RESONANCE ARENA   作:エーアイ

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試合開始前の直希、蓮司、玲奈、凛花の挿絵をpixivに掲載しています。
試合開始前の直希、蓮司、玲奈、凛花の挿絵を見る。(pixiv)

ラウンド1決着シーンの挿絵をpixivに掲載しています。
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第19話 瀬川直希は、無敗の玲奈に挑戦する(前編)

 朝倉凛花が九連勝を達成し、神谷蓮司からの指名対戦申請を受け取る少し前。

 

 瀬川直希は自室のモニターで、前夜のカジュアルマッチのリプレイを見返していた。

 昨夜は佐久間航が操作する九条美月と三試合を戦い、すべて敗れている。

 直希が映像を止めたのは、最後の試合で勝負が決まる直前の場面だった。

 画面には、神谷蓮司が右拳を斜め上へ振り抜いた姿が映っていた。

 

《破陣・轟天拳》

 

 左拳で相手の姿勢を崩し、続く右拳で打ち上げる二段攻撃だ。

 しかし、どちらの拳も美月を捉えていなかった。

 航が操作する美月は、蓮司の間合いへ踏み込むと見せかけ、その手前で足を止めていた。

 蓮司の左拳は届かず、続けて突き上げた右拳も、美月の身体から離れた空間を通り過ぎている。

 

「……見えてたんだよな、止まったの」

 

 直希はリプレイを少し巻き戻し、最後の攻防をもう一度再生した。

 美月は確かに前へ出ようとしていた。

 だが、蓮司の拳が届く位置まで踏み込む前に足を止め、こちらの反応を確かめている。

 

 直希も、その動きには気づいていた。

 

 それなのに、もう一歩踏み込んでくるはずだと決めつけ、《破陣・轟天拳》の大強度を入力してしまった。

 航から見せてもらった《破陣・轟天拳・壊》の映像が、頭に残っていたからだ。

 相手の攻撃をぎりぎりまで引きつけ、一発の右拳で打ち上げる。

 あの技を自分でも出してみたいという気持ちが、目の前の美月の動きを見て判断することよりも先に立っていた。

 結果として《壊》は成立せず、通常の二段攻撃が空を切った。

 その大きな隙を逃さなかった美月は、腰を鋭く回して《旋牙》を振り抜き、蓮司を倒している。

 直希は映像を止め、背もたれに身体を預けた。

 

「……あそこで出さなきゃよかったんだよな」

 

 昨日の三試合は、すべて航の勝利だった。

 もっとも、何もできずに負け続けたわけではない。

 最初の試合より二試合目、二試合目より三試合目と、美月の体力を削れる場面は増えていた。

 通常の《轟天拳》で跳び込みを迎撃し、《破陣》中には《天衝脚》との使い分けも試した。

 地上から踏み込んでくる美月へ、二段の《破陣・轟天拳》を通すこともできている。

 それでも、最後の一撃を当てられなかった。

 

 美月の残り体力は二割にも満たなかった。

 無理に《壊》を狙わなくても、相手の動きを見て攻撃を選べば、勝てる可能性は十分にあったはずだ。

 だが、直希はそこで技を選ぶ順番を間違えた。

 相手が何をしてくるかを見てから技を決めるのではなく、出したい技を先に決め、その技が当たる場所へ美月が来ることを期待してしまったのだ。

 

「……次は、ちゃんと見てから決めないとな」

 

 直希はもう一度、画面に映る美月の足元を見た。

 自分が待っていた場所へ、相手が必ず来てくれるわけではない。

 昨夜の敗北は、そのことを改めて教えてくれていた。

 

 直希はリプレイの再生を止め、別の対戦履歴を開いた。

 選んだのは、『RESONANCE ARENA』を始めた初日の記録だった。

 

《KAMIYA RENJI》

《VS KIRYU REINA》

 

 相手は、最初の日に五度続けて敗れた桐生玲奈だ。

 初めの四試合では一ラウンドも奪えず、攻撃を当てることさえ難しかった。

 五試合目になってようやく《一閃轟破》を通し、初めて一ラウンドを取ることができたものの、最終的にはその試合も敗れている。

 

 直希は五試合の中から一つを選び、リプレイを再生した。

 

 画面の蓮司が距離を詰めようとすると、玲奈は《霞歩》で攻撃線から外れ、踏み込みによって生まれた隙へ掌底を返してくる。

 直希が追いかければ、玲奈は再び角度を変えて攻撃をかわし、逆にこちらが足を止めれば、今度は玲奈の方から間合いを詰めてきた。

 当時の直希は、どうすれば拳を届かせられるのか分からず、攻めても守っても玲奈に主導権を握られていた。

 

「……この玲奈、やっぱり上手いな」

 

 直希は画面を見つめながら、思わず呟いた。

 今なら、玲奈がなぜその場面で《霞歩》を使い、どのタイミングで反撃を選んでいたのか、以前より理解できる。

 航の美月とのカジュアルマッチでも、相手の動きを見て技を選ぶことの重要性を学んだ。

 少なくとも、最初の日のように、ただ拳を届かせようとして追いかけるだけでは勝てないことは分かっている。

 しかし、リプレイを見ながら相手の判断を理解することと、実際の試合でその動きに対応することは別だった。

 玲奈は一度攻撃を外したあとも、こちらがどう動くかを見て次の攻め方を選んでいる。

 直希が以前より上達したからといって、同じ攻撃を繰り返してくれる相手ではない。

 

 直希はリプレイを止め、対戦履歴から玲奈の相手情報を開いた。

 

《KIRYU REINA》

《OFFICIAL RANK:GOLD 3》

《ID指定公式再戦:申請可能》

 

 以前は五試合の連戦上限に達したことで、同じCHARACTER IDへの再戦申請が制限されていた。

 だが、その後に別の相手との公式戦を重ね、現在は指定再戦の条件を満たしている。

 画面には、申請可能になった玲奈のCHARACTER IDが表示されていた。

 もっとも、再戦できるようになったからといって、勝てるようになったわけではない。

 

 相手はGOLD 3。

 ROOKIE 3の直希とは、依然として大きなランク差がある。

 初日の五連敗から少しずつ勝ち方を覚えてきたとはいえ、あの玲奈に勝つためには、まだ足りないものがあると直希は感じていた。

 

「……もう一回、戦いたいんだけどな」

 

 五試合目で《一閃轟破》を通し、ようやく一ラウンドを奪ったときの嬉しさは今も覚えている。

 それでも、次に欲しいのはラウンドではなく、試合そのものの勝利だった。

 五度敗れたあの玲奈に、いつか勝ちたいという気持ちは変わっていない。

 

 ただ、昨夜の美月戦を振り返ると、まだ十分な準備ができているとは思えなかった。

《破陣・轟天拳・壊》を狙って判断を誤ったように、相手の動きを見て技を選ぶことも、状況に応じて《轟天拳》と《天衝脚》を使い分けることも、実戦ではまだ迷いが残る。

 

「いきなり、あの玲奈に行っていいのかな……」

 

 直希は再戦申請の項目を見つめた。

 負けることが怖くて挑戦をためらっているわけではない。

 今までも何度も負けてきたし、そのたびに次は勝とうと考えてきた。

 それでも、初日の五連敗と同じように、相手の動きに対応できないまま試合を終えるのは避けたかった。

 せめて今の自分が、桐生玲奈の攻撃にどこまで対応できるようになったのか。

 それを確かめてから、あのGOLD 3の玲奈へ挑みたかった。

 そのために、まず別の桐生玲奈と戦ってみるのはどうだろうか? 

 

 同じアーキタイプなら、《霞歩》や《穿月掌》といった技は共通している。

 五度敗れた玲奈とは別のCHARACTER IDでも、今の自分がそれらの技にどこまで対応できるかは確かめられるはずだった。

 もっとも、同じ技を使うからといって、同じ戦い方をするとは限らない。

 

 航が操作する九条美月と、以前公式戦で勝利した別IDの美月も、同じアーキタイプでありながら攻め方が違っていた。

 使える技や基本の構えが共通していても、操作するPLAYERとAIキャラクターが積み重ねた経験によって、試合中の判断は変わってくる。

 だから、別IDの玲奈に勝てたとしても、五度敗れたあの玲奈に勝てる保証にはならない。

 それでも、桐生玲奈というアーキタイプに対して、今の自分がどこまで戦えるのかを試す意味はあるはずだった。

 

《霞歩》で攻撃を外されたとき、以前のように無理に追いかけず、相手の次の動きを見て対応できるだろうか。

 掌底や蹴りを受けても焦らず、距離とタイミングに応じて技を選び直せるだろうか。

 そして何より、今の自分の蓮司で、桐生玲奈というアーキタイプから一試合を取り切れるのか。

 直希はしばらく申請画面を見つめてから、カーソルを動かした。

 

「……別IDの玲奈と、一回戦ってみようかな」

 

 直希はID指定再戦の画面を閉じ、RANKED MATCHの候補検索を開いた。

 通常の対戦候補は、現在のランクに近い相手から表示される。

 その検索条件で、使用キャラクターを指定した。

 

《CHARACTER:KIRYU REINA》

 

 候補の一覧が切り替わった。

 同じ桐生玲奈のアーキタイプでも、ランクや公開戦績、CHARACTER IDはそれぞれ違う。

 直希は一件ずつ目を通した。

 

 その途中で、指が止まった。

 

《KIRYU REINA》

《OFFICIAL RANK:ROOKIE 1》

《OFFICIAL RECORD:9 WIN / 0 LOSS》

 

「……九勝、零敗?」

 

 直希は数字を見直した。

 無敗。しかもROOKIE 1。

 自分より二つ上のディビジョンにいる。

 

 キャラクターの表示を開くと、白と赤紫の衣装を着た玲奈が映った。

 袖のない上衣。腰から流れる短い布。

 長い黒髪は片側の高い位置で結ばれ、赤紫の花飾りがついている。

 

「……この衣装、初めて見る」

 

 最初に五連敗した玲奈は、白と翡翠色の戦闘服だった。

 一方、今回の玲奈は髪型も衣装も違う。

 顔立ちや構えには確かに見覚えがあるものの、表示されたCHARACTER IDは、以前戦った玲奈とは一致していなかった。

 同じ桐生玲奈というアーキタイプを持ちながら、それぞれ異なる経験と戦績を積み重ねてきた別のAI格闘家だ。

 戦闘服が変わっても、桐生式連環武術の基本性能まで別物になるわけではない。

 ただし、同じ技を使えても、どの場面で何を選ぶかはプレイヤーによって違う。

 

 直希は、画面に映る玲奈の構えを改めて見つめた。

 

「……九連勝してるなら、強いよな」

 

 直希は少し迷った。

 玲奈に勝てるか試したいのなら、もっと戦績の近い相手を探す方法もある。

 しかし、勝ちやすそうな玲奈を探しているわけではなかった。

 

 相手のランクが高く、公式戦で一度も負けていない。

 それでも、通常マッチングの対象になる距離にいる。

 いま挑める玲奈としては、十分すぎる相手だった。

 

「……この人にしよう」

 

 直希は相手のCHARACTER IDを確認し、対戦申請を送った。

 

《CHALLENGE REQUEST SENT》

《WAITING FOR ACCEPTANCE》

 

 申請しただけでは、まだ試合にならない。

 直希はコントローラーを置かず、相手の返事を待った。

 


 

 同じ頃。

 朝倉凛花は、対戦申請の画面を見つめていた。

 

《CHALLENGER》

《KAMIYA RENJI》

《OFFICIAL RANK:ROOKIE 3》

《OFFICIAL RECORD:3 WIN / 11 LOSS》

 

 さっき倒した御堂レンとは違う相手だった。

 凛花の玲奈は、九勝零敗。

 次に勝てば、獲得RPがBRONZE 5の境界へ届く見込みだ。

 

 神谷蓮司というアーキタイプには、以前にも勝ったことがある。

 だが、そのときの蓮司とはCHARACTER IDが違う。

 この三勝十一敗の蓮司を操作する相手が、どんな戦い方をするかは分からなかった。

 

「……無敗の玲奈に、わざわざ挑んでくるんだ」

 

 凛花は少し楽しそうに笑った。

 相手はROOKIE 3、公式三勝十一敗。

 だが、シャルロットでSILVER 2まで戦ってきた凛花は、表示されたランクや戦績だけで相手の実力を決めつけるつもりはなかった。

 それでも、九連勝中の自分の玲奈を指名してきた以上、相手にも勝つつもりがあるのだろう。

 

「……いい度胸じゃん」

 

 凛花の笑みが深くなった。

 

「いいよ。返り討ちにしてあげる。十勝目は、私の玲奈がもらうから」

 

 凛花は迷わず受諾を決定した。

 

《MATCH ACCEPTED》

《RANKED MATCH CONFIRMED》

 


 

 直希の画面にも、対戦成立の通知が届いた。

 

《RANKED MATCH》

《KAMIYA RENJI ROOKIE 3》

《VS》

《KIRYU REINA ROOKIE 1》

 

「……受けてくれた」

 

 直希はコントローラーを握り直した。

 無敗の玲奈を相手に、どこまで通用するか。

 いま答えを出すのは、自分の操作だった。

 


 

 公式アリーナ。

 

 運営母体から対戦成立の通知を受け、公式アリーナへ転送された神谷蓮司は、自分の挑戦を受けた女性格闘家へ目を向けた。

 

 桐生玲奈。

 

 その顔を見た瞬間、蓮司の脳裏に初日の五試合がよみがえった。

 何度踏み込んでも《霞歩》で攻撃を外され、空いたところへ掌底や蹴りを返された。

 四試合続けて一ラウンドも取れず、五試合目になってようやく《一閃轟破》を通したものの、最後には再び倒されている。

 

 あの女性に一度も勝てなかった悔しさは、今も忘れていない。

 

 だからこそ、別のRESONANCE IDを持つ桐生玲奈を見つけたとき、蓮司は自分から公式戦を申し込んだ。

 もちろん、目の前にいる玲奈は、あの五試合を戦った相手ではない。

 白と赤紫を基調とした軽装の戦闘服に、片側の高い位置で結んだ長い黒髪。

 赤紫の花飾りが添えられた姿は、初日に戦った玲奈とは異なっている。

 

 同じ桐生玲奈というアーキタイプでも、RESONANCE IDが違えば、積み重ねてきた経験も戦績も別のものだ。

 蓮司はそのことを理解したうえで、今回の対戦相手に彼女を選んでいた。

 

 蓮司は玲奈の顔から視線を下ろし、足元と肩の位置を確かめた。

 正面からの打撃に対して、いつでも身体の軸を外せるように構えている。

 初日に何度も攻撃をかわされた、あの動きを思い出させる立ち方だった。

 だが、構えが似ているからといって、同じ間合いで《霞歩》を使ってくるとは限らない。

 五度敗れた玲奈の動きを覚えていることと、目の前の玲奈の戦い方を知っていることは別だ。

 

 蓮司は静かに息を吐き、相手を見据えた。

 

「挑戦を受けてくれて、感謝する」

 

「こちらこそ。わざわざ私を選んでくれたんですもの」

 

 玲奈は穏やかに微笑んだが、その目には、これから始まる勝負への期待と、相手を試すような光が浮かんでいた。

 

「でも、一つ聞いてもいいかしら?」

 

「ああ」

 

「あなたの公式戦績、三勝十一敗なのよね。ランクもROOKIE 3。もちろん、私が九戦九勝で、まだ一度も負けていないことは知っているでしょう?」

 

「……ああ。承知してる」

 

 蓮司が頷くと、玲奈は少し楽しそうに目を細めた。

 

「それなのに、わざわざ私を指名するなんて。あなた、負けるのが趣味なの?」

 

 柔らかな声だったが、言葉には遠慮がなかった。

 蓮司は玲奈を見据えたまま、静かに答えた。

 

「負けたいわけじゃない。おまえに勝つために申し込んだ」

 

「あら。十一回も負けているのに?」

 

「……十一回負けたからって、十二回目も負けるとは限らないだろう?」

 

「……ええ。そのとおりね」

 

 玲奈は小さく笑った。

 

「いいわ。そういう人、嫌いじゃないもの」

 

 そして、蓮司の構えへ視線を向けた。

 

「実は、前にも神谷蓮司の同位体と公式戦で戦ったことがあるの。あなたとは別のRESONANCE IDを持つ人よ」

 

「……そうか。そいつにも勝ったのか?」

 

「ええ。その人にも勝ったわ。でも、あなたとは別人だもの。同じように勝てるとは思っていないわ」

 

 玲奈はそう答えながら、一歩だけ足を引いて構えを整えた。

 

「でも、私が九試合続けて勝ってきたことも事実よ。今回も勝って、十連勝にするつもりだから」

 

「……俺は、その十連勝を止めるつもりだ」

 

「あら、頼もしいこと」

 

 玲奈の笑みが深くなった。

 

「だったら、見せてちょうだい。十一回負けても私に挑んできた、あなた自身の戦い方を」

 

「ああ。見せてやる」

 

 蓮司は左足を前に出し、両拳を上げた。

 玲奈の言葉は挑発的だったが、彼女が本気で勝つつもりでいることは伝わってきた。

 九戦無敗という戦績は、実際に九人の相手を倒して積み重ねたものだ。

 その自信を、単なる強がりだと片づけるつもりはなかった。

 

 蓮司には、初日に別の玲奈へ五度続けて敗れた記憶がある。

 しかし、その悔しさを目の前の女性へ押しつけるつもりはない。

 今回の玲奈がどんな攻め方をするのかは、実際に拳を交えて確かめるしかなかった。

 自分から挑戦し、相手はそれを受けた。

 ならば、あとは互いの技で決着をつけるだけだった。

 

「……行くぞ」

 

「ええ。楽しみにしているわ」

 

 玲奈も両手を構え、蓮司の最初の動きを待った。

 開始の合図が響いた。

 


 

 第一ラウンド。

 

 最初に動いたのは、玲奈だった。

 玲奈は間合いを測ると、蓮司が前へ出るより先に身体を横へ流した。

 長い脚が弧を描いて伸びる。

 

《流燕脚》

 

「……っ!」

 

 蓮司は両腕を寄せ、迫ってきた蹴りを受け止めた。

 腕に重い衝撃が伝わり、踏ん張った足がわずかに後ろへ下がる。

 その隙を、玲奈は見逃さなかった。

 蹴り脚を素早く引き戻すと、蓮司が構えを整えるより早く間合いを詰め、低く沈めた腰から《穿月掌》を突き込んでくる。

 

「ぐっ……!」

 

 鋭い掌底が胴体を捉え、蓮司の身体が後方へ押し戻された。

 受けた蹴りの衝撃が腕に残るなか、続けて腹部を打たれたことで呼吸が詰まる。

 玲奈はさらに追撃することもできそうだったが、深追いはせず、蓮司の拳が届かない位置まで身を引いた。

 蓮司は痛みをこらえながら足を踏み直し、玲奈の動きを見据えた。

 

 初日に戦った玲奈は、こちらの踏み込みを待ち、《霞歩》で攻撃を外してから反撃する場面が多かった。

 だが、目の前の玲奈は、相手の動きを見極めるだけでなく、自分から攻撃を仕掛け、こちらの守りが崩れたところへ次の打撃を重ねてくる。

 同じ桐生玲奈でも、攻め方は明らかに違っていた。

 

「……最初から自分で仕掛けてくるんだな」

 

 蓮司が呟くと、玲奈は少しだけ口元を緩めた。

 

「私が待っていると、誰が決めたの?」

 


 

 直希は画面に表示されたHPバーを見て、思わず目を見開いた。

 試合が始まってから、まだそれほど時間は経っていない。

 それなのに、蓮司の体力はすでに大きく削られ、対する玲奈にはほとんどダメージを与えられていなかった。

 

「……え、もうこんなに?」

 

 最初の蹴りはガードできた。

 だが、その直後に踏み込んできた玲奈の《穿月掌》には対応できなかった。

 

 直希は、初日に五度戦ったGOLD 3の玲奈を思い出した。

 

 あの玲奈は、こちらが不用意に踏み込むと《霞歩》で攻撃を外し、空いたところへ掌底や蹴りを返してきた。

 だから直希は、今回も先に攻めれば反撃されると考え、相手が動くまで様子を見るつもりでいた。

 しかし、今の玲奈は違った。

 直希が攻める機会を探している間に、自分から蹴りを出し、ガードさせたところへ掌底を重ねてきた。

 こちらの攻撃を待つ必要などないと言わんばかりの積極的な攻めだった。

 

「……待ってたら、向こうから来るのか」

 

 直希はコントローラーを握り直した。

 

 別のCHARACTER IDである以上、戦い方が違うことは分かっていた。

 航の美月と、以前公式戦で勝った別IDの美月でも、同じ技を使いながら攻撃する順番や距離の取り方は異なっていた。

 それでも、目の前に桐生玲奈が現れると、初日に五度敗れた相手の動きを基準にしてしまう。

 同じ顔と構えを見て、あの玲奈ならこう動くだろうと考えていたのだ。

 

「……また、決めつけてたな」

 

 直希は短く息を吐いた。

 今戦っている玲奈は、こちらが攻撃するまで待ってくれる相手ではない。

 しかも、蹴りをガードしたあとに《穿月掌》を重ねられたことで、守っているだけでも体力を削られることが分かった。

 ならば、相手の攻撃を待ち続けるのではなく、こちらから距離を変える必要がある。

 

 直希は画面の玲奈の足元へ視線を向けた。

 

 先ほどの掌底を当てたあと、玲奈は深追いせず、蓮司の拳が届かない位置まで下がっている。

 あの距離から再び蹴りを出されれば、また同じように守りを崩されるかもしれない。

 だが、こちらから踏み込めば、玲奈も次の攻撃を選び直さなければならない。

 もちろん、無理に追いかければ《霞歩》で外される可能性はある。

 初日の五連敗でも、その失敗は何度も経験していた。

 だからといって、何もしないまま次の蹴りを待つつもりもなかった。

 

「……まずは、こっちから動かしてみるか」

 

 直希は玲奈との距離を確かめ、《疾歩拳》を入力した。

 狙いは、ただ拳を当てることだけではない。

 自分から間合いを詰めたとき、この玲奈が守るのか、《霞歩》で外れるのか、それとも別の攻撃で迎え撃つのか。

 その反応を見て、次の技を選ぶ。

 直希は、蓮司が踏み込んでいく先から目を離さなかった。

 


 

 蓮司は玲奈との距離を測り、重心を低く落として踏み込んだ。

《疾歩拳》の鋭い直拳が、玲奈へ向かって伸びる。

 だが、玲奈はその踏み込みを見逃さず、拳が届く寸前に足を短く踏み替えた。

 

《霞歩》

 

 わずかな移動で攻撃線から外れた玲奈の脇を、蓮司の右拳が通り過ぎる。

 

「……っ!」

 

 蓮司はすぐに腕を引き戻そうとしたが、玲奈はその動きまで見ていた。

 大きな技を出すのではなく、伸び切った拳が戻るまでの短い隙を狙い、蓮司の側面へ《穿月掌》を突き込んでくる。

 掌底が胴体を捉え、蓮司に鋭い痛みが走った。

 

「ぐっ……!」

 

 蓮司は衝撃に耐えながら構えを戻そうとしたものの、玲奈の攻撃はそこで終わらなかった。

 攻撃をぎりぎりで外したことで《流転》が成立しており、反撃の鋭さが増している。

 玲奈は掌底を打ち込んだ勢いを途切れさせず、踏み替えた足を軸に身体を旋回させた。

 

《流燕脚》

 

 横から振り抜かれた蹴りが、守りの整わない蓮司の脇腹へ深く食い込む。

 

「がっ……!」

 

 強い衝撃に身体を押し流され、蓮司は数歩後退した。

 どうにか踏みとどまって両拳を上げ直したときには、玲奈はすでに間合いを外し、こちらの動きを待つように構えていた。

 蓮司は浅くなった呼吸を整えながら、玲奈の足元を見据えた。

 

 自分から踏み込めば《霞歩》で攻撃を外され、そこへ掌底と蹴りを重ねられる。かといって、動かずにいれば玲奈の方から間合いを詰めてくる。

 

 どちらの攻め方を選ぶのか見分けられない以上、次の拳を不用意に振るわけにはいかなかった。

 

「……今度は、追ってくるかしら?」

 

 玲奈の口元に、楽しそうな笑みが浮かんだ。

 

「それとも、また私の掌底を受ける?」

 

 蓮司は答えず、両拳を構え直した。相手が次にどちらの足を動かすのか、慎重に見据えた。

 


 

 直希は画面に表示されたHPバーを見て、思わず息を詰めた。

 蓮司の体力は、すでに半分近くまで削られている。

 一方、玲奈のHPはまだ満タンに近く、こちらが攻撃を仕掛けても、ほとんどダメージを与えられていなかった。

 

「……速いだけじゃないんだよな」

 

 直希はコントローラーを握り直し、画面の玲奈へ視線を戻した。

 最初は、玲奈の攻撃が速いから対応できないのだと思っていた。

 しかし、今の攻防を振り返ると、それだけでは説明がつかない。

 

 玲奈は、こちらの攻撃を避けるときに必ず《霞歩》を使っているわけではなかった。

 拳が届く寸前まで引きつけて《霞歩》で外すこともあれば、最初から少し距離を取って攻撃の射程外へ出ることもある。

 逆に、蓮司が足を止めれば、自分から間合いを詰めて蹴りや掌底を仕掛けてきた。

 

 同じように見える後退でも、次に何を狙っているのかが違う。

 

《霞歩》で攻撃を外したときは、《流転》からの反撃が待っている。

 普通に距離を取ったときは、こちらが追いかけてくるかどうかを見て、次の攻撃を選んでいるようだった。

 

「……こっちが先に動くの、待ってるんだ」

 

 直希は小さく呟いた。

 もちろん、玲奈がいつも待っているわけではない。

 実際、試合開始直後には向こうから蹴りを仕掛け、守りを固めた蓮司へ《穿月掌》を通してきた。

 攻めるときは自分から攻め、こちらが動けば、その動きに合わせて対応を変える。

 だから、単に攻撃の速さだけを見ていても、次に何が来るのか分からなかった。

 

 昨夜の美月戦では、相手が踏み込んでくると決めつけた結果、《破陣・轟天拳》を空振りして敗れている。

 

 あのときは、自分の出したい技に相手の動きを当てはめてしまった。

 今度は、目の前の玲奈が実際にどう動くのかを確かめてから、次の操作を選びたかった。

 

「……だったら、一回こっちも止まってみよう」

 

 直希は玲奈との距離を確かめた。

 蓮司の《疾歩拳》は、すでに一度《霞歩》で外されている。

 同じように踏み込めば、また反撃を受ける可能性が高い。

 だが、最初から攻撃を出すのではなく、接近する動きだけを見せたらどうだろう。

 玲奈がそれを攻撃の始動と判断して《霞歩》を使うなら、移動した先を見てから次の技を選べるかもしれない。

 もちろん、相手が必ず動いてくれるとは限らない。

 それでも、今までのように先に技を決めて踏み込むよりは、玲奈の反応を確かめられるはずだった。

 

「……よし」

 

 直希は蓮司を短く前へ動かし、攻撃を出さずに足を止めた。

 画面の蓮司が間合いを詰める。

 直希は、玲奈が横へ動く瞬間を見逃さないように視線を集中させた。

 しかし、玲奈は《霞歩》を使わなかった。

 

「……あれ?」

 

 玲奈は構えを保ったまま、蓮司の踏み込みが止まるところまで見ていた。

 攻撃を出すふりをしたからといって、相手が必ず動いてくれるわけではない。

 

「……そっか。向こうも見てるんだ」

 

 直希は次の入力を急がず、画面の玲奈がどう動くのかを確かめた。

 


 

 玲奈は、蓮司が踏み込みを途中で止めたことに気づいていた。

 こちらの反応を確かめるつもりなのだろう。

 先ほどまでは自分から拳を届かせようとしていた男が、今度は攻撃を出さず、構えを保ったまま待っている。

 

「……今度は、待つことにしたの?」

 

 玲奈は小さく笑い、自分から間合いを詰めた。

 蓮司が攻撃を出さないのなら、こちらも無理に《霞歩》で身体を外す必要はない。

 相手が動き出す前に打撃を通そうと、玲奈は腰を低く沈め、《穿月掌》を突き込んだ。

 

 しかし、蓮司は両腕を構えたまま、迫ってきた掌底を正面から受け止めた。

 重い打撃が腕に響いたものの、守りを崩すまでには至らない。

 玲奈はすぐに次の攻撃へ移ろうとしたが、その前に蓮司の左拳が動いた。

 掌底を受け止めた直後、蓮司は身体をわずかに沈め、玲奈の守りの内側へ短い直拳を差し込んできた。

 

「くっ……!」

 

 拳が胴体を捉え、鋭い痛みが走る。

 玲奈は反射的に腕を寄せたが、蓮司はその動きを見て、さらに低く踏み込んできた。

 

《疾歩拳》

 

 続けて放たれた右拳が脇腹へ深く入り、玲奈の身体を大きく押し戻した。

 

「……っ!」

 

 玲奈は後ろへ足を運び、どうにか姿勢を立て直した。

 先ほどまで、こちらの攻撃を受けるか、踏み込んでは《霞歩》で外されるばかりだった男が、今度は掌底をガードしたところから拳を返してきた。

 しかも、一発当てただけでは終わらず、こちらが守りを整えようとしたところへ《疾歩拳》を重ねている。

 玲奈は胴体に残る痛みを感じながら、蓮司を見据えた。

 

「……なるほど。今度は私を誘ったのね」

 

 蓮司は両拳を構え直した。

 

「ああ。おまえがどう出るか、見たかった」

 

「……そうね。二発も通されたのは、私の方だわ」

 

 玲奈は悔しさを隠さず、それでも楽しそうに微笑んだ。

 

「でも、次も同じように近づくと思わないことね」

 

「ああ。次は、おまえも変えてくるんだろう?」

 

 玲奈は小さく頷き、改めて間合いを測った。

 この男は、ただ無謀に挑んできたわけではない。

 こちらの攻撃を見て、戦い方を変えようとしている。

 九戦無敗の自分を指名した理由が、少し分かった気がした。

 


 

「……入った!」

 

 直希は画面に映る玲奈のHPバーを見て、思わず声を上げた。

 踏み込みを止めて相手の攻撃を待ったことで、ようやくまとまった反撃を通すことができた。

 

「……よし。こういうのもできるんだ」

 

 直希は小さく頷いた。

 もっとも、相手はこのCHARACTER IDで公式九戦無敗を続けている。

 今の反撃が成功したからといって、次も同じ攻め方が通用するとは思えなかった。

 それでも、相手の動きを確かめてから技を選んだことが、実際にダメージへつながった。

 

「……まだ、ここからだよな」

 

 蓮司のHPは依然として大きく減っている。

 直希は気を緩めず、次の攻防に備えた。

 


 

 玲奈は一歩下がって両拳を構え直すと、先ほど蓮司に打たれた胴体の痛みを確かめるように、静かに息を整えた。

 最初は自分の攻撃に対応しきれず、追いかけてきても《霞歩》で拳を外されていた男が、今度は守りから反撃へ切り替え、短い左拳と《疾歩拳》を続けて通してきた。

 

「……ふふっ。やるじゃない」

 

 玲奈は思わず笑みを浮かべた。

 ただ無謀に挑んできたわけではない。

 こちらの攻め方を見て、短い時間のうちに対応を変えてくる。

 そのことが分かったからこそ、玲奈も同じ攻めを繰り返すつもりはなかった。

 

 先ほどの打ち合いで、蓮司の拳がどこまで届くのかも確かめられた。

 あの距離に留まれば、再び守りから打ち返される可能性がある。

 

 玲奈は間合いを少し広げ、蓮司が追ってくるかどうかを見た。

 蓮司はすぐには拳を出さなかったが、離れた距離を詰めようと一歩踏み出した。

 その動きに合わせ、玲奈は自分から踏み込んだ。

 

 正面へ《穿月掌》を放つと見せかけると、蓮司は打撃を警戒して両腕を寄せた。

 だが、玲奈が狙っていたのは胴体ではなく、守りを固めようとした蓮司の腕だった。

 伸ばしかけた腕へ手を添え、肩の向きが変わる瞬間に力を加える。

 

《崩月》

 

 玲奈は蓮司の腕と肩への接触を利用して身体の軸を外し、踏み込んできた勢いを横へ流した。

 蓮司は足を踏み直して支えようとしたものの、崩された重心を戻しきれず、背中からリングへ叩きつけられた。

 

「ぐっ……!」

 

 背中に強い衝撃が走り、一瞬息が詰まる。

 蓮司は痛みをこらえながら片膝をつき、玲奈が追撃してくることを警戒した。

 しかし、玲奈は倒れた相手へ不用意に近づかず、拳の届かない位置まで下がって構えを整えていた。

 

「今度は投げだったの。……読めなかったでしょう?」

 

 玲奈は楽しそうに微笑んだ。

 

「私の掌底ばかり警戒しているから、そうなるのよ」

 

「……ああ。投げまでは読めなかった」

 

「そう。だったら、次はどうするのかしら?」

 

 玲奈は少しだけ顎を上げた。

 

「また拳を当てに来る? それとも、私に崩されるのが怖くなった?」

 

 蓮司はゆっくりと立ち上がり、両拳を構え直した。

 

「……次は、投げも警戒する」

 

「ふふっ。そうしなさい。私だって、同じ攻め方ばかりするつもりはないもの」

 

 玲奈の言葉が正しいことは、今の攻防で十分に分かった。

 こちらが二度打撃を通したあと、玲奈は間合いを変え、拳を警戒させたところから《崩月》へつないできた。

 蓮司も相手の動きを見て対応を変えたつもりだったが、玲奈はさらにその先を選んでいる。

 しかも、立ち上がった今も、玲奈の掌底や蹴りが届く距離を作られていた。

 自分の拳を届かせようとすれば、また一歩踏み込まなければならない。

 次に攻めるときは、打撃だけでなく、腕を捕らえられることも警戒する必要があった。

 


 

 直希は画面に映る蓮司を見つめながら、思わず息を吐いた。

 ようやく玲奈へ拳を当てることができた。

 短い左拳から《疾歩拳》へつなぎ、まとまったダメージも与えている。

 しかし、その直後には玲奈に攻める位置を変えられ、《崩月》で投げ倒されてしまった。

 

「……押し切れないか」

 

 直希はHPバーを確認した。

 蓮司に残された体力はすでに少なく、対する玲奈にはまだ七割ほどの余裕がある。

 ここから勝つには、もう一度攻撃を通すだけでは足りない。

 相手の反撃を抑えながら、続けてダメージを与えなければならなかった。

 

 だが、今の玲奈を相手に、無理に攻め続けるのは危険だった。

 

 試合開始からここまで、玲奈はほとんど空中へ出ていない。

 通常の《轟天拳》で跳び込みを迎撃する機会はなく、こちらから大きな拳を振れば、また《霞歩》で外される可能性がある。

《破陣》を発動して二段の《轟天拳》を使うことも考えたが、左拳を届かせられる距離まで近づかなければならない。

 今の玲奈は、その接近さえ見て攻撃を変えてくる。

 

 直希は、出したい技を先に決めるのをやめた。

 ここで無理に《轟天拳》を狙えば、昨夜の美月戦と同じ失敗を繰り返しかねない。

 まずは玲奈がどの距離から、どんな攻撃を仕掛けてくるのかを見極める必要があった。

 

「……もう一回、ちゃんと見よう」

 

 直希はコントローラーを握り直し、画面の玲奈の足元へ意識を向けた。

 玲奈が短く踏み込んでくる。

 直希はすぐに反撃を出さず、蓮司の守りを固めた。

 伸びてきた《穿月掌》を両腕で受け止めると、玲奈はそれ以上近づかず、一度間合いを外した。

 

「……ここは、我慢」

 

 ガードできたからといって、すぐに追いかけるつもりはなかった。

 玲奈は一度攻撃を止めても、次の瞬間には別の角度から踏み込んでくる。

 先ほどの《崩月》も、こちらが打撃を警戒したところを利用された結果だった。

 

 直希は玲奈が下がった距離を確かめながら、次に動くまで待った。

 すると、玲奈は間を置かずに再び踏み込んできた。

 今度は先ほどより深い。

 直希はその動きを見て、ガードを続けるべきか、それとも反撃するべきかを一瞬迷った。

 しかし、守り続けているだけでは玲奈の攻撃を止められない。

 次も掌底なら、受け止めた直後に拳を返せるかもしれない。

 

「……今度は、返す!」

 

 直希は玲奈が間合いへ入ってくるところに合わせ、反撃の入力を選んだ。

 だが、画面の玲奈は、先ほどと同じ攻撃を繰り返さなかった。

 踏み込みの途中でわずかに身体の向きを変え、蓮司が反撃へ移ろうとする動きに合わせて、別の攻撃を仕掛けてきた。

 


 

 蓮司は踏み込んでくる玲奈を迎え撃とうと、短い左拳を突き出した。

 しかし、玲奈はその動きを見逃さなかった。

 蓮司の拳が届く寸前まで間合いを保ち、打撃の軌道が定まったところで《霞歩》を使い、わずかな足の踏み替えで身体を側面へ滑らせる。

 

 蓮司の左拳が、玲奈のいた場所を通り過ぎた。

 その隙へ玲奈は素早く踏み込み、伸び切った腕の外側から《穿月掌》を突き込んだ。

 

「ぐっ……!」

 

 鋭い掌底が胴体を捉え、蓮司の上体が大きく折れる。

 蓮司は痛みに耐えながら足を踏み直し、玲奈のいる方向へ身体を向けようとした。

 しかし、玲奈はその立て直しを許さず、掌底を打ち込んだ勢いを生かして腰を回し、続けて《流燕脚》を振り抜いた。

 

「がっ……!」

 

 横から迫った蹴りが蓮司の脇腹へ深く食い込み、強い衝撃が身体を貫いた。

 蓮司はどうにか踏みとどまろうとしたものの、重心を戻すより早く蹴りの勢いに押し流され、支えを失った足が横へ滑る。

 そのまま身体を立て直すことができず、蓮司は背中からリングへ倒れ込んだ。

 

 K.O.

 

《KIRYU REINA》

《ROUND WIN》

 

 第一ラウンドは、玲奈の勝利だった。

 


 

「……よしっ、取った!」

 

 凛花は画面に表示された第一ラウンドの結果を確かめ、嬉しそうに拳を握った。

 玲奈のHPは、まだ七割近く残っている。

 途中で蓮司の左拳と《疾歩拳》を続けて受けたものの、それ以外では大きな攻撃を許さず、最後には《霞歩》からの反撃で倒しきることができた。

 

「……うん。悪くないわね」

 

 凛花は満足そうに頷き、第一ラウンドの攻防を振り返った。

 最初の蓮司は、こちらの間合いへ入ろうとして《疾歩拳》を出してきた。

 しかし、凛花が《霞歩》で攻撃を外すと、無理に追いかけるのをやめ、途中からは足を止めて玲奈の動きを待つようになっている。

 そして、こちらが《穿月掌》で踏み込んだところをガードし、短い左拳から《疾歩拳》へつないできた。

 

「……あそこ、ちゃんと変えてきたんだよね」

 

 凛花はコントローラーを持ち直した。

 

 指名申請を受けたとき、公式三勝十一敗という数字は、やはり目についた。

 だが、実際に戦ってみると、ただ無理に攻撃を繰り返すだけの相手ではなかった。

 最初は玲奈の《霞歩》に対応できず、攻撃を外されていたものの、途中からは攻め方を変え、こちらの掌底を待って反撃してきた。

 あのまま同じ距離で打ち合っていれば、さらにHPを削られていたかもしれない。

 

「……あそこで待ちに切り替えたの、我ながらいい判断だったわ」

 

 凛花は少し感心したように呟いた。

 

 シャルロットでSILVER 2まで戦ってきた凛花自身、新しいCHARACTER IDで戦っている。だからこそ、表示された戦績だけでは相手の経験を測れないと分かっていた。

 

 蓮司が途中で対応を変えてきたからこそ、こちらも同じ攻め方を続けるわけにはいかなかった。

 最初は玲奈の蹴りと掌底で先手を取り、蓮司が攻めてくれば《霞歩》で外す。

 しかし、相手がガードから反撃するようになったところで、同じ位置に留まるのをやめた。

《崩月》で投げを通したのも、蓮司が打撃を警戒して腕を寄せてきたからだった。

 

「……あそこで、もう一回掌底にしてたら危なかったかな?」

 

 凛花は画面に映る蓮司を見つめた。

 最後の攻防でも、蓮司は守るだけではなく、玲奈の接近へ左拳を合わせようとしている。

 だが、凛花はその拳を見て《霞歩》を選び、反撃から《流燕脚》へつないだ。

 蓮司が途中で対応を変えてきたように、自分もその変化に合わせて攻め方を選び直した。

 その結果が、七割近いHPを残しての第一ラウンド勝利だった。

 

「……へへっ。こっちだって、見てるんだから」

 

 凛花は楽しそうに笑った。

 

 シャルロットで積み重ねてきた対戦経験は、玲奈を操作するようになっても役に立っている。

 しかし、《霞歩》からの反撃や《崩月》を交えた読み合いには、また違う面白さがあった。

 最初はAnother Outfitに惹かれて使い始めた玲奈だったが、今ではその戦い方もすっかり気に入っている。

 

「……やっぱり、玲奈も使ってて楽しいな」

 

 凛花は画面に残る第一ラウンドの結果を確かめ、満足そうに微笑んだ。

 

 勝ったことは嬉しい。しかし、まだ試合全体の勝利ではない。

 次のラウンドでは、蓮司も最初からこちらの攻め方を警戒してくるだろう。

 第一ラウンドの途中でガードから反撃するようになったのだから、次はさらに違う攻め方を選んでくるかもしれない。

 

「……さて、次はどう来るかな?」

 

 凛花はコントローラーを握り直した。

 ここまで九戦九勝。次のラウンドも取れば、公式十連勝が決まる。

 そして、玲奈で初めてのBRONZE 5昇格も見えていた。

 シャルロットではすでに通過してきたランクだが、玲奈で積み重ねてきた勝利には、また別の嬉しさがある。

 

「……あと一つだね、玲奈」

 

 凛花は小さく笑い、第二ラウンドの開始を待った。

 


 

「……九連勝してるだけあるな。やっぱ、強い」

 

 直希は、画面に表示された第一ラウンドの結果を見つめた。

 

《ROUND 1 RESULT》

《KIRYU REINA WIN》

《KAMIYA RENJI LOSS》

 

 玲奈には、まだ七割近いHPが残っている。

 途中で拳を通すことはできた。

 しかし、相手もすぐに攻め方を変え、《崩月》でこちらの反撃を崩してきた。

 同じ桐生玲奈でも、初日に戦った相手とは攻撃の組み立て方が違う。

 頭では分かっていたはずのことを、第一ラウンドの敗北として思い知らされた。

 

「……でも、何もできなかったわけじゃない」

 

 直希はコントローラーを握り直した。

 

 ガードから反撃へつなぎ、玲奈のHPを削ることはできた。

 少なくとも、最初の日のように手も足も出ないまま終わったわけではない。

 今回は練習のつもりで申し込んだわけではない。九戦無敗の玲奈に、自分から勝負を挑んだのだ。

 

「……あと二つ、取り返す」

 

 直希は画面の玲奈を見据え、第二ラウンドへ向けて気持ちを切り替えた。

 


 

 公式アリーナでは、第一ラウンドを制した玲奈が、倒れた蓮司の正面に立っていた。

 蓮司は片手を床につき、身体を起こそうとしている。

 掌底と蹴りを続けて受けた痛みはまだ消えておらず、呼吸を整えるのにも少し時間が必要だった。

 それでも、蓮司は顔を背けなかった。

 

「……今のラウンドは、おまえの勝ちだ」

 

「ええ。そうね」

 

 玲奈は満足そうに頷いた。

 

 蓮司の拳は確かに鋭かった。

 途中で攻め方を変え、こちらの掌底を受け止めてから左拳と《疾歩拳》を返してきたときには、玲奈も少なからず驚かされている。

 だが、それでも第一ラウンドを取ったのは自分だった。

 玲奈は蓮司を見下ろし、少し楽しそうに首を傾げた。

 

「ねえ、一つ聞いてもいいかしら?」

 

「……なんだ」

 

「あなた、自分から私に挑戦してきたのよね?」

 

「ああ」

 

「私が九戦九勝で、まだ一度も負けていないことも知っていた。それなのに、公式三勝十一敗のあなたが、わざわざ私を指名してきた」

 

 玲奈はそこまで言うと、ほんの少し顎を上げた。

 

「だから、どんな強い男が来るのかと思っていたのだけれど……」

 

 その視線が、床に片膝をついた蓮司へ落ちる。

 

「ふふっ。あなた、自分から挑戦してきたくせに、その程度の実力なの?」

 

 柔らかな声だった。

 しかし、言葉に込められた挑発は、先ほどまでの攻撃よりも遠慮がなかった。

 蓮司は玲奈を見上げたまま、短く息を吐いた。

 

「……確かに、第一ラウンドはおまえに勝てなかった」

 

「ええ。しかも、私はまだずいぶん余裕が残っているわ」

 

 玲奈は自分の身体へ軽く目を向けた。

 

「あなたの拳はちゃんと効いたわ。途中で攻め方を変えて、私の胴体にも当てた。それは認めるわ」

 

 そう言いながらも、玲奈の笑みは消えなかった。

 

「でも、そこまでだったでしょう? あなたがようやく反撃できたと思ったら、今度は私に投げられて、最後には掌底と蹴りで倒されてしまった」

 

「……ああ」

 

「強い相手に挑むのは立派だと思うわ。けれど、挑戦したからには、もう少し私を困らせてほしかったわね」

 

 玲奈はわずかに身をかがめ、蓮司と視線を合わせた。

 

「それとも、私が女だから、何とか勝てると思ったのかしら?」

 

 蓮司の目が細くなる。

 

「そんなつもりはない。おまえが無敗なのは知っていた」

 

「あら。だったら、なおさら不思議ね」

 

 玲奈は楽しそうに笑った。

 

「九戦無敗の女に自分から挑んできて、ここまで一方的に押されてしまうなんて。男の格闘家として、少し情けないとは思わない?」

 

 蓮司はすぐには答えなかった。

 

 自分から申し込んだ勝負であることも、相手が公式九戦無敗の格闘家であることも事実だ。

 そして、第一ラウンドではその女性に倒されている。

 その結果を、言葉だけで覆すことはできなかった。

 

「……悔しいさ」

 

 蓮司は床に置いていた手へ力を込めた。

 

「格闘家としても、男としてもな。自分から挑んでおいて、この様だ。言い返せる結果じゃない」

 

「……ふふっ」

 

 玲奈の笑みが、さらに深くなった。

 

「そう。ちゃんと悔しいのね」

 

「ああ。だが、まだ試合は終わっていない」

 

「ええ。もちろん知っているわ」

 

 玲奈は嬉しそうに頷いたが、蓮司をからかうことはまだやめなかった。

 

「でもね、私に一ラウンド取られたことは、もう変えられないでしょう?」

 

「……そうだな」

 

「男のあなたが自分から挑戦してきて、女の私にここまで圧倒された。しかも、私にはまだ余裕がある」

 

 玲奈は自分の胸元へ軽く手を添えた。

 

「私、今とても嬉しいの。あなたみたいに負けても諦めず、わざわざ私を指名してきた男の人を、こうして倒せたんだもの」

 

 そこで玲奈は、もう一度蓮司の顔を覗き込んだ。

 

「それに、あなたがそんなに悔しそうな顔をしてくれるのも、嬉しいわ」

 

「……ずいぶん楽しそうだな」

 

「ええ、とても。だって、勝ったのは私だもの」

 

 玲奈はためらうことなく答えた。

 

「あなたが女の私に勝とうと本気で挑んできて、その結果、私の前で膝をついている。それを喜んで、何がいけないの?」

 

 蓮司は玲奈を見据えた。

 

 初日に五度敗れた別の桐生玲奈とは、勝ち誇り方まで違う。

 目の前の女性は、勝利だけでなく、敗れた男の悔しさまで楽しんでいるようだった。

 だが、その態度を非難するつもりはない。

 今のラウンドを勝ち取ったのは、彼女なのだから。

 

「……今のラウンドはおまえの勝ちだ。好きなだけ誇ればいい」

 

「あら。素直なのね」

 

「負けた事実を否定する気はない。ただ、次も同じ結果になるとは思っていない」

 

 玲奈は少し目を細めた。

 

「……そう。あなた、まだ私に勝つつもりなのね」

 

「最初から、そのつもりで申し込んでいる」

 

 蓮司の返答を聞いて、玲奈は小さく笑った。

 

「ええ。その言葉、次のラウンドでも忘れないでね」

 

 玲奈は身体を起こし、少し離れた位置へ戻った。

 

「そういえば、前に戦った別IDの神谷蓮司には、最初の一ラウンドを取られたことがあるの」

 

 蓮司が顔を上げる。

 

「……俺とは別の男だ」

 

「ええ。もちろん別人よ。だから、その人ができたことを、あなたもできるなんて思っていないわ」

 

 玲奈は微笑んだ。

 

「でも、同じ神谷蓮司というアーキタイプなのに、あなたはまだ私から一つも取れていないのよね」

 

 その言葉に、蓮司の拳がゆっくりと握られた。

 

「……言ってくれるな」

 

「あら、事実でしょう?」

 

 玲奈は少しだけ顎を上げた。

 

「男の意地があるなら、次は見せてちょうだい。私に一度も勝てずに終わるのが、どれほど悔しいことなのか……あなたの拳で教えてほしいわ」

 

 蓮司は片膝を立て、ゆっくりと立ち上がった。

 

「そいつがどう戦ったかは知らない。俺には俺の戦い方がある」

 

「ええ。それでいいのよ」

 

「次は、おまえから一つ取る」

 

「……ふふっ。楽しみね」

 

 玲奈は嬉しそうに目を細めた。

 

「でも、私は二つ目も取るつもりよ。九戦無敗の私を指名してきた男が、一ラウンドも奪えずに負けたら……きっと、今よりずっと悔しいでしょうね?」

 

 その言葉を最後に、玲奈は蓮司から距離を取った。

 ラウンド間の競技用回復処理が始まり、二人の身体に残っていた打撃による損傷と痛みが瞬時に修復されていく。

 蓮司の呼吸は整い、掌底と蹴りを受けた身体にも戦闘前の力が戻った。

 玲奈の胴体に残っていた拳の痛みも消え、双方が万全の状態で次のラウンドを迎えられるようになる。

 未使用のRESONANCEゲージは、そのまま持ち越された。

 蓮司には、自分から挑んだ相手に実力を問われ、男の格闘家として情けなくないのかと笑われたことが、胸の奥に強く刻まれていた。

 

 蓮司は右拳を握り直し、正面に立つ玲奈を見据えた。

 

「……次は取る」

 

「ええ。取れるものなら、取ってみて」

 

 玲奈は涼しげに微笑み、両掌を構えた。

 

「あなたがどれだけ頑張っても、最後に勝つのは女の私だって、もう一度教えてあげるわ」

 

 蓮司は言い返さず、左足を前へ出した。

 第一ラウンドは、玲奈の勝利。

 だが、試合はまだ終わっていなかった。

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