悪徳の都に浸かる   作:晃甫

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041 死の舞踏、二章

 58

 

 

 

 ホテル・モスクワ。ロアナプラという悪徳の街に根を張る、過激派筆頭のロシアン・マフィアだ。

 黄金夜会の一翼を担う程の権力を有する彼女たちは、当然ながらその地位に見合う戦力を所持していた。

 元空挺であった女とその部下で構成される遊撃隊(ヴィソトニキ)のことを知らない人間はロアナプラには居ない。ウェイバー、ヨランダと並んで敵に回してはいけない勢力である。

 その遊撃隊を束ねるホテル・モスクワの幹部、バラライカは通話を終えた受話器を静かに戻した。室内には彼女の他に顔面に傷のある大男が一人、直立不動でバラライカの正面に立っている。

 

「聞こえていたか?」

「勿論です大尉殿」

「ウェイバーめ、つくづく喰えん男だ」

 

 くつくつと、彼女にしては珍しく口角を緩めて笑ってみせる。余程電話の内容が有意義なものだったのか、ボリスですら余り見ない程の上機嫌さである。

 

「我々への牽制、ということですかな」

「クク……。まさか当人直々に手を下すとは思っていなかった」

「あの男をこちらの物差しで測ることは出来ないと」

「全く、こちらに付き纏う柵が馬鹿馬鹿しく思えてくる自由奔放さだ。アンチェインとはよく言ったものだな」

 

 ギ、と木製高級椅子の背もたれに背を預け、机上に置いてあった葉巻を手に取った。

 電話を掛けてきた男、ウェイバーが通話中に述べていたことを思い出し、堪えきれないとばかりに口角を歪ませる。

 

「ブーゲンビリア貿易名義で船を一隻用意しろ、か。成程良く考えたものだ」

 

 ボリスに差し出された火に葉巻を寄せ、一息に吸い込む。葉特有の香りが、鼻腔からゆっくりと抜けていく。

 

「私ならばその意図に気付くと、そう確信していたなウェイバー」

 

 今しがたの会話の中に、今回の一件に関するワードは一つとして上がっていない。

 ウェイバーが掛けてきた電話の内容は、船を一隻手配してほしいというものだった。それだけを聞けば、既知の間柄であるバラライカへの単なる依頼だ。実際、過去にも何度かウェイバーは彼女に船を出してもらっている。他の人間がその会話を耳にしても、何一つ疑問に思わないだろう。

 それ故に、バラライカはウェイバーの言葉の意図に気が付いた。そして恐らく、ウェイバーはバラライカならばそれに気付くだろうと確信して会話をしていた。

 伝えたい事があるにも関わらず、どうしてそんな回りくどい真似をするのか。

 

「盗聴対策、でしょうな」

「私との直通回線ではなく敢えて一般回線を使っているところなどあの男らしい。盗聴されている前提であの口の利き方だ、余程他の有象無象が気に入らんらしい」

 

 一般回線を敢えて使用してきたのは撹乱のためだろうと想像出来る。船が入用となる港はこの街の東から南にかけて伸びているが、ウェイバーが所有しているドックなど存在しない。かと言ってホテル・モスクワが所有するドックもこのロアナプラには設置されていない。盗聴者は着地点の見えない会話に疑問を浮かべている頃だろう。

 半分程の長さになった葉巻を灰皿に押し当てて、一つ息を吐く。

 会話の内容を脳内で反芻し、ウェイバーの真意を読み解いていく。

 

「奴は船が欲しいと言ったな」

「ええ、確かに」

「南か。ウェイバーは全てをこの街から排除する腹積もりのようだ」

「米軍に猟犬、FARCからも刺客が潜り込んでいるようですが」

 

 そんなボリスの言葉にも、バラライカは薄い笑みを崩さない。

 

「言うまでもない、ということだろうさ」

 

 ウェイバーは船が欲しいと言った。

 つまり、船を使用しなければならない場所へ移動しようとしている。もしくは誰かをその船へ乗せようとしている。船が必要になる場所などこのロアナプラには南東に伸びる港しかなく、且つブーゲンビリア貿易の名で使用する船は南に固められていた。因みにブーゲンビリア貿易名義で所有する船舶には所有者の分かるようなものは一切刻まれておらず、関係者以外にはその停泊場所すら知られていない。ホテル・モスクワとして所有している船舶が街に無いのは、ブーゲンビリア貿易という名義を使用しているからだ。

 ブーゲンビリア貿易、船。たった二つの単語で、ウェイバーはバラライカにしか分からないように目的地を伝えたのだ。

 

 一体何のために。

 

 ボリスは先程、牽制のためかと言った。確かにその可能性は高いだろう。夜会であれだけ堂々と米軍を狩ると宣言したのだ。未だ大きな動きを見せていないホテル・モスクワに釘を刺すため。そう考えるのがもっとも自然で合理的である。バラライカもボリスの言葉を真っ向から否定する気はなかった。

 だが同時に、こうも思うのだ。

 

「……この機を逃すな、か」

 

 薄い笑みが、徐々に獰猛なものへと変化していく。

 試されている。そうバラライカは解釈していた。

 この場面、この局面。連絡を取る必要など一切ないこの状況で、敢えてこちらへ連絡を寄越してくる。何か狙いがあるのは確実である。

 

 それは身動きを封じるための楔かもしれない。

 必要とあらば戦力の投入を惜しまないホテル・モスクワへ対する牽制。街の存続を第一に考えるウェイバーからすれば至極当然の行動だ。

 

 そしてそれは同時に、傑物たちが集う戦禍への招待状かもしれない。

 そんな場所で静観を決め込んでいていいのか、とウェイバーが哂っているような気がした。

 

 バラライカの沈黙は、数秒に満たないものだった。

 閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げ、それと同時に立ち上がる。カツカツとヒールを鳴らして扉の前に立った彼女は、ボリスから受け取ったコートを羽織り、ドアノブに手を掛けて。

 

「――――いい加減、奴への借りは返しておこう」

 

 その言葉が何を意味しているのか、ボリスは聞かずとも分かっていた。

 

 

 

 59

 

 

 

 ファビオラに複数人の対人戦闘経験は皆無である。

 ラブレスの家で秘密裏に行われていた訓練は基本的に一対一を想定してのもので、ガルシアという対象を守る訓練がその大半を占めていた。一対多という戦闘を経験したのはイエローフラッグで催涙弾を使用した時が初めてだ。それを思えば今現在、彼女は十分に奮闘していると言えた。ロアナプラという土地勘の無い場所、しかも路地裏というある種閉塞された空間の中で、多少の傷を負いながらも相手を行動不能に陥らせているのだから。

 当然のように無傷で他を圧倒するレヴィとグレイ、独り言を呟きながら時折意味不明なポーズを取りつつ敵を殲滅するロットンはさておき、迷彩柄の軍服に身を包んだ敵部隊の多くは血濡れで地面に沈んでいる。そのうちの何人かは、ファビオラの放つ凶弾が原因で鮮血を散らしていた。

 

 己が人を殺している。

 その事実が、少女に重く伸し掛る。

 

 覚悟はしていた。こうなることは分かっていた。それでも、愛すべき、守るべき家族のために。

 そんな想いを抱く少女を、しかし現実は非情で以て出迎えた。

 眼前で繰り広げられる光景に、あるいは自身がそれに加担している現実に。少女が秘めていたはずの決意と覚悟は、呆気なく崩れ去ろうとしていた。

 ファビオラの崩壊を寸でのところで食い止めていたのは、ガルシアの存在に他ならない。少年の存在があるからこそ、ファビオラはそれを心の支えとして戦った。戦えた。

 

 それが支えではなく、単なる免罪符でしかないことに少女は気づかぬまま。

 

 対複数の戦闘の経験がこれまでにないファビオラが現状に呑まれるのは仕方ないことだった。只でさえ味方パーティが猛犬、狂猫、中二病である。これでまともな戦闘が展開できているというのだから恐ろしい。

 慣れない戦闘によって生じる精神的な疲労は大きく、周囲を飛び交う弾丸を避けながら移動を繰り返すのがファビオラには精一杯だった。

 それ故ガルシアとの距離が開いたときも直ぐに合流することが出来ず、声を張り上げて物陰に隠れるよう言ったのだ。万が一にでも被弾してはいけない、そう思いながら。

 そして、現在。

 

「……若様……?」

 

 ファビオラは、完全にガルシアの姿を見失っていた。

 

 

 

 60

 

 

 

「ヘンなガキを拾った」

『は? 何言ってんの?』

 

 雑居ビル一階。腐りかけた木製の床に座り込んだ金髪の少年を見下ろして、赤シャツの男は端的に事実だけを告げた。そんな男の言葉に通話口の向こうからはそれはもう大きな溜息が吐き出される。

 

『ヨアン、あんたの立っているそこはどこ?』

「ロアナプラ」

『街中が地雷原みたいな場所で、子供一人で何してるっていうのよ』

「俺が知るわけないだろ。服装から察するにこの街の人間じゃなさそうだが、今起きてるドンパチと無関係ってわけでもなさそうなんでな」

 

 携帯電話を耳に押し当てながら、ヨアンは今一度少年へと視線を向ける。

 年端も行かぬ少年の瞳に浮かぶのは動揺と困惑、そして僅かな敵意。面白い、とヨアンは素直にそう思った。

 こんな街である。周囲全てが嘘と罠で埋め尽くされているような屑の中にあって、少年の瞳はどこまでも気高くあろうとしていた。何か強い決意が秘められている。そんな目をしているとヨアンは直感した。

 

『一般人を巻き込むのは御法度よ』

「分かってるよ、クラリスに言われるまでもねェ」

『一番信用ならない男の口から言われてもね』

 

 まだ何かお小言が聞こえてきそうだったため、ヨアンは早々に通話を切り上げることにした。強引に終話ボタンを押して、ポケットへと携帯電話をねじ込む。

 

「さて、」

 

 言葉と共に向けられた視線に、少年の肩が微かに揺れる。

 

「聞かせてくれよ少年。どうしてお前はこんな場所に居た?」

 

 

 

 

 

 コンコン、と。ガラスを小気味よく叩く音が聞こえて、ロックは音のした方へと顔を向けた。

 視界の先には、修道服を身に纏った金髪サングラスの女。修道女からは全く連想できないバイクに跨り、ロックへ笑いかけるエダの姿があった。

 ハンドルを回して窓を下げる。途端、エダの陽気な声が飛び込んできた。

 

「よーうロックぅ、調子はどうだい?」

 

 あちこちで上がる狼煙を気にした素振りも見せず、白い歯を剥き出しにして笑いかける。

 

「……あんたも狩りに?」

 

 ロックはエダの質問には答えず、静かにそう問い掛ける。

 

「うんにゃ、山猿(レヴィ)の助太刀に来たんだけどね。ちいとばかし出遅れちまった」

 

 煙草を取り出して口に咥えたエダの様子を見て、ロックは無言で火を差し出す。一言礼を言って火に煙草を近づけるエダの表情は、言葉の割に楽しそうに見えた。

 

「……ここにしちゃァ珍しく今晩は冷えそうだ。そう思わないかいロック」

「感傷なんて柄じゃないだろう」

 

 そう述べるロックを見て、エダは口角を吊り上げる。

 含みを持たせたその笑みに、ロックは無言で眼を細めた。

 

「柄じゃない、ねェ。なァロック、柄じゃないことしようとしてんのはアタシとあんた、一体どっちなんだろうねェ」

「…………」

「あァ、その眼だ。あの男も時々そんな眼をするんだよロック。まるで全てを飲み込んじまいそうな、黒すぎる眼だ」

 

 灰を地面に落としつつ、エダはロックの眼に別の東洋人を重ねていた。

 誰を重ねているのか、そんなことはロックにも分かっている。自身が知る限り、そんな眼をするのはウェイバー以外に有り得ない。

 

「あんたが俺のことをどう思ってるか、なんてのはこの場では全く意味が無いことさ」

「ま、確かにそーさね。……だからさ、ロック。これはアタシからの忠告だ」

 

 つい数秒前までの陽気な空気を霧散させ、サングラスの奥で切れ長の瞳が鈍く光る。一段声のトーンを落としたエダは、真正面からロックを見据えて口を開く。

 

「――――ウェイバーの真似事(・・・)なんてやめときな」

「…………」

「あんたとアイツは全くの別物だ。あの男になろうなンて烏滸がましいってモンだよロック」

「……ハハッ、」

 

 真剣味を帯びたエダの忠告に、しかしロックが浮かべたのは嘲笑に似た薄い笑みだった。

 運転席に座ったまま、バイクに跨るエダを横目に見やる。その黒い瞳に射抜かれて、エダは思わず口を噤んだ。

 

「勘違いしてるよエダ。俺は別にウェイバーさんになろうなんてしちゃいない。なれるわけがない。そんなこと、とっくに分かってる」

 

 それはどこか達観した口調だった。

 

「俺はあの人には成れない。そもそもの立ち位置、いや……役割が違うんだ」

「役割ね……。あんたの役割は一体なんだってのさ」

「舞台を整え、最後まで見届けることさ。俺の脚本(シナリオ)通りに」

 

 その言葉を聞いて、エダはロックがこれまでと明らかに異なっているということを実感する。

 兆候はあった。バラライカの通訳として日本へ赴いた辺りから、ロックという男の根幹に変化が生じていることには気が付いていた。その変化はジェーンを発端とした騒動で徐々に大きくなり、今回の一件で明らかとなった。

 ロックは。この男は。

 

「……悪い顔をしてるねェ、ロック」

 

 この街に、意図的に(・・・・)染まろうとしている。

 

「君ほどじゃないさ」

「ハッ、言うねェこの色男」

「態々俺が一人のタイミングを見計らってやって来たんだ。何も世間話をするためじゃないだろう?」

「……ホント、変わったねあんた」

 

 頭の回転は元よりそれなりだったが、今はそれに輪をかけてスマートだ。最初は変化の大きさにやや困惑したエダだったが、こうもとんとん拍子に話が進むのであればそれはそれで好都合。ニヤリと笑い、上体を車体へと傾ける。

 

仕事(ビジネス)の話といこうじゃないのさ。あんたもアタシもハッピーになれる、そんな上手い話があんだよ」

 

 

 

 61

 

 

 

「「船ですか?」」

 

 既に夜の帳が下りたロアナプラ。細い路地が入り組んだ南側の一角で、メイド服を纏った双子の女中が口を揃えてそう言った。

 時刻は午後八時。この時間帯にしては周囲に人の気配はなく、遠くから微かに聞こえる銃声と鼻につく硝煙の匂いが街の現状を如実に現している。近未来SF作品などであれば、第一種非常警戒態勢とかいう宣言が発令されそうな勢いである。

 フィルタ付近まで吸った煙草を無造作に投げ捨て、靴裏ですり潰す。そうしてから先程声を発した二人へと視線を向けて。

 

「そう、船だ」

「まさかとは思いますが、逃げるおつもりですか?」

 

 長槍を手にしたままのマナが、両の眼を細めて問い掛ける。その横では同じく長槍を握るルナが無言で俺を見つめていた。視線で穴が開くってのはきっとこういうことを言うんだろうな、などと割とどうでもいいことを考えながら、そういうわけじゃないと前置きを入れる。

 

「現状この街は至るところに起爆スイッチが散蒔かれたデスゾーンだ。その理解は出来ているか?」

「婦長様と婦長様の追う合衆国の軍隊。そして先程の赤いシャツの男ですか」

「それだけじゃない。ロベルタを追ってFARCからも精鋭部隊が送り込まれてる。ついでに言うとウチの連中も参戦してるが」

 

 そして口には出さないものの黄金夜会の各組織。街への影響という点では間違いなくその筆頭である。名目上は俺もそこに属しているわけだが、ほぼ個人参加のようなものなので除外しておく。

 こうして挙げただけでも、国籍様々な戦力がこの街に集結している。このままではロアナプラ全体が戦場になるのも時間の問題だった。

 それを良しとしないのは夜会メンバーでは俺と、そして張率いる三合会。街の存続を第一に考える俺たちとしては、敵味方の区別すら付かなくなるような乱戦は避けねばならない。

 

 そこで俺が考えたのが、ホテル・モスクワへの一般回線での連絡だった。

 

 バラライカへの個人的な連絡であればわざわざ一般回線を使用する必要もない。個人用の秘匿回線を使えば済む話である。

 それをしないのは、今も街中で盗聴に勤しんでいるであろう余所者たちを一箇所へと誘導するためだ。ぶっちゃけた話、ロベルタの居場所を掴んだところでそれ以外の勢力が散らばっていると非常に面倒なのだ。最終的にロベルタとガルシアを再会させ、合衆国軍隊とその他の勢力をこの街から排斥する。その為の一手が、バラライカへの連絡だ。

 

 連絡会の場で、俺や他のメンバーを前に堂々と米軍を狩ると宣言したのは彼女のみ。そして口にした言葉は必ず実行してきたのがあの女である。それがこのタイミングになっても大きな動きを見せていない。その理由として考えられるのは二つ。

 米軍の動きを把握できていないか。或いは把握していて泳がせているのか。

 戦闘狂のあの女のことである、敢えて自由にさせているという可能性もあるにはあるが、今回に限っては恐らく敵を補足出来てない。先の連絡の際に遊撃隊を周囲に配置していると言っていたのは、そういう理由からだろう。

 ホテル・モスクワが、未だ標的の正確な位置情報を把握出来ていない。逆を言えば、グレイフォックスはバラライカたちにすら尻尾を掴ませない程洗練された兵士たちの集まりということである。

 

 そんなグレイフォックス、次いでロベルタの居場所を俺は知っている。これに関してはほぼ徹夜で調べてくれた雪緒のおかげでしか無いが、実際に両者が戦闘を行っている現場に出会している。

 現在の詳細な居場所までは追えていないものの、これは他の組織に対して決して小さくないアドバンテージと成りうるものだ。それを利用しない手はない。

 

 かと言って一般回線を使用している以上おいそれと重要な単語を並べ立てるわけにもいかない。

 表向きはブーゲンビリア貿易を名乗っているのだから、物騒な単語を羅列してホテル・モスクワの裏の顔を露にするのは街にとっても本意ではないことだ。

 直接的な単語は避けつつ、それでいて盗聴している人間たちにもある程度の推測が成り立つような説明を。

 そういう経緯で俺の無い頭から振り絞られたのが、「ブーゲンビリア貿易名義で船を一隻用意してほしい」というものだったのだ。これならば裏の事情を知っている人間ならホテル・モスクワへの依頼であると判断でき、船を必要としているのなら港だろうとアタリを付けることが出来る。我ながら中々の出来である。周りに誰も褒めてくれるような人間がいないのが少しばかり寂しいが。

 

「仕込みはさっき済ませた。あいつの事だ、直ぐにでも動いてくれるだろうさ」

「その仕込みとやらは、先程の連絡のことを言っているのですか?」

「そうだ」

 

 俺がバラライカに話したことは少ない。というか仕事依頼の内容だけだ。正直な所、会話の内容など然したる問題ではない。俺がバラライカに連絡を付けた。その事実を街中が認識するところに意味があるのだ。

 米軍を狩ろうと動いているバラライカに、俺が連絡を付ける。米軍を南側で補足したと盗聴している連中が予測し、こちら側へと集まってくれることを期待しているわけだ。ロベルタ、ガルシアの本命にまでこの通信が傍受されているかは分からないが、少なくとも米軍には届いていると確信している。というか米軍の受信機にも声が乗るように細工までしたのである。いや、細工したのはリロイだけれども。

 そうなれば米軍は街から出るために都合よく用意された船の元へとやって来るだろう。それがどんなに上手い話で裏があるかもしれないと勘繰っても、目先の脅威を退けるためには船が必要だからだ。そして米軍が動けば、それを追って必ずロベルタも動く。

 とすれば残るは、

 

「……ガルシアだな」

 

 ポツリと、最後のピースを埋める少年の名を呟く。

 その他の敵勢力が残るが、それは本丸を街から取り除けば後からどうにでも出来る。

 取り急ぎ、ガルシアと行動を共にしているであろうレヴィに連絡を取ろうとして、その直前で相手をロックに切り替えた。レヴィに電話をすると耳元で騒がれてまともな会話にならないのだ。

 幸いなことに、電話は直ぐに繋がった。

 

『……もしもし』

「ようロック、今時間あるかい」

 

 極めて軽妙に、電話の向こう側へと言葉を投げる。

 

『珍しいですね、ウェイバーさんが俺に連絡を寄越すなんて』

「状況が状況なんでな。お前だって、それは分かってる筈だろう?」

 

 ロックは俺が電話を寄越したことに驚いているようだったが、今はそれを気にしているほど時間の余裕はない。さっさと本題をと、口を開く。

 

「ガルシアを連れて、港まで来い」

『…………』

 

 無言のまま、ロックは何事かを考えているようだった。

 彼がガルシアのために奔走していたことは知っている。もしかしたら最後まで責任を持って送り届けたいと思っているのかもしれない。ラグーン商会なら魚雷艇を所有しており、街からガルシアたちを脱出させることも可能だ。

 俺としてはロアナプラが元の形に収まるのであればそれでも構わないが、それではロックに掛かる負担が些か大きすぎるのではないだろうか。

 

「ロック」

 

 語りかけるように、声を紡ぐ。

 あまり無理はするなよと。俺にも出来ることがあるなら協力すると。そう意図して。

 

「――――身の程ってのは大事だぜ」

 

 通話口の向こうで、何かが軋むような音が聞こえた。

 

『……そうですね、ウェイバーさん』

 

 数秒、あるいは十数秒経って、ようやくロックからの返答があった。

 その声は先程よりも幾分低く、硬いものだった。

 

『俺は俺の、俺にしか出来ない仕事をしますよ。この盤上で、全ての駒を駆使して』

 

 それだけを告げると、ロックの方から通話を切られてしまった。

 無言になった手の中の携帯電話を一度見つめて、それからポケットへとねじ込む。

 

「お話は終わったのですか」

「ああ、そりゃもうバッチリだ」

「とてもそうは聞こえなかったのですが、まあいいでしょう。貴方の考えがこちらの埒外にあるということは何となく分かってきましたから」

「私もマナに同意です」

 

 唐突に始まる口撃に僅かに眉を顰めるも、反論することはしなかった。

 以前張にも似たようなことを言われた事があったからだ。

 

「……貴方は、一体どこまで……」

 

 少し考える素振りを見せて俯いたマナが何かを言おうとしたが、それは突如聞こえた銃声によってかき消される。

 おうおう。もう少し時間が掛かると思っていたが、案外行動が早いじゃないか。

 そう思いながらリボルバーを引き抜いた俺を見て、双子メイドも構えを取った。

 

「街の残党か、はたまた外部勢力か。どっちにしても好都合だ。先に掃除出来るってんだから」

 

 闇に紛れてしまっている視線の先からやって来るであろう敵を想像し、引鉄に指を掛ける。

 こんなもの、威嚇射撃にもなりやしないだろうけれど。

 

「無いよりはマシ、ってやつだな」

 

 自嘲気味に笑って。

 無駄弾になるだろう弾丸を、闇へ向かって発射した。

 

 

 

 62

 

 

 

「聞こえていたか」

「ええ、少佐。しかしこれは……」

「罠かもしれん。しかし現状、我々には海を越える手段はない」

 

 数十分前、傍受した通信を思い返し、キャクストンは口を真一文字に引き結ぶ。

 状況は芳しくない。自隊の後ろをピッタリと付いて離れない何者かは今もこちらを的確に追跡している。哨戒班の陽動も目に見える戦果を上げることが出来ていない。

 加えて陽が落ちてしまったこともグレイフォックスにとっては悪い方向に作用してしまっていた。

 彼らに地の利は無いに等しい。高々数日間を過ごしただけの街である。如何に周囲を地図上で把握していようと、実際の行動に即座に反映されるわけではない。

 

「何者なのだ。我々は、一体何と戦っている……?」

 

 正体の見えない敵との戦いは、部隊に確かな疲弊をもたらしつつあった。彼らとて多くの戦場を駆け抜けてきた戦士たちだ。そう簡単にやられるようなタマではない。

 だが、それはどうやら相手にも言えることのようだった。

 

「どうするシェーン。先ずは後ろの敵を叩くか?」

 

 レイの提案に、キャクストンは静かに首を横に振った。

 

「対決は我々の任務ではない。本筋を見失ってはいけない。とにかく部隊が損耗する前に奴を振り払うことだ」

 

 肩に掛けていた銃を今一度掛け直して、キャクストンは部隊全員に聞こえるよう言い放つ。

 

「南へ向かうぞ。合流地点の変更を各分隊に伝えろ」

 

 

 

 63

 

 

 

 当然のことながら、ウェイバーがバラライカに向けて発信した会話を傍受したのはグレイフォックスだけではない。

 ほぼリアルタイムでその会話内容を聞いていた人間たちが居る。

 そのうちの一人が、ヨアンだった。当然、その傍に居たガルシアもその内容を耳にしている。

 

「船ときたかあの野郎。っつーことは南東か? いや、アイツがそんな見え透いた罠張るわけが……」

「南ですよ。ヨアンさん」

 

 余りにも確信めいた表情でガルシアがそう言うので、ヨアンは一瞬言葉を失った。

 

「根拠はあるか?」

「ブーゲンビリア貿易はホテル・モスクワの表の顔です。そして所有している船舶は全て、南の専用ドックに保管されている」

 

 ガルシアを保護できたことは、ヨアンにとっての僥倖だった。

 少年は以前にも一度この街を訪れており、その時にこの街の構図をある程度把握していたのだ。当然、その中にはバラライカを頭とするホテル・モスクワも含まれる。

 ヨアンはしばし考えたが、少年に嘘を言っている様子はないことを確認すると、正方形の木箱から腰を上げた。

 

「んじゃ、その南へ向かうとするか。いつまでもこんな黴臭いビルに居るわけにもいかねェし。外じゃまだ花火大会やってるみたいだが、俺がいればまァ何とかなるだろ」

 

 愛銃をくるくると回しながら、ヨアンは特に警戒した素振りも見せず部屋の扉を開けて廊下へと出て行く。その様子に慌ててガルシアも廊下へと出る。

 

 と。

 

「……あァ、臭うな」

 

 その異変に真っ先に気付いたのはヨアンだった。

 鼻を刺激する濃密な臭い。死を連想させるもっとも代表的な赤黒い液体が放つその臭いが、どういうわけか漂っている。つい先程までそんな臭いは全く無かったはずだ。少なくともヨアンがガルシアを保護してから今までは。

 指先で回していた愛銃をパシンと止めて、正面へと銃口を向ける。

 ヨアンの視界の先、曲がり角の向こうから、階段を歩く足音が聞こえてくる。下りているのか、上がっているのかは定かでないが、その足音は確実にこちらに近付いてきていた。

 

 そして。

 

「――――ロ、」

 

 言葉にしようとして、叶わなかった。

 その人は。彼女は。これまで少年が見てきた姿と余りにもかけ離れ過ぎていた。

 俯く女の全身には夥しい量の血液が付着し、強烈な刺激臭を放っている。

 右手には拳銃が。そして左手には、かつて人間だったであろう赤桃色の肉塊が引き摺られていた。その肉塊から流れる血が、女の足跡のように床に刻まれていく。

 

 ガルシアは、込み上げる嘔吐感を抑えることが出来なかった。

 

「オイオイ、こりゃ前ン時とは別人じゃねェの。『猟犬』とはよく言ったもんだぜ」

 

 ヨアンの額に、一筋の汗が垂れる。

 以前路地裏で遭遇した時とは、明らかに身に纏う空気が違う。

 

 正面に立ち尽くす二人に女は気がついていないのか、人肉をずりずりと引きながら真っ直ぐに歩いてくる。

 その肉塊が身に付けていた軍服に見覚えのあったヨアンは、ここで女が相手取っていた組織に辿り着く。

 

「その首元の部隊章……、キューバの海軍特殊作戦班(FEN)か」

 

 呟かれた言葉も、間近に迫った女には聞こえない、届かない。俯いたままの彼女には、二人の存在など無いに等しい。そこらのダストボックスと同じ扱いだ。

 

 だから、そう。

 

 ダストボックスが敬愛するあの少年に見えてしまうのは、きっと夢のせいだ。

 

 有り得ない。

 彼がこんな場所に居るはずがない。

 今もあの荘園で、残してきたメイドたちと安らかに生活している筈なのだから。

 

 実に不愉快な夢だ。既に放棄した思考の片隅で、女はぼんやりとそんなことを思った。

 幾ら夢と言えど、少年が眼前に居るのは我慢ならないことだった。彼にだけは、ガルシアにだけは。こんな醜い己の姿を見せたくはない。

 

 ならば。

 

「…………キシッ、」

 

 女の口角が、獰猛に吊り上がる。

 夢ならば。そんな少年は居なかったのだと。

 そういう風に、書き換えてしまえばいい。

 

 掴んでいた肉塊を投げ捨て、姿勢を低くする。

 夢の中の少年は手で口元を押さえたまま蹲り、ぴくりとも動こうとしない。命を刈り取るのは容易いことだろう。

 

 

 

 絶望が、押し寄せる――――。

 

 

 

 

 

 




磯野フネボイスで以下要点。 船だけに(小声)

・姉御出動(重要)
・ガルシア迷子。
・ロック、エダと舌戦のち協調。
・おっさん勘違い発動。
・ロベ公発進。

あと三話。

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