悪徳の都に浸かる   作:晃甫

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036 JAPANESE AWAKE

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 鷲峰雪緒という少女は、日本という国において一般人とは少々異なる世界で生きてきた。

 鷲峰組。関東に根を張る極道一家、その総代だったのだ。義理や仁義を何よりも重んじる彼ら極道は、しかし盃を交わした身内の手によって壊滅状態にまで追い込まれる。雪緒はその命を、組と共に散らすつもりだった。銀次や組の仲間たちが消えてしまった世界に、彼女は価値を見い出せなかったからだ。大勢のチンピラたちに誘拐された時、他人事のように雪緒は思った。

 

 ああ、ここで私の人生は終わるのだ。

 

 諦観を多分に含んだ彼女の予想は、唐突に現れた煙草を咥えた男の手によって覆されることとなる。

 ウェイバー。立ち塞がる悪漢たちを瞬く間に殲滅した男は、自らを悪党だと告げてから雪緒に問い掛ける。

 気が付かないように、思い起こさないようにしていた。心の奥底に封じ込めた筈の想いが、ウェイバーの言葉を引鉄にして湯水のように内側から溢れ出す。

 建前として用意していた言葉は彼に切って落とされ、本心を無様に吐き散らす。そんな少女を、彼は決して否定したりはしなかった。全てを聞いた上で、八方塞がりな状況を打破する案を出してくれた。一割以下になってしまった組員を日本各地へ逃がし、ロアナプラという新しい居場所を与えてくれた。

 こうして思い返してみると、ウェイバーには何もかも貰ってばかりだと雪緒は苦笑する。本人にその事を言っても、絶対にお礼を受け取ったりはしないのだろうけれど。

 

 この悪徳の都に住むようになって分かったことだが、ウェイバーはこの街随一の腕の持ち主であるらしい。それは日本での行動を見ても明らかだったが、まさかあのホテル・モスクワと本当に対等の立場だとは思わなかった。その影響力は押して図るべし。市場でウェイバーの名前を出そうものなら、露店の店主のみならず近くを歩いていた人間までもが顔を土気色にするレベルである。過去に一体何があったのか非常に気になるが、藪をつついて蛇を出す必要もない。ウェイバーが自身の過去を余り口にしないのは、きっと自分たちに聞かせる必要がないと判断しているからだ。

 基本的に仕事は一人で片付けてしまうウェイバーである。そんな彼が今回、雪緒に協力を仰いだのだ。その意味を、雪緒はきちんと理解していた。

 

(それだけ今回の一件が、この街にとって重要だということ)

 

 自室のデスクに着く雪緒は、手元に広げられた資料に視線を落とす。

 五十枚にも及ぶ紙の束。ウェイバーが現時点で有している情報の全てがここにあった。

 時刻は既に午前一時を回っている。ウェイバーと一緒に飲んだ酒はアルコール度数の高いものだったが、彼女の脳は普段以上に働いていた。どうやら酒に対してある程度の耐性はあるらしい。自らの体質に少しばかり感謝して、雪緒は壁に貼り付けたこの街の地図へと視線を向けた。掛けていた眼鏡を外して、眉間を指で揉みほぐす。

 

「ふぅ……」

 

 四隅を画鋲で留められたロアナプラの地図には、赤と黒の文字がびっしりと書き連ねられていた。元々まっさらな地図だったものに、ここまで雪緒が書き加えたのだ。それらは全て、ロベルタの居場所を割り出すための重要な情報たちである。ウェイバーから受け取った情報を地図と照合し、街の勢力図と比較しているのだ。日本語で書かれた文字は地図の上に留まらず、真っ白な壁にまで侵食している。

 

「最初にロベルタが目撃されたのは南東の大通り……、次がイエローフラッグ。その日の深夜に男と銃撃戦を繰り広げるも、その後の目撃情報は無し……。これだけの位置情報で進路を決定付けることは難しい……」

 

 ならばどうするのか。

 簡単だ、ロベルタだけを見ているから視野狭窄に陥る。この街に入り込んでいるのは、何も彼女だけではないのだ。

 

「アメリカ合衆国の不正規戦部隊グレイ・フォックス。それを追うロベルタ、彼女を追うラブレス家と、コロンビアマフィアが寄越す特殊部隊。外堀は黄金夜会の派閥ががっちりと固めているから、街の外へ逃げることは不可能」

 

 現在この街に存在するグループは大きく分けて二つ。

 追う者と、追いながらも追われる者。

 先程雪緒が口にした中では、追う者に分類されるのはカルテルが用意した特殊部隊と夜会、そしてラブレス家がこれに当たる。

 だが、この一件に関わっているのは何も先に上げた者たちだけではない。

 

 ヘルベチアの狗、ICPO。

 一体どのような意図があって行動しているのかは定かではないが、外交特権を持つ化物が一人、この街で確認されていた。しかもその男はロベルタと撃ち合っている。もしも男の目的がロベルタの逮捕だとするならば、合衆国軍以外の勢力全てがロベルタの行方を追っているということになる。

 

(誰も彼もがロベルタを追っている。所有している情報は恐らくどこも大差ない。だとすれば、そこから先は捜索者の力量)

 

 木製の椅子から立ち上がり、ペン立てに置かれていたマーカーペンを手に取る。そのまま地図が貼られた壁の目の前に立って、書き記した情報を今一度吟味する。

 ロアナプラという悪の栄える街に於いて、その代名詞とも言える存在が黄金夜会である。東西南北のそれぞれに縄張りを持つ四つのマフィアに加え、ウェイバーというたった一人の男。その事務所がある地点が、真っ先に赤いマーカーでチェックされていた。各事務所の周囲は警戒の目も厳しく、そうそう余所者が入り込めるような場所ではない。区画内の施設は軒並み夜会の所有するものだ。見たことのない人間が居れば即座に発見される。これはロベルタにも、合衆国軍にも言えることだった。

 

(まず各事務所の半径五キロ。ここは捜索範囲から除外する)

 

 次に考えなければならないのはこの街への侵入経路である。

 船を使い海路からやってきたのか、それとも空路を利用しやって来たのかで侵入した方角が異なるからだ。

 船を使用したのならば必ず街の南側、つまりは港側からの侵入となり、逆に航空機であればバンコクを経由しその後は陸路で街の北から侵入することになる。この点については、既にウェイバーから齎された情報に記載があった。

 ベネズエラでロベルタが失踪した日の二日後、カラカスからマイアミ経由でバンコクへと向かう航空券を持った彼女が犯行現場のすぐ近くで目撃されているのだ。

 ロベルタの侵入経路は北から。まずこれが確定する。

 しかし同時に解せない点が浮上する。

 

(ロアナプラの北、サータナム・ストリートにはホテル・モスクワの事務所がある。馬鹿正直に街を横断するとは考え難い)

 

 もしも何の警戒も無いままに足を踏み入れていれば、今頃バラライカ率いる遊撃隊に蜂の巣にされているはずだ。

 そうでないということはつまり。

 

「街の地形をなぞる様に迂回した……。そう、だからイエローフラッグの近くでグレイちゃんが彼女を見つけたんだ」

 

 イエローフラッグはロアナプラの南東に位置している。

 仮にロベルタが街の北からぐるりと迂回してイエローフラッグへと向かった場合、ウェイバーの事務所が聳える『地獄一番地(ピーサ・ヌン・ティユ)』を通ることになるが、極端に人通りの少ないこの通りはともすれば隠れ蓑にうってつけだっただろう。

 これまでの全ては、雪緒の想像でしかない。

 だが、確実に目標の足音を捉えようとしていた。

 

 イエローフラッグ店主であるバオの証言によれば、ロベルタは戦争を行うために必要な道具を揃えようとしていたと言う。恐怖のままに紹介したという三軒の店には、既に地図上に赤い丸が付けられている。

 そして次にロベルタが目撃されたのは、その三軒の店から然程遠くない小さな通り。その地点には幾つかの安宿が立ち並んでおり、その時まではどれかを使用していたのだろうと考えられた。

 しかしこれ以降、ロベルタはぱったりと姿を眩ませてしまう。ウェイバーからの情報にも、これより後の情報は全く記されていなかった。

 

 ここで手詰まりか。

 否、と雪緒は首を横に振るう。

 

 この街にはまだ、合衆国軍が息を潜めている。

 彼らこそがロベルタの標的とする人間たちであり、猟犬は遠からずグレイ・フォックスの影を捉えるだろう。つまり、この軍隊の居場所を割り出してしまえば、いずれはロベルタの居場所も割れるということだ。

 では、そんな彼らは今どこで身を潜めているか。当然ながら、黄金夜会が縄張りとする区画にはいないだろう。そもそもアメリカがバックについているのだ、街の情勢を知らされていない方がおかしい。

 

「グレイ・フォックスのこの街への潜入経路が分かればいいんだけれど……」

 

 残念ながら、そこまでの情報はウェイバーであっても入手していなかった。判明しているのは彼らが『グレイ・フォックス』と呼ばれていること。その目的がシュエ・ヤンという男の身柄を拘束し、アメリカの最高裁へ出廷させることだ。

 この男についての情報は既にウェイバーが手に入れており、三合会が持つヘロイン生成プラントと密接に関わりを持つ人間とのことだ。シュエ・ヤンの居場所を特定することが出来れば、こちらとしても対策の取りようがあるのだが。

 

(……いけない。これじゃ堂々巡りだわ)

 

 誰かを探すために別の誰かを探す。これではいつまで経っても目当ての人物に辿り着くことはできない。

 雪緒は今一度地図を見つめ、不要な場所だけを脳内で切り取っていく。

 

(ホテル・モスクワ、三合会、コーサ・ノストラ、マニサレラ・カルテルの事務所周囲と、人通りが極端に多い場所は除外。シッタラードの中央幹線道路から東側にはこの事務所があるから、街の東側は考えなくてもいいはず。とすれば……)

 

 ロアナプラの西側。且つ黄金夜会系の事務所から距離があり、人通りがそれなり(・・・・)に多い場所。

 

(メイン・ストリートは……ダメね。すぐ南には三合会の事務所がある。北西にはコーサ・ノストラの事務所。それらを外しつつ人通りもそれなり、隠れ家となる建物も多いとなれば)

 

 キュッ、と乾いた音を立てて、地図の上に赤い丸が付けられる。

 ロアナプラの中心より僅かに南西。ブランストリートとチャルクワン・ストリートが交差する歓楽街。

 ここなら街の住人以外の人間がいてもそう目立ちはしないだろう。元より様々な人種が集まる荒んだ街だ、隠密・潜入する術に長けた軍隊が溶け込めぬはずはない。

 

 確証はない。

 雪緒に渡されたのはそれぞれの人間たちの背景と僅かな状況証拠のみで、見当違いな場所を指し示している可能性の方が高い。せめてもう少し時間の猶予があれば、今よりも確度の高い位置まで絞り込めるのだろうが。

 今の彼女にはこれが精一杯であり、ウェイバーに話せることの全てだった。

 確信のない情報を渡すことに、申し訳なさを感じてしまうのは仕方のないことだろう。彼の期待に応えることが出来なかった、そう思うと悔しさが内から湧き上がる。

 

 しかし、こんな不確かな情報であっても、彼は微塵も逡巡することなくこう言うのだ。

 

「――――よし、行くぞ」

 

 早朝。

 目の下に隈をつくった雪緒からの報告を受けて、ウェイバーはするりとジャケットに袖を通して立ち上がった。

 雪緒の導き出した居場所が間違っている可能性もあるというのに、ウェイバーはそれを一切気にしていないようである。無償の信頼を受けているようで内心嬉しくはあるが、今回の件は小さなミスが命取りとなる程のデリケートな案件だ。不安を感じてしまうのも仕方のないことだった。

 もしも間違えていたら。そう思い僅かに俯く雪緒の頭を乱暴に撫でて、男はなんの気なしに言う。

 

「あとの事は、俺に任せろ」

「俺たちに、でしょ? おじさん」

 

 ウェイバーのその言葉が切欠となったのか、急激に襲い来る睡魔に抗えず、雪緒はそのままソファに腰を下ろして横になる。

 霞んだ視界の先で二つの影が事務所を出て行くのを見届け、少女は夢の世界へと旅立った。

 

 

 

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「で? お前はアタシにどうしろってんだ?」

「…………」

「一人でけェ顔して出て行ったと思ったらこれだ。昨日の今日で音ェ上げるなんざ考えなしにも程がある」

 

 レヴィの口から吐かれる罵詈雑言の数々が、ロックの決して強くはない精神にぐさぐさと突き刺さる。

 かれこれ数時間、ロックはレヴィの私室に設置された安物のベッドに腰掛け、彼女の言葉を受け止めていた。窓の向こうから覗く水平線の彼方は既に白み始め、直夜が明けるだろう。

 レヴィはロックの後ろで寝そべり、天井を見上げたまま。

 

「理由を言えよロック。どうしてそこまで肩入れする?」

「……子供が困っていれば手を差し伸べる。ここじゃともかく、それが普通だ」

「普通、普通ね。優等生なおぼっちゃまの回答だ」

 

 レヴィは言って寝返りをうち、ロックの背中を見つめる。

 ギシ、とベッドが軋んだ。

 

「そんな建前を聞きてェわけじゃねェんだよロック。アタシがテメエの口から聞きたいのはな、もっと本質的な部分だ」

 

 照明の落ちた部屋に、数秒の沈黙が流れる。

 

「……随分と心配してくれるんだな」

「勘違いすんな。寝覚めが悪いのは御免だって言ってんだ」

「俺はさレヴィ。実を言うと、ウェイバーさんにちょっと憧れてた」

 

 ギシリ。二人分の重さに耐えられないのか、再びベッドが僅かに軋む。

 

「俺と同じ日本人で、腕っ節だけでこの街の頂点に君臨した。もし俺が十年この街で過ごしても、バラライカさんたちと対等な立場になれるとは思えない」

 

 始まりは純粋に、憧れた。

 その強さに、こんな街でも決して揺らぐことのない、その在り方に。

 本当にこんな人間が世界には居るのだと、ロックは高揚感を隠しきれなかったほどだ。

 

「こんなクソッタレな街にありながら、周りからは畏敬と憧憬を向けられるオンリーワン。痺れたよ、あの人のようになれたらと、思わない日は無かった」

 

 男なら誰しもが一度は憧れる、最強無敵のヒーロー。その理想像に最も近かったのが、ウェイバーだった。

 リボルバー二挺で立ち塞がる敵は容赦無く殲滅。そして自愛を向ける対象は何があっても守りぬく。ロックの思い描く理想の姿が、そこにはあった。

 

「……あンたとボスは違うだろ、ロック」

「ああ、そうさ。おんなじな訳がない、俺には何もかもが欠けている。腕っ節の強さも、悪党たるプライドも」

 

 抱いていた憧れに変化が現れたのは、日本で彼の姿を目撃してからだ。

 己の我を貫く、圧倒的な暴力。有象無象を蹴散らすその姿。そして彼に言われた言葉に、ロックの抱いていた理想は砕けた。

 

 ――――正義が必ず勝つんじゃない。勝った奴だけが正義を語れる。

 

 ――――他力本願で何かを望む。随分な正義があったもんだ。

 

「……ああ、だから、そうさ」

 

 ギシリ。ロックがベッドから立ち上がり、その拳を強く握る。

 

「俺は悪党だよ、レヴィ。自分の目的のためにガルシア君たちを利用しようとしてる。趣味のためだけに」

「趣味だ?」

「そう、趣味さ。俺は俺のやり方で、どこまでウェイバーさんたちと渡り合えるのかを知りたい。憧れの対象なんかじゃない、一人の人間として」

 

 その兆候はあった。

 ロックという日本人が、いよいよ以てその全身をこの街に浸そうとしている。そんな兆候は確かにあった。レヴィもはっきりと覚えている。日本であの女を救おうとして、ウェイバーに事実を突き付けられたあの日。そしてエダとウェイバー、二人に続いてインド人の女を逃がす手伝いをしたあの日。

 これまでとは異なるロックの性質に、レヴィだけが気付いていた。

 

 ――――嗚呼、コイツもだ。

 

 レヴィは白シャツの背中をぼんやりと眺めながら、過去の自分と重ね合わせていた。

 一度踏み込んでしまえば、もう後戻りは出来ない。

 自らの意思でその道を進もうとしている男を止めることなど、出来はしなかった。

 

 その生き方を肯定はしない。やはりこの男には陽の当たる世界が似合っていると、今でも思っているから。

 そして同時に否定もしない。男が一度決めた事に口を出すのは無粋であると、彼女は既に知っているから。

 

「……どうするつもりだ?」

 

 その言葉を受けて、ようやくロックはレヴィの方へと振り返った。

 どこか黒さを感じさせる瞳は、ウェイバーを彷彿とさせる。

 

「付いて来てくれるか」

 

 返事は、決まりきっていた。

 

 

 

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 至るところが腐りかけている木製の扉を開いて、リッチー・リロイは室内へと足を踏み入れた。

 部屋に設置されていたベッドの上には多くの重火器が無造作に広げられ、それを女が自らの身体周りに収納している最中だった。リロイは部屋の壁に背を預け、女へと告げる。

 

「中々サマになってるじゃねえか」

「…………」

「ブレンの方は人数を確保したようだ。アンタの注文通りにな」

「結構」

 

 黒い髪を一度横に靡かせて、ロベルタは何か言いたげなリロイに無言で先を促した。

 

「だが、お目当ての連中は市内のモーテルのいくつかに分散してる。元々はブレンの手駒とアンタで本陣だけをやるって話だったが」

「本陣の潜むモーテルの割り出しは」

「終わってるよ。こいつがその住所だ」

 

 ポケットに突っ込んであったらしい紙切れをロベルタへと渡して、リロイは尚も続けた。

 

「俺は情報屋だ。だからアンタの要望通りの情報をくれてやるし、始末屋の仲介もしてやる。だがな、ここにゃバケモンが住んでるってことは忘れんな」

 

 そんな言葉を聞いているのかいないのか、受け取った紙切れを適当に放り捨て、大きなケースを二つ持ってロベルタは部屋を出て行った。

 ひとり残されたリロイは、音の無くなった部屋で静かに溜息を吐き出す。

 建物たちの間から見える太陽が、不気味な程に輝いていた。 

 

 

 

 38

 

 

 

「解せんな」

 

 たった一言。吐き捨てるようにバラライカはそう言った。彼女の隣に立つ張には一切視線を向けず、煙草の煙を燻らせる。

 路南浦停泊場。海上に突き出す形で作られた木製のデッキの先端に、二人は立っていた。バラライカは海を、張は内陸をと外的に視線を向けている方向は違っているが、両者共に捉えている目標は同一だ。

 落水防止用の木柵に肘を預け上空を仰ぐ張へ、再度バラライカが言葉を投げる。

 

「我々の行動はお前が望んでいるものではないはずだ」

「……確かにな」

「その情報を我々に渡してどうするつもりだ。真意が読めん」

「真意、ね」

 

 コートの内ポケットから取り出した煙草を咥えながら、張は先に述べた情報を再度口にする。

 

「メイドは直『グレイ・フォックス』に辿り着く。あの猟犬はこの街の中で片をつけようとするだろう」

 

 それは限りなく変え難い事実だった。このままでは、ロアナプラは火の海などという甘口の比喩では済まないような状況になる。ひた隠しにしてきたこの街の全てが表沙汰になる可能性すらある。それはロアナプラに住む全ての人間にとって、何としてでも避けねばならない事だった。

 

「この街が砂の楼閣と化す前に、俺たちは同じ道を進まなきゃならない」

「それが先程言っていたことか」

「そうだ。この街での争乱を食い止め、美国人(アメリカンズ)を生かしてこの街から脱出させる」

 

 ここで初めて、バラライカは横目で張を見やった。

 相も変わらず、何を考えているのか表情からは全く窺い知ることは出来ない。サングラスの奥に鈍く光る瞳が何を見据えているのか、あるいはどんな未来を見ているのか。

 

「この街から出て行った後にメイドにゃあ始末をさせればいい。するとどうだ、誰の懐も痛まない。万事快調ってやつだ」

「下らないわね。何かと思えばそんな世迷言を言うために態々私を呼び出したのかしら」

 

 その殆どが灰になった煙草を海へと投げ捨てて、バラライカは毅然と言い放つ。

 

「お断りだ。我々の計画に変更はない」

 

 張に何と言われようが、バラライカは当初の予定を変更するつもりは毛頭なかった。

 これで話は終わりだと言わんばかりに歩き出すバラライカの背中へ、張は。

 

「それが、お前らの生き方か?」

 

 歩みを止めようとしないバラライカへ、張は言葉を投げ付ける。

 

「軍人として死のうってのか、くだらねェ」

「…………」

 

 ピタリと、バラライカの歩みが止まる。張へ振り返ることはせず、ただその場に立ち尽くしているのみだった。

 

「合衆国の軍隊がそんなに眩しく見えるのか。お前たちが成っていたかもしれない(・・・・・・・・・・・)姿が」

「……勘違いするなよ、張」

 

 張の言葉に被せるように、バラライカはそう切り出した。

 

「軍人として死ぬつもりなど無い。我々には軍人としての矜持すら捨ててでも獲りたい首がある」

「ハッ、それは俺も同意見だ」

 

 獲りたい首が誰のものであるかなど、言うまでもない。

 

「……あの日、俺はどてっ腹と右手に三発の鉛弾を食らった」

「私は四発だ」

「本当なら俺たちはあの日ここでくたばっていた。奴に殺意があれば、今頃は海の底だ」

 

 今思いだしてもゾッとする。視認すら出来ないほどの早撃ち。当時縄張り争いをしていた張とバラライカの銃撃戦に割って入ってきたその男は、有無を言わさぬその絶技で二人を地に這い蹲らせたのだ。

 

「お前は俺を嗤うかもしれんがなバラライカ。俺にもたった一つだけ、譲れねえモンがある」

 

 どうしようもなく、古傷が疼くのだ。

 

「この場所で、この街で。奴に借りを返せないこと。そいつは俺の流儀に反する。それだけだ」

「借り、ね。確かに私も奴には大きな借りがある」

「熟慮する時間はもう残されていない。選ぶなら今だ。……お前たちはどうする」

 

 その問いかけに、バラライカは薄く笑ってみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 以下要点。
・名探偵ユキオ
・ロック覚醒の時。
・ロベ公発進。
・姉御決断。

 今回は繋ぎ回。はっきりわかんだね。

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