一閃轟破を決めた蓮司の挿絵を見る。(pixiv)
試合後の凛花と玲奈の挿絵をpixivに掲載しています。
試合後の凛花と玲奈の挿絵を見る。(pixiv)
試合結果の挿絵をpixivに掲載しています。
試合結果の挿絵を見る。(pixiv)
第三ラウンド。
開始の合図と同時に、玲奈が前へ出た。
第二ラウンドとは違い、跳び込みは使わない。
地面を踏みしめたまま斜めに踏み込み、蓮司の正面からわずかに位置をずらす。
蓮司もそれに合わせて構えを変えた。
玲奈はまず《穿月掌》を放つように右掌を突き出した。
蓮司が胸元を守ろうと腕を寄せた瞬間、彼女は踏み込みを止め、腰を鋭く回す。
伸びかけていた掌が引き戻され、代わりに《流燕脚》が横から襲いかかった。
「ぐっ……!」
蹴りは蓮司の守りの外側から脇腹へ食い込み、身体をわずかに傾かせた。
しかし、蓮司もただ攻撃を受けているだけではなかった。
玲奈が蹴り脚を引き戻す動きを見て、痛みをこらえながら前へ踏み込む。
《疾歩拳》
低い姿勢から放たれた直拳が玲奈の胴体を捉え、彼女の身体を揺らした。
「くっ……!」
蓮司は拳を引き、もう一撃を重ねようとする。
だが、玲奈は後退しなかった。
続けて伸びてきた蓮司の腕へ素早く手を添え、その勢いに逆らわず身体の向きを変える。
蓮司が踏み込んだ力まで利用して肩の位置を崩すと、《崩月》で一気に投げ落とした。
「がっ……!」
蓮司の背中がリングへ叩きつけられた。
衝撃が身体を突き抜け、蓮司の呼吸が一瞬詰まる。
それでも蓮司は歯を食いしばり、すぐに片手をついて身体を起こした。
玲奈は倒れた相手へ不用意に飛び込まず、起き上がる動きを見ながら距離を詰め直してくる。
蓮司が立ち上がる頃には、彼女は再び掌底の届く位置まで迫っていた。
「……っ、簡単には離してくれないか」
「あら。今度は、あなたの方が離れたいの?」
玲奈の口元に、小さな笑みが浮かぶ。
「だったら、もう少し頑張ってもらわないとね」
言葉とともに、玲奈がさらに半歩踏み込んだ。
蓮司はその接近を待ち、両掌を前へ突き出す。
《震掌》
短い間合いから放たれた衝撃が玲奈の身体を押し戻した。
「……っ!」
玲奈は足を踏み直し、すぐに身体の軸をずらして蓮司の正面から外れる。
蓮司は追いかけようと一歩を踏み出したが、そこで拳を止めた。
玲奈はもう、同じ場所にはいない。
脇腹へ蹴りを入れたときも、《疾歩拳》を受けたあとも、玲奈は攻撃の成否だけで動きを決めていなかった。
拳が届く位置から外れ、次に自分が攻められる間合いへ戻る。
その切り替えが速い。
「……地上でも、厄介な相手だな」
蓮司は痛みの残る脇腹を意識しながら、両拳を構え直した。
第二ラウンドのように、跳び込んできた相手へ拳を合わせる機会は簡単には訪れないだろう。
だが、地上での攻防なら、蓮司にも返せる拳はある。
現に《疾歩拳》も《震掌》も通している。
問題は、そのあとに玲奈の動きを捉え続けられるかどうかだった。
玲奈が《流燕脚》で踏み込むと、蓮司は守りを寄せて衝撃に耐えた。
蹴りの重さに足が後ろへ流れても、短い左拳を差し込める距離を見つけると、すぐに反撃を返そうとする。
「……っ!」
玲奈の胴体へ拳が届き、わずかに身体が揺れた。
その一発で彼女の攻めが止まるわけではなかったが、蓮司にも最後まで戦う意思があることは伝わってくる。
玲奈は呼吸を整え、蓮司が再び足を前に出そうとする瞬間を待った。
短い踏み込みから《穿月掌》を放つと、掌底が守りの内側を抜けて腹部を捉える。
《CRITICAL》
「がっ……!」
鋭い痛みに蓮司の上体が折れた。
そこで玲奈は距離を詰め、守りの戻らないところへ短い拳を重ねる。
蓮司は腕を引き戻そうとしたものの、間に合わなかった。
さらに蹴りを受け、身体を大きくよろめかせながら後退する。
先ほど投げられたときよりも、身体は重かった。
受け続けた打撃の痛みが積み重なり、踏みとどまるだけでも精一杯だった。
それでも蓮司はリングへ倒れず、どうにか両拳を上げ直した。
玲奈は蓮司の様子を見て、追撃を一度止めた。
もう大きな反撃を受けなければ、次の一撃で終わるはずだった。
第三ラウンド、終盤。
直希は画面のHPバーを見て、思わず息を詰めた。
蓮司の体力は、もう端にほんのわずかな長さを残すだけになっていた。
対する玲奈のHPバーは、まだ半分以上を保っている。
「……これ、もう一発も食らえないじゃん……」
ここから通常の攻撃を一度でもまともに受ければ、蓮司は倒されるだろう。
一方、玲奈にはまだ十分な余裕があり、しかも第二ラウンドとは違って、地上から慎重に攻め続けている。
「……やっぱり、もう跳んでこないよな」
第二ラウンドで《破陣・轟天拳・壊》を見せた以上、相手が警戒するのは当然だった。
実際、玲奈は最終ラウンドに入ってから大きな跳び込みを避け、《穿月掌》や《流燕脚》を使い分けながら蓮司を追い詰めている。
地上での間合い管理も巧みで、こちらが拳を伸ばせる位置に長く留まってくれない。
直希は一度、RESONANCE ARTSゲージへ視線を移した。
苦しい攻防を重ねるうちに蓄積したRESONANCE ARTSゲージは、LEVEL 3の発動条件を満たしている。
《RESONANCE ARTS LEVEL 3》
《一閃轟破》
直希は玲奈の足元を見つめた。
《一閃轟破》は強力な連撃技だが、発動できるだけでは勝てない。
最初の直拳が届かなければ、その後の掌底も肘も膝もつながらない。
しかも、今の蓮司には攻撃を外したあとに立て直すだけの余裕がほとんどなかった。
「……当てられなきゃ、意味ないんだよな」
直希はコントローラーを握り直した。
玲奈は最終ラウンドを通して、地上から《穿月掌》を何度も差し込んできた。
蓮司が攻めようとすれば《霞歩》で外し、近距離で拳を通そうとすれば《崩月》で崩してくる。
次も《穿月掌》で来るとは限らない。
それでも、これまでの攻防を考えれば、再び掌底で決着を狙ってくる可能性は十分にあった。
(……また、あれで来るかな)
直希は玲奈の足運びを見つめた。
《穿月掌》で来ると決めつけるつもりはない。
別の攻撃を選ぶなら、それに合わせて対応するだけだった。
《一閃轟破》を使う準備はできている。
だが、まだ入力しない。
直希は玲奈が次の一歩を踏み出す瞬間を待った。
凛花は画面のHPバーを確認した。
蓮司の体力は、もう端にわずかな長さを残すだけだった。
対する玲奈のHPバーには、まだ半分以上の余裕がある。
第三ラウンドに入ってから、地上での攻防はほぼ自分の思いどおりに進んでいた。
蓮司にも何度か拳を通されたが、そのたびに間合いを変えて主導権を取り戻している。
第二ラウンドのような深い跳び込みも避け、《破陣・轟天拳・壊》を狙われる形は作らせていない。
ここであと一撃を通せば、玲奈の公式十連勝が決まる。
「……次で決めるよ」
凛花はコントローラーを握り直し、蓮司の構えと二人の距離を確かめた。
相手のRESONANCE ARTSゲージには、まだ大技を使えるだけの蓄積がある。
ここまで追い詰めたからといって、不用意に踏み込めば逆転される危険があることは、第二ラウンドで十分に思い知らされていた。
だからこそ、高く跳ぶつもりはない。長い連係で無理に攻め続ける必要もなかった。
凛花が選んだのは、地上からの《穿月掌》だった。
このラウンドでも何度も通してきた技だ。
蓮司が守りを固めればその守りを揺さぶり、拳を返そうとすれば出始めを捉えられる。
玲奈が得意とする間合いから、短い踏み込みで攻撃できることも大きかった。
ただし、蓮司が待ち構えているところへ、無条件に飛び込むつもりはなかった。
凛花は玲奈をわずかに横へ動かし、蓮司の正面から攻撃線をずらす。
蓮司は両拳を構えたまま、こちらの動きを見ていた。無理に追いかけてくる様子はない。
それでも、いつまでも待っているわけにはいかなかった。
玲奈にはまだ十分な体力があるが、相手にも逆転の手段は残されている。
攻める機会を逃して長引かせるより、今の間合いから確実に一撃を通したい。
「……ここ!」
凛花は《穿月掌》を入力した。
画面の玲奈が重心を低く沈め、蓮司の正面からわずかに角度を外しながら踏み込む。
鋭く突き出された掌底が、蓮司の腹部へ迫った。
直希は、玲奈が踏み込んでくる瞬間を見ていた。
低く沈む重心。
前へ運ばれる足。
開いた右掌が、蓮司の腹部へ向かって突き出される。
《穿月掌》
最終ラウンドで何度も受けた技だった。
だが、今回の直希は、玲奈がそう攻めてくるだろうと決めつけて待っていたわけではない。
彼女が実際に踏み込んだ。
その動きを、確かに見た。
(……届く前に、少しだけ!)
直希は後退を入力した。
大きく下がれば、こちらの拳も届かなくなる。
必要なのは、玲奈の掌底だけを外せる、ほんのわずかな距離だった。
蓮司の右足が床を滑るように下がる。
次の瞬間、玲奈の掌底が腹部のすぐ前を通り過ぎた。
衣服の表面をかすめそうな距離だったが、打撃は届いていない。
玲奈の身体は、攻撃の勢いに乗ってまだ前へ流れている。
伸び切った腕を引き戻し、次の守りへ移るまでの、わずかな隙。
直希の指が動いた。
「……ここだぁっ!」
《RESONANCE ARTS LEVEL 3》
《一閃轟破》
入力が成立した瞬間、蓮司のHPバーが赤く脈動した。
端にわずかな長さを残すだけの体力。
その危険な状態に呼応するように、LEVEL 3のRESONANCEゲージが強い光を放った。
《LOW HP》
《RESONANCE ARTS — VISUAL SHIFT》
「……来た!」
直希が声を上げる。
蓮司の足元から、淡い光が走った。
第二ラウンドで見せた《破陣》の赤いオーラとは違う。
光は床をなぞるように広がり、蓮司が踏み込む足へ集まっていく。
そこから膝、腰、背中、肩へと流れ、構えた拳の周囲に細い軌跡を描いた。
画面の背景がわずかに暗く沈む。
リングの照明が消えたわけではない。
PLAYERへ向けた特別なカメラ演出が、今まさに始まろうとする一撃へ視線を集めていた。
周囲の音が遠のく。
代わりに、蓮司が床を踏みしめる重い足音だけが、妙にはっきりと聞こえた。
玲奈はまだ、伸ばした右掌を引き戻そうとしている。
蓮司はその動きを待たなかった。
深く沈んだ身体が、一気に前へ出る。
短く引いた拳が、最短の軌道で玲奈の胸元へ突き込まれた。
「──っ!」
直拳が、玲奈の身体を正面から捉えた。
鈍く重い打撃音が響く。
玲奈の上体が大きく揺れ、踏み込んでいた足の動きが止まった。
胸元へ受けた衝撃に息を詰まらせ、引き戻しかけていた右腕が守りへ戻る前に、その姿勢を崩される。
最初の一撃が、入った。
「……当たった!」
直希が叫ぶ。
しかし、驚いている暇はなかった。
始動が命中したことで、《一閃轟破》の連撃が成立した。
画面のカメラが蓮司の背後から玲奈の正面へ回り込む。
淡い光を引く蓮司の拳が引き戻され、次の攻撃へつながっていく。
まだ、終わらない。
蓮司がさらに半歩踏み込み、玲奈の懐へ入った。
右掌が、下から鋭く突き上げられる。
「くっ……!」
《震掌》とは異なる、連撃の中に組み込まれた掌底だった。
玲奈は咄嗟に腕を寄せたものの、胸元から腹部にかけて突き上げられる衝撃を受け止めきれなかった。
上体が反り、息が喉の奥で詰まる。
玲奈の足が床を踏み直そうとした。
しかし、蓮司はその立て直しを許さなかった。
掌底を放った右腕を引き、身体をひねる。
今度は肘だった。
短い距離から鋭く振り込まれた肘が、玲奈の脇腹を捉えた。
「あっ……!」
玲奈の身体が横へ折れた。
先ほど胸元を打たれた痛みが引く前に、別の場所へ重い衝撃が走る。
玲奈は歯を食いしばり、どうにか上体を戻そうとした。
しかし、呼吸を整える余裕はない。
目の前の男は、もう次の攻撃へ移っている。
画面では、打撃が命中するたびに淡い光の軌跡が描かれ、玲奈のHPバーが大きく削られていた。
蓮司が玲奈との距離をさらに詰める。
倒れかけた彼女の身体を逃がさない位置へ入り込み、下半身を沈めた。
そこから、膝を突き上げる。
「がっ……!」
鋭い膝蹴りが、玲奈の腹部へ深く入った。
玲奈の身体が衝撃で持ち上がる。
苦痛に顔を歪め、反射的に腹部へ腕を寄せようとしたが、蓮司との距離は近すぎた。
玲奈の唇から、詰まった息が漏れる。
身体を曲げようとしても、次々と受けた打撃によって姿勢が定まらない。
最初の直拳を受けたときから、一度も十分に構えを戻せていなかった。
玲奈はなおも足を踏みしめようとする。
床を捉え、身体の軸を戻しさえすれば、まだ立っていられる。
しかし、その足へ力が戻るより早く、蓮司が動いた。
連撃が、最後の一撃へ移る。
それまで途切れずに流れていた拳と脚の動きが、一瞬だけ静まった。
蓮司は玲奈の正面で深く腰を落とした。
右拳を引く。
左足を踏み出し、右足で床を強く捉える。
玲奈は顔を上げた。
ぼやけかけた視界の向こうに、拳を構える蓮司がいる。
まだ終わっていない。
そう思い、両腕を持ち上げようとする。
だが、腹部へ受けた膝蹴りの痛みが残り、身体は思うように動かなかった。
玲奈の指先が、ようやく胸元へ近づいたところだった。
そのとき、画面の演出が再び切り替わった。
カメラが蓮司の右拳へ寄る。
足元から流れていた淡い光が、今度は幾重もの線となって身体を駆け上がっていく。
脚から腰へ。
腰から背中へ。
肩から腕へ。
これまでの連撃をつないでいた光が、すべて最後の右拳へ集まっていった。
拳の輪郭が、まぶしいほどの光に包まれる。
直希は息を呑んだ。
この演出は知っている。
初日に、別の玲奈から初めて一ラウンドを奪ったときにも見た。
だが、あのときは追い詰められ、ほとんど反射的に出した大技だった。
今回は違う。
玲奈の掌底を見た。
わずかに下がって外した。
自分で選んだ瞬間に、《一閃轟破》を入力した。
そして今、その連撃が最後の一撃までつながろうとしている。
「……いける!」
直希はコントローラーを握り締めた。
玲奈のHPバーには、まだわずかな長さが残っている。
しかし、蓮司の拳も、まだ終わっていない。
「……決めろっ、蓮司!」
蓮司が踏み込んだ。
床を踏みしめる音が、重く響く。
腰が回り、右肩が前へ送り出される。
淡い光をまとった右拳が、一直線に伸びた。
その瞬間、画面のカメラが玲奈の正面へ切り替わった。
玲奈には、その拳が迫ってくるのが見えた。
守ろうとした両腕は、まだ十分に上がっていない。
身体をひねって攻撃線から外れる余裕もなかった。
「──あっ……!」
右拳が、玲奈の胴体を正面から打ち抜いた。
重い衝撃が、玲奈の身体を突き抜ける。
肺に残っていた息が押し出され、声にならない苦痛が喉を震わせた。
玲奈の背中が大きく反り、足先が床から離れる。
蓮司は最後まで拳を振り抜いた。
画面に、まばゆい光が弾ける。
拳が命中した一点から光の輪が広がり、先ほどまで連撃をつないでいた幾筋もの軌跡が、その衝撃へ吸い込まれるように重なった。
打撃音に、低く長い轟音が続いた。
そして、玲奈の身体が後方へ吹き飛ばされる。
「あああっ──!」
堪えきれなかった声が、玲奈の唇から漏れた。
長い黒髪が大きく舞い、赤紫の花飾りが揺れる。
白と赤紫の戦闘服が翻り、伸ばしかけていた両腕から力が抜けた。
玲奈は空中で姿勢を戻そうとした。
しかし、連撃によって受けた痛みと最後の正拳の衝撃が重なり、受け身を取れる状態ではなかった。
身体が傾く。
背中から、リングへ落ちる。
鈍い音が響き、玲奈の身体が床の上で一度跳ねた。
そのまま動きが止まる。
特別なカメラ演出が終わり、通常の対戦画面へ戻った。
直希は画面を凝視していた。
「……どうだ……!?」
玲奈のHPバーが、まだ減り続けている。
最後の正拳が命中した瞬間から、残っていた体力が一気に削られていた。
半分以上あったはずのHP。
その余裕は、連撃を受けるたびに失われ、最後の一撃によって端まで追い込まれている。
「……頼む!」
直希は思わず声を上げた。
ほんのわずかに残っていた玲奈のHPバーが、さらに短くなる。
そして──。
完全に消えた。
K.O.
「…………!」
直希の目が見開かれた。
玲奈はリングに倒れたまま、起き上がらない。
画面には、最後の正拳を振り抜いた蓮司の姿が映っていた。
呼吸は荒い。
身体には、最終ラウンドで受けた打撃の痛みと損傷が残っている。
それでも蓮司は、両足でリングに立っていた。
玲奈は倒れている。
蓮司は立っている。
その事実が、画面に表示された勝敗を裏づけていた。
《KAMIYA RENJI》
《ROUND WIN》
続いて、公式戦の結果が表示される。
《MATCH RESULT》
《KAMIYA RENJI 2》
《KIRYU REINA 1》
第一ラウンドは、玲奈。
第二ラウンドは、蓮司。
そして、すべてが懸かった最終ラウンド。
最後の勝者として表示された名前は──。
《WINNER:KAMIYA RENJI》
公式九戦無敗の桐生玲奈を相手に、神谷蓮司が二対一で勝利した。
勝負を決めたのは、低HPから放たれた《一閃轟破》。
最後まで拳を届け切った男が、公式戦を制した。
「…………」
凛花は結果画面を見つめたまま、動けなかった。
《WINNER:KAMIYA RENJI》
第一ラウンドは自分が取った。
第二ラウンドも、最終ラウンドも、蓮司をあと一撃で倒せるところまで追い詰めた。
それなのに、試合の勝者は神谷蓮司だった。
「……負けたの?」
思わず声が漏れた。
最後の《穿月掌》は、勝てると判断して出した技だった。
しかし、その一撃を外された。
そこから《一閃轟破》を通され、玲奈のHPバーは一気に消えてしまった。
理屈は理解できる。
けれど、画面に倒れている玲奈を見ると、まだ現実のこととは思えなかった。
凛花は震える指で、玲奈の公式戦績を開いた。
《KIRYU REINA》
《RANK:ROOKIE 1》
《OFFICIAL RECORD:9 WIN/1 LOSS》
「…………あ」
凛花は、その表示を見つめた。
九勝、一敗。
九つ並んだ白星の隣に、初めて敗北が刻まれている。
最初の一戦から、玲奈は勝ち続けてきた。
相手の攻め方に応じて《霞歩》や《崩月》を使い分け、苦しい試合も最後には勝ち切ってきた。
その九連勝には、シャルロットで積み重ねた経験と、新しく覚えた玲奈の技への自信が詰まっている。
次に勝てば十連勝。
BRONZE 5への昇格も見えていた。
あと一つだった。
そこへ、自分より下位ランクの神谷蓮司が指名挑戦してきた。
九戦無敗の玲奈なら、十分に勝てると思っていた。
「……なんで、ここで負けるのよ……!」
凛花はコントローラーを握り締めた。
シャルロットでは、負けることも珍しくなかった。
勝てそうな試合を落とし、悔しい思いをした経験だってある。
だが、玲奈は違う。
これまでは、一度も敗北の記録がなかった。
次に勝っても、もう十戦全勝にはならない。
今日ついた一敗は、この先どれほど勝ち続けても消えないのだ。
頭では分かっている。
凛花はもう一度、対戦結果へ視線を戻した。
《WINNER:KAMIYA RENJI》
九戦無敗の玲奈を指名してきた、自分より下位ランクの男性格闘家。
試合の大半で押していたのは、こちらだった。
それなのに、最後に名前を残したのは蓮司だ。
「……あと一発だったじゃん……!」
凛花はコントローラーを握り締めた。
「こっちは何回も当てて……あんなに削ったのに……!」
第二ラウンドも、最終ラウンドも、あと一撃を通せば決着だった。
その一撃を、二度とも取り切れなかった。
逆転された理由は、何となく分かっている。
だが、今ここで冷静に整理できるほど、悔しさは小さくなかった。
勝てそうだったから悔しいのか。
無敗を失ったから悔しいのか。
どちらもだと分かっているのに、上手く言葉にならなかった。
凛花は一度、深く息を吐いた。
コントローラーを置こうとして、やめる。
画面には、まだ公式戦の結果が残っている。
九勝一敗。
初めての敗北。
神谷蓮司。
その三つが、どうしても頭から離れなかった。
凛花は玲奈の敗北した姿を思い返した。
白と赤紫の戦闘服をまとい、九つの公式戦を勝ち抜いてきた自分の玲奈。
勝ったあとには堂々と立ち、敗れた男性格闘家を前にしても、少しも臆することのなかった玲奈。
その玲奈が、今日は蓮司の連撃を受け、最後の正拳で倒された。
何より悔しかったのは、その結末を自分で変えられなかったことだ。
攻撃を選んだのは凛花だった。
その一手を外され、逆転を許したのも凛花だった。
だから、玲奈の戦績に初めて刻まれた一敗を、相手の技のせいだけにはできなかった。
「……ごめんね、玲奈……」
声は、思ったより小さくなった。
もちろん、画面の玲奈に聞こえるわけではない。
それでも凛花は、そう言わずにはいられなかった。
勝たせたかった。
十連勝させたかった。
せめて、最後の《穿月掌》を当てて終わりたかった。
そのどれも、もう叶わない。
凛花は結果画面を閉じず、もう一度勝者の名前を見た。
《WINNER:KAMIYA RENJI》
「……覚えたからね」
ようやく出てきた言葉は、驚くほど静かだった。
「……次は、こんな負け方しないから」
勝てなかった事実は変わらない。
九連勝が途絶えたことも、玲奈の公式戦績に初めて一敗が刻まれたことも、取り消せない。
けれど、それで神谷蓮司との勝負まで終わったことにはならない。
凛花は画面を見据えたまま、コントローラーを握り直した。
悔しさは、まだ少しも消えていなかった。
直希は、勝利表示を見つめていた。
《WINNER:KAMIYA RENJI》
「……勝ったんだな」
ようやく実感が湧いてきた。
公式九戦無敗。
ROOKIE 1。
自分より二段階も上の相手へ指名挑戦し、その玲奈に二対一で勝った。
「……やった!」
直希は拳を握り、椅子の背へ身体を預けた。
「やった……! 本当に勝った!」
嬉しかった。
だが、もう一度戦って同じ結果を出せるかと聞かれれば、自信はない。
「……これ、もう一回やったら勝てるか分かんないな」
直希は苦笑した。
それでも、相手の動きを見てから技を選ぼうとしたことは、今回の勝利につながっている。
今は、それだけで十分だった。
直希が満足そうに息を吐いたところで、公式戦の戦績が更新された。
《KAMIYA RENJI》
《OFFICIAL RECORD:4 WIN/11 LOSS》
「……四勝目、か」
直希はその数字を見つめた。
負けの方が、まだずっと多い。
最初の頃は、勝つことさえできなかった。
ようやく一勝を手にしてからも、強い相手に何度も跳ね返されている。
それでも、少しずつ勝ちを増やしてきた。
そして今回、自分より上のランクにいる無敗の玲奈から、四つ目の白星を奪った。
その直後、画面の一部が明るく光った。
「……ん?」
公式戦の結果表示の下に、RPの加算通知が現れている。
勝利による加算。
さらに、上位ランクの相手を破ったことによる評価が反映されていた。
RPの進行表示が伸びていく。
いつもよりも勢いよく進むその表示を、直希は何となく眺めていた。
しかし次の瞬間、表示がROOKIE 3のランク境界へ達した。
「……え?」
直希が身を乗り出す。
RPの加算表示が止まり、画面の中央に神谷蓮司のランクエンブレムが大きく現れた。
《ROOKIE 3》
見慣れたエンブレムだった。
それが淡い光に包まれ、輪郭から細かな光の粒が舞い上がる。
低い効果音が鳴り、中央の数字が一度消えた。
直希は目を見開いた。
「……ちょっと待って」
光が強くなる。
エンブレムの輪郭が新たな形へ整い、次の瞬間、画面いっぱいに昇格の通知が現れた。
《RANK UP!》
《ROOKIE 3 → ROOKIE 2》
「…………えっ?」
直希は一瞬、固まった。
もう一度、表示を見直す。
《NEW RANK:ROOKIE 2》
「……ルーキー、ツー?」
読み間違いではない。
神谷蓮司の公式ランクが、ROOKIE 3からROOKIE 2へ変わっていた。
「……ええっ!?」
直希の声が、部屋に響いた。
「ランク上がった!?」
思わず椅子から立ち上がりかける。
勝ったことだけでも十分に嬉しかった。
しかも、今回は公式九戦無敗の相手だ。
大きな白星を一つ取れたというだけで、しばらくは満足できると思っていた。
それなのに、ランクまで上がっている。
「……マジか! やった! ROOKIE 2だ!」
直希は拳を握り締めた。
最初はROOKIE 5だった。
敗北を重ね、勝ち方さえ分からなかった頃から、ようやくここまで来た。
まだROOKIE帯で、今回倒した玲奈のランクにさえ届いていない。
それでも、以前の自分から確かに前進している。
「……ちゃんと、上がれたんだな」
新しいエンブレムを見つめる。
四勝十一敗。
負けの方がずっと多いことは変わらない。
だが、十一回負けても戦い続けてきたからこそ、今日の勝利と昇格を手にできた。
「よっしゃあっ!」
直希はもう一度拳を握り、嬉しそうに椅子へ腰を下ろした。
《KAMIYA RENJI》
《RANK:ROOKIE 2》
《OFFICIAL RECORD:4 WIN/11 LOSS》
「……次も、ちゃんと勝ちたいな」
今回の勝ち方が次の相手にも通用するとは限らない。
それでも、試してみたいことはまだいくつもあった。
直希は新しいランクをしばらく眺め、ようやく結果画面から目を離した。
公式アリーナでは、玲奈がリングに倒れたまま、しばらく動けずにいた。
最後の正拳を受けた腹部には強い痛みが残り、息を吸おうとするたびに身体が震える。
それでも玲奈は片手を床につき、ゆっくりと上体を起こした。
「……くっ……」
連撃を受けた胸元や脇腹にも鈍い痛みが走り、思わず声が漏れた。
あれほど優勢に進めていた最終ラウンドで、最後に倒されたのは自分だった。
玲奈は痛みに耐えながら顔を上げ、正面に立つ蓮司を見つめた。
九戦九勝。
一度も敗北を刻まれていなかった公式記録に、初めて一敗が加わる。
頭では理解している。
それでも、蓮司の拳に打ち倒されたという事実は、簡単には受け入れられなかった。
(……私の方が、ずっと攻めていたのに)
第二ラウンドでも最終ラウンドでも、蓮司をあと一撃のところまで追い詰めた。
なのに、最後に倒されているのは自分だった。
男の彼へ向けて、第一ラウンドのあとに何と言っただろう。
最後に勝つのは女の私だとまで言い切った。
自分から挑戦してきたくせにその程度の実力なのか。
男の格闘家として情けなくないのか。
彼の悔しそうな顔を見るのが嬉しいと、玲奈は確かに笑った。
その蓮司に、二つ続けてラウンドを奪われた。
玲奈は唇を噛んだ。
(……悔しい)
格闘家として。
そして、女の自分として。
勝者として楽しんできた男女の勝敗に、今度は敗者として向き合わなければならなかった。
蓮司が近づいてくる気配がした。
蓮司もまた、最終ラウンドで大きな損傷を負っていた。
玲奈には分かる。
最後の攻防で残されていた彼の戦闘余力は、ほんのわずかだった。
今も呼吸は荒く、こちらへ歩み寄る足取りにも、受け続けた打撃の影響が残っている。
それでも蓮司は、勝者として彼女の方へ歩いてきた。
玲奈は、その姿を正面から見上げた。
目を背けたい気持ちはあった。
自分があと一撃まで追い詰めた男が、今は勝者として立っている。
そして、敗れた自分は床に座り込んだまま、その男を見上げている。
悔しくないはずがなかった。
だが、玲奈は視線を逸らさなかった。
最後に拳を通したのは蓮司だ。その事実まで否定するつもりはなかった。
直希の画面に、試合後の会話意図を選ぶ項目が表示された。
《POST-MATCH》
《会話意図を選択》
1.《壊》と《一閃轟破》が噛み合った幸運を認め、控えめに勝利を喜ぶ。
2.九連勝していた女性に初敗北を刻んだことを、男性勝者として誇る。
3.相手の技術と強さを認めたうえで、勝てた喜びと再戦したい意思を伝える。
直希は選択肢を見つめた。
運に助けられた部分があったことは否定しない。
けれど、それだけで勝てたとも思っていなかった。
そして何より、あれほど苦戦した相手だからこそ、勝てたことが嬉しかった。
「……これだな」
直希は三番を選んだ。
玲奈の強さを認めたうえで、自分の勝利を喜び、もう一度戦いたいという意思を伝える。
その選択を受けて、公開される試合後の会話が始まった。
蓮司は玲奈の正面に立った。
玲奈は立ち上がっていたが、まだ胴体の痛みが消えておらず、呼吸も完全には整っていない。
彼女は自分の目を避けず、勝者になった男をじっと見据えていた。
「……玲奈」
「……何かしら」
声音には、先ほどまでの穏やかな余裕がなかった。
蓮司はその変化に気づきながらも、言葉を選んで話し始めた。
「おまえは強かった。第一ラウンドはほとんど何もできなかったし、残りの二つも、長い時間おまえに押されていた」
玲奈の眉がかすかに動いた。
「……それを、勝ったあなたが言うのね」
「ああ。事実だからな」
蓮司は短く息を吐いた。
身体にはまだ戦いの痛みが残っている。
決して余裕のある勝ち方ではなかった。
「《霞歩》の反撃も、《崩月》も厄介だった。最後の掌底を外せなければ、倒れていたのは俺だ」
「……そうでしょうね」
玲奈は少しだけ顎を上げた。
「だったら、どうしてそんなに嬉しそうなの?」
「おまえに勝ったからだ」
蓮司は迷わず答えた。
「おまえが強かったからこそ、勝てたことが嬉しい」
玲奈は言葉を失いかけた。
褒められているのは分かる。
蓮司は確かに、彼女の技と判断を認めている。
その一方で、勝った自分の喜びを隠そうとはしていない。
玲奈自身が、男の敗者に対していつもしてきたこととよく似ていた。
「……あなた、本当に堂々としているのね」
「今日の勝ちは、俺にとって大きいからな」
蓮司は彼女を見据えた。
「おまえは、九戦して一度も負けていなかったんだろう?」
「……ええ」
「なら、その最初の一敗を刻んだのは俺だ」
「──っ!」
玲奈の頬が熱くなった。
自分から指名挑戦してきた男を、第一ラウンドでは圧倒した。
その相手が、今は勝者として目の前に立ち、自分の無敗記録を止めたと告げている。
それは事実だった。
だからこそ、悔しかった。
「……よく、そんなことが言えるわね」
「言い返しても構わないが、俺が勝ったことまで引っ込めるつもりはない」
蓮司の声は落ち着いていた。
玲奈は唇を強く結んだ。
格闘家として強い相手に負けた悔しさと、女の自分が男の勝者にその事実を誇られる悔しさが、胸の中で重なっている。
自分が勝ったときには、相手の男に敗北を認めさせ、悔しいのだと聞き出して喜んでいた。
今は、その立場が逆になった。
「……それで、あなたは満足したの?」
「いや」
蓮司は首を横に振った。
「また、おまえと戦いたい」
玲奈が目を見開いた。
「……何ですって?」
「次も勝てるとは思っていない。だが、次も勝ちたい」
玲奈は、彼が何を言っているのか考えた。
今の勝利を当然だとは思っていない。
それだけこちらを強い相手だと認めている。
なのに、もう一度自分を倒したいと口にする。
その言い方が、余計に悔しさを刺激した。
「……私を慰めているつもり?」
「そんなつもりはない。おまえに勝てたことは嬉しいし、次も勝ちたい。それだけだ」
「……そう」
玲奈は息を整え、蓮司をまっすぐに見た。
「だったら、覚えておきなさい。次も同じように勝てるとは思わないことね」
「ああ。分かってる」
「今日の一敗は忘れないわ。次に戦うときは、私が勝つ。あなたに今日とは逆の結果を見せてあげる」
「……俺も、次も勝つつもりだ」
玲奈は一度だけ目を伏せ、それから顔を上げた。
「……いいわ」
ようやく笑みが戻った。
だが、そこには第一ラウンドで男の敗者を見下ろしていたときの余裕はない。
「次は、あなたを倒すために戦うわ。神谷蓮司」
「ああ。受けて立つ」
公開された試合後の会話を見終えた凛花は、モニターを睨んでいた。
『なら、その最初の一敗を刻んだのは俺だ』
「……何なのよ、それ……!」
蓮司は玲奈の強さを認めていた。
そのうえで、自分が勝ったことを堂々と誇り、次も勝ちたいとまで言っている。
「……いや、何その余裕……!」
これまで凛花は、玲奈が男性格闘家に勝ち、その自尊心を刺激する姿を好んできた。
けれど、今は自分の玲奈が敗者だ。
勝った男から、最初の一敗を刻んだのは自分だと宣言されている。
「……上から言わないでよ!」
蓮司が相手を馬鹿にしているわけではないことも分かる。
だからこそ、余計に悔しかった。
「……次は絶対、勝つから」
凛花は対戦結果に表示された神谷蓮司のCHARACTER IDを選んだ。
そのとき、試合前とは異なるランク表示に気づいた。
《KAMIYA RENJI》
《RANK:ROOKIE 2》
《OFFICIAL RECORD:4 WIN/11 LOSS》
「…………え?」
凛花は画面に顔を近づけた。
「……ROOKIE 2?」
間違いない。試合前はROOKIE 3だった蓮司が、今はROOKIE 2になっている。
「……あたしに勝って、ランクまで上がったの?」
上位ランクの相手を倒せば、それだけRPの評価が高くなる。
仕組みは知っている。
だが、今回はその相手が、自分の九戦無敗だった玲奈なのだ。
「……こっちは初めて負けたのに、そっちは昇格までしてるんだ……!」
自分にとって忘れられない一敗が、蓮司にとっては一つ上のランクへ進む白星になっていた。
その事実が腹立たしかった。
「……喜んでるんだろうな、今ごろ……!」
未知の相手PLAYERの顔は分からない。
それでも、あれだけの格上を倒し、さらに昇格したのなら、喜んでいるに決まっている。
凛花は自分のプロフィールを開いた。
《KIRYU REINA》
《RANK:ROOKIE 1》
《OFFICIAL RECORD:9 WIN/1 LOSS》
ROOKIE 1のまま。だが、RPの進行表示は試合前より後退している。
「…………あ」
次の一勝でBRONZE 5へ届くと見込んでいた。
それが今回の敗北で、もう届かない位置まで戻されていた。
「……BRONZE 5、次で行けなくなったじゃない……!」
無敗記録を失い、初めての一敗を刻まれ、目前だった昇格まで遠のいた。
一方、蓮司はROOKIE 2へ上がっている。
「……何それ! あたしに勝って、そんなにいいことばっかりあるわけ!?」
凛花は二つのプロフィールを見比べた。
九勝一敗のROOKIE 1。
四勝十一敗のROOKIE 2。
ランクは今も自分の玲奈の方が上だ。
だが、直接対決の勝者は蓮司だった。
その結果だけは、どう言い返しても覆らない。
「……絶対、このままじゃ終わらせないから!」
凛花はもう一度、神谷蓮司のCHARACTER IDを見た。
自分の玲奈に最初の一敗を刻み、その勝利で一つ上のランクへ進んだ男。
凛花は、そのIDを忘れるつもりはなかった。
アリーナを離れ、身体を回復させた玲奈は、自分の公式記録を開いた。
《OFFICIAL RECORD》
《9 WINS / 1 LOSS》
九勝、一敗。
玲奈は、その表示をしばらく見つめていた。
九戦目までは、そこに敗北の記録などなかった。
勝つたびに増えていく白星を、嬉しく思っていた。
相手の技に苦しめられた試合もあったが、最後には自分が勝者として立っていた。
それが、玲奈にとっての九戦無敗だった。
けれど、もう違う。
今日、初めて負けた。
しかも、自分から男としての誇りを刺激し、最後に勝つのは女の自分だとまで言い切った神谷蓮司に。
「……九勝、一敗……」
玲奈は小さく読み上げた。
次に勝てば、十勝一敗になる。
勝利を重ねることは、これからもできる。
けれど、もう十戦全勝には戻れない。
自分が一度も負けていなかったという記録は、今日で終わったのだ。
玲奈は唇を引き結んだ。
身体の痛みは消えている。
それでも、最後の正拳を受けた瞬間も、蓮司に告げられた言葉も、鮮明に覚えていた。
『なら、その最初の一敗を刻んだのは俺だ』
「……神谷蓮司」
玲奈は男の名前を口にした。
九つの勝利が消えたわけではない。
これまで戦ってきた相手も、勝つために重ねた工夫も、すべて自分自身の経験だ。
だからこそ、その続きに初めての一敗が加わったことが悔しかった。
蓮司は、あの勝利を誇っていた。
玲奈の強さを認めながら、それでも自分が勝ったのだと、堂々と言い切った。
今まで勝者として男たちへ向けてきた言葉が、敗者となった自分にはこれほど悔しく響く。
そのことまで、今日の試合で知ってしまった。
「……忘れないわ」
玲奈は記録画面を閉じた。
もう、無敗の桐生玲奈ではない。
その事実は変えられない。
けれど、敗北したからといって、これまでの自分まで否定するつもりはなかった。
九度勝ってきたことも。
今日、神谷蓮司に負けたことも。
どちらも、自分が戦って残した結果だ。
玲奈は静かに拳を握った。
次にあの男と向き合うときは、初めて敗れた相手だからこそ、今度は自分の力で勝ちたい。
その思いは、記録画面を閉じても消えなかった。
直希はROOKIE 2のエンブレムをもう一度眺めてから、対戦履歴を開いた。
そこには、初日に五度続けて敗れたGOLD 3の桐生玲奈がいる。
あのときは《霞歩》への対応も分からず、最後の試合でようやく一ラウンドを奪うのが精一杯だった。
「……もう一回、戦いたいんだよな」
直希は対戦履歴に残る玲奈の名前を見つめた。
今回の勝利が、あの玲奈にも通用する保証はない。
それでも、今なら以前より相手の動きを見られるはずだった。
直希は登録された再戦情報を開いた。
《KIRYU REINA》
《OFFICIAL RANK:GOLD 3》
《ID指定公式再戦:申請可能》
公式戦五連戦の上限に達していたため、当時はそれ以上戦えなかった相手だ。
今は、再び挑戦できるようになっている。
「……ROOKIE 2になったばっかりで、GOLD 3か……」
直希は苦笑した。
勢いだけで挑んでいい相手ではない。
それでも、五度も負けた相手に、今の自分がどこまで戦えるのか確かめたかった。
「……よし。行こう」
直希はGOLD 3の玲奈のCHARACTER IDを選び、正式な指名再戦申請を送った。
《RANKED MATCH》
《CHALLENGE REQUEST SENT》
《WAITING FOR ACCEPTANCE》
「……送っちゃった」
直希は画面の通知を見つめた。
相手が今回も挑戦を受けてくれるとは限らない。
それでも、もう一度戦いたい気持ちに変わりはなかった。
「……受けてくれるかなぁ」
凛花は、神谷蓮司のCHARACTER IDを表示したまま、対戦履歴を開いた。
再戦するつもりは変わらない。
だが、同じ負け方だけは二度としたくなかった。
「……もう一回、見てやる……!」
凛花は第二ラウンドの終盤まで再生位置を進めた。
《REPLAY/ROUND 2》
蓮司のHPバーはもうほとんど残っていない。玲奈にはまだ六割ほどの余裕があった。
「……これで負けるとか……!」
映像の蓮司が《破陣》を発動する。
玲奈は距離を取り、蓮司も無理に追ってこない。
凛花は再生速度を落とした。
問題の跳び込み。
玲奈が斜めから踏み切る。
蓮司は、まだ拳を出していなかった。
「……ここ……!」
映像を止め、少し巻き戻す。
玲奈の蹴り脚が伸び、身体が前方へ深く運ばれる。
その瞬間になって、蓮司の右拳へ赤いオーラが集まった。
《破陣・轟天拳・壊》
凛花は専用演出が始まったところで再生を止めた。
「……ああもうっ!」
次に何が起きるかは、嫌というほど覚えている。
玲奈を打ち上げ、半分以上残っていたHPバーを一撃で消した右拳。
何度思い返しても腹立たしい。
しかし、確認したかったのは威力ではなかった。
凛花は拳を出す直前まで映像を戻した。
「……やっぱり、待ってたんだ……」
自分が先に跳び込んだ。
蓮司はその動きを見て、間合いが深くなったところへ拳を合わせた。
偶然だけで決まった攻撃ではない。
「……分かった。次は絶対、その形にしないから……!」
凛花は最終ラウンドのリプレイを開いた。
《REPLAY/FINAL ROUND》
こちらの方が、さらに悔しかった。
跳び込みを控え、玲奈の得意な地上戦で蓮司を追い詰めた。
HPバーの差も大きく、あと一撃で決着するはずだった。
しかし、最後の《穿月掌》。
玲奈が踏み込む瞬間に、蓮司がわずかに後退している。
「……っ!」
凛花は再生を止めた。
大きな回避ではない。
掌底が届かなくなるだけの、ほんの小さな後退だった。
「……たった、それだけ……?」
凛花は画面へ顔を近づけ、再生を進める。
玲奈の掌底が空を切り、その戻り際へ蓮司の直拳が届いた。
《一閃轟破》
連撃が始まったところで、再び映像を止めた。
もう、最後の正拳で玲奈が倒されるところまで見る必要はなかった。
「……こっちも、見てから外してる……!」
二度とも、相手がこちらの動きを確かめて技を選んでいた。
凛花だって適当に攻撃したわけではない。
地上戦へ切り替えたことにも、《穿月掌》を選んだことにも理由があった。
それでも、最後の一手を取られた。
「……分かってるわよ! あんたが上手かったんでしょ!」
思わず声を荒らげる。
認めたくない。
だが、映像を見れば分かってしまう。
相手は偶然だけで勝ったのではない。
その事実が、どうしようもなく悔しかった。
「……っ、もう!」
凛花はリプレイを閉じた。
二度の敗因は、もう分かっている。
だからこそ、次は同じ負け方をするつもりはなかった。
「……絶対、取り返すから!」
凛花は確認したばかりの神谷蓮司のCHARACTER IDから、公式戦の指名挑戦の操作へ進んだ。
その頃、直希が待っていた再戦申請に、相手から返事が届いた。
《MATCH ACCEPTED》
《RANKED MATCH CONFIRMED》
《KAMIYA RENJI ROOKIE 2》
《VS》
《KIRYU REINA GOLD 3》
「……受けてくれた!」
直希はコントローラーを持ち直した。
初日に五度続けて敗れた玲奈との、六度目の公式戦が成立した。
別IDの玲奈に勝てたからといって、次も勝てるとは限らない。
それでも、あの相手へもう一度挑戦できることが嬉しかった。
画面が公式アリーナへ切り替わり、試合開始の合図が鳴った。
直希は姿勢を正し、GOLD 3の玲奈との新たな攻防へ踏み出した。
凛花は指名挑戦の申請画面へ進んだ。
「……さあ、もう一回!」
しかし、表示されたのは対戦申請の確認ではなかった。
《REMATCH REQUEST UNAVAILABLE》
《OPPONENT STATUS:IN RANKED MATCH》
「…………は?」
凛花は画面を見直した。
「……え? もう別の公式戦やってるの!?」
思わず声が大きくなった。
ついさっき、自分の玲奈に初めての一敗を刻んだ相手だ。
こちらは悔しさを抑えきれず、二度の逆転をリプレイで確かめていた。
その間に、相手はもう次の試合へ進んでいた。
「……ちょっと待ってよ!」
凛花はコントローラーを握り締めた。
もちろん、相手はこちらが再戦を望んでいることなど知らない。
申請さえ送れていないのだから、待ってくれる理由もなかった。
そんなことは分かっている。
それでも。
「……こっちは九連勝、止められたんだよ!?」
凛花の声が跳ね上がった。
「初めて負けて、RPまで減って、BRONZE 5だって遠のいたのに……!」
その一方で、蓮司は自分への勝利によってROOKIE 2へ昇格している。
しかも勝ったあとには、あんなことまで言った。
『おまえの最初の一敗を刻んだのは俺だ』
「……あんなこと言っておいて、もう次の試合!?」
凛花はモニターを睨みつけた。
「ふざけんなぁーっ!!」
部屋に声が響いた。
相手が再戦を拒否したわけではない。
ただ、今すぐ勝ち返せないことが、どうしようもなく腹立たしかった。
「……もう、ほんっとに……!」
対戦履歴に表示された神谷蓮司の名前が、さっきよりずっと憎らしく見えた。
凛花は神谷蓮司のCHARACTER IDを睨みつけた。
「……絶対、次はあたしが勝つからね」
その男のIDも、自分の玲奈に刻まれた最初の一敗も、忘れるつもりはなかった。
それでも、今すぐ再戦することはできない。
凛花は、対戦中を示す表示へもう一度目を向けた。
「……で、今度は誰と戦ってるのよ?」
自分の玲奈を倒した男が、次の試合でどんな戦い方をするのか。
それは、確かめておきたかった。