ロスト・コズミック   作:シグワン

23 / 26
第二章 ウェイティング・ライト
第21話 太陽だけの朝


――――――――――――

LC-201-AI/arieSta

2046.06.05-Tue 07:14

Location : 三鷹市 東京都

MoonAge : 0.3

Sectors : 2/88 fired

――――――――――――

 

 朝が来た。

 

 当たり前のことだ。りゅう座に向かって光の柱を放った夜が明けて、地球は自転して、太陽が東から昇った。いつも通りの、太陽だけの朝。陽の光で見えないだけで月もいるけど。

 

 ユキは三鷹の施設の窓際で、紙コップの自販機コーヒーを持ったまま、空を見ていた。六月の朝。雲が薄い。空は青い。青いだけだ。

 

 昨夜のことが嘘みたいだった。

 エルタニンが光った。

 

 光の柱が伸びた。四十六分間、揺れずに、りゅう座の方向へ。あの光は今、秒速三十万キロで暗闇の中を走っている。

 

 一年後に暗黒星雲に届く。

 晴れたら、恒星の光がまた一年かけて地球に届く。

 合計二年。

 

 でも、窓の外は六月の朝で、空は青くて太陽がある。

 

「今日から二年か」

 

 声に出してみたら、胸のあたりにずしっと来た。二年。七百三十日。朝を七百三十回迎えて、その間ずっと、光は走り続ける。

 

 施設の中はまだ片付けの途中だった。

 

 昨夜の照射で使った機器をダイチとタキが梱包作業をしている。村上は朝一で機構の上層部への報告に出た。田中が記録データの転送をしている。研究員たちは交代で仮眠を取っていた。

 

 ハルだけが、廊下の隅で珈琲を飲んでいた。

 

「おはよ」とユキは言った。

 

「おはよう」とハルが答えた。

 

 紙コップの縁に指を沿わせながら。声はいつも通りだった。でもユキは、ハルの目の下がいつもより少し暗いのに気づいた。

 

「寝た?」

 

「少しだけ」

 

「うちも」

 

 二人で窓の外を見た。太陽だけの空。惑星さえ今は見えない。昼間は、いつもこうだ。夜は月と惑星が見える。昼は太陽だけ見える。空が明るいから、暗黒星雲は見えない。星が消えていることすら忘れられる時間帯。

 

 ユキは、昼の空が嫌いじゃなかった。

 でも今朝は少し違った。

 

 夜は、暗闇の向こうに何かがあると感じられる。クリスタルが光る。光の柱が伸びる。見えないけど、そこにある。

 

 でも昼は、そもそも暗闇がない。暗闇がないから「その向こう」もない。太陽の光が塗りつぶしてしまう。

 

 昼は、星に近づけない時間なんだ。

 

「ハル」

 

「なに」

 

「昨夜の光、今どのへんかな」

 

 ハルは少し考えた。

 

「秒速三十万キロだから……今朝の時点で、地球から約七十四億キロ。太陽から冥王星くらいの距離かな。太陽系の端に差しかかってるよ」

 

「まって。水(すい)金(きん)地(ち)火(か)木(もく)土(どっ)天(てん)海(かい)冥(めい)……。速い」

 

「速いけど、一光年は遠い」

 

 ユキはコーヒーを一口飲んだ。ぬるくなっていた。

 

「うん。遠いね」

 

「ああ。遠いよ」

 

 遠い。それだけで十分だった。

 

「ねえ。うちさっき、ふと思ったんだけど」

 

「ハルって、季節で星座が変わるの、実際に見たことある?」

 

 ハルが珈琲のカップを止めた。

 

 少しだけ間があった。

 

「ないよ。プラネタリウムと、大学のシミュレーションで覚えた。俺の目で実際に夜空を見上げて、先月と違う星座が昇ってくるのを確認したことは、一度もない」

 

「というより、見える時期に夜空をちゃんと観たことがなかった。光害もあったけど、星に興味がなかったからね」

 

 ユキは少し黙った。

 

「天文学者が星を見たことないって、笑える話だろ」

 

「笑えない」

 

 ハルは少し目を細めた。笑ったのか、泣きそうだったのか、よくわからない顔だった。

 

 ダイチが廊下の奥から歩いてきた。

 

 手にはタブレットとリュック。足音が正確に等間隔だった。メトロノームみたいだ、とユキはいつも思う。

 

「梱包作業完了。器材十七点、全数確認済みだ」

 

「タキは増幅器の後処理中。残り工程から逆算してあと五十八分はかかる」

 

「お疲れー」とユキ。

 

 ダイチはハルの手元を見た。

 

「珈琲、何杯目?」

 

「三杯目」

 

「昨夜から?」

 

「今朝だけで」

 

 ダイチは何も言わなかった。ただ少し眉を寄せた。

 

「一つ聞きたい」

 

 ハルが紙コップを置いた。

 

「先月の急用のこと?」

 

「そう」

 

 ユキも少し身体の向きを変えた。聞くつもりだったわけじゃない。でもダイチが聞いてくれるなら、聞きたかった。

 

 ハルは窓の外を見ながら話し始めた。

 

「知り合いの研究者から呼ばれた。天文台にいた頃の先輩でさ。暗黒星雲を通過する電波に、ノイズじゃないパターンがあるかもしれないって。五日間、データを見せてもらった」

 

「結論は」

 

「出なかった。パターンがあるように見えるけど、統計的に有意とは言えない。でも自然現象だけでは説明しにくい構造が含まれてた」

 

 沈黙。

 

「……自然現象じゃないなら、何だろ」とユキは聞いた。

 

「わからない。だから結論が出なかった」

 

 ハルの声は落ち着いていた。嘘をついている感じはしなかった。でもユキは、ハルが全部を話していないことに気づいていた。

 

 なんとなく。

 

 根拠はない。

 

 ハルが「根拠がない話はしない」人間だと知っているから、逆に、言わなかった部分があるとわかる。

 

 追及はしなかった。

 ハルが話す時が来たら話す。

 それでいい。

 

「データはもらえない?」とダイチが聞いた。

 

「まだ無理だよ。先輩の研究で、公表前のデータだから」

 

「了解」

 

 ダイチはそれ以上聞かなかった。

 

 タブレットに視線を戻して、昨夜のりゅう座照射のデータログを開いた。技術者の切り替えは早い。

 

 ユキだけが、もう少しハルを見ていた。

 

 ハルの右手が、一瞬だけ震えた。紙コップの中のコーヒーが、小さな波紋を立てた。

 

 ユキの心臓が跳ねた。

 

 見てしまった。見なかったことにはできない。

 

 タキが施設の奥から出てきた。

 

「増幅器の後処理、完了しました。全パラメータ正常です」

 

「ありがとう」とユキ。

 

「それと」タキが少し声を落とした。

 

「ハルさんの話、廊下で聞こえてしまいました。すみません」

 

 ハルが首を振った。

 

「聞かれて困る話じゃないよ」

 

「暗黒星雲の電波異常ですか」とタキは繰り返した。

 

 声のトーンを意識的に下げているのがわかった。廊下は機構の施設だ。壁に耳がある。

 

「機構内のアーカイブに、類似の報告がないか……確認してみます」

 

 ハルが少し目を見開いた。

 

「……できるんですか?」

 

「電波観測のアーカイブにアクセス権があります。増幅施設の設計で使ったことがあるので」

 

「助かります」とハルが言った。

 

 声に、少しだけ本音が混じった。

 

 ユキは三人を見回した。疲れた顔が四つ。でも止まっていない。昨夜の照射が終わって、今朝にはもう次のことを考えている。

 

 窓の外、太陽が高くなっていた。六月の朝が、昼に変わろうとしている。

 

 りゅう座に向かって放たれた光は、今もどこかを走っている。一年後に届くか、二年後に晴れるかは、わからない。わからないまま、朝が来て、昼が来て、夜が来て、また朝が来る。

 

 その繰り返しを二年分。

 

「帰ろっか」とユキは言った。

 

「今日は寝よう。明日から、ケフェウス座の話を始めよう」

 

 三人が頷いた。

 

 施設を出ると、六月の日差しが眩しかった。太陽だけの空が、青く、広く、何もなく広がっていた。

 

 ユキは少しだけ空を見上げて、目を細めた。

 

 太陽しかない。ように見える。でも、月もいる。惑星もいる。壁の向こうには、星もいる。

 

 あの向こうで、うちらみんなの光が走ってる。

 

 それだけで、今日はいい。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。