悪徳の都に浸かる   作:晃甫

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020 彼らは戦地へ赴く

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 ――――静寂に包まれた冬の夜。ちらつく雪が幻想的な雰囲気を醸し出していた。しかしそれらをかき消すように回る無数の赤色灯が、事態の深刻さを物語っている。忙しなく動き回る警察関係者、現場周辺は完全に遮断され、一般人の立ち入りを固く拒んでいた。

 その中心地、香砂会の屋敷は凄惨な殺戮現場と化していた。敷地内へと足を踏み入れ、玄関の扉を開いた警官の目に飛び込んできたのは血の海に沈む大量の構成員たち。そして最奥の私室では、香砂会組長の香砂政巳とそのボディガード、更に若頭である東堂が死に絶えていた。

 血痕の凝固具合と死体の状態から、死亡推定時刻は午後九時前後であるとの推測が出された。

 しかしその時間帯は周囲に警察官が配備され、鼠一匹の侵入も許さない警戒網が敷かれていたのだ。それをいとも簡単に突破し、警戒中の警官に気づかれずに犯行に及ぶことができる人間など果たして存在するのだろうか。

 事件発覚後緊急で召集された検視官は並べられた死体を一人一人確認し、驚愕に目を丸くする。

 

「銃痕はほぼ一発、額か心臓。そうでない場合は切り口からして刃渡り二十センチほどのナイフで頚動脈を正確に切り裂いている。短時間でこれだけの人数を、これだけの正確さで……? 俄かには信じられない、もしもこれが単独犯だというのなら、人間業ではない」

 

 日本ではまずお目に掛かることなど出来ないであろう、殺人に対して不適当かもしれないが芸術的なまでに無駄のない手口。検視官は言う、どんな連続殺人犯でもここまでの事は成し得ないと。

 それを聞いた警察官、石黒という眼鏡を掛けた短髪の男は眉根を寄せた。

 これだけ大規模な殺害事件だ。周囲の警戒は万全を期していた。にも関わらず堂々と行われた犯行、しかも犯人の手がかりとなりそうなものは何一つ残されていない。犯行に使用されたであろう銃やナイフも弾痕や切り口から推測するしかなく、凶器の類は一切残されていないのだ。

 石黒は真っ先にヤクザ同士の抗争の線を考えたが、だとすれば双方に死傷者が出ているはずだ。現場を見る限り香砂会の人間が一方的に殺されており、関係者以外の死者は確認されていない。

 香砂会のみを狙った犯行であることは間違いない。なら、その目的は何なのか。

 石黒はキャリア十五年を越えるベテランだ。殺人事件を担当したことも百を越える。これまでの殺人には、良くも悪くも犯人の性格や感情が残されていた。だが目の前の殺人にはそれが一切存在しない。まるで機械が無差別に人間を殺したかのような無機質さ。彼は背筋に冷たいものを感じていた。

 違う。この一件はこれまでと同列のものではない。

 全国に指名手配されている連続殺人犯、いや国際指名手配されている人間の犯行であることを十分可能性に入れて石黒は捜査を開始する。

 ICPOのデータ照合も視野に入れて動き出す警察。そんな厳戒態勢が敷かれた香砂会の屋敷から少し離れた路地裏に、背中まで届く良く手入れされた金髪の男の姿があった。高級なスーツを着たホスト風の青年は、携帯を耳に押し当てながら香砂会の屋敷とは反対方向に向かって歩いている。

 

「あーうん、そーだよ香砂会全滅。現状見たわけじゃないから多分だけど。あ、俺以外ね。いやマジでやばいってあの子。ちょっと本気でヤりたくなってきた」

 

 携帯の向こう側から笑い声が聞こえてくる。

 千尋もそれに合わせるように口角も吊り上げた。

 

「とりあえずそっちで匿ってくんね。そっちでも楽しいことすんだろ? 俺も混ぜろよ」

『いいけどチッピー俺の獲物には手ェ出すなよ?』

「十五越えた女にゃ興味ねえから安心しろって」

 

 歩みを止めないままに千尋は会話を続ける。

 今千尋がこうして生きていられるのは、彼が襲撃時に屋敷に居なかったからだ。勿論偶然などではない。

 彼は都内で自由に使える街のチンピラたちを何十人も持っている。千尋は彼らを渋谷区内のあらゆるホテルに張り付かせ、グレイの居場所を割り出したのだ。これは一戦交えるためだったが、数時間前に宿泊ホテルに張り付かせていたチンピラからどうも香砂会屋敷へと向かっているようだという報せを受け取り直ぐ様屋敷を離れたのである。結果的にそれは千尋を生き長らえさせる結果となった。

 周囲の警察に捕まると面倒なことになると判断した千尋は屋敷へは戻らず、このまま知り合いと合流する道を選んだのだ。何でも向こうも行動を起こすらしく、近くのボーリング場で落ち合うことになった。

 

『んじゃ待ってっから』

「おうよ」

 

 通話を切った千尋はそのまま携帯をズボンのポケットへと滑り込ませ、軽快な足取りでボーリング場へと向かった。

 

 

 

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 ちょっとした物音で目が覚めたのは、警戒心の現れだったのだろうか。夜も更けた深夜、自室で眠りについていた雪緒はこれまでにない違和感を感じて瞼を持ち上げた。

 現在、この屋敷には雪緒と吉田、そして数名の組員しか居ないはずだ。銀次は白鞘を手に出掛けたまま未だ戻っていない。

 だが雪緒の耳に届く足音は、どうも屋敷に居るはずの組員たちの数と合わない。余りにも多すぎる。十や二十ではない。それ以上の人間の足音が屋敷内を徘徊しているようだった。

 一体何が、と思う雪緒が身体を起こすのと、襖の向こう側から声が聞こえてきたのはほぼ同時だった。

 

「なんやねんチャカ坊。こいつらお前が連れてきた助っ人か?」

「助っ人ね、あァまーそんな感じっすわ。俺が連れてきたんすよ。なんせ緊急事態みたいですし」

 

 直後、銃声が轟く。数瞬遅れて、吉田のくぐもった悲鳴が上がった。雪緒は喉の奥からせり上がる恐怖心を押しとどめようと両手で口を塞いだ。

 吉田を撃ったであろうチャカは、酷く平坦な声音で口にする。

 

「吉田さん。前から思ってたけどアンタ人が好すぎるわ。そんなんだからこうなるンすよ」

「チャカ坊……っ、てめェ……!」

「あー別にどう思われようが関係ないんで、ちゃっちゃと死んでくださいよ」

 

 二発、三発と銃声が響く。それ以降吉田の声は一切聞こえなくなった。

 何が起こっているのか詳細は不明だが、チャカが吉田を殺したということだけは雪緒も理解できた。突然の状況に脳の処理が追いつかないが、身体の方は危険を察知して逃げ出すように動き始めていた。布団の中からゆっくりと這い出て、物音を立てないよう襖の方へと向かう。

 冷たい空気が肌を刺す。寝巻き一枚で暖房の効いていないこの場に居るのは些か厳しいが、そんな悠長なことを考えている場合ではない。

 どういった理由からかチャカが組を裏切るような行動を取った。ということはいずれ矛先は自身にも向かうだろう。先の吉田への行為から考えるに、捕まればどんな未来が待っているのかは想像に難しくない。

 とにかく、まずはこの場から離れなければ。

 そう結論づけた雪緒が襖の取手に手を伸ばす。

 

「あれ、どこ行くんすか?」

 

 しかし、雪緒が手をかけるよりも先に襖は開かれた。震える彼女の前に立つのは、リボルバー片手に軽薄な笑みを浮かべる金髪の男。

 

「チャカ、さん……」

「ダメじゃないっすかァ。今日は冷えるんだから、そんな薄着のまま彷徨いてちゃ」

「……吉田さんは」

「あ? あァあのパンチね。そっか銃声で起きちゃったのか、失敗失敗。このまま寝ててくれればこっちもラクだったんだけどなァ」

 

 ため息混じりに話すチャカに、得体の知れない悍ましさを感じて雪緒は自身の肩を抱いた。

 身の危険を感じていると知らせるその仕草を前にして、チャカは舌舐りをして。

 

「イイねその目。これからどう濁っていくのか楽しみだわ」

 

 下卑た嗤いを漏らしながら、チャカは雪緒の腕を強引に掴んで部屋の外へと引き摺り出した。抵抗は試みるものの、女子高生と一般男性では力の差が大きすぎる。結局は何も出来ないままに、雪緒は明りの点いた屋敷の一室に放り込まれた。銀次や吉田と話をしたあの部屋だ。

 乱暴に投げ込まれた雪緒の視界に飛び込んできたのは、金属バットや拳銃を所持した大勢の若い男たち。三十人程はいるだろうか。先程の足音はこの男たちのものだったのだ。

 

「こいつらね、俺が面倒見てる連中なんすわ。ほら極道が後ろに付いてっと何かと融通きくでしょ。甘い汁吸わせてやってんすよ」

「人使いは荒いっすけどねチャカさん」

「うっせそれ以上に楽しんでんだろ」

「確かにそーっすね」

 

 ぎゃはは、と男たちは笑う。

 雪緒はそんな彼らに取り囲まれ、身動きが取れなくなってしまっていた。

 

「ま、もうすぐチッピーが合流するんで、そしたらこんな古臭ぇトコともおさらばよ雪ちゃん」

 

 雪緒の顔に自身の顔を近付けて、チャカは言う。

 

「変な真似しないでね。キレて殺しちゃうかもしんねーから」

 

 

 

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 深夜二時。ロックとレヴィはタクシーに乗り込み鷲峰組の屋敷に向かっていた。

 後部座席に座る二人は互いに窓の外の流れていく景色を眺めたまま会話を交わす。

 

「……いいんだなロック。本当に後戻りできなくなるんだぜ」

「構わない。俺は、彼女にこちら側に来て欲しくない」

 

 頬杖をついて窓の外を眺めたままのレヴィに視線を向けて、ロックは神妙な顔付きで続ける。

 

「彼女はこちら側の世界へ足を踏み入れることを望んじゃいなかった。周囲の状況がそうせざるを得なくさせたんだ。まだ戻れる、選択を間違えさえしなければ、彼女はまた陽の当たる世界で暮らせるんだ」

「……ここが分水嶺だ、ここを渡ればもう引き返すところはどこにもねえ。それでも、いいんだな」

 

 レヴィの問い掛けに、ロックは一つ頷く。彼の決意が固いことを確認して、レヴィは小さく息を吐いた。

 

「オーケィ。だったらもう止めねえよ、好きなようにしな。何かあってもあたしが全力で守ってやるよ」

「……ありがとう、レヴィ」

 

 やがて停車したタクシーから降り、二人は眼前の入口を見据えた。

 時間は既に日を跨いでいるからか、物音は一切聞こえてこない。そのことを差して気にしないロックとは対照的に、レヴィは眉間に皺を寄せ門の向こう側を警戒しているようだった。咥えていた煙草を落とし、瞳を細めていく。

 

「レヴィ?」

「ロック、出入り口はここだけか(・・・・・・・・・・)?」

 

 その質問を、ロックは裏口から侵入しようという提案なのだと考えた。

 

「僕らは招かれざる来訪者だ。裏口は却って……」

「違う、そうじゃねえ。気づかねェかロック」

 

 ロックの言葉を遮って、レヴィは自身の懐へと手を伸ばした。ホルスタに収められていた愛銃ソードカトラスを両手に握り、レヴィは一歩を踏み出す。

 

「嗅ぎ慣れた臭いしかしやがらねえんだよッ……、ここは!」

 

 レヴィの言うところを今度こそ正確に理解したロックは瞬く間に顔を強ばらせる。懸念していた事が起こってしまったと察して、レヴィと共に正面入口から屋敷内へと侵入した。庭先を駆け抜けて玄関の戸に手をかける。何の問題もなく開いた戸が彼の不安を増大させる。土足のまま二人は邸内へ踏み込み、やがて明りの漏れている部屋を発見した。カトラスを構えたレヴィが戸を蹴破り、次いでロックが中へと駆け込む。

 そこには、誰も居なかった。

 

「誰も、居ない……?」

「今はな、下を見ろ。あたしらと同じ土足で踏み込んでたクソ野郎が居たみてェだ」

 

 レヴィに言われ、畳へと視線を落とす。男性のものだと思われる靴跡が縦横無尽に残されていた。何かがあった、それは確実のようだ。

 

「っ、そうだ雪緒ちゃんは!」

 

 ロックは室内に彼女の姿が無いと気付くやすぐに邸内の捜索を開始。どうか無事でいてくれと願いながら、一部屋ずつ回っていく。

 その途中で彼は見た。見つけてしまった。廊下に血塗れで倒れ伏す吉田の骸を。

 ロックの後ろを歩いていたレヴィがそのまま吉田へと近付き脈を確認する。当然のように脈は無かった。後頭部に穿たれた銃創が直接の死因だろう、見れば腹部や腕にも銃創が存在していた。

 

「……どうやら姉御じゃあねえみたいだな」

 

 後頭部の銃創を見下ろしながらレヴィは言う。

 

「姉御はスチェッキンだ。他の連中ならバリヤグとか弾数の多い軍用オートとかだな」

「それ以前に、ホテル・モスクワの仕業ならきっとあの子もここに転がってる筈だ。捕虜になるだけの価値は彼女にない」

「同感だ、それに見ろよロック。AKもそうだが、薬莢が落ちてねえのは一体どういうわけだ?」

 

 そう言われ周囲の床を見渡してみる。吉田の周囲にはレヴィの言う通り薬莢が無かった。証拠隠滅のために撃った人間がわざわざ拾っていくとも思えない。銃創からどんな銃を使用したかは大体把握できるためだ。となれば、吉田を撃ったのは薬莢が落ちない銃ということになる。

 

「……リボルバーだ」

「ヤー、そいつだ。ヨシダも不幸だな、随分と風通しがよくなっちまって」

 

 リボルバーと聞いて、ロックが真っ先に思い浮かべたのはウェイバーだった。まず彼の知り合いの中でリボルバーを愛用しているのがウェイバーを含め二人しか存在しないというのもあるが。もう一人はラグーン商会のボスであるダッチ。彼は米国S&W社のM29を使用している。ホテル・モスクワ内部でリボルバーを好んで使う人間をロックは知らない。故に自然と思考がウェイバーへと傾いていくのは無理からぬことだった。

 しかし、その思考はレヴィによって遮られる。

 

「言っとくけどなロック、こいつはボスの仕業でもねえよ」

「え、」

「まずボスだったら銃創は間違いなく一発、眉間にしかねえ。腕だの腹だのに無駄弾使うなんざ三流もイイとこだ」

「確かに……」

 

 それに見ろ、とレヴィは吉田の後頭部を転がして。

 

「穴がデケェ、大口径だ。ボスのリボルバーとは違う。こんな銃を喜んで持つのは大概見栄っ張りの底無しバカと相場が決まってる」

 

 レヴィは口元で人差し指を立てながら。

 

「あたしは一人、心当たりがあるんだけどね」

 

 言われ、ロックもすぐにその心当たりに辿り着く。以前レヴィに執拗に絡んできた金髪の鼻と耳にピアスを付けた男。

 

「アイツだ……! でもどうして裏切りを……」

「そこまでは知らねぇよ。でもあのガキを攫ったってんなら、それはつまりそういうことだろうよ」

 

 ギリッ、と奥歯を噛み締める。考えが甘かった。これは香砂会と鷲峰組、そしてウェイバーとホテル・モスクワという対立の構図だと思い込んでいた。

 実際は違ったのだ。鷲峰組も一枚岩では無かった。組が崩壊の危機ともなれば、他へ乗り換える連中だって当然出てくるだろう。

 

「アイツは、何処へ向かったと思う」

「さァな、だが雪緒(手土産)ぶら下げて向かうとこなんざ大体見当がつく」

「……香砂会か、ホテル・モスクワ」

「おそらくな」

 

 これからどう動くべきか、ロックは思考を巡らせる。

 雪緒を救出しに行くことにはレヴィも異論はないだろう。元よりそのつもりでこの場に乗り込んだのだから。ただ今は状況が変化している。加えてウェイバーとバラライカ、双方の行動も把握していなければならない。バラライカの方はスケジュールを知っているが、その通りに動くなど考えられない。鷲峰組と敵対すると決定した以上、ロックに伝えていない身内だけの予定があって当然だ。ウェイバーについては見当すらつかない。

 考え事をしていたロックは、それ故に気がつかなかったのだ。

 白鞘を抜き放ち一直線にこちらへ飛び込んでくる、銀次の存在に。

 いち早く銀次の存在に気が付いたレヴィは、白鞘を振り下ろさんとする銀次の喉元へとカトラスを突き付けた。銀次も切っ先をレヴィの首筋へと当てたまま、両者は数秒間動かなかった。

 先に動きを見せたのは銀次の方だった。

 

「……解せねえ」

 

 ポツリと、サングラスの向こうの瞳をギラつかせながら。

 

「おめえさんの銃からは火薬の臭いがしやがらねェ」

「Get it. Jumbo? My gun had nothing to do with how Yoshida bought the farm.」

「銀次さん、これは俺たちじゃない。ホテル・モスクワもまだここにはたどり着いていない。信頼してくれ、殲滅した敵地のど真ん中で二人揃ってぼんやりしてると思うか?」

 

 吉田を殺し、邸内を荒らし回ったのが二人でないと判断した銀次は白鞘をレヴィから離し、懐へと収める。それを確認してからレヴィもカトラスをホルスタへと戻した。

 

「……何でおたくが此処に居るんで」

「俺はホテル・モスクワの通訳として日本へ来た。でも今は雪緒ちゃんを戦いから遠ざけるためにここに居る」

「通訳……? じゃあ、あの時の旦那は」

 

 聞かれ口にするか一瞬迷ったロックだったが、結局は銀次へ伝えることにした。

 

「香砂会に雇われてる。鷲峰組がホテル・モスクワに協力を求めたように、向こうも外部勢力を雇っていたんだ」

「……成程、ようやく合点がいった」

 

 そう言って踵を返す銀次を、ロックは引き止める。

 

「待ってくれ、まだ話は終わっていない。アンタ、ここに飛び込んできたときは一人だったな」

 

 ピタリと銀次の足が止まる。

 ロックは背中を向けたままの銀次へ尚も言葉を投げた。

 

「残りの人は皆事務所なのか? 手勢が一人でもいれば慌てて出て行く必要も無いはずだ」

「おたくらにゃあ関係の無ェ事だ」

「関係ならある。俺たちは事の中心に居る。このまま黙って見過ごすわけにはいかない」

 

 レヴィは一切口を挟まない。煙草に火を点け、静かに行く末を見守るだけだ。

 

「それに徒歩でどこへ行こうっていうんだ。外は轍の跡がいっぱいだった。ここに残ってる足跡の数から考えても離れた場所から大人数で移動してきたことになる。追いつくには時間が足りない」

 

 そこで一旦言葉を切り、ロックは銀次の正面へと回り込む。口を真一文字に引き結んだ銀次が今何を考えているのかは分からない。ただ自身と銀次の目的は一致している。それだけは断言できた。

 

「ここで論じてる時間はない。吉田さんを殺したのはここの身内だ。そいつはそんな時間を許しちゃくれないし、銀次さんが雪緒ちゃんを取り戻しにやって来るのを分かってる」

 

 直ぐにでも行動に移さなくてはいけない。それは銀次も分かっていたことだ。

 犯人の目星はとうについていた。昔から何かを企んでいるような男だったが、ここまでの強硬手段に出るとは思っていなかった。

 雪緒を戦いから遠ざけるためにやって来たと通訳の男は言った。

 

 だが、もう遅い。

 もう少し、あと少しだけ早ければあるいは別の道があったのかもしれない。しかしそれはたらればの話、それで現在が変わるわけではない。

 

「どうしてお嬢を。肩入れする理由がわからねェ」

「あの子はこちら側の世界に居ていい人間じゃない。そう思ったんだ」

 

 ああ、本当に。あとほんの少しだけ早ければ。

 

「……誰かが赦してくれるンなら、それも良かったんでしょうや。誰かが赦してくれるンならね」

 

 言って銀次はロックの横を通り過ぎる。

 

「……場所の目星は付いてる。車を回してもらえますかィ」

 

 

 

 36

 

 

 

「悪いなリロイ。報酬の方は色をつけておくよ」

『頼むよ旦那。足がつかないように大量のサーバを経由させんのってかなり大変なんだ』

 

 深夜二時過ぎ。ホテルへと戻ってきた俺は携帯に着信が来ていたことを思い出して電話をかけ直していた。通話の相手はリッチー・リロイ。ロアナプラではかなり名の知れた情報屋で、「インサイド・ツーリスト」なんて通り名まで持つ男だ。先日俺が香砂会と鷲峰組の勢力推移を調べるよう依頼したのもこのリロイである。リロイの提供する情報に国境は存在せず、必要とあらばペンタゴンにまで侵入してみせると豪語するこの男の腕は確かなもので、事あるごとに必要な情報を用意してもらっている。

 今回彼に頼んだのは香砂会組員の唐沢千尋と鷲峰組の繋がり、そして都内の暴走族やチーマーとの関係性の洗い出しだ。依頼をしたのは香砂会襲撃前だが、たったの数時間で調べ終わったらしい。相変わらずとんでもない手腕だ。

 

『急ぎとのことだから紙に起こしてないんだ。口頭でいいかい』

「ああ、盗聴対策はしてある」

『それじゃ。香砂会の唐沢は鷲峰組のチャカって呼ばれてる男と親しいみたいだ。何度も二人だけで接触してるのが目撃されてる。造反を企ててるみたいだね。チャカって方はホテル・モスクワに取り入ろうとしてるみたいだ。その鷲峰雪緒ってのを手土産にしようとしてるんじゃないかな。二人共都内のチンピラを子分扱いしてるようだから割と顔も広い。根城にしてるのは何箇所かあるが、これはまあ地図を送っておくよ』

「頼む」

『それと唐沢の方は一等のペドフィリアみたいだ。今までに八十七人の少女、幼女を壊してる』

 

 その報告を受けてそういうことかと納得する。今までグレイへ向けられていた不快な視線の正体がこれでハッキリしたわけだ。要するにただの変態だったのか。そんなのにグレイを近付けるのは些か心配ではある。グレイが何かよからぬ性的嗜好に目覚めてしまわないかという点で。

 口頭での情報を受け取って通話を終える。

 数分後送信されてきた地図を確認。幾つか紅く塗りつぶされた箇所があるが、これらが根城のある地点なのだろう。

 

「多いわね」

 

 横から携帯の画面を覗き込んできたグレイがそう零す。返り血を落とすためにシャワーを浴びてきたグレイの髪の毛はまだしっとりと濡れており、毛先から滴る水が現在進行形で俺のズボンを濡らしている。というか下着姿でうろつくんじゃない。服を着なさい。

 

「これ全部回るの?」

「出来るだけ絞る。あの千尋とかいうのは絶対に鷲峰組と合流するだろう。となると鷲峰雪緒はそいつの手に落ちる可能性が高いからな」

 

 唐沢千尋、そして鷲峰組のチャカという男。この二人が裏で繋がっていたのはこうした不測の事態に陥った際に直ぐ身の安全を確保出来るようにするためだろう。今回で言えば香砂会が壊滅し後ろ盾を失った千尋がチャカに助けを求めた形となるが、状況が違えば全く逆にもなったはずだ。

 そしてその鷲峰組も半ば壊滅状態と言っていい。香砂会と鷲峰組。両者が使えないと判断された時に二人が行き着く先はどこか。ホテル・モスクワだ。恐らく雪緒はホテル・モスクワへの手土産とされるだろう。殺さない場合のメリットなどその程度しか考えられない。

 それに唐沢千尋はロリコンだと言うし。女子高生ならストライクだろう。

 そうなると俺は既に誘拐されている可能性のある鷲峰雪緒を再び誘拐することになるわけだ。

 

「おばさんよりも先にあのお姉さんを手に入れたいのね」

「争いの火種を前もって消しておきたいだけさ」

 

 香砂会を壊滅させた以上、俺が依頼を遂行する理由は無くなった。だがそれは俺に限った話で、バラライカがそうするとは限らない。というか絶対に依頼主など関係なく火種をぶち込んでくるだろう。あいつはそういう女だ。東京を焼け野原にでもするつもりなのか知らないが、鷲峰雪緒がその犠牲となろうとしているのであれば見過ごせない。俺たちのような悪党の食物にされていいのは同じ悪党だけであり、彼女のような善人は陽の当たる世界で過ごすべきだ。

 鷲峰組と敵対した以上、おそらくバラライカも鷲峰雪緒を狙ってくるだろう。ホテル・モスクワよりも先に彼女を手元に置く必要がある。

 

「そんなことしなくても、戦っちゃえばいいのに」

「交渉の材料ってのが必要になる可能性がある。戦わないに越したことはないからな」

 

 ぶー垂れるグレイの髪をドライヤーで乾かしながら言う。

 バラライカを始めとしたロアナプラの中でも一等の悪党どもと渡り合うには単純な戦力だけでは不十分だ。必要なのは幾つもの手札とそれを最高のタイミングで切れるセンス。そして相手に考えを読ませないことだ。俺は戦力と手数に関して絶望的なのでとにかく思考を読ませないことを徹底してきた。その結果手に入れたのが内心とは裏腹に一切変化しない顔色だ。どれだけ怖かろうがそれが全く顔に出ないことはかなり有難い。実際このおかげで何度か死線をくぐり抜けたこともある。

 グレイの髪の毛を乾かし終わり、再び地図へと視線を落とす。

 印の付いた地点は十以上あるが、香砂会と鷲峰組の屋敷の双方から近く、また車で移動でき、周囲に人の集まるような場所がない地点は多くない。すぐに一つが目に付いた。

 

「……ここか」

 

 ヒラノボウル、というボーリング場。俺の勘が正しければ、そこに千尋とチャカ、そして鷲峰雪緒が居るはずだ。

 大前提として千尋がチャカという男と合流し、鷲峰組を裏切ってホテル・モスクワに寝返ろうとしているという部分が合っていなければならないが、リロイの情報が間違っていたことは今まで一度たりともない。そこから導き出した予想が外れるはずがないのだ。

 故に俺は何の心配も抱かずジャケットを手に取り部屋を出る。勿論グレイも後に続く。

 

「的当ては楽しかったか?」

「そうね、中々楽しめたわ」

 

 ホテルのエレベータへ乗り込み一階へと降りる。

 グレイの言葉を受けて、俺は少しだけ楽しそうに。

 

「なら次は、俺も参加しようか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




以下要点。
・警官、手口に唖然。
・ちっぴー寝返る、チャカも裏切る。
・ロック、レヴィ屋敷侵入。
・銀さん通訳の勘違いに気が付く。
・ウェイバー出動。

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