終生のライバルに負けたオレ。女になってそいつの嫁になりました ~死んだことになった元公爵令息と、救国の英雄の辺境新婚生活~ 作:APP3
「これ、どんだけ登るんすかねぇ……寒いし足場悪いし」
「もう少しの辛抱ですよ」
ボヤくレックスをクラウスが励ます。
ルプスノア峰の中腹。
カイルはあの後、一度領地に戻って考えをまとめると言い、クラウスへの返答を保留した。
そして今、カイルたちはクラウスに先導されながらある場所へと向かっていた。
「見えてきました! あそこです!」
クラウスが指差した先、そこにあったのは大きな洞穴。
木枠で補強されたそれは、坑道の入り口だった。
「ここが、魔晶石を発掘していた坑道です。そして──」
「──一夜にして、作業員と、ここらに住む住民全員が姿を消した場所です」
その言葉に、辺りは静まり返った。
カイルは何も言わず辺りを見渡す。
よく見ると、雪に埋もれて分からなかったが、木造の建物があったと思しき跡があちらこちらに点在しており、それなりの規模の集落があったのだと分かる。
「勿論捜索隊を出しました。ですが、誰一人として帰ってくるものはいませんでした」
「そして、その捜索隊を率いていたのが、兄でした」
クラウスは坑道の前に立ち、槍を突き立てる。
「この山に住むのは、野生動物のほかには厄獣であるスノウウルフしかいない。だから、スノウウルフがこの坑道を住処にしており、住民たちは襲われたのだと考えました。そして、その後坑道へ入った兄たちも、同じように……」
「兄の失踪を知った日から、父はおかしくなりました。毎日のように兵を連れて山へ入り、スノウウルフ狩りを繰り返しました。少なくない犠牲が出て、領地が痩せ細っていくのを目の当たりにしても」
クラウスは振り向き、へにゃりと顔を歪ませ、笑みを浮かべようとする。
「すみません……こんな話をしたいわけじゃなかったのに」
「気にしないでくれ」
カイルはクラウスの横に立ち、肩を軽く叩く。
大切な人を失った気持ちも、何かを恨まなければ前に進めない気持ちも、よく分かる。
「辛いことは辛いと言えばいい。俺でよかったら、いくらでも話を聞くよ」
「……っ! ありがとう、ございます。カイル卿は優しいんですね」
言葉を詰まらせながらも感謝を口にするクラウス。
その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
──俺が貴族じゃなかったら、俺がシルヴァレイン領の領主にならなかったら、剣を振るい、スノウウルフを打ち倒していたのだろうか。
カイルは腰に下げた剣に目をやる。
多分、彼らの力になっていただろう。
何故なら、それが一番手っ取り早く事を済ませられる方法だからだ。
何も考えず、ただ指示に従う。
それがどれだけ楽なことなのか、貴族になって改めて理解した。
──本当に、ままならないな。
カイルは、剣の柄を握りしめた。
◯────
「どういうことだ!! カイル卿が明日には帰るだと!?」
執務室に、花瓶が割れる音が響く。
荒い息を吐く青髪の中年の男、オスカーは吠える。
「
「……カイル卿は、一度領地へ戻り、皆と話し合うと」
「そんなもの方便にすぎん! 何故わからん!? クラウスならばわかっておったわ、この無能が!!」
割れた花瓶の前、額から血を流していたのは、クラウスと名乗っていた女──クラウディアだった。
「…………」
「もっ、もしやそうやって領地を追い込み、この私を当主の座から引きずり下ろすつもりだな!? 貴様なんぞにこの家は継がさんぞ!! この家を継ぐのはクラウスだ!!」
「……兄上はもういません」
「黙れ! この馬鹿娘が!!」
オスカーはクラウディアを突き飛ばす。
よろけたクラウディアは尻もちをつく。
その拍子に、整えていた前髪が崩れ、クラウディアの目元を隠す。
「あっ、あぁ!! クラウス、大丈夫か!? 怪我はないか!? 血が出てるではないか! 誰か、医者を呼んでくれ!」
「……父上、僕は大丈夫です」
「安心しろ! この領地はカイル卿がきっと救ってくれる!!」
「僕はこれにて失礼しますね」
クラウディアは父を宥め、立ち上がると部屋を後にする。
部屋から出ると、心配そうに駆け寄ってくる兵士たちと使用人たち。
「大丈夫でしたか、お嬢様!」
「血が! 今押さえますからね!」
「大丈夫。自分でやるよ」
使用人からハンカチを受け取り、額を押さえながら部屋の前から離れると、ぞろぞろと周りの皆がついてくる。
「もう我慢なりません! 子爵様にはほとほと愛想が尽きました! 今すぐこの領地から追放してお嬢様が継ぐべきです!」
「そうです! 私たち家臣は皆、お嬢様に従います!!」
「滅多な事を言うんじゃない。父は疲れているだけなんだ」
次々と口にされる、オスカー卿への怨嗟。
クラウディアが止めようとするも止まらない。
「それに、カイル卿がスノウウルフを打ち倒してくれればきっと──」
──元の偉大な父に戻ってくれる。
そう口に出そうとしたが、口を噤んだ。
結局のところ、カイル卿の力が必要不可欠なのだと思うと、自然と額をハンカチで押さえる手に力がこもった。
でも、それでも──カイル卿を利用しなければ、救われない。
ハンカチから染み出た血が、クラウディアの頬を伝った。
◯────
「団長! いつでも出発できますよー」
ハルデンベルク邸の門前、カイル一行はハルデンベルク領を離れる支度をしていた。
レックスの合図を聞き、カイルは手綱を握り直す。
そして、出発しようとしたその時、
「お待ちください! カイル卿!!」
一人の兵士が飛び出してきた。
「一体どうしたんだ?」
「ク、クラウス様が、朝一番に手勢を引き連れてルプスノア峰へと向かったのです!! ──カイル卿と共にスノウウルフ狩りをすると言って!!」
カイルの背筋を、嫌な汗が伝った。
「はぁ? 昨日、今朝には帰るって言いましたよね?」
「聞きましたとも! だからおかしいと思ったんです!! カイル卿は何か知りませんか!?」
レックスが兵士に詰め寄るも、兵士も額に汗を浮かべ、困ったようにカイルを見つめていた。
──クラウス君。君は、本当に……
「…………レックス、隊を連れて自領に帰還しろ。そして、事情をルーシーに伝えてくれ」
「団長!? 何言ってんですか! こんなの向こうの事情じゃないですか! まともに相手する必要ないですって!」
「──レックス。任せたぞ」
「ッ!! 知らないですからね?」
レックスは自身の馬に飛び乗り、困惑する周囲の戦士たちをまとめ、門前を後にする。
「クラウス君の向かったところへ案内してくれ」
遠ざかっていく一行の背を見送りながら、カイルは兵士に頼む。
「……申し訳ありません、カイル卿。こんなことになってしまって。ですが、こうでもしなければ──」
「──言わなくていい。俺が決めたことだ」
「……はっ。カイル卿、こちらです」
兵士も馬に乗り、カイルを先導する。
カイルもその後を追い、馬を走らせる。
──これは罠だ。
クラウス君の仕掛けた、罠とも呼べないような穴だらけの。
この場にいたのがルシアンだったら鼻で笑ってそのまま帰るよう促していただろう。
俺に向けた、俺にしか効かない罠だ。
だから、俺一人で行く。
戦士隊を連れて行けば、それはもう個人としてクラウスを追う話では済まなくなる。
「やってくれたな……」
カイルの苦い呟きが、馬の蹄の音に重なった。