STAR WARS: STAR DESTROYER 作:あーくわいてんず
C.R.C. 7943.074
「姫王子だ」
聞こえないふりをして、シーアは廊下を歩き続けた。
朝の公王宮では、すでに一日の仕事が始まっていた。中庭に面した回廊を官吏が資料を抱えて行き交い、壁際では保守局の職員が端末を覗き込んで話している。開いた窓からは冷たい風とともに、離着陸場を発つ輸送艇の低い音が流れ込んできた。
その間を、第三公子は白銀の髪に朝日を受けながら歩いていた。
「姫王子、今日もかわいいな」
「聞こえてるよ」
今度は振り返った。若い書記官が固まり、隣にいた年長の官吏が半歩離れた。
「で、殿下」
「僕は公子。姫じゃないからね」
「はい。申し訳ありません」
「じゃあね」
シーアは歩き出した。ところが、十歩も進まないうちに、背後からまた声が聞こえた。
「怒らなかったな」
「姫王子は、あまり怒らないから」
シーアが足を止めると、二人の足音も止まった。
「聞こえてるってば」
「申し訳ありません、殿下!」
二人は揃って頭を下げ、足早に廊下の角へ消えた。シーアはその後ろ姿を見送り、隣で口元を押さえているセレナを見上げた。
「今、笑った?」
「いいえ」
「口を隠しているじゃないか」
セレナ・ヴェインは手を下ろし、澄ました顔で先へ進んだ。シーアは頬を膨らませ、その隣へ追いついた。
姫王子。いつからそう呼ばれているのか、本人にもよく分からなかった。
公王家の第三公子、アレクシアール・ヴァラリアン。銀白色の髪に白い肌、兄たちより細い輪郭と大きな目。八歳になっても同年代の子供より小柄で、黙って立っていれば王女に見えるのだという。
鏡を覗いても、そこにいるのは見慣れた自分だった。他人がどこを見てそう思うのか、シーアには実感が湧かない。それでも、使用人たちが口にしていた呼び名は官吏や近衛にも広まり、最近では公王宮に出入りする業者まで知っている。
「ねえ、セレナ。誰が最初に言ったの」
「姫王子のことですか。存じません」
「セレナじゃないの?」
「違います。私は殿下が三歳の頃から、もっと品のある呼び方をしております」
シーアは彼女の顔を見上げた。
「何て呼んでいたの」
「お姫様」
シーアは足を止めた。セレナは止まらなかった。
「もっと悪いじゃん」
⸻
公王宮という言葉から、シーアはかつて、もっと違うものを思い描いていた。
曖昧な記憶の中にある城には、高い石壁と塔があり、その向こうに広い庭が続いていた。王と兵士がいて、大きな食堂もある。実際の公王宮にも古い棟は残っており、石造りの壁や儀礼用の大広間、歴代公王の肖像を眺められる場所もあった。ただ、建物の大半を占めているのは執務室だった。
財務局、法務局、領域管理局、公共輸送局、産業局、保健局、教育局、軍務局。それぞれの部屋を官吏が行き来し、通信端末が鳴り、会議室からは朝から予算を巡る声が聞こえてくる。巨大な役所に公王家の住居がついているような宮殿を、シーアは気に入っていた。
今日は父との朝食が遅くなり、執務区画まで迎えに行くことになっていた。中央棟へ入ると、昨日よりも人が多かった。会議室の前では、端末を抱えた職員たちが立ったまま話し込んでいる。
「今日は、何かあるの?」
「来年度予算の調整です。各局の要求について、公王殿下と財務局、それに議会側とのお話し合いがございます」
「昨日もやっていたよね。一昨日も」
「はい」
「予算は、毎日決めるものなの?」
「なかなか決まらないものを、予算と呼ぶのです」
シーアが顔を上げた。
「嘘だ」
「少なくとも、今日もまだ決まっていないようですね」
セレナが前方へ目を向けると、軍務局の制服を着た三人の男が歩いてきた。先頭の男はシーアに気づき、足を止めて姿勢を正した。
「おはようございます、殿下」
「おはようございます」
後ろの二人も礼をしたが、一人だけ目が合った途端に顔を逸らした。シーアはその男を見た。
「今、姫王子って思ったでしょう」
「いえ、そのようなことは」
「じゃあ、どうして笑ったの」
男が返事に詰まると、セレナが口を挟んだ。
「殿下。皆様は沿岸警備艇の更新をお願いに来ていらっしゃいます。あまりいじめますと、来年度も古い艇に乗ることになります」
「僕が決めるの?」
「決めません」
「じゃあ、関係ないじゃん」
後ろの一人が吹き出した。先頭の男まで口元を緩めたので、シーアもつられて笑った。
「そんなに古い艇なの?」
「だいぶ古くなっております」
「何年くらい使っているの」
「殿下。朝食です」
セレナに呼ばれ、シーアは振り向いた。
「一つだけ聞かせてよ」
「昨日も、そうおっしゃいました」
「昨日は船だったから」
「今日も船のお話でしょう」
「艇だよ」
セレナは答える代わりに、彼の肩へ手を添えた。男たちが笑いを堪えている前で、シーアは不満そうに歩き出した。
「さすが姫王子」
振り返ると、三人とも真顔になっていた。
「今、誰が言ったの」
「何のことでしょう、殿下」
「絶対、あとで調べるからね」
セレナの手に促されながら、シーアは廊下の先まで三人を見ていた。
⸻
朝食は、公王の執務室に隣接する部屋へ用意されていた。
アルドレン・ヴァラリアンは、席についてからも仕事を続けていた。テーブルには食事と同じくらい資料が広がり、穀物価格の一覧や港湾拡張計画、その下には地方病院の予算要求まで置かれている。
シーアは向かいへ座ると、パンに手を伸ばす前に尋ねた。
「昨日の船は、どうなったの?」
「朝一番に報告が来た。予定通り作業中だ」
「三か月で終わる予定?」
「今のところはな」
シーアは頷いて、パンをちぎった。昨日、乗員から聞いた返事を思い出したが、父はもう別の資料を読んでいる。
「今日は、ずっとお金の話をするの?」
「おそらく」
「楽しい?」
アルドレンがようやく顔を上げた。
「楽しそうに見えるか」
「見えない」
「なら、聞くな」
シーアは笑って、パンを口へ運んだ。しばらくは食事に集中していたが、並べられた資料を見るうちに、昨日の司法軍基地がまた気になってきた。
「司法軍も、船を増やせばいいのに。ほかの船が整備中でも、出せるように」
「昨日から、まだ考えていたのか」
「うん」
アルドレンは端末を置いた。
「造船所に発注すれば造れる。だが、その金を共和国の予算から出すには、元老院で決めなければならない。他の仕事に使う金との調整も要る」
「お父様が頼んでも?」
「私も元老院へ出て、意見を言うことはできる。だが、一人で決めることはできない」
シーアはパンを持ったまま、父の手元を見た。
「サーティネイニアンの船なら、増やせるんでしょう」
「発注を決めることはできる。その金をどこから出すかも、決めなければならないがな」
「公王なのに、好きにはできないの?」
「公王だからだ」
アルドレンは資料の下から、地方病院の予算要求を引き出した。
「例えば、この設備更新を延期すれば、警備艇を一隻増やせる」
「病院が困るでしょう」
「そうだ。この学校の増築を延期しても、金は出せる」
次の資料を見せられ、シーアは眉を寄せた。
「今度は、子供が困る」
「港の拡張を止めれば貨物が滞る。道路の予算を削れば、古い橋の修理ができなくなる。どの要求にも、金を出してほしい理由がある」
「じゃあ、お金を増やせば……」
アルドレンが息子を見た。シーアは続きを言わず、手元のパンへ目を落とした。
税金という言葉は知っている。けれど、それを口にすれば、誰から、いくら取るのかと聞かれるだろう。取られる人がどうなるかも、考えなければならないはずだった。
「難しいね。船だけ考えちゃ駄目なの?」
「趣味なら、好きなだけ考えろ。国の仕事なら駄目だ」
シーアはパンを食べ終え、父の手元に残った病院の資料を見た。船を増やす話をしていたのに、学校や港や橋のことまで出てきた。どれかを横へよければ済むわけでもないらしい。
まだ、どうすればいいのかは分からなかった。ただ、机に広がっているものが、食事を邪魔する書類の山には見えなくなっていた。
「ねえ、お父様」
「今度は何だ」
「みんなが、僕を姫王子って呼ぶんだ」
アルドレンの手が止まった。傍らで食器を整えていたセレナが、窓の方へ顔を向けた。
「そうか」
「知っていたの?」
「ああ」
「だったら、止めてよ」
「嫌なのか」
シーアは答えようとして、考えた。女の子と間違えられるのは困るし、公子なのに姫と呼ばれるのも変だった。ただ、悪口として言われているわけではないことも分かっていた。
「王子なのに、姫なんておかしいでしょう」
「なら、そのたびに訂正すればいい」
「お父様が禁止した方が早いよ」
「私が禁止すれば、皆、口には出さなくなるだろうな。心の中では、姫王子と呼ぶだろうが」
シーアは嫌そうな顔をした。
「そっちの方が嫌だ」
「では、諦めろ」
「ひどい」
「統治とは、何でも命令してよいという意味ではない」
「今、その話をするの?」
「ちょうどいい」
父は資料へ目を戻した。セレナの肩が震えていたので、シーアはそちらを指した。
「セレナ、また笑っている」
「いいえ」
「今日、二回目だよ」
「数えていらしたのですか」
「今ので三回」
⸻
午後、シーアは宮殿の外へ出た。
セレナと二人の護衛が一緒だったが、それでも街へ出るのは好きだった。宮殿前の広場を抜ければ、行政棟の隣に店や集合住宅が並び、学校の前を通って交通ターミナルへ向かう人々の姿が見えた。
頭上を公共輸送艇が横切った。そのさらに高いところでは、貨物船が軌道へ向けて上昇している。造船施設へ行くのだろうかと見上げると、隣から声がした。
「前を御覧ください」
「見えているよ」
「上を向いていらっしゃいますが」
「セレナがいるから、大丈夫」
「私を衝突防止装置にしないでください」
広場の端では、同じくらいの年頃の子供たちが遊んでいた。一人がこちらに気づき、隣の子の袖を引いた。顔を寄せて何か囁き合っているのを見て、シーアは嫌な予感がした。
「姫王子!」
「ここでも?」
護衛の一人が横を向いた。子供たちは逃げるどころか、手を振りながら近づいてきた。
「本物だ」
「何の本物?」
「姫王子」
「だから、王子だってば。どうして姫がつくの」
子供たちは顔を見合わせた。呼び名の理由までは考えていなかったらしい。一番小さな女の子が、ためらいがちに答えた。
「きれいだから?」
シーアは困った。そう言われると、怒ることもできなかった。
「ありがとう」
「ほら、姫王子だ」
「今のどこが?」
子供たちが笑い、シーアもつられて笑った。そのまま立ち話になった。学校のことや、近くのパン屋が値上げしたこと。昨日、港の方で大きな船を見たという話になると、一人が、自分の父親は軌道造船所で働いているのだと言った。
「僕も昨日、司法軍の船を見たよ。ドレッドノート級」
「ああ、あのでかいやつ」
少年の一人が頷いた。それで通じたのが嬉しくて、シーアは続けた。
「あの基地には三隻いるんだ。でも、一隻は別のところへ行っていて、もう一隻は整備中だから、今ここにいるのは一隻だけ」
「じゃあ、一隻じゃん」
シーアは瞬きをした。
「そうなんだよ」
「でも、何かあったら帰ってくるんでしょ?」
「たぶん」
「いつ?」
帰還の予定までは聞いていなかった。シーアが首を振ると、少年は同じ結論に戻った。
「じゃあ、一隻じゃん」
「そうだね」
シーアは笑った。昨日からあれこれ考えていたことを、目の前の少年は、ずっと簡単に受け止めていた。
遠くのターミナルへ輸送艇が降りていく。その向こうでは、行政棟の屋上にサーティネイニアンの旗が揺れていた。子供たちの話を聞いていると、朝、父の机にあった資料が思い出された。学校の増築も港の拡張も、あの部屋の中だけで終わる話ではなかった。
「殿下。そろそろ戻りましょう」
セレナに呼ばれ、シーアは頷いた。
「じゃあね」
「またね、姫王子!」
「王子!」
訂正してから、セレナのところまで走った。彼女は近づいてきたシーアの髪を見て、頬にかかった一房を払った。
「走ると髪が乱れます」
「いいよ、このくらい」
「姫王子が台無しです」
「セレナ!」
⸻
夕方、公王宮へ戻っても、アルドレンの会議は続いていた。執務室の前を通ると、開いた扉の隙間から声が聞こえた。
「軍務局の要求をそのまま認めれば、公共輸送の更新が遅れます」
「しかし、沿岸警備の空白も看過できません」
「今年度中の追加建造ではなく、既存艇の改修で対応することは……」
シーアは足を止めた。朝、廊下で会った男たちも、まだ中にいるのだろうか。警備艇を一隻増やすにも、これほど長く話さなければならない。
父が命令すれば、発注はできるのだろう。だが、その後も病院や学校には金が要り、公共輸送の艇も古くなる。朝の「公王だからだ」という言葉が、今は少し分かる気がした。
振り向くと、セレナが何も言わずに待っていた。
「行こう。邪魔をしたら怒られる」
「賢明でございます」
自室へ戻る途中、シーアは窓辺でまた足を止めた。夕暮れの空を、一筋の光が上昇している。軌道へ向かう船を見送りながら、隣のセレナへ尋ねた。
「クアットには、船がたくさんあるんだよね。すごく大きな造船所も」
「ええ。銀河でも有数の造船所がございます」
「見てみたいな」
「そうおっしゃると思いました」
シーアはすぐに振り向いた。
「行けるの?」
「私に決定権はございません」
「じゃあ、お父様に聞いてみる」
「本日はおやめください」
セレナは背後の会議室へ目を向けた。
「警備艇一隻で、あの有様です」
「ああ……」
シーアも廊下を振り返り、納得して頷いた。窓の外へ目を戻した時には、船の光はもう見えなくなっていた。
クアットの名は、もちろん知っている。造船所も、そこで造られる船も、ホログラムで何度も見ていた。けれど、実物を見たことはない。あの巨大な船体が組み上がっていくところを、自分の目で見たかった。
それだけで、シーアには十分な理由だった。
「殿下。夕食のお時間です。その前に、髪を直しましょう」
「このままでいいよ」
「いけません」
シーアが不満そうに見上げると、セレナは当然のように続けた。
「姫王子ですから」
「だから、僕は王子だってば!」
声が廊下に響き、少し離れたところにいた侍従が顔を伏せた。シーアは笑いを堪えているのを見つけたが、もう訂正する気にはならなかった。
明日は父に、クアットへ行きたいと頼んでみよう。
今は、そちらの方が大事だった。