RESONANCE ARENA   作:エーアイ

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天翔膝を放つ美月の挿絵をpixivに掲載しています。
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第9話の試合結果の挿絵をpixivに掲載しています。
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第9話:九条美月は、練習でも手を抜かない

 航から届いた次の申請は、先ほどまでとは表示が違っていた。

 

《CASUAL MATCH REQUEST》

 

 その下には、公式戦とは別の扱いであることを示す表示が並んでいる。

 

《PLAYER RATING:NO CHANGE》

《OFFICIAL RANK POINT:NO CHANGE》

《OFFICIAL RECORD:NO CHANGE》

 

 勝っても負けても、公式のランクや戦績は変わらない。

 直希は表示を確認してから、ボイスチャットの向こうへ聞いた。

 

「本当にRPも変わらないんだな」

 

『だからカジュアルなんだって』

 

「じゃあ、試したいこともやりやすいな」

 

『いいけど、俺は普通に勝ちに行くからな』

 

「さっき負けたし?」

 

『それは今言うな』

 

 直希は笑った。

 

「じゃあ、やる」

 

 そのまま受諾する。

 

《CASUAL MATCH ACCEPTED》

 

<hr>

 

 次に九条美月が立っていたのは、先ほどまでの公式アリーナではなかった。

 

 RESONANCE ARENAの仮想世界では、対戦形式が変われば、それに合わせてAIキャラクターが戦う場所も切り替わる。

 現実世界のPLAYERがランクマッチを成立させれば、運営システムは対応するAIキャラクターを公式アリーナへ転送する。

 カジュアルマッチなら、今度はスパーリング用の訓練区画へ送られる。

 それは、この世界に生きるAIキャラクターにとって特別な出来事ではない。

 

 同じ原型を持つ同位体をRESONANCE IDで区別することが当たり前であるように、対戦が決まれば、その形式に応じた場所へ移される。

 それもまた、この世界ではごく普通のことだった。

 だから美月も、つい先ほどまで公式アリーナにいた自分が、次の瞬間には別の対戦施設へ移っていることに疑問を持たない。

 

 今いる場所には、観客席も大型の戦績表示もなかった。

 壁際には打撃用の標的や休憩用のベンチが並び、床も公式戦用のリングではない。日常的な練習に使われる、広い訓練区画だった。

 正面には、試合形式を示す表示が浮かんでいる。

 

《PRACTICE BOUT》

《UNOFFICIAL》

 

 公式順位にも、公式戦績にも残らないスパーリング。

 美月にとって、こうした場所は珍しくはなかった。

 長いあいだスパーリングパートナーを務めてきた彼女にとっては、華やかな公式アリーナより、むしろ訓練のための場所の方が馴染み深い。

 だから、美月が気にしたのは場所ではない。

 これから拳を交える相手だった。

 

《KAMIYA RENJI》

 

 美月は名前だけでは判断しなかった。

 神谷蓮司の同位体なら、他にもいる。

 その下に表示されたRESONANCE IDへ目を移す。

 

 見覚えがあった。

 ついさっきまで、公式アリーナで四試合続けて向かい合っていたものと同じID。

 

 同じ名を持つ別の同位体ではない。

 三度勝ち、最後の一戦で初めて自分を破った、あの蓮司本人だった。

 美月は一度だけ瞬きをする。

 

 そして別れ際には――。

 

「次に戦うときは、私が取るわ」

 

 自分でそう言って、アリーナを後にした。

 美月は正面の蓮司を見る。

 次が来るとは思っていた。

 だがさすがに、こんなに早いとは思っていなかった。

 

「……ずいぶん早いわね」

 

 蓮司が周囲を見回してから、美月へ視線を戻す。

 

「何がだ?」

 

「次よ。さっき別れたばかりでしょう」

 

 蓮司も少しだけ間を置いた。

 

「俺も、また戦ってくれと言った」

 

 美月は言葉を止めた。

 確かにそうだった。

 勝った蓮司は、自分の一勝を誇るのではなく、まだ美月の方が強いと認めたうえで、もう一度戦いたいと言った。

 そして美月自身も、次は自分が取ると返した。

 

「……そうだったわね」

 

 少しだけ気まずかったものが、それで消えた。

 早すぎるだけで、話が違うわけではない。

 美月は改めて訓練区画を見渡す。

 

「今度は公式戦じゃないみたいね」

 

「スパーリングらしい」

 

 ここで勝っても、先ほどの一敗は消えない。

 失った順位評価も戻らない。

 公式の直接対戦成績も、三勝一敗のままだ。

 

 そのことは、美月にも分かっている。

 それでも目の前にいるのが、ついさっき自分を倒した神谷蓮司であることまで変わるわけではなかった。

 

 美月は自然に両拳を上げる。

 スパーリングそのものは、彼女にとって珍しくない。

 けれど、今はそれだけではなかった。

 

 この相手には、もう一度負けたくない。

 

 少なくとも今は、相手の練習に付き合うためだけにここへ立っている気にはなれなかった。

 自分が勝ちたい。

 

 美月は、その感情をわざわざ否定しなかった。

 

「練習だからって、手は抜かないわ」

 

「手を抜かれたら、追いつけない」

 

 美月は蓮司を見る。

 

「……さっき、また戦ってくれって言ったものね」

 

「ああ」

 

「こんなに早いとは思わなかったけど」

 

 美月は構えを整える。

 

「来たなら、相手はするわ」

 

 蓮司も拳を上げた。

 

「望むところだ」

 

 美月はその返事を聞いて、わずかに目を細めた。

 

「なら、始めましょう」

 

 今度は公式記録のためではない。

 それでも、九条美月には負けていい理由にはならなかった。

 


 

 美月が構える。

 蓮司も拳を上げた。

 

 公式戦とは違い、このスパーリングにラウンド制はない。一度始まれば、どちらかのHPがゼロになるまで続く。

 

 勝っても公式戦績やRPは動かない。

 そのぶん、普段のランクマッチでは試しにくい動きを確かめるには都合がよかった。

 

 試合が始まる。

 直希はまず、これまでと同じように蓮司を歩かせた。

 

 美月が中距離を取る。

 弧月蹴の届く位置へ入れば無理には踏み込まず、前脚を見る。

 零歩で距離を切られても、すぐには追わない。

 四度の公式戦で覚えた、美月との距離だった。

 何度か牽制を交わしたところで、ボイスチャットから航の声がした。

 

『そういえばさ』

 

「何?」

 

『直希って、全然空中から攻めないよな』

 

 直希は一瞬だけ考える。

 

「そういえば、ほとんどやってないな」

 

『ずっと歩いて近づいてる』

 

「蓮司、近距離で戦うキャラだし」

 

『跳び込みだって近づく方法だけど』

 

 言われてみれば、その通りだった。

 これまで直希は、弧月蹴や零歩の距離をどう抜けるかばかり考えていた。

 地上から近づくことに意識が偏り、上から入る選択肢はほとんど使っていない。

 その頃、画面の中でも美月が蓮司を見ていた。

 

「そういえば、あなた」

 

 蓮司は構えを崩さない。

 

「何だ?」

 

「四試合とも、ほとんど地上から来たわね」

 

 蓮司も一度だけ間を置いた。

 

「……確かにな」

 

 弧月蹴をどう越えるか。

 零歩で離されたあと、どう距離を詰め直すか。

 近距離まで入ったら、月檻連膝にどう捕まらないか。

 考えてきたのは、そればかりだった。

 

 直希は少し笑う。

 

「じゃあ、カジュアルだし試してみるか」

 

『どうぞどうぞ』

 

 妙に素直な返事だった。

 直希はそこまで気にせず、入力する。

 

 蓮司が床を蹴った。

 美月の弧月蹴が届く間合いを、今度は地上からではなく一気に上から越える。

 

「これなら――」

 

 空中から蓮司が蹴りを伸ばす。

 だが、美月は下がらなかった。

 むしろ、蓮司が床を蹴った瞬間から、その軌道を見ている。

 

「試すのはいいけど――」

 

 美月が低く重心を落とした。

 

「見えているわ」

 

 次の瞬間、身体が鋭く跳ね上がる。

 

《天翔膝》

 

 上昇する膝が、降りてくる蓮司の胴へ真正面から突き刺さった。

 

「ぐっ……!」

 

 空中では踏ん張れない。

 衝撃に身体ごと押し返され、蓮司は大きく後方へ弾かれた。

 そのまま背中から床へ落ちる。

 HPがまとまって減った。

 

「痛っ……!」

 

 直希が思わず声を上げると、ボイスチャットの向こうで航が笑った。

 

『直希君。不用意に空中攻撃すると、こうやって迎撃されるのだよ』

 

「おまえ……」

 

『ランクマッチじゃなくてよかったね』

 

「絶対狙っただろ!」

 

『何のことかな』

 

「俺が跳ぶの待ってたじゃん!」

 

『いやあ、せっかくカジュアルなんだし。覚えた方がいいかなって』

 

「だったら先に対空技あるって言えよ!」

 

『言ったら跳ばないだろ』

 

「やっぱり狙ったんじゃねえか!」

 

 直希が抗議している間にも、蓮司は床へ片手をつき、すぐに立ち上がっていた。

 美月はもう元の構えへ戻っている。

 蓮司は打たれた胴へ一度だけ手を当てた。

 

「……上からでも、簡単には入れないか」

 

「いきなり正面から跳び込んでくれば、迎撃するわ」

 

「分かりやすかったか」

 

「かなりね」

 

 即答だった。

 蓮司は苦笑する。

 

「なら、次はいきなり跳ばない」

 

「そうした方がいいわね」

 

「跳ぶこと自体が悪いわけじゃないもの」

 

「跳ぶまでの作り方か」

 

「ええ」

 

 それ以上は説明せず、美月は再び距離を取った。

 

 直希もコントローラーを握り直す。

 さっきの跳び込みは完全に失敗だった。

 だが、ここは公式戦ではない。

 一度失敗したなら、どうすれば通るのかを試せばいい。

 

「……もう一回、考えるか」

 

『今度は同じ落とされ方するなよ』

 

「誰のせいだと思ってるんだよ」

 

 言い返しながら、直希はもう一度美月との距離を測り直した。

 そこで航が、いかにも楽しそうな声を出す。

 

『じゃあ今度は、直希君に空中攻撃のお手本を教えてあげよう』

 

「その言い方、絶対ろくなことしないだろ」

 

『失礼だな。ちゃんと授業だよ』

 

 美月が弧月蹴を放つ。

 蓮司は腕で受け止めた。

 

 すぐに零歩。

 一度距離を切る。

 

 直希はさっきまでと同じ流れだと思い、そのぶんだけ蓮司を前へ歩かせた。

 そこへ美月が短いローキックを置く。

 

「また足か」

 

『そうそう。まず下を見てもらいます』

 

「実況すんな」

 

 美月がさらに一歩下がった。

 蓮司も距離を詰める。

 また地上で間合いを作り直す。

 そう見えた。

 その瞬間、美月が床を蹴った。

 

「来た!」

 

 直希はすぐに対空を意識した。

 さっき自分が天翔膝で落とされたばかりだ。

 今度は迎撃する。

 だが、反応が一瞬遅れた。

 美月が跳んだのは、蓮司がすでに前へ歩き始めた瞬間だった。

 

 弧月蹴を受け、ローキックまで見せられたあと。

 意識はまだ地上に残り、身体の重心も前へ移っている。

 蓮司が迎撃へ動くより先に、美月の空中からの蹴りが肩口へ入った。

 

「くっ……!」

 

 着地した美月は、そのまま短い拳を重ねる。

 蓮司はそこでようやく腕を上げ、拳を受け止めた。

 

『はい、お手本終わり』

 

「何が違うんだよ。跳んできただけじゃん」

 

『全然違うって』

 

 航が少し笑う。

 

『直希はさっき、地上で何も見せずにいきなり跳んだだろ』

 

「そうだけど」

 

『今は先に弧月蹴とローで地上を見せた。で、直希が歩き出したところに跳んだ』

 

 直希は少し考える。

 

「……対空しようと思ったときには、もう遅かった」

 

『そういうこと』

 

「じゃあ、空中攻撃ってジャンプしてからじゃなくて、その前の作り方も込み?」

 

『お。分かってきた』

 

 一方、画面の中でも蓮司が美月を見ていた。

 

「……同じ跳び込みには見えなかったな」

 

「同じじゃないもの」

 

 美月は近い距離で構えたまま答える。

 

「あなたは、私が待っているところへそのまま跳んできた」

 

 蓮司は黙って聞く。

 

「私は、その前にあなたを地上で動かした。それだけよ」

 

 蓮司は先ほどの攻防を思い返す。

 弧月蹴。

 零歩。

 ローキック。

 そして、自分が前へ出た瞬間の跳び込み。

 

「下を意識させてから、上か」

 

「それもあるわ」

 

 美月が半歩だけ距離を取る。

 

「でも、一番大きいのはあなたが前へ出た瞬間に合わせたこと。迎撃しようとしたときには、もう身体が動いていたでしょう?」

 

「遅れた」

 

「でしょうね」

 

 蓮司は小さく息を吐いた。

 

「……空中攻撃も、跳んでから始まるわけじゃないんだな」

 

「少なくとも、待っている相手に正直に跳び込むよりはいいわ」

 

「さっきの俺みたいにか」

 

「ええ」

 

 少しも濁さなかった。

 蓮司は苦笑する。

 その頃、ボイスチャットではまだ航の授業が続いていた。

 

『直希君が素直に教われば先生も優しくするよ』

 

「さっき何も言わず天翔膝で落とした先生が言うな」

 

『実演の方が分かりやすいだろ』

 

「絶対ちょっと仕返し楽しんでるだろ」

 

『ちょっとだけ』

 

「認めるんだ……」

 

 画面の中で、蓮司も再び拳を上げる。

 

「次は、同じ形では落とされない」

 

 美月も構え直した。

 

「そう。なら、私もさっきと同じ迎え方はしないわ」

 

 直希も同じように、美月との距離を見直していた。

 ただ跳べばいいわけではない。

 地上を意識させる。

 相手を動かす。

 そのうえで、空中から入る。

 

 PLAYERと蓮司が同じ結論へ至ったわけではない。

 それでも、この一度の失敗と美月の攻めから、次に試すべきことは見えていた。

 

 蓮司はすぐには床を蹴らない。

 まず一歩。

 美月の前脚を見る。

 今度は、その先まで考えながら距離を詰めていった。

 

 直希は、すぐにはもう一度跳ばなかった。

 まず地上から距離を詰める。

 蓮司の短い拳を美月のガードへ触れさせ、そのまま深追いせずに一度距離を戻した。

 

『お、今度はすぐ跳ばないんだ』

 

「さっき教わったからな」

 

『誰に?』

 

「自称先生に」

 

『素直な生徒で何より』

 

「自分で言うなよ」

 

 航の軽口を聞きながらも、直希は画面から目を離さない。

 美月が前へ出た。

 その瞬間だった。

 

「今!」

 

 蓮司が床を蹴る。

 さっきのように、待っている美月へ何の準備もなく飛び込んだわけではない。

 一度地上の攻防を見せ、美月自身が前へ動いたところへ跳び込む。

 美月が対空へ移るより早く、蓮司の蹴りが肩口を捉えた。

 

「――っ!」

 

「入った!」

 

『お』

 

 蓮司が着地する。

 直希はそのまま短い拳を重ねた。

 美月の守りが戻りきる前に、その一発も身体へ届く。

 

「よし!」

 

『ちゃんとできたじゃん』

 

「先生がよかったからな」

 

『急に素直になるな。気持ち悪い』

 

「褒めたのに!」

 

 直希は笑いながらも、少しだけ手応えを感じていた。

 ただ跳ぶのではない。

 地上を意識させる。相手が動く。そこへ重ねる。

 さっき美月にやられたことを、今度は自分から試して通すことができた。

 画面の中でも、美月は肩口を一度確かめるように動かしてから、蓮司へ視線を戻した。

 

「今度は、ただ跳んできたわけじゃないわね」

 

「さっき見せてもらったからな」

 

「もう取り入れたのね」

 

「使えるものは使う」

 

 美月はそれ以上何も言わず、構え直した。

 ボイスチャットの向こうで、航が言う。

 

『直希、空中攻撃ちょっと楽しくなってきただろ』

 

「まあ、入ったし」

 

『じゃあもう一回来る?』

 

「その言い方だと絶対何かある」

 

『さあ?』

 

 直希は警戒した。

 だから、すぐには跳ばない。

 

 美月が弧月蹴を放つ。

 蓮司は腕で受け止めた。

 美月はいったん距離を戻す。

 そこから、再び前へ出た。

 直希はその動きを見る。

 先ほど空中攻撃を通したのと似た瞬間だった。

 

「もう一回!」

 

 蓮司が床を蹴る。

 今度も距離は合っている。

 空中から蹴りを伸ばす。

 だが、美月は天翔膝を出さなかった。

 両腕を上げ、その蹴りを正面から受け止める。

 

「ガードした?」

 

『うん』

 

「対空しないの?」

 

『毎回するって誰が言った?』

 

「……あ」

 

 その返事を聞いたときには、蓮司はもう着地していた。

 距離は近い。

 さっきはここから拳まで通った。

 直希は迷わず攻撃を続ける。

 短い拳。

 美月がガードした。

 

「ここから――」

 

 二発目。

 その瞬間、美月の手が蓮司の拳の外側へ添えられた。

 

「あ」

 

『そこ』

 

 拳の軌道が横へ流される。

 美月が深く踏み込んだ。

 空中から近づくことには成功している。

 だからこそ、着地した蓮司自身が美月のすぐ近くへ残っていた。

 

 そして直希は、さっきの成功の続きを取ろうとして二発目まで出している。

 後ろへ下がる判断が遅れた。

 美月の腕が蓮司の首から肩へ回る。

 

《月檻連膝》

 

「しまった!」

 

『取った』

 

「おまえ、これ狙ってたな!」

 

『空中攻撃は通したじゃん』

 

「その後だよ!」

 

『そこまで含めて対戦です』

 

「また先生面してる!」

 

 完全に捕まっていた。

 美月の腕が首と肩を強く固定する。

 最初の膝が、蓮司の腹部へ深く突き刺さった。

 

「ぐっ……!」

 

 身体が折れる。

 美月は離さない。

 崩れた上体を引き戻し、再び膝の届く位置へ固定する。

 

 二発目。

 

「――っ!」

 

 腹部へ重い衝撃が入り、残っていた息まで押し出された。

 HPが大きく減る。

 それでも蓮司は美月の腕へ手を掛け、身体を起こそうとする。

 

「……まだだ」

 

「もう逃げられないわ」

 

 美月の腕に力が入る。

 三発目の膝が、再び腹部へ突き刺さった。

 

「がっ……!」

 

 残りHPが一気に危険域まで落ちる。

 直希は離脱しようと入力する。

 だが、今からでは間に合わない。

 月檻連膝は完全に成立している。

 

『跳び込みはよかったんだけどな』

 

「今それ言うな!」

 

『着地したあと欲張った』

 

「分かってる!」

 

『一個できたからって、そのまま全部通るわけじゃないからな』

 

「だから試してるんだろ!」

 

 言い返している間にも、美月が蓮司をもう一度強く引き寄せる。

 最後の膝。

 蓮司にも、それが分かった。

 腕を押し返そうとする。

 だが、美月は離さない。

 

「これで終わりよ!」

 

 美月の膝が腹部へ深く突き上がった。

 蓮司の身体が大きく跳ねる。

 もう声は出なかった。

 

 残っていたHPが、そこでゼロになる。

 

 美月が拘束を解く。

 蓮司は一歩だけ足を出したが、そのまま両膝を床につき、前へ崩れ落ちた。

 

 K.O.

 

《KUJO MIZUKI》

《WIN》

 

 直希は結果表示を見ながら、悔しそうに息を吐いた。

 

「……空中攻撃は成功したのに」

 

『成功したよ』

 

「負けたけど」

 

『空中攻撃成功したら試合勝ち、ってルールじゃないからな』

 

「分かってるよ」

 

『今回は跳び込みはよかった。そのあと欲張って月檻に捕まった』

 

「採点すんな」

 

『先生だから』

 

「さっきからそれ気に入ってるだろ」

 

『ちょっと』

 

「もう先生でいいよ……」

 

 負けた。

 それでも、直希はさっき天翔膝で落とされたときとは違う感覚を持っていた。

 

 何も考えずに跳んだ最初の一回は、簡単に迎撃された。

 次は、地上で相手を動かしてから跳び込み、実際に蹴りを通した。

 最後は着地後に欲張って月檻連膝へ捕まった。

 

 できなかったことが一つできるようになり、その先で別の失敗をした。

 カジュアルマッチなら、それでいい。

 次は、その先を変えればいい。

 


 

 訓練区画では、美月が月檻連膝を解いた両腕をゆっくり下ろしていた。

 蓮司はまだ両膝を床についたまま、呼吸を整えている。

 

 最後の月檻連膝は、きれいに最後まで通った。

 だが、美月の意識に残っていたのは、決着だけではない。

 

 最初の跳び込みは、天翔膝で簡単に落とした。

 それでも蓮司は、美月が一度見せた入り方をすぐ次の攻防へ取り入れ、今度は実際に蹴りを通してきた。

 

 だから美月も、同じ答えを返さなかった。

 二度目は跳び込みを受け、着地後まで攻めようとしたところを月檻連膝で捕らえた。

 互いに一度見た答えを変えた末のK.O.だった。

 

 美月は倒れた蓮司を見て、ほんの少しだけ息を吐く。

 

「……一つ返したわ」

 

 口にしてから、自分でもその言葉を否定する気にはならなかった。

 もちろん、公式戦の一敗が消えたわけではない。

 失った順位評価も戻らない。

 三勝一敗という公式の対戦記録も、そのまま残っている。

 

 それでも、ついさっき自分を倒した相手と場所を変えてもう一度戦い、今度は自分が最後まで立っている。

 公式戦とは別の勝負だ。それでも、勝ち返せたことは素直に嬉しかった。

 

 やがて蓮司の身体が回復し、ゆっくりと立ち上がる。

 腹部へ一度手を当ててから、美月を見る。

 

「今回は俺の負けだ」

 

「ええ」

 

 美月の口元が、ほんの少しだけ緩む。

 

「しかも、最後は月檻連膝で決めたわ」

 

「……そこは悔しいな」

 

「でしょう?」

 

 公式戦では、始動を見切られて二度外された技だった。

 今回は、同じ入り方をしていない。

 蓮司が空中から近づき、着地後も攻めようとしたところを捕らえた。

 

「一度避けられたからって、次も同じように外せるとは限らないから」

 

「ああ。入り方を変えたんだな」

 

「あなたが避け方を変えるなら、私も変えるわよ」

 

 美月は当然のことのように答えた。

 同じ技でも、そこへ至るまでの形まで同じにする必要はない。

 蓮司は一度頷いた。

 

「次は、着地したあとまで考える」

 

「そうした方がいいわね」

 

 そこで蓮司は少しだけ間を置いた。

 

「それと――さっきの空中からの入り方」

 

 美月が蓮司を見る。

 

「何?」

 

「参考になった」

 

 蓮司は素直に続けた。

 

「俺は地上から入ることばかり考えてた。おまえが見せてくれなかったら、たぶんまだ同じ跳び方をしてた」

 

 美月は少しだけ目を細めた。

 

「私に礼を言うの?」

 

「ああ」

 

 蓮司は迷わなかった。

 

「教えてくれたことまで、負けたから無かったことにはしない。ありがとう」

 

 美月は一瞬だけ答えに迷った。

 

「……どういたしまして」

 

 それだけ返して、すぐに表情を戻す。

 

「でも、次も同じように通るとは思わないで」

 

「思ってない」

 

「おまえも次は変えるだろ」

 

「もちろんよ」

 

 美月は即答した。

 

「同じ形を二度もそのまま使うつもりはないわ」

 

 蓮司がわずかに笑う。

 

「なら、教えてもらったものも使って勝つ」

 

「簡単に言うわね」

 

「簡単だとは思ってない。公式では三つ負けてる。今も負けた。それでも、次は勝つつもりで戦う」

 

 美月は蓮司を見た。

 

「……そう」

 

 美月はそれ以上、言葉を足さなかった。

 

 勝ちたいというなら、次の勝負で確かめればいい。

 美月にとって、それは珍しいことではなかった。

 

 長いあいだ、彼女はスパーリングパートナーとして多くの格闘家と向き合ってきた。

 

 相手が何を直そうとしているのかを見る。

 一つの答えを覚えれば、次は別の形から試す。

 

 簡単に成功させるためではない。

 覚えた答えが、本当に使えるものなのか確かめるために。

 それが、美月にとってのスパーリングだった。

 

「こういうの、慣れてるのか?」

 

「スパーリング?」

 

「ああ」

 

「長かったから」

 

 美月は少し考えてから続ける。

 

「人の練習相手をすることが多かったの。同じ避け方を覚えた相手に、同じ入り方を続けても意味がないでしょう?」

 

「だから、さっきも変えたのか」

 

「ええ。それに――」

 

 美月は一度、蓮司を見る。

 

「今日は、あなたにはもう一度負けたくなかったし」

 

 蓮司の眉がわずかに動く。

 

「公式戦のことか?」

 

「他に何があるの?」

 

「ここで勝っても、あの一敗は消えないぞ」

 

「分かってるわ」

 

 美月は淡々と返した。

 

「公式の三勝一敗はそのまま。でも、今ここで勝ちたいかどうかは別よ」

 

 蓮司は少し黙ってから頷く。

 

「そうだな」

 

「スパーリングだからって、あなたを勝たせるつもりはないわ」

 

「それでいい。俺も練習だから負けていいとは思ってない」

 

 美月は短く頷いた。

 ついさっき公式戦で負けた。

 今度は訓練区画で勝った。

 どちらも事実だった。

 

「なら、次も同じよ」

 

「ああ」

 

 美月は構えを解いた。

 勝ちたいなら、また勝負すればいい。

 今の美月にとっては、まだそれだけだった。

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