公式アリーナ。
連戦に伴う回復処理を終え、蓮司と玲奈は再び向かい合っていた。
「……準備はいいかしら?」
「ああ」
蓮司は左足を前へ出し、両拳を構えた。
「今度は、前と同じ戦い方をするつもりはない」
「そう。だったら、見せてもらうわ」
玲奈は小さく微笑み、両掌を構え直した。
開始の合図が響く。
第一ラウンド。
蓮司はすぐには拳を出さなかった。
玲奈の足運びを確かめながら、少しずつ距離を詰めていく。
玲奈も両掌を構えたまま、その動きを見ていた。
蓮司が一歩近づくと、玲奈は半歩横へ動いた。
さらに蓮司が前へ出たところで、彼女の身体がわずかに沈む。
《霞歩》へ移る前の動きだった。
蓮司は踏み込んだ足を床へ置いたが、拳は出さなかった。
《霞歩》
玲奈の身体が正面から外れた。
しかし、蓮司はその移動に釣られて拳を伸ばすことも、急いで追いかけることもしなかった。
「……あら?」
移動を終えた玲奈が、少しだけ目を細める。
蓮司の拳は、まだ構えた位置にある。
空振りした攻撃はなく、《流転》へつなぐための隙も生まれていなかった。
「……打ってこないのね」
「ああ。まだ届かないからな」
「ふふっ。そう」
玲奈は両掌を構え直した。
蓮司がもう一歩近づくと、玲奈は再び横へ動いた。
それでも拳は飛んでこない。
蓮司は彼女が移動する方向へ慌てて身体を向けるのではなく、足を止めた位置を確かめてから間合いを詰め直していた。
玲奈は距離を取り直したが、先ほどより後ろへ下がらされていることに気づいた。
「……なるほど。今回はそういう入り方なのね」
「……まだ、始まったばかりだ」
「ふふっ。隠すの?」
「何も隠していないさ」
玲奈は小さく笑った。
確かに、蓮司はまだ一度も攻撃を出していない。
それでも、以前とは違う。
《霞歩》で正面から外れても、拳を空振りさせることができない。
かといって、その場に留まり続ければ、蓮司の間合いへ踏み込まれる。
玲奈は足を止め、両掌を構え直した。
「だったら、こちらから行くわ」
低く踏み込む。
《穿月掌》
蓮司は両腕を寄せ、突き出された掌底を受け止めた。
踏み込みの勢いが守りを通して胴体へ響き、上体がわずかに押し戻される。
それでも両足で床を捉え、玲奈が掌を引き戻そうとするところへ左拳を差し込んだ。
玲奈はすぐに両腕を寄せ、その拳を受け止めた。
しかし、蓮司はそこで足を止めなかった。
《連進》
拳を引き戻しながら、接触した位置からさらに半歩踏み込む。
玲奈は次の打撃に備え、両腕を固めた。
その反応を見た蓮司は、握っていた拳を開いた。
《押し崩し》
玲奈の腕と肩を捉え、踏み込んだ足で床を押す。
玲奈は両足を踏ん張ったが、蓮司はその抵抗に正面から力をぶつけず、身体の向きを変えて重心を横へ流した。
打撃を警戒していた玲奈は、急な方向の変化に対応しきれなかった。
足元が崩れ、上体が傾く。
蓮司は捉えた腕を離さず、さらに力の向きを変えて玲奈を背中から床へ投げ倒した。
背中を打つ重い衝撃に、玲奈の呼吸が一瞬途切れた。
蓮司は腕を離し、一歩下がって両拳を構え直す。
玲奈は床へ片手をつき、痛みをこらえながら上体を起こした。
「……投げてくるのね」
「ああ。拳だけで攻めるつもりはない」
「……そう。なら、私も気をつけないといけないわね」
玲奈は立ち上がり、足を踏み直した。
背中にはまだ鈍い痛みが残っている。
次の拳を警戒して腕を固めたところから、重心を崩された。
ならば、同じ間合いへ入られても、簡単には投げさせない。
玲奈は蓮司の足元を見据え、両足を少し広げて重心を下げた。
再び腕を取られても、先ほどのようには崩されない構えだった。
蓮司がその間合いへ近づいてくる。
玲奈は腕を取られる瞬間に備えたが、蓮司は手を伸ばす代わりに、踏み込んだ足で床を強く押した。
《連環打》
短い左拳が玲奈の胴体を捉えた。
玲奈はすぐに両腕を戻したものの、守りが整うより早く右拳が続く。
拳が胴体へ入り、玲奈の上体が大きく揺れた。
さらに蓮司が身体を寄せ、近距離から肘を打ち込む。
玲奈は奥歯を噛み合わせ、足を踏ん張った。
重い衝撃が胴体の奥へ響き、呼吸が乱れる。
それでも倒れまいと両足で床を捉えたところへ、蓮司は最後の蹴りを振り抜いた。
玲奈の身体が後方へ押し戻される。
彼女は大きく足を引きながら、どうにか姿勢を立て直した。
「……今度は打撃なのね」
「ああ。おまえが投げを警戒したからな」
「……そう」
玲奈の目が、わずかに細くなった。
守りに応じて技を変えてくる。
しかも、無理に攻撃を続けようとはしない。
蓮司は近づくことを急いでも、拳を出すことまでは急がなくなっていた。
「……やるじゃない」
玲奈は小さく笑った。
「でも、私も見ているだけじゃないわよ」
身体を横へ流す。
《霞歩》
蓮司は拳を出さず、足を止めた。
だが、玲奈はそこから距離を広げず、低い姿勢のまま踏み込んだ。
《穿月掌》
突き出された掌底が、蓮司の脇腹へ深く入った。
蓮司は衝撃に上体を揺らしながらも、両足で床を捉えた。
腹部へ走る痛みをこらえ、すぐに両拳を戻そうとする。
しかし、玲奈は掌を引くと同時に腰を回していた。
《流燕脚》
横から蹴りが迫る。
蓮司は両腕を寄せたが、脇腹をかばうために守りを切り替える一瞬の遅れを突かれた。
振り抜かれた蹴りが守りの外側から身体を捉え、蓮司を後方へ押し戻す。
踏ん張っていた足が床を滑り、乱れた呼吸を整えるためにもう一歩下がらざるを得なかった。
玲奈はそこで追撃を止めた。
蹴り脚を戻し、両掌を構えたまま蓮司の動きを確かめている。
蓮司も足を踏み直し、痛む胴体をかばいながら拳を上げた。
先ほどの攻めは通じた。
だが、玲奈もまた、こちらの判断を見て攻め方を変えてくる。
二人は互いの間合いを測り直した。
次にどちらが先に相手を動かすか。
その駆け引きは、まだ続いていた。
直希は、画面の蓮司を見つめていた。
前の試合では、《破陣》の力を使って、拳を出さずに距離を詰めることができた。
だが、今回は違う。
《破陣》に頼らなくても、玲奈が《霞歩》で動いたあと、焦って拳を振らずに間合いを作り直せている。
拳が届く位置へ近づくことと、実際に拳を出すことは、別の判断なのだ。
「……そうか。近づいたからって、すぐ打たなくてもいいんだ」
直希は小さく呟いた。
《霞歩》を完全に攻略したわけではない。
実際、玲奈はそのあとも《穿月掌》や《流燕脚》を通してきた。
それでも、近づいたあとで相手の動きを確かめる余裕が生まれている。
「……これなら、まだできる」
直希はコントローラーを握り直した。
画面上部のHPバーは、双方とも残り少なくなっていた。
次に大きな攻撃を受ければ、どちらが倒れてもおかしくない。
直希は玲奈の足元を見つめた。
今度も、先に技を決めつけるつもりはなかった。
第一ラウンド、終盤。
蓮司は両拳を構え、玲奈との距離を測っていた。
胴体には《穿月掌》と《流燕脚》の痛みが残っている。
玲奈も、拳と投げを受けた影響を隠しきれていなかった。
それでも、両掌を下げることはない。
「……まだ来るのね」
「ああ」
「ふふっ。だったら、私も退いてばかりはいられないわね」
玲奈が横へ動いた。
《霞歩》
蓮司は追わない。
玲奈が移動を終えた位置を見定め、足を運んで距離を詰め直す。
だが、玲奈も同じ場所には留まらなかった。
いったん後ろへ下がり、蓮司の拳が届かない位置へ出る。
玲奈はそこで足を止め、近づいてくる蓮司を迎え撃つように重心を落とした。
蓮司がもう一歩踏み込もうとした瞬間、玲奈は低い姿勢から鋭く前へ出る。
《穿月掌》
狙いは蓮司の胴体だった。
だが、蓮司は玲奈の踏み込みに合わせ、わずかに身を引いていた。
突き出された掌底が胴体の手前を通り過ぎる。
ほんの半歩の差だったが、玲奈の一撃は届かない。
玲奈はすぐに腕を引き戻そうとした。
しかし、踏み込みの勢いが残った身体は、まだ前へ流れている。
守りを戻すには、わずかな時間が必要だった。
蓮司はその隙を逃さなかった。
後退した足で床を蹴り、今度は自分から間合いを詰める。
《疾歩拳》
踏み込みの勢いを乗せた右拳が、玲奈の胴体へ一直線に伸びる。
守りを戻すより早く、その拳が深く突き刺さった。
玲奈の上体が大きく折れた。
とっさに両腕を引き戻したものの、すでに拳は守りの内側へ入り込んでいた。
腹部を貫くような衝撃に息が詰まり、玲奈の身体が後方へ押し戻される。
それでも、倒されまいと足を踏み直した。
ここで踏みとどまれなければ、もう立ち上がれないかもしれない。
玲奈は歯を食いしばり、どうにか姿勢を立て直そうとした。
しかし、それまでに受けた拳と投げの痛みが身体に残り、踏ん張ろうとした脚には思うように力が入らない。
「……まだ……!」
声を絞り出したものの、崩れた重心を支え直すことはできなかった。
片膝が床に落ちる。
玲奈は倒れまいと片手を伸ばしたが、その腕にも身体を支える力は残っていなかった。
白と翡翠色の戦闘服が揺れ、玲奈はそのまま横向きに倒れ込んだ。
K.O.
《KAMIYA RENJI》
《ROUND WIN》
第一ラウンドを制したのは、蓮司だった。
「……取った!」
直希は画面の勝利表示を見つめ、思わず拳を握った。
最初の五連戦でも、《一閃轟破》による逆転で一ラウンドを奪ったことはある。
だが、今回は違った。
玲奈が《霞歩》を使っても、無理に拳を出さずにいられた。
そして最後には、自分で作った間合いから《疾歩拳》を通すことができた。
「……ちゃんと、取れたんだ」
以前は、外されることを恐れて攻められなかった。
その自分が、一つラウンドを奪えた。
ただし、試合はまだ終わっていない。
「……よし。次も取る」
直希はコントローラーを握り直した。
公式アリーナ。
玲奈は床に片手をつき、痛む身体をゆっくりと起こした。
顔を上げると、少し離れた位置に蓮司が立っていた。
先ほどまで自分が勝者として見下ろしていた男性格闘家。
今は、その男を見上げる側になっている。
玲奈は奥歯を噛み合わせた。
「……次は、簡単に近づかせないわよ」
「ああ。そう来るだろうな」
玲奈はゆっくりと立ち上がった。
「それでも来る?」
「当然だ」
玲奈は蓮司を正面から見据えた。
「……だったら、私も変えるわ」
蓮司は拳を構え直した。
「次で決める」
二人の会話が終わると、ラウンド間の回復処理によって双方の身体が万全の状態に戻った。
紗良は、画面上部の結果表示を確認した。
一対零。
今回の連戦では、初めて先にラウンドを奪われた。
「……距離を詰めさせすぎましたね」
相手PLAYERは、玲奈の回避を見てから攻撃を選び直している。
これまでのように《霞歩》で相手の拳を誘うだけでは、近距離での攻防を防ぎきれない。
紗良はコントローラーを握り直した。
「……なら、近づく前に止めます」
第二ラウンド。
蓮司が距離を詰めようとすると、玲奈が先に動いた。
拳の届く間合いへ入られる前に、玲奈は膝を軽く曲げて重心を落とし、床を蹴って踏み込んだ。
《穿月掌》
低い姿勢から突き出された掌底が、蓮司の胴体へ迫る。
蓮司はとっさに両腕を寄せ、正面で受け止めた。
踏み込みの勢いを乗せた衝撃が守りを押し込み、足がわずかに後ろへ下がる。
蓮司は踏ん張って姿勢を保ったが、その間に玲奈は掌を引き戻していた。
蓮司が再び距離を詰めようとしたところへ、玲奈は腰を鋭く回す。
《流燕脚》
横から振り抜かれた蹴りが、寄せた両腕の外側を抜け、蓮司の脇腹を捉えた。
鋭い痛みに上体が傾き、前へ出ようとしていた足が止まる。
蓮司は歯を食いしばって踏みとどまったものの、玲奈はすでに蹴り脚を戻し、一歩退いていた。
拳を返そうにも、腕が届く距離ではない。
玲奈は追撃を急がず、両掌を構え直した。
蓮司が再び前へ出るのを、静かに待っている。
「……簡単には入れてくれないらしい」
「ふふっ。さっきと同じようにはいかないわよ」
玲奈は小さく微笑んだ。
近づかれてから対処するのでは遅い。
蓮司が踏み込もうとするところへ先に攻撃を置き、こちらの間合いで止める。
玲奈はその距離を保ったまま、蓮司の足運びを見据えた。
蓮司が再び前へ出る。
玲奈はその動きに合わせて膝を軽く曲げ、掌底を突き出す姿勢を見せた。
蓮司は両腕を寄せ、胴体を守る。
だが、玲奈は掌底を打ち切らなかった。
踏み込みを途中で止め、蓮司が正面の守りを固めた瞬間に軸足を踏み直す。
そこから腰を鋭く回した。
《流燕脚》
掌底に備えていた蓮司の脇腹へ、横から蹴りが食い込んだ。
予想していた方向とは異なる衝撃に上体が揺れ、呼吸が詰まる。
それでも蓮司は足を踏み直し、玲奈が蹴り脚を引くところへ短い拳を返した。
しかし、拳はわずかに届かなかった。
玲奈は蹴り脚を戻す動きに合わせて身を引き、蓮司の拳が伸びきる前に間合いを外していた。
蓮司は拳を戻し、改めて玲奈を見据えた。
こちらが踏み込む前に攻撃を置かれ、守りを固めれば別の方向から打たれる。
反撃できると思ったときには、玲奈はもう距離を取り直している。
相手に動かされているのは、今度はこちらだった。
「……なら、別の入り方をする」
蓮司は両拳を構え直し、玲奈の正面からわずかに外れるように足を運んだ。
玲奈はその移動を追うように身体の向きを変え、膝を曲げて重心を落とした。
掌底が来る。
その構えを見た蓮司は、今度こそ拳の届く位置へ一気に踏み込んだ。
《疾歩拳》
低い姿勢から伸びた右拳が、玲奈の寄せた腕をかすめた。
守りの外側へ拳が滑り、玲奈の身体がわずかに揺れる。
蓮司はその手応えを逃さず、さらに前へ出ようとした。
あと半歩。
そこまで入れば、次の打撃も届く。
だが、玲奈はその半歩を許さなかった。
《霞歩》
白と翡翠色の戦闘服が、蓮司の正面から外れる。
蓮司はすぐに拳を引き戻そうとしたが、踏み込みの勢いが残っていた。
次の攻撃へつなごうとして前へ出た分、重心を戻すのが遅れる。
玲奈はその隙に、蓮司の側面へ回り込んでいた。
《流転》
横への移動で生まれた勢いを、次の踏み込みへつなぐ。
蓮司が身体を向け直そうとしたときには、玲奈はすでに懐へ入り、重心を低く落としていた。
《穿月掌》
強化された掌底が、蓮司の胴体へ深く入った。
腹部を突き抜けるような衝撃に上体が折れ、肺から空気が押し出される。
蓮司は足を踏み直そうとしたが、腹部の痛みで十分に力が入らない。
片足が後方へ滑り、どうにか踏ん張ったところで、ようやく倒れずに済んだ。
玲奈は掌を引き戻し、反撃の拳が届く前に一歩退いた。
蓮司は痛む胴体をかばいながら、ゆっくりと上体を戻す。
「……今度は、拳を出してくれたわね」
「……ああ。見事に外された」
玲奈は小さく微笑んだ。
「でも、まだ諦めていないでしょう?」
「当然だ」
蓮司は拳を構え直した。
無理に拳を出せば外される。
だが、攻撃を待つだけでは玲奈に先手を取られる。
必要なのは、玲奈が本当に踏み込んでくる瞬間を見極めることだった。
蓮司は呼吸を整え、再び前へ出た。
玲奈の膝が沈み、掌底を突き出す構えになる。
今度は、すぐに拳を振らなかった。
足を止め、彼女の腕が実際に伸びてくるのを待つ。
玲奈が床を蹴った。
《穿月掌》
掌底が胴体へ届こうとした瞬間、蓮司は上体を斜めにずらした。
玲奈の掌が肩の外側を通り過ぎる。
踏み込みを伴った腕はすぐには戻らない。そのわずかな隙に、蓮司は床を蹴って懐へ入った。
《震掌》
近距離から放たれた掌底が、玲奈の胴体を捉えた。
重い衝撃が身体の奥へ響き、玲奈の呼吸が詰まる。
後方へ足を引いたものの、腹部に走る痛みで上体がわずかに折れた。
蓮司はすでに、次の攻撃へ移れる距離まで踏み込んでいる。
玲奈は両腕を戻しかけたが、そこで踏みとどまることを選ばなかった。
痛みをこらえながら身体を横へ運び、蓮司の追撃が始まる前に距離を外す。
蓮司も、踏み出しかけた足を止めた。
今の掌底は通った。
しかし、玲奈はすでに守りを戻している。
ここから無理に追えば、再び《霞歩》で反撃の機会を与えることになる。
「……《震掌》まで通してくるのね」
玲奈は小さく息を吐き、両掌を上げた。
「だが、続けさせてはくれないか」
「ええ。もう近いところで、あなたに好きなようにはさせないわ」
玲奈は足の位置を整えた。
拳だけでなく、投げにもつなげてくる相手だ。
一度攻撃を通されても、そのまま近距離に留まるつもりはなかった。
蓮司が再び前へ出る。
玲奈はその踏み込みを見て、自分から床を蹴った。
腰が鋭く回る。
《流燕脚》
蓮司は迎撃の拳を出さなかった。
玲奈の踏み込みは浅い。
蹴り脚だけがこちらへ伸び、上体は《轟天拳》の届く位置まで入ってこない。
拳を突き上げても、蹴りを止めることはできない。
蓮司は両腕を寄せ、横から迫る蹴りを受け止めた。
腰の回転を乗せた衝撃が守りを強く打ち、腕を通して胴体へ響く。
足が止まり、上体が後方へ押し戻された。
それでも蓮司は踏ん張り、蹴り脚が戻るところを見据えた。
迎撃できないなら、蹴り終わったところへ拳を返す。
玲奈が脚を引き始める。
蓮司は守りを解き、前へ踏み込もうとした。
だが、玲奈はその動きを見ていた。
軸足を素早く踏み直し、戻しかけた蹴り脚を再び振り抜く姿勢へ移る。
「……ここまでよ!」
《流燕脚》
二度目の蹴りが、守りを解いた蓮司の脇腹へ深く食い込んだ。
蓮司は反撃の拳を伸ばしかけたが、横からの衝撃に身体が大きく傾いた。
腹部には、先ほど受けた《穿月掌》の痛みも残っている。
踏み込んだ足で床を押し返そうとしても、崩れた重心を支えるだけの力が入らなかった。
蓮司は拳を引き戻し、どうにか構えを保とうとした。
だが、足元が定まらない。
片手を伸ばして身体を支えようとしたものの、その手が床へ届くより早く膝が崩れた。
上体が後方へ傾く。
倒れまいと力を込めても、腹部の痛みで身体がついてこない。
蓮司は背中から床へ倒れ込み、重い衝撃に残っていた息を吐き出した。
視界の先では、玲奈が蹴り脚を戻し、両掌を構え直していた。
玲奈も肩で息をしている。
それでも、蓮司の前に立っていたのは玲奈だった。
蓮司はもう一度起き上がろうとしたが、身体を支えることができなかった。
K.O.
《KIRYU REINA》
《ROUND WIN》
ラウンドスコアは、一対一。
玲奈は倒れた蓮司へ歩み寄った。
まだ痛みは残っていたが、その口元には小さな笑みが戻っていた。
「……これで一対一ね」
「ああ」
蓮司は床に手をつき、ゆっくりと上体を起こした。
「次は、私が取るわ」
「……俺も譲るつもりはない」
玲奈は蓮司を見据え、笑みを深くした。
「ふふっ。だったら、決着をつけましょう」
「ああ。望むところだ」
二人の会話が終わると、ラウンド間の回復処理によって双方の身体が万全の状態に戻った。
第三ラウンド。
蓮司は左足を前へ出し、正面の玲奈を見据えた。
互いに一ラウンドずつ奪っている。
蓮司が両拳を構えると、玲奈も両掌を上げ、身体をわずかに斜めへ向けた。
開始の合図が響く。
蓮司はすぐに攻撃を出さず、慎重に距離を詰め始めた。
しかし、玲奈は大きく下がろうとはしなかった。蓮司が前へ出るのに合わせ、彼女も半歩踏み込んでくる。
互いの攻撃が届くかどうか。その境目で、二人は足を止めた。
「……今度は、前へ来るのか」
「ええ。下がってばかりでは、あなたの好きな距離を作られてしまうもの」
玲奈は小さく微笑んだ。
「だから、私からも動くわ」
言い終えると同時に、玲奈は膝を曲げて重心を落とし、蓮司の胴体へ向けて踏み込んだ。
《穿月掌》
鋭く突き出された掌底を、蓮司は両腕を寄せて受け止めた。
踏み込みの勢いが守りへ伝わり、足がわずかに後ろへ下がる。
それでも蓮司は踏ん張り、玲奈が掌を引き戻す瞬間を見て、短い左拳を差し込んだ。
守りの戻りきっていない胴体へ拳が入り、玲奈の上体が揺れる。
玲奈は後方へ足を引いたが、蓮司はそれ以上追いかけなかった。
拳を戻し、次に玲奈がどちらへ動くのかを見据える。
「……また、待つのね」
「ああ。おまえがどう来るか、見たいからな」
「ふふっ。だったら、見せてあげる」
玲奈の身体が横へ流れた。
《霞歩》
蓮司はその移動を目で追ったが、拳は出さなかった。
届かない位置へ無理に拳を伸ばしても、反撃の機会を与えるだけだ。
しかし、玲奈もそれを見越していた。
横へ回り込んだあと、大きく距離を広げずに足を踏み直し、蓮司の側面へ腰を回す。
《流燕脚》
横から振り抜かれた蹴りが、蓮司の脇腹を捉えた。
鋭い衝撃に上体が傾き、呼吸が詰まる。
それでも足を踏ん張り、玲奈が蹴り脚を戻すところへ短い拳を返した。
玲奈はすぐに両腕を寄せ、その拳を受け止める。
蓮司は接触した拳を引き戻しながら、さらに前へ踏み込んだ。
《連進》
二人の距離が、もう半歩縮まる。
玲奈は足を広げ、重心を低く保った。
また腕を取られても、簡単には崩されないようにするためだった。
蓮司はその反応を見て、攻撃を切り替えた。
《連環打》
近距離から放たれた左拳が、玲奈の胴体を捉える。
玲奈は慌てて腕を戻したが、守りが整うより早く右拳が続いた。
拳が守りの隙間へ入り、上体が大きく揺れる。
玲奈は奥歯を噛み合わせ、どうにか足を踏ん張った。
だが、蓮司は止まらない。
さらに身体を寄せ、短い肘を打ち込む。
重い衝撃が玲奈の胴体へ響き、呼吸が乱れた。
玲奈は倒れまいと両足で床を捉えながら、必死に蓮司の動きを追っていた。
蓮司が身体をひねり、最後の蹴りへつなごうとする。
その瞬間、玲奈の掌が動いた。
連撃の途中で蓮司の腕へ触れ、蹴りを放つために重心が移るところへ力を加える。
《崩月》
蓮司の身体が横へ流れた。
蹴りを放とうとしていた足は、すでに床から離れかけている。
その姿勢では、急に崩された重心を支え直せない。
蓮司は上体を戻そうとしたが、玲奈は腕を捉えたまま踏み込み、残った勢いを投げへ変えた。
蓮司の身体が床へ叩きつけられる。
背中を打った衝撃で肺から空気が押し出され、視界が一瞬揺れた。
蓮司は歯を食いしばり、片手を床について上体を起こそうとした。
しかし、玲奈は追撃してこなかった。
腕を離して一歩退き、両掌を構え直している。
その呼吸は荒く、胴体をかばうように肩がわずかに上下していた。
「……その先までは、通さないわ」
玲奈は息を整えながら、小さく微笑んだ。
蓮司は床についた手へ力を込め、ゆっくりと立ち上がった。
背中には投げられた痛みが残っている。
それでも足を踏みしめ、再び両拳を構えた。
「……ああ。よく見ている」
玲奈も両掌を上げ直した。
互いに傷を負いながら、まだ相手を倒しきれていない。
蓮司は呼吸を整え、玲奈の足元へ視線を戻した。
第三ラウンドの中盤。
互いに攻撃を通しながらも、決定的な隙を作らせない攻防が続いていた。
蓮司が近づくと、玲奈は両掌を構え、迎え撃つ姿勢を見せる。
蓮司も、玲奈が動いたというだけでは拳を出さなかった。
玲奈が腰を回し、《流燕脚》を放った。
蓮司は両腕を寄せて受け止め、蹴り脚が戻る瞬間を狙って短い拳を差し込む。
拳が玲奈の胴体へ届き、上体がわずかに揺れた。
蓮司はその手応えを逃さず、もう一歩踏み込もうとした。
しかし、玲奈はすでに横へ足を運んでいた。
《霞歩》
続く拳が空を切る。
蓮司はすぐに腕を引き戻そうとしたが、玲奈はその間に側面へ回り込み、低く踏み込んでいた。
《穿月掌》
鋭い掌底が、蓮司の脇腹へ深く入り込む。
衝撃に上体が揺れ、腹部へ痛みが走った。
蓮司は踏みとどまり、玲奈が腕を引き戻す瞬間を見逃さなかった。
引かれる掌を追うのではなく、自分から一歩近づいて間合いを詰める。
《震掌》
近距離から打ち込まれた掌底が、玲奈の胴体を捉えた。
重い衝撃が身体の内側へ響き、玲奈の呼吸が詰まる。
玲奈は足を引きながら守りを戻そうとしたが、腹部の痛みで上体がわずかに折れた。
蓮司もそこで追撃を急がなかった。
拳を戻して間合いを取り直し、痛む脇腹を意識しながら呼吸を整える。
玲奈も足を踏み直し、両掌を構えた。
互いに攻撃を通している。
だが、一度の成功をきっかけに攻めを重ねようとすれば、相手もすぐに対応してくる。
玲奈は蓮司を見据えた。
七度倒してきた男性格闘家。
その蓮司が、今は目の前で拳を構え、自分の次の動きを待っている。
容易には崩せないことが、悔しかった。
けれど、その感情に気を取られている余裕はない。
玲奈は呼吸を整え、両掌を上げ直した。
蓮司もまた、玲奈の足元から目を離さなかった。
どちらも先に攻撃を出そうとはしない。
次に相手が踏み込む瞬間を、二人は慎重に見極めようとしていた。
直希は、画面上部のHPバーを確認した。
蓮司も玲奈も、残りはわずかだった。
攻撃を通せる場面は増えている。
だが、最後の一手を外されれば、また同じ結果になる。
「……やっぱり、強いな」
直希はコントローラーを握り直した。
RESONANCEゲージは、LEVEL 2の発動条件を満たしている。
《RESONANCE ARTS LEVEL 2 破陣》
前の試合では、《破陣》によって玲奈の間合いへ踏み込むことができた。
それでも、勝ち切ることはできなかった。
問題は、近づいたあとの判断だ。
拳が届く位置へ入れても、玲奈はその攻撃を見てから対応してくる。
ならば今度は、近づいた先でも相手の動きを見極める。
「……ここで決める!」
直希は《破陣》を発動した。
公式アリーナ。
蓮司は深く腰を落とした。
赤いオーラが全身を巡り、踏み出す脚にも力が満ちていく。
玲奈はその変化を見て、慎重に間合いを測り直した。
「……また《破陣》ね」
「ああ。今度は通す」
「ふふっ。そう簡単にはいかないわよ」
玲奈は両掌を構え直した。
《破陣》で踏み込みを強化した蓮司から、ただ距離を取るだけでは逃げ切れない。
そのことは、前の試合で十分に分かっていた。
かといって、近い距離へ留まれば、拳だけでなく投げにも対応しなければならない。
玲奈は攻撃を急がず、蓮司が次の一手を選ぶ瞬間を見極めようとした。
蓮司が強化された踏み込みで距離を詰める。
玲奈も半歩前へ出て、拳の届く位置へわずかに身体を近づけた。
蓮司が拳を構え直す。
玲奈はその動きを見て、膝を軽く曲げ、《穿月掌》を放つように踏み込んだ。
蓮司はとっさに両腕を寄せた。
しかし、玲奈は踏み込みを途中で止め、掌底を最後まで伸ばさなかった。
攻撃を受け止めようとした蓮司の腕が戻るまで、ほんのわずかな時間が生まれる。
だが、蓮司も不用意に拳を出そうとはしなかった。
玲奈が踏み込みを止めたことを見て、構えを保ったまま足を動かす。
二人は互いに、相手が次の攻撃を始める瞬間を待っていた。
玲奈は蓮司の拳へ視線を向けた。
赤いオーラは、まだ消えていない。
この距離なら、《轟天拳》の二段攻撃を受ける危険がある。
時間が過ぎれば、《破陣》の強化は薄れていく。だが、蓮司もそれを承知で距離を詰めてきている。
玲奈は半歩だけ横へ動いた。
蓮司はその移動を追って拳を振るのではなく、足を運んで間合いを詰め直す。
玲奈の上体が、拳の届く位置に残った。
今度こそ、届く。
「……ここだ!」
直希は通常の《破陣・轟天拳》を入力した。
画面の蓮司が腰を沈め、左拳を打ち出す。
まず左拳で相手の守りを崩し、続く右拳で打ち上げる二段攻撃。
十分に距離を詰めた。
今度こそ届くはずだった。
しかし、玲奈は左拳が届く寸前まで動かなかった。
蓮司の腕が伸び始め、攻撃を止められなくなった瞬間。
《霞歩》
玲奈の身体が横へ流れた。
蓮司の左拳が、玲奈のいた場所を通り過ぎる。
続く右拳も相手を捉えられず、二段攻撃が空を切った。
「……そこまで見てるか!」
直希は思わず声を上げた。
玲奈は、こちらが近づくことを止めようとしたのではない。
拳が届くと思える位置へ自分の身体を置き、技を出させるところまで待っていたのだ。
距離を詰められても、最後には外される。
直希は、玲奈が自分の判断をさらに一歩先まで読んでいたことを思い知らされた。
公式アリーナ。
蓮司が玲奈の姿を捉え直したときには、彼女はすでに側面へ回り込んでいた。
二段攻撃を外された蓮司は、すぐに拳を引き戻そうとした。
しかし、突き上げた右腕と前へ流れた重心は、簡単には元の位置へ戻らない。
玲奈はその隙を見逃さなかった。
《流転》
横への移動で生まれた勢いを、次の踏み込みへつなぐ。
蓮司が身体を向け直そうとしたところへ、玲奈は低く重心を落として懐へ入り込んだ。
《穿月掌》
強化された掌底が、蓮司の腹部へ深く突き刺さった。
鋭い衝撃に上体が折れ、肺から空気が押し出される。
踏ん張ろうとした足が後方へ滑り、身体を支えるためにもう一歩下がらざるを得なかった。
蓮司は奥歯を噛み合わせ、痛む腹部をかばいながら上体を起こした。
呼吸は乱れている。それでも、両拳を戻して玲奈を見据えた。
「……まだだ」
玲奈もすぐには追撃しなかった。
蓮司の攻撃を外し、掌底を通すことには成功した。
しかし、蓮司はまだ倒れていない。
玲奈自身も、これまでに受けた打撃の痛みを抱えていた。
ここで不用意に踏み込めば、今度は自分が倒されるかもしれない。
玲奈は両掌を構え直し、蓮司の次の動きを待った。
二人の距離は、あと一歩踏み込めば拳が届くほどだった。
蓮司は短く息を吐き、左足を前へ出した。
玲奈がどう動くかを確かめながら、短い左拳を伸ばす。
玲奈は両腕を寄せ、その拳を受け止めた。
重い衝撃が守りを通して胴体へ響いたが、玲奈は足を引かなかった。
蓮司が拳を戻し、次の攻撃へ移ろうとする。
その瞬間、玲奈は軸足で床を捉え、鋭く腰を回した。
《流燕脚》
横から振り抜かれた蹴りが、蓮司の脇腹を捉えた。
守りを戻すより、わずかに早かった。
腹部には、先ほどの《穿月掌》を受けた痛みが残っている。
そこへ横から重い衝撃が加わり、蓮司の上体が大きく傾いた。
踏みとどまろうと足を動かしたが、身体を支えるだけの力が入らない。
蓮司は拳を戻し、崩れた姿勢を立て直そうとした。
しかし、膝が折れ、身体が後方へ傾いていく。
背中が床へ打ちつけられ、残っていた息が押し出された。
蓮司は歯を食いしばり、片手を床につこうとした。
起き上がらなければならない。
だが、腕に力を込めても、身体は持ち上がらない。
視界の先には、両掌を構えた玲奈が立っていた。
玲奈も肩で息をしている。
それでも、蓮司が再び立ち上がるかどうかを、最後まで見届けようとしていた。
蓮司はもう一度、床を押そうとした。
しかし、身体は動かなかった。
K.O.
《MATCH RESULT》
《KIRYU REINA 2》
《KAMIYA RENJI 1》
通算八戦目も、玲奈の勝利だった。
玲奈は、その場でしばらく動けなかった。
肩で息をしながら、痛みの残る胴体へそっと意識を向ける。
「……勝った」
口にした途端、張り詰めていた緊張が少し緩んだ。
一ラウンドを奪われ、最終ラウンドでも追い詰められた。
それでも、最後に勝ったのは自分だった。
これまでの勝利も嬉しかった。だが、今回は格別だった。
玲奈は倒れている蓮司へ視線を向けた。
あれほどの接戦を乗り越えた喜びを、蓮司にも伝えたかった。
自然と口元に笑みが浮かんだ。
御影紗良は、結果画面を見つめていた。
《MATCH RESULT》
《KIRYU REINA 2》
《KAMIYA RENJI 1》
「……勝った……」
思わず声が漏れた。
最終ラウンドの《破陣・轟天拳》を外せたことが、決定的だった。
もし《霞歩》の判断がわずかに遅れていたら、結果は逆になっていたかもしれない。
「……危なかったですね」
紗良は息を吐いた。
それでも、勝負どころで自分の判断を通せたことが嬉しかった。
GOLD 3まで積み重ねてきた経験を、確かに生かすことができた。
紗良は試合後の選択画面へ視線を移した。
《POST-MATCH》
《会話意図を選択》
1.奪われた一ラウンドを認め、相手の成長を称える。
2.接戦を制した女性勝者として誇り、男性敗者へ勝利の喜びを伝える。
3.次の再戦でも、最後まで勝つ意思を示す。
今回は、相手の悔しさを確かめたいわけではない。
接戦を制した喜びを、玲奈にも堂々と表現してほしかった。
「……今回は、堂々と喜びましょう」
紗良は二番を選択した。
公式アリーナ。
蓮司は床に片手をつき、ゆっくりと上体を起こした。
最後の《流燕脚》を受けた脇腹が痛む。
深く息を吸おうとすると、《穿月掌》を受けた腹部にも鈍い痛みが響いた。
顔を上げると、玲奈がこちらへ歩いてきていた。
彼女も肩で息をし、拳を受けた胴体に痛みを残している。
それでも、最後に立っていたのは玲奈だった。
蓮司の前で足を止めた彼女の顔には、嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
「……危なかったわ。でも、最後には私が勝った」
玲奈はそう言うと、ほっとしたように息を吐いた。
言葉にしてみると、胸の奥から喜びが込み上げてくる。
玲奈は自分の両掌へ視線を落とした。
蓮司の拳を受けた痛みが、まだ身体のあちこちに残っている。
けれど、その痛みさえ、今は接戦を勝ち切った実感につながっていた。
「……本当に、嬉しいわ」
思わず漏れた言葉に、蓮司は玲奈を見上げた。
これまでにも、彼女が勝利を誇る姿は何度も見ている。
穏やかな笑顔で敗北を告げられ、男として悔しいかと尋ねられたこともあった。
だが、今の玲奈は少し違った。
自分を倒したことが嬉しくて、その気持ちを抑えきれないように見えた。
蓮司は奥歯を噛み合わせた。
その笑顔を向けられているのが、自分なのだ。
「……ああ。おまえの勝ちだ」
声を絞り出すように答えた。
玲奈は小さく頷いた。
「ねえ、蓮司。あなた、途中で私に勝てると思ったでしょう?」
蓮司は、すぐには答えなかった。
勝てると思った。
今度こそ、この女性を倒せるかもしれないと。
その手応えは確かにあった。
だからこそ、こうして敗者として見上げていることが、たまらなく悔しかった。
「……ああ。思った」
「そう」
玲奈の口元が、わずかに緩んだ。
「私も、負けるかもしれないと思ったわ」
蓮司が顔を上げる。
玲奈は、その視線を正面から受け止めた。
強くなった蓮司を相手に、これまでのような余裕を保つことはできなかった。
実際に一ラウンドを奪われ、最後まで勝敗の分からない攻防を続けた。
危うい勝負を乗り越え、最後に立っていられたことが、嬉しくて仕方なかった。
「ふふっ。だから、今回はいつも以上に嬉しいの」
玲奈は蓮司の前で、満足そうに微笑んだ。
「男のあなたが、また女の私に負けたのよ」
蓮司の拳に、ゆっくりと力が込もった。
その言葉は、もう何度も聞かされている。
だが、慣れることはなかった。
それどころか、今回は以前よりも強く胸に刺さった。
玲奈は、自分がどれほど勝利に近づいたのかを知っている。
玲奈自身、負ける可能性を感じていたのだから。
それでも、最後に立っていたのは玲奈だった。
勝てると思った男を倒し、女の自分が勝者として笑っている。
その事実が、今の彼女をこれほど喜ばせている。
蓮司には、その喜びを否定することができなかった。
勝ったのは玲奈だ。
あの接戦を制したのも、彼女自身の強さだった。
だからこそ、悔しい。
「……それだけ追い詰めたつもりだった。だが、最後に届かなかった」
「そうね」
玲奈は蓮司を見つめた。
「私も、あなたに追い詰められたことは認めるわ」
そこで、少しだけ目を細める。
「でも、勝ったのは私よ。そこは譲ってあげられないもの」
「……ああ。分かっている」
蓮司は視線を逸らさなかった。
玲奈の嬉しそうな顔が、取り損ねた勝利の重さを嫌というほど思い知らせてくる。
次は、自分が勝者として立ちたい。
蓮司は床についた手へ力を込め、ゆっくりと立ち上がった。
脇腹に痛みが走ったが、玲奈から目を逸らすことなく足を踏みしめる。
ようやく、二人の目の高さが揃った。
「……次は、二つ取る」
玲奈は少しだけ驚いたように目を瞬かせた。
それから、楽しそうに微笑む。
「ふふっ。一つでは足りなかったものね」
「ああ。俺が欲しいのは、試合の勝ちだ」
「そう。だったら、次も簡単には決まらないでしょうね」
玲奈は穏やかに答えた。
先ほどの試合を思えば、もう蓮司を簡単に退けられる相手だとは考えられなかった。
だが、それで勝つことを諦めるつもりもない。
今回のように厳しい勝負になっても、最後まで自分の技を通し、勝利を掴みたい。
「……私も、次に戦うなら勝つつもりよ」
「……望むところだ」
玲奈は小さく笑った。
蓮司は、その笑みを正面から受け止めた。
直希の画面に、結果が表示された。
《OFFICIAL RECORD》
《KAMIYA RENJI 4 WIN / 14 LOSS》
《HEAD TO HEAD》
《KIRYU REINA 8 WIN》
《KAMIYA RENJI 0 WIN》
「……八回、負けたか」
直希は小さく息を吐いた。
一ラウンドは取れた。
今度こそ勝てるかもしれないと思った。
それでも、試合を取ったのは玲奈だった。
画面が勝者演出へ切り替わる。
白と翡翠色の戦闘服をまとった玲奈が、片膝をつく蓮司へ微笑みかけていた。
そして、字幕が表示される。
『男のあなたが、また女の私に負けたのよ』
「……またそれかよ!」
直希は思わず声を上げた。
「六回目からずっと言われてないか、俺!?」
いや、正確には蓮司に向けられた言葉だ。
だが、操作して負けているのは自分である。画面越しでも、妙に刺さる。
「負けたのは分かってるって! でも、なんで毎回そこを強調するんだよ……!」
直希には、まだよく分からなかった。
女性の格闘家が男性に勝つことは、このゲーム内世界では珍しくない。
公式戦の身体能力も、男女が対等に戦えるよう調整されている。
だったら、勝ったことを喜ぶだけでもいいはずだ。
なのに玲奈は、何度勝っても「女の私が男のあなたに勝った」というところを嬉しそうに口にする。
「……こっちは普通に勝ちたいだけなんだけどな」
直希はぼやいた。
もちろん、玲奈が勝ったことに文句があるわけではない。
七回目も、今回の八回目も、負けたのはこちらだ。
それでも、ようやく一ラウンド取れたところで、また同じように男性としての敗北を突きつけられると、さすがに言い返したくなる。
だが、玲奈の言葉はまだ続いていた。
『私も、あなたに追い詰められたことは認めるわ。でも、勝ったのは私よ。そこは譲ってあげられないもの』
「……ああ、もう!」
直希はモニターを見つめた。
「そこは分かってる! 分かってるけどさ……!」
玲奈は、自分が追い詰められたことまで認めている。
それなのに、最後には勝者として微笑んでいる。
その余裕が、余計に悔しかった。
「……今度こそ勝てると思ったんだけどな」
直希はコントローラーを握り直した。
玲奈が女だから悔しいのかと聞かれれば、直希にはまだうまく答えられない。
ただ一つ、はっきりしていることがある。
八回も負けて、あんなに嬉しそうに勝ち誇られて、平気でいられるわけがない。
「……次は、こっちが勝つ番だろ!」
直希は再戦申請の項目を開いた。
「もう一回!!」
同じCHARACTER IDへ即時再戦を申し込む。
《REMATCH REQUEST SENT》
《WAITING FOR ACCEPTANCE》
紗良のモニターにも、玲奈の勝者演出が流れていた。
『男のあなたが、また女の私に負けたのよ』
紗良は小さく微笑んだ。
女性勝者が男性敗者へ勝利を誇ることは、このRESONANCE ARENAのゲーム内世界では珍しくない。
紗良も、その文化をよく知っている。
だから、玲奈の言葉に驚きはなかった。
むしろ、今回はその喜びの大きさがよく分かった。
『私も、あなたに追い詰められたことは認めるわ。でも、勝ったのは私よ。そこは譲ってあげられないもの』
「……ふふっ。そこは譲れませんよね」
相手の強さを認めることと、勝利を誇ることは別だ。
紗良自身、今回の勝利には大きな手応えがあった。
玲奈が嬉しそうにしている姿を見ると、自分まで少し誇らしくなる。
そのとき、通知音が鳴った。
《REMATCH REQUEST RECEIVED》
《KAMIYA RENJI》
「……また、来ましたか」
紗良は通知を見つめた。
八度負けても、まだ挑んでくる。
今回は一ラウンドを取られているだけに、相手PLAYERにも勝利への手応えがあるのだろう。
勝者演出をどう受け止めたのかは分からない。
だが、再び戦いたいという意思だけは伝わってきた。
「……そうですか。まだ勝つつもりなんですね」
紗良はコントローラーを握り直した。
「いいでしょう。次も、簡単には勝たせませんから」
再戦を受諾する。
《MATCH ACCEPTED》
《REMATCH CONFIRMED》
通算九戦目が、続けて成立した。