STAR WARS: STAR DESTROYER 作:あーくわいてんず
足音
C.R.C. 7951.235 コルサント、共和国司法軍本部査閲局
シーアの最初の照会には、質問の答えが一つも書かれていなかった。
代わりに、長い添付一覧があった。乗員の配置表、直近三回の出動記録、整備部門の作業完了票、基地側の出港許可記録。最後に一行、《ご照会の内容については、添付資料を参照されたい》とある。
すべて開いた。欲しかった時刻は、なかった。
「もう一度、送ってもいいですか」
隣の卓で資料を読んでいた司法上級士官ミラ・セルトが、手を止めた。
「何を?」
「出動命令を受けた時刻です。離岸した時刻はあるんですが、こちらには起点がありません」
「最初の照会を見せて」
シーアは送信済みの文面を開いた。着任初日に渡された三隻のうち、一隻の出動所要時間を確認するためのものだった。部隊の報告にある三十分は、乗員配置が完了した後から数えている。今度の演習では、基地が出動命令を受領したところから計る。その間を埋める記録を求めていた。
セルトは一度読み、最後まで送ってから、冒頭へ戻した。
「これを受け取った人は、あなたが何を確かめたいのか、すぐ分かると思う?」
「書いてあります」
「どこに」
指で示すと、彼女は頷いた。
「七段落目ね」
シーアは画面を見直した。演習の目的、集計条件、従来の報告との違い、参照すべき記録。それから、ようやく質問がある。
「学院の課題なら、丁寧な前置きだと思う。向こうの当直士官には、朝からこういうものが二十件来る」
「最初に質問を」
「そう。日付と、必要な時刻と、どの記録を探してほしいか。それで見つからなければ、誰に聞けばいいかまで」
セルトは自分の資料へ戻った。叱られた、というほどの口調ではなかった。シーアは照会文を複製し、上から削り始めた。七段落あった前置きは、二行になった。
送り直す前に承認を受ける。今度はすぐに通った。
共和国司法軍本部の査閲局へ着任して、四日目だった。十六歳の新任士官が何を任せられるかは、まだ相手にも、自分にも分かっていない。
執務室には、シーアを含めて十一人の机があった。ただし、全員が揃ったところはまだ見ていない。二人は外縁部の基地へ出張中で、一人は帰任した翌日から別の演習へ出ていた。空いた机の上にも仕事は届く。誰が処理するかを決めるのはセルトで、シーアはそのたびに自分の担当が増えるのではないかと、わずかに期待してしまう。
増えたのは、ほとんど添付資料だった。
机の右には《アシュアランス》。プロクラメイター級スター・デストロイヤー。
中央には《ステッドファスト》。ドレッドノート級ヘヴィ・クルーザー。
左には《メレク》。コレリアン・コルヴェット。
三隻とも翌月の合同演習に参加する予定だった。艦影を並べれば、それだけでしばらく眺めていられる。実際に机へ並んでいるのは、各艦の乗員配置と訓練記録、それぞれに異なる書式の補給予定だった。
《アシュアランス》は医療班の一部が交代する。《ステッドファスト》は補機の点検がある。《メレク》は直前まで定期船団の護衛に就く。シーアが最初に作った三隻の一覧は、二日目の午後には古くなっていた。
「また医官が変わりました」
「誰から誰へ?」
セルトが訊いた。
「変更後の名簿は、まだです」
「なら、人の名前より先に、受け持てる仕事が変わるかを確かめて。今回の救難課目に関わるから」
言われて、シーアは別の項目を開いた。搭載艇が無事に人を拾っても、その後に船内で何ができるかは、医療班の構成によって変わる。
書き足していると、向かいから紙の包みが置かれた。
「昼食」
マロ・ベンナーだった。演習評価課の先任下士官で、資料がどの端末にあり、誰へ連絡すれば早く、誰の返答には確認が必要かを、シーアより遥かによく知っている。
「あとで食堂へ行きます」
「もう終わった」
時計を見ると、十三時を回っていた。
「……ありがとうございます」
「食べながら読めるような資料か?」
ベンナーは医療班の一覧を覗き込んだ。
「いいえ」
「なら、閉じろ。端末は逃げない」
包みの中には、温かさの残る挟みパンが二つ入っていた。シーアが一つ取ると、ベンナーはもう隣の机に来ていた照会を読んでいた。
その後ろの壁には、課全体の予定が表示されている。地方演習、基地査閲、装備認証に伴う確認。その大半を横断するように、一つの帯が伸びていた。
全司法軍演習《決意'950》。
その帯だけは、ひとつの課の予定表に収まっていなかった。
*
始まりは、三年前の委員会決定だった。
C.R.C.七九四八年。ナブー危機後に増えた任務と、商業組織の武装縮小に伴って引き継ぐ警備を処理するため、元老院の関係委員会は司法軍の募集枠を大幅に広げる方針を決めた。
それを実施する増員法令が本会議へ出る頃には、必要な人数を巡る議論だけでは済まなくなっていた。
『民主主義の敗北です!』
学院の食堂でも、その声は聞こえた。ホロスクリーンの中で、左派の議員が発言台を叩いていた。
『企業の軍隊を制限するために、中央政府の軍隊を膨らませる。これほどの武力を誰に、どの範囲で使わせるのか。その議論を、募集を始めてから行うというのですか!』
増員を支持する側からは、加盟星系を守る義務は既にあるという声が返った。通商連合の警備を縮小させた航路で、共和国が人員不足を理由に来られないのでは意味がない。
通商連合も増員法令を非難した。共和国が自ら軍事力を拡張しながら企業側だけに武装縮小を求めるのは、不公正だという主張だった。
翌四九年、その方針を支える予算案は、さらに激しい反対を受けた。
新造艦の追加発注。保管艦の再就役。航空隊の増設。地上部隊と基地警備要員の拡充。訓練施設、宿舎、整備設備、弾薬庫、燃料貯蔵区画。項目は予算書の何頁にもわたった。
査定のやり直しを求める声が残る中、多数派は討論の打ち切りを可決し、そのまま予算案を採決にかけた。
『軍事国家化だ!』
左派議員の一団が抗議する間にも、採決表示は埋まっていった。可決を告げる声は、傍聴席まで届いた怒号に重なった。その晩のホロネットには、《司法軍拡張予算、強行採決》という見出しが出た。
通商連合は、増員に続く予算の成立を、国家の武力による通商への威圧だと非難した。追加発注の一覧に載った艦には、商船を護衛する以上の能力がある。連合の代表は、その兵装と惑星への展開能力を一つずつ挙げた。
シーアは、その頃には司法アカデミーにいた。下の学年が増え、使っていなかった宿舎が開き、食堂の時間が二つに分かれたことを覚えている。自分たちの教官が、別の課程の面倒も見るようになった。学外から来た教員が、新しい授業を受け持つこともあった。
その頃、自分の目で確かめられた変化は、学院の中に限られていた。
査閲局の名簿を見ると、同じ時期に銀河各地で似たことが起きていた。新設部隊の欄が増え、前年度には存在しなかった基地が載り、同じ先任士官の名が、かつての所属と、新しい訓練部隊の双方に残っている。
七九五〇年を記念する全銀河演習は、その拡張を一つの成果として示すために計画された。
ルーサン改革以来、最大。
最初の計画書にも、元老院への説明にも、同じ言葉が使われていた。
ただし、予定した年に全部を揃えることはできなかった。艦の引き渡しと部隊の訓練終了が一致せず、実施項目を減らすか、時期を遅らせるかで調整が続いた。指揮所訓練と一部の準備課目は五〇年中に始まったが、実艦・実部隊を大規模に動かす本実施は、七九五一年へ持ち越された。
名称は残った。
《決意'950》。
庁舎の玄関に掛けられた旗にも、募集広報にも、既にそう印刷されていた。
「こんなにあるんですか」
全体の実施要領を初めて受け取った時、シーアは思わず言った。
艦隊の出港と集中だけではなかった。複数方面での長距離展開。敵艦隊の捜索と追尾。基地航空隊と艦載航空隊による共同攻撃。船団護衛と敵輸送の阻止。通信を妨害された状態での指揮。補給部隊を遠隔地へ送り、そこで次の行動を始めるための拠点を開く。
別の頁では、惑星への降下作戦が組まれていた。軌道上の艦艇、降下艇、航空支援、地上部隊が同じ予定で動き、飛行場と宇宙港を確保する。地方防衛隊との防御戦、増援の到着、反撃への移行までが続いた。
地図の上では、コアからアウター・リムへ無数の線が伸びていた。
「全部、司法軍で?」
「参加する惑星側の部隊もある。所属と指揮系統は区別して。参加人数の合計だけだと、何でも司法軍ができるように見えるから」
セルトは分厚い実施要領の、査閲担当の頁を開いた。
「私たちが最初に見るのは、ここ」
全体図ではほとんど見えない、三隻の集合群が拡大された。
シーアは前の頁へ戻りかけた手を止めた。銀河全体の艦隊を見たい気持ちはあった。それでも、この三隻だけで、もう三十件近い照会を出している。
観閲計画は別紙になっていた。
観閲官、最高議長シーヴ・パルパティーン。
元老院からは、司法委員長ハロルド・タッグが視察に訪れる。委員会の代表団とは別に、ベイル・オーガナ、モン・モスマ、アウレリアン・ヴァラリアンらの名もあった。軍備拡張への立場まで、同じ者ばかりではない。
産業側の視察者には、クアット・ドライブ・ヤーズ理事ヴェリオン・カースがいた。プロクラメイター級の稼働状況に加え、搭載艇の整備と地上部隊の輸送も見るという。
ウィルハフ・ターキンは、最高議長の幕僚として参加する。名前が載っていたのは、演習統裁官の欄ではなく、最高議長に随行する者の欄だった。
シーアは兄の予定も確かめた。代表団が視察する日、自分たちの班は艦へ乗っている。顔を合わせる時間があるとは限らなかった。
*
午後の調整会議でも、部隊は増えていた。
前日に受領した版にはなかった地方防衛隊と、輸送を請け負う会社が加わっている。
会議室の中央に銀河図が浮かび、複数の演習宙域が光っている。実際に艦を動かす部隊。基地で通信と指揮の訓練を行う部隊。通常任務を続けながら、指定された時刻の状態を演習統裁部へ送る部隊。すべてを同じ日にコルサントへ呼び寄せるわけではない。
救難信号も海賊も、司法軍の大演習が終わるまで待ってはくれなかった。
「第七演習区、主力二隻の参加を取り消し」
運用局の連絡士官が告げた。
司法佐官オルド・メイランが、机上の資料へ目を落とす。演習評価課の課長で、今回の集結・展開課目の評価を担当していた。
「理由は」
「救援任務が延びています。先方からは、最終的に間に合えば合流させたいとの申し出です」
「代わりは?」
「同じ任務を実施できる艦は、現時点ではありません」
「では、その条件で続ける」
通信担当者が顔を上げた。
「第七演習区は、予定の指揮艦を失います」
「予備の指揮設備を使ってください。そこでできなくなることがあれば、それも記録する」
中央の艦影が二つ消えた。残った小さな艦の横へ、指揮所の印が移される。
学院なら、課題文にある艦は開始時刻に必ず存在した。故障しているなら、それも課題に書かれていた。ここでは会議が終わる前に、課題文の方が変わる。
シーアは自分の担当する三隻へ目を戻した。今のところ、三隻とも表示は残っている。
「第三集合群」
名を呼ばれたセルトが、資料を前面へ送った。
「三隻とも参加予定は維持。整備終了見込みも変更ありません。ただし、集結命令発出時点で《メレク》は船団護衛の終了前です。交代部隊の進出時刻について、地方司令部から確定回答が来ていません」
「いつまでに必要ですか」
「航路と補給予定を固めるには、今週中です」
運用局の士官が頷き、手元へ書き込んだ。
それだけでは、問題は解決しなかった。だが、誰が回答を持ってくるのかは決まった。
次の項目へ移る前に、メイランがシーアを見た。
「ヴァラリアン。この群の目的は」
「出動命令受領から八時間以内に、三隻を指定集合点へ集めることです」
「集めて、どうする」
シーアは続きの欄へ目を動かした。
「燃料と弾薬、乗員の勤務状態を確認し、到着後、そのまま船団護衛任務へ移れる状態にする。集合前に担当していた航路の警備も、後続部隊へ引き継ぎます」
「そう。座っていていい」
立ち上がりかけていたことに気づき、シーアは姿勢を戻した。
「到着した艦を数えるだけなら、管制局に頼めば済む。途中で何を置いてきたかも確かめる。担当の艦だけ見て終わらせないように」
「はい」
会議はそのまま、補給船の整備予定へ移った。
シーアは八時間という数字の横に、前任務と後任務を結ぶ線を引いた。三隻の艦影だけで済んでいた欄に、引き継ぐ相手と、残る船団が加わった。
会議の終わりに、安全担当の司法佐官が報告した。
前日の準備訓練中、別の泊地でコルヴェットが補給施設へ接触した。外板を損傷し、作業員二名が負傷。さらに地上演習区では、輸送車両の転倒で負傷者が出ている。
「いずれも事故原因は調査中です。前者については、艦側と泊地側で使用した誘導手順に相違が認められています」
「同じ方式を使う部隊へ通知は?」
「済んでいます。再確認の回答を求めています」
メイランは頷き、未回答の部隊を一覧に出させた。
シーアは手を止めて読んだ。その日の演習損害は、まだ一隻も発生していない。ここに載っているのは、訓練上の判定ではなかった。
*
C.R.C. 7951.241 コルサント近郊、第六泊地
《ステッドファスト》は、シーアが思っていたより汚れていた。
シャトルの窓から見える船体には、塗り直された場所と、古い塗装が残る場所があった。外板の一部は交換されたばかりらしく、縦に並ぶ板の色が周囲と合っていない。センサー基部の脇では整備艇が作業をしており、小さな光が長い船体の影へ出たり入ったりしていた。
「初めてか」
隣のベンナーが訊いた。
「ドレッドノートなら、何度か」
「この艦は?」
「初めてです」
「じゃあ、知っている顔で歩かない方がいい。増設した配管の下が狭い」
シーアはもう一度、船体を見た。見学で乗った艦は、来客用の経路が決まっていた。今日はその経路を通るとは限らなかった。
搭乗口で迎えた士官は、まずセルトへ敬礼し、それからシーアを見た。
「記録撮影の方も、ご一緒で?」
「演習評価課のヴァラリアンです」
シーアが身分証を示すと、士官は読み取り装置へかざした。表示を確かめてから、改めて胸の階級章へ目を向ける。
「失礼しました。艦長がお待ちです」
通路へ入ってから、シーアはセルトを見た。
「広報に見えましたか」
「見えることはあるでしょうね」
「どうして」
「制服に折り目があって、寝不足の顔をしていなくて、隣に記録端末を持った下士官がいる」
ベンナーが自分の端末を持ち上げた。
「撮影なら、もう少し軽いのを支給してもらう」
シーアは苦笑した。通路の窓に、淡い銀髪と、詰襟の上の白い顔が映っている。ここへ来る前、風に乱れた髪を直したところだった。直さなければよかったとは思わなかったが、艦内の誰と比べても、自分が着任したばかりなのは分かった。
艦長のコマンダー・ドレイは、応接室ではなく作戦室にいた。
壁面の配置図には、演習用の航路と、その外側を通る通常の交通流が重なっている。扉が閉まった後も、隣の卓では補給に関する話が続いていた。
「セルト。今回は何日、船を止める?」
「止める予定はありません。事前確認は今日中に終わらせます」
「前にも聞いた」
「前回は、艦側の試験結果が揃っていませんでした」
「その試験をした技師が、帰りの艇に乗っていたからな」
二人はそこで笑った。ドレイはシーアへ向き直り、名を確かめた。
「サーティネイニアンの?」
「はい」
「公王軍へは行かなかったのか」
「こちらを希望しました」
「そうか。うちの艦は、模型より狭いぞ」
「もう分かりました」
ドレイは笑い、三人へ席を勧めた。机の端に置かれたシーアの資料を見ると、最初の頁に付箋が並んでいることに気づいたらしい。
「ずいぶん聞きたいことがあるな」
「不要になったものもあります。今朝、追加の記録を送っていただいたので」
「ああ。最初から、ああ書いてくれればよかった」
シーアは返事に詰まった。セルトは何も言わなかった。
確認は、乗員の勤務から始まった。
新しい配置表では、前回の査閲時と比べて、驚くほど多くの名前が変わっていた。
「こんなに転出したんですか」
シーアが尋ねると、ドレイは別の名簿を開いた。新設の艦、新設の教育隊、拡張された基地。異動先が順に出る。
「新しい部隊にも、経験者が要る。こちらから出して、代わりに課程を終えた者が来る」
「定員は、満たしていますね」
「人数はな。去年まで同じ科で働いていた者を集めてくれと言っても、もう五つの星系に散っている」
機関担当の士官が、現員の技能表を出した。必要な資格はある。だが、その資格を取ってから実艦で何回作業をしたかという欄には、同じように小さな数字が並んでいた。
「基礎を教わっていない者はいない。ただ、別々の学校で覚えたことを、この艦の同じ作業に合わせる時間が足りない」
「前の演習記録を、そのまま今の乗員の記録にはできないんですね」
「そこを見てくれれば助かる」
ドレイは答え、次の当直編成へ進めた。
八時間で集合する。そこだけ見れば、《ステッドファスト》にも余裕はある。しかし、今回の航路では、途中の跳躍点で再計算が必要だった。その直後に訓練上の機関故障を入れる案があり、整備科の当直は、前日からの作業とほとんどつながってしまう。
「乗員の交代は?」
シーアが訊くと、機関担当の士官が表を開いた。
「組み替えている。最初の案だと、復旧作業の途中で交代になる。引き継いだ方が早い故障もあれば、触っていた者が続けた方が早いものもある」
「故障の内容を、先に知りたいということですか」
「まさか。試験の答えをくれとは言っていない。ただ、前夜の実作業を終えた者を、そのまま試すような組み方にはしたくない」
シーアは表を読み、名前の重なる欄を確かめた。乗員数に不足はない。必要な技能を持つ者もいる。その人たちが、何時間前から働いているかが問題だった。
セルトは艦側の修正案を受け取り、実作業が延びた場合の連絡先を確認した。
「それで、成績が下がるのか?」
ドレイが訊いた。
「実作業の延長自体では下げません。把握した後、どう組み替えたかは見ます」
「なら結構」
艦長は次の頁へ進めた。言い争いにはならなかった。シーアが想像していたより、双方とも早く決めたいらしい。
会議を終えて艦内を回ると、ベンナーの注意は役に立った。増設配管の下を通り、整備用の足場を迂回し、ようやく着いた搭載艇区画で、シーアは格納庫の奥にある古い救難艇を見つけた。
機首に、新しい塗装で細い線が引かれている。側面には艇の番号と、その隣に小さく三つの星があった。
「撃墜記録ではないですよね」
近くで作業していた乗員に訊くと、相手は笑った。
「生まれた子供です」
「ここで?」
「二人は搬送中。三人目は、間に合って病院で。母親が数えてくれと言ったので」
シーアは機首を見直した。救難艇の性能表には、そういう欄はなかった。
乗員が点検口を閉じる。シーアは作業を邪魔しない位置へ下がり、艇を出す時にどこまで通路を空けるのかを教えてもらった。
帰りのシャトルでは、塗装の違う外板より、その三つの星の方がよく思い出せた。
*
C.R.C. 7951.245 コルサント、共和国司法軍本部査閲局
交代部隊からの回答は、期限当日に届いた。
予定どおりなら、間に合う。
シーアは何度か読み直した。その「予定どおり」の前に、三つの条件があった。
前の護衛任務が延長されないこと。中継港の補給が定刻に終わること。民間航路との交差区間を、申請した時刻に通れること。
どれも無理な要求ではない。過去の実績でも、大半は予定内に収まっていた。ただし、一つ遅れると、次の通過枠を待つ必要がある。
シーアは第三集合群の予定表を開いた。三隻が引き受ける演習上の前任務は、六隻の貨物船を境界の中継点まで護衛することだった。そこへ地方警備隊の二隻が来て引き継ぐ。三隻は補給を済ませ、次の集合点へ向かう。
その通りに動けば、最後の艦でも七時間五十二分で着く。
余裕は八分だった。
「少なすぎます」
セルトはシーアの画面を見た。
「どこを変える?」
「補給を先に済ませておけば」
「それを許すと、出動命令を受ける前から、演習のために満載で待つことになる。今回は、普段の勤務状態から何時間で出られるかを見る課目よ」
「では、交代する方を早める」
「その二隻の前任務は?」
シーアは隣の航路を開いた。別の船団がいた。
セルトは急かさなかった。自分の資料を読みながら、シーアが次を探すのを待った。
《アシュアランス》の印を先へ動かしてみる。高速艦なので、最後まで残っても取り返せると思っていた。けれど、その艦へ最も多くの物資を積む必要があり、補給拠点の係留設備も一つしか使えない。最後に入れば、最後に出る。
逆に、最初に出してはどうか。
「三隻を一緒に離脱させる必要はありますか」
「続けて」
「《アシュアランス》を先に補給へ回す。その間は《ステッドファスト》と《メレク》が護衛を続ける。次に《ステッドファスト》。交代部隊が来るまで、《メレク》だけ残す」
艦影を動かすと、補給拠点の予定が重ならなくなった。《ステッドファスト》は予定より早く出られる。《メレク》は小型で、短時間の補給で済む。
「最後に、ここから集合点へ。三隻とも八時間以内です。交代が多少遅れても、最初の二隻の出発には影響しません」
「《メレク》一隻になる時間は?」
「予定なら二十六分」
「何ができる」
「警戒と、船団の誘導。小規模な海賊への対処。重大な被害が出た場合は……」
シーアは船団の積荷と乗員数を開いた。六隻を足しても、《メレク》が一度に収容できる人数ではなかった。
「全員を収容するのは難しいです」
「なら、それを書いて。私たちだけで認めることではないから、第三集合群の指揮官へ出す。交代が遅れる場合も作って」
「はい」
その日の午後、第三集合群を率いるコマンダー・トーリンから返答があった。《アシュアランス》の艦長で、シーアは艦内の確認時に一度会っている。言葉数は多くないが、こちらが資料を探している間に話を進めてしまう人ではなかった。
『案自体は使える。二十六分なら、受け入れられる範囲だ。ただし、引き継ぎが延びる場合、《ステッドファスト》をどこまで残せるか、別案を付けてほしい』
シーアはすぐに作り始めた。
十五分の遅延。三十分の遅延。一時間の遅延。
最初の二つは、配置を変えれば収まった。一時間になると、全艦の集合は間に合わなかった。どれを先に動かしても同じだった。
最後に、《交代遅延時は、第三集合群指揮官の判断により再調整》と書いた。
セルトは、その一文で手を止めた。
「何を判断してもらうの?」
「集合の時刻を守るか、前の船団を守るかです」
「指揮官に求められているのは、両方よ」
「この条件では、両方はできません」
「では、そこまで書く。再調整という言葉で空けておくと、誰かがうまくやることになる」
シーアは書き直した。予定の集合時刻を維持する場合、《メレク》単艦となる時間が延びる。警備を厚く保つ場合、少なくとも一隻の到着が遅れる。
画面を見ながら、気持ちが沈んだ。よい案を見つけたつもりだった。書き込むたびに、欠けているところが目立つ。
「採用されませんか」
「採用する人が、何を引き受けるのか分かるようにはなった」
セルトは文面を承認した。
翌日、第三集合群は分割離脱案を採用した。
現行の脅威想定では、短時間の単艦警備を認める。交代部隊の見込みが変われば、群指揮官へ報告。重大な事態が生じれば、集合途上の艦を引き返させる権限も与える。
指揮官の署名の下に、原案作成者の欄があった。
ルテナント・アレクシアール・ヴァラリアン。
シーアはその部分をしばらく見た。学院で提出した課題とは違い、この予定で動く艦が三隻あった。
*
C.R.C. 7951.247 コルサント、ウスクル・ディストリクト
いつものホテルで、シーアはラウンジの前を通り過ぎた。
給仕に会釈すると、相手も挨拶を返した。四人の席を用意しましょうかとは訊かれなかった。リヴィアが先に伝えていたらしい。宿泊階へ向かう昇降機に乗り、届いていた部屋番号をもう一度確かめる。
扉を開けたリヴィアは、まだ通信中だった。シーアへ入るよう手で示し、端末の向こうへ話を続ける。
「所有者の一覧だけでは足りません。保管と出荷を実際に請け負っている会社もお願いします。ええ、別の会社なら、その契約先まで」
窓際のテーブルには資料が広がっていた。壁面へ投影された港の名前と、運輸会社の登録番号。肘掛け椅子には彼女の上着があり、その胸に、見慣れない身分証が留めてある。
共和国保安委員会。
リヴィアが金融・商業情報を扱う調査部門へ抜擢されたと聞いたのは、シーアが査閲局へ配属される少し前だった。司法省や星系政府、港湾当局から届く資料を照合し、企業の資金と物資の動きを調べる。かつてフィナンシャル・ディストリクトの表示を読むのが好きだった少女は、今では、そこに出てこない数字を集める側にいた。
今週は、地方から来た調査担当者との協議で、このホテルに滞在している。会議室は二階上にあるが、彼女の客室にも仕事が溢れていた。
シーアが空いている椅子の背へ鞄を掛けようとすると、通信を終えたリヴィアが、それは使うからと止めた。
「こっち。そちらには、これから届く資料を置くの」
示されたのはソファだった。テーブルの端にはカップが二つあり、一つの前にだけミルクが置かれている。シーアは何も訊かず、もう一方へ座った。
「遅かったね」
「約束より五分早いけど」
「早く終わったら来るって言ったでしょう」
「早く終わらなかったんだよ」
リヴィアは頷き、ポットを取った。アール・ヴェロスの香りがした。シーアが礼を言う前に、彼女は温めてあった皿も寄せてくれる。
「昼は?」
「食べた」
「何を?」
「それ、セレナにも訊かれる」
「答えれば済む質問だよ」
シーアは降参して、食堂で取ったものを挙げた。リヴィアは聞き終えると、十分でしょうと言い、自分のカップを持って隣へ座った。二人の間に端末を置き、港の図を小さく呼び出す。
「これ、司法軍の納入先でしょう?」
表示されていたのは、公示された調達契約の一覧だった。輸送容器、整備用の消耗品、車両の交換部品。三つの会社が、別々の契約で同じ方面の基地へ納めている。
「この会社の名前なら見た。納入が遅れているって」
「三社とも?」
「僕が見たのは一社。あとの二社は分からない」
リヴィアは三本の線を引いた。それぞれ別の港から始まった線が、途中で同じ積み替え拠点を通っている。
「ここから先の輸送は、全部同じ会社なの。売っているものは違うけど、使う倉庫と船は同じ」
「じゃあ、そこで止まれば全部遅れる」
「そのはず。ただ、最初に届いた説明は三社とも違った。一社は部品待ち、一社は配船の都合、もう一社は荷主側の書類不備」
シーアは契約の頁を送った。どの会社も、別の会社へ輸送を任せること自体は認められている。共有する倉庫を持っているだけで、不正ということにはならない。
「実際に、別の理由で遅れたのかもしれないよ」
「うん。だから、その港の出荷記録を求めてる。そこが動いていたなら、別のところを探す」
彼女は三社の説明を消さず、図の脇へ残した。書類のどこから取った情報なのか、小さな印を一つずつ付けていく。昔、シーアの艦隊配置図へ基地や補給の条件を書き足していた時より、指の動きが速かった。
「委員会では、こういうのを調べるんだ」
「契約先を三つに分けていても、同じところが止まれば届かなくなるでしょう。基地の調達担当は、自分の契約相手に理由を訊く。港の担当は、そこから出た荷物を調べる。別々に届いた返事を、同じ図に置く人も要るの」
「それで、リヴィア?」
「それで、私」
リヴィアは笑って、必要な項目を書いた照会票を開いた。シーアは、受領した覚えのある件名を見つけた。
「これ、うちにも来てる」
「よかった。どの係に出せばいいか、二回聞き直したから」
「返事が遅かったら言って。届いているかは確かめられる」
「ほら」
リヴィアがこちらを向いた。
「今、自分の仕事を増やした」
「まだ増えてない」
「頼まれる前に、引き受けたでしょう」
言い返しかけた時、私用端末が短く鳴った。表示を確かめると、ホテルのレストランから予約確認が届いていた。二名。十九時半。
シーアは時刻とリヴィアの顔を見比べた。
「これ、何?」
「夕食」
「お茶を飲みながら話そうって言ってなかった?」
「飲んでるでしょう」
「その後の話はしてないよ」
「夕食は、どこかで食べるつもりだった?」
「それは、食べるけど」
「じゃあ、ちょうどいいね」
リヴィアは端末を取り上げず、シーアが自分で確認するのを待っていた。その顔を見ていると、こちらが断るとは思っていないことまで分かる。
「シーアは本当に押しに弱いわよね、私がどれだけ守ってきてあげたことやら」
「……今のリヴィアが言えるセリフ?」
彼女は笑った。否定も、聞き返しもしなかった。
「嫌なら、変更するよ」
シーアは予約画面へ目を戻した。見晴らしのよい窓際ではなく、奥の静かな席になっていた。食事の間まで来客に挨拶をしなくて済む、あの席だった。
「嫌とは言ってない」
「うん」
リヴィアはそれだけ答え、仕事の端末へ手を戻した。シーアは予約を承認してから、彼女の図をもう一度見た。
「納入が遅れた理由だけじゃなくて、基地で何ができなくなったかも必要じゃない?」
「どういうこと?」
「届くまで待てる部品もある。でも、それがないから艇を使えなかったなら、遅れた日数だけでは分からない。別の基地から回してもらったのかもしれないし」
リヴィアは照会票の末尾を開き、項目を足した。
「それは、あなたのところで分かる?」
「調べている範囲なら。僕一人では答えられないけど、上官に聞いてみる」
「じゃあ、追加の照会を出す。あなたが言ったことも書いていい?」
「うん」
送信先を確かめる彼女を見ながら、シーアはカップを取った。お茶は、もう冷めかけていた。
リヴィアは照会票を保存すると、シーアの方へ向き直った。
「少しだけ、見返りがあっても良くない?」
「何の?」
「今まで、いろいろ守ってあげた分」
シーアは返事に困り、カップを置いた。何を頼まれるのかと思い身構える。
「えっ…?まっ」
「大丈夫、バレなきゃ問題ないから……」
*
十九時を知らせる音が、テーブルの端で鳴った。
彼女が上着を手に取る。その襟には、保安委員会の身分証がまだ付いていた。リヴィアは身分証を見下ろして外した。机の上の端末へ重ねて置く。
「いいのか?」
「今日はもう仕事しない」
扉の前で、彼女が待っていた。シーアが並ぶと、リヴィアは彼の顔を見てから先へ歩き出した。
「お茶だけのつもりだったのに」
「次からは、夕食まで空けて来て」
シーアは抗議する代わりに、自分が次に戻れる日をカレンダーで確かめた。
*
C.R.C. 7951.249 コルサント、ヴァラリアン邸
アウレリアンは、夕食に間に合わなかった。
シーアが食べ終えた頃に帰ってきて、上着を使用人へ渡しながら、まだ何か残っているかと訊いた。少し待てば用意できると言われると、そのまま食堂へ入ってくる。
「週末なのに制服か」
「明日の朝、そのまま出るから」
「まさか、着て寝るつもりじゃないだろうな」
「違います」
兄は笑い、向かいへ座った。議員としての仕事で疲れた日は、最初に水を一杯飲む。昔は気づかなかった癖だった。
「査閲局はどうだ」
「仕事が多い」
「だろうな」
「まだ一か月も働いてないのに、もう返事を待ってる書類が三十件ある」
「私より少ない」
「競争じゃないよ」
料理が運ばれてきたので、アウレリアンはそこで話を止めた。シーアは端末を伏せた。演習の具体的な時刻や配置は、家族へ見せるためのものではなかった。
「父上から連絡があった。最初の勤務で倒れないように、と」
「倒れてないです」
「それは見れば分かる。返事は自分でしておけ」
「はい」
アウレリアンは料理を切り分け、しばらく食べていた。シーアはその間に、勤務端末と私用端末を入れ替えた。エレナから届いていた短い連絡へ、明日からしばらく泊地に出ると返す。詳しい場所を送る前に手を止め、勤務中の連絡窓口だけ付けた。
「楽しいか」
兄が訊いた。
「……楽しい」
「今の間は?」
「楽しいって言っていいのか、少し考えた」
「どうして」
「見ていた船の中で仕事をしてるから。まだ、どこへ行っても見たいものがある。相手は、見せるために待ってるわけじゃないのに」
アウレリアンはフォークを置き、弟を見た。
「見たいからといって、仕事を止めたのか?」
「止めてない」
「なら、困ってから考えればいい。嫌いな船に乗るために入ったわけでもないだろう」
シーアは笑った。その言い方には、昔から助けられる。
食堂へセレナが入ってきた。シーアの制服へ目を向けたが、襟には触れなかった。
「袖に、何か付いています」
左の袖口に、黒い線があった。《メレク》の搭載艇区画で、手すりの下へ回り込んだ時かもしれない。
「落ちますか」
「分かりません。脱いだら預けてください」
「予備は持ってます」
「では、そちらを使って」
兄が袖の汚れを見て、口元を緩めた。
「ようやく、見学の帰りには見えなくなったな」
「制服を汚せばいいの?」
「そのためにやるな」
翌朝、セレナが返してくれた制服からは、黒い線がほとんど消えていた。シーアは礼を言い、支給された鞄を自分で持った。
*
C.R.C. 7951.268 コルサント外縁演習宙域、司法軍艦《アシュアランス》
集合命令が届いた時、シーアは艦橋の後方で立っていた。
見学者用の場所ではなかった。壁際の補助席に記録端末を接続し、通路を塞がない位置を指定されている。隣にセルトがいて、ベンナーは《メレク》へ乗っていた。
「演習通信、受信」
通信士が報告した。
艦橋の表示に青い枠が付き、認証済みの演習命令が展開される。実際の管制通信と緊急回線は、別の表示に残った。艦を本当に動かす以上、訓練上の戦場と、現実の宇宙は重なっている。
「第三集合群、出動発令。基準時刻〇六〇〇。指定集合点への到着期限、一四〇〇」
「受領」
トーリンが答え、担当者へ頷いた。
シーアの端末でも時計が動き始めた。八時間。机の上で何度も動かした艦が、今は足元にある。
前方のスクリーンには、六隻の貨物船が映っていた。うち二隻は実際に航行する司法軍の輸送船で、残りは演習管制が重ねた仮想の船影だった。積荷、乗員数、損傷時の条件は、実在する航路の資料から作られている。
その左を《メレク》が進み、後方には《ステッドファスト》がいた。
古いドレッドノートの表面を、コルサントの太陽の光がゆっくり横切っている。今日は整備艇も足場もない。船首が向きを変えると、側面の砲座が順に見えた。
「《ステッドファスト》、護衛隊形移行を確認」
「《メレク》、引き継ぎ事項の受領を確認」
「《アシュアランス》、船団より離脱する」
トーリンの命令で、主機の表示が変わった。
プロクラメイターの幅広い船体が、船団の横を抜けていく。貨物船の一隻が、右前方の窓を満たした。距離を保ちながら加速すると、その船もすぐ後ろへ流れていった。
シーアは見送りかけ、端末へ戻った。引き継ぎの発信と受信、隊形変更、離脱。それぞれの時刻を確かめる。艦橋の時計と、記録装置の時計が同期していることも、開始前に確認してあった。
「書類どおり?」
セルトが小声で訊いた。
「今のところは」
「違ったところに印を付けて。全部を写す必要はない」
船団が背後へ遠ざかった。補給拠点へ向かう針路に乗ると、艦橋の話し声は落ち着いたものへ変わる。トーリンは各科の報告を受け、二つの数値を確認させた。それ以外には、特に大きな命令はなかった。
シーアが想像していた艦隊の出動より静かだった。
だが、その静かなまま、三隻の間隔は広がっていった。
*
最初に予定が動いたのは、補給だった。
積み替え用の台車に不具合が出て、最後の二基を別の台車へ載せ直すことになった。演習統裁部が入れた故障ではない。基地側から連絡が来ると、補給士官は自分の部下を降ろし、荷役担当者と積み込みの順序を変えた。
遅れは九分で収まった。
シーアは記録へ印を付けた。予定表では同じ長さの線だった補給時間が、誰かの手で短くなり、別の誰かの作業を後ろへ押していく。
《アシュアランス》が補給拠点を離れた後、《ステッドファスト》が到着した。先に船団を離脱したという報告は、八時十分に入っていた。
《メレク》が単艦となる。予定では、二十六分後に交代部隊が来る。
八時十七分、地方警備隊から新しい見込みが届いた。
「交代二隻の進出、九十分遅延」
通信士が読み上げた。
「理由」
トーリンが訊いた。
「前任務の終了遅れにより、交差航路の通過枠を失いました。次の枠へ移行。演習統裁部、事象番号一七、認証済み」
艦橋の表示から、交代部隊の予定位置が消えた。実際の通過記録に基づいて作られた遅延条件だと、別欄に説明がある。
シーアは手元の案を開いた。一時間遅れた場合までは作っている。九十分なら、さらに外へ出る。
《メレク》単艦。
その表示の横に、一時間五十六分と出た。
トーリンは船団の進路を確かめ、護衛艦との距離を表示させた。
「《メレク》へ。予定していた中継点で待機せず、船団を内側の退避航路へ寄せる。交代部隊へ合流点変更を通知。《ステッドファスト》は補給を継続」
「《ステッドファスト》より、護衛へ戻ることは可能との報告」
「了解。現時点では戻さない。こちらの跳躍は見合わせる。航法、船団までの最短復帰経路を出せ」
シーアは顔を上げた。《アシュアランス》が、集合点へ向かう代わりに近くへ残る。
そうすれば、何か起きた場合には戻れる。ただし、その時間は使う。集合までの余裕が、画面の上で減っていった。
トーリンは次の指示を出す前に、群の時計を一度見た。それから警備隊へ、交代見込みがこれ以上動く場合は即時に知らせるよう求めた。
シーアには、それ以上よい配置が思いつかなかった。
艦橋の端で、セルトが何かを書き込んだ。シーアは自分の記録へ目を落とし、判断に使われた位置と時刻を残した。
その時点で、砲撃は始まっていなかった。
*
最初の接触報告は、《メレク》から届いた。
船団右舷側に、識別不明船二隻。遅れて、その後方にもう一隻。
民間船籍を送信しているが、申告された航路から大きく外れ、船団へ接近している。問い合わせへの返答はない。三隻とも、敵役部隊の演習識別が別回線で確認されていた。
トーリンは艦載機の発進準備を命じた。同時に、船団へ向けて針路を戻す。跳躍計算を待たず、通常空間で距離を詰め始めた。
シーアは前方を見た。窓の向こうに船団はない。敵もいない。艦橋にあるのは、通信の遅れを含んだ位置と、相手が何をしているかを伝える短い報告だった。
『船団各船、加速。針路を維持。《メレク》、接触船との間へ進出する』
コルヴェットの艦長の声が聞こえた。
続いて光学映像が届いた。細長い《メレク》の向こうを、貨物船の鈍い船体が流れていく。遠くで光が二度瞬き、シールドの前面が青白く輝いた。
「敵役、射撃開始。演習出力を確認」
別の卓で、安全監視担当者が告げた。
判定回線には、射線と命中位置が重なった。実際の砲は安全出力へ制限され、魚雷の軌道は演習系統が送っている。それでも砲塔が旋回するのも、艦が加速するのも本物だった。乗員は、与えられた損傷の条件に従って動かなければならない。
敵役の一隻が左へ回り込んだ。《メレク》は右側の二隻へ砲火を集中させ、一隻の推進系を損傷させたと判定された。相手が減速する。その間に反対側の敵艦が船団へ近づき、最後尾の貨物船へ射撃した。
《エスカ》。六隻のうち、実際に航行している二隻の片方だった。
「《エスカ》、主推進器停止の判定。補助推進器一基使用不能」
報告が続いた。
「貨物区画より出火。居住区画への延焼を想定。負傷者二十八、うち搬送に介助を要する者十一」
シーアは人数を確認した。課目の条件としては知っている。だが、最初から十一体の医療用ダミーを格納庫へ並べ、拾う準備をして待つのとは違った。
《メレク》は敵艦との間に船体を入れ、残りの貨物船へ退避を命じた。
一隻が離れ、二隻目が続く。《エスカ》だけが、船団の加速についていけず後ろへ残った。その乗員数は八十三人だった。
『第三集合群へ。《エスカ》の放棄準備を要請。現装備では、警戒を続けながら全員を収容できない。救難支援を求める』
トーリンはすぐに返した。
「了解。《アシュアランス》が向かう。救難艇を先行させる。《メレク》は貨物船の乗員保護を優先、敵の追撃は不要」
『了解』
「《ステッドファスト》へ。こちらは船団へ復帰する。同艦は予定どおり集合点へ進出。集合群司令部へ、当艦と《メレク》の到着が遅れる可能性を通知」
通信士が復唱した。
シーアの画面にあった余裕時間が消えた。新しい到着見込みは、未定になった。
誰かが怒鳴ることも、机を叩くこともなかった。トーリンは自分の権限の範囲で二隻の任務を変え、残る一隻を先へ進ませた。
シーアはそれを記録した。
自分が作った予定には、この先の時刻が書かれていなかった。
*
《アシュアランス》の搭載艇区画では、発進準備が同時に進んでいた。
セルトに指示されて降りたシーアは、甲板の誘導線を越えない位置へ立った。上から眺めるより、ずっと騒がしい。機関を始動した救難艇の脇を、医療班が機材を押して通る。その向こうでは、BTL-Bが発進位置へ移されていた。
「そこで待つな。扉が開く」
乗員に言われ、シーアは二歩下がった。直後、壁だと思っていた区画が開いて、担架を積んだ台車が出てきた。
彼は場所を移し、準備の開始時刻と、最初の艇が出るまでの時間を確かめた。医療班は新しい編成になっていたが、予定の役割分担は引き継がれている。交代した医官が短く確認し、艇の後部へ乗り込んだ。
「記録員、搭乗予定は?」
艇長が訊いた。
「この艇にはありません」
「よし。搭乗口を閉める」
シーアはさらに下がった。先頭の艇が動き、続く艇も主機の出力を上げる。
格納庫の向こうに星空が見えた。
最初の救難艇が甲板を離れ、機首を下げながら外へ出ていく。続いてBTL-Bの一隊が、翼を揃えて加速した。機影が艦の縁へ隠れた後も、床には振動が残った。
シーアは端末を持つ手に力が入っていることに気づいた。カタログに書かれた艇数も、発進可能数も知っていた。目の前で一つずつ空いていく場所を見ていると、その数え方が変わる。出た艇は、帰ってくるまで使えない。
残っている艇を確認していたところへ、セルトから連絡が入った。
『搭載艇の出発時刻は取れた?』
「はい」
『では、医療区画へ。受け入れの準備を確認して。撮影の同意を取ってから入ること』
「了解しました」
艦橋へ戻るつもりだった。敵艦との接触を、上で見られると思っていた。
シーアは端末の艦内図を開き、医療区画へ向かった。
*
負傷者役は、自分で歩いて乗ってきた者も、担架で運ばれてきた者もいた。
重傷者はダミーだった。胸部の表示を確認した医療員が、決められた手順で状態を確かめ、搬送先を指示する。判定員が横について、処置の順序と時間を記録した。
シーアは入口の脇で、艇から送られてきた人数と、受け入れた人数を突き合わせていた。
「この二人、搬送名簿にいません」
受付担当者が言った。
「負傷区分は」
「歩行可能。船員です」
訊かれた二人が、自分たちは途中で艇を移ったのだと答えた。先に重傷者を載せるため、別の救難艇へ回されたらしい。
受付は出発艇へ問い合わせ、二人の識別を確かめた。行方不明の表示が二つ消え、別の欄へ移る。
シーアはその処理を記録した。止めずに済んだ医療処置と、照合を待った書類がある。すべてを同じ順番で済ませようとしていたら、入口に人が溜まっていた。
艦内放送が一度入った。
『本艦、演習上の交戦状態に移行。各区画、指定された警戒態勢を維持』
医療区画では、誰も上を見なかった。
端末に回ってきた戦術情報では、《アシュアランス》が船団の外側へ入っていた。敵役三隻のうち一隻は離脱。残る二隻は、《メレク》から距離を取りながら退いていく。
プロクラメイターの前部砲塔が射界を得た。主砲の射撃が始まり、判定上の火力が、敵艦の防御能力を上回る。味方のBTL-Bは敵の針路を横切り、反転する相手の外側へ出た。
シーアは映像を拡大しかけたが、受付から声を掛けられた。
「最後の艇、入っています。照合を続けます」
「はい」
画面を切り替えた。
敵役の一隻が航行不能と判定されたのを知ったのは、救難者の一覧を閉じた後だった。
*
一四時〇〇分。
指定集合点にいたのは、《ステッドファスト》だけだった。
古いドレッドノートは、補給を終え、途中で与えられた機関故障の課目も処理し、定刻より五分早く到着していた。艦長の報告には、使用可能な砲と搭載艇、乗員の勤務状態が並ぶ。
《アシュアランス》は救難者の引き渡しを終えたところだった。
《メレク》は、ようやく到着した交代部隊へ船団を引き継ぎ、補給へ向かっていた。
《エスカ》の乗員八十三人、全員救出。ほかの五隻は、警戒区域の外へ誘導済み。
《エスカ》は、演習上、航行不能のまま後続の曳航を必要としている。敵役部隊の一隻を行動不能としたが、ほかは離脱した。
第三集合群、集結未完了。
シーアは三つの報告を並べた。
医療区画では、重傷者役のダミーが回収され始めている。負傷者役だった乗員が、布に付いた識別札を外しながら、階段を上っていった。この課目で死者が出たわけではない。救助された人数の中には、名簿の上にしかいない者もいる。
それでも、艦が今いる場所は、予定していた集合点ではなかった。
「帰ってくる時、速かったですね」
艦橋へ戻ってから、シーアはセルトへ言った。
「どの区間?」
「救難艇を出してから、船団へ入るまでです。予想より早く着いた」
「航法班が使える経路を探していた。最初に復帰経路を命じられた時からね」
シーアはトーリンを見た。艦長は、今度は集合点への到着見込みを報告している。
その速さで、船団を助けた。
それでも、一四時には間に合わなかった。
一五時四六分、《アシュアランス》が集合点へ到着した。最後の《メレク》が入ったのは、一六時四六分だった。
開始から十時間四十六分。
三隻が一つの表示へ収まると、次の課目に使う編成欄が、ようやく埋まった。
シーアは暫定所見を開いた。最初に書きかけた《交代部隊の遅延により》という文章を、途中で止めた。
遅れた場合の案を作ったのは、自分だった。
*
C.R.C. 7951.269 司法軍艦《アシュアランス》、作戦室
翌朝の検討会では、砲撃の映像は最初に出てこなかった。
正面に映されたのは、船団から三隻が離れていく時刻だった。続いて補給、交代部隊の進出予定、実際に届いた遅延情報、敵との接触、救難要請。昨日起きたことが、一本の時間軸に並んでいる。
シーアの作った暫定所見も、その横にあった。
《アシュアランス》、定刻到着未達。
《メレク》、定刻到着未達。
《ステッドファスト》、定刻到着達成。
「これは、各艦の評価か」
トーリンが訊いた。
シーアは頷きかけ、セルトを見た。彼女は画面から目を離さず、自分で説明するようにと言った。
「現時点で確認できた実績です。正式な評価は、これからです」
「なら、実績と評価の欄は分けてほしい。《メレク》は、私から船団に残るよう命令されていた」
「はい」
「その命令を守れば、到着が遅れる。守らずに来れば、この欄は達成になるのか」
シーアは表を見た。
艦名の隣に、達成か未達かを置いている。数字としては正しい。だが、それだけの表が別の部署へ送られた時、何を読まれるかまでは考えていなかった。
「命令変更後の任務を、隣に出します」
「そうしてほしい。その上で、私の群が八時間で揃わなかったことは書いて構わない」
トーリンは、自分の艦の欄を消すようには求めなかった。
《メレク》の艦長は、ホログラム越しに参加していた。眠そうな顔だったが、声ははっきりしている。
『こちらとしては、単艦になる時間が変わった時点の扱いを、もう一度確認したい。最初の二十六分と、一時間五十六分では、引き受けている条件が違う』
「敵と接触する前に、離脱させるべきだったということですか」
シーアが訊くと、相手は首を振った。
『船団を置いて? そういう話はしていない。少なくとも、予定どおりの警備をしているという表示からは外してほしかった』
ベンナーが画面へ補足を出した。実際の指示は変更されている。船団の航路も、《アシュアランス》の行動も変わった。だが、演習の全体集計では、《メレク》の欄は敵接触まで《前任務継続中》のままだった。
そこにいた一隻が、どれほど長く残ることになったかは、別の記録を開かなければ見えなかった。
「私が作った一覧です」
シーアは言った。
セルトがこちらを見た。彼は全体集計用の表を開き、元の項目を示した。
「護衛をしているかどうかだけを入れました。単艦になる時間は計画の方に書いてあって、こちらにはありません」
「では、時間と制約も出せるように」
セルトはそう答え、トーリンへ向き直った。
「課の様式として私が確認しています。報告欄の修正はこちらで行います。指揮官側で、その表示が必要だった場面を確かめさせてください」
シーアが責任を口にしたところで、会議が止まることはなかった。修正する仕事が増えただけだった。
ドレイは《ステッドファスト》から参加していた。
『うちは戻れた。だが、戻ればここへ着くのはもっと遅くなる。こちらを先へ送った判断には異存はない』
「《アシュアランス》も予定どおりに進んでいた場合は?」
セルトが訊くと、ドレイは船団の表示を見た。
『《メレク》だけで、敵を追い払って八十三人を拾う。しかも残り五隻を逃がす。できるとは答えられないな』
『全員の収容は、当艦だけでは無理です』
コルヴェットの艦長が明言した。
『船員に救命艇へ移ってもらい、周囲を守りながら、救難支援を待つことになります。昨日も、最後はそうしています』
シーアは救命艇の展開時刻を開いた。小さな印が、動けなくなった《エスカ》の周囲へ増えていく。《メレク》はその外側を動き、敵艦を寄せないようにしていた。
援軍が来るまでの時間を埋めたのは、その一隻だった。
セルトは映像を止め、集結の計画へ戻した。各艦の説明を照合し、分割離脱案を次の課目でも使う場合の条件を確認する。予定どおりなら使える。ただし、交代が遅れた場合に、群の中で配置を変えるだけでは、どれかが集合に間に合わなくなる。
ドレイは、その時には三隻が揃う前提で次の任務を始めないでほしいと求めた。トーリンも、船団へ戻した艦と、先へ送った艦を、次の指揮官が見分けられる報告にするよう付け加えた。
シーアは時系列の横にあった短い所見を削った。
《救難による遅延》。
それでは、救難が予定を邪魔したように読める。
先に二隻を離したこと。交代部隊が遅れたこと。《メレク》へ残された能力。群指揮官が支援を必要と判断し、予定していた進出を変更したこと。その順に書き直す。
文章は長くなった。だが、質問への返答がどこにあるかは、最初の照会より分かりやすいはずだった。
検討会が終わりかけたところで、トーリンが一つ付け加えた。
「ヴァラリアン」
「はい」
「君は、《アシュアランス》を使えば、多少の遅れは取り返せると思っていたか」
シーアは答える前に、昨日の航行記録を見た。
「思っていました」
「艦は遅かったか」
「いいえ」
「では、速力の欄を直す必要はないな」
それだけ言って、艦長は席を立った。次の演習の打ち合わせが待っている。シーアは残された画面で、船団へ戻る針路を、もう一度辿った。
*
昼までに終わるはずだった所見の修正は、夕方になっても終わらなかった。
時間と命令を並べ直すと、今度は到着後の状態を揃える必要が出てきた。《ステッドファスト》は待機中に当直を交代できた。《アシュアランス》では医療班と搭載艇の乗員が長く働いている。《メレク》は予定より燃料を使い、補給品の一部も積み増していた。
三隻が十時間四十六分後に揃った、だけでは、次の任務へ渡せる報告にならなかった。
シーアは自分の所見から、確かめ終えた項目を一つずつ外していった。空欄を埋めるために、艦の担当者へもう一度連絡する。
相手も次の準備をしていた。
『その記録は、昨日送りました』
「受領しています。今回必要なのは、帰還した艇の整備が終わった時刻です。発進時刻とは別で」
『……ああ。そちらか。少し待ってください』
待っている間に、別の回線へ回答が来た。シーアは片方を保留し、もう一つを読み、返事を書きかけたところで、ベンナーに止められた。
「同じ医療班を二度数えてる」
画面を見ると、救難時の臨時編成と、通常編成の名簿が重なっていた。
「ありがとうございます」
「五分休め。俺が来てから、一度も立ってない」
シーアは椅子から離れた。足が固くなっていた。
ベンナーが端末の前へ座り、未処理の項目を確認する。シーアは給水器まで行き、カップを満たした。窓の外に《ステッドファスト》の船体が見えた。離れているので、救難艇区画は分からない。
「査閲って、もっと歩いて回る仕事だと思っていました」
「歩いたろう」
「それより、書いてる時間の方が長いです」
「歩くだけなら、散歩だ」
ベンナーは返ってきた記録を開き、時刻へ印を付けた。
「あそこにいた時、よく見ておけばよかった、とは思うようになる。何度も」
シーアは昨日の医療区画を思い出した。誰がどこで何を待っていたか。後から質問されれば答えられると思っていたことが、映像を見直さなければ分からない。
カップを置いて席へ戻ると、私用端末が光った。
カッシオだった。
『今週、戻る?』
少し考え、返事を打った。
『予定が変わった。しばらく無理』
『負けたのか?』
シーアは画面を見た。公開されている大演習の日程から、艦隊戦でもしていると思ったのだろう。
『集合したところ』
『それで、もう予定が変わったのか』
『うん』
次の返事を待っている間に、勤務用の回線が鳴った。シーアは私用端末を伏せ、担当者の名を確かめて応答した。
*
C.R.C. 7951.270 司法軍艦《アシュアランス》、搭載艇区画
車両の積み込みを見るのは、午後の予定だった。
次の段階では、艦隊が軌道上を確保した後、地上部隊を降ろす。降下艇が空港へ入り、軽装甲車と通信車、工兵の資材を下ろす。対抗部隊が空港の一部を保持しているため、単に降りて整列するだけでは終わらない。
《アシュアランス》にも、演習参加のために臨時編成された部隊が乗っていた。
シーアは甲板上の待機場所で、点検を終えた車両が順に動くのを見ていた。歩兵を乗せる艇と、車両を載せる艇は別々に配置されている。その間を機材の台車と整備ドロイドが通り、甲板員が進路を空けた。
先日の救難艇と比べ、船腹の幅も開いたランプの大きさも違う。灰色の軽装甲車が低い機関音を立てて進み、誘導員が腕を上げた。
シーアは作業班の編成を確認した。
臨時の車両班と、艦の甲板班。個々の資格は揃っている。合同で行った訓練の記録は、まだ二回しかなかった。
昨日、その二回のうち一回が、車両を動かさずに手順を確認する訓練だったと分かった。
「次も同じ組み合わせですか」
近くにいた甲板班の下士官へ訊くと、彼は後方を見た。
「夜の当直で何人か替わる。名簿は出したはずだ」
「来ています。引き継いだ班でも、実際に載せたことがあるかを――」
車両の警告音が、言葉を遮った。
誘導員が二人、同時に違う方向を示していた。艇内にいた一人は進入を促し、脇の一人は何かを止めようとしている。
シーアが顔を上げた時には、軽装甲車の左側がランプの縁へ寄っていた。
金属が擦れる音がした。
車体が傾き、前へ滑る。脇にいた甲板員が後ろへ退こうとしたが、足元の機材台車にぶつかった。車両の側面が台車を押し、その向こうにいた人影が見えなくなった。
誰かが叫んだ。
シーアは通信器を掴んだ。
「積載作業停止! 二番通路で実事故、負傷者あり!」
隣の下士官も、甲板管制へ向けて叫んでいた。車両の機関音が落ちる。後続の車両が止まり、歩いていた兵員たちが足を止めた。
シーアは走り出しかけ、下士官に腕を掴まれた。
「まだ動く!」
軽装甲車は傾いたまま、ランプの縁へ重さを掛けていた。整備員が車体を固定するために回り込み、別の者が管制へ状況を伝えている。
台車の向こうから、短い返事があった。生きている。
シーアは場所を変え、医療班が入る通路へ立った。集まりかけた兵員を退かせ、入口から来る担架へ腕を上げる。二日前、負傷者の受け入れを確認した医療員が走ってきた。
「一人ですか」
「こちらに一人。ほかは、まだ確認できていません」
そう答えてから、最初に転んだ者のほかにも人がいたことを思い出した。艇の下へ回った整備員が、別の一人を指した。
医療班が二つに分かれた。
シーアは通路を空けたまま、甲板管制へ人数を伝えた。通信器を握る手が汗で滑る。
先日の医療用ダミーには、怪我の状態を示す札があった。今、台車の向こうにいる甲板員は、自分の脚がどうなっているのかを、何度も訊いていた。
車両が固定され、機材が外される。担架が差し込まれ、医療員が声を掛けながら引き出した。
制服の胸に、レンダという名が見えた。
シーアは見ないようにしようとして、やめた。二日前、その男は救難艇へ荷物を渡し、自分にそこを空けるようにと言った人だった。
担架が前を通る時、レンダの手がシーアの袖に触れた。何かを掴もうとしたのかもしれない。シーアが手を差し出す前に、医療員がその腕を支えた。
「通します」
シーアは下がった。
負傷者は二人だった。一人は歩けた。もう一人は、担架から起き上がれなかった。
赤い灯の下で、兵員たちが壁際へ寄っている。車両の運転手は外へ出され、甲板班の責任者から座るように言われた。まだ若い男だった。膝の上に置いた両手が動いていた。
セルトが着いた時、シーアは同じ場所に立っていた。
「怪我は?」
「ありません」
「見ていた?」
「途中からです。車両が寄ったところから」
彼女は頷き、艦側の安全担当者へ短く説明した。ここから先の事故調査は、その担当者が引き継ぐ。シーアとベンナーには、記録を残して、見たことと聞いたことを分けて書くよう指示された。
シーアは端末を開いた。起動したままの観察記録に、自分の最初の通報が残っていた。
その二秒前にも、音が入っている。
彼は再生を止め、保存を確かめた。
*
臨時の確認は、その夜まで続いた。
事故調査班が記録を集め、艦長は同じ方式で行う車両積載を停止した。別の艇と別の班を使って再開する案も出たが、セルトは合同訓練の実施記録をそろえてから判断するよう求めた。
「全員、必要な課程は終えています」
部隊側の士官が言った。
「それは確認しています」
セルトは答えた。
「こちらで確認したいのは、この艇、この車両、この作業班で何を行ったかです。資格者が何人いるかとは別に出してください」
「明日の降下に間に合わせるなら、今夜中に積み込みを終える必要があります」
「その予定も含めて艦長へ報告します」
シーアは隣で、受領した名簿を並べていた。
基礎課程を終えた日。今の部隊へ来た日。艦へ乗った日。それぞれを重ねると、同じ作業を行う者が、全員揃っていた期間は驚くほど短かった。
査閲用の集計では、合同訓練二回。
そのうち一回は、動かない車両を前にした確認。もう一回も、全員が今回と同じ組み合わせではなかった。
新しい部隊へ経験者を送る。残った艦へ新人を配属する。さらに別の艦から来た者と組ませる。誰もが資格証を持っていた。名簿のどこにも、無資格者とは書かれていなかった。
「最初から、この記録を求めるべきでした」
シーアが言うと、セルトは顔を上げた。
「求めたら、今日の事故を予見できた?」
「……分かりません」
「では、そこは分けて書く。事故の原因を先に決めない。ただ、この編成でできると判断した根拠は、私たちも確かめ直す」
シーアは頷いた。医療区画から来た連絡では、レンダは惑星側の病院へ移送されることになっていた。
人員表へ転記する時、予定されていた明日の当直から、彼の名を外さなければならなかった。
シーアは代わりの名を入れる前に、画面を閉じた。勤務記録とは別に、面会の可否を問い合わせた。
*
C.R.C. 7951.271 全司法軍演習《決意'950》、第三集合点統裁所
統裁所の壁には、銀河各地の演習区が並んでいた。
集結を終えた部隊もあれば、これから命令を出す部隊もある。恒星の位置も現地の勤務時刻も違うため、同じ標準時に全員を動かすわけではない。それぞれの開始から何時間が経ったかを、別の時計が示している。
第三集合群の表示は、十時間四十六分で止まっていた。
シーアはセルトの隣へ座り、自分たちの順番を待った。報告者はセルトだったが、資料を作った者として質問に答えるよう命じられていた。
前に説明していた班は、通信訓練の結果を送っている。作戦命令の受信は早い。しかし、命令の宛先として登録されていた司令部は移転を終えていて、実際にそれを実行する当直まで届くのに時間が掛かった。
別の班では、地方政府の部隊を組み入れる手続きについて話していた。演習への参加同意はある。指揮権をどの任務まで委ねるかは、当日になって確認が必要になった。
メイランは話を聞きながら、全体図へ短く書き込んでいた。シーアの机にあった三隻の外でも、似た時刻が遅れている。
第三集合群の番になった。
セルトは予定と実績を示し、変更された任務と、その判断に使われた情報を説明した。艦ごとの行動はそれぞれの命令に沿っており、救難と護衛の課目には成果がある。一方、部隊の集中に要する時間は、目標を超えた。
「統裁側の交代遅延が入らなければ、達成したという評価でよいのですか」
運用局の連絡士官が訊いた。
「計画上は。実施してはいません」
セルトが答えた。
「遅延は演習上の付与条件です。艦の練度だけを測るなら、そこは別に扱うべきでは」
「個艦の練度評価は分けています。今出しているのは、部隊の集結と任務移行についての結果です」
連絡士官は頷いたが、表の下を示した。
「今後の計画に使うなら、どちらの時間ですか。毎回、九十分の遅れを入れるわけではないでしょう」
シーアはセルトを見た。彼女がこちらへ手を向ける。
「八時間で到着する計画は残せます。ただ、別の部隊が、その八時間後に三隻来るつもりで動く場合には、この条件も一緒に渡す必要があります」
「一時間五十六分の単艦警備ですか」
「それを認めるかどうかも含めてです。今回は、支援へ戻る艦を一隻出しました。その艦を戻さなければ集合は早くなりますが、船団を同じようには守れません」
士官は資料へ目を戻した。
「元の案では、そこを許容していた」
「はい。原案を作ったのは私です」
シーアは自分の署名がある頁を開いた。
「交代の遅れを、集合時刻がどれだけ動くかで比較しました。残る《メレク》については、能力の制限を記載しています。ただ、同じ一隻が二十六分残る場合と、二時間近く残る場合とで、どれだけ支援が必要になるかを、十分には詰めていませんでした」
「そこまで事前に予測できたと思いますか」
シーアはすぐには答えなかった。
敵がどこから来るかは知らなかった。貨物船のどこが損傷するかも、分からない。それを知っていれば、演習にはならなかった。
「今回と同じ事態までは、分かりません。でも、私たちの計画には、警備が薄くなる場所がありました。そこへ何も来なければ、三隻は早く集まります」
連絡士官は頷いた。シーアの言葉を、結論のように扱うことはなかった。
「では、何も起きない場合の計画としては使える。起きた場合の遅延と、必要な支援を、同じ資料へ付ける。そういう提案ですね」
「はい」
「その支援を、別の演習区から取る場合は?」
シーアは全体図を見た。
手元の三隻には、もう空きがない。隣の区域にも任務があり、艦の名前と時刻が並んでいる。
「そちらの計画も、変える必要があります」
「そうなる。こちらで調整します」
士官は照会事項を保存した。新しい船が一隻増えたわけではなかった。別の場所から動かす案を、誰かが検討することになった。
メイランが次の頁を出させた。
「評価は現行のまま。八時間以内の全艦集結は未達。個艦の任務遂行とは分けて記録する。再実施の際、救難をしなければ達成という採点にはしない」
「了解しました」
セルトが答えた。
「全体の集中計画へ使う数値は、条件を付して運用局へ送る。課内の集計様式は、第三集合群のものから直してください」
シーアは自分の端末へ、新しい仕事が届くのを見た。
八時間という数字を消すことにはならなかった。十時間四十六分を、すべての任務へ当てはめることにもならない。両方を残し、どこで分かれるのかを書かなければならなかった。
続いて、安全担当の報告へ移った。
《アシュアランス》で二人が負傷した事故のほかにも、項目が並んでいた。離岸時の接触。補給作業中の火災。航空機の着陸事故。地上射場での誤射。降下艇の墜落。
最後の報告には、死者が出ていた。
シーアは艦名を見た。前日の全体図では、予定どおり部隊を降ろすことになっていた艦だった。その搭載艇の一機が、もう戻らない。
「すべて、操作の誤りですか」
メイランが訊いた。
「原因の確定していないものもあります。機材側の問題も調べています。ただ、通信の復唱漏れ、誘導の不一致、未習熟の手順への移行が、複数の事例で確認されています」
安全担当者は集計を出した。参加部隊が増えれば、事故の件数も増える。その分を差し引いて、過去の同種訓練と比べても、負傷を伴う事故が多かった。
「新設部隊に集中していますか」
「新設部隊だけではありません。既存部隊から指導要員を転出させた後の班でも、増えています。臨時に編成した地上・航空部隊との共同作業についても確認が必要です」
シーアは《ステッドファスト》で見た名簿を思い出した。古い艦だからといって、以前から同じ乗員で動いているわけではない。
部隊の規模を示す図が消え、訓練の実施状況に切り替わった。
人員充足。装備受領。資格取得。
そこまでは、完了の印が多い。
班での反復訓練、艦との共同作業、夜間の実施、通信を制限した状態での実施になると、空欄が増えた。完了となっていても、現在とは違う編成の時に行った記録が含まれている。
「個人の課程修了と、部隊としての練成終了を、同じ完了表示にしないでください」
安全担当者が言った。
「事故調査はそれぞれ続けます。その間も、未確認の項目がある部隊については、課目の変更を提案します」
降下演習の一部が延期になった。実弾射撃を見合わせ、誘導と連絡の確認へ戻す部隊も出た。
すぐに、日程を担当する士官から質問があった。
「公開実施日に、予定した部隊が揃わなくなります」
「代わりを入れれば済むかも、確かめる必要があります。今回の甲板事故では、別の班で続きを実施する案が出ましたが、その班にも同じ組み合わせでの訓練実績がありませんでした」
セルトが《アシュアランス》の資料を示した。
「代替の班も、資格者は揃っています。ただ、この作業を部隊として完了した記録がない。そこを確認してから再開するよう、艦長へ提出しています」
「増員した部隊を、一番大きな演習へ出さないのですか」
「出します。できていない部分を、そこで訓練します。予定した完成形の動作から始めるかどうかの話です」
メイランは両者の説明を聞き、延期する課目と、残す課目を分けさせた。
演習全体は続く。
ただし、シーアが最初に受け取った予定表のままではなくなった。
公開用の撮影予定には、多数の艦が一斉に降下艇を発進させる場面がある。その前に必要な確認が、今から増えていた。記録を集める人員も、実技を見られる指導員も要る。
観閲日程の確認は、最高議長府との回線がつながってから行われた。
壁面にウィルハフ・ターキンの姿が現れた。背後では、最高議長府の職員が別の演習区から来た報告を確認している。シーアは姿勢を直したが、ターキンは画面のこちら側を見回すと、そのままメイランへ話しかけた。
『変更案は統裁部から受け取った。まだ、再開を判断できない課目はどれだ』
メイランが一覧を示した。機材の確認を待つものと、同じ編成での訓練をやり直すものがある。後者には、代替要員を入れてもすぐに続行できない部隊が含まれていた。
『観閲時刻をずらせば終わる話ではないな』
「はい。再実施できる時刻は、部隊ごとに確認中です」
『分かった。最高議長には、その条件で説明する。日程の変更は、統裁部で正式に決めたものを送ってくれ。議員団の見学先も組み直す』
日程担当の士官が、新しい照会先を書き込んだ。
『ハロルド委員長からは、教育訓練費の執行状況を確認したいとの要望が来ている。予算不足で実施できなかったのか、教官や部隊を揃えられなかったのか。使った額だけではなく、実施できた訓練と並べてほしいそうだ』
メイランは、教育部門へ資料を求めると答えた。カースからも、製造側で確認すべき不具合をまとめてほしいという依頼が届いていた。事故調査中のものには、その旨を付けることになった。
シーアは《アシュアランス》の作業班の名簿へ目を戻した。自分が照合していた記録が、視察者へ渡す説明にも使われる。どこまで確認できているかを、空欄のままにはできなかった。
メイランが第三集合群の担当欄を開いた。
「ヴァラリアンは引き続き《アシュアランス》。次の課目の準備と並行して、部隊側と艦側の合同訓練記録を照合してください。事故原因の判定には入らず、実施した訓練と、未確認の項目を出す」
「はい」
シーアは受領した一覧を保存した。合同訓練の実施状況を確認するまで、次の課目への参加は確定できなくなった。
*
会議の後、通路でトーリンに呼び止められた。
艦長は次の課目の打ち合わせから戻るところだった。シーアが敬礼すると、返してから、手にしている資料へ目を向けた。
「修正したものか」
「はい。正式な報告は、キャプテン・セルトから送られます」
「読んだ。うちの医療班の勤務時間まで拾ってあったな」
「到着して、すぐ次の任務へ移れるかを確認するためです」
「あの班長は、そこまで読まれると思っていなかったらしい。明日の交代を早められるかと聞いてきた」
シーアは顔を上げた。
「認められますか」
「配置を変えればな。今、その話をしてきた」
トーリンは持っていた資料を脇へ寄せた。
「次の課目も、こちらへ乗るんだろう」
「命令では、その予定です」
「艦橋後方の席は空けておく。前の課目のように通路で端末を開かなければ、そこで構わない」
「……申し訳ありません」
「邪魔だった時には言った。その後は退いていただろう」
艦長はそう言い、歩いていった。
シーアは見送ってから、資料を鞄へ入れた。信頼してもらえた、と言うには早い気がした。だが、次も乗ってよいとは言われた。
統裁所の窓からは、集合した艦隊が見えた。
《アシュアランス》の向こうに、もう一隻のプロクラメイターがいる。その下にはドレッドノート級。さらに遠くでは、小型艦が編隊を変えながら指定された待機位置へ動いていた。
別の演習区から来た艦もいる。船体の塗装も、増設されたセンサーも、艦載艇の構成も違っていた。シーアは一隻ずつ目で追い、見慣れない装備のある艦の名前を確かめかけた。
「帰るぞ、ルテナント」
ベンナーに呼ばれ、振り向いた。
「次の資料が来た。持つのを手伝ってくれ」
「送信ではないんですか」
「隔離端末ごと渡すそうだ。敵役部隊の編成が入ってる」
差し出されたケースを受け取る。思ったより重かった。
宿泊区画へ戻る艇の中で、セルトが開封の権限を通した。シーアは指定された端末へ自分の身分証を読み込ませ、次の担当を確かめる。
《第二段階・艦隊間交戦及び惑星上への共同展開》。
最初の頁は、赤軍装備の分類表だった。
FF-I型。フリゲート。外観図を開く前に、艦首兵装と全長からミュニファスント級だと分かった。
DD-I型、DD-II型。デストロイヤー。前者はプロヴィデンス級、後者はレキューザント級に相当する。武装と搭載機の欄を見比べると、同じ分類でも運用は随分違う。
SC-I型とSC-II型はスタークルーザーに分けられていた。先ほどの二系統の大型タイプで、I型がプロヴィデンス系、II型がレキューザント系だった。通常型と同じ縮尺で並べた比較図では、DD-II型の長い船体も小さく見えた。
BB-I型、バトルシップ。環状船体の図が開いた。ルクレハルクに付けられた符号だった。
航空機には、ファイターのF-I型と、FA-I型がある。ヴァルチャーとハイエナ。搭載可能数の欄にも、実際の製品名に代わって、その符号が並んでいた。
「名前を替えても、分かりますね」
シーアが言うと、セルトは自分の端末から顔を上げた。
「次の報告では、その符号を使って。型式が違えば、判定に使う性能も変わるから」
シーアは実施要領へ戻った。訓練命令にも交戦判定表にも、同じ型式が使われている。貨物船として登録されているかどうかを、この表で議論する必要はなかった。
次の頁に、赤軍の編成が出た。
DD-II型を前へ出し、その後ろにFF-I型の戦隊がいる。さらに別の区画には、BB-I型の航空戦力と、それを支える補給拠点が置かれていた。先ほど見た分類表のすべてが、同じ宙域に集まるわけではなかった。
代役を務める司法軍艦の名が、それぞれの符号の横に記されている。実艦だけでは再現できない火力や搭載機数は、統裁部の判定で補う。仮想の戦力を、実際にそこへいる艦艇と数え違えないよう、表示も分けられていた。
指揮所、補給船、予備の艦載機。前方に見える艦だけを相手にする課目ではなかった。
これは統裁・評価要員だけに渡される資料だった。シーアは艦の指揮官へ送る報告と混ざらないことを確かめ、最後まで目を通してから味方の編成へ戻った。
「これで、向こうと?」
「明日から、どうするかを決める。今夜は資料を読んでおいて」
セルトが答えた。
シーアは続きを開いた。集合した三隻に、新しい任務が割り当てられている。自分が記録した医療班の勤務時間と、搭載艇の整備終了時刻も、その資料へ引き継がれていた。
窓の外を《アシュアランス》の厚い船腹が過ぎた。
シーアは顔を上げず、次の頁を開いた。