「分かってるって」
直希は苦笑し、玲奈への再戦申請を送らずにメニューを閉じた。
《破陣・轟天拳・壊》は、今日も一度も成立しなかった。
だが、今の直希には、それ以上に確かめたいことがある。
高い跳び込みを迎撃するとき、地上から踏み込んできた相手を捉えるとき。
そして、相手が来ると思った場所へ来なかったとき。
それぞれの場面で、自分は何を選ぶべきなのか。
次は最後の一撃まで、目の前の相手を見て戦いたかった。
直希はそのことを考えながら、コントローラーを置いた。