悪徳の都に浸かる   作:晃甫

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033 黄金夜会

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 ガルシアの口から告げられた内容は、張、ウェイバー、そしてラグーン商会それぞれの喉の閊えを完全に取り除くことは出来なかった。

 ベネズエラで発生した爆弾テロ。その会場に居合わせたラブレス家の先代当主ディエゴは、その爆発に巻き込まれ帰らぬ人となった。現地警察や世間はそれを右翼連中の爆破テロだと断定し、捜査線上に浮上した組織に属する容疑者を軒並み拘留したのである。

 部屋の壁に背を預けていたダッチが、一つ息を吐いた。

 

「左派党の台頭が面白くねえ右翼連中の爆破テロか。気持ちいい程筋が通るな」

「だからこそ引っ掛かる。そうだろう?」

 

 張の視線に、ガルシアも頷いた。

 面白い程に筋が通る今回の犯行だ。少し裏を洗えば右翼と左翼の抗争などいくらでも出てくる。そんな中にあって今回の爆破テロ。三流ゴシップ記者でも辿り着きそうな真相が、果たして本当に真実であると言えるのだろうか。

 どうもキナ臭いのだ。まだ何か裏に潜んでいる、そう感じざるを得ない。張の警戒網を持ってすら特定できないレベルの獣たちが、息を潜めてその牙を磨いでいる可能性がある。

 この事件には何か裏がある。姿形を捉えられない程巨大な何かが、足元で蠢いているような感覚を覚える。

 ガルシア、そしてロベルタもそれを確かに感じたのだ。幾ら何でも出来すぎていると。

 

「ロベルタは言っていました。右翼派組織(彼ら)にあの爆破テロを行える技術はないと」

 

 だが幾らガルシアたちが疑問の声を上げたところで、所詮は一般人の戯言でしかない。現地警察は容疑者を逮捕した後、事件終了を宣言し全く動きを見せなくなってしまったのだ。これ以上声を荒げたところでどうすることもできない。深い失望感の中、諦めかけていた折。唐突に訪問者はやって来た。

 

「彼は空挺部隊の将校でした。彼らもまた事件に疑問を感じ、独自に調査を進めていたんです。彼はベネズエラ国防総省とも繋がっていて、調査過程で判明したことを伝えてくれました」

 

 訪問者がガルシアへ齎したのは二つの事実と一枚の写真。

 一つは式典に参加したスタッフが偽装されていたということ。加えて偽装していた六名はステージの警備担当だった。

 そしてもう一つは彼らが国軍対外諜報部(DGIM)に所属する人間だということ。ガルシアに手渡された写真には、一つのテーブルを囲む彼らの姿があった。それを懐から取り出して、ガルシアはテーブルの上に静かに置いた。そして右端に映る男を指差して。

 

「この男がマルコス・ホセ・ルシエンデス。対外諜報部少佐です。現場に居た五名は、全員が彼の部下だった」

 

 写真に映るヒスパニック系の男を、張とウェイバーが見つめる。

 

「ウェイバー、この男に見覚えはあるか?」

「あるかよ。流石に諜報部はお手上げだ」

 

 単身でベネズエラに乗り込んだ経験もあるウェイバーだが、流石に諜報部の各個人までは把握してはいなかったようだ。ウェイバーならあるいは、とも思って質問を投げた張だったが、そもそも不要な殺生を嫌う男である。鉛玉をブチ込む最低限の人間しか記憶していないのだろうと思い至った。

 そんなウェイバーと張のやり取りを視界に収めつつ、神妙な面持ちを崩さないガルシアは続ける。

 

「それを知った翌日……ロベルタは……」

「姿を消したってか。ハッ、分かり易くていいじゃねえかよ。つまりテメエんとこの婦長様はその六人がアタリだと決め付けて噛み殺しに行った。それだけの話だ」

 

 ダッチとロックに挟まれる形でソファに背を預けていたレヴィが、面白くもなさそうにそう言い切った。

 レヴィの言うことは最もである。話を纏めてしまえばそれだけの話。先代当主を爆破テロに見せかけて殺害した組織の人間を突き止めた猟犬が、その牙を剥いた。

 たったそれだけの話なのである。

 ここで終われば、ではあるが。

 

 ガルシアの表情から、張とレヴィを除くラグーン商会の面々はここで話は終わらないと悟っていた。でなければ、ガルシアがロアナプラに来る理由がない。これほどまでに辛そうな表情を浮かべる筈がない。

 果たして、ガルシアから告げられた言葉は張たちの予想と(たが)わなかった。

 

「この写真に写っている六人のうち、二人が遺体で発見されました。一人はホセ・ルシエンデス。もう一人は白人の男、サイモン・ディケンズです」

 

 テーブルに置かれた写真の左端に写る太り気味の男を指差して、淡々と事実だけを述べていく。

 

「彼はカラカス郊外の安宿で焼死体となって発見されました。そして彼の肩書きは……」

 

 ぐっと唇を噛んで、消え入りそうな声で少年は語る。

 

「――――アメリカ合衆国国家安全保障局(NSA)責任将校。……現役の、合衆国陸軍将校です」

 

 

 

 22

 

 

 

 ガルシアから語られた言葉に、俺は耳を疑った。

 ロベルタが殺害した人間が現役の合衆国陸軍の将校。それは即ち、大国アメリカに真正面から唾を吐き捨てることを意味している。

 自他共に認める世界最強の兵力を有するアメリカに単身で喧嘩を吹っ掛ける。そんな無謀をロベルタは現在進行形で起こしているのだ。馬鹿馬鹿しいといっそ大声で笑い出したい気分である。

 

「……現役の軍人というのは確かか?」

「間違いありません。彼は大使館付き駐在武官のひとりでした」

「ウェイバー」

 

 サングラスの奥で鋭くなった瞳が俺に向けられる。

 張よ、このタイミングで俺の名を呼ばれる意味が理解できないんだが。何だ、他に聞くことなんて有りはしないぞ。

 が、そう易々と軽口を叩ける空気ではなさそうだった。見ればラグーンの連中やガルシア、お付のメイドたちまでもが揃って俺を見ている。やめろ、視線で俺に穴を開ける気か。

 特に何かを考えていたわけでもなかったので、すらすらと言葉が出てくる訳もない。かといって全員に見つめられるようなこんな状況も俺の胃によろしくない。

 

「……よろしくないな」

 

 普通に声に出してしまっていた。

 内心でハッとするが、どういうわけか張は俺の独り言を聞いて頷いていた。

 

「ああ、よろしくない。これは俺にとっても、この街にとってもな」

「議題がズレてねえか張さん。俺たちゃここに呼ばれた理由を聞きに来た筈だぜ」

 

 テカリのある頭を掻いて、ダッチが張へと言葉を投げた。

 そうなのだ。元を辿れば俺やダッチらラグーンの連中がこのホテルへやって来たのは、ガルシアが呼び立てたからなのである。いや、正確には俺は半ば強引に同伴させられただけだが。

 そうしてこの場へやって来たものの、今までのガルシアの話す内容からラグーン商会を名指しで呼び立てるという結論にはどうしても辿り着かないのだ。以前ガルシアがこの地を訪れた際に知り合い、ある程度素性を知っているからなどと単純な理由ではないだろうし。

 

「ハッキリさせようや坊ちゃん。ウチらに頼みてェ仕事ってのは一体なんだ?」

「……それは、」

 

 回りくどい事が嫌いなレヴィが痺れを切らしたのか、苛立たしげにガルシアへと問い掛ける。

 口篭る彼に代わって声を発したのは今まで動かなかった小さな少女だった。

 

「……若様は、婦長様の仇討ち行為に大変ご憂慮なさっておいでなのです。出来ることならば今すぐにでも荘園へと連れ戻したいほど。しかしここは異郷の地、土地勘の無い我々では探すものも見つかりません」

 

 ここまで聞いて、ようやく心の内で合点がいった。先程俺が思い浮かべた単純な理由とは、当たらずとも遠からずといったところだったようだ。

 ラグーン商会へ依頼したい案件。先程までガルシアが話した内容。張がわざわざ表舞台へと上がってきたその理由。点と点が繋がる。ああ、成程。これは確かに厄介だ。張が出張ってくるのにも納得である。ともすればこの街の存続すらも危ぶまれる事態へと発展する可能性があるのだ、神経質になるのも当然だろう。

 見ればダッチやレヴィ、ベニーも少女が言わんとするところをほぼ確信しているようだった。

 

「この地で助力を求められそうなのは貴方、いえ……日本人の貴方がたしかおられないとの由」

 

 そう言って、少女はロックと俺を真っ直ぐに見つめた。

 ん? あれ、どういうことだ。てっきりロックへ助力を求めるものだとばかり思っていたんだが。何故俺まで頭数に含まれているのか。ロックにちらりと視線を向ければ、彼はまだ事のあらましを把握できていないようだった。呆けた顔をして、口が半開きになってしまっている。同じ日本人としてその顔はいただけない、バカ丸出しといった表情である。一言声を掛けて口を閉じさせた方がいいだろうか。

 

「どうか、婦長様の捜索にご助力を願えませんか」

 

 ガルシアの後ろに立つ少女は俺とロックの二人を見つめたまま、そう述べた。

 ロベルタの捜索。これだけであれば只の人探し依頼だ。ラグーン商会に普段回ってくる仕事と大差はない。その目当ての人物がとんでもない殺戮人形というのが些か目を引くが、それだけだ。

 問題なのは、ロベルタが既にアメリカの現役軍人に手を掛けたということにある。いくら先代当主を殺害した可能性の高い人間たちだとしても、たった一人で世界最強の軍事力を有するアメリカの不正規戦部隊と命の取り合いなど正気の沙汰ではない。

 

「……ロック」

「っ! な、なんですかウェイバーさん」

 

 声を掛けただけだというのに、大きく肩を揺らすロック。なんだ、そんなに俺の顔を凝視して。阿呆面にしか見えないからその口を閉じろと忠告しようとしただけだというのに。

 

「ちょっと待ってくれウェイバー。ここから先は俺が話す」

 

 そうこうしているうちにダッチが会話に割って入ってきた。サングラスの奥で鈍く光る瞳には、幾分かの焦燥のようなものが見て取れた。

 

「張さん、アンタが神経質になる理由が分かったぜ。こいつは水爆よりも危険なパンドラの匣だ、誰が好き好んでそいつに手を出す」

「それで、何が言いたいダッチ」

「俺たちは降りさせてもらう。これは銭金の問題じゃねえ」

「ッ、そんな、どうして!」

 

 ダッチの発言に、思わず少女が声を荒げた。ロックを、次いで俺を見つめて、不安そうな表情を浮かべている。

 ラグーン商会のボスであるダッチはこの一件に関わろうとしないのは、至極真っ当な選択と言える。なにせ相手が相手である。さして親しくもない人間たちの為に国を相手にしようなどと、どこの馬鹿が思うだろうか。

 

「分かんねえかロリータ。テメエんとこの婦長様はな、皆の友達イーグル・サムと素手ゴロやる気なんだよ」

「その通り。彼女が相手にしようとしているのは合衆国の不正規軍隊だ。いや、ひょっとしたら、その先までを見据えているかもしれない」

 

 いよいよ以て、俺たちが介入できるレベルを超えているような気がしてきた。

 合衆国など相手にしていいような連中ではない。過去二回程あの自由の国で銃を交えたことがあるが、奴らは「本物」の軍隊だ。空挺崩れのバラライカたちや、以前ロベルタが所属していたFARCとも異なる。とにかく奴らは効率的で、一切の無駄がない。出来ることなら二度とお目にかかりたくない存在である。

 俺が呼ばれた理由はどうやらロベルタ探しのようだが、そんな事で俺が動く筈も無かった。昔であればいざ知らず、それなりの地位に収まることとなった俺が、おいそれと簡単に動くわけにもいかないのである。

 さてどうやって断ろうか、と思考を巡らせ始めたところで、小さな拳を握り締めたガルシアがそっと呟いた。

 

「……だとするなら尚の事、彼女を止めなければ」

 

 言葉の端々から、ガルシアがロベルタのことをどれだけ大切に思っているのかが感じ取れる。

 

「彼女は、僕の家族だ。彼女を守れるのは、僕しかいない……」

 

 父を失い、残る家族もその行方を眩ませた。望まぬ形で当主となり、家族まで居なくなった少年の心中は、決して穏やかではないはずだ。だというのに、ガルシアは俺や張の前で涙を見せるようなことはしなかった。

 前回会った時とは、まるで別人のようである。いや、そうならざるを得なかったということか。

 

「ロック、俺としちゃあこんな年端もいかない子供とその女中さん方をこんな街に放り出すのは心苦しい。出来ることなら後のことは俺たちに任せてベネズエラにお帰り願いたいってのが俺の本心だ」

 

 嘘つけよ。微塵もそんなこと思っていないだろうに。ジロリと睨み付けてやると、張は口元を緩めて肩を竦めた。

 

「らしくねぇな張さん。そんなこと微塵も思っちゃいねえだろう」

「芝居が過ぎたか? だがこの件に関しちゃ見過ごすわけにもいかねえのさダッチ。セニョール・ガルシアと同様、コロンビアの連中も女中を追ってる。遅かれ早かれカチ合うことになるのは確実だ」

 

 コロンビアの連中、というのはマニサレラ・カルテルのことだろうか。ひょっとすると、ロベルタの旧所属であるFARCという可能性も無くはないが。どちらにせよ面白くない話だ。連中がこんな火薬庫みたいな街で暴れては、跡形もなく消し飛ぶ可能性だってある。

 

「あの女中は特別だ。火傷顔(フライフェイス)やここに居るウェイバーが直々に動いたことは街の人間なら皆知ってる。それ故に街じゃ不安が溢れ返ってやがる」

 

 腕を組みそう述べる張は一度俺をちらりと見て、再び視線を正面に戻した。

 

「そういう不安の種は潰しておきたいのさ、分かるだろうダッチ」

「俺たちが関わるような案件じゃねえ。アンタが動いたらどうだ張さん」

「よせよ。三合会(俺たち)がそう易々と動けねえのは知ってるだろう。地位と権力は大きけりゃ大きいほど自由を奪われる、それはウェイバーも同じことだ」

 

 無言のままの俺を見やることなく、張はそう言い切った。

 正直な所、俺もここまで不確定要素の多い案件に関わる気は皆無だった。図らずも張に助け舟を出された形である。

 

 香港三合会。

 ロシアンマフィア、ホテル・モスクワ。

 イタリアのコーサ・ノストラ。

 コロンビア・カルテル。

 黄金夜会に在籍するこれらの組織は例外なく大組織である。その大きさは彼らの行動一つでロアナプラの情勢が傾いてしまうほどの影響力を持つといえば想像できるだろう。

 そんな一角に席を置く俺は他の連中とは違い、そんな大きな組織を有しているわけではない。精々が手のかかる娘っ子に年端もいかない少女がいるくらいだ。

 が、黄金夜会という名前は俺の想像以上の影響力を持っている。その影響力は俺が単体で行動していても付いて回るのである。何が言いたいのかと言えば、そう無闇矢鱈に俺も動き回れないということだ。前回のロベルタの一件は出会いからして完全に偶然であり、また銃を交えることになったのも意図してのことではなかった。日本での事も張という黄金夜会からの依頼であったためなし崩し的に受けただけだ。昔はそれこそ依頼があれば何でも受けて回っていたが、今となっては俺の手元に来る依頼などひと握りである。

 地位や権力なんてものに執着はないが、俺の意思とは無関係にこれらは俺の動きを制限してしまう。難儀なものだ。

 

「……ウェイバー、分かっているとは思うが」

「お前に言われなくても分かってるさ張」

 

 今回はロックたちに任せるよ、流石に米国とドンパチやるのは御免だ。

 心配しなくとも俺は関知しないさ。そんな意味を込めて笑ってみせる。ロックとガルシア、そのお付きのメイド三人の顔が一瞬強ばった。何だ、先程のロックみたいな阿呆面は晒していないはずだが。

 

「……さて、話を戻すが、そういう理由からウェイバーを動かすことは出来ん。残すところは一人なわけだが」

「張さん」

「まあそう急くなよダッチ。この悪の都に精通し且つ立場上立ち入れる場所も多く、そして中立的な立場に居る人間。お嬢さんのご指名は正鵠だ、なぁ? ロック」

 

 言葉を投げられ、ロックの表情が僅かに曇る。

 

「勿論無理にとは言わん。受けるかどうかを決めるのはお前だ」

「……もし俺が断れば、」

「その時は俺たちが独自のルートで捜し出すってだけの話だ。セニョールたちについても勝手にやってくれて構わんよ。ただ何か問題が発生しても俺たちはそちらには手出し出来ない。体面ってモンがあるからな」

 

 言葉を交える度、ロックの退路を絶っていく張。こういう心理戦や舌戦は三合会支部長の独壇場である。ダッチやベニーが渋面をつくる。

 何か逡巡するような仕草を見せるロックだったが、一度小さく息を吐くと、真っ直ぐに張を見つめた。

 

「……兵隊たちとメイドが顔を合わせる前に追い付く。それがご所望ですか、ミスター張」

「ま、そうなればそれが一番街にとっては都合がイイ」

「待てよ張さん、まだ片付いてねえことがあるぜ。その兵隊についてだ」

 

 ダッチからそう言われ、張はぽりぽりと額を掻いた。

 

「そうだな。お前らにも考える時間は必要だろう。纏まった段階で報告をくれ」

 

 そう言ってソファから張が立ち上がり、後ろに控えていた腹心がコートを手渡す。

 そのまま出て行くのかと思われたが、張は俺の肩に手を置いて人差し指で二回タップした。

 

「…………」

「明晩だ」

 

 それだけを告げて、二人は部屋から出て行った。

 先程の人差し指のタップ。それは黄金夜会が集う連絡会への招集の合図だ。こうした公の場ではこうした暗号を用いるケースが多い。普段なら組織の回線で連絡を回すが、どうやら今回は緊急の案件であるらしい。といっても、間違いなくこのメイド絡みの案件なのだろうが。

 ああ、また面倒な奴らの顔を見なくてはならないのか。只の定時報告会であれば度々バックれているんだが、今回ばかりはそうはいかないようだし。グレイの一件以降この街の担当になったコーサ・ノストラの幹部ロニーや、前回のメイド事件の火種となったカルテルのアブレーゴたちと顔を合わせるとほぼ罵倒しか飛んでこないのだ。そんな場所に誰が進んで出向くと言うのか。

 鬱屈とした溜息を吐き出して、俺もゆっくりと立ち上がる。

 

「ウェイバー」

「悪いなダッチ。これに関しちゃあ俺も大々的には動けない。そっちはそっちで処理してくれ」

 

 押し黙るラグーン商会とガルシアたちに背を向けて、サンカン・パレス・ホテルを後にする。窓の外に見える空は、この先を暗示しているかのように鉛色の曇が広がっていた。

 

 

 

 23

 

 

 

 周囲一帯の壁、地面に刻まれた弾痕が、事態の激しさを如実に表していた。

 硝煙の臭いと散らばる薬莢、遠くに聞こえるざわめきを耳にしつつ、ヨアンは姿を晦ました猟犬を思い返して舌を打った。己としたことがA級首の犯罪者を取り逃がしてしまうとはとんだ失態である。目立った外傷を受けることはなかったものの、相手にもダメージとなるような傷を負わせることは出来なかった。

 苛立たしげに携帯電話を取り出して、本部への直通回線を開く。

 

『はいはーい』

「俺だ」

『なに、また面倒事?』

「まあ事後報告にはなっちまうが、ロザリタって名前知ってるか?」

 

 ヨアンの問い掛けに、クラリスは間髪いれずにこう返した。

 

『リストにあったねそんな名前。確かAランク該当だったっけ』

「そいつとロアナプラでカチ合った」

『え』

「ひょっとすると、俺たちが思ってる以上にあの野郎の周りには大物が集まってんのかもしれねえ」

 

 世界中の戦禍を渡り歩く消息不明の男、ウェイバー。

 アメリカ合衆国の不正規戦闘部隊。

 そして元コロンビア革命軍。猟犬ロザリタ・チスネロス。

 時間軸も場所も違う独立した事件、人間が今。この悪徳の都に集結している。自身もその中に居ることを確信して、ヨアンは獰猛に哂った。

 

「アイツ諸共、一網打尽だ」

 

 

 

 24

 

 

 

「拡大集会、ですか?」

 

 事務所へと戻ってきた俺が告げた言葉を、雪緒はオウム返しのように呟いた。聞き覚えがないのも無理はない。少なくとも雪緒がこの地にやって来てからは行われていないのだから。

 事務所のソファに座る雪緒と、その横で寝転がっているグレイを正面に見据えて、俺は一つ頷いた。

 

「俺が黄金夜会って組織に席を置いているのは前にも言ったよな」

「はい。バラライカもその一員なんですよね」

「ああ」

 

 因縁浅からぬ仲であるバラライカには、やはり今も思う部分はあるのだろう。顔には出さぬよう振舞っているが、長年人間を観察してきた俺の目は誤魔化せない。

 

「定期的に開催される連絡会は各組織のトップと精々がその部下一人くらいを連れて行うものなんだが、拡大集会は傘下の代表までを含んだ大集会だ。連れてくる部下の数もそれなりに多くなる」

「どうしてそんな集会が……?」

「雪緒とグレイが来る前の話でもあるんだがな、メイド絡みでこの街にとってよくない案件があったんだ。それが今、再び起ころうとしている」

 

 定期的に開催される連絡会を待っていては手遅れになりかねない。そしてその規模は傘下代表の耳に入れておかねばならないほど拡大する可能性がある。つまりはそういうことだ。

 

「それが開催されることは分かりました。でも、どうして私たちにそんな話を?」

「二人にも、その会場へ付いてきてもらう」

「え……?」

 

 彼女にしては珍しく、呆けた顔を浮かべて言葉が出てこないようだった。グレイは寝転んだまま、俺を見て薄く笑っている。

 

「どうして私たちも?」

「この件に関しちゃあ二人も無関係ではいられない可能性がある。聞いておいて損はないだろう」

 

 というのが俺の偽らざる本音なわけだが、実を言うと拡大集会は各組織何十人も部下を連れてくるので俺だけ場違い感が半端ない。それを少しでも和らげたかったというのも理由の一つだ。幸いグレイも雪緒も肝が据わっている。現場で縮こまってしまうということもないだろう。

 それに、蚊帳の外ではいられないというのはほぼ間違いないだろうから。

 そんな風に考えている俺の前に座る少女は、やがて口を真一文字に引き結んで、首を縦に振った。

 

 

 

 25

 

 

 

 香港三合会、ラグーン商会、そしてウェイバーが立ち去ったホテルの一室。残されたガルシアとメイド三人は、息苦しさから解放されてようやく落ち着くことが出来た。特にファビオラと双子に関しては先程までのウェイバーの気に当てられてしまっており、身体の硬直が溶けたのも今しがたである。

 

「……ファビオラ、どうしてあの人を加えたんだい? 前の話ではロックさんに助力を請う予定だったじゃないか」

「すみません、若様。私の勝手な行動のせいで……」

「いや、責めてるんじゃないんだ。ただ、教えて欲しい。君は、ウェイバーさんを知っていたのかい?」

 

 ガルシアの問い掛けに、ファビオラは黙り込んでしまう。

 実際のところ、ファビオラとて未だ自身の心の整理が済んでいないのである。昔、自分を地の底から這い上がるきっかけをくれた恩人が、こんな街のトップカーストに位置している人間だったなんて。

 信じたくない、というのが本当の所だった。彼はあの頃と殆ど変わらない風貌で、まるで自分のことなんて忘れてしまっているかのように振舞った。もしかすると本当に気がついていないのかもしれない。この数年間で成長したファビオラと、あの頃の荒んだ少女を同一人物として捉えることは難しいかもしれない。

 同姓同名の別人物という可能性もあった。しかしそれはマスクを外した彼の顔を見た瞬間に消滅した。間違いない、間違えるはずがない。彼は、ウェイバーは。あの時カラカスで出会った人物と同じだ。

 

「……あの人は、私にラブレス家に仕える仕事を紹介してくれた恩人なのです」

「あの人が? そんなまさか」

「本当です。私は確かに、あの人からこの仕事を紹介されました」

「……一体何がどうなってるんだ」

 

 ガルシアの呟きは、ファビオラの内心と同じものだった。

 この街は最低な肥溜めだ。巣食う人間は極一部の例外を除いて屑ばかり。それは恐らく、ウェイバーとて例外ではないのだろう。

 先程ウェイバーが浮かべた笑みは、到底善人が浮かべていいような笑みではなかった。今思い出しても背筋が凍るような感覚に苛まれる。それはマナ、ルナの二人も同じようで、口にこそ出さないものの硬いままの表情を見れば分かる。

 

 ファビオラに手を差し伸べてくれた時の彼と、この街に君臨する悪党としての彼。一体どちらが本物なのか。

 

 想定外の再会は、小さな少女の心を徐々に蝕んでいく。

 

 

 

 26

 

 

 

 ロアナプラ北西に、三合会所有の巨大なクラブが居を構えている。名を「ゴールデン・スイギン・ナイトクラブ」と言い、通常営業時は少々値の張る高級クラブだ。

 午後八時。店の外壁に取り付けられた数多くのネオンが、周囲を淡く照らし出している。そんな周囲の道路には、見るからに高級車だと分かる黒塗りのセダンが何十台と停車していた。店の入口には警棒やナイフ、拳銃なんかをこれみよがしに見せつけるスーツ姿の大男たちの姿が見受けられる。

 いやはや、確かにこれはこれまでの連絡会とは比べ物にならないほどの厳戒態勢である。張の奴がメイドの一件をどれだけ危惧しているかが窺える。

 

 張に用意してもらったセダンから降りると、周囲に集まっていた人間たちが俄かに騒がしくなる。

 

「よ、ようこそミスターウェイバー、チェックを。得物は全てこちらに」

 

 言われ、用意されたケースに銀のリボルバー二挺を無造作に放り込む。他に隠し武器がないかのチェックを受けつつ、ちらりと後ろに視線を向ける。雪緒については一切武器を所持していないので、ほぼ形式だけのチェックで済むだろう。問題はもうひとりの方である。

 

「……こちらも一時預からせていただきます。ミス・グレイ」

「あは、見つかっちゃった」

 

 出るわ出るわ。衣服の中からナイフや拳銃が、泉のように溢れ出してくる。一体どんな収納の仕方をすればあれだけの武器を違和感なく隠しておけるのか。

 結局拳銃四丁とナイフ二本を没収されて解放されたグレイが俺の元へと小走りでやって来る。

 

「全部持って行かれちゃったわ」

「連絡会は基本的に武器の持ち込みは禁止だからな。終わるまでは我慢しろ」

 

 三人全員がチェックを終えたところで、ようやく入口を塞いでいた男たちが頭を下げる。

 

「失礼致しました。では、こちらへ」

 

 案内人に促され、俺を先頭にして店内へと足を踏み入れる。

 一筋縄ではいかない怪物どもが巣食う会合が、始まる。

 

 

 

 

 

 




以下要点。
・ロック始動
・ファビオラ動揺。
・グレイ、雪緒(ついに)参戦。

次回連絡会は(いろんな意味で)荒れる。

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