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「……一瞬で見えなくなっちまった」
踊るように階段を駆けて行ったグレイの後ろ姿が完全に見えなくなり、さてどうしたものかと思考を巡らせる。
グレイにはそれはもう口を酸っぱくして米軍は殺すなと伝えてあるので大丈夫だとは思うが、だとすると上の階から聞こえてくる無数の銃声は一体誰を狙ってのものなのだろうか。チンピラたちの残党であると信じたいところだ。
グレイが先行して突撃をかました事もあり、俺は一先ず建物の外へと出る。風に乗った戦場特有の鉄と硝煙の匂いが鼻をついた。
出来るだけ目立たぬよう外壁に背中を付け、真上を見るように建物上層の様子を窺う。
「……鼻が利きすぎるってのも困りものだな」
思わずそう言葉を漏らす。
ホテル屋上から降り注ぐ無数の瓦礫片を尻目に断続的に響くライフル音の出処へと視線を移すと、そこには太陽を背に片手で対物ライフルをぶっ放すターミネーターの姿があった。
いやいや、対物ライフルって片手で扱えるような代物じゃなかったような気がするんだが。しかも縁に乗り出してるからほぼ片足で踏ん張ってるような体勢だぞあの女。相変わらず常識ってものが通用しないな。もしかして本当に近未来から来た殺戮人形なんじゃなかろうか。
そんな殺戮メイド、もといロベルタが銃口を向ける先。つまりは俺が手榴弾を投げ込んだトカイーナ・ホテルの屋上からも無数の銃弾がロベルタに向かって飛来していた。誰が発砲しているのかは真下であるこの位置からでは把握できないが、少なくとも無闇矢鱈に撃ち散らかしているのでないことは分かる。
「数人がローテーションで射撃してるのか。とするとアレが合衆国の軍隊ってことか?」
可能性としては最も高いだろう。もう少しホテルから離れて屋上を見上げれば正体がハッキリするかもしれないが、そうなるとロベルタの視界にも入ってしまう。現状それは出来れば回避したい。主に俺が蜂の巣にされる未来しか見えないという理由によって。
「……待てよ。てことはあのままグレイが突き進むと、米軍とかち合うってことじゃないのか」
大丈夫だよな。流石にやっていいことと悪いことの区別ぐらいは付けられる筈である。酷く不安で仕方ないが。
今更考えても仕方ない。戦場に不測の事態は付物だ。もしアメリカに手を出してしまえばこの街が消滅するかもしれない。それだけの話。
何度か頭を振るって、思考を無理やり切り替える。グレイは自由気ままに動き回っているが、俺はと言えばそうもいかない。タイミングを見極め、ロベルタと合衆国軍隊をこの街から排除しなければならないのだから。
屋上で銃撃戦が行われている二棟の間の路地に入り、懐から煙草を取り出す。慣れた動作で火を点けると、細長い煙を地面に向かって吐き出した。
「ま、まずは周りから掃除していこうじゃないか」
煙草を咥えたままそんな事を呟いて、リボルバーを無造作に構える。
「……何だよ、しっかり気付いてんじゃねぇか」
唐突に。突然に。
俺の耳に、聞き慣れない筈の男の声が飛び込んできた。
リボルバーの銃口が向けられた先。手榴弾の爆発によって地面が抉られた表通りと路地の境に、やたらと見覚えのある男が立っていた。
真っ赤なシャツ。高級そうな革靴。そしてよく手入れされているのだろう、陽光を受けて輝くゴールドブラウンの髪。
出来れば二度と拝みたくない面を携えて、その男は犬歯を剥き出しに笑ってみせた。
「薄々そんなような気はしてたんだ。テメエみたいな怪物が、法の敷かれた場所でのうのうと生きられるわけがない。自然、行き着く場所は絞られる。そのうちの一つがここロアナプラだ。ICPOの上層部はこの街に迂闊に干渉するべきじゃないってスタンスを取ってるが、それっておかしいよなァ」
俺の向けた銃口に一切動じず、男は更に口角を歪ませた。
「犯罪者がこの街に集ってるって分かってンなら、街ごと消滅させるつもりでゴミ共を根絶やしにするのが俺たちの仕事だろ?」
ああ、全く。面倒な男と鉢合わせになってしまったものだ。
この街にやって来ているとの情報は掴んでいたが、まさかこんなタイミングで出会わすことになるとは思っていなかった。
正面に立つ男、ヨアンは一歩俺へと近付いて。
「ようやくテメエの尻尾を掴んだ。絶対に逃がさねえぞ……。あの日受けた俺の屈辱を、その身を以て思い知れ……!」
ヨアンは憤怒の表情を浮かべ、腰のベルトに装着していたホルスタから拳銃を抜き放つ。
俺とヨアンの間に遮蔽物になりそうなものは無い。路地に入っているため、左右にも逃げ場が無いような状況だ。いやコレ普通に詰んでないか。リボルバーを構えたまま必死で活路を見出そうとするも、思い浮かぶのは到底不可能な絵空事ばかりだ。壁蹴って銃弾回避とか出来たら良かったんだけどな。弾丸見切る動体視力とか。
などと考えている俺に対して、ヨアンは何故か銃を構えたまま発砲しようとはしなかった。俺に視線を固定しながらも周囲を警戒しているようである。
何を警戒しているのかは知らないが、俺としては好都合である。出来れば妙案を思い付くまでこのまま膠着状態を維持したいところだ。とは言えこのまま危険な綱渡りをするわけにもいかないので、思わせぶりな仕草や態度で相手の混乱を狙ってみる。
取り敢えず、鼻で笑ってみた。
「……何がおかしい」
ヨアンは表情を変えなかったが、反応を得ることには成功した。やや眉間に皺が寄っているようにも見える。幾分かの効果はあったようだ。
では次。右脚を大きく横にズラしてみる。なるべく砂埃を巻き上げるように。
「…………」
「妙な真似はするな」
右靴の数センチ横を撃たれた。いや撃つの早ェよ。眼で追えなかったぞ今。表情に出さないようにしているが、背中の冷や汗が止まらない。身動きは余り得策とは言えないようだ。
となれば。
手足は一切動かさず。発砲することもなく。
ただ俺は、視線をヨアンの奥へと向けた。
なんかそれっぽい企みをしていそうな感じを演出しつつ。これでヨアンが後ろへ視線を向けてくれれば、こちらにも手の打ちようがあるんだが。
そんな風に思考を巡らせていると。
――――まるで示し合わせたかのように、二人のメイドがヨアンの背後に飛び出した。
49
「そういやチビッ子、坊ちゃまについてた双子のメイドはどうした」
トカイーナ・ホテルの裏口に辿り着き、内部の様子を確かめるロットンの背後に立っていたレヴィが唐突にそう呟いた。
「マナとルナのことですか。彼女たちには別のルートで婦長様を探してもらっていましたが、先の報告を受けて彼女たちもこのホテルへ向かうよう伝えてあります。もう暫くしたら、ここに合流できると思います」
「そりゃいい。手練は多いに越したことはねェからな。あの双子、そこそこデキるだろ」
「……婦長様の訓練を受けておりましたので」
「なんだ、ラブレス家ってのはメイド全員に武芸を仕込む
「違います!」
仕える家のことを馬鹿にされ怒るファビオラを見てケラケラと笑うレヴィだったが、前方のロットンが安全確認を終えたことでその笑みを即座に消した。
その瞳が一瞬で鋭く、黒くなっていく。その豹変ぶりを間近で見ていたファビオラは、思わず息を飲んだ。
「おいチビッ子。こっから先はいよいよ地獄の一丁目だ。用意はいいか」
「……はい!」
「お前の仕事は坊ちゃまを守りながら目の前の錆びた看板どもを撃ち抜くことだ」
看板という言葉が引っ掛かったのか、ファビオラは両手に銃を構えたままレヴィへと言葉を返した。
「人は人です、物では……」
「だったらオメエ、坊ちゃまがその看板に殺されそうになっても引鉄を引かねェのか」
「…………」
「イエローフラッグの時もそうだったなチビッ子。人を撃つことには抵抗が無ェくせに、殺すことには躊躇いがある」
その言葉に、僅かにファビオラの肩が揺れた。
「命さえ奪わなければ良いってか? 今のイカれた婦長様にそうなった自分の姿を重ねちまったか? いいか、お前のそれは只の甘えだ。そんな心構えじゃこっから先は生き残れねェ。予想じゃねェ、事実だ」
戦場であることも忘れて、俯いてしまったファビオラ。そんな少女の肩に手を添えたのは、この場で唯一何の武器も持たないガルシアだった。
「……分かっています、ミス・レベッカ。ここから先、生半可な覚悟では生き残れないということは」
それでも、と。少年はレヴィのドス黒い瞳を真っ直ぐに見据えて。
「僕らは必ず皆で一緒に帰ります。絶対に、何があっても」
「……行くぞ、アタシとロットンが前衛。チビッ子は後衛でサポートしな」
それ以上の言葉は不要とばかりに、レヴィとロットンが扉を蹴破ってホテルの一階部分へと侵入した。慌ててファビオラ、そしてガルシアも二人の後を追いかける。
即座に階段まで辿り着き、上から聞こえてくる足音の数を把握する。
「十二、いや十四か? 一気に二階に上がる、廊下に出たらぶっ放せ!」
「……承知した」
掛けていたサングラスを軽く持ち上げ、漆黒のコートを靡かせた美丈夫が舞う。
素早く階段を駆け上り廊下へと躍り出ると、見覚えのない隊服を身に纏った褐色肌の軍人たちと遭遇した。
ロットンはすかさず二挺のモーゼルM712を抜き、
「この愛銃は、狙う獲物を区別なく破砕する。神は御座し、只見守るのみ。ならば、天に代わ」
「ぐだぐだ言ってないで手ェ動かせクソナルシスト!!」
背後から出てきたレヴィに背中を蹴られつんのめるロットン。と同時に先程までロットンの頭部があった場所を数発の弾丸が飛んでいった。
数秒遅れて、ファビオラとガルシアも二階へと到達した。階段途中で横たわる無数の死体や、廊下に転がった穴だらけの骸を前に、ガルシアは咄嗟に口を手で覆った。
「若様、大丈夫ですか?」
「ああ……、大丈夫さ」
「ドンパチやってんのは屋上だ! 一気に抜けるぞ!」
行く手を阻む見慣れぬ集団に向かって鉛玉を吐き出し続けるレヴィ。ロットンは左手に持った銃に視線を落としたままぶつぶつと何事かを呟き続けており、今のところ戦闘に参加する様子は見られない。どうして連れてきてしまったのかと頭を抱えたくなる有様である。
耳を塞ぎたくなるような銃声のパレードが二階で行われる中、上層の戦闘も激化の一途を辿っていた。
「D1、接敵!」
『奴に逃げ場はない。火力旺盛の場合は北東へ追い詰めろ。第三分隊がサポートに回る』
FARCより遣わされたスマサス旅団の第二分隊は、ロベルタの背後を取ることに成功していた。隣接するホテルへ向かって対物ライフルを撃ち続ける猟犬は傍目に見ても化物と称するに相応しいものだったが、その程度で彼ら旅団員が怯む筈もない。隊員全員が速やかに配置に付き、その銃口をロベルタへと向けようとした、その瞬間。
ぐるり、と。
ロベルタの身体が百八十度回転。対物ライフルの銃口が彼ら旅団員へと向けられる。
そしてそれは、刹那の事。
遮蔽物すら紙同然とする威力を持った一撃が、間断無く旅団員へと降り注いだ。人間の頭部や腹部といったパーツが、赤黒い液体と共に周囲に散りばめられる。
「六名損耗、遮蔽物が効かない!」
『狙撃地点まで奴を追い込む。第三分隊、標的を補足次第制圧射撃を開始しろ。奴は今どこに』
「奴は……ッ」
旅団員の一人が視界の端でロベルタを捉えたとき、彼女は既に行動に移っていた。屋上に設置されていた数メートルの配管を力づくで引き剥がし、僅かに助走。棒高跳びの要領で隣のホテルの縁に突き立て、猟犬は宙を舞った。
着地と同時に振り向き。再び発砲。
その旅団員が頭部を吹き飛ばされる寸前に見たのは、人間とは思えぬ表情を浮かべた女の姿だった。
辛うじてロベルタの狙撃から身を守ることに成功した旅団員の一人が、落ちていた無線機を手にとって報告する。
「飛んだっ、奴は向かいのビルに飛び移りました!」
『……奴は、追い詰められて逃げたのか?』
「いえ、むしろ追い込まれていたのはこちらで……」
無線機からの報告を耳にして、カラマサは顎に指を添えた。
あの場面でロベルタが逃走する必要性が感じられない。あの女であればあの程度の人数歯牙にもかけずに葬ることができた筈だ。
それをしなかったのは何故か。
「ホテル内部とその通りで銃声が聞こえているのと、無関係とは思えん」
可能性として考えられるのは二つ。ロベルタを逃走させるだけの脅威をこちらが与えていたか、逃走ではなく、何者かを追走しているのか。カラマサとしては後者だろうと考えている。あの状況下で脅威を与えることなど出来ていなかった。精鋭と呼ばれた旅団員をああもアッサリと無力化するような女だ。とてもではないが脅威など感じるわけがない。
であれば、ロベルタは一体ナニを追っているのか。
「……妙だとは思っていたが、やはりゴロツキは信用ならんな」
マニサレラ・カルテルは、何かを隠している。
カラマサはそう確信した。近くに控えていた部下を呼び寄せ、
「アブレーゴに連絡を取れ。奴は我々に何かを隠してる」
トカイーナ・ホテルを中心にして響き渡る銃声の嵐を、ロックは運転席から聞いていた。咥えていた煙草は殆どが灰になって煙すら出ていないが、そんな些細なことは気にならないのか、彼の視線は前方へと固定されている。
この位置からではホテルの全体像を見ることは出来ず、建物の隙間から顔を覗かせる屋上部分が辛うじて視界に入る程度だ。だがその部分だけを切り取ってみても、これまで以上の戦場になっていることは理解することが出来た。
(ガルシア君、ロベルタ、アメリカ軍。……そしてウェイバーさん)
サンカンパレスホテルの最上階で、張はロックに言った。
合衆国軍とロベルタがかち合う前にガルシアと会わせ、ベネズエラへと帰すことこそが至上命題だと。
現状は芳しくない。ロックたちが現場へ到着した時には、既に銃声は轟いていた。それがロベルタが米軍へ向けて発砲したものなのかは分からない。
こうなってしまっては、もう後戻りは出来ない。
引き返すことの出来る地点はとうに過ぎてしまった。ここから先はチキンレースだ。
ロベルタが米軍を捉えるのが先か。ガルシアがロベルタを捉えるのが先か。
(はたまた、ウェイバーさんがどちらかを止めるのが先か)
ウェイバーは張と同じ黄金夜会の一角を担うこの街の重鎮だ。組織を持たないとはいえ、単身でホイホイ戦場に出ていいような人間ではない。
ガルシアと再会したホテルで、張は言っていた。ウェイバーも大々的には動けない。権力が邪魔をすると。
だからこそロックは、ウェイバーならば動くと読んでいた。
予想というよりは確信に近い。バラライカですら行動を読めないウェイバーだが、彼ならこの戦場に現れるだろうと思ったのだ。
根拠と言える程確りした理由はない。幾つかの小さな可能性を繋ぎ合わせて、辿り着いた予測である。
予測ではあるが、ロックは確信に近いものを感じていた。ウェイバーに憧れ、追い求め、そしてこれまで見てきたからこそ思い至ったものかもしれない。
あのウェイバーが、自分の街でこうも好き勝手されて面白い訳が無い。
いつだか張は言っていた。ウェイバーはいつも戦場の中心に現れて、好き勝手に暴れていくハリケーンだと。
ならば、この戦場にも現れる筈だ。とびっきりの、ハリケーンが。
前方で新たな銃声が轟く。
どこか聞いたことのあるその銃声に、ロックはパズルのピースが填まったような感覚を覚えた。
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ヨアンは一切の油断をしていなかった。
目の前に立つ男が想定の埒外に居る人間だと認識し、一分の気の緩みも無く臨戦態勢を整えた。
これまで全く行方を追えなかった男が今、手の届く場所に立っている。それを思えば多少気分は高揚したが、鋼鉄の理性で直ぐさま平静を取り戻した。一瞬の油断が、僅かな思考の隙間が。命取りになることをヨアンは身を以て知っている。
だからこそ、この好機を逃さぬ為に慎重になった。
ウェイバーが何をするのか予想することは不可能に近い。加えて既に向こうは銃をこちらへと向けていた。こちらも銃を抜き構えているとは言え、そう簡単に発砲することは出来なかった。軽率な行動が最悪の結果に結びつくことは少なくない。今ここで、そんな悪手を打つ訳にはいかなかったのだ。
と、そんな時だった。
視界に捉えて離さない目の前の男が、己を見ながら小馬鹿にするように鼻で哂ったのは。
「……何がおかしい」
決して表情には出さぬよう配慮していたが、それでも声が強張ることは避けられなかった。
どうして今、この状況で。ウェイバーは嘲る様な哂いを見せたのか。
自身の内心が見透かされているのでは、と考えてしまう。そんな筈は無い。人間の心を読むことなど、出来はしないのだから。そう言い聞かせ、ヨアンは一際鋭い視線をウェイバーへと向けた。
たった一つの所作すら見逃すまいと、ウェイバーを含めた周囲全体を警戒する。
それが奏功した。
ウェイバーが右脚を動かした瞬間。その動作に超人的な反応を見せたヨアンは、牽制の意味も込めて右靴の数センチ横を撃ち抜いた。着弾した地面は抉れ、僅かに砂埃が舞い上がる。
「妙な真似はするな」
宿敵の右脚を撃ち抜く事は容易だったが、敢えてそれをしなかった。そしてその事に、ウェイバーならば間違いなく気付く。こちらにはそれほどの余裕があるのだと思わせることが重要なのだ。
視線をウェイバーの足元から正面へと戻す。と同時、ヨアンは瞠目した。
数センチ着弾地点がズレていれば己の身体を傷付けられていたというのに、その表情には一切の動揺は見られない。どころか、余裕すら感じさせる飄々とした態度である。まるでこちらの目論見などお見通しだと言わんばかりのその表情を前に、ヨアンは無言で奥歯を噛み締めた。
と、ここでヨアンは知らず身体が強張っていたことを自覚する。
ウェイバーを前にするといつもそうだ。無意識のうちに向こうの術中に嵌り、こちらにペースを握らせない。それを極自然に、まるで息を吐くようにやってのけてしまうから、この怪物は恐ろしいのだ。
ウェイバーのペースにさせてはならない。そう結論付けて、ヨアンは今一度宿敵を睨み付けた。
黒髪の男はヨアンと視線を交えたのち、不意にその奥へと視線を投げる。
何を見ているのか、とヨアンが疑問に思うよりも早く、ソレは背後から現れた。
「ッ……!?」
敏く気配を察知したヨアンは、ウェイバーへ向けていた銃口を即座に背後へと切り替える。
突然の事態ではあったが、ヨアンはそれほど心を乱されてはいなかった。背後を取られて奇襲を受けるなど過去に幾度も体験していることだ。決して油断していた訳ではなかったが、それだけの相手ということなのだろう。
ヨアンの視界が捉えたのは、同じ顔をした二人の少女だった。身の丈ほどもあるかという長槍を、ヨアン目掛けて上から振り下ろす。
土くれの地面を砕く破砕音が轟いた。
舞い上がった大量の土や埃に腕で顔を覆ったヨアンだったが、ほんの数瞬ウェイバーから眼を離したことを後悔することとなる。
粉塵が晴れた先には、誰も居なかった。ウェイバーはおろか、突然現れた二人のメイドも周囲には見当たらない。
「……逃げられたか……!」
獲物を逃したことに対する苛立ちが込み上げてくるが、ヨアンはそれよりも、と思考を馳せた。
あの二人が飛び出したのは、十中八九ウェイバーが合図をしたからだろう。ウェイバーが視線を自身の後ろへと向けた瞬間、あれこそが奇襲の合図だったのだ。ウェイバーは一人路地裏に居たのではない。影に二人の手駒を用意し、こちらを誘き出さんと画策していたのである。
それはつまり、こちらの動きが読まれていたことを意味する。
ウェイバーを追ってロアナプラへやって来たことも、イエローフラッグで情報を入手していたことも。全てあの男は想定済みだったのだろう。その上でこうして罠を張った。立ち塞がる敵を殲滅するために。
「……どこまで人の神経逆撫ですれば気が済むんだ、あの野郎……!」
ぐるりと周りを見渡してみても、それらしき人影は見当たらない。完全に見失ってしまったようだ。
まだそう遠くへは行っていない筈だ。いくらウェイバーが超人的な身体能力を有しているとは言え、たった数十秒で何十キロも移動できる訳が無い。何処か近くで息を潜めているか、現在もこの場所から距離を取るべく移動している最中だろう。
「逃がさねェぞ、ウェイバー!!」
男の咆哮が、戦場の一角で木霊した。
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「しっかり聞こえてるっつーの」
ヨアンの叫びを背後に聞きながら、チャルクワン・ストリートを南西へと移動する。トカイーナ・ホテルの建つ地点からは遠ざかってしまっているが、奴を撒くためには仕方ない。あのまま一戦交えるのは御免だ。
それはともかくとして、だ。
俺はチラリと視線を横に向ける。そこには無表情に並走する双子メイドの姿。なんだったか、マナとルナとか言っていたような気がするが。
「あー、まぁ、一応礼は言っておく。助かった」
「いえ」
「お気になさらず」
視線は前方に固定したままそう二人は返してきた。というか、さっき振り回してた槍が忽然と姿を消しているのは一体どんな手品を使っているんだ。
「気配は消していたつもりでしたが、やはり貴方は私たちの存在に気付いていましたか」
茶髪を後ろで一つに結った少女、おそらくはマナが俺を見てそう呟いた。
いや全然気づいていませんでした、なんて軽口を言える雰囲気ではなさそうである。
「よく俺があの場にいると分かったな」
「ファビオラから連絡がありました。婦長様があの近くのホテルに現れると」
「要するに偶然か」
ファビオラというとイエローフラッグで派手に暴れたあのチビッ子か。察するに向こうも自力でここまで辿り着いていたらしい。レヴィはそこまで頭が回るとも思えないし、ガルシアはこの辺りの情勢には疎い。となればロックかそこらがここを見つけ出したのだろうか。もしくはリロイやRRあたりの情報屋にでも聞いたのかもしれない。
「私たちに視線を飛ばしたのは、奇襲であの場から脱するためだったのですか?」
取り留めもないことを考えていると、マナの横を走るルナが口を開いた。因みに同じ顔をしている二人だが、マナと違ってルナは髪をサイドで結っている。サイドポニーというやつだ。これ髪型をお互いが交換したら見分けは付かなくなるだろうな。少なくとも俺には同じ顔にしか見えない。
「貴方なら、あの相手を屠ることも出来たはずでしょう」
「そう簡単にいく相手じゃねェんだよ、あの赤シャツは」
ICPOの中でもひと握り、外交特権を所有する化物だ。本来なら俺単身で挑んでいいような相手ではない。出来ることならこのまま遭遇しないのが一番いいのだが。
「……そういう訳にもいかんだろうな。狙いが奴の言う通り俺だってんなら被害の拡大はここで止まるが、米軍やロベルタにまで飛び火する可能性も少なくない」
「婦長様を脅かす敵は」
「誰であろうと排除します」
言いながらスカートの内側から折り畳まれた金属を取り出し、上下に軽く振るう。すると手元には先程目にした長槍がすっぽりと収まっていた。折り畳み式なのかソレ。
「一旦婦長サマから離れちまうが勘弁してくれ。戦火を広げるのは本意じゃないが、今回ばかりはあそこは狭すぎる」
今後の行動予定を立てながら、二人のメイドを連れて走る。
黄金夜会のメンバーが表立って動いていないことに、僅かな違和感を覚えながら。
以下要点。
・スマサス旅団vsロベ公vs米軍
・レヴィ一行vsスマサス旅団
・ウェイバーvsヨアン
・マナルナ合流。
現在の脱落者
・チンピラ集団
・スマサス旅団八名←new!!