1.人生意気に感ず
――――とある日の夜。ロアナプラで損壊率ナンバーワンを誇る大衆酒場、イエローフラッグはこれまでにない異様な雰囲気に支配されていた。
いつものようにジョッキやグラスを片手に大声で叫び散らすチンピラも、テーブルの上に置いてある拳銃にすぐ手が伸びてしまう短気な若者も、いつもの騒ぎっぷりが嘘のようになりを潜めてしまっている。
店内に響くのは椅子が動く音とグラスをテーブルに置く音、そして店主のバオが動き回る音だけ。酒場とは思えない静けさに包まれている。
チンピラどもが一様に大人しくしている原因は、カウンター席に並んで座る二人にあった。
どういうわけか十席以上あるカウンター席にはその二人しか座っておらず、近くのテーブル席に着いていた男たちは心なしか顔色が悪い。
カウンターに座っているのはグレーのジャケットを羽織った東洋人と、右目の上から左頬にかけて斜めに走る傷を持つ大男。
ウェイバーとボリス。
この街にある程度住む人間なら知らぬ人間はいない、特一級の危険人物たちである。
そんな二人がどうしてこの酒場に居るのか。いや、百歩譲ってウェイバーだけがいるのならまだ分かる。彼は基本的に酒を飲む際はイエローフラッグかカリビアン・バーだ。この店の常連ともなれば彼が出没するのは知っているし、遭遇してしまった時の心構えも出来ている。
だが彼の横に座る男、ボリスが此処に居るのはどう考えてもおかしい。
彼はホテル・モスクワの幹部、バラライカの側近でありタイ支部の実質ナンバーツーだ。そんな彼がイエローフラッグで酒を飲んでいる所など、街の人間は今まで見たことがない。
これから一体なにが起ころうとしているのか。まさかこんな所で戦争が始まったりしないだろうなと、店内のチンピラたちは気が気でない。
ウェイバーとホテル・モスクワは黄金夜会に名を連ねるメンバーである。故においそれと対立などしないだろうが、古くからロアナプラに住んでいる輩は十年前の大抗争を知っている。街の五分の一を壊滅に追いやったあの戦争を知るからこそ、何が起きるか不安で仕方がないのだ。出来ることなら今すぐにでもこの場から離れたかった。
と、そんな周囲の心配を他所に、当の本人たちは思い思いの酒を手元に話に華を咲かせていた。
「それにしても良かったのか? こんな大衆酒場なんかで」
「私は貴方がよく行くという酒場に行ってみたかったのですよ」
ウェイバーの手元にはウォッカ、ボリスにはスコッチウィスキーが其々置かれている。
「悪かったな、こんな酒場でよ」
「そう睨むなよバオ。常連客の小粋なジョークだ」
「オメエ今度店ぶっ壊したら向こう三年は出禁にすっからな」
修復されて間もないイエローフラッグはまだどこにも銃痕が無い。そのうち多くなっていくだろうが、ウェイバーが関わると一瞬で半壊以上の被害が出るのだからバオからすれば溜まったものじゃない。もうこれ以上は破壊されないようにと、今までカウンター席の壁のみだった防弾仕様が店内の壁全面に施されている。
「まあまあ、今日はそんな話するために来たんじゃねえんだよバオ」
「そりゃバラライカんとこの右腕連れてくるくらいだからな。何だ、まさかここで戦争おっぱじめる気か?」
だったら今すぐ出て行け、と告げるバオに苦笑を浮かべるウェイバー。
一方で周囲の男たちはカウンターで行われる会話に耳を傾けていた。どんな会話が行われるのか非常に気になるのだ。
「て言っても特にこれといった話があるわけでもなくてな。たまたま通りで見かけたから飲みに誘っただけだ」
「私を飲みに誘うなんてウェイバーさんくらいですがね」
そりゃそうだろ、と周囲のチンピラたちの心の声が一つになる。
「バラライカと飲むとなるとグルジアワイン持ってかにゃならんしな」
「大尉はあのワインが好きですから」
「飲みすぎなんだよあいつ。ワインセラーに一年単位で置いてあんだろ。自分のがあるのに持ってこさせるんだからな」
「貴方と飲むのを楽しみにしているのだと思いますよ。大尉と一対一で酒を飲むなんて他の人間には不可能だ」
「そんなことないだろう」
言ってウェイバーはグラスに残った酒を一息に飲み干す。
それを見てボリスはボトルを傾け、空いたグラス半分まで注ぐ。
「ウェイバーさん。いい機会ですから、一つお願いを聞いていただけないでしょうか」
「ん? お願い? 依頼じゃなくて」
「そこまで堅苦しいものではないのです」
テーブルの上で指を組み、ボリスは口を開く。
「近々我々はロアナプラを離れます。その際、同行してはもらえないだろうか」
「日程は?」
「二週間ほど先です」
「悪いな。その時期は丁度俺も街を離れてる、依頼が入ってんだ」
「そうですか。すみません、この件は忘れてもらって構いません」
ロアナプラを離れ何処へ行くのか、それが周りの人間たちは気になったが、ウェイバーもボリスもそのことに触れようとはしない。組織の仕事に関係しているのだからそれも当然だ。こんな人の目がある所で不用意にする話でもない。それをボリスも自覚しているのか、それ以上この話を続ける気は無かった。
「しかし、こうして二人で酒を飲むなど昔は思いもしませんでしたな」
「俺もだよ」
「十年前は命を取り合ったというのに、分からないものだ」
「取り合ってねえよ一方的にお前らが取りに来てたんだろーが」
「我々がこの街で総力を上げて潰しにかかったのは、あの時だけです」
潰すどころか跳ね返されましたが、とボリスは小さく笑う。
「大体お前ら頭おかしいだろ。しがない男一人に
「我々が勇者ですかな」
「分かってて言ってんだろお前」
「俺からすりゃどっちも魔王だよクソッタレ」
グラスを磨きながら呆れるバオの意見に、これまた全面同意の周囲一同。ここまで気持ちが一つになるのは後にも先にもこれっきりかもしれなかった。
スコッチウイスキーを飲み終えたボリスはバオにラムを注文。次いでウェイバーがバーボンを注文する。手際よく棚からボトルを取り出しテーブルに置いたバオに一言礼を言って、二人はそれを新たなグラスに注いでいった。
「ま、夜は長いんだ。積もる話もあるだろうし、今日は朝まで付き合ってもらうぞ」
「勿論です。私も聞きたいことがありますから」
どうやら二人は朝まで飲み明かすつもりらしい。
これは今日は早めに切り上げたほうが身のためだろう。そう思い至った周囲の男どもは、手元にあったアルコールを飲み干してこそこそとイエローフラッグを後にする。
そんな背後の動きを一切気にすることなく、ウェイバーとボリスの二人は他愛のない話を肴に酒を呷り続けた。
2.雉も鳴かずば打たれまい
「……とうとう辿り着いた。ここが、この街が、世界屈指の悪の都。世界中の大悪党が軒を連ねる無法地帯、ロアナプラ……!」
港の一角に停止した小型のボートから勢いよく飛び降りて、男は目の前に広がる街を見渡した。
「本当に良いのか? ここは警察だって迂闊に手を出せない正真正銘の悪の巣窟だぞ。言っちゃ悪いがお前さんみたいな一般人が足を踏み入れていい場所じゃねえ」
小型ボートの操縦士がそう言うものの、男は手を挙げて口元を吊り上げる。
「心配すんなおっちゃん、俺は堅気じゃねえ。後ここまで送ってくれてありがとよ」
そう言って、足元に置いた荷物を肩に掛ける。
そのまま街に向かって歩き出す男の背中を見つめながら、操縦士は怪訝そうな表情を浮かべた。
「……ホントに分かってんのか? ここは、
操縦士の呟きなど、当然男の耳には届いていない。
男は周囲の風景をきょろきょろと見ながら歩いていく。周囲の人間が見ればそれだけでこの男が余所者であることが分かるだろう。幸いにして街の外れにあるこの港付近にはたまたま居なかったので、観光客のような行動を見られずに済んだが。
男は足取り軽く、鋪装されていない悪路を歩いていく。
今にも歌いだしそうなほどに上機嫌な男の名は、英一と言った。
日本生まれ日本育ちの彼は今年で二十四歳。犯罪歴は強盗、放火、殺人未遂の前科三犯。札付きの悪党だ。それは本人も自覚していた。元は関東地方に拠点を置く組に所属していたが、トカゲの尻尾切りにあい国外へと追われたのだ。
だがそのことを英一は特に気にしてはいなかった。
組に裏切られたのは腹立たしいが、この街でまた一旗上げればいいと気楽に考えていたのだ。
よく言えば前向き、悪く言えば単純な思考回路を持つ彼は、この悪党集うロアナプラで高い地位を手に入れようと考えていた。
悪党と言えども当然その程度はピンからキリまで存在している。同じ犯罪という括りにあっても万引きと殺人の罪が違うように、悪党と言われる人間の中にも品質が存在するのだ。
ナイフや拳銃の使い方は熟知している。
使う武器が同じなら、後は使用者の腕次第。
ロアナプラという街は弱肉強食の世界。弱者は淘汰され、真に強い人間だけが生き残る。そう聞いていた英一は、少しの不安と大きな期待を胸に歩を進める。
例え凶悪な殺人犯であっても、英一は相手にできる自信があった。海外ドラマで見るようなスラムの殺伐とした殺し合いや西部劇に出てくるような撃ち合いを想像して、彼は逸る鼓動を抑えることが出来ないでいた。
「……やっぱ外人ばっかだな。黒人白人勢揃いってか」
メインストリートに近づくにつれ、ちらほらと露店や人間の姿が見られるようになる。
道の脇でよく分からない果実を並べる老婆から、明らかに凶器となるだろうナイフを売る怪しい男、屈強そうな大男など、その人種は実に様々。
映画やドラマのワンシーンの中のようだと思った。
ここで一度英一は思考をリセットさせ、改めてこれからどうするかを考える。
(先ずは拠点を作らなくちゃな、いやそれよりも先に情報収集か。新鮮な情報は生きてくための生命線だ。なるべく多く人間が集まる場所で話を聞きたい。となると酒場か、こんな昼間からやってっかな)
考えごとをしながら歩いていると、視線の先に酒場らしきものを発見した。
距離が少し離れているにも関わらず、店内からは賑やかな声が聞こえてくる。英一は軽い足取りそのままに、その酒場へと向かっていった。
ガラン、と入口の扉が前後に揺れる。
店内に足を踏み入れた英一は、飛び込んできた光景に思わず生唾を飲み込んだ。
テーブルの上に無造作に置かれた拳銃、突き立てられたナイフ。その所有者たちだろう男たちは、皆一様に『俺たち凶悪犯』ですという顔付きをしていた。
日本の極道と呼ばれる人間たちは、基本的に衆人環視の前で得物を抜くことはない。
が、ここに居る人間たちはそれがさも当たり前かのように、堂々と自らの得物を晒していた。
英一が酒場に入ってきたことで、店内の男たちの視線が一斉に彼へと向けられる。
(いかんいかん。こんなことで緊張してたらこの先やっていけねーぞ俺。ポーカーフェイス、クールに行こう。こいつらの視線なんか気にしたら負けだ)
男たちの視線を掻い潜り、なんとか英一はカウンターに座ることに成功した。カウンターを選んだのは店の人間からこの街のことを聞くためであり、決して背後の男たちが怖かったからではない。多分。
店主は英一に一度だけ視線を向け、僅かに眉を顰めた。
「……見ねえ顔だな。東洋人か、まさかウェイバーの関係者じゃあねえだろうな」
流暢な英語に、英一も英語で返す。
「日本人だ。それと、ウェイバーって?」
「あん? ウェイバーを知らねえってことはオメエ余所者だな」
一発で余所者だと見抜かれたことに内心で驚く。それほどウェイバーなる人物はこの街で有名なのだろうか。
「この街にはさっき着いたんだ。一旗上げてやろうと思ってね」
「ハッ、やめとけ小僧。オメエなんかがこの街でのし上がろうなんざ無理な話だ」
「なんでだよ、俺だって悪党だぜ。弱肉強食、それがこの街の真理なんだろ?」
「人間を撃ったことはあんのか?」
「あるよ、五人とか」
「話にならねえ」
頼んでもいないビールを英一の目の前に乱暴に置いて、浅黒い肌の店主は続けた。
「ここじゃ人殺しなんざ毎日だ、人間相手に的当てした数なんか十や二十じゃ足りねえよ。そこいらのチンピラでだ」
「……なら、人を撃ちまくればいいのか?」
「馬鹿か。んなことしたら黄金夜会が動いてオメエ一晩でお陀仏だぞ」
「黄金夜会?」
「ここを仕切ってるマフィアどもだよ」
マフィア、という言葉に英一は考える。極道の海外版という考えしか浮かばなかったが、ロアナプラを仕切っているというのだからきっと大規模な組織なのだろう。ならば手始めに、そのマフィアたちと懇意になるところから始めるのはどうだろう。ロアナプラでそれなりの地位につくためには、その黄金夜会とやらとの接触は避けては通れない。どうせ避けられないのならばこちらから接触し、コネクションを作るのだ。
おお、俺冴えてんな、と英一は内心で舞い上がる。
「なあ、その黄金夜会って奴らにはどこで会える?」
「……何考えてんのかは知らねえが、うちはそのメンバーの一人が常連だ。待ってりゃそのうち来るんじゃねえか」
「そっか。なら待たせてもらおうか」
「グラスが空いたら次を頼め。そうすりゃ長居も許してやる」
そんな訳で酒場で待つこと数時間。
唐突に酒場の空気が変わったのを、背中を向けたままの英一も感じ取った。
(……? なんだ、今までバカ騒ぎしてた連中が急に静かになりやがった)
訝る英一の心情を察してか、店主が溜息を吐きつつ説明してくれる。
「アイツが来るといつもこうなんだ。気にすんな」
「あいつ?」
疑問を口にする英一の二つ隣に、自身と同じ顔立ちをした男が座る。
その男を横目に見て、無意識のうちに目を見開いていた。日本人だ、この街で初めて見る自分以外の日本人。完全アウェーのような状態の中にあって、見ず知らずとは言え同じ日本人がこの空間の中にいてくれることは英一にとって何よりも心強かった。
自然、彼は席を一つ横にずらし男の隣へと移動する。
ざわり、と背後でどよめきが起こった。
そのことを大して気にも留めず、英一は日本人らしき男に話しかける。
「なあアンタ。日本人だろ?」
敢えて日本語で話しかけてみる。
ざわざわ! と先程よりも更に大きなどよめき。店主も鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
英一の話す日本語に、男は顔を向けて反応した。
「驚いたな。日本人か」
「ああ、あんたと同じ日本人さ。いやー良かった、実はさっきこの街に着いたんだけど、周りは強面の外人ばっかで正直アウェー感が半端なくてよー」
「確かにな。でも外見だけで判断するのは早計だ、根は良い奴だって中にはいる」
そんな男の意見に、英一はオイオイと肩を竦めた。
「あんた本気で言ってんのか? ここはロアナプラだぜ? 世界でも一級の危険地帯。そんな場所に好き好んでのさばってる連中が善人なわけないだろう」
まあ、斯く言う俺もそこそこの悪党なんだけどな、と付け加える。
その言葉に、男は苦笑を浮かべるだけだった。
「そうだ、なあアンタ。良かったら俺と組まないか? 見たとこ一人みたいだし、同じ日本人同士仲良くやろうぜ」
「ん? ああ、悪いな。俺は鉄火場に立つのは好きじゃないんだ」
「そうなのか? ならここで生きてくのは大変だろ、聞けば人殺しなんて毎日らしいじゃん」
それでこそ悪徳の都か、と英一は思う。
隣の男はこの街に長いこと居るようだが、本人も言うように殺し合いは苦手なのだろう。見てくれは普通の男性でしかないし、きっと望まずロアナプラに流れてきたのだろうと推測する。
「ていうかさ、多分アンタが来た途端後ろの連中が大人しくなったんだけど、一体どうなったんの?」
「そうか? ここはいつも静かだぞ」
首を傾げる男は、テーブルに置かれたビールを一気に三分の二ほど飲み、つまみのナッツを口に運んでいる。
「アンタ、ここに来て長いの?」
「それなりに」
「だったらさ、黄金夜会っての知ってるよな」
「まあな」
「そいつらのとこに俺を連れてってくれねえ?」
ピタリと、ナッツを口に運ぶ男の手が止まる。
「……どうしてだ?」
「いやさ、俺この街でのし上がりたいんだ。俺を切りやがった組への当て付けもあるけど、やっぱ男に生まれたからには自分の力を試してみてーじゃん?」
アルコールが少しずつ回ってきたのか、英一の口からはぽつぽつと本音が溢れ出す。
「犯罪都市、かっけーよ。俺もそんな中でビッグになりてえ。そのためには先ずトップとコネを作んなくちゃダメだと思うんだ。なあ、そう思わねー?」
「――――俺は」
男の言葉は、最後まで紡がれる事は無かった。
英一の声しか存在しなかった店内に、蹴破らんばかりの勢いで扉の奥からやってきたのは二メートルはあろうかというスキンヘッドの大男。その後ろには同じくガタイの良い二人の男が続く。
乱暴な扉の開け方に、店主が怒号を放つ。
「やいテメエ! もうちっと丁重に扱いやがれ! 先週直ったばっかりなんだぞ!」
だが入ってきた男はそんな店主の言葉など聞かず、店内を見渡して。
「ここにウェイバーっつう男が居るって聞いたんだが、どこのどいつだ?」
その言葉に、元からいた店内の殆どの人間が硬直する。
因みに硬直していないのは英一、店主、英一の隣の男だけである。
数秒後、男の言葉を受けて店内が俄かにざわつき始める。
『なんだアイツ他所モンか?』『死んだな』『たまに居るんだああいう自殺志願者が』『オイこっから離れたほうがいいんじゃねえか』などと各テーブルで口々に言い合い始める。
そんな周囲の反応が気に食わなかったのか、スキンヘッドの男は無言でホルスタから拳銃を抜き、天井に向かって発砲した。
ざわめきが消える。
「もう一度聞くぞ。ウェイバーってのはどこのどいつだ」
「なあオイ、ウェイバーって東洋人なんだろ。あのカウンターに座ってるのそうなんじゃねえか」
後ろに立っていた男の一人が、カウンターに座る英一へと視線を向ける。
おいおいマジかよ、と内心で冷や汗が止まらない英一。いきなり発砲するような男を前に完全に萎縮してしまっていた。そんな彼の目の前に、大男はやって来る。
「お前がウェイバーか?」
「え、あ、いや……」
「オイこいつブルってんぞ。こんなのがあのウェイバーなわきゃねえよ」
「違いねえ」
目の前で笑われるも、英一は懐に隠した拳銃を抜くことが出来なかった。
単純な話、一対三で戦って勝てると思わない。それに加え、身体の大きさからして違う相手を前に少なからず恐怖していることもあった。
情けない。あれだけの事を言っておいて、いざ実際にこうした場面に遭遇した途端にこれだ。人を撃ったことはある。だがそれは急所以外を狙った、謂わば不殺の発砲。目の前の男たちのように命を奪うための銃を握ったことが無い英一は、手を動かすことが出来ないでいた。それが両者の大きな差だ。
どうする。この場面で、どう動けばいい。
軽いパニック状態に陥る英一。そんな彼と男たちとの間に、するりと割って入る男の姿があった。
「あんまり弱い者虐めをするなよ。程度が知れるぞ」
そう言ったのは、今しがたまで横で酒を呷っていた日本人の男。
思わず英一は声を荒げる。
「バカ、やめろ! アンタこういうの苦手なんだろ!」
後ろに下がらせようと男の腕を掴む。
そして感じる違和感。
「っ!?」
男の腕は、鋼のように鍛え上げられていた。
ぎょっとする英一を尻目に、三人の男たちは薄ら笑いを浮かべている。
「おいおいまた東洋人か、仲間を助けようってか? 泣かせるじゃねえか」
その言葉に反応はせず、男は徐にジャケットのボタンを外した。
瞬間、誰かが息を呑む音がやけに大きく響いた。どういう訳か他の客たちは頭を守るように頭上で指を組み、店主はカウンターの奥へと消えていく。
そして。
気が付けば、男の抜いた拳銃がスキンヘッドの男の顎に押し当てられていた。
「っ!?」
驚愕したのは英一と三人の男たち。
何が起こったのか理解が追いつかない。瞬きの間に、日本人の男は全てを終えていた。
銃口を突き付けたまま、流暢な英語で彼は言う。
「鉄火場は好きじゃないが、苦手なわけじゃない」
お前の眼には俺の動きが見えたか? そう彼は問い掛ける。
「お、お前が……」
「俺のこと捜してたんだろ。で、どうするんだ。まだやる気があるならこのまま鉛玉をくれてやる。この状態なら、どうやったって俺のほうが早いだろうぜ」
「わ、分かった。大人しく引下がる。もうこんな真似はしねえ」
「お前ら新参者だろ。郷に入っては郷に従え、この街の鉄則だ」
それだけ言うと日本人の男、ウェイバーはリボルバーをくるくると回しながらホルスタに戻した。
三人の大男たちは逃げるように酒場から出て行く。
そんな光景を眼前にして唖然とする英一は、だらしなく口を開けたままウェイバーの方を見ていた。
「終わったか?」
「ああ、悪いなバオ」
「今回は店が無事だっただけ良しとしてやる。天板も防弾仕様にしといて良かったぜ全く」
「入口のドアも鋼鉄製にしとくか?」
「重くて開けられねえよバカ」
カウンターの奥から出てきたバオの言葉を皮切りに、店内の客たちも静けさはそのままに酒盛りを再開する。
「あ、アンタ、もしかして強い人?」
「あん? オメエ何も知らないでウェイバーに話しかけてやがったのか? 黄金夜会がどうとか言ってっから、てっきりゴマすりしてんのかと思ってたが」
「……?」
いまいち要領を得ない英一に、バオは至って平静に告げた。
「こいつはウェイバー。オメエが探してる黄金夜会のメンバーだよ」
「…………はあぁぁああああッ!?」
「今ので分かったろうが。ここで成り上がるにゃあウェイバー並の技量がいる。オメエじゃ無理だ」
「おいそこまで言うことないだろ。彼にだって秘められた才能が」
「無えよ。さっきの半端者三人にブルってんだぞ」
ウェイバーとバオの会話など、英一は聞いちゃいなかった。
確かに驚いた。ウェイバーという名前で日本人だということにも驚いたが、まざまざと見せ付けられたあの銃捌き。これまで憧れの人間など存在しなかった英一だったが、今この瞬間。憧憬を向ける人物を見つけた。
ロアナプラにやって来たのは間違いではなかった。こうして彼と出会うことが出来たのだから。
黄金夜会に取り入ることなど最早念頭にない。どうすれば彼のようになれるのか、頭にあるのはただそれだけだ。
単純な思考回路を持つ英一が出した結論は至極単純なもの。それは。
「ウェ、ウェイバーさん! 俺を弟子にして下さい!」
「悪いな。俺弟子とか取らないから」
即座に断られた。
「オメエ今家に銀髪置いてんだろ」
「あれは弟子じゃない。俺を狙う殺し屋だ」
「変わんねえよどうせ殺せやしねえんだから」
「バオさ、俺のことサイボーグか何かと勘違いしてないか。撃たれりゃ痛えし出血が酷けりゃ死ぬんだけど」
「考えたこともねえ」
傍らで続く会話を他所に、英一はぐっと拳を握った。
諦めてなるものか。何がなんでもウェイバーに弟子入りし、自分の力を磨くのだ。ただこの街で上に行くことだけを考えていた英一に、ここではっきりとしたビジョンが浮かび上がる。
そのために、どんな手を使ってでも彼の弟子になる。
そんな決意を固めた英一が後日ウェイバーのオフィスに向かうも、事務所には誰も居なかった。
3.鬼面人を嚇す
「…………」
「…………」
重い。ただひたすらに、空気が重い。
ラグーン商会の事務所に、目に見えないどんよりとした重苦しい空気が滞留していた。
その空気の発生源は事務所中央に対面に置かれた二人がけのソファ。一方にはレヴィが、反対側にはウェイバーとグレイが座っている。
正面で向き合ったまま一言も言葉を発さない三人に、同じ室内の隅に固まる男三人は恐怖を隠せないでいた。
「ダ、ダッチ。レヴィの顔がまるでジャパニーズハンニャみたいに……」
「焦るなベニーボーイ。まだ慌てる時間じゃない」
「脚震えてるよダッチ」
「そう言うロックもね」
ちらり、と三人はソファの方を見る。そして途端に後悔する。ああ、見なけりゃ良かったと。
レヴィの横顔はこの世のものとは思えない程にドス黒いものへと変貌していた。
と、ここでようやくウェイバーが口火を切る。
「ま、そういうことでこの子は暫くこっちで預かることにした」
「…………」
「銃を向け合った間柄だってのは承知してるが、折り合いを付けてくれると助かる。何も水に流せと言ってるわけじゃないからな」
「…………」
「レ、レヴィ? 何か反応が欲しいんだが」
ウェイバーの言葉に、ついにレヴィは咥えていた煙草を噛み千切って。
「ボスッ! こんな奴置いとくことねえ! 直ぐに殺して捨てちまえばいいんだよ!」
立ち上がり、グレイを指差してレヴィは続ける。
「こいつはボスに銃を向けた! それはあたしの中で越えちゃいけねえ最大の
今にも飛び掛らんばかりの勢いで捲し立てる。
が、当の本人はどこ吹く風とばかりにすまし顔を崩さない。
「まあ怖い。こんなおねーさんなんか放っておいて、帰ってご飯を食べましょうおじさん」
ビキリ、とレヴィの額に青筋が浮かぶ。
「ご飯のあとは昨日みたいに全身をマッサージしてあげる。隅々まで隈無くね」
「てんめえボスの身体に勝手に触ってんじゃねえぇぇええええ!!」
いや、まずマッサージって殺し合いのことなんだけど、とウェイバーが口を挟む隙もない。
グレイもそんな例え方をしなくてもいいだろうに、煽り耐性の低いレヴィは少女の術中にまんまと嵌ってしまっているようだ。
「あたしはなぁ、ボスと一緒にシャワーを浴びたことがあんだぞ!」
「それお前が奇襲かけた時だろ」
「あら、私はおじさんと一緒にお風呂に入ったのよ」
「俺を溺死させようとかなり前からバスタブの底に潜ってたな」
「なん……だと……」
「おい打ちひしがれんなレヴィ。違うからな」
当初の重苦しい空気はいつの間にか払拭され、ウェイバーとどれだけ親密なのかを自慢する流れになっていた。ウェイバーからすれば死ぬほど恥ずかしい話も含まれていたりするが、ロックを始めとするラグーン商会の男衆にとっては有難かった。
「ボスは途轍もなく硬派な男なんだ! 夜あたしが全裸でベッドに忍び込んでも何もしなかったからな!」
「私もおじさんが寝てる間に色々いたずらしたけど何も無かったわね」
「おいバカやめろ何の話をしてるんだお前ら」
ウェイバー本人を目の前にしたまま、二人の戦いはその後小一時間続いた。
最終的にはレヴィも条件付きで渋々グレイの居候を認め、グレイもレヴィの出す条件を呑んだそうだ。
その際隣のウェイバーが目も当てられない状態になっていたが、ロックたちは全力で見なかったことにした。
以下詳細。
1.人生意気に感ず
普段絡みのないボリスさんとおっさんのサシ飲み。たまたま居合わせたイエローフラッグの客はたまったもんじゃない。
ロアナプラの人間視点を少し意識してます。
2.雉も鳴かずば打たれまい
ロアナプラの外からやってきた青年視点。今後彼の登場は未定。
この手の絡まれ方を月一、二くらいでされるウェイバー。
最後事務所に誰もいなかったのは原作軸に沿っているため。
3.鬼面人を嚇す
ブラクラで数少ないギャグ時空。反省はしている。