RESONANCE ARENA   作:エーアイ

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ラウンド1開始直前の蓮司と美月の挿絵をpixivに掲載しています。
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美月との1戦目の決着シーンをモニターで見る直希の挿絵をpixivに掲載しています。
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第5話:瀬川直希は、知っている相手と戦う

 翌朝、直希はいつもどおり学校へ向かった。

 

 昨日始めたばかりの『RESONANCE ARENA』のことを思い返す暇もなく授業は進み、気づけば放課後になっていた。

 西日が差し込む教室では、帰り支度を終えた生徒たちが少しずつ席を立っていく。

 直希も鞄へ教科書をしまい終えたところで、前の席から明るい声が飛んできた。

 

「で、どうだった?」

 

 声をかけてきたのは、佐久間航だった。

 

 同じクラスの友人で、直希よりも人との距離が近い。

 思ったことをそのまま口にする気安さがあって、ゲームの誘いも軽い。

 スマホを片手に振り向いた顔には、いつものように人懐っこい笑みが浮かんでいた。

 放課後に新しいゲームや面白そうなものを見つけては、「ちょっとやってみようぜ」と直希を誘うのも、だいたい航の方だった。

 

 昨日、直希が『RESONANCE ARENA』を始めたことも、航はもう知っていた。

 

 直希は少しだけ考える。

 

「……思ったより難しかった」

 

「へえ。どのへんが?」

 

 直希は昨日の対戦を思い返す。

 

「最初は何とかなると思ってたんだけど、全然勝てなくて」

 

「何戦した?」

 

「八戦」

 

「で、何勝?」

 

「ゼロ」

 

 航の笑みが止まった。

 

「……八連敗?」

 

「そうなる」

 

「始めた初日に?」

 

「うん」

 

「何してんだよ」

 

「気づいたら」

 

「気づいたら八回負けるゲームじゃないだろ」

 

 直希は苦笑した。

 

「最後は一ラウンド取ったぞ」

 

「八連敗のフォローになってないからな?」

 

 航は呆れた顔をしていたが、すぐに興味を持ったらしい。

 

「キャラ誰使ってんの?」

 

「神谷蓮司」

 

「ああ、蓮司か。初心者向けだな」

 

「俺もそう思って選んだんだけど」

 

「それで八敗?」

 

「言うなよ」

 

 航が笑う。

 

「俺は九条美月」

 

「どんなキャラ?」

 

「蹴り主体。中距離で相手止めるのが強い。俺は結構前から使ってる」

 

 直希より『RESONANCE ARENA』のプレイ歴が長い航が使う美月は、蓮司よりランクも上だった。

 直希にとっては、これまで画面の向こうにいたPLAYERは全員知らない相手だった。

 だが航は違う。

 学校で毎日のように顔を合わせている友人だ。

 

「じゃあ、やる?」

 

 航がスマホを軽く持ち上げた。

 

「美月と蓮司で?」

 

「そう。せっかく直希も始めたんだし、一回やってみようぜ」

 

 直希は少し考えてから聞いた。

 

「ランクマ?」

 

「俺はどっちでもいいけど――あ、ちょっと待って」

 

 航がスマホを取り出した。

 

「直希、今のランクどこ?」

 

「ランク?」

 

「昨日始めたばっかだろ。プロフィール見れば出てる」

 

 言われて、直希もゲームのプロフィール画面を確認する。

 

《ROOKIE 5》

 

 戦績は、〇勝八敗。

 

「ルーキー5」

 

「やっぱそこか」

 

「航は?」

 

「シルバー3」

 

「結構離れてるな」

 

「離れてるどころじゃないって」

 

 航は苦笑した。

 通常のランクマッチでは、近いランク帯の相手と組まれる。

 知っている相手を指定する場合も、下のランクから上へ挑むことはできるが、上位側から大きく下の相手を指定して申し込むことはできない。

 

「だから俺から直希には送れないな」

 

「じゃあ無理なのか?」

 

「いや。直希からならいける」

 

 航はスマホを操作して画面を見せた。

 

「フレンドコード送るから登録して。そこから俺のIDを指定して、直希の方からランクマ申請してくれ」

 

「俺から航に挑戦するのか」

 

「そういうこと。ルーキー5からシルバー3へ」

 

 航が少し笑う。

 

「いきなり結構な格上だけど、どうする? カジュアルにしとく?」

 

 昨日は公式戦ばかりだった。

 負ければ記録が残ることも、今はもう知っている。

 それでも直希の答えは決まっていた。

 

「ランクマでいい」

 

「負けたら九敗目だけど、いいの?」

 

「勝てば一勝目だろ」

 

 直希はあっさり返した。

 負けるかもしれないからという理由で、カジュアルを選ぶ気にはならなかった。

 航が一瞬黙ってから笑う。

 

「八連敗したやつが、シルバー3相手にそれ言う?」

 

「今日から変わるかもしれないだろ」

 

「その一勝目を俺から取るつもり?」

 

「そのつもり」

 

「言うねえ」

 

 航は楽しそうにスマホをしまった。

 

「じゃ、帰ったらフレンド登録な。申請は直希から送って」

 

「ああ」

 

「ちゃんとランクマでな」

 

「分かってる」

 

「ルーキー5からシルバー3に喧嘩売るんだから、後で怖くなってカジュアルに変えるなよ」

 

「変えないって」

 

 直希が答えると、航はまた笑った。

 

「じゃ、夜な」

 


 

 その日の夜、二人はそれぞれの自宅から『RESONANCE ARENA』へログインした。

 昼間に交換したフレンドコードの登録は済んでいる。

 直希がフレンド一覧を開くと、航がオンラインになっていた。

 これまで直希が公式戦で戦ったPLAYERは、誰も顔も名前も知らない相手だった。

 だが今日は違う。画面の向こうにいるのは、昼間まで同じ教室で話していた友人だ。

 知っている相手とオンラインの公式戦で向き合うのは、直希にとって初めてだった。

 

「いた」

 

 直希はフレンド一覧から航を選ぶ。

 表示された対戦メニュー。

 

《RANKED MATCH》

《CASUAL MATCH》

 

 昼間に決めた通り、迷わず上を選んだ。

 

《RANKED MATCH》

 

 続けて確認画面が開く。

 

 直希のランク。

 

《ROOKIE 5》

 

 航のランク。

 

《SILVER 3》

 

 かなり離れている。

 通常のランクマッチなら、まず対戦相手にはならない差だった。

 それでも、下位側からの指定挑戦なら申請できる。

 直希はそのまま決定した。

 

《RANKED MATCH REQUEST SENT》

 

「送った」

 

 ほどなくして、表示が切り替わる。

 

《RANKED MATCH ACCEPTED》

 

「早いな」

 

 どうやら航も待っていたらしい。

 対戦画面へ切り替わり、二人が選んだキャラクターの名前が並ぶ。

 

《KAMIYA RENJI》

《VS》

《KUJO MIZUKI》

 

 画面の中央に、直希が初めて見る女性格闘家が現れた。

 

 九条美月。

 

 長い黒髪を高い位置でひとつに束ね、涼しげな目元には落ち着いた自信がある。

 黒を基調に白と青を差した短いジャケットを羽織り、その下には身体へ沿う黒のトップス。

 脚さばきを妨げないショートパンツと、拳を覆うグローブまで含めて、全体の印象は華やかさよりも実戦性が先に立っていた。

 細身に見えて、身体はよく鍛えられている。

 引き締まった腹部もそうだが、それ以上に目を引くのは脚だった。

 長く、無駄なく鍛えられた両脚が、軽く間合いを取るだけでもいつ蹴りへ変わってもおかしくない緊張を帯びている。

 玲奈とは、立っているだけで違った。

 

 玲奈が流れるように重心を移し、相手の動きへ合わせて形を変えていく武術家なら、美月の構えはもっと直接的だった。

 両拳を高めに置き、身体をわずかに斜めへ向けながら、前脚にはいつでも蹴りを出せるだけの余裕を残している。

 大きく動いているわけではない。

 それでも、蓮司が一歩入れば、その瞬間に脚が飛んできそうだった。

 画面の向こうで、美月がわずかに顎を引く。

 表情に力みはない。

 けれど、これから戦う相手を前にしているという意識だけは、目にはっきりと出ていた。

 

「これが美月か」

 

『そう。中距離入ると結構きついぞ』

 

 通話越しに航の声がする。

 

「先に言うなよ」

 

『知ってても入れないから』

 

「言ったな」

 

 直希はコントローラーを握り直した。

 


 

 同じころ。

 公式アリーナに立った九条美月は、正面の男を見ていた。

 

 神谷蓮司。

 

 アーキタイプ自体を知らないわけではない。

 だが、目の前のRESONANCE IDとは初対面だった。

 美月は試合開始前に表示された公式情報へ視線を向ける。

 

《KAMIYA RENJI》

 

《RANK》

《ROOKIE 5》

 

《OFFICIAL RECORD》

《0 WIN / 8 LOSS》

 

「……ルーキー5」

 

 美月は小さく呟いた。

 

 自分はSILVER 3。

 かなり差がある。

 しかも相手は、まだ公式戦で一度も勝っていない。

 珍しい組み合わせだとは思ったが、公式戦として成立している以上、今ここにいる蓮司は自分の対戦相手だ。

 そして。

 神谷蓮司という名前には、見覚えがあった。

 

「……この人」

 

 少し前、格闘ニュースを眺めていたときだった。

 同じ日に八試合の公式戦を行い、そのすべてに敗れた格闘家として短く取り上げられていた。

 そのうち五試合は、同じ桐生玲奈との連戦。

 勝者としてではなく、八連敗した新人として目に入った名前だった。

 記事に記載されていたRESONANCE IDも、目の前の相手と一致している。

 

「……あの神谷蓮司なのね」

 

 ニュースで見たときには、ずいぶん何度も戦う格闘家がいるものだと思っただけだった。

 

 八試合。

 八敗。

 それでも最後まで公式戦に立ち続けた男。

 まさか、その本人と自分が翌日に向かい合うことになるとは思っていなかった。

 美月は改めて蓮司を見る。

 

 ROOKIE 5。

 零勝八敗。

 数字だけなら、自分の方が上だ。

 経験も、公式順位も違う。

 だからといって。

 始まる前から勝ったことにはならない。

 

 昨日八回負けたことも。

 自分がSILVER 3であることも。

 これから交わす一発を代わりに防いではくれない。

 美月は静かに拳を上げた。

 

「新人でも、公式戦なら同じよ」

 

 蓮司も正面で構える。

 美月はその姿を見据えたまま続けた。

 

「八回負けたからって、私が手加減する理由にはならないわ」

 

 開始表示が浮かぶ。

 

 ROUND 1、FIGHT。

 


 

 先に動かしたのは直希だった。

 

「まずは、入れる距離を見よう」

 

 昨日の玲奈戦では、自分が出したい技ばかり考えて何度も潰された。

 今度はいきなり疾歩拳を出さず、蓮司を歩かせながら美月がどこで反応するのかを見る。

 美月も構えを崩さない。

 蓮司が少しずつ距離を詰め、美月の長い脚が届きそうなところまで入った、その瞬間だった。

 美月の前脚が鋭く横へ走る。

 

 弧月蹴。

 

 中距離から素早く放つミドルキック。

 接近しようとする相手を止め、美月が自分の間合いを維持するための代表的な牽制技だ。

 

「早っ」

 

 直希が反射的にガードを入力する。

 蓮司は両腕を上げ、脇腹へ向かってきた蹴りを受け止めた。

 

 防げたなら返せる。

 そう考えて直希が前進と攻撃を入力すると、蓮司がすぐに拳を伸ばす。

 だが、もう美月はいなかった。

 蹴り脚を戻すと同時に、美月は短く後方へ跳ねるように距離を切り、着地するとすぐに構えを戻している。

 

 零歩。

 

 玲奈の霞歩が相手の攻撃線から軸そのものを外すのに対し、美月の零歩は一度間合いを切り、自分の長い蹴りが生きる距離を作り直すための特殊な後退だった。

 蓮司の拳は、美月の目の前を空しく通り過ぎる。

 

「玲奈と全然違うな……」

 

 昨日の相手は、こちらの攻撃を横へ外し、その戻りへ反撃してきた。

 美月は違う。

 正面から消えるのではなく、蓮司の拳だけが届かず、自分の脚なら届く位置を保っている。

 直希はもう一度歩いて距離を詰めた。

 また弧月蹴が来る。

 今度もガードするが、そのまま追えば零歩で離される。

 さらに詰めれば、もう一度蹴りで止められる。

 美月は距離を保ったまま、近づいてくる蓮司を見据えていた。

 

「そこからじゃ、まだ届かないわ」

 

 蓮司は止まらず、もう一歩だけ間合いを詰める。

 

「なら、届くところまで行く」

 

 画面の前で、直希も同じ距離を見ながら思わず漏らした。

 

「入れないな……!」

 

『だから言っただろ。美月、中距離は強いって』

 

「航、楽しそうだな」

 

『そりゃ今のところ勝ってるからな』

 

 直希は無理に追うのをやめた。

 こちらから入るたびに止められるなら、今度は美月から動かせばいい。

 蓮司をその場に留める。

 美月もすぐには来なかった。

 互いに距離を残したまま、数秒だけ間が空く。

 

「……来ないのか?」

 

 待てば、美月も待つ。

 そう思った直後だった。

 航の操作で、美月が一気に前へ出る。

 

 迅条。

 

 前方へ鋭く踏み込むステップから、その勢いのまま真っ直ぐ拳を突き込む。

 長い蹴りを警戒して足を止めた相手へ、今度は美月の方から距離を潰すための攻め技だった。

 

「そっちから来るのか!」

 

 直希は慌ててガードを入れたが、一瞬遅い。

 美月のストレートが蓮司の胸元を捉え、身体が後ろへ揺れる。

 

「ぐっ……!」

 

 蓮司が体勢を戻すより先に、美月は一歩引いて自分の距離へ戻る。

 

「待っていれば、安全だと思った?」

 

 蓮司は胸元の痛みを押さえ込むように息を吐き、構え直した。

 

「……次は迎える」

 

 美月はそこで追い続けない。

 拳を引くと、再び自分の得意な中距離まで下がって構え直した。

 蹴りを嫌って前へ出れば弧月蹴で止められる。

 その蹴りを警戒して待てば、今度は迅条で美月から入ってくる。

 直希はようやく、この相手の面倒さが分かってきた。

 

「待ってても駄目なのか……」

 

『美月は待つだけのキャラじゃないぞ』

 

「先に言えよ」

 

『言ったら練習にならないだろ』

 

「今言ってるじゃん」

 

 文句を返しながらも、直希は蓮司をもう一度前へ出した。

 今度は弧月蹴の距離へ入る直前で止まる。

 美月の脚が動かなければ、半歩だけ前へ。

 反応を見て、また止まる。

 何度か試すうちに、ようやく蓮司の拳が美月のガードへ触れた。

 だが、それ以上は続かない。

 こちらが一つ入り方を変えれば、航も美月の動かし方を変えてくる。

 蹴りで止め、零歩で距離を作り直し、直希が待ち始めれば迅条で先に触る。

 

 第一ラウンドの終盤には、蓮司のHPだけが大きく減っていた。

 

「まずいな……」

 

 残りわずかになったHPを見て、直希は焦って前へ出る。

 美月が下がる。

 逃げると思った直希は、そのまま蓮司を追わせた。

 だが、美月は十分な距離を作ったところで足を止めていた。

 蓮司が踏み込んだ瞬間、再び弧月蹴が走る。

 

「しまっ──」

 

 今度はガードが間に合わない。

 ミドルキックが蓮司の脇腹を捉え、残っていたHPを削り切った。

 

 K.O.

 

《KUJO MIZUKI》

《ROUND WIN》

 

「うわ……」

 

 直希は息を吐き、勝者表示の向こうに立つ美月を見る。

 

「本当に玲奈と全然違うな」

 

『そりゃそうだろ』

 

「分かってる。でも、昨日のやり方をそのまま持ってきても駄目だ」

 

『やっと気づいた?』

 

「まだ一ラウンド目だろ」

 

 直希はコントローラーを握り直した。

 

「次はもう少し見る」

 


 

 K.O.の表示が消えると、アリーナではラウンド間の回復が始まった。

 美月は構えを解かず、倒れていた蓮司が起き上がるのを見ていた。

 最初の印象どおり、まだ自分の間合いには慣れていない。

 蓮司は何度も前へ出ようとした。

 そのたびに弧月蹴で止められ、追えば零歩で距離を切られ、待てば今度は迅条で美月の方から踏み込まれた。

 最後まで、自分の拳が十分に届く位置へ居続けることができなかった。

 

 ただ、最初から最後まで同じだったわけではない。

 序盤の蓮司は、美月の蹴りを受けてもすぐ前へ出てきた。

 それが途中から、弧月蹴の届く手前で足を止めるようになった。

 こちらが何もしなければ待ち、美月から動けば、それを見て拳を返そうとしていた。

 

 結果には結びつかなかった。

 

 それでも、一ラウンドの中で戦い方を変えようとしていたことくらいは、美月にも分かる。

 

「……途中から、止まるようになったわね」

 

 蓮司が顔を上げた。

 

「蹴られてから入っても届かなかったからな」

 

「そうね」

 

 美月はあっさり認めた。

 

「でも、止まったら今度は私から入ったでしょう?」

 

「ああ」

 

「それで待ちきれなくなって、最後はまた自分から来た」

 

 蓮司は少しだけ黙った。

 最後の弧月蹴を受けた場面を思い返しているらしい。

 

「……まだ距離が分かってないな」

 

「ええ」

 

 美月は否定しなかった。

 

「私の蹴りが届くところまで入ってから、どうするか考えてる。それじゃ遅いわ」

 

 美月は淡々と言った。

 蓮司は一度、自分と美月の間にある距離を見る。

 

「なら、次は入る前に見る」

 

 美月の眉がわずかに動いた。

 

「もう変えるの?」

 

「同じことしたら、また蹴られるだろ」

 

「それはそうね」

 

 ほんの少しだけ、美月の口元が緩んだ。

 ニュースで見た、零勝八敗の格闘家。

 現在のランクはROOKIE 5。

 SILVER 3の自分とは、公式順位でも大きく離れている。

 

 そして今の第一ラウンドも、美月が取った。

 まだランク差を疑うような結果は出ていない。

 蓮司が一度、攻め方を変えた。それだけで評価を大きく変える理由もなかった。

 

 それでも。

 少なくとも、八回負けても何も変えず、同じ攻撃を繰り返しているだけの男ではないらしい。

 

「好きに変えれば?」

 

 美月は再び両拳を頬の近くまで上げた。

 

「私は、それを見てまた止めるから」

 

 蓮司も拳を構える。

 

「なら、今度は止められないようにする」

 

「そう」

 

 美月は正面の蓮司から目を離さなかった。

 

「できるなら、やってみればいいわ」

 

 二人の体力が回復し、ラウンド表示が切り替わる。

 美月にとっては、神谷蓮司から奪った最初の一ラウンド。

 蓮司にとっては、美月の間合いを初めて身体で知った一ラウンド。

 結果は同じでも、次に始まる二分間まで同じになるとは限らなかった。

 

 ROUND 2、FIGHT。

 


 

 第二ラウンドが始まると、直希は第一ラウンドと同じようには前へ出なかった。

 美月の弧月蹴が届く距離を思い出し、蓮司をそこへ踏み込ませる直前で一度止める。

 美月の前脚がわずかに動いたのを見ても、すぐには拳を出さない。

 

「そこまでは入らない」

 

 美月が先に弧月蹴を放った。

 長いミドルキックが蓮司の正面を横切る。

 今度はガードする必要すらなかった。

 

「よし」

 

 蹴りが戻るのを見てから、直希が前進を入力する。

 蓮司が間合いを詰め、短い直拳を伸ばした。

 美月は両腕を上げて受け止める。

 大きなダメージではない。それでも、第一ラウンドではほとんど触れられなかった相手へ、初めて狙った形で拳を届かせた。

 

「……届いたわね」

 

 美月がガード越しに蓮司を見る。

 蓮司は拳を引き、もう一度構え直した。

 

「次は通す」

 

 その言葉を聞きながら、直希も同じ手応えを感じていた。

 

「いける」

 

 直希はそのままもう一歩追おうとした。

 だが、航も同じ攻防を見ていた。

 美月が零歩で距離を切る。

 

 今度こそ届く。

 そう思って拳を入力する。

 蓮司の肩が前へ出た、その瞬間だった。

 美月が後ろへ逃げず、身体を強くひねった。

 

 旋牙。

 

 軸足で床を捉えたまま腰を回し、身体の回転ごと叩き込む高速の回し蹴り。

 弧月蹴より出は大きいが、そのぶんリーチと威力に優れ、相手が攻撃へ移る瞬間を読んだときに強く機能する美月の差し返しだった。

 

「っ──!」

 

 蓮司の拳が完成するより先に、旋牙が脇腹を捉えた。

 

《COUNTER RHYTHM》

 

 表示が走る。

 

 美月が相手の攻撃の出始めを蹴りで潰したときに成立する固有特性。

 相手が動き始める呼吸を捉えた証として、短いあいだ蹴りによる攻めが強くなる。

 

「ぐっ……!」

 

 蓮司の身体が横へ弾かれた。

 美月は踏み込みながら、短く言った。

 

「そこは読んでいたわ」

 

 蓮司は強化された追撃を腕で受けながら、美月を見返す。

 

「……なら、次は外す」

 

 美月はさらに一歩踏み込み、強化された蹴りを重ねる。

 直希は今度こそガードを間に合わせたが、旋牙で失ったHPまでは戻らない。

 

「今の、俺が追うの待ってた?」

 

『待ってた』

 

『一回目で、零歩したら追ってきただろ。今度は止まったけど、そのあと結局入ってきたから』

 

「……俺がまた入るところまで読んでたのか」

 

『対戦してるんだから見るだろ』

 

 直希は思わず苦笑した。

 昨日まで戦っていたPLAYERについては、画面の向こうで何を考えているのか分からなかった。

 今日は違う。

 今の旋牙も、ゲームのキャラクターが勝手に出した技ではない。

 学校でいつも話している航が、直希ならここで踏み込むと考えて入力した結果だ。

 そう思うと、同じオンライン対戦なのに少し変な感じがした。

 

「……じゃあ、こっちも同じようには行かない」

 

『お、やる?』

 

 直希は再び蓮司を前へ出した。

 今度は弧月蹴の間合いへ入る前に一度止まり、美月が動かなければ半歩だけ詰める。

 零歩が見えてもすぐには追わず、迅条で美月から来る可能性も残して待つ。

 さっきまでより攻防は長く続いた。

 

 美月が弧月蹴を振れば、その戻りへ少しだけ入る。

 零歩で距離を切られれば、追うふりだけして足を止める。

 そこへ迅条で踏み込まれても、今度はガードが間に合った。

 

「よし、見えてきた」

 

『一ラウンド負けただけで覚えるの早いな』

 

「八敗してるからな」

 

『そこ自慢するとこじゃないだろ』

 

 直希は返事をしながらも、画面から目を離さなかった。

 何度か蓮司の拳も届いた。

 美月のHPが少しずつ減る。

 第一ラウンドより明らかに戦えている。

 それでも、経験の差までは一ラウンドで埋まらなかった。

 

 直希が弧月蹴を警戒して足を止める回数が増えると、航は迅条を使う頻度を上げた。

 逆に迅条を意識して上半身のガードを固めれば、美月は無理に近づかず、中距離から低い蹴りを脚へ通してくる。

 蓮司が一つ変えるたびに、美月の選択肢も一つずつ変わった。

 

 終盤には再びHP差が開いていた。

 

「まだ美月の方が多いな……」

 

 蓮司の残りHPはわずか。

 美月にもダメージは入っているが、まだ余裕がある。

 直希は焦って前へ出そうとして、一度指を止めた。

 さっき旋牙をもらった。

 同じ踏み込みはできない。

 なら待つ。

 

 美月が来たところを受けて返す。

 直希は蓮司をその場に残した。

 航はそれを見ていた。

 

『じゃあ、今度はこっちから行く』

 

「え?」

 

 美月が一気に地面を蹴る。

 

 迅条。

 

 素早い踏み込みから放たれたストレートが、待ち構えていた蓮司のガードへぶつかった。

 直希は受け止める。

 

「防いだ!」

 

 だが、美月はそこで止まらなかった。

 拳を引くと同時に間合いをずらし、蓮司が反撃へ移ろうとしたところへ弧月蹴を重ねる。

 

「しまっ──」

 

 反撃入力のためにガードを解いた直後だった。

 長いミドルキックが、無防備になった蓮司の脇腹をまともに捉えた。

 

「がっ……!」

 

 重い衝撃に息を詰まらせ、蓮司の身体が横へ折れる。

 踏みとどまろうとした足にも力が入らず、そのまま膝から崩れ落ちた。

 残っていたHPがゼロになる。

 

 K.O.

 

《KUJO MIZUKI》

《WIN》

 

《MATCH RESULT》

《KUJO MIZUKI 2》

《KAMIYA RENJI 0》

 

 直希はコントローラーを握ったまま、結果画面を見つめた。

 第一ラウンドよりは明らかに戦えていた。

 弧月蹴の間合いを避け、美月の零歩をすぐに追わず、迅条にも何度か対応できた。

 蓮司の拳もきちんと届いている。

 それでも、取れたラウンドは一つもない。

 

「……変えたんだけどな」

 

『変えたから、こっちも変えたんだよ』

 

 航の返事は軽い。

 

「そりゃそうか」

 

『直希だけ一方的に慣れていくなら、対戦にならないだろ』

 

 言われてみれば当然だった。

 

 昨日の玲奈戦でも、自分が一つ覚えれば相手も次の手を変えてきた。

 今回はさらに、画面の向こうにいるのが航だと分かっている。

 自分が何を警戒し、どこで足を止めたのかを、友人も同じように見ながら操作している。

 

「次は、美月だけじゃなくて航が何を変えるかも見ないとな」

 

『そこまで考えるようになった?』

 

「九回も負ければな」

 

 ちょうどその言葉に重なるように、戦績表示が更新された。

 

《KAMIYA RENJI》

《0 WIN / 9 LOSS》

 

「……九敗」

 

『本当にまだゼロなんだな』

 

「だから次に勝てば一勝目だろ」

 

『俺から取るつもり?』

 

「そのつもり」

 

 少し間を置いて、航が笑った。

 

『じゃあ、もう一回やる?』

 

「やる」

 

 今度は考えるまでもなかった。

 


 

 試合が終わると、九条美月の視線の先に二人の公式対戦成績が表示された。

 

《OFFICIAL HEAD-TO-HEAD》

《KUJO MIZUKI 1 WIN》

《KAMIYA RENJI 0 WIN》

 

 最初の一勝が、美月の側へ刻まれる。

 

 ROOKIE 5の蓮司に対して、美月はSILVER 3。

 試合前からあった大きなランク差は、二対零という結果でも覆らなかった。

 

 ただ、二つのラウンドがまったく同じだったわけではない。

 第二ラウンドの蓮司は弧月蹴の手前で止まり、零歩をすぐには追わず、迅条にも何度か対応した。

 第一ラウンドではほとんど届かなかった拳も、美月のガードまで運んできた。

 

 変えられたことと、勝負をひっくり返せたことは別だ。

 美月は結果表示から視線を下ろし、向かいに立つ蓮司を見る。

 

「二ラウンド目は、少し違ったわね」

 

 蓮司も美月へ顔を向けた。

 

「少しじゃ足りなかったけどな」

 

「ええ。足りなかった」

 

 美月は遠慮なく肯定した。

 

「最初よりは私の蹴りを見ていた。でも、止まったあとで結局また私の間合いへ入ってきたでしょう?」

 

「ああ」

 

「だから最後も届いた。それだけよ」

 

 ランク差は結果にも出ている。

 それでも、その数字だけで今の二ラウンドを片づけるつもりはなかった。

 何も変えずに負ける相手と、失敗を見て次を変える相手は違う。

 

 蓮司は言い訳をしなかった。

 公式戦績が零勝九敗になったことも、二ラウンド続けて取られたことも、そのまま受け止めるように一度だけ頷く。

 

「覚えておく」

 

「そう」

 

「次は、同じところでは止まらない」

 

 美月はそこで、わずかに眉を上げた。

 

 零勝九敗。

 それでも、もう次に何を変えるかを考えている。

 

 負けた直後に次を口にする格闘家自体は珍しくない。

 だから、その一言だけを特別に受け取る理由はなかった。

 

「次にまた組まれることがあるなら、好きに変えればいいわ」

 

「そのときは、おまえも変えるんだろ」

 

「当然でしょう?」

 

 美月は小さく肩をすくめた。

 

「あなたが変えるのに、私だけ同じ戦い方を続ける理由はないもの」

 

「それでいい」

 

 蓮司の返事は短かった。

 

 二対零。

 まだ実力評価を大きく変えるような結果ではない。

 

 それでも、一ラウンド目に通じなかったことを二ラウンド目にはそのまま繰り返さなかった。

 その一点だけは、美月も覚えておくことにした。

 

 自分の側へ刻まれた一勝を確認し、結果表示を閉じた。

 


 

 試合結果が閉じると、直希はそのまま対戦履歴を開いた。

 

 選ぶのは、ついさっき二対零で敗れた相手。

 

《KUJO MIZUKI》

 

 表示されたRESONANCE IDを確認し、迷わず再戦を選択する。

 

《RANKED REMATCH REQUEST》

《TARGET:KUJO MIZUKI》

 

「送った」

 

『来た』

 

 航の声が返ってくる。

 

『じゃ、受けるぞ』

 

「ああ」

 

 ほどなくして、直希の画面も切り替わった。

 

《RANKED REMATCH ACCEPTED》

 

 美月への二度目の挑戦が成立する。

 直希はコントローラーを握り直した。

 

「今度こそ」

 

『さっきも似たようなこと言ってなかった?』

 

「今度は違う」

 

『はいはい』

 

 画面が次の公式戦へ切り替わった。

 


 

 最初の公式戦を終え、美月がアリーナを離れようとしたところで、新しい表示が開いた。

 

《RANKED REMATCH REQUEST》

《KAMIYA RENJI》

 

 美月は足を止めた。

 

 表示された名前を見ても、驚きはしなかった。

 つい先ほど、二対零で倒した神谷蓮司。

 

 昨日は桐生玲奈に五試合。

 同じ相手との公式連戦が許される上限まで挑み続けた男だ。

 なら、自分にももう一度来る可能性はあると思っていた。

 

「……そう」

 

 美月は改めて表示を見る。

 

 ROOKIE 5。

 対する自分はSILVER 3。

 試合前から明確だったランク差は、実際の勝負でも覆らなかった。

 蓮司は第二ラウンドで戦い方を変えてきたが、一ラウンドも取れずに終わっている。

 

 その結果を受けた直後に、下位側から公式リマッチを申し込んできた。

 昨日の五連戦が、たまたまではなかったことだけは分かる。

 

 美月は正面の蓮司を見る。

 

「さっき、私との差は分かったでしょう?」

 

「ああ」

 

「二対零。一ラウンドも取れていない」

 

「分かってる」

 

「私はSILVER 3。あなたはROOKIE 5」

 

 蓮司は否定しなかった。

 美月は続ける。

 

「それでも、もう一度私と戦うのね」

 

「ああ」

 

「昨日もそうだったそうね」

 

 蓮司の目がわずかに動く。

 

「桐生玲奈に五回。連戦できる上限まで挑んだ」

 

「ああ」

 

「全部負けたのに」

 

「だから挑んだ」

 

 美月が少しだけ目を細める。

 

「負けたから?」

 

「勝てなかった相手だからだ」

 

 短い答えだった。

 強がりではない。

 今の敗北を軽く見ているわけでもない。

 ランク差を無視して、自分と互角だと思い込んでいるわけでもない。

 自分より上にいる。

 実際に戦って負けた。

 だから、もう一度、そこへ行く。

 美月はニュースで見た五連敗と、目の前の再戦申請をようやく同じものとして理解した。

 

「……本当に、そういう戦い方をするのね」

 

 美月は蓮司を見た。

 

「負けた相手から離れない」

 

「勝てなかったまま終わる方が嫌だ」

 

 美月は一瞬だけ黙った。

 昨日は玲奈。今日は自分。

 相手が変わっても、蓮司の答えは変わらないらしい。

 

「……そう」

 

 ほんの少しだけ、口元を緩める。

 

「なら、もう一度やりましょう」

 

 再戦を受ける。

 

《RANKED REMATCH ACCEPTED》

 

《KAMIYA RENJI》

《VS》

《KUJO MIZUKI》

 

 二度目の公式戦が成立した。

 美月は両拳を頬の高さまで上げ、構え直す。

 

「昨日は玲奈に五回」

 

 蓮司を見る。

 

「今日は私に、どこまで来るつもり?」

 

「勝つまで、とは言わない」

 

「あら」

 

「規定があるからな」

 

 美月の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。

 

「そこは分かっているのね」

 

「ああ」

 

 蓮司も拳を上げる。

 

「でも、やれるうちは来る」

 

 その言葉を聞いて。

 美月は初めて、目の前のROOKIE 5を少しだけ面白いと思った。

 

「そう」

 

 まだ実力評価を変える理由はない。

 二対零で勝った事実も。

 SILVER 3とROOKIE 5という差も。

 何一つ消えていない。

 それでも。

 

「なら、来なさい」

 

 美月は構えを深くする。

 

「さっきと同じところで止まらないと言うなら」

 

 ほんの少し笑う。

 

「今度は、別のところで止めてあげる」

 

「やってみろ」

 

 開始表示が浮かぶ。

 

 ROUND 1、FIGHT。

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