悪徳の都に浸かる   作:晃甫

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043 そして狂宴が始まる

 

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 猟犬は視界に写り込む虚像を消し去るべく床を蹴る。犬歯を剥き出しにして嗤うロベルタの正面に立つは、彼女が守りたかった筈の当主、ガルシア。

 そして。

 

「――――ったく、ちょいとばかし血気盛んに過ぎるんじゃねェか」

 

 ICPOに所属する赤シャツの男、ヨアン。

 彼は即座にベルトに着けたホルスタから拳銃を引き抜き、突貫してくる女へと発砲する。

 ヨアンの愛銃、デザートイーグル50AEが噴いた。

 抜群の射撃技術を駆使して放たれた弾丸は、寸分の狂いもなくロベルタの額と四肢に向かって突き進む。自動拳銃として最大クラスの威力を持つ弾薬は、当たりさえすれば甚大なダメージを与えるだろう。

 だが、それをロベルタが身を捩ることで回避する。中国雑技団も真っ青なアクロバットを決め、それでも猟犬の突貫速度は緩まない。

 

 理性ある獣。

 今の彼女を表現するのであれば、恐らく一番しっくりくる表現だ。

 

「流石にA級首ってことか。単純な銃撃なんざ通用しねえか」

 

 吐き捨てるようにそう言って、ヨアンは拳銃をホルスタへと戻す。次いで近くに座り込んでいたガルシアを適当な部屋へと押し込み、ロベルタの視界から外した。

 シャツのボタンを上から更に二つ程外して、ヨアンは姿勢をやや低くする。

 一度深く息を吸い込み、正面に視線を固定。人間とは思えない速度で向かってくるロベルタに向かって、ヨアンは床を蹴って踏み込んだ。

 

「武器がダメなら徒手格闘、ICPO舐めんなよ」

 

 人間とは思えない速度で振り抜かれたヨアンの拳が、ロベルタの髪の毛を掠める。

 超人並の身体能力で接近戦を挑んだヨアンの攻撃を、同じく化物じみた身体能力で躱してみせたロベルタ。彼我の差、およそ十センチ。

 突き出した腕の運動能力を利用して、ヨアンは身体をぐるりと回す。ロベルタはその動きに瞬時に反応、次の瞬間に上部から振り下ろされたヨアンの右脚を片腕一本で受け止めた。

 

「うげ、女に腕一本で止められたのは初めてだ」

「……邪魔を、」

 

 ギチッ、とロベルタの奥歯が軋む。

 ヨアンの脚を受け止めた腕に、爆発的に力が込もる。

 

「――――するなッ!!」

 

 浮き上がった血管から、赤い液体が爆ぜる。脚を掴んだまま、ロベルタは無造作にヨアンを木製の壁へ叩きつけた。その衝撃で木材は割れ、ヨアンは無人の部屋へと吹き飛ばされる。

 腕力のみで大の男を吹き飛ばしたロベルタは、ガルシアが押し込まれた隣の部屋へ向かって進みだす。

 

「……オイオイ」

 

 直後、一発の銃声。

 銃声のした方向を瞬時に察知したロベルタは咄嗟に回避行動を取る。

 しかし。

 

「簡単に俺を殺せると思うなよ、犬っころ」

 

 ヨアンの銃弾は、それよりも早かった。

 鉛玉が、ロベルタのふくらはぎを撃ち抜いた。

 

「ッ……!!」

 

 時間にすれば一秒にも満たない間、ロベルタの動きが止まる。その隙をヨアンは見逃さない。

 背中から感じる激痛を無視してガルシアを押し込んだ部屋へと飛び込み、そのまま部屋の隅で丸まっていた少年を引っ掴む。

 

「ひとつ聞くぞ少年」

 

 ガルシアを抱えたまま走り出したヨアンが向かう先は廊下へと続く出口ではなく、その逆方向。

 

「紐無しバンジーは好きか?」

 

 その問い掛けに、答える余裕などあるはずもなく。

 ガルシアの答えを聞く前に、ヨアンは三階の窓ガラスを割って夜空へと飛び出した。

 

 

 

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 メイド服のポケットにつっこんであった大きめの携帯電話から無骨な着信音が鳴り響いて、慌ててファビオラはそれを耳に押し当てた。

 彼女が所持する電話の番号を知っている人間など片手で数える程しか居ない。そして真っ先に浮かぶのは、ラブレス家に属する人間。

 

「もしもし、若さ」

『良かった、繋がった』

 

 聞こえてきたのは、少年の声ではなく青年の声だった。

 一瞬の期待は無残にも砕かれ、無意識にファビオラは電話を強く握った。

 

「……なんでしょうか、セニョール・ロック」

『状況確認がしたい。君たちは今どこに居る?』

 

 ロックがファビオラへと連絡を取ったのは、数分前のウェイバーとのやり取りがあったからである。ロックはウェイバーの意図を正確に汲み取り、この盤上を動かそうとしていた。

 この案件に終止符を打つために必要な駒は二つ。ガルシアと、ロベルタだ。この二人が生きてこの街を出ること。更に付け加えれば、米軍と黄金夜会に被害を出さずに。

 一先ずはファビオラたちと行動をしているガルシアの保護をしつつ、こちらの目的地である港まで向かわせる。ロックはそう考えていた。

 しかし。

 

「おいロリータ、ロックからか?」

 

 通話に気が付いたレヴィがファビオラから電話をぶん取る。

 

「ロック。ちょいとばかし面倒なことになった」

『……何?』

「銃撃戦の最中で若様とはぐれた。今残党を殲滅しながら探してる」

 

 レヴィの報告に、ロックは額を手で覆った。

 ということは今、ガルシアはこの最悪の街の最悪な夜にたった一人で行動しているということになる。流れ弾に当たって死んだなんてことになったら目も当てられない。これまでの苦労が水の泡だ。

 ロックはハンドルに額をつき、どうするべきかを考える。

 陽の落ちたロアナプラで子供一人を捜し出すのにかかる時間と、ロベルタが米軍に追い付くまでの時間。天秤に掛けるまでもない。そしてそうなってしまったが最後、この戦争は止められなくなる。

 

「……考えろ、どうする。ウェイバーさんなら、どう動く……」

 

 勝利条件となる駒の一つが、掌から落下したように錯覚する。

 ロックの背後には、ドス黒い戦禍がすぐそこにまで迫っている。

 

 どうする。

 どうする。

 どうする。

 

「オイッ!!」

 

 それは突然の事だった。

 聞き慣れない男の声と共に、車のウィンドウが勢いよく叩かれる。

 すわ何事かと反射的に声と音のした方を見てみれば、額から血を流す赤いシャツを着た男が立っていた。

 

 次いでロックがその事(・・・)を認識した瞬間、瞳が大きく見開かれる。握っていた携帯電話に、自然と力が篭った。

 

「丁度イイ所に居合わせてくれたな。訳ありなんだ、乗せてくれ」

 

 そう言って、男は小脇に抱えた少年を見えるように僅かに動かした。

 自然、ロックは口元が薄く歪む。

 

 是非もない。

 ロックは後部座席のドアを開け、二人を乗せてキーを回す。

 

「出来るだけ早くここを離れてくれ。面倒な犬っころが追ってくる」

 

 男の言葉が何を意味しているのか即座に理解したロックだったが、同時に疑問も浮かぶ。

 ロベルタの目的が見えなくなっているのだ。彼女の目的は前当主を殺害した米軍への復讐の筈ではなかったか。それがどうして、ガルシアと男の二人を追うような事態になっているのか。

 バックミラー越しに後部座席に座る男を流し見て、ロックは思案する。

 身代金目当ての誘拐、というわけではなさそうだ。そもそもガルシアの素性を知っているのかも定かではないが、身辺調査を済ませているのならこの車に乗り込んでくるのはおかしい。ガルシアとラグーン商会に繋がりがあることくらい洗えばすぐに得られる情報だ。

 顔立ちからしてヨーロッパの人間だろうか。明るい茶髪に派手なシャツは、どこかウェイバーとは正反対な印象を抱かせた。

 

 三人を乗せたセダンは暗闇の中を走り出す。

 裏路地に停めていたため、街灯の類も設置されていない。エンジン音だけが、不気味な程大きく聞こえた。

 

「アンタ、さっきからこのガキを見てるが知り合いか何かか?」

 

 車を走らせ始めてすぐの事。

 後ろから声を掛けられて、ロックはわずかな逡巡の後答える。

 

「その子は知り合いの息子なんだ。訳あって今はこの街に滞在している」

「訳あって、ね。どんな訳があれば奴に追われる羽目になるのかね」

「……貴方こそ、この街では見ない顔だ」

「だろうな」

 

 ロックの言葉に、男は間髪いれずにそう答えた。

 

「誰が好き好んでこんな街に来るかよ。アイツが根城にしてるっつうから様子を見に来ただけだったんだが、まさかA級首と遭遇するとは思わなかった」

 

 アイツ。A級首。

 言葉の端々からただならぬ雰囲気を醸し出す男であるが、どこかおしゃべりなようである。寡黙なウェイバーとはやはり正反対だと感じた。

 そんなやや懐疑的な視線に気が付いたのか、顔に付着した血を拭っていた男はロックと視線を合わせる。

 

「ま、こうして会ったのも何かの縁だ。自己紹介くらいはしておく、ヨアンだ」

「……俺は。俺の名は、ロック」

「ロックね。見たところ東洋人みたいだが」

「この街には昔の名前を捨てた人間なんて吐いて捨てる程いる。それだけのことですよ」

 

 そんな言葉を受けて、ヨアンは小さく肩を竦めた。

 

「野暮だったな。忘れてくれ」

「いえ、構いません。俺は俺だ。それだけが分かっていればいい」

 

 視線は前に固定したまま、ロックはそう告げた。

 運転席に座る東洋人の瞳が何処かあの男を彷彿させることに、ヨアンは気が付いていなかった。今この場に限っては、その余裕が無かったという方が正しいのかもしれない。

 何故なら。

 

「……ハッ、だよなぁ。脚の一本潰したくらいじゃ、テメエは止まらねェ」

 

 背もたれに腕を乗せて上体を捻り、猛スピードで迫るソレに視線を固定する。

 

「ロック、もっとアクセルを踏めッ!」

 

 ヨアンのその言葉の意味をまたしても一瞬にして理解したロックは、ちらりとバックミラーを見やる。

 光源の無い裏路地、その奥から感じる強烈な圧迫感。

 その正体を認識した瞬間、ロックはアクセルを限界まで踏み込んだ。

 

「しつけェ女だ、面倒臭ェな!!」

 

 身体のあちこちを血に染めた猟犬が、再びその姿を現した。

 

 

 

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「ふむ、どうやらお前の棒読みの演技も無駄では無かったようだぞ」

 

 

 既に陽は落ち切り、星は分厚い雲に覆われ暗い夜空が上空に広がっている。

 そんな空の下、埠頭に立つ張が、そんな事を俺に言った。どうやら部下からの連絡があったようだ。

 なんのことだと一瞬思ったが、直ぐにそれがバラライカへの通信だということに思い当たる。演技でも何でも無かったのだが、どういうわけか張にはヤラセ臭い演技に聞こえていたようである。

 

「悪かったな棒読みで。そしてあれは演技じゃねェ」

「冗談も休み休み言えよウェイバー。一般回線まで使って俺に聞かせたかったんだろう? こんな回りくどい真似しなくても良かっただろうに。……ま、権力が邪魔をしてるってのは理解できるがな」

「…………」

 

 得意げに語る張に視線だけは向けながら思う。

 いや、何を言ってるんだこのおっさんはと。

 俺がわざわざ一般回線を使用したのは米軍にまで先の会話を聞かせるためだ。ついでに盗聴に勤しむ有象無象の排除。ロベルタと米軍を分断し、両者を速やかにこの街から脱出させるための一手である。断じて張をこの港に呼び出すためのものではなかった。

 

「お前の目論見通り、合衆国軍隊はこの港に向かって進んでいる。あと十五分もすれば到着するだろう」

「……そうか」

 

 全く見当違いの事を宣っているかと思えば、どんぴしゃで俺の考えに被せてきた。こういうところが食えないのだ。だから三合会とはなるべく敵対したくない。 

 

「米軍に関しちゃ一先ず目処が立った。残るはガルシア、猟犬、そしてホテル・モスクワだ。どう片を付けるつもりだ? ウェイバー」

 

 疑問形の言葉とは裏腹に、張の表情はどこか楽しげだ。

 何か策を用意しているんだろ、とでも言いたそうである。そしてそんな策は用意していない。

 

「……ガルシアに関しては問題ない。ロックへ港に連れてくるように伝えてある」

「ハッ、手回しが早いな」

 

 裏から手を回すことにかけてはこの街随一の男にそんな事を言われるも、俺は無言で一つ頷くに留めた。まだ二つ、対処しなければならない問題が残っている。

 

「猟犬に関しちゃ心配はいらなさそうだぞ」

 

 そんな俺の思いを汲み取ってか、張が言った。

 

「合衆国軍を追っていた筈だが、上手く分断できたようだな。今はロックたちと一緒にラグーン商会のドックへと向かってる。今しがた入った情報だ、間違いない」

 

 一緒に、という部分にそこはかとない違和感を覚えたが、一先ずそれは置いておくことにしよう。

 これでロベルタについてもある程度の目算は立った。米軍と分断出来たのなら万々歳だ。彼らを付け狙う輩が減ったのだから。

 

「…………フッ」

 

 思わず小さな笑いが溢れた。

 ああ、一番厄介な相手が最後まで残ってしまった。出来ることならこのまま闇夜に紛れて事務所に帰りたい。

 しかしながらそうさせてくれないのが今回の相手である。この十年、何度となく銃口を向け合ってきた宿敵とも言える相手。

 

「そんなに火傷顔と戦えるのが嬉しいか? ウェイバー」

 

 そんな訳あるかよ、と吐き捨てたい気持ちでいっぱいである。

 ここでそんな戯言を口にしてしまえば四方八方から鉛玉をお見舞いされそうなので、決して口にはしないけれど。

 

「お前はどうするつもりだ、張」

 

 話題転換のつもりで、黒づくめの男にそう問い掛ける。張だってバラライカとは浅からぬ因縁がある。命を取り合うには十分すぎる理由を持っていた。

 

「俺たち三合会の総意はあくまでもこの街の存続だ。事件解決の目処が立った以上、余計な真似は本意じゃない」

 

 張はコートの内ポケットから煙草を取り出して、慣れた手つきで火を付けた。

 肺にまで取り込まれた煙が、ゆっくりと鼻腔から抜けていく。

 

「……だが個人的には、こんな夜に火遊びするのも悪くない」

 

 ニヤリ、と三合会支部長の口元が歪んだ。

 

「思い出すな、あの日の夜を」

 

 煙草を咥えたまま、光源のない夜空を見上げる。

 張が思い出しているのは、一体いつの夜のことなのだろうか。思い当たる節がありすぎて判断が出来ない。

 

「……ハッ、」

 

 いつのことを言っているのかさっぱりなので、取り敢えずそれっぽく笑うことにした。

 このシリアスな空気を壊すのはなんだか憚られたのだ。俺は空気が読める男なのである。

 しかしそんな俺の笑いをどう受け取ったのか、その口角を更に歪めてみせた。

 

「だろうな。この状況、実に誂え向きじゃないか。米軍が此処に到着するまでというリミットはあるが、久方ぶりのダンスパーティだ」

 

 そう言って張は傍に控えていた腹心、彪へと指示を飛ばした。

 

 ああ、どうやら俺は選択を間違えたらしい。

 そう気が付いたのは、張が三合会の構成員を各所に配置し、全ての手筈を整えていたからだ。

 張維新という男は、ホテル・モスクワと正面切って事を構えるつもりだ。

 

「馬鹿言うな、米軍を無事ここから送り出すまでの時間稼ぎだよ」

 

 平然と宣うサングラスの男に、俺は盛大な溜息を吐き出すことしか出来なかった。

 この場を離れようにも既に三合会は配置に付き、今も接近しているであろう遊撃隊たちを迎え撃たんとしている。というか今俺が立っているこの場所が最前線のようなものだ。どうしてこうなった。

 

 はぁ、ともう一つ大きな溜息。

 ちらりと視線を後ろに向ければ、これまで傍観を決め込んでいた双子メイドと目が合った。

 

「今の話は聞いてたな?」

「ええ」

「確りと」

 

 長槍を両手で握り締め、二人の少女は短く答えた。

 出来ることなら二人にはロックたちの向かっている港へ合流してもらいたいところだが、生憎とそこへ向かうルートは完全に夜会に包囲されているだろう。幼気な少女二人だけであの地雷原を抜けるのは至難の業だ。ついでに言えば二人にはこの街の土地勘が無い。この闇夜の中を進むのは困難だ。

 となれば、誰かが彼女たちを護衛兼案内しなければならないのだが。

 

「こっちは任せとけ。きっちり仕事はこなしてやるよ」

 

 ひらひらと手を振って、張は軽い調子で言った。この男、押し付ける気満々である。

 

「船の手配はどうなってる」

「うちの傘下の民間船を使う。通常ルートからは外れるが、潮の影響だとでも言い張るさ」

 

 どうやら米軍についてはほぼ心配無さそうだ。唯一の懸案としてはバラライカたちが先に米軍と遭遇してしまう点だが、三合会が出張っているのであればその可能性はそう高くない筈だ。火傷顔率いる遊撃隊と同様に、張を支部長とする香港マフィアの練度もかなりのもの。容易く崩れる均衡ではない。

 成り行きというのは本当に恐ろしい。既に周囲には俺が出陣するような空気が出来上がっている。まだ明言などしていないというのに。

 

「将来有望な女性の案内だ。燃えるだろ」

「枯れ切ったオヤジに言うような台詞じゃあねェな」

 

 軽口を叩き合い、互いに背を向けて歩き出す。

 正直こんな夜更けにあの女と命の取り合いをするとか正気の沙汰ではないが、ここまで来てしまったらもう引き下がることは出来なかった。日本人は今も昔も押しに弱いのである。

 

「マナ、ルナ。これからお前たちをガルシアの元へと送り届ける」

 

 歩みは止めることなく、俺の後ろを付いてくる二人へ言葉を投げる。

 

「走れば一時間はかからない。……何事も無ければだがな」

 

 マナとルナ、二人の長槍を握る力が自然と強くなる。

 その様子を後ろ目で見て、僅かに頷いた。

 

「その緊張を途切れさせるなよ。ここから先は、一線級の戦場だ」

 

 そして俺も、懐から愛銃を引き抜く。

 一挺ではなく、二挺。

 

 あの軍隊を相手に拳銃一挺とか、自殺行為以外の何物でもない。

 

 

 

 

 

「行ったか」

 

 闇夜の中へと消えていった男の背中を見送って、張は呟いた。

 ウェイバーは背中を向けたまま、最後までこちらを振り返ることは無かった。

 俺の背中は任せたぞ、まるでそう言っているかのようだった。

 きっと今ウェイバーの胸の内には、歓喜に満ちていることだろう。あの日の夜、三人で鉛玉を喰いあったあの夜の続きが出来るのだから。

 獰猛に嗤おうとする表情を殺して小さく嗤ったウェイバーの瞳を見て、張は背筋に冷たいものを感じていた。

 

「……全く、今日お前が敵でなくて良かったよ」

 

 これ以上ドテッ腹に風穴を開けられるのは御免だ。

 街の喧騒とは正反対に穏やかな海を眺めながら、つくづくそう思うのだった。

 

「大兄」

 

 思考に耽っていた張を、彪が呼び戻した。

 

金三角(ゴールデントライアングル)へは通達を取りました」

「ご苦労。ウェイバーは予定通り美国人(アメリカンズ)を海まで引きずり出した。後はこっちの領分だ」

「……火傷顔は、遊撃隊はあの男の元へ向かうでしょうか」

 

 腹心の言葉に、張は間髪入れずに答えた。

 

「間違いない」

 

 そう断言する張に、要領を得ない様子の彪は首を捻る。

 その疑問に答えるように、張はいかにも楽しそうに続けた。

 

「あの男の周りには常に戦争がある。厄介事は際限なくウェイバーに吸い寄せられるのさ。となれば当然、あの女も吸い寄せられる」

 

 その戦争への招待状は、既に渡されている。

 一般回線を通して告げられた言葉の端々に、それを匂わせる単語は散りばめられていた。

 

「バルカン半島も真っ青な火薬庫だよ、あいつは」

 

 

 

 73

 

 

 

 その異変に気が付いたのは、やはりというかレヴィだった。

 先頭を走るロットンの首根っこを引っ掴んで強制停止させ、大通りへ出ようとしていた流れを強引に断ち切る。

 ぐえっ、と美丈夫の喉あたりから潰れたような音が聞こえたが一切無視して、レヴィは建物の陰から大通りの方を観察する。

 

「……やべェな」

 

 軽く舌を打ち、レヴィがカトラスを握り直した。

 

「な、何があったんですか」

 

 最後方を走っていたファビオラは、未だその詳細を掴めていないようだった。前に居る三人が、一様に纏う空気を一変させたことに驚愕するばかりである。

 

「静かにしてろお嬢ちゃん(チキータ)。生きて若様に会いてェならな」

 

 酷く平坦な言葉を連ねるレヴィの視線の先。

 何棟か向こうのビルの屋上に仁王立ちする女がはっきりと視認できた。

 いつもの高級スーツではなく、軍服に身を包んだその姿を目の当たりにして、動きを止めざるを得なかったのだ。

 

『聞こえるか、二挺拳銃(トゥーハンド)

 

 唐突にバラライカがレヴィたちの潜む細い路地へと視線を向けた。恐らくは周辺に配置した部下たちの報告であろう。既にこちらの居場所は割れている。

 バラライカの声は、目の前の大通りに設置された公衆電話から聞こえている。どういうわけか受話器は既に外され、コードがだらしなく伸びている。

 数秒思考したレヴィだったが、カトラスは構えたまま大通りへと足を踏み出し、その受話器を手に取る。

 

『長話は嫌いだ、手短にすます』

 

 よくよく周囲を観察すれば、周囲一帯に多数の気配がある。恐らくはこちらに銃口を向けたままその体勢を維持している。指示があれば直ぐ様攻撃に移れるよう、その引鉄に指をかけたまま。

 

『今夜の戦争は我々だけ(・・・・)のものだ。貴様、招待状は受け取っているか』

 

 何の話だ、と口を挟むことすら許されなかった。周囲の空気が急速に張り詰めていく。

 

『分からなければそれでいい。これは我々だけが愉しむための戦いだ。穢すことは、断じて許さん』

 

 それだけを話すと、通話が一方的に切られた。これ以上交わす言葉などないと、言外に告げていた。

 

 フザけるな、と数年前のレヴィであれば憤慨しているかもしれない。

 あるいは罵詈雑言を並べ立て、年甲斐もなく喚き散らしていたかもしれない。

 

 だがそうしたところで何も物事は進展しないのだと、レヴィは既に学んでいた。

 

 手にしていた受話器を戻し、小さく息を吐く。

 周囲を確認したところ、未だ複数の人間がこちらの様子を窺っている視線を察知した。大人しく家へ帰るまでは、この視線が消えることはないのだろう。

 何事も無いかのように路地へと向かいながら、レヴィは高速で思考する。

 

 あのバラライカが自分たちだけの戦争とまで言わしめる相手など、この街には数える程しかいない。その中でも、レヴィは半ば確信していた。

 

 ウェイバーが、動いている。

 

 表立って動けないとホテルでは口にしていたが、言葉通りの行動だったことなど一度としてない男である。当然この件にも関わってくるとは考えていたが、まさかこのタイミングとは。

 

(いや、ボスのことだ。今このタイミングで姉御を引っ張り出さなきゃならなかった理由があるに違いねェ)

 

 なら今、自分に出来ることは。

 ガルシアの存在など記憶の彼方へと消し飛ばし、ウェイバー最優先で辿り着いた結論。

 

(姉御と戦うってんなら、少しでも戦力は削いだ方がいい。こっちを監視する目は、多いに越したことねェ)

 

 相手は一人一人がウェイバーに迫る屈強な軍人。

 それがどうした。

 

 アタシはあのボスの元で経験を積んだ。

 

 細い路地に入る手前で、レヴィは立ち止まる。

 そして。

 銀色に煌くベレッタを、勢いよく引き抜いた。

 

 

 

 

 

 





あと一話。(場合によっては二話)

以下要点。
・ロック、銭形(赤)と合流。
・おっさん同盟。
・姉御VS刺青女、開戦。

ホテル・モスクワと三合会と猟犬と米軍と忠犬と銀髪少女とおっさんがいる戦場(白目)

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