悪徳の都に浸かる   作:晃甫

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048 悪意と殺意と真意

 夜明け前のロアナプラ。安宿の一室。

 ハードなトレーニングを終え汗だくになったベニーは、額に貼り付いた前髪を掻き分け、彼女が発した言葉に驚愕を示した。

 

「それじゃ君は、最初から彼女のことを疑っていたのかい?」

 

 目を丸くするベニーの顔を見つめて、ジェーンは得意げに一つ頷いた。

 シーツを取り換えたベッドに横たわり、ベニーの腕に頭を乗せた彼女はこれまでの経緯を語り出す。

 

「本格的に疑いを持ったのはここ最近の話よ。フォーラムで彼女の腕前を何度か見させてもらったことがあったの。その時の彼女のやり口が、最近アメリカを中心に好き勝手やってるサイバーグループにそっくりだった」

 

 つつ、とベニーの胸板に指を這わせ、彼女は続ける。

 

「調べてみたら案の定、アメリカに留学していた頃の彼女のデータが出てきたわ。目を付けた相手の手管を盗んで利益を掻っ攫う。そして相手はスケープゴートにって寸法ね。ざっと調べただけでも十四件、あの女が絡んでる」

「すごいな、そこらのクラッカーより余程タチが悪い」

「ええ、ただまぁ、私たちを狙ったのがあの子にとっての運の尽きよ。踏んで来た場数が違うわ」

 

 こちらも慈善事業ではない、とでも言うようにジェーンは笑う。

 随分とまあ強かになったものだとベニーはしみじみ思った。いつぞやの泣き顔を晒していた人物と同じとは到底思えない。これもウェイバーが齎した影響の一端だろうか。

 

「さて、と」

「仕事かい?」

「ええ、うちのチームの一人が彼女の仕事を監視しているの。そろそろ連絡が入る筈だわ」

 

 バスローブを羽織り、ジェーンはデスクへと向かう。

 

「ああ、哀れなミス北京ダック。無様に毛を毟られるその前に、せめて私たちに多大な利益を」

 

 

 

 11

 

 

 

 PC特有の稼働音と、キーボードを小気味よく叩く音のみが室内に響く。

 馮が仕事に取り掛かり早一時間。その間ロックはソファに横になって彼女の後ろ姿をぼんやりと眺めていた。

 

 華奢な身体だ。ロックは率直にそう思った。

 普段見慣れている女性がレヴィやバラライカ、印象に残っているのがロベルタだからかもしれない。デスクワークが主な業務なのだろう。首筋から背中にかけて大きな筋肉は付いていない。女性らしい、と表現していいものなのかは微妙な所であるが、成程よくよく思い返してみれば一般女性とはこういうものなのかもしれない。

 

「……私の背中に何か付いてる?」

 

 そんな男の視線に女は敏感なのか、馮は絶え間なく動かしていた指を止めてくるりと振り返る。 

 当のロックはというと、特に焦る様子もなくゆっくりと身体を起こして。

 

「不快に思ったのならすまない。女性の身体はこういうものだったな、と感慨に耽ってた」

「…………?」

 

 ロックの言っている意味が分からないのか、馮は眉を顰めて首を傾げている。

 

「それより、仕事の進捗はどうなんだ?」

「ええ、おかげさまで順調よ。あと数十分もあればボスからのミッションも完遂出来るわ」

「そうか。それは何より」

 

 窓の外に視線を向ければ、海岸線の向こうは徐々に白み始めている。腕時計を確認すれば午前五時半。もう後三十分もすれば市場にも活気が出てくるだろう。そこで何か朝食を摂ることにしよう。ロックは酒の抜け切らない頭でそんな事を考えていた。

 

「ん、終わり」

 

 腕を上へと突き上げて背筋を伸ばす。

 馮は最後にエンターキーを叩いて、開いていた幾つかのウィンドウを閉じた。

 

「あとはボスが私の腕をどう判断するかね」

「顔には自信満々と書いてあるように見えるけど」

「あら、ご明察」

 

 くすりと彼女は笑みを零す。

 先程までの手並みを後ろから見ていたロックは、彼女の腕前が相当のモノであると素人ながらに気が付いていた。それこそベニーにも劣らないレベルなのでは、と思う程に。

 

「……なぁ、君は本当にジェーンのチームに入る必要があるのか?」

 

 単純な疑問だった。

 それ程の腕があるのなら、ジェーンに指示を受けずともやっていけるのでないだろうか。

 ロックの質問に、馮は苦笑を浮かべて肩を竦めた。

 

「一人でやっていくっていうのにも限界はあるの。特にこういったグレーな部分を生業にしようとするとね」

「チームメイトを作るのが目的だっていうのか?」

 

 たったそれだけの為に態々この街に足を運んだというのだろうか。

 一歩踏み間違えてしまえば命を失うかもしれない、こんな危険な街に。リスクとメリットがまるで釣り合っていない。

 

「そうね、仲間を作るというのも目的の一つ。リスクを分散出来るというのはそれだけでメリットだもの」

「繋がらないな、それでも……いや、やっぱり止めておく」

 

 何か思うところがあったのだろう。ロックは言葉を続けようとして、しかし既の所でそれを飲み込んだ。

 不思議そうに馮が尋ねる。

 

「あら、どうしたの?」

「他人の便器を覗かない。それがこの街の暗黙のルールだ」

 

 聞いて、馮は思わず吹き出した。

 肩を上下に揺らして笑うその姿が、ロックには初めて見る年相応のものに見えた。

 

「やっぱり優しいわね貴方。この街じゃ歪に見えてしまうけれど」

「そういう見方が出来るのは君の美徳だろうな。でも、俺の中身はそんな綺麗なモンじゃない」

 

 自嘲気味に呟いたロックの言葉に、馮はあっけらかんと答える。

 

「誰だって腹の中には一物抱えてるわよ。それが人間、私だって人に言えない秘密の一つや二つあるわ」

 

 言って、彼女は窓から差し込み始めた光に目を細める。

 

「そういうのも全部ひっくるめて、貴方は何だか信用できそうよ」

「……それも、女の勘ってやつかい?」

 

 ロックの問い掛けに、彼女は無言で片目を閉じて見せた。

 

 

 

 

 12

 

 

 

 

「…………」

「おはようおじさん、もう朝ご飯の時間よ」

「……ああ」

 

 にこにこと微笑むグレイの顔を目の前にして、俺は中々に最悪な目覚めを迎えていた。

 孫にも近い子供が起こしにきてくれるという、シチュエーションだけなら微笑ましいものなのだが、俺の顔の数センチ横に突き立てられたミリタリーナイフがそのすべてを台無しにしている。ベッドに空いた穴もこれで幾つになったか分からない。

 

「ああ、今日も殺せなかった。分かってはいるけれど、もどかしくて堪らないわ」

「いい加減諦めたらどうだ」

「ふふ、それは嫌よ。だってそれだけが楽しみで、私はおじさんと一緒に居るんですもの」

 

 いやまぁ、今日に関しては寝返りを打っていなかったら串刺しになっていたわけだが。

 完全にラッキー、命拾いというやつである。背中から嫌な汗がどっと噴き出している。

 背中は一面水浸しだが、表情にはおくびにも出さず、ベッドから起き上がってシャワールームへと向かう。

 

 すたすた。

 とことこ。

 

「いや付いてくるなよ」

「私もシャワーを浴びたいと思っていたの」

「ならその両手に抱えた手榴弾を戻してこい馬鹿野郎」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、おはようございますウェイバーさん」

 

 グレイを撃退してシャワーを浴びた後、事務所の一角に設けられた部屋のドアを開くと、ガラス製のダイニングテーブルに朝食を並べる雪緒と目が合った。ここはキッチンと併設されたフロアであり、リビングとして使用することが多い。俺がいつも使用している部屋の隣である。

 

「ああ、おはよう」

「今コーヒーを淹れますね。何にしますか?」

「今日はマンデリンにしてくれ」

 

 引かれた椅子に腰を下ろすと、間もなくして淹れたてのコーヒーが置かれた。

 そのまま口に含んで一息。これで英字の経済新聞か何かを読んでいれば、モダンなジェントルマンの朝の風景に見えるだろう。

 

「そういえばウェイバーさん、グレイちゃんを知りませんか。ウェイバーさんを起こしに行くと言って出ていったきり戻ってこないんですけど」

「起こす所か息の根を止められそうになったぞ」

「まあ、いつもの事じゃないですか」

 

 親子のスキンシップですね、とまるで見当違いな事を述べながら雪緒も席に着く。なんというか、雪緒もこの街に着実に染められている。日本に居た頃は血を見るだけで怯えを見せていたというのに、こうも変わるものかと驚きを隠せない。表情には出さないが。

 

「さっぱりしたわあ」

 

 などと考えていると、タオルを首に巻いたグレイが扉を開いてやってきた。どうやらシャワーを浴びたいというのは本当だったらしく、だぼっとした黒いTシャツに着替えている。というかそれ俺の寝間着じゃねえか。

 

「こら、ちゃんと髪の毛は乾かさないとダメでしょう?」

「うええ」

 

 髪の毛から水が滴っている状況を雪緒が見逃す筈もなく。

 敢え無く捕獲されたグレイは、一旦洗面台へと連れて行かれた。ドナドナされるグレイは最早見慣れた光景ではあるが、本当に髪の毛の手入れはしっかりしておいた方がいい。若いうちは気付かないのだ。後退が始まってからではもう遅い。これは経験談である。ぶっちゃけ銃の手入れと同じくらい髪の毛には気を遣っている。

 

 十五分ほどして戻ってきた雪緒たちと食事を摂りながら、今日の予定を確認していく。

 

「午前中は洗濯機を見て回る、でいいのか?」

「はい、と言っても電化製品を置いている店は多くないので、すぐに済むと思います」

 

 電化製品があると言えばマップラオ辺りか、あの辺りは俺よりもレヴィの方が詳しいかもしれない。もし暇なら案内でも頼んでみようか。

 

「私お昼はパスタが食べたいわあ」

「パスタなぁ」

 

 この街で美味いと言えるパスタを出す店は少ない。そもそも質より量というスタンスの店が多いからか、きちんとした食事を摂れる場所が驚くほど少ないのだ。そこらの適当な店に入るくらいなら、カリビアン・バーの食事の方が美味いのである。

 

 そういう訳で、この街で量より質でパスタを提供している場所は限られる。俺の知る限りではカリビアン・バー以外では一か所だけだ。

 

「なら昼は美味いパスタにしよう。味は俺が保証する」

 

 

 

 

 13

 

 

 

 じりじりと刺すような陽の光が肌を刺激する。ロックは手で日除けをつくり、爛々と輝く太陽を恨めしそうに見上げた。

 ロアナプラを南北に走る大通り。その通りには道沿いに多くの屋台、商店が軒を連ねている。時刻は午前十時を回っており、通りには老若男女問わず多くの住民が集まり賑わいを見せていた。

 

「ここが?」

「ああ、マップラオ市場。ここに来れば大体のモノは揃う。食事も家具も、武器もだ」

 

 馮の問いに、ロックはそう答えた。

 結局あの後ドックでひと眠りしてしまい、目を覚ませばこの時間であった。それは馮も同じで、流石に夜通しの作業は堪えたのかシャワーを浴びた後ベッドへと倒れ込んだ。

 

「この辺りだとパッタイとかが有名なのかしら」

「タイの中心ならそうなのかもしれないけど、ここはタイの最南端。人種も国籍も混ざり合って出来ている街だ、寿司からボルシチまで一通りのものは揃ってる」

「……何でもありね」

 

 ややげんなりする馮に苦笑して、ロックは目に留まった屋台でハンバーガーを二つ購入。ついでに薄いコーヒーも。それらを一つずつ彼女へと手渡す。

 

「これなら食べ慣れてるわ」

「そうなのかい? てっきり中華料理ばかりだと」

「中国人が中華料理しか食べないと思ってるわけ?」

 

 目を細める馮の問いには答えず、ロックはハンバーガーを齧った。

 その様子を見て、馮も渡されたハンバーガーを口にする。パサついた肉としなびたレタスが色々と台無しにしていた。

 要するに美味しくなかった。

 

「美味い店の見分け方は前に教えてもらったんだけどな」

「全く役に立ってないわよ」

 

 幸いにしてコーヒーは一般的なものだったので、一緒に流し込んでいく。

 

「それでだ」

 

 市場の通りを歩きながら、ロックは前方を向いたまま口を開いた。

 

「君の仕事ぶりをジェーンが評価するのは分かった。けど具体的に結果はいつ分かるんだ?」

 

 ロックの隣を歩く馮は軽く肩を竦めて。

 

「ボスが律儀な人なら、今頃私に連絡が来ているでしょうね」

「あー、うん、察したよ」

 

 ジェーンの時間に対する感覚は一般人と比べてかなりルーズなものだ。

 それは前回の一件でよく理解していた。

 だが馮はそのことを特に気にしていないらしく、別段苛立った様子は無い。

 

「こちらがお願いしている立場だもの。このくらいでどうこうしたりしないわよ」

 

 カップに残ったコーヒーを飲み干して、馮はそう言った。

 

 ……本当に、そうなのだろうか。

 ロックは表面上彼女の話を聞きながらも、拭い去れない違和感を覚えていた。

 何かが食い違っている、だがそれが何かまでは分からない。

 他人の事情に口を挟むつもりは毛頭無いが、こちらにまで被害が及ぶというのであればそれはまた別の話である。

 

「……っと、ねえ、ちょっと」

 

 思考に没頭しかけていた所で、馮の声がそれを遮った。

 

「あれ」

 

 言われるがまま彼女の視線の先を追えば、見慣れた後ろ姿が飛び込んできた。

 黒髪の男女が銀髪の少女を挟み、三人並んで歩いている。そして男の右隣にはロックのよく知る肩に刺青を走らせたラグーン商会のエースの姿。

 瞬間的に周囲を見渡せば、先ほどまで人でごった返していた筈の市場から殆どの人気が消えていた。

 あの四人が揃っている光景を目の当たりにしてしまえば、周囲の人間の行動も尤もだろう。

 

「あの人を見た人たちが一目散に離れていったんだけど、どういうこと?」

「ああ、まあ、いつも通りだよ」

 

 こんな異常事態に慣れてしまっている自身が可笑しくて、ロックは苦笑を漏らした。

 

「ふぅん。あ、こっちに気が付いたみたいよ」

 

 こちらの存在に気が付いたらしいグレイがたた、と駆けてくる。その奥ではウェイバーが軽く手を挙げ、雪緒が律儀に頭を下げている。レヴィだけは煙草を咥えたまま動きを見せなかったが。

 

「こんな所で会うなんて珍しいわねお兄さん。ああ、こっちのお姉さんも一緒なの」

 

 小走りでやって来たグレイが、ロックを見上げてそう言った。

 

「ま、仕事みたいなものだよ。君たちはどうしてここに?」

「洗濯機を買ってパスタを食べに行くの」

 

 洗濯機。

 昨日もグレイが言っていた言葉である。

 言葉の意味をそのまま受け取ってしまえば、これから洗濯機を買って昼食としてパスタを食べに行くのだろう。あの面子であれば、家族の団欒として特に違和感は無い。

 

 ぐいぐいと腕を引っ張るグレイに連れられ、ウェイバーの元へと向かう。馮もロックを追う形で後を付いてくる。

 

「ちょ、引っ張らないでくれ」

「うふふ。おじさんが言っていたのよ。お兄さんたちをこっちに連れてこいって」

「ウェイバーさんが?」

 

 一体どうして、とロックが口にしようとした瞬間。

 先程まで立っていた場所に、弾丸の雨が降り注いだ。

 

「はぁ!?」

 

 突然の事態に驚くロックを余所に、グレイはにんまりと笑みを浮かべた。

 

「ほォら来た♪」

 

 ぐいっとロックの腕を引っ張って自身の後ろへと投げやり、グレイはスカートの中から愛銃を取り出す。そのまま流れるように一斉掃射。周囲の露店が吹き飛ぶのも構わず、辺り一面に銃弾をぶちまけていく。

 

 グレイに後方へ投げ飛ばされたロックと付いてきた馮は、突然の事態を未だ飲み込めておらず目を白黒とさせている。

 そんな二人に持参していたらしいペットボトルを手渡したのは雪緒だった。

 

「大丈夫ですか?」

「ゴホッ、ありがとう雪緒ちゃん」

「ったく、そんなへっぴり腰でどうすんだロック」

 

 受け取ったペットボトルの中身を流し込んで幾分か落ち着いたロックへ、苛立たし気なレヴィの声が響く。

 

「レヴィ、これは一体どういう状況なんだ」

「見れば分かンだろロック。そこの中国人(チンキィ)の命が狙われてる。そンだけのこった」

「なんだって?」

 

 目まぐるしく変化する周囲の状況に付いていけないロックだが、こちらに降り注ぐ銃弾の嵐は待ってくれない。グレイ一人では手が足りないと判断したのか、ホルスタからカトラスを引き抜いたレヴィも前線へと駆け出した。

 

「ロック、彼女をそこの路地へ連れていけ。流れ弾に当たって死なれちゃ敵わん。雪緒も行け」

「こっちです」

 

 ロックと馮の手を引いて雪緒が前線とは反対方向へと走り出す。彼女に手を引かれ路地へと入り、一先ずの危機を脱したロックは、改めて現状の整理を開始。

 

「な、何だっていうの……?」

 

 一方、突然の弾雨に晒された馮は未だ荒い息が整わないでいた。

 無理もない、西部劇も真っ青な銃撃戦が予告も無く始まったのだ。今息をしているだけで儲けものだろう。

 

「レヴィは君を始末しに来た殺し屋だと言っていた。身に覚えは?」

「あ、あるわけないでしょう!?」

 

 馮の表情は真に迫ったものだった。嘘とは思えない。が。

 

「雪緒ちゃん。ウェイバーさんはこうなることを想定していたのか?」

「直接は何も言われていません。ただお二人を見つけた瞬間にはグレイちゃんを向かわせましたから、ひょっとすると」

 

 十中八九ウェイバーはこうなることを予測していたのだろう。

 そして彼は恐らく、今自分が引っ掛かりを覚えている違和感の正体を知っている。

 何だ、馮は一体何を隠している?

 

「……ウェイバーさんは、どうして彼女を助けたんだ?」

 

 ウェイバーは善人ではない。普段の振る舞いもあってロックは忘れがちだが、あの男も間違いなくこの悪徳の街に根を張る悪党の一角である。以前グレイや雪緒を手元に置いたのも決して慈善事業でないことをロックは過去の経緯から知っていた。

 何かあるのだ。

 馮には、ウェイバーが手を出す程の何かが。

 

 間断なく響き渡る銃声と薬莢が落ちる音を聞きながら、ロックは静かに彼女を見つめた。

 

 

 

 14

 

 

 

「ひゅう! すげェや兄ちゃん! あの女かなりの腕だ!!」

「あっちのガキもかなり手慣れてるな。こりゃあ一時撤退も視野に入れるのが得策か?」

 

 果物屋台の荷台の陰に身を潜め、韓国人と思われるタンクトップの大男が歓喜の声を上げる。

 それに浅黒い肌のサングラスをかけた男が応える。視線の先では銀髪の少女と刺青の女がそれぞれの得物をこちらに向けている。

 

「モンテロ兄ちゃん、ありゃ写真にあった『銀の魔女』じゃねェか?」

 

 もう一人、カウボーイハットを被った金髪の男がマガジンを交換しながら目を細めた。

 

「ふむ。用心棒って感じじゃあ無さそうだが」

「あのガキが居るってこたァつまり」

「後ろのジャケットの男、あれがこの街の核弾頭(ウェイバー)か」

 

 黒人の大男、モンテロは遮蔽物に身を隠しながら東洋人らしき男を両の視界に収める。

 依頼主である男から口を酸っぱくして言われていた事を思い出す。

 

「……ブレンの旦那があそこまで言うだけの事はある。ガセの類でも無さそうだ」

 

 一見すれば隙だらけだ。

 ここで一発撃てば命中するのではと思わせる程、ウェイバーは自然体だった。煙草の煙を周囲に燻らせ、鈍い銀の輝きを放つリボルバーをくるくると回して遊んでいる。

 だが、それが間違いであるとモンテロは既に認識していた。

 

「……こうも正確に撃ち込んでくるとはな」

 

 リボルバーの有効射程距離などせいぜい50メートル程だ。そしてウェイバーとこちらの距離はどう少なく見積もっても100メートルは離れている。

 だというのに、モンテロが姿を隠す建物、それも丁度眉間のある位置に弾痕が刻まれていた。

 元よりあったものではない。女二人が吐き散らす弾丸でもない。これは、ウェイバーが明確な敵意を以て撃ち込んできた弾丸だ。

 

 あわよくば、と狙いを付けて発砲しようとした瞬間だった。

 くるくると回されていたリボルバーが火を噴いた。反射的なものだったのだろう。自身を狙う敵意に反応して先手を打ってきたのである。

 それが出来るからこそ、ああまで自然体でいられるのだ。

 

「成程、確かに化け物だ。パクスン! ここは退くぞ車を回せ!」

「あいよ兄ちゃん!」

「ロブ! 女ガンマンといちゃつくのはお預けだ!」

「チッ、イイトコだったのになあ」

 

 周囲は銃弾の嵐で見るも無残に荒れ果てていたが、男たち三人に傷らしい傷は見当たらない。

 レヴィとグレイ。この街でも指折りの実力者である彼女たちと命の奪い合いに興じ、五体満足でいられる時点でそれなり(・・・・)の腕であることは想像に難くない。

 

「……チッ、殺し損ねたクソッタレ」

 

 その場を後にするジープの後ろ姿を忌々し気に睨み付けながら、レヴィは小さく舌を打った。

 隣に視線を移せば、不完全燃焼とでも言いたげな表情を浮かべるグレイがいそいそとBARを衣服の中に仕舞っている。

 

「どうなってんだそれ」

「あら? 私の身体に興味があるのかしら」

「ぶっ殺すぞ」

 

 クスクスと嗤うグレイの頭を小気味良く叩いて、ポケットから皺くちゃになった煙草を取り出す。

 

「どうするボス。このままあのジープとカーチェイスってンなら付き合うぜ」

 

 煙草に火を点けながら、レヴィは後方で援護に徹していたウェイバーへと問い掛ける。

 

「いや、その必要は無い」

「でしょうね。きっとあのおじさんたちはまた現れるもの」

 

 簡潔に答えたウェイバーにグレイも同意する。

 ロアナプラでは見ない顔の三人組による襲撃。外部組織の介入などこの街では珍しくも無い。以前のグレイとヘンゼルの事件のように、外部から殺し屋を雇ってロアナプラの均衡を崩そうと動く組織に心当たりなど腐るほどあるのだから。

 だが。

 

「今回に関しちゃあ、あそこの中国人(チンキイ)に聞くのが手っ取り早ェとアタシは見るが。どうだいボス」

 

 レヴィは建物の陰に身を潜めていたロックらへ視線を向けて、ゆっくりと口角を吊り上げた。

 

 

 

 15

 

 

 

 いや唐突過ぎて頭が付いていかねーわ。

 途中でレヴィと合流し市場を歩いていたらロックと昨日の中国人を見つけたので、昼食でも一緒にどうだと声を掛けに向かったらいつの間にか銃撃戦が始まっていた。

 咄嗟に雪緒たちを射線上から引き離すことは出来たが、そちらに気を取られて俺自身の退避が遅れてしまうという失態。幸いにもレヴィとグレイが最前線で対応してくれたため事なきを得たが、一歩間違えれば流れ弾で普通に死んでいる。

 黒人と思わしき男が俺への視線を一向に切らないのでカウンター気味に一発撃ってしまったが、やはりというか命中はしなかった。相変わらずの射撃センスの無さに内心で泣きそうだ。

 

 というか後から見ればリボルバーには弾丸が一発しか込められていなかった。

 交換用の弾は常備しているとは言えこれはいただけない。無意識の内に気が緩んでいたのかもしれない。

 

「私も刺青のお姉さんに賛成よおじさん。場所を移してあのお姉さんからお話を聞くのはどうかしら」

 

 その意見には俺も全面的に賛成だ。

 命を付け狙われる理由が何にしろ、こちらに害が及ぶというのであれば見過ごすことは出来ない。実際こうして銃撃戦に巻き込まれているのだ。リスクは出来うる限り予め除去しておく。それがこの街で生き残るための秘訣である。

 そうと決まればさっさと場所を移そう。

 全く、本来であれば洗濯機を買って昼食にパスタを食べる筈だったのだが。

 

「……先にこっちを片付けるか」

 

 

 

 16

 

 

 

 弾痕が至る所に刻まれた市場から一旦離れ、一同は開店前のカリビアン・バーへと足を運んでいた。

 開店準備に勤しむメリーにウェイバーが無理を言って押し入った形である。

 

「悪いなメリー、助かるよ」

「まあ他ならぬウェイバーの頼みだしね。おねーさんとしても無碍には出来ないよ」

 

 但し貸し一つね、とウインクするメリッサに、ウェイバーは小さく微笑む。

 そんな光景を横目に見て、ロックは何とも言えない大人な雰囲気を感じていた。

 

「おめーにゃ無理だぜロック。あの女(メリッサ)はボスにぞっこんだ」

「な、そういうわけじゃ」

「それよりも、だ」

 

 カラン、とグラスに入った氷が割れる。

 レヴィは隣に座る中国人の顔の横顔に視線を移して。

 

「さっきの一件について洗いざらい吐いてもらおうじゃねェか中国人」

「わ、私は本当に心当たりが無いのよ!」

 

 レヴィの問い掛けに、馮はテーブルを叩いて立ち上がった。

 やはり嘘をついているようには見えない、そうロックは考えた。

 

「ウェイバーさんは襲撃されることが分かっていましたよね? 彼女の事も把握しているんじゃないですか?」

「俺は予知能力者じゃないぞ雪緒。だがまぁ、そうだな」

 

 手にしていたグラスを一息に呷って、ウェイバーは静かに口を開く。

 

「お前の目的は分かってるよ、馮。でなきゃ態々こんな街に来るかい」

 

 確信めいた言葉が紡がれる。

 そんなウェイバーの言葉を聞いて、馮は目を大きく見開いた。

 

「……何のことかサッパリなのだけど」

「隠さなくていい。こう見えても俺は情報通でな、幾つかの情報を掛け合わせれば、自ずと答えは見えてくる」

 

 やはりか、とロックは納得した。

 やはり、やはり。ウェイバーはこの件の真意に気が付いている。

 自身がこれまで彼女に感じていた違和感の正体に。

 

「ヘイ、ボス。そいつは一体どういうこった」

「……俺に聞くより、彼女の口から直接聞いた方が早いだろう。当人が居るんだ」

 

 数秒の沈黙。その後。

 

「…………噂通りの化物ね、やっぱり」

 

 馮は観念したように、大きく息を吐いた。

 そんな彼女の一挙手一投足を、ウェイバーを始めとした面々が目で追っている。

 張り詰めた空気を裂いたのは、それを作り出した張本人である馮だ。

 

 

 

「私がこの街に来た本当の目的はね、――――――――貴方を殺すことよ、ウェイバー」

 

 

 

 

 17

 

 

 

 

(え、マジで? 全然思ってたのと違うんだが)

 

 

 

 

 

 

 

 




次回で「ウェイバー洗濯機を買う」編は完結です。

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