悪徳の都に浸かる   作:晃甫

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007 猟犬の結末

 

 10

 

 

 

 メインストリートを南下する一台のプリマスには、ラグーン商会の三人とガルシアが押し込まれるようにして乗り込んでいた。出せる限りのスピードで通りを抜けていく車の後方には一人のメイド。これは一体何かの間違いなんじゃないかと、ロックは何度も後部座席から後ろを確認する。

 だが彼の予想に反し、しっかりと後方には件の人物が追走していた。背中に嫌な汗が噴き出すのを自覚しつつ、ロックは頭を抱えた。

 どうしてこうなったんだと、今しがたの出来事を再確認すべく頭を働かせる。

 イエローフラッグの様子がおかしいことは彼にも分かっていた。だからダッチやベニーの意見に賛成したし、レヴィを連れて場を離れようとしていたのだ。

 だがレヴィにはロックに見えない別の何かが見えていたのか、無言でカトラスを引き抜き真っ直ぐに酒場へと歩いていった。その瞬間だ。イエローフラッグの中から、閃光とともに爆発が巻き起こったのは。突然の熱波と炎に尻餅を着くロックと、酒場の内部へと視線を向けたままのレヴィ。

 やがて二人の視界に、燃え盛る炎の内側から揺らめく人影が写りこんだ。

 

「なん、だ?」

 

 無意識のうちに声が上擦っていたのは仕方がなかった。その姿は、あまりにも衝撃的すぎた。

 炎の中から現れたのは、無表情の女中だった。

 豪炎をものともせず、ただ無表情に歩いてくるその女中を視界に収めた瞬間、ロックは得体の知れない悪寒を感じた。この女は危険だ、一刻も早くこの場を離れろとロックの身体が全力で叫んでいる。

 

「……マジかよ、信じられねえな」

 

 呆然と呟いたダッチの言葉は、その場にいるラグーン商会全員の心境そのものだった。

 ロックは急いでレヴィの肩を掴む。既にダッチとベニーは車に乗り込んでおり残すはロックとレヴィ、そしてガルシア。

 事態の深刻さを現在進行形で痛感しているロックに肩を揺すられるレヴィはしかし、その場から一歩も動こうとしない。焼け崩れたイエローフラッグから現れた女中の正面に立ち、両手に握ったカトラスをゆっくりと持ち上げた。

 

「よお。アンタが噂のメイドさんかい」

 

 言葉の軽さとは裏腹に、レヴィの表情に軽薄さは一切無い。

 ロックは言葉を失っているガルシアを女中の視線に入らぬよう背後へ匿い、臨戦態勢に入っているレヴィから手を離し、一歩後退した。

 レヴィの言葉に、女中は何も答えない。

 

「何だよ、口が利けねえってわけじゃねえだろう? 聞きたいことがあんだよ」

 

 カトラスの銃口を女中に向けたままレヴィは尋ねる。何よりも先んじて確認しなければならない、彼女にとっての最優先事項を。

 

「……お前、ボスと撃ち合ったな?」

 

 スッ、と女中の眼が細められた。ボス、というのが誰のことを指しているのか知りはしないだろう。だが、先ほどイエローフラッグ店内で銃撃戦を行ったというのは事実であるらしい。それだけ判ればレヴィには十分だった。

 

「ああ、もういい。今の反応で分かった。テメエだな、ボスに銃口向けたのは」

「……ボス、というのはあの男のことを言っているのでございましょうか」

 

 その質問に、レヴィは答えなかった。先ほど女中が無言を貫いたように、口を真一文字に締めてカトラスの撃鉄を起こす。

 この段階で、レヴィの脳内では既にイエローフラッグ店内での出来事がある程度推測できていた。聞こえた銃声の中に、ウェイバーが使用しているスタームルガーの発砲音が混ざっていたのだ。それも数発。基本的に銃を抜くこと自体が珍しいウェイバーが発砲することはそれだけで並のことではない。加えて言えば、この街で彼に銃を抜かせるような人間はほんの一握りしか存在しない。その一握りの人間たちでさえ、余程の事がない限りそうした事態にはさせたくないと考えているだろう。

 故に考えられるのはこの街の人間ではなく、尚且つ相当の手練れ。

 ここの来る途中に話していたガルシアの言葉を鵜呑みにするわけではないが、既にレヴィから慢心や油断といったものは消え去っていた。

 

「ボスが銃口向けたってことはテメエはボスの敵。ボスの敵ってことはそれはつまりアタシの敵だ」

 

 それだけで銃を向けるには十分だと、レヴィは告げる。

 対して、女中は一度瞼を下ろして。

 

「……ご容赦はできかねます」

 

 瞬間、懐から二挺のガバメントを取り出した。

 慌てて車内に転がり込むロックとガルシアを他所に、二人の銃撃戦が至近距離で開始される。

 周囲に遮蔽物になりそうなものは存在しない。強いて言えば道路の脇道に立てられた看板などはあるが、それらが二人の盾として機能することはない。

 レヴィもそして女中ロベルタも、相手の弾丸が自身を傷つけることなど微塵も考慮していないが故に、守勢に回ることなどハナから頭に無いのだ。

 

「オイオイどーなってんだ! 早いとこレヴィを拾ってズラかるぞ!」

「あー、そりゃ無理そうだよダッチ。彼女ウェイバーが絡むと性格変わっちゃうから」

「……変わるっつうより元に戻るって感じだがなありゃ」

 

 運転席と助手席で諦めの溜息を零す二人の後ろで、ロックは肩を震わせるガルシアに寄り添う。

 前を見ようとはせず、俯いたまま瞳に涙を溜めるガルシアにロックは静かに言葉を掛ける。

 

「……彼女が、ラブレス家のメイドなんだね」

「僕、僕知らなかった。知らなかったんだ……」

 

 涙声でそう語るガルシアに、ロックは掛ける言葉を失った。

 きっとここで自身がどう慰めの言葉を掛けた所で、今目の前に広がる光景を受け入れられるだけの心のゆとりは生まれないだろう。

 ならば、と。ロックはベニーに視線を向けて。

 

「出してくれベニー。今すぐここから離れよう」

「え、でもレヴィは」

「彼女が簡単にくたばる筈ないって、俺よりもよっぽどよく知ってるだろう?」

 

 ここでようやくベニーがハンドルを確りと握った。

 向かう場所はロックも未だ決めきれていないが、出来るだけ遠く。ラグーン号に戻ることが出来ればベストだろう。四人を乗せたプリマスは、急発進で港へと走り出した。

 そのプリマスの後部座席から、ちらりとガルシアは後方を覗いた。荒くれ者のガンマンとラブレス家の女中が銃撃戦を行っているであろう、その方向を。

 

「――――っ」

 

 途端、ガルシアが息を呑む。

 眼を見開き、口元を両手で押さえつけて悲鳴が漏れるのを必死に堪えているようだった。その尋常でない様子を見て、ロックは慌てて彼に問いかけた。どうしたんだ、何かあったのかと。

 その問いかけに、ガルシアは声を震わせて答えた。

 

「……目が、合ったんだ。ロベルタと、あの撃ち合いの中で……」

 

 車内の三人が、同時に言葉を失った。

 

「……若様」

 

 同じ時間、ロベルタは遠ざかっていく車の後部座席に釘付けとなっていた。

 見つけた、ようやく見つけた。彼女が探し求めていた人物が、ようやく視界に収められるところにまでやってきたのだ。必然、両の手に握る拳銃のグリップにも力が込められる。レヴィとの銃撃戦によって片方の銃には小さくない罅が走っているが、そんな些細なことを今は気にしている場合ではない。目の前に立ちはだかる女を始末するよりも先に、ガルシアを救出しなければならない。

 そう瞬時に判断したロベルタは一旦レヴィから距離を取り、銃身に罅の走った拳銃を適当に放り捨てた。

 

「失礼。わたくしこれにておいとまさせていただきます」

「ああ!? そう簡単に行かせると思ってんのかクソメガネ!」

「先を急ぎますゆえ……必要とあらば、殺してでも」

 

 レヴィはカトラスを構え直し、ロベルタも身を屈める。

 そんな殺気を撒き散らす二人に待ったをかけるように、消し炭になりつつあるイエローフラッグから這い出てくる人間がいた。先ほど店内でロベルタを探していたというマニサレラ・カルテルの構成員の一人だ。身体のあちこちに傷が見られるものの、どうやら致命傷だけは避けていたらしい。拳銃片手に覚束ない足取りで二人の近くにまでやってきた男は、それをロベルタへと向けながら口内に溜まっていた血を吐き出して。

 

「思い出したぜ畜生。その(ツラ)、その人間離れした戦闘能力。フローレンシアの猟犬、まさかてめえが生きてるとはな」

 

 視線だけを男に向けるロベルタは、無言のまま動かない。

 

「カルテルはてめえの首に四十万ドルの賞金まで用意してんだ。 生死は問わず(デッド・オア・アライヴ)でよ、こりゃあ俺にもツキが回ってきたってことかあ?」

 

 男は気付かない。ロベルタの眼光が細く、鋭く研ぎ澄まされながら、どす黒く変貌していくことに。

 だがそのロベルタが行動を起こすよりも早く動いたのは、相対していたレヴィだった。何の容赦もなく、手にしていたカトラスで男の眉間を撃ち抜いたのだ。何が起こったのか頭で理解する間も無くその場で崩れ落ちる男。亡骸となった男を、レヴィは冷めた目で見つめるだけだった。

 

「どういうつもりですか」

「あん? 人様の喧嘩に顔突っ込んできた無粋な糞野郎を掃除したってだけの話だ。それに言ったろ、アタシはテメエがボスに銃口向けたって理由でここに立ってんだ。過去なんざどうでもいいんだよ」

 

 人を殺すことに今更何の感情も抱かない。レヴィの目はどこまでも暗く、黒く、濁っていく。

 そんな彼女を前にして、ようやくロベルタは動きを見せる。

 

「――――生者のために施しを、死者のためには花束を」

「……んだそりゃ」

 

 訝しげに眉を顰めるレヴィを一切無視して、ロベルタは言葉を紡ぎ続ける。

 

「正義のため剣を持ち、悪漢共には死の制裁を。しかして我ら、聖者の列に加わらん」

 

 ロベルタが言葉を紡ぐ間、レヴィを襲ったのは全身を駆け巡る悪寒だった。無意識のうちに額に汗が滲み、奥歯を噛み締める。油断や慢心など欠片もしていないと考えていたレヴィが、それを改めざるを得ないと結論付けるほどの濃密な殺意が周囲に広がっていく。

 言葉の最後に、ロベルタはこう締め括った。

 

「――――サンタ・マリアの名に誓い、全ての不義に鉄槌を!」

 

 両者の間で、再び銃声が弾けた。

 

 

 

 11

 

 

 

「で、あれは一体どうなってんだ?」

 

 火事で全壊したイエローフラッグから少し離れた通りの陰で、俺とバオは顔を見合わせる。

 ロベルタがイエローフラッグを大炎上させる直前にバオの首根っこを再び掴んで外に放り投げ、自分もそれに続いた形で脱出したまではいいのだ。問題はどうしてロベルタとレヴィが銃口を突き付けあっているのかである。ラグーン商会のほうにはガルシアという商品をマニサレラ・カルテルに送り届けることしか知らされていない筈だ。

 一応バラライカのほうに何かあれば手伝ってやってくれと頼んではおいたが、まさか事の真相まで教えてはいないだろう。

 となればレヴィたちが自力でその真相に辿り着いたという可能性が高くなるわけだが、レヴィに限ってそこまでのことは考えていないに違いない。彼女はどこまでも本能に忠実だ。大方態度が気に入らないとかの理由でカトラスを抜いたんだろう。

 

「ったく何なんだあのメイドは。俺の店をめちゃくちゃにしやがって」

「悪いな。あとできちんと弁償させてもらうから」

「あったりめえだ畜生。お前さんに関わると碌でもねえことしか起こらねえぞ。何だ、お前疫病神かなんかなのか?」

「ツいてる男だからな俺は」

「死ね」

 

 バオに軽口を叩きつつ、通りでドンパチを繰広げる二人に視線を向ける。

 先ほどガルシアを乗せたプリマスが走り去るのをロベルタも見ているはずなので、恐らくはその車を追うことを最優先しているだろう。となれば先回りしてガルシアを手元に置いておきたい所ではある。それは何故か、数分前のようにおいそれと銃口を向けられたくないからだ。

 この一件に関して俺はそこまで首を突っ込んでいないため、大事にはならないだろう。イエローフラッグが全壊したことについてはバオには悪いがいつものことだと片付けさせてもらう。

 そもそも。

 マニサレラ・カルテルが事を荒立てたのが問題なわけだ。ガルシアの誘拐などと浅はかな真似をしなければ少なくともロベルタが動くことはなかったのだし、バラライカが表立って動くこともなかった。

 故に俺が何か責任を負わなくてはならない、などということはない。

 ないのだが。

 

「このまま放っておくわけにもいかんでしょ、シルバー抜いた以上はきちんと収拾つけんと」

「頼むから他所でやってくれよ。これ以上ウチを破壊しないでくれ」

「分かってるよ」

 

 そう言って、周囲を見渡す。

 とりあえず移動の足を確保したいところだ。幾らなんでも車に走って追いつける筈がない。

 そう考えながら視線を彷徨わせていると、ふとあるものが視界に飛び込んできた。ここらじゃ見ない形である。大方自慢したがりのチンピラが輸入品を手に入れたんだろうとあたりをつける。

 幸いにして鍵はそのまま、所有者らしき人間も見当たらない。

 

「カワサキ、バルカン750、ね」

 

 側面にそう記載されたオートバイに近づいて、俺は何の躊躇いもなく跨った。当然ヘルメットなど無い。

 エンジンをかけてハンドルを取る。ま、問題なく乗れるでしょう。持ち主には悪いが、暫くの間借りさせてもらおう。豪快なエンジン音とともに通りへと車体を滑らせる。

 と、その直後甲高い衝突音が響く。

 何事かと音のした方向を見れば、ロベルタと対峙していたレヴィが吹飛ばされていた。

 車体を傾けて通りを曲がり、レヴィの元へと駆け寄る。幸いにして意識ははっきりしているようだった。

 

「レヴィ、おいレヴィ」

「っつ、ボス……」

 

 右肩を撃ち抜かれたらしく出血が見られるが、弾自体は貫通しているようだ。

 バイクを降りて膝を折り、ジャケットのポケットから大きめのハンカチを取り出す。

 

「ほら、これで傷口縛っとけ」

「クッソ、あのアマやってくれやがって……!」

 

 苛立ちを顕にしながらも、レヴィは俺からハンカチを受け取っていそいそと止血を施す。

 彼女に限って油断していた、なんてことはないだろう。レヴィくらいのレベルになれば対峙した人間の力量はなんとなく読めるはずだ。単純にロベルタのほうが一枚上手だった、ということだろう。

 それを根っこで理解しているからこそ、レヴィは犬歯を剥き出しにして怒るのだ。

 

「銃口向けたこと、ぜってえ後悔させてやる……!」

「それなんだがなレヴィ、こっちの事情もあって一先ず保留にしてくれ」

 

 俺の言葉に、レヴィは目を見開いた。

 

「冗談だろボス。このままじゃアタシはとても我慢できないね」

 

 レヴィがそう言う事は想定の内だ。昔から血の気が多かったし、やられたらやり返すを地で行く人種であることは俺も重々承知している。

 だがレヴィとロベルタが争う事に意味は無い。言ってしまえば、これは不毛な争いだ。

 故に俺はレヴィに声を投げる。こんなことでお前が血を流す必要はないのだと。

 

「レヴィ」

「……ッ、分かった、分かったよボス。アタシはボスの言うことには逆らわない」

 

 俺の言葉が届いたのか、レヴィはカトラスを握っていた両手を上げて小さく息を吐いた。なんだかんだ彼女は俺の意向をきちんと汲んでくれる。昔は問答無用で噛み付かれたものだが、今となってはいい思い出だ。

 しぶしぶといった感じでカトラスをホルスタに収めるレヴィ。となれば、後はもう先を走る車とロベルタを追うだけだ。

 

「うし、レヴィ。後ろに乗れ」

「あれ。ボスバイクなんか運転できたのか?」

 

 単純に疑問を口にしたのだろうレヴィの問いかけに、俺は間髪入れずにこう答えた。

 

「ハンドル回して前を向く。必要なのはたったこれだけだ」

 

 

 

 12

 

 

 

 ラグーン商会の三人とガルシアの乗るプリマスの数メートル背後を、メイド服を纏った女中が追走する。

 移動を開始した際、大通りを避けて狭い裏路地を通っていたことが裏目に出てしまった。未来からやってきた殺人ロボットにみすみす追いつかれてしまったのだから。

 常人では考えられないスピードで女中、ロベルタは前を走るプリマスに追い縋る。車とロベルタとの差がみるみる縮まっていくことに、後部座席に座るロックは恐怖と焦燥が隠せないでいた。

 

「ベニー! このままじゃ追いつかれる、もっと速く!」

「やってるよ! 大通りったって一本道じゃないんだ、そうそうトップスピードにまで持っていけない!」

 

 額に大粒の汗を滲ませながらハンドルを切るベニー。彼の運転技術はそこいらのドライバーよりも余程上等だが、今回ばかりは相手が悪すぎる。

 

「クソ、このままじゃジリ貧だ。どっかであのメイドを撒けねえもんか」

 

 吐き捨てるように言うダッチだったが、それがどれほど困難を極めるか理解していた。ミラー越しに後ろを見る。徐々にメイドの姿が大きくなっていく。いよいよもってまずいことになってきたと、ダッチは額に手を当てる。

 

「とにかく港だ、ラグーン号まで突っ走れ!」

「……っ、ダッチ横だ!!」

 

 一瞬だった。

 車内に乗る全員が気がついたときには、既にそれは起きていた。

 ドア一枚を隔てた向こうに、ロベルタは無表情で存在していた。

 

「う、おおぉぉおおおおッ!?」

 

 窓ガラスが粉々に砕けるのも構わず、ダッチがロベルタへと発砲する。

 超至近距離からの発砲も、しかしロベルタの歩みを止めるには至らない。窓ガラスが割れたドアを掴み、そのまま車へと飛び掛った。

 軽業師のように車の天井部分に飛び移ったロベルタは、拳銃を取り出して運転席と助手席付近に鉛弾を撃ち込む。

 対抗するようにダッチも天井目掛けて発砲するが、視界が確保できていないために手ごたえは一切感じられなかった。

 ロックは隣に座るガルシアを庇う様に覆い被さる。ガルシアはロックの腕の中で、ただただ震えていた。

 

「っ!」

「ベニー!」

 

 ロベルタの放った銃弾の一発がベニーの頭部を掠めた。その際の衝撃でハンドルが無意識に切られ、目的地までの最短ルートから外れてしまう。

 しかも不運なことに、入り込んでしまった道に先は無い。港の倉庫街に続く一本道は、しばらく進むと行き止まりだ。

 

「畜生、しっかり掴まってろよ!」

 

 そんなダッチの叫びが車内に響いた数秒後、プリマスはコンテナへと激突した。

 

 前部分が大きくひしゃげたプリマスは、煙を上げた状態で停止していた。

 天井に飛び乗っていたロベルタはその衝撃で前に飛ばされ、コンテナに人型をつくってめり込んでいる。

 フロントガラスに頭を打ち付けたダッチだったが、幸いにして意識を持っていかれるようなことは無かった。ヒビの入ったサングラスを掛けなおし、ゆっくりと上体を起こす。

 

「……ああ、生きてるやつは返事しろ」

「なんとか無事だ」

「生きてるよー、不思議なことに」

「そいつは僥倖」

 

 三人は一先ずの無事を確認し、安堵の息を漏らす。

 しかし、それも束の間。

 タンッ、と軽い着地音が三人の耳に届く。

 

「……オイオイ冗談だろ」

「あの女、一体何でできてるんだ?」

 

 ロベルタも当然無傷ではない。丸眼鏡は罅割れ、メイド服のあちこちは破れて薄汚れてしまっている。

 だが止まらない。彼女は足を止めない。

 

「おいロック、あのメイドなんとか説得して来い。ガキ渡せば見逃してくれるかもしれねえ」

「無茶言うなよ! みすみす殺されにいくようなもんじゃないか!」

「骨は拾ってやる」

「ダッチ!!」

 

 本気とも冗談とも取れないトーンで言うダッチに、ロックは本気で声を荒げる。あんな人間の前に出て行くなんて冗談じゃない。一歩たりとも車の外に出てはならないと全身が警鐘を鳴らしているのだ。

 そうこうしている間にもロベルタは一歩、また一歩と車に近づいて来る。

 

 そしてその差が二メートルほどになったとき、それはやって来た。

 最初に気がついたのはベニーだった。港に似つかない、豪快なエンジン音が近づいてくる。

 その音の正体を最初に視界に納めたのはロックだった。ガルシアを両手に抱いたまま、港の入り口に視線を向けていた彼がまっさきにそれを目撃したのだ。

 港に入ってきたのは、一台のバイクだった。

 運転しているのはロックもよく知るこの街の住人。その後ろにはラグーン商会の女ガンマンの姿もある。

 

「……信心深けえ甲斐もあったってもんだ。神様は俺たちを見捨てちゃいなかったみたいだ」

 

 そう呟くダッチの言葉に、ベニーとロックは全面的に同意する。

 今この場であのメイドに太刀打ちできるのは恐らくあの男だけだ。レヴィの右肩に手当てがされているところを見るに、メイドに一発もらったのだろう。ラグーン商会のエースでさえ手を焼く相手だ、そんな化物と渡り合えるのは、同じく化物しかいない。

 ロベルタはバイクから降りた男、ウェイバーを見て身体の向きを近づいていた車からそちらへと変えた。

 レヴィはどうやら傍観を決め込んだらしく、取り出したタバコに火を点けて真上に吐き出している。

 

「さっきぶりだな」

「……まさか死にはすまいと思っておりました」

「お蔭様でな、この通りピンピンしてるよ」

 

 おどけてみせるウェイバーだったが、ロベルタは彼の言葉を一切無視して銃を構えた。

 

「おっかねえなぁ」

 

 そう零すウェイバーの手には、愛銃は握られていない。

 

「抜かないのですか」

「生憎と、俺は射撃のセンスが皆無でね。狙ったところに飛んでいったためしがない」

 

 だからまぁ、と彼は言葉を続けて。

 

「お前の相手にゃなんねえよ」

 

 直後。

 拳銃を握るロベルタの手の甲を、一発の弾丸が撃ち抜いた。

 

「……ッ!?」

 

 突然の痛みに、何が起こったのか理解するのがコンマ数秒遅れる。

 そして気がついた。

 ウェイバーの手に、 いつの間にか( ・・・・・・)銀のリボルバーが握られていることに。

 だがロベルタが驚愕したのはその早撃ちではない。

 彼が放った弾丸は、 真横(・・)から飛んできたのだ。

 

(跳弾……。周囲のコンテナを利用して、銃を持つ手の甲を正確に……)

 

 まぐれで出来るような芸当ではない。対象物との距離、跳弾させる位置、角度、それらのすべてを緻密に計算した上での絶技。

 やはり以前の密林での射撃は偶然ではなかったのだ。あの程度のことを片手間でやってのけるのが、今目の前に立っている男、ウェイバー。

 そんな彼の射撃を呆然と見つめていたのが車内のロックだった。開いた口が塞がらないとは正にこのことである。

 一方ダッチやベニーはというと、ロックほどの驚きはみせていなかった。ダッチは小さく口角を持ち上げ、ベニーは口笛を鳴らす程度である。まるでこの程度のことは日常茶飯事だとでも言いたげな表情ですらある。

 

「だ、ダッチ。今のウェイバーさんのって、」

「ありゃ狙ったんだよ、当然な」

「そんなことが出来るのか!?」

「実際目の前でやってんだろ。本人は偶々だとか言ってどうやってんのか教えちゃくんねえがな」

 

 底が知れねえ、だからおっかねえんだ。そうダッチは言葉を締めくくる。

 今一度ロックはウェイバーへと視線を向ける。

 いつ銃を抜いたのかすら、ロックには分からなかった。これまで彼の中でガンマン最強はレヴィだった。彼女とカトラスこそが最強だと思っていたが、それは大きな勘違いだったようだ。

 

「そりゃそうさ。レヴィの 二挺拳銃(トゥーハンド)っていう名だって、もともとは彼のものだったんだから」

「ええっ!?」

「レヴィがウェイバーのもとを離れるときに餞別として受け継いだのさ」

 

 レヴィの師匠のような存在だと聞いてはいた。聞いてはいたが、いざこうして目の前に見せ付けられると唖然とするほかない。

 この悪徳の街で絶対に怒らせてはいけない人間だと以前ダッチに言われたが、初めてロックはそれを実感した。

 そんな話を車内でしていたからだろう。

 ガルシアの顔色はみるみる悪くなっていった。

 ラブレスの家に仕えるメイド、ロベルタが平気で人を殺してしまうような人間であると今このときも彼は信じられない。そんなロベルタの目の前に立っているのがこの街でも一等の悪党であると聞かされて、黙っていることなどできなかった。尚も震えたままの足に鞭を打って、ロックの腕を振り払い車外に飛び出す。

 ガルシアが車外に出てきたことに気がついたロベルタは目を丸くする。

 ウェイバーは動かない。ただガルシアの行動を見つめていた。

 

「ロベルタ……、もういい、もういいんだよ。僕はこの通り怪我もしてない。さあ、一緒に帰ろう……?」

「若様……。しかし……」

「――――自身の正体を知っている人間を、生かしておくわけにはいかないか?」

 

 凛としたその声が響いた途端、ロベルタとウェイバーの二人に眩い光が浴びせられた。

 

「動くなよ。ここら一帯は既に我々の 支配域(テリトリー)だ」

 

 現れたのは、顔の右半分に酷い火傷痕を持った女だった。

 バラライカ。ロアナプラの実質的な支配者と言っても過言ではない人物だ。見れば周囲のコンテナの陰や上部には彼女の部下たちが銃を構えていつでも攻撃ができるよう準備が整えられている。

 それらを見渡して、ウェイバーは小さく息を吐いた。

 まるで楽しいのはこれからだったのに、とでも言いたげだ。

 周囲を完全に囲まれていると理解し、奥歯を噛み締めるロベルタに、バラライカは目の前にまでやってきて朗らかに笑った。

 

「良いことを教えてあげるわメイドさん。私たちホテル・モスクワはね、はじめからマニサレラ・カルテルと戦争をする気でいたのよ。今頃ベネズエラの本拠地も壊滅してるんじゃないかしらね」

「…………」

「だからすべてはノー・プロブレム。ガルシア君が攫われた件もすべてチャラ。もう戦う理由はないはずよ?」

 

 バラライカの言葉を受け、安堵の表情を浮かべるガルシア。これでもうロベルタが戦う理由はなくなった。安心して祖国に帰ることができる。そう思ったのだ。そんなガルシアの表情に反して、ロベルタは険しい表情のままだった。

 彼女の中で、ここで片付けなければならない案件がまだ残っているのだ。

 すなわち自身の正体を知る男、ウェイバーの抹殺。

 

 しかしバラライカはロベルタの考えていることなどお見通しのように、マシン・ピストルを引き抜いてロベルタへと突き付ける。

 

「勘違いしないでね。これはお願いじゃない、命令なのよ 猟犬(・・)

「……!!」

 

 最後の言葉を受けて、ロベルタの顔が一層険しさを増す。

 

「猟犬……?」

「おや、ご存知ない? こいつは」

「黙れえッ!!」

「吠えるな、静かにしてろ猟犬」

 

 銃口を額に突き付けて、バラライカは話を続ける。

 

「コイツは使用人なんかじゃないの。ロザリタ・チスネロス。フローレンシアの猟犬と呼ばれるFARCの元ゲリラ。国際指名手配中の筋金入りのテロリストよ」

「……本当なの? ロベルタ……」

 

 信じられない、とガルシアは思う反面、納得もしていた。これまでの戦闘を見ていれば、どんな素人でも彼女が只者でないことは理解できる。

 すべてをガルシアに知られたロベルタは、両の手を地面について顔を伏せた。懺悔の如く、ぽつりぽつりと呟く。

 

「若様を……欺くつもりはございませんでした」

 

 ガルシアは彼女の話を、なにも言わず受け止める。

 

「しかし若様、世の中には……知らずともよろしいこともございます……」

 

 ゆっくりと立ち上がったロベルタの表情は、ガルシアもこれまで見たことのない、憂いに満ちた表情だった。

 

「私は信じていたのです。……いつか来る、革命の朝を。そのために私は……」

「ロベルタ」

 

 言葉を遮ったのは、無言で話を聞いていたガルシアだった。

 そこから先を言う必要は無いと、その瞳が語っている。

 

「いいんだ、いいんだよロベルタ。ロベルタが過去に何をしてきたかなんて、僕には関係のないことなんだ。君は僕の家族だ。大事なのは、それだけだろう?」

「若様……」

「だから帰ろうよ、ロベルタ。猟犬なんて知らないよ、そんなものはたった今ここで死んだことにしちゃえばいいさ」

 

 歩み寄ってくるガルシアを、ロベルタはゆっくりと抱き締める。

 猟犬などという殺人者には到底できないような暖かな笑みを、ロベルタは確かに浮かべていた。

 

 

 

 13

 

 

 

 明朝。一台の高級車に乗る二人の間で、こんな会話が交わされていた。

 

「大尉殿、ベネズエラのマニサレラ・カルテルの本拠地、制圧完了したとの報告が」

「ふん。なんとも骨の無い連中だったな。あの程度の夜襲にも対応できんのか」

 

 胸ポケットから取り出したタバコを咥えると、間髪要れずにボリスが火を差し出す。

 

「しかし良かったのですか」

「何か気にかかるか軍曹」

「猟犬、あの場で始末しても問題なかったのでは。後々噛み付かれるやもしれません」

 

 その意見に、バラライカはクツクツと笑いを漏らした。

 

「あそこでもしも猟犬を殺していたら、ウェイバーが黙っていなかっただろう。ガルシアの家族を屠ったとなれば、あの男がどうするかなど聞くまでも無い」

「……愚問でしたな」

「あの場面で最も避けねばならなかったのは我々と猟犬、そしてウェイバーの三つ巴となることだ。あの男と本気でやり合えばどうなるか、忘れたわけではないだろう」

 

 ロアナプラの勢力図が大きく変貌する可能性も決して低くない。

 ウェイバーと敵対するということはそういうことだ。

 

「カルテルは潰した。しばらくは表立って動くことは無いだろう。その間にタイでの仕事を済ませる」

「すぐに手配を」

 

 二人を乗せた高級車は、明け方のロアナプラを北上していく。

 

 

 

 

 

 

「着いたよ」

「着いたわね」

「ここが悪徳の都」

「ここが今度のお仕事の場所」

「楽しみだね」

「楽しみだわ」

「どうやって殺そうか」

「どうやって壊そうか」

 

「「本当に楽しみ」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ◆ウェイバーが銃を抜くのが早い理由◆

ウェ「……違うな、もっとこう、スタイリッシュに、次元っぽく……」

 鏡の前でホルスタから銃を抜き、構えるまでの動作、それのみに没頭したのだ……!
 毎日一万回、感謝の正拳t()



 というわけで第一次メイド大戦はこれにて終幕。
 終わり方に思うところはあるかもしれませんが、メイドさんは嫌でも今後出てきますし、ここでウェイバーさん全開にさせるとリアルグラウンド・ゼロが起こりそうな面子が揃ってしまっていたので、今回はこういった結末とまりました。

 
 
 次回より双子編に突入です。

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