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三度目の試合を終えても、直希はコントローラーを置かなかった。
公式戦績は零勝十一敗。
美月との直接対決も三戦三敗。
ようやく一ラウンドを奪っただけだ。
それでも、最初の二試合とは違う。
弧月蹴の間合いも、短く後方へ跳ねて距離を作り直す零歩も、待っていれば美月の方から迅条で入ってくることも知った。
近距離まで入れば安全というわけではなく、首と肩を捕らえて膝を連続で叩き込む月檻連膝があることも、もう身体で覚えている。
最後は、その月檻連膝で試合を取られた。
だからこそ。
「もう一回やる」
通話の向こうで、航がすぐに返した。
『まだランクマ?』
「今度は試合を取りたい」
『さっきまで一ラウンド取るって言ってたのにな』
「取ったから次だろ」
航が少し笑う。
『切り替え早いな』
「一つ取れたなら、次は二つ取る」
『はいはい。申請して』
直希は対戦履歴を開く。
《KUJO MIZUKI》
表示されたCHARACTER IDを確認し、そのまま再戦を選択した。
《RANKED REMATCH REQUEST》
《TARGET:KUJO MIZUKI》
「送った」
『来た』
少しだけ間があり、表示が切り替わる。
《RANKED REMATCH ACCEPTED》
『受けた』
「よし」
四度目の公式戦が成立した。
公式アリーナでは、九条美月が新しい表示を見上げていた。
《RANKED REMATCH REQUEST》
《KAMIYA RENJI》
RESONANCE IDは、先ほどまで三試合続けて戦っていた相手と同じ。
神谷蓮司。
三戦三勝。
最初の二試合は二対零。
三試合目では初めて一ラウンドを奪われたものの、最終ラウンドは月檻連膝で取り返した。
公式対戦成績だけを見れば、まだ美月が明確に上だった。
それでも、また同じIDから申し込みが来ている。
美月は表示を見ながら、昨日読んだニュースを思い出した。
このRESONANCE IDの神谷蓮司は、明らかに格上だった桐生玲奈にも五試合続けて挑んでいる。
五戦目でようやく一ラウンドを奪って、それでも試合には負けた。
今日は美月に三連敗して、四試合目。
どうやら、相手が変わっても同じらしい。
美月は少しだけ息を吐き、受諾した。
《RANKED REMATCH ACCEPTED》
《KAMIYA RENJI》
《VS》
《KUJO MIZUKI》
表示が切り替わる。
公式アリーナの正面では、回復を終えた蓮司がすでに拳を上げていた。
「桐生玲奈には連戦規定上限の五試合したそうね」
蓮司が美月を見る。
「ああ」
「私には、これで四試合目よ」
美月は淡々と続けた。
「まだ、おまえから試合を取ってないからな」
「三試合とも、取ったのは私よ」
「だから次は、試合を取る」
美月はそれ以上答えなかった。
前の試合で一ラウンドを取られたからといって、蓮司が急に自分と同格になったわけではない。
自分は三勝。蓮司は零勝。
その数字はまだ変わっていない。
ただ、蓮司が何も変えずに同じ負け方を繰り返す相手ではないことは、もう分かっている。
美月は身体をわずかに斜めへ向け、両手を自然に上げた。
蓮司も構える。
「そう。なら、今度も止めるわ」
「今度こそ越えてみせる」
美月はそれ以上返さなかった。
何を変えたのか。
どこまで変えられるのか。
始まれば分かる。
ROUND 1、FIGHT。
開始直後、直希は月檻連膝を怖がって距離を取ろうとはしなかった。
あの技があるからと近距離へ入らなければ、それこそ美月の思うつぼだ。
蓮司が本来強いのは、拳も肘も届く近距離。
問題は近づくことではない。
近づいたあと、同じ形で捕まらないことだった。
美月が前脚を振り抜く。
弧月蹴。
中距離から伸びるミドルキックを、直希は先端が届かない位置まで下がって外した。
蹴り脚が戻るのを見てから、蓮司を一歩前へ出す。
航もすぐ零歩には移らず、美月をその場に残して直希の出方を見ていた。
直希も急がない。
まず蓮司を一歩進ませ、そこで足を止める。
美月の前脚が動かないことを確かめてから、さらに半歩だけ距離を詰めた。
それでも弧月蹴は来ない。
ようやく拳の届く間合いへ入ったところで、蓮司が短い直拳を放つ。
美月は両腕で受け止めたが、直希はそのまま二発目へつなごうとした。
そのとき、美月の手が蓮司の拳へ横から伸びた。
「来る」
拳を正面から受け止める動きではない。
伸びてきた腕へ手を添え、押し退けるように軌道を逸らす。
前の試合で、そのまま懐へ入られた。
首と肩を固定されたあとでは、もう遅い。
直希は二発目の入力をやめ、蓮司を半歩だけ後ろへ戻した。
美月の伸ばした手は蓮司の腕に届かず、そのまま空を切る。
さらに踏み込もうとした美月も、一度足を止めた。
蓮司が美月を見据える。
「同じ形では捕まらない」
美月は外れた手を戻した。
「……外したわね」
直希は大きく逃げない。
距離を離しすぎれば、また弧月蹴が生きる中距離へ戻ってしまう。
月檻連膝の拘束が成立しない位置だけを残し、蓮司を近距離へ置く。
航も、外された月檻連膝を無理には追わなかった。
美月はすぐに短いローキックを入れる。
直希はガードして、その場へ残った。
美月がもう一度前へ出る。
先ほどと似た距離だが、今度は腕を取りに来ない。
短いストレートが真っ直ぐ伸びる。
蓮司は両腕で受け止めた。
「今度は捕まえに来ないぞ」
『一回外したからな。でも、ずっと来ないとは限らないけど』
「そうやって迷わせる気だろ」
『さあ?』
「その返事が一番怪しい」
直希は画面から目を離さない。
月檻連膝を一度避けた。
それだけで美月の近距離を攻略したわけではない。
航が次を変えることまで含めて、今は試合の一部だった。
中盤を過ぎても、二人のHPにはほとんど差がつかなかった。
蓮司が近距離で拳を通せば、美月もローキックや弧月蹴で取り返す。
一度触れたところから大きな流れにはならず、互いのHPだけが少しずつ減っていく。
美月が零歩で短く後方へ跳ね、間合いを切った。
直希は追わない。
航もすぐには次の攻撃を出さず、美月をその場に残した。
離れた位置で、一瞬だけ二人が止まる。
先に距離を縮めたのは美月だった。
蓮司は構えたまま待つ。
美月が一歩踏み込む。
肩が前へ出る。
迅条。
そう思わせる動きだった。
だが、直希はすぐに反撃を決めない。
美月が出したのは通常の短い拳だった。
蓮司がガードする。
その直後。
また美月の手が、蓮司の腕へ横から伸びた。
月檻連膝の始動。
今度は迷わなかった。
直希は拳を返さず、蓮司を半歩だけ後ろへ下げる。
美月の手が肩へ届く直前。
拘束が成立する間合いから外れた。
美月の手が空を切る。
蓮司はその動きを見ていた。
「今度は、そこには入らない」
美月がすぐに構えを戻そうとする。
「なら、こっちも変えるわ」
直希はその言葉より先に入力していた。
「今!」
蓮司が一歩深く入り込み、美月の空いた胴へ短い拳を叩き込む。
「っ……!」
さらに肘。
美月は途中からガードへ戻した。
直希は大技を欲張らない。
震掌で押し離すこともしない。
ようやく作った近距離へ蓮司を残し、守りが開いたところへもう一発だけ拳を通した。
美月のHPが危険域へ入る。
通話の向こうで、航が思わず声を漏らした。
『これ、結構まずいな』
直希は画面から目を離さないまま笑う。
「やっと言わせた」
『まだラウンド終わってないから』
「分かってるよ」
航はすぐに零歩を使い、美月を短く後方へ跳ねさせた。
蹴りが生きる中距離まで、一度間合いを戻す。
直希も反射的には追わない。
だが、完全に離されるつもりもなかった。
美月が下がった分だけ蓮司を歩かせ、技を出さずに距離だけを詰め直していく。
その前進を止めるように、美月が前脚を振り抜いた。
弧月蹴。
美月の前脚が、中距離から蓮司の脇腹を狙って鋭く伸びる。
直希はガードする。
以前なら、蹴りの戻りへすぐ拳を返していた。
今度は動かない。
美月が蹴り脚を戻したあと、次に何を選ぶのかを見る。
美月の重心が、もう一度前脚へ移る。
二発目の蹴り。
そう見えた。
だが、今度の直希は「そう見えた」だけで止めなかった。
美月の腰が回り始める。
ここで初めて入力する。
疾歩拳。
美月の蹴りが完成するより早く、蓮司が一直線に間合いを潰した。
踏み込みの勢いを乗せた直拳が胸元を捉える。
「──っ!」
美月の身体が大きく後ろへ揺れた。
残っていたHPがゼロになる。
K.O.
《KAMIYA RENJI》
《ROUND WIN》
「取った!」
直希が思わず声を上げる。
『また取ったな』
「しかも今度は先に取れた」
『一ラウンドで満足する?』
「するわけないだろ。あと一つ」
『だよな』
直希は画面へ意識を戻した。
前の試合では、一閃轟破という最大奥義で、ようやく一ラウンドを取った。
今回は違う。
月檻連膝の始動を見て、成立する前に外した。
美月が一度外されたあとに戦い方を変えることも考えた。
最後も、大技へ飛びつかなかった。
その積み重ねで取った一つだった。
美月は結果表示を一度だけ見た。
《KAMIYA RENJI 1》
《KUJO MIZUKI 0》
前の試合では、自分が先に取った。
だが今回は逆だった。
美月は表示から蓮司へ視線を戻す。
「……先に取られたわね」
「ああ」
「でも、まだ一つよ」
蓮司は拳を上げる。
「だから、もう一つ取る」
美月も構えを戻した。
「そう」
声は淡々としていた。
だが、さっきまでとは立場が違う。
次を落とせば、試合そのものを取られる。
三試合続けて勝ってきた相手に。
美月は正面の蓮司を見る。
それを許すつもりはなかった。
ROUND 2、FIGHT。
第二ラウンドが始まる。
航は、すぐには月檻連膝を狙わなかった。
第一ラウンドでは二度、入り際に距離を外されている。
同じ形を繰り返す代わりに、美月を中距離へ残し、まずは弧月蹴で蓮司の前進を止めにいく。
「月檻連膝、使わないの?」
『使うって分かってたら待つだろ』
「まあ、待つな」
『だから今は使わない』
直希は苦笑する。
「やっぱり、そうなるよな」
弧月蹴で蓮司の前進を止める。
直希が蹴りを警戒して足を止めれば、鋭く踏み込んでストレートを打ち込む迅条で美月から入る。
第一戦から使ってきた基本の距離管理だった。
だが今は、そこへ月檻連膝という近距離の選択肢まで加わっている。
弧月蹴をガード。
次は零歩だと思って前へ出る。
美月は下がらない。
前手の短い拳が先に置かれた。
「くっ……!」
蓮司が足を止める。
直希がもう一度入ろうとすると、今度こそ零歩で間合いを切られた。
『近い方ばっかり気にしてるぞ』
「分かってるけど、今はそっちも見ないと怖いんだよ」
『じゃあ、その分ほかが遅れるな』
「そういうこと!」
航が笑う。
直希も悔しいが、否定できなかった。
月檻連膝を避けた成功が、今度はその技を意識させる材料に使われている。
中盤、美月が少しずつHP差を広げていった。
それでも直希は、無理に取り返そうとはしない。
近づけるところまで歩く。
弧月蹴はガードする。
迅条が来れば守る。
蓮司の拳も少しずつ届き、美月のHPも削れていった。
終盤。
蓮司の残りHPは三割を切る。
美月にはまだ半分近く残っていた。
「このまま削り合っても追いつけないな……」
『じゃあ来る?』
「行く」
直希は蓮司をもう一度前へ出した。
美月が弧月蹴を放つ。
直希はきちんとガードし、その場ですぐには拳を返さない。
美月が零歩で距離を切る。
ここで直希は判断を変えた。
今度は待ちすぎない。
美月が構え直す前に蓮司を追わせる。
航が迅条で迎えに来るより早く距離を詰め、短い拳の届く位置まで入った。
蓮司の拳を美月がガードする。
直希はさらに一発を重ねようとした。
その瞬間。
美月の手が、蓮司の拳へ横から伸びる。
見覚えのある動き。
月檻連膝。
直希はすぐに反応した。
「また来た」
捕まる前に、蓮司を下がらせる。
前のラウンドで二度外した始動。
今度も同じように間合いを切れる。
そう判断した。
だが。
『そこ』
航の声が重なった。
美月の腕は、蓮司を捕らえに来なかった。
直希が後退を入力した瞬間、美月自身が大きく床を蹴る。
逃げようとした、その距離ごと潰しに来る。
《RESONANCE ARTS LEVEL 2》
《月輪撃》
「なんだそれ!?」
直希が反応したときには、もう美月が目の前まで迫っていた。
蓮司をさらに下がらせようとする。
だが、美月の踏み込みの方が速い。
月檻連膝なら、首と肩を捕らえるところまで入らせなければいい。
そう考えて作った半歩の後退へ、美月は自分から一気に飛び込んできた。
美月には、蓮司が下がるのが見えていた。
さっきまでなら、その後退は月檻連膝から逃れる正しい答えだった。
だからこそ、今度はその答えごと追う。
腰を落とした美月の拳が、蓮司の腹部へ深く突き刺さった。
「がっ……!」
息が一気に押し出される。
蓮司は腹へ力を込めようとしたが、身体が先に折れた。
そこへ美月がさらに踏み込む。
逃がさない。
折れた蓮司の身体へ、下から美月の膝が突き上がった。
「く……っ!」
腹部へ二度目の衝撃が入り、蓮司の上体が強引に起こされる。
視界の中で、美月が軸足を踏み替えた。
来る。
蓮司も腕を上げようとする。
だが、腹への二撃で呼吸も姿勢も戻っていない。
美月が身体を回す。
最後の回転蹴り。
長い脚が、蓮司の側面を鋭く打ち抜いた。
「──っ!」
声になるより先に、身体が浮いた。
蓮司は大きく横へ弾き飛ばされ、背中から床へ叩きつけられる。
一度身体が跳ね、そのまま仰向けに倒れた。
月輪撃。
中距離から自分で一気に踏み込み、ボディブローで動きを止め、膝で姿勢を起こし、最後の回転蹴りまで逃がさず通す攻撃型のRESONANCE ARTS。
月檻連膝のように捕らえて動きを封じる技ではない。
逃げようとした相手を、自分から追って打ち抜く。
今の蓮司には、その違いまで身体で分からされた。
残っていたHPが、一気にゼロまで消える。
K.O.
《KUJO MIZUKI》
《ROUND WIN》
直希は画面を見たまま、短く息を吐いた。
「……月檻連膝じゃなかった」
『月檻だと思った?』
「思った。だから下がった」
航が少し笑う。
『そこ狙った』
「月檻ばっかり見てたな……」
『一回避けられたら、次も避けたくなるだろ』
直希は悔しそうに笑った。
「で、そこに別の技か」
『そういうこと』
ROUND 1は取った。
だが、それだけで美月の近距離を攻略したわけではない。
月檻連膝を外せるようになった。
その答えを見た航は、今度は「外すために下がる」動きそのものを月輪撃で狙ってきた。
これでラウンドスコアは一対一。
初勝利は、ROUND 3まで持ち越された。
ラウンド間。
美月は回復を待ちながら、先ほどの月輪撃を思い返していた。
蓮司が月檻連膝を警戒して下がることは分かっていた。
一ラウンド目で二度、同じ始動を外されている。
なら三度目も、腕を流して首と肩へ入ろうとすれば距離を切られる。
だから捕まえなかった。
蓮司が逃げるために作った半歩へ、自分から踏み込んだ。
最初のボディブローが入った瞬間、蓮司の身体が折れた。
そこへ膝を入れて姿勢を起こし、最後は回転蹴りまで通した。
途中で止められなかった。
その感触が、まだ美月の拳と脚に残っている。
一方、立ち上がった蓮司にも、月輪撃を受けた感覚は残っていた。
最初に腹を打たれた時点で息を失った。
身体を折ったところへ膝を入れられ、ようやく顔を上げたときには、もう最後の蹴りが来ていた。
月檻連膝を避けた。
それ自体は間違っていない。
だが、美月が何を狙っているのかを、技の形だけで決めた。
そこを取られた。
美月が蓮司を見る。
「さっきは、月檻連膝だと思って下がったでしょう?」
「ああ」
「だから、追ったわ」
蓮司は一度だけ腹部へ手を当てる。
「……下がるところまで見られてたな」
「そういうことよ」
美月はそれ以上説明しなかった。
蓮司も言い訳をしない。
腹部から手を離し、構えを戻した。
「次は、技だけで決めない」
美月も両手を上げる。
「なら、私はまた変えるわ」
それ以上、言葉を重ねる必要はなかった。
ROUND 3、FIGHT。
直希はラウンド三開始直後から、何を狙うかを決めていなかった。
一閃轟破を狙わない。
月檻連膝だけを警戒しない。
弧月蹴が来ると決めつけない。
航が何を選ぶのかを見る。
見てから、自分の答えを決める。
「何か静かだな」
ボイスチャットで航が言った。
「何が?」
『直希が』
「自分でもそう思う」
『今までがうるさかっただけじゃない?』
「それは否定しない」
直希は笑いながら、蓮司を歩かせる。
美月が弧月蹴を放てば、ガードしてすぐには返さない。
零歩で距離を切られても追わない。
代わりに迅条で踏み込んでくれば、それを受け止めて反撃は一発だけに留める。
航も無理に攻め続けない。
蓮司が対応したと見れば、美月を得意な距離へ戻す。
互いに大きな攻撃を許さないまま、HPだけが少しずつ減っていった。
中盤に入ると、直希は蓮司を少しずつ前へ歩かせた。
美月もすぐには下がらず、その接近を見ながら構えを保っている。
蓮司がさらに半歩進む。拳にはまだ少し遠いが、美月の蹴りなら十分に届く距離だった。
そこへ入った瞬間、美月が身体を大きく捻る。
旋牙。
回転の勢いを乗せた強い回し蹴りが、蓮司のガードを重く叩いた。
以前なら、その戻りへすぐ拳を返していたかもしれない。
直希も一度は反撃へ指を動かしかけたが、そこで止める。
『今の来ないんだ』
「来てほしかった?」
『どうだろ』
「じゃあ行かない」
航の誘いにも乗らない。
今度は直希の方から短い拳を見せ、すぐ止める。
美月もその動きに反応したが、すぐ弧月蹴を返してはこなかった。
三試合と二ラウンド。
二人とも、相手の「次」を覚えている。
弧月蹴のあとに何があるのか。
零歩のあとを追えばどう返されるのか。
近距離で拳を出せば、月檻連膝がどこから来るのか。
そして、相手がそれを警戒したとき、次に何を選ぶのか。
技だけではない。
直希と航は、互いの判断まで見始めていた。
だからこそ、一つの技を出すまでの時間が、最初の試合より長い。
終盤に入ったところでは、まだHPはほぼ並んでいた。
通話の向こうで、航がぽつりと言う。
『これ負けたら、ランクポイント結構持っていかれるな』
「ランクポイント?」
『RP。ランクを上げるためのポイント。直希、俺よりかなり下だろ』
「格下に負けると減りやすい?」
『そう。逆に直希が勝ったら、かなり増えると思う』
直希は画面から目を離さないまま、少し笑った。
「じゃあ、初勝利ついでにいっぱい貰う」
『勝つ前提で話すなよ』
「今、一対一だろ」
『だから俺も困ってるんだって』
航の声にはまだ軽さがあった。
だが、その直後から少しずつ均衡が崩れ始める。
美月が弧月蹴を放つ。
蓮司は腕で受け止めたが、蹴り脚が戻るところへ距離を詰めようとすると、美月は零歩で短く後方へ跳ねた。
直希は追わない。
すると今度は美月の方から迅条で踏み込み、勢いを乗せたストレートを打ち込んでくる。
蓮司はガードしたが、そのまま短い拳、ローキックと細かく攻撃を重ねられた。
直希も何度か拳を返す。
だが、美月は大きく崩れない。
逆に、蓮司が反撃を急がないことまで見た航が、少しずつ攻撃する回数を増やしていった。
美月の弧月蹴がもう一度、蓮司の腕を叩く。
ガードしてもHPが削れ、続くローキックが脚へ入ると、蓮司の動きがわずかに止まった。
「くっ……」
美月はその反応を見て、もう一歩だけ前へ出る。
「動きが鈍ってきたわね」
蓮司は蹴られた脚を踏み直し、構えを崩さない。
「まだ動ける」
「そう」
美月も足を止めなかった。
「なら、止まるまで行くわ」
直希は画面上のHPを確認する。
美月には、まだ三割ほど残っている。対する蓮司は二割を切っていた。
通話の向こうで、航が少しだけ笑う。
『ポイントはまだ渡さないからな』
「さっき自分から話しただろ」
『だからって持ってっていいとは言ってない』
「じゃあ、勝って貰う」
『そう簡単にはいかせないって』
軽口はいつもと変わらない。
だが、航の操作にはもう余裕がなかった。
美月がさらに前へ出る。
弧月蹴を警戒して蓮司が腕を上げれば、今度は短い拳。
そこを受ければ、さらにローキックを重ねる。
直希にも分かった。
航はもう、余裕を見せながらこちらの反応を試しているのではない。
本当に、このラウンドを取りに来ている。
「ここまで来て、また負けるのか……」
直希は思わず呟く。
一ラウンド目は取った。
最終ラウンドも途中までは互角だった。
それでも、最後にはまた美月に押し返されている。
同じ相手に三試合負けた。
四試合目で、ようやくここまで来た。
それでも足りないのか。
美月が距離を戻し、もう一度弧月蹴の間合いを作る。
直希は蓮司を止めたまま、画面端へ視線を走らせた。
RESONANCEゲージ。
まだ残っている。
LEVEL 3まで溜まったゲージなら、一閃轟破も使える。
だが、直希が見たのはその下だった。
《RESONANCE ARTS LEVEL 2》
《破陣》
ゲームを始めた最初の日、チュートリアルで一度だけ試した技。
直接相手を殴る技ではない。
一定時間、蓮司自身の踏み込みと攻撃の圧力を高める自己強化。
直希は、まだ公式戦で一度も使っていなかった。
「……これなら」
『何する気?』
「近づけないなら──近づくために使う」
直希が入力した。
《RESONANCE ARTS LEVEL 2》
《破陣》
蓮司が腰を深く落とし、両拳を握る。
身体を巡るように、淡い光が走った。
美月がその変化を見る。
「……何をするつもり?」
蓮司は拳を上げ直した。
「これ以上、外から削らせない」
直希が前進を入力する。
蓮司が踏み込んだ。
美月は止めるために前脚を振る。
弧月蹴。
鋭いミドルキックが蓮司へ伸びる。
直希は腕を上げた。
美月の弧月蹴がガードを強く叩き、蓮司のHPがさらに減る。
破陣は攻撃を消してくれる技ではない。
受ければ、ダメージを受ける。。
それでも、蓮司の足は止まらなかった。
蹴りを受けた腕を戻しながらさらに一歩踏み込み、今度は蓮司から短い拳を伸ばす。
美月はすぐに両腕を上げ、その拳をガードした。
拳そのものは通らない。
だが、直希はそこで前入力を入れた。
《連進》
蓮司の攻撃が相手へ触れた直後だけ使える、短い前進。
攻撃する技でも、無敵になる技でもない。
ただ通常の歩きより鋭く一歩踏み込み、離れようとする相手との距離をもう一度詰める。
チュートリアルで説明された、蓮司固有の接近システムだった。
これまでは攻撃を当てるだけで精一杯で、直希自身、実戦でそこまで意識を回せていなかった。
今度は違う。
美月がガードを解くより早く、蓮司がさらに懐へ入った。
「……まだ来るのね」
「ここで離したら、またおまえの距離になる」
美月はすぐに零歩を使い、短く後方へ跳ねた。
それでも直希は止まらない。
連進だけで、どこまでも追えるわけではない。
一度使えば、それだけで美月の零歩を無効にできるものでもない。
だから、ここからは破陣だった。
高まった踏み込みの圧力を使い、美月が離したぶんだけ蓮司を前へ進ませる。
今までなら、零歩を一度見せられただけで、また美月の得意な中距離へ戻されていた。
今度は違う。
拳を触れさせて連進で一歩。
さらに零歩で離されても、破陣の勢いを使ってもう一歩。
少しずつ、美月が作り直そうとする距離を蓮司が削っていく。
美月の目がわずかに細くなった。
「……離れないのね」
蓮司は拳を上げたまま、さらに間合いを詰める。
「今度は、そこまで行く」
拳の届く距離が近づく。
美月も待ってはいなかった。
これ以上入られる前に止めるため、短いストレートを放とうと肩を前へ出す。
その瞬間を、直希は見ていた。
「そこ!」
今度は待ちすぎなかった。
蓮司の前手が、美月のストレートよりわずかに早く伸びる。
短い直拳。
拳が美月の胸元へ入った。
「──っ!」
攻撃を始めたところへ拳を差し込まれ、美月の身体が止まる。
直希には、その一発が入ったのが見えた。
ここで終わらせない。
破陣を使ったあとも、ゲージはまだ一段階ぶん残っている。
「今度こそ──」
入力。
《RESONANCE ARTS LEVEL 1》
《烈進連破》
蓮司がもう一歩深く踏み込んだ。
破陣の淡い光を身体に残したまま、直拳を叩き込む。
「くっ……!」
美月は腕を戻そうとした。
だが、その直前に通常の拳で攻撃の出始めを止められている。
ガードへ戻るより、蓮司の次の一撃の方が早かった。
直拳が胸元へ入る。
衝撃で上体が後ろへ流れたところへ、肘が続く。
腕を上げなければ。
そう思ったときには、もう間に合わない。
肘が身体を打ち、さらに空いた腹部へ拳が深く突き刺さった。
「ぁ……っ!」
肺から空気が押し出され、美月の身体が折れる。
ここで離れなければならない。
零歩。
それが無理なら、せめてガードだけでも戻す。
けれど、身体が思ったように動かない。
最初の通常拳で出足を止められ、そのまま直拳、肘、ボディまで一度も流れを切れずに受けている。
美月のHPが一気に削れた。
それでも、まだ残っている。
美月は踏みとどまり、顔を上げた。
視界の中で、蓮司が身体を捻る。
最後の回し蹴り。
見えている。
ガードしなければならない。
だが、腕がまだ戻らない。
蓮司の脚が大きな弧を描いた。
「ここで決める」
回し蹴りが、美月の側面を打ち抜く。
「――――っ!」
衝撃で身体が浮いた。
床が一瞬遠ざかり、次の瞬間には背中からリングへ叩きつけられる。
一度身体が跳ね、そのまま仰向けに倒れた。
視界の端で、残っていたHPがすべて消える。
K.O.
《KAMIYA RENJI》
《WIN》
美月は天井を見たまま、一度息を吐いた。
起きなければ。
そう思う。
だが、もう試合は終わっている。
破陣で距離を奪われた。
拳を受け止めても連進でもう一歩入られ、零歩で離しても追いつかれた。
最後は、自分が止めるために出した拳の出始めを取られた。
そこから烈進連破を、最後まで通された。
一閃轟破を受けたときとは違う。
最大奥義を一度通されたのではない。
何度も作り直してきた自分の距離を、一つずつ潰された末の敗北だった。
「……負けたわね」
その言葉を口にしたところで、直希の画面にも試合結果が表示される。
《MATCH RESULT》
《KAMIYA RENJI 2》
《KUJO MIZUKI 1》
直希は動かなかった。
「……勝った?」
ボイスチャットから、すぐには返事がない。
「航?」
『……ちょっと待って』
直希はもう一度結果を見る。
二対一。
間違いではない。
零勝十一敗だった神谷蓮司が。
三試合続けて負けていた九条美月から。
初めて、試合そのものを取った。
「勝った!」
そこでようやく声が出た。
「勝った! 試合取った!」
『分かったから!』
「初勝利!」
『分かったって!』
直希は椅子から立ち上がりかけて、すぐ座り直した。
画面には戦績更新が表示される。
《KAMIYA RENJI》
《1 WIN / 11 LOSS》
勝利数を示していた零が、初めて一に変わった。
直希はしばらく、その数字を見ていた。
「……一勝」
『十一敗だけどな』
「今それ言う?」
『三試合勝ってた相手に負けたんだから、こっちも何か言いたくなるって』
直希は笑った。
続いてRPの更新が表示される。
格上の相手へ勝った直希側には大きめの上昇。
さらに、画面中央へ新しい表示が重なった。
《RANK UPSET BONUS》
《RANK UP》
《ROOKIE 5》
↓
《ROOKIE 3》
直希は一度、表示を見直した。
「……二つ上がった?」
通話の向こうで、航が少し驚いたように返す。
『シルバー3に勝ったからな。格上撃破の補正も入ったんだろ』
「一勝でルーキー3か」
『でも、まだルーキーだからな』
「分かってるよ」
その一方で、自分よりかなり下の相手へ敗れた航側はRPが大きく減っていた。
『うわ』
「どうした?」
『結構落ちた』
「俺は結構上がった」
『それ、俺のおかげだろ』
直希はまた笑った。
「もう一回ランクマする?」
『しない』
返事が早い。
「即答だな」
『今日はもうランクマやらない。カジュアルならやる』
「RP守りに入った?」
『一回勝ったくらいで調子乗るなよ』
「三回負けたから、一回くらいいいだろ」
『三勝一敗だからな。まだ俺の方が勝ってるからな』
「じゃあカジュアルで続きやろうぜ」
『それならやる』
公式アリーナでは、直接対戦成績が更新されていた。
《OFFICIAL HEAD-TO-HEAD》
《KUJO MIZUKI 3 WIN》
《KAMIYA RENJI 1 WIN》
三勝一敗。
美月は回復した身体を起こし、その数字を見上げた。
通算では、まだ自分が二つ勝ち越している。
それでも、一敗は一敗だった。
しかも、自分より公式順位が低かった相手への敗北だ。
身体の痛みはもう薄れている。
だが、破陣で距離を詰められ、最後に烈進連破を通された感触までは消えていなかった。
悔しい。
その感情は、はっきりしている。
ただし、偶然負けたとも思わなかった。
最初の試合では、ほとんど一方的に動きを読めた。
二戦目も二対零。
三戦目で初めて一ラウンドを失った。
そして四戦目。
とうとう試合そのものを一つ取られた。
もう、ニュースで見た「零勝八敗の新人」と同じ見方はできない。
だからといって、自分と並んだとも思わない。
三勝一敗。
まだ、自分が勝ち越している。
美月が結果表示から視線を戻すと、正面には蓮司が立っていた。
呼吸はまだ少し荒い。
それでも、勝った側として立っている。
「三勝一敗」
蓮司も表示を見上げる。
「ああ」
「まだ、私の方が二つ多いわ」
「分かってる。今日の一つで並んだとは思ってない」
美月は蓮司へ視線を戻す。
そこで、蓮司が少しだけ息を整えてから続けた。
「でも、公式戦で初めて勝った」
美月の視線が、蓮司の戦績表示へ向く。
《1 WIN / 11 LOSS》
一勝十一敗。
零だった勝利数が、一になっている。
「……そう」
美月は短く答えた。
蓮司にとっての、最初の一勝。
その相手が、自分だった。
悔しい。
それでも、その一勝をただの偶然として片づけるつもりはなかった。
美月はもう一度、三勝一敗という数字を見る。
まだ自分が上。
ただ、今までと同じ相手ではない。
それだけは認めるしかなかった。
美月は蓮司へ背を向けようとした。
その頃、直希の画面には、今まで見たことのない表示が出ていた。
試合結果の横に、対戦後の相手へ何を伝えるかを選ぶ欄が開いている。
《対戦後の会話》
表示されたのは三つだった。
《1.試合開始時ROOKIE 5だった自分がSILVER 3の美月に勝ったことを誇る》
《2.あれだけ負けないと言っていたのに負けた今の気持ちを聞く》
《3.今回は自分が勝ったが、美月の方がまだ強いと認めたうえで、また戦いたいと伝える》
「……何これ」
通話の向こうで航が聞き返す。
『何か出た?』
「対戦後の会話みたいなの」
『ああ、それか』
「知ってるの?」
『見たことある。言わせたい台詞を選ぶんじゃなくて、何を伝えるか選ぶやつ』
直希はもう一度、三つの選択肢を見る。
一番目。
確かに、試合開始時はROOKIE 5で、相手はSILVER 3だった。
だが、三試合続けて負けたあとに、ようやく取った一勝だ。
二番目はもっと違う。
「これ選ぶやついるのか……」
『どれ?』
「負けた気持ち聞くやつ」
『いるんじゃない? 俺は嫌だけど』
「俺も嫌だ」
残った三番目を見る。
三連敗の末に、ようやく取った一勝。
それだけで、自分の方が美月より強くなったとは直希にも思えなかった。
だから、迷う理由はなかった。
「これだな」
三番目を選ぶ。
《SELECTED》
指定したのは、台詞そのものではない。
何を相手へ伝えたいか。
その意図だけが、神谷蓮司へ渡る。
立ち去ろうとした美月を、蓮司が呼び止めた。
「待て」
美月が振り返る。
「何?」
蓮司は一度、頭上の対戦成績を見た。
《KUJO MIZUKI 3 WIN》
《KAMIYA RENJI 1 WIN》
「今回は俺が取った」
美月は黙って聞いている。
「でも、三つ取られたことは変わらない。今はまだ、おまえの方が強い」
そこで蓮司は少しだけ間を置いた。
「だから、また俺と戦ってくれ」
美月の目がわずかに細くなる。
勝った相手から、負けた自分へ向けられた言葉。
勝ち誇るでもなく、慰めるでもない。
一勝したことも、三敗したことも、そのまま認めたうえで。
もう一度戦いたいと言っている。
美月はすぐには答えなかった。
航の画面にも、新しい表示が出ていた。
《RESPONSE》
《1.まだ自分の方が勝ち越していることを強調する》
《2.今回は蓮司の勝ちだと認めたうえで、次は自分が勝つと伝える》
《3.今回は蓮司の勝ちだとだけ認め、次の対戦については答えない》
『……こっちにも出た』
「返事?」
『うん』
「何て返す?」
『言わない』
「そこ隠すの?」
『対戦相手だからな』
航は三つの選択肢を見る。
一番目なら、三勝一敗という結果をそのまま突きつけられる。
三番目なら、今回の敗北だけ認めて会話を終えられる。
どちらも間違いではない。
それでも、航はさっき大きく減ったRP表示を思い出した。
『……いや、普通に悔しいんだよな』
「何が?」
『何でもない』
航は二番目を選ぶ。
《SELECTED》
美月は少しだけ息を吐いた。
「今回は、あなたの勝ちよ」
蓮司は黙って聞いている。
「でも、次も同じように取れるとは思わないで」
美月はまっすぐ蓮司を見る。
「次に戦うときは、私が取るわ」
蓮司の口元がわずかに上がった。
「望むところだ」
それだけだった。
美月は今度こそ背を向ける。
三勝一敗。
まだ、自分が勝ち越している。
それでも。
次に戦うことを、今度は自分から否定しなかった。