公式アリーナ。
先ほどの試合を終えた蓮司は、まだ胴体に残る痛みを意識していた。
玲奈の《穿月掌》を受けて倒された感覚も、六度目の敗北を告げられた悔しさも、鮮明に残っている。
それでも、蓮司はもう一度戦うことを選んだ。
そして、その再戦申請を玲奈が受け入れた。
新たな公式戦の成立とともに、連戦に伴う回復処理が始まる。
蓮司の胴体に残っていた痛みが消え、損傷した身体がほぼ瞬時に修復された。
玲奈も《破陣・轟天拳》を受けた胸元の痛みから解放される。
双方の身体が万全の状態に戻った。
蓮司は正面の玲奈を見据えた。
「……玲奈。また受けてくれて、礼を言う」
「さっき負けたばかりなのに、もう一度挑んでくるなんて」
玲奈は楽しそうに微笑んだ。
「本当に、諦めの悪い人ね」
「……まだ、おまえに勝っていないからな」
「ふふっ。そうだったわね」
玲奈は少しだけ首を傾げた。
「ねえ、蓮司。あなた、今回も五試合の上限まで挑むつもりなの?」
以前も、蓮司は五度続けて挑んできた。
そして今回も、最初の敗北から間を置かずに再戦を申し込んでいる。
「……そのつもりだ。おまえが受けてくれるならな」
「そう。だったら、私も五つとも勝つつもりで戦うわ」
玲奈の笑みが少し深くなった。
先ほどの試合では、蓮司の拳に何度も驚かされた。
次も同じように勝てるとは限らない。
それでも、玲奈は自分が勝者として立ち続けるつもりだった。
「……そう簡単には取らせない」
「ふふっ。期待しているわ」
玲奈が半歩下がり、両掌を構える。
蓮司も左足を前へ出し、拳を上げた。
七度目の公式戦が始まった。
第一ラウンド。
玲奈が先に動いた。
身体を横へ流し、浅い間合いから《流燕脚》を振り抜く。
蓮司は両腕を寄せ、蹴りの先端を受け止めた。
「ぐっ……!」
衝撃で上体が傾く。
だが、反撃の拳は出さなかった。
玲奈の上体は遠い。
ここから《轟天拳》を突き上げても、拳が届く前に距離を外されるだろう。
「ふふ。今度は打ち返さないのね」
「……届かないところへは出さない」
「ふふっ。ちゃんと考えているのね」
玲奈は蹴り脚を戻した。
蓮司も足を踏み直し、次の接近に備える。
玲奈が再び前へ出た。
腰が回る。
先ほどより、わずかに踏み込みが深い。
その動きは、前の試合で《轟天拳》による迎撃に成功した《流燕脚》とよく似ていた。
直希は、玲奈の腰が回る瞬間を見ていた。
さっきの浅い蹴りには、拳を出さなかった。
だが、今度は上体も近づいている。
(……今なら届く!)
「ここだ!」
直希は通常の《轟天拳》を入力した。
画面の蓮司が腰を沈め、右拳を斜め上へ突き上げる。
しかし、玲奈の踏み込みは途中で止まっていた。
「……えっ?」
右拳が、玲奈の胸元の手前を通り過ぎる。
《轟天拳》
蓮司の右拳が、玲奈の胸元を捉えることなく空を切った。
拳を突き上げた瞬間、蓮司は玲奈の踏み込みが止まっていることに気づいた。
先ほどまで蹴りを放とうとしていた玲奈は、すでに腰の回転を止めている。
こちらの拳が届く位置へ、上体を近づけるつもりなどなかったのだ。
誘われた。
蓮司はすぐに右拳を引き戻そうとした。
だが、《轟天拳》を放つために沈めた腰と、上へ突き出した腕は、すぐには元の構えへ戻らない。
玲奈は、その隙を見逃さなかった。
「今度は出してくれたのね」
穏やかな声とともに、玲奈が膝を曲げて重心を落とす。
蓮司の守りが戻るより早く、玲奈は床を蹴って鋭く踏み込んだ。
《穿月掌》
低い姿勢から突き出された掌底が、蓮司の胴体を捉えた。
不意に腹部を打たれた蓮司は、息を詰まらせながら上体を折った。
反撃しようと両拳を戻したものの、玲奈は追撃を重ねず、掌底を引くと同時に一歩退いていた。
拳を返せる姿勢になったときには、もう玲奈の身体は届かない位置にある。
「さっき当てられた拳だもの。私だって、警戒するわ」
玲奈は両掌を構え直し、わずかに微笑んだ。
蓮司は腹部の痛みをこらえながら、静かに息を吐いた。
「……ああ。見事に誘われたな」
「次はどうするのかしら?」
玲奈は余裕のある表情を見せながらも、蓮司の足元から目を離さなかった。
先ほどの《轟天拳》は空振りに終わった。
しかし、蓮司が自分の踏み込みを見て迎撃できることは、前の試合ですでに証明されている。
同じ拳をまともに受けるつもりはなかった。
一方の蓮司も、玲奈の誘いに乗せられた理由は理解していた。
蹴りの始動だけを見て、相手の上体が届く位置まで入ってくると思い込んだ。
ならば、次は腰の回転だけで判断しない。
足が実際に踏み込まれるのか、攻撃が届く位置まで身体が動いてくるのかを確かめる必要がある。
蓮司は両拳を構え直し、玲奈との距離を測った。
玲奈が再び腰を回す。
だが、今度は拳を出さなかった。
蓮司はその場で踏みとどまり、玲奈の足運びを見据える。
案の定、玲奈の踏み込みは途中で止まった。
拳を誘うための動きだった。
その停止を見た瞬間、蓮司は自分から床を蹴った。
《疾歩拳》
低い姿勢から一気に距離を詰めた蓮司の右拳が、玲奈の胴体を捉えた。
玲奈はとっさに両腕を寄せたものの、拳を完全には防げず、息を詰まらせた。
上体をわずかに折りながらも、続く打撃に備えて守りを固める。
蓮司は、その反応を見逃さなかった。
ここで拳を重ねても、守られる。
蓮司は伸ばしかけた腕を引き戻し、代わりに玲奈の腕と肩へ手を掛けた。
《押し崩し》
踏み込んだ足で床を押し、玲奈の上体を引き込むように身体の向きを変える。
玲奈は両足を踏ん張ろうとしたが、蓮司に足を掛けられ、重心を崩された。
打撃に備えて固めていた姿勢では、急な方向の変化に対応しきれない。
玲奈の身体が横へ傾く。
立て直そうとしても、蓮司は腕と肩を捉えたまま力の向きを変え、玲奈を背中から床へ投げ倒した。
背中を強く打った衝撃で玲奈の呼吸が途切れたが、すぐに片手をつき、上体を起こそうとした。
蓮司は追撃を急がず、一歩離れた位置で拳を構え直していた。
「……そのまま拳を重ねてこないのね」
玲奈は痛みをこらえながら立ち上がり、足を踏み直した。
「ああ。おまえが守っているところへ、無理に拳を打ち込むつもりはない」
「そう。ずいぶん器用になったじゃない」
玲奈は小さく微笑んだ。
だが、その目は蓮司の拳から離れていなかった。
先ほどは《轟天拳》を誘い出すことに成功した。
しかし今度は、こちらの踏み込みを見られたうえに、《疾歩拳》から投げへ切り替えられている。
単に技の種類が増えたわけではない。
蓮司は、自分の反応を見て次の攻撃を選んでいた。
玲奈は背中に残る痛みを意識しながら、静かに両掌を上げた。
「でも、私も同じように守ってあげるとは限らないわよ?」
そう告げると、玲奈の身体が横へ流れた。
《霞歩》
蓮司は玲奈の移動を目で追い、短い左拳を差し込もうとした。
しかし、玲奈は拳が届く寸前まで正面に残り、腕が伸び始めたところでさらに身体を外した。
蓮司の拳が、玲奈のいた位置を通り過ぎる。
今度は攻撃を出したあとだった。
玲奈は横へ移動した勢いを殺さず、蓮司の側面へ回り込む。
《流転》
蓮司が拳を引き戻して身体を向け直そうとしたときには、玲奈の踏み込みが始まっていた。
《穿月掌》
「がっ……!」
《流転》によって威力を高めた掌底が、蓮司の脇腹へ深く入り込んだ。
鋭い衝撃に上体が折れ、呼吸が詰まる。
蓮司は踏みとどまろうと足を踏み直したが、玲奈はその動きを見て、さらに腰を回した。
掌底を受けた側へ意識が向いたところへ、今度は横から蹴りが迫る。
《流燕脚》
蓮司は両腕を寄せて守ろうとしたものの、打撃を受けた直後の身体は十分に動かなかった。
振り抜かれた蹴りが守りの外側から脇腹を捉え、上体を大きく揺らす。
連続する衝撃に呼吸が乱れ、踏ん張ろうとした足も後ろへ滑った。
それでも蓮司は倒れずに姿勢を戻し、反撃できる位置へ踏み込み直そうとした。
しかし、玲奈はすでに蹴り脚を引き戻していた。
こちらの拳が届く前に一歩退き、再び自分の間合いを確保する。
「……やはり、簡単には続けさせてくれないか」
「ええ。あなたが攻め方を変えるなら、私だって変えるわ」
玲奈は両掌を構え直した。
蓮司は、玲奈の足元を見据えながら呼吸を整えた。
《霞歩》を警戒するあまり拳を出さなければ、玲奈は自分から攻め込んでくる。
逆に、拳が届くと思って急げば、わずかに位置を変えられ、その隙を《流転》からの反撃に利用される。
先ほど通した《疾歩拳》と《押し崩し》も、もう一度同じ形で成功するとは限らない。
玲奈は、受けた攻撃に合わせて戦い方を修正していた。
だが、蓮司もそこで足を止めるつもりはなかった。
玲奈が横へ動けば、その位置を追いかけて拳を出すのではなく、自分の足で距離を詰め直す。
玲奈も同じ場所へ留まり続けることはなく、時折踏み込みを見せて蓮司の反応を確かめていた。
その攻防の中で、玲奈がわずかに身体を近づける。
拳の届く位置に、玲奈の上体が残った。
だが、蓮司はすぐには大きな攻撃を出さなかった。
先ほどの空振りを繰り返すつもりはない。
玲奈の足がさらに一歩動き、短い打撃を放とうとして肩が前へ出る。
その瞬間、蓮司は腰を沈めた。
《轟天拳》
今度は、大きく力を溜めて打ち上げるのではない。
玲奈が実際に踏み込んでくるところへ、素早い右拳を下から突き上げた。
「──っ!」
玲奈は腕を戻そうとしたが、間に合わなかった。
上昇する拳が胸元を捉え、身体が大きく浮き上がる。
足が床から離れた瞬間、玲奈の呼吸が途切れた。
空中で姿勢を戻そうとしても、胸元へ受けた衝撃で身体を制御しきれない。
白と翡翠色の戦闘服が翻り、玲奈は背中から床へ落ちた。
全身へ走る衝撃に一瞬身を強張らせたものの、玲奈は歯を食いしばり、片手を床についた。
蓮司は拳を引き戻し、少し離れた位置で玲奈を見据えていた。
「……今度は届いたな」
「ええ。そこは、あなたの間合いだったわ」
玲奈は胸元に残る痛みをこらえながら立ち上がった。
先ほどの《轟天拳》は、最初に誘い出した一撃とは違っていた。
蓮司は、玲奈の腰が回っただけでは拳を出さなかった。
本当に踏み込んでくるところを見て、短い動作で迎え撃ってきたのだ。
その判断は認めざるを得なかった。
だが、だからといって、ここで勝負を譲るつもりはない。
「でも、今の一撃で終わりじゃないでしょう?」
「ああ。分かっている」
「ふふっ。なら、続けましょう」
玲奈は再び両掌を上げた。
蓮司も構えを戻し、玲奈との距離を測り直す。
拳を通すことはできた。
しかし、それまでに受けた《穿月掌》と《流燕脚》の痛みは、まだ身体に残っている。
玲奈も無傷ではなかった。
投げられた背中には鈍い痛みがあり、《轟天拳》を受けた胸元も、深く呼吸するたびに響いていた。
互いに攻撃を通している。
だが、どちらも相手を倒しきれてはいない。
蓮司が前へ出ると、玲奈は重心を落として迎え撃つ姿勢を見せた。
蓮司はその構えを見ながら距離を詰め、短い拳を差し込もうとした。
だが、玲奈は今度こそ、その踏み込みを待っていた。
蓮司の腕が伸び始めたところへ、自分から身体を横へ運び、拳の軌道を外す。
そして、腕へ掌を添えた。
《崩月》
玲奈の掌が蓮司の腕を捉え、踏み込みの力を横へ逃がした。
前へ出ようとしていた身体は、急な方向の変化についていけない。
蓮司が足を踏み直そうとしたところへ、玲奈はさらに重心を崩し、その勢いを利用して投げ倒した。
「がっ……!」
背中が床へ強く叩きつけられ、肺の空気が一気に押し出される。
蓮司は歯を食いしばり、床へ片手をついた。
玲奈はすぐには追撃せず、少し離れた位置から立ち上がる動きを確かめている。
蓮司がこれまでのように、倒れた直後から反撃を狙ってくることを警戒していたのだ。
「……まだだ」
蓮司は短く呟き、腕に力を込めた。
背中には投げられた衝撃が残っている。
それでも、ここで倒れたままでいるつもりはなかった。
片膝を立て、足を床へ踏み込む。
だが、上体を戻そうとした瞬間、玲奈の足が動いた。
玲奈は蓮司が立ち上がる位置を見て、すでに間合いを測っていた。
蓮司の両拳が十分に戻るより早く、玲奈は膝を曲げて重心を落とし、鋭く前へ踏み込む。
《穿月掌》
低い姿勢から突き出された掌底が、蓮司の胴体へ深く入った。
立ち上がりかけていた身体が大きく折れ、蓮司は思わず息を詰まらせた。
どうにか両拳を戻そうとしたが、玲奈はその隙を与えなかった。
掌底を引き戻すと同時に、さらに一歩近づく。
「……ここよ!」
玲奈が短い打撃を放った。
蓮司は両腕を寄せて守ろうとしたものの、身体を立て直すより早く、その一撃が守りの隙間へ入り込む。
「ぐっ……!」
連続する衝撃に呼吸が途切れ、蓮司の上体が大きく揺れた。
踏みとどまろうとしても、足にはもう十分な力が残っていない。
蓮司は歯を食いしばり、崩れた重心を支え直そうとした。
しかし、片膝が床へ落ちる。
続けて片手を伸ばしたものの、その腕にも身体を支える力は残っていなかった。
視界の先には、玲奈が両掌を構えたまま立っている。
蓮司はその姿を見据えながら、横向きに倒れ込んだ。
起き上がろうとしても、身体が言うことを聞かなかった。
K.O.
《KIRYU REINA》
《ROUND WIN》
玲奈は両掌を下ろし、ゆっくりと息を吐いた。
倒れた蓮司を見つめる目には、まだ警戒が残っていた。
勝ったのは自分だ。
だが、次のラウンドも同じように勝てるとは限らない。
玲奈は胴体に残る痛みを意識しながら、静かに呼吸を整えた。
直希は、画面上部のHPバーを確認していた。
玲奈にも、半分ほどしか体力が残っていない。
こちらの拳と投げは、確かに通じている。
それでも第一ラウンドを取ったのは、玲奈だった。
「……技を警戒されてるだけじゃないんだ」
直希は小さく呟いた。
開始直後の《轟天拳》を思い出す。
あのとき、玲奈は技を避けただけではなかった。
拳を出したくなる距離を見せておいて、その直前で踏み込みを止めた。
「……俺が出したくなるところを、先に作られてる」
直希はコントローラーを握り直した。
ただ警戒しているだけでは、次も同じように誘われるかもしれない。
こちらから間合いを作り、玲奈の動きを変えさせる必要がある。
「……次は、そこを変える」
直希は画面から目を離さなかった。
公式アリーナ。
玲奈は、上体を起こした蓮司の前で足を止めた。
「……まずは、一つね」
玲奈は小さく微笑んだ。
「……ああ。だが、まだ終わっていない」
「ええ。分かっているわ。あなたも次を取るつもりでしょう?」
「当然だ。次は俺が取る」
「ふふっ。だったら、私も負けていられないわね」
玲奈は蓮司を見つめ、静かに両掌を構え直した。
蓮司も痛む身体を起こし、玲奈と向かい合う。
二人の会話が終わると、ラウンド間の回復処理が始まった。
蓮司の身体に残っていた痛みと損傷が瞬時に消え、玲奈も受けた拳の痛みから解放された。
第二ラウンド。
玲奈は開始直後から、間合いを細かく変えてきた。
浅い《流燕脚》を見せたかと思えば、次は通常の歩法で距離を詰める。
蓮司が拳を構えると、その手前で足を止めた。
「今度は、出さずに待つのね」
「……同じようには誘われない」
「ふふっ。だったら、こちらから行くわ」
玲奈が低く踏み込んだ。
《穿月掌》
「ぐっ……!」
蓮司は両腕を寄せて掌底を受け止めた。
衝撃で足が下がる。
すぐに拳を返そうとしたが、玲奈はすでに間合いの外へ出ていた。
第一ラウンドと同じだ。
玲奈は、蓮司が拳を出したくなる位置を見せてから、その距離を変えてくる。
蓮司は奥歯を噛みしめ、改めて間合いを測った。
無理に《轟天拳》を出すつもりはない。
それでも、守っているだけでは玲奈の攻めを止められなかった。
蓮司が短い拳を返す。
玲奈は《霞歩》で外れ、その隙に《流燕脚》を振り抜いた。
「くっ……!」
横からの蹴りが脇腹を捉える。
蓮司は踏みとどまり、《疾歩拳》で距離を詰め直した。
右拳が玲奈の守りをかすめる。
だが、次の打撃を通す前に、玲奈は再び位置を変えていた。
「……簡単には、続けさせてくれないな」
「ええ。私だって、あなたの拳を何度も受けるつもりはないもの」
玲奈は微笑んだ。
その足運びに油断はなかった。
蓮司が追えば距離を外し、足を止めれば地上から攻めてくる。
互いに打撃を通す場面はあったものの、攻防の主導権は玲奈が握り続けていた。
直希は画面上部のHPバーを確認した。
蓮司も拳を当てている。
しかし、玲奈の方が攻撃を通す機会は多く、また少しずつ差が広がっていた。
「……このままじゃ、また押し切られる」
直希はRESONANCEゲージへ視線を移した。
第一ラウンドから持ち越した分を含め、LEVEL 2の発動条件を満たしている。
《RESONANCE ARTS LEVEL 2 破陣》
前の試合では、地上から踏み込んできた玲奈に二段の《轟天拳》を通すことができた。
だが、同じ形をもう一度待っていても、玲奈が付き合ってくれるとは限らない。
「……今度は、こっちから距離を詰める」
直希は《破陣》を発動した。
公式アリーナ。
蓮司が深く腰を落とし、両拳を握った。
全身へ赤いオーラが巡り、足元から身体の芯まで力が満ちていく。
《破陣》
玲奈はその変化を見て、すぐに半歩下がった。
「また《破陣》ね」
「ああ。今度は、この距離を崩す」
「ふふっ。だったら、まず私を捕まえてみて」
玲奈の身体が横へ流れた。
《霞歩》
蓮司の正面から外れ、さらに通常の歩法で距離を広げようとする。
だが、蓮司はその場で拳を振らなかった。
玲奈が移動した方向を確かめ、強化された足で床を蹴る。
普段よりも鋭い踏み込みが、離れようとする玲奈との距離を縮めた。
「……あら?」
玲奈はわずかに目を細めた。
いつもなら、ここでもう少し距離を取れるはずだった。
しかし、蓮司は拳を出さないまま近づいてくる。
《霞歩》で正面から外しても、攻撃を空振りさせることができない。
しかも、《破陣》によって踏み込みが強化されているため、玲奈が次の攻撃を選ぶまでに許される時間も短くなっていた。
玲奈はもう一歩横へ動き、蓮司の正面を外そうとした。
蓮司も足を運び直し、間合いを詰める。
「……追ってくるのね」
「ああ。拳を届かせる前に、まず近づく」
「そう。だったら──」
玲奈は低く踏み込む姿勢を見せた。
蓮司は両拳を構え直したものの、すぐには攻撃しなかった。
玲奈が踏み込みを途中で止め、こちらの反応を確かめようとしていることに気づいたからだ。
蓮司はその誘いには乗らず、強化された踏み込みでさらに距離を詰めた。
玲奈の両掌が届く間合いへ、自分から入っていく。
そこで、蓮司は短い左拳を差し込んだ。
玲奈は両腕を寄せ、拳を受け止める。
しかし、拳を守っただけでは蓮司の接近を止められなかった。
蓮司はその接触を利用し、さらに前へ踏み込む。
《連進》
「……っ!」
通常の前進よりも鋭い踏み込みが、二人の距離をもう半歩縮めた。
玲奈はとっさに両足を踏ん張った。
この距離なら、蓮司は拳だけでなく《押し崩し》も使える。
先ほどの第一ラウンドでも、拳を守ったところから投げへ切り替えられていた。
同じ形で重心を崩されるわけにはいかない。
玲奈が両腕を固めたのを見て、蓮司は短い右拳を打ち込んだ。
「くっ……!」
守りの隙間へ拳が入り、玲奈の上体がわずかに折れた。
蓮司は追撃しかけたが、玲奈はそこで後退せず、身体を横へ運んだ。
近距離に留まったまま、蓮司の正面から半身を外す。
その動きを見て、蓮司は拳を引き戻した。
今の位置から強引に打ち続ければ、《霞歩》で外される危険がある。
《破陣》で接近できても、そのあとに何を出すかは自分で選ばなければならない。
蓮司は足を踏み直し、玲奈の動きを確かめた。
「……簡単には離してくれないわね」
玲奈は小さく微笑んだが、足運びに油断はなかった。
後退を続けるだけでは追いつかれる。
ならば、前進そのものを止める必要がある。
玲奈は蓮司の足が動くところを見て、浅く踏み込んだ。
《流燕脚》
横から振り抜かれた蹴りが、蓮司の両腕を強く打つ。
蓮司は守りを寄せて受け止めたが、蹴りの衝撃までは消せなかった。
前へ出ようとしていた足が止まり、上体が後方へ押し戻される。
《破陣》によって踏み込みは強化されている。
しかし、玲奈の攻撃を受けても平然と前進できるわけではない。
蓮司は歯を食いしばり、姿勢を立て直した。
玲奈は蹴り脚を引き戻し、すぐに斜め後方へ移動していた。
その動きを見て、蓮司は再び床を蹴った。
強化された踏み込みが、玲奈との距離を縮める。
だが、今度の玲奈は単に下がるだけではなかった。
蓮司が次の拳を届かせようとした瞬間、玲奈は身体を横へ流した。
《霞歩》
蓮司はその移動を見て、短い左拳を伸ばした。
しかし、玲奈は拳が届く寸前まで身体を残し、腕が伸び始めたところでさらに位置を変えた。
拳が空を切る。
蓮司はすぐに攻撃を止めようとしたが、前へ踏み込んだ身体にはまだ勢いが残っていた。
玲奈はその隙を見逃さない。
《流転》
横へ移動した勢いを利用し、蓮司の側面へ回り込む。
拳を引き戻して身体を向け直そうとした蓮司の前で、玲奈が膝を曲げて重心を落とした。
《穿月掌》
「がっ……!」
《流転》によって強化された掌底が、蓮司の胴体へ深く入り込んだ。
腹部を貫くような衝撃に上体が折れ、呼吸が詰まる。
踏ん張ろうとした足にも力が入らず、蓮司は大きく後退した。
玲奈はそこで攻撃を重ねず、すぐに間合いを取り直した。
蓮司が反撃できる距離へ不用意に残るつもりはなかった。
蓮司は痛む胴体を意識しながら、両拳を戻した。
《破陣》による踏み込みは、確かに玲奈を追い詰めた。
以前のように、一方的に距離を外され続けることはなかった。
実際に拳も通している。
だが、玲奈は接近を許したあとも、こちらの攻撃を見て回避する機会を探っていた。
近づけることと、攻撃を当て続けられることは違う。
その違いを、蓮司は今の反撃で思い知らされた。
身体を巡る赤いオーラが、少しずつ薄れていく。
《破陣》の強化時間が終わりに近づいていた。
玲奈も、その変化に気づいていた。
「……そろそろ、かしら」
玲奈は両掌を構え直した。
蓮司は静かに息を吐いた。
《破陣》を使って、玲奈の間合いへ入ることはできた。
だが、勝負を決めるところまでは届かなかった。
それでも、まだ戦える。
「……まだだ」
蓮司は足を踏み直し、再び玲奈との距離を測った。
今度は、《破陣》の強化に頼らず、自分の歩法で近づく必要がある。
玲奈が横へ動く。
蓮司はすぐには拳を出さず、玲奈が踏み込み直す位置を見ていた。
その玲奈が、今度は自分から低く前へ出てくる。
蓮司はその動きに合わせ、正面から距離を詰めた。
短い左拳が、玲奈の胴体を捉える。
「……っ!」
玲奈は両腕を寄せたものの、拳が守りの隙間から入り、上体がわずかに揺れた。
蓮司はその反応を見て、すぐに次の攻撃へつなぐ。
《連環打》
近距離から左拳を重ね、守りが戻る前に右拳を差し込む。
玲奈が両腕を戻そうとしたところへ、蓮司は身体を寄せて短い肘を打ち込んだ。
重い衝撃が玲奈の胴体へ響く。
玲奈は歯を食いしばり、どうにか踏みとどまった。
しかし、蓮司の攻撃はそこで終わらなかった。
最後の蹴りを振り抜き、玲奈の身体を後方へ押し戻す。
玲奈は大きく足を引きながら、ようやく距離を取り直した。
蓮司もすぐには追撃しなかった。
玲奈が次の拳に備えて両腕を固めたのを見て、攻撃の手を止める。
その守りを正面から崩そうとすれば、また《霞歩》による反撃を受けるかもしれない。
蓮司は一度呼吸を整え、玲奈が踏みとどまった位置へ近づいた。
そして、拳を打ち込むと見せかけて、玲奈の腕と肩へ手を掛ける。
《押し崩し》
「くっ……!」
蓮司は踏み込んだ足で床を押し、玲奈の上体を斜め後方へ押し込んだ。
玲奈は両足を踏ん張ろうとしたが、打撃を警戒して固めていた姿勢では、急な方向の変化に対応しきれない。
足元が流れ、身体が後方へ傾く。
立て直そうとしたところへ、蓮司はさらに力の向きを変え、玲奈を背中から床へ投げ倒した。
重い衝撃が玲奈の背中を走り、呼吸が一瞬途切れた。
蓮司は玲奈の腕を離し、一歩下がって両拳を構え直した。
追撃を急がず、倒れた玲奈の動きを見据える。
玲奈は床に片手をつき、ゆっくりと上体を起こした。
胴体には拳と肘を受けた痛みが残り、背中にも投げられた衝撃が響いている。
それでも、玲奈は蓮司から目を逸らさなかった。
「……やるじゃない」
蓮司は少し離れた位置で拳を構え直していた。
「まだ、終わっていない」
「ええ。そうね」
玲奈は痛みをこらえながら立ち上がった。
先ほどの連撃は、確かに効いている。
今度まとまった攻撃を受ければ、倒されるのは自分かもしれない。
だが、蓮司も無傷ではなかった。
《流転》からの《穿月掌》を受けた胴体には、今も痛みが残っているはずだった。
玲奈は呼吸を整え、改めて両掌を上げた。
「……なら、最後まで付き合ってもらうわ」
「ああ。俺も、そのつもりだ」
二人は再び間合いを測った。
蓮司が一歩近づくと、玲奈は身体をわずかに斜めへ向ける。
いつでも《霞歩》で攻撃線から外れられる構えだった。
蓮司はその足運びを見ながら、短い左拳を差し込もうとした。
しかし、玲奈はすぐには動かなかった。
拳が届くかどうか、その境目まで蓮司を引きつける。
そして、蓮司の腕が伸び始めた瞬間。
《霞歩》
玲奈の身体が正面から外れた。
蓮司は拳を引き戻そうとしたが、すでに攻撃を出している。
前へ流れた重心を戻すより早く、玲奈は側面へ回り込んでいた。
《流転》
横への移動で生まれた勢いを、次の踏み込みへつなぐ。
蓮司が身体を向け直そうとしたところへ、玲奈は膝を曲げて重心を落とした。
《穿月掌》
「がっ……!」
強化された掌底が、蓮司の腹部へ深く入り込んだ。
鋭い痛みに上体が折れ、呼吸が詰まる。
蓮司は足を踏み直そうとしたが、これまでに受けた打撃の痛みも残っていた。
腹部へ走った衝撃が重なり、踏ん張る力を失っていく。
それでも、倒されまいと拳を戻そうとした。
だが、身体は思うように動かなかった。
蓮司は後方へ倒れ込み、背中を床へ打ちつけた。
視界の先には、玲奈が両掌を構えたまま立っていた。
玲奈も肩で息をしている。
それでも、最後に拳を外し、掌底を通したのは玲奈だった。
蓮司はもう一度起き上がろうとしたが、腕に力が入らなかった。
K.O.
《MATCH RESULT》
《KIRYU REINA 2》
《KAMIYA RENJI 0》
通算七戦目も、玲奈の勝利だった。
玲奈はゆっくりと両掌を下ろし、倒れている蓮司へ歩み寄った。
「……二試合続けて、二対零ですね」
紗良は結果画面を見つめ、静かに息を吐いた。
勝てたことは嬉しい。
だが、蓮司は確実に手強くなっている。
次も同じ対応で勝てるとは限らなかった。
「……次は、どうしてくるのでしょう」
勝利の喜びに加えて、紗良には確かめたいことがあった。
前の試合で玲奈が女性勝者として誇ったとき、あのPLAYERはすぐに再戦を申し込んできた。
今回も同じように負けて、また挑むのだろうか。
紗良は試合後の選択画面を開いた。
《POST-MATCH/会話意図を選択》
1.相手が攻撃を変えてきた点を評価し、健闘を称える。
2.《轟天拳》を警戒して間合いを変えた判断を説明し、技術の差を示す。
3.成長した男性格闘家へ女性勝者として勝利を誇り、敗北の悔しさを認めさせる。
紗良は三番を選んだ。
蓮司が強くなったことには気づいている。
しかし、強くなってもまだ玲奈に一勝できていないことも事実だ。
自分がその対戦相手として勝ち続けられていることを、今は素直に誇りたかった。
そして、あのPLAYERが勝利の言葉を見てなお挑戦を続けるのか、もう一度確かめたいと思った。
公式アリーナ。
蓮司は片膝をつき、浅い呼吸を繰り返していた。
腹部にはまだ痛みが残り、深く息を吸うことも難しい。
玲奈も身体に痛みを残していたが、勝者として蓮司の前に立っていた。
「……七度目ね。今回も、最後に立っているのは私だったわ」
「……ああ。おまえの勝ちだ」
蓮司は玲奈を見上げ、敗北を認めた。
玲奈は満足そうに微笑んだ。
「ふふっ。だったら、少しくらい誇ってもいいでしょう?」
蓮司は答えなかった。
玲奈は少しだけ腰を落とし、蓮司と目の高さを近づけた。
以前よりも強くなり、本気で勝利を奪おうとしてきた男性格闘家。
その蓮司を、今回も退けることができた。
女性としても格闘家としても、玲奈には誇らしい勝利だった。
しかし、蓮司の表情を見ているうちに、玲奈は少し気になることがあった。
彼は敗北を認め、悔しさも隠さない。
それなのに、取り乱すことなく、いつも次の勝負へ目を向ける。
その姿勢は立派だと思う。
だが、女の自分に七度も敗れたことを、彼はどう受け止めているのだろう。
「……ねえ、蓮司。一つ聞いてもいい?」
「何だ」
「あなた、いつも負けたことは認めるけれど、あまり取り乱さないでしょう?」
玲奈は蓮司の顔を覗き込んだ。
「公式戦の競技体だから、女の私に負けてもそれほど悔しくないのかしら?」
「……そんなことはない」
蓮司の返答は短かった。
玲奈は少しだけ首を傾げた。
「あら。だったら、ランクの差?」
今度は、わずかに意地悪な笑みを浮かべる。
「私はGOLD 3で、あなたはROOKIE 2。格上の女に負けたのだから仕方ない、と思っている?」
蓮司は、すぐには答えなかった。
競技身体の仕組みも、ランクの差も理解している。
だが、そのどちらも敗北を軽くする理由にはならなかった。
自分の判断で攻め、玲奈の技を受け、最後に倒された。
腹部に残る痛みも、勝利を逃した悔しさも、本物だ。
それを仕方のないこととして片づけたくはなかった。
蓮司は床についていた手へ力を込めた。
「……競技規格のことは分かっている。ランクが違うこともな」
玲奈から視線を逸らさず、言葉を続ける。
「だが、それで負けた悔しさが軽くなるわけじゃない」
「……そう」
玲奈は、蓮司の表情を見つめた。
落ち着いた態度は変わらない。
それでも、言葉の端に滲む悔しさは、先ほどよりはっきりと感じられた。
「女のおまえに七度負けた。男としても、格闘家としても悔しいさ」
蓮司はゆっくりと拳を握った。
「おまえの強さは認めている。だが、だからといって負けても構わないと思ったことはない」
玲奈は、その言葉を聞いて小さく息を呑んだ。
七度の敗北。
そのすべてを、蓮司は本気で悔しがっている。
目の前の男が自分に勝ちたいと願い、負けるたびに次の勝負を考えてきたことは知っていた。
だが、こうして本人からはっきりと聞くと、玲奈の胸には別の喜びが広がってきた。
蓮司は、女の自分に負けたことを軽く受け止めていなかった。
その蓮司に、今日も勝ったのだ。
「……ふふっ。そうなのね」
玲奈の笑みが、少しだけ深くなった。
「だったら、安心したわ」
「……安心?」
「ええ。あなたが私への敗北を、本気で悔しがっていると分かったもの」
玲奈は素直に答えた。
「七度も勝っているのに、あなたに平気な顔をされていたら、少し寂しいでしょう?」
蓮司は、わずかに眉を寄せた。
自分にとっては、これほど悔しい敗北だ。
だが玲奈は、その悔しさを知って安心したという。
勝者だからこそ言える言葉だった。
「……ずいぶん、嬉しそうだな」
「ふふっ。嬉しいわよ」
玲奈はためらわずに頷いた。
「本気で私を倒しに来たあなたが、また女の私に負けたんだもの」
蓮司の胸に、さらに悔しさが広がった。
玲奈は、自分が勝ったことを少しも隠そうとしない。
そして今、彼の悔しささえ、その勝利を喜ぶ理由になっている。
蓮司には、その喜びを否定できなかった。
実際に勝ったのは玲奈だからだ。
だが、目の前で嬉しそうに微笑まれるほど、次こそ勝ちたいという思いが強くなる。
「……悔しいからといって、取り乱したところで勝敗は変わらない」
蓮司は静かに言った。
「腹も立つ。自分の判断が情けなくなることもある」
そこで一度、言葉を切る。
「……だから、次に戦うなら何を変えるべきか考える。今の俺にできるのは、それだけだ」
玲奈は、しばらく蓮司を見つめていた。
なるほど、と思った。
蓮司が取り乱さないのは、敗北を軽く受け止めているからではない。
悔しさを抱えながらも、そこに留まり続けないようにしているのだ。
玲奈は、その姿勢を好ましく思った。
しかし同時に、少しだけ意地悪な気持ちも残っていた。
その落ち着いた男から、七度も勝利を奪ってきたのは自分なのだから。
「……あなたらしい答えだわ」
玲奈は穏やかに微笑んだ。
「でも、私の前で悔しいって認めてくれたことは、忘れないわよ?」
「……ああ。忘れなくていい」
蓮司は床についた手へ力を込め、ゆっくりと立ち上がった。
腹部にはまだ痛みが残っている。
それでも足を踏みしめ、玲奈と目の高さを揃えた。
「……次は、おまえを倒す」
「ふふっ。七度負けても、まだ言うのね」
「当然だ」
「いいわ。楽しみにしている。私も簡単には勝たせないから」
「……望むところだ」
玲奈は満足そうに微笑んだ。
今回も勝者となったことが嬉しい。
蓮司が本気で悔しがっていたと分かったことも、嬉しかった。
そして、その男がまだ諦めずに自分へ挑もうとしている。
ならば、次に戦うときも全力で迎え撃ちたい。
玲奈は、改めて蓮司の顔を見つめた。
今はまだ、自分が勝者だ。
その事実を、玲奈は心から誇らしく思っていた。
直希の画面に、七戦目の結果が表示された。
《OFFICIAL RECORD》
《KAMIYA RENJI 4 WIN / 13 LOSS》
《HEAD TO HEAD》
《KIRYU REINA 7 WIN》
《KAMIYA RENJI 0 WIN》
「……七回目か」
直希は小さく息を吐いた。
二対零。今回も、一つのラウンドも奪えなかった。
画面が勝者演出へ切り替わる。
白と翡翠色の戦闘服をまとった玲奈が、片膝をつく蓮司へ微笑みかけていた。
そして、勝者セリフが字幕とともに表示される。
『競技体だから、女の私に負けてもそれほど悔しくないのかしら?』
「……え?」
直希は思わず画面を見直した。
「いや、悔しいに決まってるだろ……」
しかし、玲奈の言葉は続いた。
『私はGOLD 3で、あなたはROOKIE 2。格上の女に負けたのだから仕方ない、と思っている?』
「……そっちも違うって!」
直希は思わず声を上げた。
確かに、ゲーム内の公式戦における競技体では男女の身体能力差が規格化されている。
ランクも大きく離れている。
だが、それで七回も負けたことを平気で受け入れられるわけではない。
「……GOLD 3が強いのは分かってるけどさ」
直希は画面の玲奈を見つめた。
「だからって、負けても仕方ないとは思ってないんだけど」
玲奈は穏やかに微笑んだままだった。
怒鳴るわけでも、露骨に見下すわけでもない。
それなのに、こちらが負けをどう受け止めているのか、逃げ道を一つずつ確かめてくるような言い方だった。
「……この玲奈、やっぱり煽りがキツいな」
直希は苦笑しかけたが、すぐに表情を戻した。
七回負けたことは事実だ。
だからこそ、言い返すだけでは何も変わらない。
《破陣》で距離を詰め、拳を通すことはできた。
それでも、勝負を決めるところでは、こちらの攻撃を読まれてしまう。
「……次は、玲奈を先に動かさないとな」
直希はコントローラーを握り直した。
相手の反応を引き出し、そこから攻める。
まだ試せることはあった。
「……言われっぱなしで終われるか」
直希は再戦申請の項目を開いた。
「もう一回!」
同じ桐生玲奈のCHARACTER IDへ、即時再戦を申し込んだ。
《REMATCH REQUEST SENT》
《WAITING FOR ACCEPTANCE》
御影紗良も、同じ勝者演出を見ていた。
「……あら」
玲奈は、競技体やランク差を持ち出して、蓮司が本当に悔しがっているのかを確かめようとしていた。
紗良は少しだけ目を見開いた。
女性勝者として勝利を誇ることは、この世界では自然な振る舞いだ。
だが、玲奈は単に七度勝った事実を並べているわけではない。
負けても落ち着いている男性格闘家に対し、なぜ取り乱さないのかまで気にしている。
「……そこまで気になるんですか、玲奈」
思わず呟いたあと、紗良の口元が緩んだ。
自分も、少し気になっていた。
五度負けても戻ってきて、六度目、七度目と敗北を重ねている相手。
それでも挑戦をやめないのは、何を考えているからなのだろう。
格上だから仕方ないと割り切っているのか。
それとも、本当に勝つつもりで挑み続けているのか。
玲奈は、その答えを本人から聞きたかったのかもしれない。
もっとも、紗良に見えているのは公開された勝者演出だけだ。
蓮司が実際にどう答えたのか、会話のすべてを知ることはできない。
「……さて、どう受け取ったのでしょう?」
紗良は小さく呟いた。
そのとき、通知音が鳴った。
《REMATCH REQUEST RECEIVED》
《KAMIYA RENJI》
「……また?」
紗良は一瞬だけ驚き、それから小さく笑った。
七度負けても、まだ挑んでくる。
勝者演出にどう反応したのかまでは分からない。
だが、少なくともランク差を理由に再戦を諦めるつもりはないらしい。
「……そういう答えですか」
紗良は再戦申請を見つめた。
玲奈の言葉がどこまで相手に響いたのかは分からない。
それでも、再び戦いたいという意思だけは、はっきり届いている。
紗良はコントローラーを握り直した。
「……いいでしょう。今度も受けます」
受諾を決定する。
《MATCH ACCEPTED》
《REMATCH CONFIRMED》
八度目の公式戦が成立した。