悪徳の都に浸かる   作:晃甫

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009 第一の分岐点

 6

 

 

 

 修羅場、死線と呼ばれるものを、サハロフは幾度となくくぐり抜けて来た。

 バラライカをトップとした第318後方撹乱旅団・第11支隊にその身を預けていたときも、この街にやってきて遊撃隊(ヴィソトニキ)と呼ばれるようになってからも。一般人であればまず間違いなく死んでいただろうという窮地を、その身一つで乗り越えてきた。

 だからこそ彼らはロアナプラの実質的支配者と呼ばれているのであり、統率された彼らに恐れるものなどないと言わしめる程に畏怖されているのだ。

 サハロフは優秀な戦士である。

 そして、メニショフもまたサハロフと同じくとても優秀な戦士であった。

 

 ――――その優秀な戦士の生首が、幼い少年の白い手にあった。

 無造作に髪の毛を引っ掴まれ、切り落しただろう断面からは今も粘ついた液体が間断無く垂れ流れている。開ききった彼の両眼に、一切の光はない。

 

 銃口を入口に立つ少年へ向けたまま、サハロフはその場から動けないでいた。

 彼の後ろには足が竦んでしまっているのか動けないメリッサと、こんな状況であるにも関わらず身じろぎ一つしないウェイバー。出来ることならウェイバーに起きてもらいたいが、深酒をしているらしい彼が自発的に目覚めることはおそらくない。

 かといってここで大声を出して彼を目覚めさせようとすれば、その声に反応して周囲から一般人が集まってきてしまい余計な混乱を招く恐れがある。

 

(……やるしかない)

 

 不幸なことに、携帯電話はメニショフが持っていた。あれはバラライカがツーマンセルで行動させる際に一組ずつ支給したものだ。中にはバラライカへの直通の連絡先が登録されているが、それを持っていたメニショフの胴体は見当たらない。彼女へこの事態を知らせることができれば、あるいはこの状況を打破することもできたのかもしれないが。

 サハロフは銃を握る手に力を込める。

 まさかこんな年端もいかない子供が、と思った時だった。

 

「ダメよ兄様、独り占めはいけないわ」

 

 少年の後方、ドアの向こうから別の声が聞こえてきたのだ。

 まさか、とサハロフは思う。

 

「ごめんよ姉様。このおじさんが強かったから、思わず楽しくなっちゃって」

「いけない子ね兄様、私を仲間はずれにするなんて」

 

 少年の後ろから現れたのは、少年と全く同じ顔をした少女だった。少年が髪の毛を同じくらいにまで伸ばせば、見分けもつかなくなってしまうのではないかと思うほどによく似た二人だ。

 

(二人組、だと――――!)

 

 バラライカが提案したツーマンセルは、対個人を想定してのものだった。しかし、相手は二人。ツーマンセルでは不十分、万全を期するのであれば、少なくともスリーマンセル以上で行動させなければならなかった。

 

「今度は私にやらせて、いいでしょ兄様」

「わかったよ姉様。おじさんを天国へ導いてあげてね」

「もちろんよ」

 

 少女はその両手に長い物体を抱えていた。キーホルダーのついていた細長い布を取り外すと、そこから姿を見せたのはBAR。ブローニングM1918自動小銃だった。

 自身の持っている拳銃などでは太刀打ち不可能な代物を前に、サハロフは瞬時に攻撃よりも回避を選択。尚も硬直しているメリッサを抱え込むような形でカウンターの中へと飛び込む。

 直後、連続した銃声が店内に反響する。頭上の酒瓶に当たったのか割れて落下してきた破片が頭部を直撃する。額にぬめりを感じるのも構わず、サハロフはメリッサの盾となるようにしながらじりじりとカウンターの中を移動する。

 

「ああ、ダメよ。逃げたりしてはいけないの」

 

 少女の銃撃は止まらない。

 店内に銃弾の嵐が降り注ぐ。

 BARを持つ少女を前に、戦斧を握る少年は微笑を浮かべたまま動かない。先程の言葉通り、サハロフを手にかけるのを少女に譲るつもりなのだろう。完全に舐められている、サハロフはカウンターの床を這うようにしながらそう思った。

 そして同時に思い至る。

 この店内にはもう一人、男が居なかっただろうか。

 カウンターに突っ伏して惰眠を貪る、あの男が。

 

(しまったっ!)

 

 咄嗟に身体を起こしてカウンターの様子を窺おうとするも、真横を銃弾が飛んでいったために慌てて上体を屈める。

 自身とメリッサ、そしてもう一人。ウェイバーがこの店内には残っていたのだ。突然の銃撃で、すっかりそのことが頭から抜け落ちてしまっていた。

 いくら百戦錬磨の彼とは言え、眠ったままの無防備な状態であの一斉掃射を回避できるわけがない。意識がないままに回避行動を取れる人間なんてのは聞いたことがない。

 少女のBARは、店内を隈無く蜂の巣にしていた。ということは、必然的に彼のいるカウンターも銃撃されている。

 黄金夜会に名を連ねる人間が、こうもあっさりと殺されてしまうのか。サハロフは奥歯を噛み締めた。

 しばらくして、銃声が途切れる。彼の動きは迅速だった。抱きかかえていたメリッサを店の奥へと避難させ、壁伝いに移動してなんとかカウンターの様子を視界に捉えられる位置に移動する。顔の前まで拳銃を持ち上げ、いつでも撃てる状態のまま、サハロフはゆっくりと顔を覗かせた。

 

 彼の視界に飛び込んできたのは、信じられないような光景だった。

 そして瞬時に理解する。少女の銃声が途切れたのは、弾切れを起こしたからではない。

 彼が、彼の存在が、その全てを物語っていた。

 

 辺り一面に銃痕が刻みつけられた店内で、ウェイバーは少女の真正面に立っていた。彼我の差は三メートル程。サハロフの視界からはウェイバーは背を向けているため、どんな表情をしているのかは分からない。

 ただ、彼の右手には特注のリボルバーが握られていた。シルバーイーグルだ。

 一体いつ眠りから目覚め、あの銃弾の嵐を回避したのかはサハロフには分からない。だがいかにウェイバーと言えど、余裕では無かった筈だ。その証拠に、彼のジャケットの至るところには銃弾が掠めた痕跡が見て取れた。 

 きっと少女の殺気に気が付き、紙一重で躱していたのだろう。相変わらずの危機察知能力だと舌を巻く。

 以前彼とやり合った時もそうだった。三百メートルも離れて狙撃銃を構える自身がその引鉄を引こうとした瞬間、彼はこちらを見て笑ってみせたのだ。どれほどの手練だろうと、三百メートル離れている人間の殺気など感じ取れるものではない。

 そんな常人離れしたウェイバーだからこそ、単独で黄金夜会に名を連ねているのだろうが。

 

 ウェイバーを前に、少女はBARを構えたまま微笑む。

 

「あらおじさん、私と踊ってくれるのかしら」

 

 彼は答えない。リボルバーを握ったまま、まっすぐに少女を見つめているようだ。

 

「おじさん強いのね。あれだけの銃弾を撃ち込んだのに、一発も食らっていないんですもの。一体何者なのかしら」

「……こんなに穴だらけにしやがって」

 

 小さな声でウェイバーは呟く。

 ゆっくりとリボルバーを握る手を持ち上げて、少女に話しかけるように。

 

「銃ってのはな、撃った数じゃねえんだよ」

 

 銃声が轟いた。

 

「……おじさん、コントロールがなってないわ。照準も合わせずに撃つなんて」

 

 少女の言う通り、ウェイバーが放った弾丸は少女に当たることなく、大きく逸れて上方へと飛んでいってしまった。

 一撃必中の彼らしくもない、とサハロフも心中で疑問に思う。

 目が覚めたばかりで手元が狂ったのか? そんな風に考えたサハロフだったが、彼の予想はあっさりと裏切られることとなる。

 次の瞬間、ガラスが砕けるような音が店内に響き渡った。

 サハロフはその光景を、目を丸くしながら見ていた。

 

(天井に吊るされた照明を、ピンポイントで……!)

 

 このカリビアン・バーには天井に幾つかの電灯が吊るされている。

 そのうちの一つ、丁度少女の直上にあったものを彼がリボルバーで撃ち抜いたのだ。一センチほどのコードで吊るされていた照明を、寸分の狂いもなく撃ち抜く技術にサハロフは驚愕する他なかった。

 撃ち抜かれた照明は、完全に油断しきっていた少女の頭部を直撃する。

 いきなりの事態に上手く状況を飲み込めていないのか、少女は照明の直撃を受けた頭部を押さえながら、恨めしそうにウェイバーを見つめていた。

 

「……そうだわ、思い出した。どうして今まで忘れていたのかしら」

 

 落としかけていたBARを握り直し少女、グレーテルは小さく嗤う。

 

「ウェイバーって、おじさんのことだったのね」

 

 言った途端、少女の表情が一変した。

 先程までサハロフに向けていたものとは明らかに違う、狩人が獲物を見つけた時に浮かべるような表情に変貌する。

 

「私はおじさんがこの街でどんなことをしてるのか知らないけれど、お仕事なの。だからおじさん――――死んでちょうだい?」

 

 不敵に嗤う少女を眼前にして、ウェイバーはリボルバーを構えたまま動かない。

 先程の一発は確かにグレーテルの意表をつくものだったが、攻撃性はかなり低いものだった。あれだけのコントロールがあれば、狙える場所は他にもたくさんあったはずだ。それこそBARの間を縫って、身体に直接鉛玉をブチ込むことだって可能だろう。

 それをしなかった、あるいは出来なかった。そこにどういった事情があるのかは知らないが、万全でない男を一人始末することなど造作もないことだと結論づける。

 雇い主はウェイバーについてこう言っていた。

 

 絶対に一対一で戦うな。一個大隊を相手取るよりも無謀なことだと。

 

(過大評価ではないかしら。このおじさんにそこまでの脅威は感じないもの)

 

 そう思考を巡らせているときだった。

 不意に、ウェイバーの口が開く。

 

「……何だよ。鉛玉が食いたきゃ、そう言いな」

「っ!?」

 

 己の心中に返答するように、彼はごく自然にそう言った。

 次いでリボルバーを握る手が動く。直後銃声。

 驚くべきことに、銃声は一発分しか聞こえなかったにも関わらず、弾丸は二発発射されたらしかった。それに気がついたのは、グレーテルの持つBARのマガジンと銃身に一発ずつ弾痕が刻まれていたからだ。

 

 慌てて距離を取ろうとする少女に、今度はウェイバーが不敵に笑って見せる。

 

「おっさん嘗めんじゃねーぞ」

 

 

 

 7

 

 

 

 心地いい浮遊感を感じる。このまま瞼を下ろせば永眠してしまいそうなほどに温かく、気持ちの良い空間だった。

 周囲一帯は淡い桃色で埋め尽くされ、鼻をくすぐる香りはこの世のものとは思えないほどだった。

 ああ、このままずっとこうしていられたらどれだけ幸せなのだろうか。

 いっそこのままこうしているのもアリかもしれない。どういった経緯でここにやってきたのかは定かでないが、確実にロアナプラよりも住み心地はいいだろう。死の危険性だって無いに等しい。

 しかしなんだ、ここは無重力空間か何かなのだろうか。やけに身体が軽い。自分のものではないみたいだ。上に飛ぶのも左右に転がるのも後方にバク転するのも自由自在だった。俺バク転とかできないのに。

 地面も何だか柔らかい。思い切り足を踏み込むと穴が空いてしまうほどだ。雲みたいだとなんとなく思う。それが面白くて、何度か地面に腕を突き立ててみた。その結果突き立てた数だけの穴が周囲に形成される。

 こんなに穴だらけにしやがって、と雲のような地面の立場になって言ってみる。まだ酒が回っているのか、少しばかり行動がアホっぽくなっているみたいだ。

 

 と、唐突に前方の空間が歪んだ。

 空気が形を作っていき、やがて目の前に現れたのは俺が尊敬してやまないあの人物。

 

 次元大介だった。

 

 うわちょっとやばい俺鼻血とか出てないだろうな。まさかこんなところであの次元に会えるなんて。彼はいつもの服装のまま、顎鬚を揺らしながら笑っていた。

 どうして彼がここにいるのだとか、漫画のキャラクターだとかどうでもいい。今こうして目の前に次元がいる。その事実だけが俺を突き動かしていた。

 次元大介と言えば、俺は彼の言った台詞の中で気に入っているものがあるのだ。その言葉を聞いたとき、自動小銃などにも恐れを見せない彼の真髄が見えたような気がした。

 

『銃ってのはな、撃った数じゃねえんだよ』

 

 渋すぎる。これぞ男というやつだ。思わず声にして言いたくなってしまう台詞である。

 この際だ。彼に銃のレクチャーをしてもらおうじゃないか。彼の銃さばきに憧れてリボルバーを選んだ俺である。偉大な大先輩を前に緊張しているのを自覚しつつ、彼に近づいて教えを乞う。

 

 俺のお願いに、彼はすんなりと首を縦に振ってくれた。

 愛銃を懐から取り出し、構え方から丁寧に教えてくれる。

 成程、簡単に構えているように見えて、実は銃口の向け方や視線に幾つものフェイクを混ぜているのか。その上での早撃ち。しかもリロードも早い。これは相手にしてみたら地獄だろう。正確無比な一撃が間断無く襲いかかってくるのだから。

 彼の教えに倣って、俺も銃を構える。視線や銃口に様々なフェイクを織り交ぜ、相手のタイミングを外したと確信してから素早く引鉄を引いた。

 ……ぶれ過ぎて遥か上空へ飛んでいってしまった。まあ、始めはこんなものだ。どんな人間でも最初から完璧にできるわけではない。こういうのは反復練習が大切なのだ。また家で練習しよう。抜いてから構えるまでの練習を散々繰り返した昔のように。

 

 ん? なんと。どうやら彼が名台詞を言ってくれるらしい。

 そういうことなら俺は是非とも生で聞きたい台詞が二つほどある。

 そう言うと、彼は俺にも銃を構えさせた。どうやら一緒に言うということらしい。彼は俺の横に立って、愛銃をゆっくりと構えた。タイミングを合わせ、一息に言う。

 

『鉛玉が食いたきゃそう言いな』

 

 お前の胃袋に直接ご馳走してやるからよ、と。渋い、そしてかっこいい。こういった言い回しに憧れるのだ。若干ながら真似したこともあるが、周囲の反応は俺の予想したものとは違って盛り上がったりはしなかった。まだまだ努力が足りないということなんだろう。精進せねばなるまい。

 ラストの台詞だ。俺はもう一度彼と呼吸を合わせる。

 

『おっさん嘗めんじゃねーぞ』

 

 言い終わると同時に発砲。一発で済ませない。右手に持つシルバーイーグルを全弾撃ち終わった瞬間、すかさず左手で懐からもう一挺のシルバーを取り出す。間断なしの超速射撃。相手はかなりの強者を想定し、いくつか躱されることを意識しつつ、決定的な一撃を撃ち込めるよう隙を作らせる。

 うん、イメージトレーニングは完璧だ。次元も納得なのか、一度頷いてからゆっくりとその姿を空気の中へと溶かしていった。ああ残念だ、まだまだ教えてもらいたいことは沢山あったのに。

 そう思いながら、俺はリボルバーをそれぞれのホルスタに収める。

 すると睡魔が急に襲いかかってきた。それに抗うことができずに瞼をおろす。俺の意識は、そのまま落ちていった――――。

 

 

 

「…………あ?」

 

 ぱちぱちと瞼を瞬かせる。

 なんだ、何か途轍もなく良い夢を見ていたような気がするんだが一向に思い出せない。いや、なんとなくリボルバーを握って何かしていたような気はするんだが、手には何も握られていない。いつもはこんなことないんだが、深酒の弊害だろうか。

 というか何で俺は普通に立ってるんだ? 立ったまま寝落ちとかカッコ悪すぎるだろう。

 なんとはなしに周囲を見渡して、目が点になる。銃弾の嵐でも過ぎ去ったのかと思うくらい、店内は散々な荒れようだった。壁や机は全面に弾痕が刻まれ、照明の一つは落下して無残に砕け散っている。

 何がどうなっているのか理解が追いつかないままに店内を見回していると、カウンター壁に寄りかかる顔見知りを発見した。ホテル・モスクワの構成員であるサハロフだ。頭部からの出血が見られるが、そう深い傷ではないようだ。一先ず俺は彼の元に近づき、現状報告をしてもらおうとした。

 

「……助かりました。礼を言わせてください。きっと私一人なら、奴らに殺されていた」

 

 が、突然礼を言われてしまった。

 ますますもって分からない。誰かここ一時間ほどの俺の記憶を返してください。

 ここでなんのこと? とか聞き返すのはどうかとも思ったので、俺はそのまま無言で小さく頷いた。ていうかいつからいたんだお前。俺が飲んでた時はいなかったよな。

 そういえばバラライカがホテル・モスクワはツーマンセルで行動していると言っていたが、そうなると彼のパートナーはどこへ行ったんだろうか。

 

「……メニショフ、すまない。俺の力が足りなかったせいで……」

 

 話の流れから推測するに、どうやらメニショフは何者かによって殺害されてしまったらしい。

 店の入口付近の血溜まりは、彼のものだったのだろう。

 空気的にサハロフに質問を投げかけられそうになかったので、俺は黙ったまま思考を巡らせる。酒がまだ体内に残っているのか少しばかり頭の回転が鈍いが、大まかな全体像は理解できそうだ。

 多分メニショフを襲ったのは今巷で問題になっている外部勢力とやらだ。俺が寝落ちしている間にソイツはこのバーにやってきて、ホテル・モスクワの構成員を殺していった。

 さっきのサハロフの言葉を察するに俺が彼を助けた風にも聞こえたが、当の本人にその記憶が全くない。なにしたんだ俺。酔拳でも使ったのか? 中国スターじゃあるまいし。

 ともかく、なんとかその外部勢力を撃退することには成功したんだろう。この場に今もソイツが留まっていたのなら、こんな悠長に考え事などしていられない。

 

「悪かったな」

 

 ホテル・モスクワが管理するバーをこんなに穴だらけにしてしまって。いずれ賠償はさせてもらうから。

 

「いえ、ウェイバーさんがいなきゃ全滅でしたよ。私も、メリッサも」

 

 ん? そこはかとなく会話が食い違っていないか。そういうことじゃないんだと口を挟もうとして、しかし奥から飛び出してきたメリーが俺の胸元に飛び込んできたことで会話が中断されてしまう。

 

「ウェイバぁぁ」

「おー、よしよし」

 

 ぐしぐしと鼻をすすりながら俺のジャケットを握り胸に顔を埋めてくる。普段はお姉さんぶっていても根っこの部分はまだ二十の女の子だ。いきなり店内でドンパチやられたらそりゃ恐怖するだろう。そこいらのチンピラたちが定期的に起こすいざこざのレベルなら彼女も笑っていられたろうが、店内の様子を見る限りそんなレベルでは済まなかったようだし。

 

「ウェイバーさん。私はこのまま大尉殿に報告へ向かいます。メリッサのことはお願いします」

 

 そう言うサハロフは自身の傷の手当も碌に行わず店を出て行った。残されたのはこの店の店主と寝起きの俺。

 なに、俺にこの子をどうしろっての。

 あ、ちょっとそんなに鼻水垂らしてお前は。もういいや陽が昇ったらクリーニング出そう。好きなだけ濡らしたまえ。

 

 

 

 8

 

 

 

 明け方の事件の後、直ぐ様ホテル・モスクワは犯人の特定を開始した。それと共に賞金も懸け周りからの情報も求める。

 ホテル・モスクワの構成員が殺された。これは由々しき事態だ。これまで二人の構成員が襲われたが、両名とも重傷を負ったもののその命は取り留めていた。だが今回は違う。メニショフは首を切断され、しかも彼の胴体は今尚発見されていない。恐らく犯人が持ち去ったのだろう。

 この事実は名ばかりの情報規制をくぐり抜け、ロアナプラの住人たちの耳にも届けられた。

 その結果。

 

「見ろよ、皆銃をぶら下げてる」

 

 陽の落ちたロアナプラ、イエローフラッグのカウンターに肩を並べるラグーン商会の一人ロックが呟いた。

 

「当然だろロック、ボスに銃を向けた挙句姉御んとこのモンに手ェ出したイカレ野郎がうろついてんだからよ」

 

 言いながらレヴィは持っていたグラスを一息に呷る。

 

「今ロアナプラはポップコーンだ。十分に火が通って破裂するタイミングを待ってんのさ」

 

 ったく、ムカつくぜ。そう付け加えてレヴィはカウンターを叩く。

 

「おいレヴィ! 直ったばっかの店ぶっ壊すような真似すんじゃねえよ!」

「うっせーなバオ。どうせボスの金で直してんだろーが。ちったあボスに感謝しやがれ」

「建直しの理由の八割以上がアイツだろうが! んで二割はてめえだレヴィ!」

 

 バオの大声もレヴィは聞いちゃいないのか、眉間に皺を寄せたままバカルディの入ったボトルを手に取る。

 明け方の事件を聞いてから、どうも彼女の機嫌が悪い。ロックはなんとなくその理由を察しながらも、決して触れないようにしていた。

 が、そんな彼の気遣いを無視した筋肉野郎が会話に割り込んでくる。

 

「そうイラつくなレヴィ」

「イラついちゃいねーよダッチ」

「ウェイバーが絡むと途端にこれだ」

 

 はあ、と溜息を一つ。横に座るベニーは苦笑いである。

 

「どんな奴だったか教えてくれたっていいじゃねえか……。覚えてねえなんて嘘言わずに」

 

 事件の話を聞いたレヴィは直ぐ様ウェイバーの事務所へと駆けつけた。事のあらましが本当なのかを確認するためと、銃口を向けたイカレ野郎を始末するためだ。

 しかし彼の口からは情報を漏らさないようにするためなのか覚えていないの一点張り。三年も一緒に住んでいたレヴィは、こうなったウェイバーに口を割らせるのは不可能だと判断してすごすごと帰ったのだ。

 自身を危険に巻き込みたくなかったのかもしれない。昔から自分の引いた線の内側に居ることを許した人間にはとことん甘いウェイバーである。今回の件が危険だと判断し、遠ざけるために嘘を付いた可能性が高い。

 でも話して欲しかった。もう守られるだけの女じゃないと、肩を並べられる女だと判断し、話して欲しかった。

 

「……結局、アタシはまだボスに守られっぱなしだ」

 

 ポツリと零れた彼女の言葉は、騒々しい酒場の空気に溶けて消えていった。

 

 

 

 9

 

 

 

「……酷い失態だ」

 

 ホテル・モスクワのタイ支部の拠点となる建物の一室。革張りのソファに腰掛けるバラライカは、手に持った葉巻を握り潰してそう言った。

 

「二人一組で行動させておけば問題ないと思っていた。私の兵がやられるはずがないと。……思い込んでいた」

「サハロフたちは虚を突かれたのです大尉殿。まさか刺客が子供だったとは」

 

 ボリスの言葉に、彼女は小さく首を横に振った。

 

「バンジシールを思い出せ。敵の大半は子供だった」

「……そうでした」

「ウェイバーにはまた一つ借りを作ってしまったな。サハロフの命を救ってくれたことは大きすぎる借りだ」

「メニショフを手にかけた子供、彼に限って油断などしていなかったでしょう」

「アイツが本当に油断しているところなど、私は見たことがない」

 

 額に手を添え、一度瞳を閉じる。

 

「同志軍曹、これ以上の戦力低下は好ましくない。捜索班はモスクワ直下の連中で組織しろ」

「は」

「……あの共同墓地から戦死はこれで七名だ。何人死んでも慣れはせん」

「あの日の誓いより、戦死は覚悟の上であります」

「もう殺らせんよ軍曹。同志メニショフの命はガキ共の血で償わせてもらう。――――憎悪を込めて殺してやる」

 

 

 

 10

 

 

 

 酷く不快な臭いが室内に充満していた。

 部屋の中にはこれといった家具はない。精々がベッドの机、そして一脚の椅子。

 その椅子に縛られた、首から上のない遺体があった。身体のあちこちに太い釘が刺され、さながら人間ピンボールのようになっている。

 遺体から流れた血が椅子を伝い、木製の床に真っ赤な血溜まりを作っていく。

 

「ねえ姉様。あのおじさん強かったね」

「そうね。まさかBARを壊されるとは思わなかったわ。予備があって良かった」

「あれだけの早撃ち。どうやったら出来るようになるのかな」

「あら、気になるの兄様」

「少しだけ」

 

 くすくすと二人は嗤う。

 真っ赤に染まった遺体の太腿に二人して寄りかかり、まるで恋人のように近い距離で会話は続く。

 

「イワンをもう一人殺せなかったのは残念だけど、あのおじさんを殺せば問題ないね」

「そうね兄様。あのおじさんは私たちの命何個分になってくれるかしら」

「そういえば姉様、あいつら( ・・・・)はどうしようか」

「そうね。手始めにあいつらからにしましょうか」

 

 少年の問いかけに、少女は微笑む。

 

 

 

 

「ボルシチとスシはメインディッシュ。はじめはマカロニから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
 ウェイバーは日本人だと特定されておらず、周囲からは東洋人という認識ですが東洋人=アジア=寿司という屁理屈によりこうなってます。

 ごめんよロック。君の出番はこれで終わりなんだ……。

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