悪徳の都に浸かる   作:晃甫

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013 GO THE EAST

「ねぇおじさん。そう言えば私、おじさんのこと全然知らないわ」

 

 始まりはそんなグレイの発言だった。

 俺が彼女を自宅に居候させるようになり、先日レヴィとの和解(?)も終えて数日経ったある日の夜。

 いつものように酒を飲みに街へと繰り出した俺の後ろを付いてきたグレイが、酒場の席に着くなりそう言ったのだ。確か今日は連絡会があったような気がしなくもないのだが、どうせ定時連絡だけのつまらない会合だ。そんなことよりも酒が大事である。

 新品同然の木製のカウンター席に並んで座る俺とグレイの前には、忙しなく動き回るメリーの姿があった。ついこの間殺されかけた相手が目の前に居ることに当初は怯えを隠せなかった彼女だが、俺が引き取った旨を話すと意外な程あっさりと納得してくれた。なんでも俺が傍に居れば問題ないらしい。ボディガードか何かと勘違いしてるんじゃないかメリーよ。

 俺の前にジンを、グレイの前にオレンジジュースを手際よく置いたメリーは、今しがたのグレイの発言に乗っかる気満々のようで。

 

「そういや私も昔のことって知らないわね。ここに来たのが四年前だし」

「別に話す程のことなんかないぞ」

 

 ジンの注がれたグラスを傾け、半分程をするりと喉に通す。

 ちらりと隣を見やれば、爛々と瞳を輝かせた銀髪の少女。正面に視線を移せば仕事をないがしろにした金髪のアメリカ人。どうも完全に包囲されたらしい。これは話さないと延々とゴネられるパターンだ。

 

「おじさんはどうしてこの街にいるの?」

「気付いたら立ってたんだ」

「記憶喪失?」

 

 いや記憶喪失でも冗談でもなく。

 

「そういえばウェイバーってさ、いつから黄金夜会に入ってんの?」

「ん? 発足当時からだけど」

「え」

 

 目を丸くしているメリーに、何か変かと返す。が、返ってきたのは間の抜けた生返事だけだった。

 ふむ。別段隠し立てするほどの事でもない。赤の他人にするような話でもないが、メリーやグレイが相手なら俺の口から語るのもいいだろう。

 過去十年間を遡り、ロアナプラでの出来事をゆっくりと思い出していく。

 そうだ、そうだったな。俺が『ウェイバー』となり、黄金夜会の一角にまで数えられるようになるには、幾つもの事柄を経ているのだ。それらの冒頭部分を少し、掻い摘んで彼女たちに聞かせよう。

 今から話すのは、二度目の人生を歩むこととなった俺の十年間の軌跡、その根源。陽の当たる表の世界から欲望渦巻く裏の世界へと、静かに沈んでいく物語。

 全ての歯車が微妙に噛み合わないままに築き上げられた、今の地位に至るまでの悪徳の都での物語だ。

 

 

 

 1

 

 

 

 東南アジア、タイの外れに存在する街ロアナプラ。

 この街は悪の巣窟などと呼ばれ、世界中の人からは忌避され、世界中の悪党からは愛される無法地帯だ。

 俺がそうこの街のことを説明されたのは、いつの間にやらこの地に立っていたあの日から数日経った頃だった。この街にしては珍しい優しそうなオッサンが教えてくれたのだ。どうやら俺のことを観光客か何かと勘違いしていたらしいのだが、今のロアナプラに来るなんて自殺志願者か何かかと笑われた。いや、俺としては全く笑えない。

 何でも今ロアナプラでは各勢力がこの地での利権を巡って血で血を洗う戦いの真っ最中なのだとか。それはもう、天下統一を目指してしのぎを削った戦国時代も真っ青の荒れ具合だ。夜中なのに炎で昼間のように明るいのは日常茶飯事。昨日までそこにあったはずの建物が無くなっていることも多かった。

 これは死ぬ。近い将来必ず死んでしまう。

 そう断言できるほど、当時のロアナプラは荒れに荒れていた。ホテル・モスクワ、三合会、コーサ・ノストラ、マニサレラ・カルテル。今後発足することとなる黄金夜会に名を連ねる大組織が一様に争っていたのだ。戦火は瞬く間に街中に広まり、安息の地など何処にも無くなった。

 

 そんな街の中で俺はといえば、なんとか寝床の確保に成功していた。数日前まで二階建ての事務所として機能していた建造物である。その二階が襲撃によって破壊され、天井や壁がスッキリしてしまったために破棄されたのだろう。誰も居なくなったその建物の一階、二階や一階の入口付近と比べ比較的破壊の少ない部屋を使用させてもらっている。雨風さえ凌げれば問題ないので、俺にとっては十分だった。

 だが、俺の寝床は僅か数日で消滅することとなる。

 元の持ち主であったコロンビア・マフィアたちが、この建物を焼き払ったのだ。

 どうも文書などの重要書類を消し去るために火を点けたらしいが、それだけ重要なものなら持ち出しておけよと声を大にして言いたい。眠っている最中に火を点けられたものだから慌てて飛び起き、そのまま脱出。飛び出した先には火を放ったコロンビア・マフィアたちがおり、目を丸くしていたが、こちらには構っている暇などない。何やら大声で叫んでいるのを華麗にスルーして、その場から一目散に走り去った。

 

 その辺りからだろう。

 どういうわけか、俺の周囲がどんどん騒々しくなっていったのは。

 どうやら俺はそのコロンビア・マフィア、マニサレラ・カルテルの連中に目を付けられてしまったらしく、武装した構成員たちに街中を追い掛け回されるようになってしまったのだ。当時の俺にはそんな奴らに対抗できる武器も持っておらず、また徒手格闘で圧倒出来るほど対人格闘に精通しているわけでもなかった。となると俺に出来ることなど逃げ回ることくらいで、奴らの監視網から逃れるために東へ西へと駆け回ったのだった。

 当然無傷というわけにもいかず、初めて銃弾が肩を掠めたときはその焼けるような痛みに思わず叫びそうになったほどだ。流石に声で相手に居場所を特定されるわけにはいかないと必死に声を押し殺したが、あれ以来銃で撃たれても当たらないよう回避術を必死で練習したりもした。実際にうまくいった試しはないが。

 そんな逃亡劇を一ヶ月程続けていると、今度はイタリアン・マフィアに目を付けられた。

 コーサ・ノストラはマニサレラ・カルテルと抗争を続けているイタリアン・マフィアだが、敵対しているマフィアがたった一人の人間を始末できないという噂を聞きつけたらしい。その話を聞きつけたコーサ・ノストラの上層部が、カルテルの連中に不可能なことをやってのけてやろうと完全に間違った方向に動き始めたのだ。まず第一に俺は逃げ続けていただけでカルテルの連中には一切手出ししていない。だというのに噂にはいいように尾ひれがつけられ、構成員五十人を返り討ちにしたことになっていた。更に俺にとって悪いことに、この噂をカルテルの連中は否定しなかったのだ。そこにどういった意図があったのかは知る由もないが、結果的に俺はコロンビア・マフィアの構成員五十名をたった一人で殲滅した凶悪人物と認定されてしまったのだ。

 

 そういう噂が流れれば、当然相手もそれなりに警戒するわけで。

 コーサ・ノストラの構成員たちは、明らかに人に向けていい武器じゃないものを携え俺を殺しにやって来た。カルテルの連中が握っていた拳銃が可愛く見えてしまうライフルやショットガン。それらの銃弾を必死に掻い潜り、俺はひたすらにロアナプラを駆け回る。

 不幸中の幸いというべきか、カルテルの連中に追い回されたことで街の地形は大方把握できていた。この道をどう進みどこを曲がればどの通りに出て、逆にここを直進すれば行き止まりになる。そんな風に頭を働かせ、時には相手を袋小路に、時には足場の悪い場所へ誘導して逃げ続けたのだった。

 

 コーサ・ノストラの構成員からただひたすらに逃げ続けて二週間。

 俺の噂に新たな項目が追加された。

 イタリアン・マフィアの構成員三十人を無力化した、というものだ。

 当然のことながら、俺には一切心当たりがない。

 一体全体どうしてそんな噂が流れたのか定かでないが、この噂もまたカルテルと同様にコーサ・ノストラは否定しなかった。マフィアというのは体面をとても気にする人種だ。根も葉もない噂を立てられれば顔を真っ赤にして否定するのが普通だろう。

 しかしながらそんな素振りを全く見せないのは、抗争相手に下手に焦燥を伝えたくないからなのだろうか。

 マフィア事情などこれっぽっちも知らない俺は、そんな風に考えていた。

 この街を牛耳ろうとしている二つのマフィアから逃げおおせたことで、住人たちにもその噂は届いているようだった。曰く、たった一人で二つの組織を潰した東洋人。

 いや潰してねえし、そうばっさりと言ってしまいたいが、そうすると俺がその東洋人ですと白状しているようなものだ。ロアナプラには決して少なくない数の東洋人が暮らしている。マフィア連中には顔バレしているが、住人たちの多くはその東洋人の顔を知らないのだ。こんな所で不要なリスクを背負うこともないと、傍らで囁かれる噂の全てを聞かなかったことにした。

 

 

 

 2

 

 

 

「おい、ウェイバーの奴はどうした」

「知らんね、どうせどこかの酒場だろう」

「ウェイバーには言うだけ無駄なことよ。自由奔放を絵に書いたような人間ですもの」

 

 三合会所有のバーに、黄金夜会のメンバーたちが一同に会していた。だがその中にヴェロッキオ、そしてウェイバーの姿はない。ホテル・モスクワと三合会、そしてマニサレラ・カルテルの支部長、その腹心のみだった。

 

「ま、今日は定時連絡だけだ。強制参加などと銘打っちゃいない以上不参加でも問題はないがな」

「普通は来るだろう、この連絡会には牽制の意味合いだってあるんだぞ」

 

 張の言葉に、アブレーゴが首を横に振る。

 この連絡会はこの街の安定化という意図の他に、自分たち以外の勢力が無闇に動かないよう牽制するという目的を持つ。それを守らず行動を起こしたヴェロッキオがどうなったのかを見れば、この連絡会の重要性が理解できるだろう。

 しかしながらこの場にウェイバーは居ない。抑も彼以外に兵力が存在しないというのにそれを一勢力として見ていいのか甚だ疑問であるが、それに関しては全会一致で彼を一つの勢力と認識している。

 

「アイツにとっちゃ俺たちの動向なんてどうでもいいのさ。関係ないことは放っておく、邪魔立てすれば排除する。ただそれだけ、お前も分かってるだろう、アブレーゴ」

 

 そう告げられたアブレーゴは、苦々しく舌打ちして。

 

「あの時のことを言ってんのか。確かにな、分かってるさ。何せ武器も持たねえ奴に、構成員五十人がやられちまったんだ」

「カルテルの程度が知れるわね」

「吐かせバラライカ。ウェイバーの異常性はお前もよく知ってるだろう」

 

 バラライカの嘲笑に、アブレーゴは憤りはするものの否定はしなかった。彼の部下たち五十人は、確かにウェイバーたった一人に行動不能にされたのだから。

 

「アイツはこの街の地理を隅々まで理解してやがる。それはつまり死角になる場所を知り尽くしてるってことだ。部下たちは皆そこでやられた。壁や足場を崩されたりしてな」

 

 今尚忘れることの出来ない、ウェイバーと初めて対峙した時の記憶。あの男は何の武装も無いまま、多くのマフィアを沈めて見せたのだ。

 

「お前んとこだってそうだろうが。部下総動員した割にゃあ、ウェイバーの奴を仕留めるに至らなかった」

「よせアブレーゴ。昔のことを掘り返す必要がどこにある」

「飄々としてるが張、お前だってあいつに煮え湯を飲まされてんだろ」

 

 ホテル・モスクワ、三合会、マニサレラ・カルテル。ロアナプラにおいて突出した戦力と権力を有する彼らは、皆一様に過去ウェイバーと対峙した経験を持っている。

 そして三者は、ウェイバーを相手に勝利を収めることが出来なかった。負けてはいない、だが勝ったというには余りにも痛手を受けすぎていた。張とバラライカは一対一で、アブレーゴは背後に複数の部下を連れていたにも関わらず、ウェイバーを殺すことが出来なかったのである。

 

「だからこそウェイバーは黄金夜会に名を連ねてる。こいつは鎖と同じだよアブレーゴ」

 

 懐から取り出した煙草に部下が火を点け、張はサングラスの奥で目を細める。

 

「放っておくと何を仕出かすか分からない猛獣。制御するには同じ土俵に上げちまうのが一番いいのさ」

 

 その為の黄金夜会でもある、そう張は言葉を締め括った。

 黄金夜会と呼ばれる組織がロアナプラの中に生まれたのは、利権を巡って抗争を続けた組織たちが無駄な争いを生まぬための利潤の分配、そして互いが互いを監視できるようにするためだった。幾つかの組織がそこに名を連ねることで互いの動きを牽制し、この不安定な街を安定させるための基盤となるための装置。

 普通に考えれば、そこに何の組織にも属していない男が紛れ込んでいるのがおかしい。

 しかしながら今この場にいる三人の共通見解として、まず真っ先にこの街の安定化を図るにはウェイバーの行動を把握することだと認識している。たかが一人と侮ることなど出来はしない。過去そう思い彼に臨んだ結果、手痛いしっぺ返しを食らっているのだから。

 

「俺はもう鉛玉を喰らうのはゴメンだ。奴の弾は効き過ぎる」

 

 

 

 3

 

 

 

 ロアナプラの利権を掛けて争う組織たちの中で、最近勢力を伸ばしてきている組織が二つあった。

 名前はホテル・モスクワと三合会。聞けばロシアと香港のマフィアらしい。どこの国にもマフィアは居るもんなんだな、となんとはなしに思う俺は新しく見つけた住居で静かに果物を齧っていた。見たことない種類の果物だが、安いし味はそこそこだしで助かっている。因みに新しい住居というのは港の近くに集められたコンテナ群の中の一つである。たまたま側面に穴(恐らくは弾痕)を見つけ、そこから中に侵入したのだ。昼間は蒸し暑くとても居られないが、夜に寝床とする分には問題ないだろうとの考えからだ。

 だが俺は、ロアナプラの熱帯夜というものを些か舐めすぎていたらしい。

 開けられた穴以外に風の通る道のないコンテナの内部は、蒸し風呂のようになってしまうのだ。とてもじゃないが寝られない。

 この時はコーサ・ノストラから追い掛け回されることも無くなり、割と平穏に生活できていた。故に俺の警戒心は幾ばくか緩まっており、だから血腥い現場に出会してしまうことを全く考慮していなかった。

 

 寝苦しい夜が続くある日、満月が綺麗な深夜のことだったと記憶している。

 蒸し暑いコンテナを離れ、海岸線に沿って散歩をしている時のこと。

 突然俺の目の前にサングラスを掛けた男が転がるようにしてどこからともなく飛び込んできたのだ。いきなり、本当にいきなりだ。突然の出来事に俺の動きが一瞬止まるが、相手はそんな俺のことなど一切無視して転がってきた方向へと視線を向けている。

 その方向からやって来たのは、得体の知れない雰囲気を纏った女だった。顔の半分程を火傷で爛れさせた女は、ヒールを鳴らしながらこちらへと歩いてくる。

 あ、これ完全に遭遇してはいけない現場だ。そう俺は直感した。どう見てもカタギの人間には見えない二人。しかも片方は怪我をしているのか左肩の辺りから血を流している。

 

「中々しぶといわね。香港マフィアは逃げ回るのが得意なのかしら」

「ロシア人は余程罠を張るのが下手糞らしい。俺一人始末できないなんて程度が知れる」

「言ってくれるわね張維新。……それで、そっちの東洋人はお前の仲間という扱いでいいのか?」

 

 ギロリ、と女の視線が俺に向けられる。底冷えした視線を向けられる俺の背中には嫌な汗が噴き出していた。

 

「この辺りは包囲したと思っていたけれど、一体どこから入り込んできたのかしら」

「何を勘違いしてるのかは知らんが、この男は俺の知り合いじゃあない。お前の差金なんじゃないのか」

「……第三者の介入」

 

 二人の視線が俺に突き刺さる。

 完全に誤解されている。俺は二人の争いに干渉する気なんてこれっぽっちもないし、この場にいたのだって偶然なのだ。変に勘繰られても困る。

 

「騒がれても面倒だ、ここで消しておいた方がいいわ」

「それには同意だ」

 

 女は懐から、男は背中のベルト部分から拳銃を取り出し、俺へ銃口を突き付ける。

 そして、二発の弾丸が発射された。

 

 

 

 4

 

 

 

「それでそれで?」

「そこで撃たれて死んでしまったのねおじさん」

「いや何でだ、生きてるだろうが俺」

 

 俺の話す内容に耳を傾けていたグレイとメリーは、続きを早くと急かしてくる。

 だが残念なことに、そもそろ店を出なくてはいけない時間である。気が付けばそろそろ夜が明ける。今日は朝一番でロアナプラを出なくてはいけないのだ。そのための準備などは既に済ませてあるが、流石に一度事務所に戻ってシャワーを浴びたい。

 

「悪いな、もう帰らないといけない時間だ」

「なんでよ、いつもなら閉店しても残ってんじゃない」

「今日から仕事で少しこの街を離れるからな、身支度も済ませにゃならんのさ」

「え、おじさん居なくなるの?」

 

 眉尻を下げるグレイの問い掛けに、俺は小さく微笑み。

 

「おう、当然グレイにも付いてきてもらうぞ」

 

 途端、少女の表情が晴れやかなものへと変化する。

 

「当たり前よね、おじさんを殺すタイミングがいつやって来るかわからないもの」

 

 出来ればそんなタイミングは一生来て欲しくはない。

 尚もブー垂れるメリーに少し多めの代金を支払い、白み始めた空を見上げながら帰路につく。

 

「ねえおじさん、一体どこに向かうの?」

 

 俺の隣をとことこと歩く少女に歩幅を合わせながら、俺は懐かしさを感じるその言葉を口にした。

 

「――――日本だよ」

 

 

 

 5

 

 

 

 同日、早朝。

 ラグーン商会のオフィスに、一本の電話が入る。

 深酒して爆睡のダッチとレヴィ、自室に篭るベニーに代わって受話器を取ったのはロック。寝起きなのがはっきりと分かる顔のまま、慣れた口調で話す。

 

「はい、こちらラグーン商会」

『あら、その声は日本人(ヤポンスキ)ね。丁度良かったわ、貴方に仕事を頼みたいのよ』

「はあ、俺にですか?」

 

 眉を顰めるロック。自慢じゃないが、バラライカに頼られる部分など持ち合わせているつもりはなかった。そんなロックの謙遜を、バラライカは柔らかな笑いで包み込む。

 

『そんなに謙遜しないでちょうだい。貴方はウェイバーと同じ日本人なんですもの』

 

 あの人と同列にされても困る。そんな言葉をしかしロックは口には出さなかった。

 

『今回の仕事で日本へ行くことになってね、貴方には私と取引先との通訳をお願いしたいのよ』

「それこそウェイバーさんに依頼したほうがいいのでは?」

『私とウェイバー、二人共がこの火薬庫みたいな街を離れるわけにはいかないわ』

「成程」

『それで? 私の依頼は受けて貰えるかしら』

「条件が一つ」

『言ってみなさい』

「レヴィを同行させてください」

『理由は?』

「護衛ですよ俺の」

 

 バラライカさんが関わる仕事なら荒事になる可能性だってあるでしょう? そうロックは言った。

 ロックの条件を、バラライカは間断無く受け入れる。

 

『いいわ。お願いしているのはこちらだもの、二挺拳銃(トゥーハンド)も連れていらっしゃい。二時間後、港で待ってるわ』

 

 通話が切れる。

 耳に押し付けていた受話器を戻して、ロックは一度息を吐いた。

 日本。彼にとっての生まれ故郷であり、同時に捨て去った過去の場所でもある。日本で生まれ育った岡島緑郎という人間はもう存在しない。ロックとしてロアナプラで生きていくことを決めた彼にとって、二度と戻ることはないだろうと思っていた場所、それが日本だった。

 

「……まさか、もう一度あそこへ戻ることになるなんてな」

 

 自嘲気味に笑う。

 心のどこかで期待してしまっている自分に嫌気がさしたからだ。

 岡島緑郎という人間はもうどこにもいないのに、その母親が気になってしまっていた。何も言わずに日本を離れたことをどう思っているのだろうか。そもそも自分の戸籍はまだ残っているのだろうか。E・O社襲撃の際、とっくに死亡記録が作成されているのではないだろうか。

 だったら会うだけ無駄だ。母親たちの知る青年は、この世から去ってしまっているのだから。

 そう思うのに、僅かな期待が消えないでいた。

 もしかしたら、まだ。

 

「……弱いな、俺は」

 

 この自分の弱さが、ロックはどうしようもなく嫌いだった。

 思考を切り替える。いい機会だ。今心の中に残っているこの未練は、今回で綺麗さっぱり消し去ろう。ロックがロックであるために。決別の時がやって来たのだ。

 そう決めたロックは表情を引き締め、女ガンマンの部屋の扉をノックする。当然のように反応はない。

 彼の最初の仕事は、寝起きの悪い彼女を穏便に起こすことだった。

 

 

 

 舞台は整う。

 悪徳の都を一旦離れ、東の島国へと彼らは集う。

 鉄と火薬の臭いを引き連れて、狂宴が始まる――――。

 

 

 

 

 

 

 

 




 ウェイバーの過去を触り程度に。
 張、バラライカと会ったのはこのときが初めてです。
 次回より日本編。シェンホア? 竹中? イブラハ? 彼らは犠牲となったのだ。

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