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LC-212-Y/arieSta
2046.07.02-Mon 22:03
Location : 豊島区 東京都
MoonAge : 27.9
Sectors : 2/88 fired
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「今夜ロクマルね」
ユキがグループチャットに打ったのは夕方五時だった。
ダイチ: ロクマル?
ユキ : サンシャイン
ダイチ: なんでロクマル
ユキ : 60じゃん。ロクマル。かわいくない?
ハル : 了解。22時に屋上
タキ : 業務後に向かいます
ダイチ: ……了解
ダイチは了解したが、納得はしていない顔が文面から伝わってきた。でも次のセッションの時にはもう「ロクマル」と呼んでいるのだろう。ユキが名付けたものは、だいたいそうなる。マルイチもそうだった。
バイトは六時に終わった。カフェの制服を脱いで、ロッカーに入れて、私服に着替える。白いコンバース。アクセサリーをつけ直す。鏡を見る。金髪のショートウルフが蛍光灯の下で明るすぎるくらいに光っていた。
「お疲れ様でーす」
店長に手を振って外に出ると、七月初めの夕暮れの空が広かった。西の空がオレンジ色に染まっていて、太陽が沈みかけている。昼の空が終わって、夜の空が始まろうとしている。
ユキの一日は、ここで切り替わる。
昼間は普通だ。カフェでラテを作って、レジを打って、常連さんと雑談して、新人にスチーマーの使い方を教える。
星のことは考えない。
考える必要がない。太陽が出ている間は、クリスタルは光らないし、暗黒星雲は見えないし、星がないことすら忘れていられる。
でも夕暮れになると、スイッチが入る。
池袋に着いたのは八時過ぎだった。サンシャイン60の前で、ネイルを直していると、タキが来た。
「お待たせしました」
タキが小走りで来た。スーツの上にフィールドジャケットを羽織っている。機構の業務から直行してきた顔だ。
「仕事終わり?」
「定時で出ました。今日は早めに抜けられて」
「タキ、最近ずっと忙しくない? 機構の仕事とアリエスタの掛け持ちって、身体もつ?」
「大丈夫です。機構の昼間の業務と、夜のアリエスタは頭の使い方が違うので。切り替えるとむしろ楽です」
「うちもそう。昼のカフェと夜のロクマル、全然違う頭だもん」
タキが少し笑った。
「ロクマル、定着しそうですよね」
「だって長いじゃん、サンシャインシックスティって」
エレベーターで屋上に上がると、ハルとダイチがもう来ていた。ダイチが計測機器を展開している。ハルは壁に寄りかかって珈琲を飲んでいた。
缶コーヒー。今日は紙コップじゃない。ユキは本数を数えるのをやめた。数えても不安が増えるだけだ。
「今夜のメニューは、」とハルが壁から離れて言った。
「ケフェウス座のクリスタルを主軸に、保留クリスタルの全数再チェックを行う」
「保留って何個あるの?」
「四十七個だ。こぐま座とりゅう座の照射で使わなかった分と、前回以降に新しく採集した分を合わせて」とダイチ。
四十七個。
ひと通り試す。新月まであと二日。今夜は月齢二十八で、宵のうちは月も出ない。条件は悪くない。
「あと、オーラフから返事が来たよ」とハルが言った。
「早いね」
「ケフェウス座のクリスタルについて、北欧のチームに情報照会をかけてくれた。ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの採掘ネットワークにも」
「オーラフのおじさん、有能すぎない? 一人でどうやって三ヶ国同時に動かしてんの」
ハルがちょっと笑った。
ダイチは無表情のまま、少し肩をすくめた。
「まあ、オーラフは有能だよ」とハルは珈琲を一口飲んでから言った。
「何せネットワークが広いからね」
ダイチが一瞬何かを言いかけて、やめた。ユキは気づかなかった。
「じゃあ、オーラフからの返事は?」とユキは話を戻した。
「ケフェウス座のクリスタル、北欧で三つ報告がある。
「白夜?」
「ざっくり言うと北欧の白夜の時期は、ほぼ太陽が沈まない。夜が来ない。セッションができない」
ユキは声を上げそうになった。
「クリスタルがあるのに試せないの?」
「九月頃まで待てば条件が整うと思う。あるいは、低緯度のチームに送って試してもらうか」
「それ、うちらに送ってもらうのは?」
「交渉次第だね。オーラフとのルールで、未確定クリスタルの輸送にはリスク分担の合意が要る。壊れたら終わりだから」
頷いた。
パズルのピースがまた増えた。クリスタルの
「とりあえず、今夜は手元の四十七個をひと通り試そ。うちらが持ってるものから始めよう」
「準備できてる」とダイチ。
屋上の端に移動した。池袋の夜景が足元に広がっている。ビルの光、道路の光、電車の光。
「こんなに明るくて大丈夫?」
「街の光に紫外線はほぼないから、クリスタルには影響しない」とダイチ。
その上にある空は月のない暗闇で、南に土星、西に火星が浮かんでいた。
いつもの空だ。今夜は、惑星だけの空。
でも今夜は、この空に向かってケフェウス座のクリスタルを探す。まだ誰も照射していない、三つ目の星座。
ダイチが計測機器を起動した。タキが横で増幅パラメータを確認している。DTコンビの連携は、りゅう座の照射の頃よりさらに滑らかになっていた。
ユキはポーチを開けて、最初のクリスタルを取り出した。
透明に近い乳白色の石。湘南の砂浜で拾ったものではなく、青森の海岸で採集した新しいストック。まだどの星にも対応が確認されていない。
一個目。
かざした。北の空に向けて。
反応なし。
二個目。
反応なし。
三個目。
四個目。
五個目。
六個目。
七個目。
反応なし。
「……こぐま座の時もこうだったっけ」
「二度目の新月セッションで十九個確定したのは異常値だよ」とハルが言った。
「あれは月だけじゃなく、大気も街明かりも条件が完璧だった。今夜も月齢二十八で悪くはない。でも、同じ条件じゃない」
八個目。
九個目。
十個目。
反応なし。
ユキは黙々と続けた。
十五個目。
二十個目。
どれもハズレ。
二十三個目。
かざした瞬間、指先が温かくなった。
「……ダイチ」
「待って」
「ああ」返事をしつつ、計測機器を寄せた。
クリスタルの内側に、微かな光が灯っていた。湘南の最初の夜よりずっと弱い。でも確かに光っている。北北東の高い空へ向かって。
「反応あり。座標は」
タキがタブレットで日時と方角情報から、恒星カタログと照合を始めた。指が素早く動く。
「北北東、高い空。ケフェウス座の領域内です」
「星は?」
「照合中……
「固有名は?」
「ない。バイエル符号だけの星だ」
「バイなんとか?」
「バイエル符号。アルファ星とかベータ星のことだよ」とハルが説明してくれた。
ユキはクリスタルを見つめた。名前のない、四等星のクリスタル。地味だ。でも、ケフェウス座の最初の一個。
「一個目出た」
「一個目」とハルが繰り返した。
ダイチは何も言わなかった。ただ、計測データを保存した。タキが静かに頷いた。
「ねえ、ファントム、試していい?」
ハルが頷いた。
ユキはポーチの底から布に包まれた石を取り出した。層を重ねた、あのファントムクリスタル。こぐま座照射で第一層を使ってから、ずっとポーチの底にいた。
布を開けた。月の光の中で、内部のファントムが淡く浮かんだ。第一層は照射の時に光を放出して、今はもう反応しない。問題は第二層。ケフェウス座に対応していた層。まだ光が残っているか。
ユキはファントムクリスタルを空に向けた。北北東。ケフェウス座の方角。
三秒。
五秒。
「……ダイチ」
「見えてる」
ダイチの声がいつもより低かった。
ファントムクリスタルの内側、第二層の位置に、微かな光が灯っていた。
「ケフェウス座の反応。さっきの
「ケフェウス座
「ファントムの第二層が
「セファイドって、ケフェウス座のやつでしょ」
「名前はね。でも種類の名前だよ。ケフェウス座
「え」
「北極星もセファイドだよ」
ユキは顔を上げた。
「……こぐま座じゃん」
「こぐま座だね」
「ケフェウス座じゃないじゃん」
「うん」
ユキは北を見た。何もない。三月に撃った光は、まだ半分も行ってない。
ユキは手の中のクリスタルを見た。一個の石から、二つの星座の光。一つ目はこぐま座に捧げた。二つ目がケフェウス座に残っていた。
「二個目」
ハルが笑った。
「セッション始めて三十分で二個。しかも一個はファントムの遺産。上出来だよ」
残り二十四個を試した。
反応したのはあと一つ。三十七個目の石が、ケフェウス座
四十七個中、二個。プラス、ファントムの第二層。合計三個。
こぐま座の最初の夜に比べれば少ない。でもゼロじゃない。
「次のセッションまでに、採集を増やす。青森と秋田にもう一回行く」とユキは言った。
「オーラフにも追加で照会をかけておくよ」とハル。
「白夜が明けたら、ノルウェーのアルデラミン候補も動かせる」
「九月か」とユキは空を見上げた。頬に夜風が当たった。
「遠いね」
「遠いけど、来る」とハルが言った。
屋上の風が心地よかった。七月初めの夜の風。池袋の夜景が下に広がっていて、その上に火星と土星だけの空がある。
ユキはふと、足元を見た。この隣のビルの下の階に、プラネタリウムがある。今は閉館時間だ。でも昼間は動いている。作り物の星空を映して、子供たちに「かつての夜空はこうでした」と教えている。
屋上にいる。作り物の星空の上で、本物の星を取り戻そうとしている。
「ねえ。この下にプラネタリウムあるの知ってる?」とユキは言った。
「前に言った」とダイチが顔を上げずに言った。
「そうだっけ」
「ああ、初めてここに来た日に。ユキは興味ないんだと思った」
覚えてるんだ、とユキは思った。
あれは知ってるって意味じゃなかった。行きたくないって意味だった。でも言わなかったし、ダイチも聞かなかった。
「ダイチは行ったことある?」
「ある。三回」
「三回も?」
「投影機を見に行った。星じゃなくて、機械の方」
ユキは笑った。ダイチらしい。
「どうだった?」
「よくできてる。恒星の色温度まで再現してた」ダイチは手を止めた。
「でも、あれは記録だ。星の光じゃない」
「うちらのは?」
「本物だ」
それだけ言って、また手を動かし始めた。
「ハルは行った?」
「大学の時に何度か。資料として」
「どうだった?」
ハルは少し考えた。
「正確だったよ。星の位置も、等級の明るさも、全部正しかった。でも出口を出たら、星座のない空だった。月や惑星だけが残った空に立つと、あの正確さが虚しかった」
ユキは何も言えなかった。
「ユキは?」
「小学校の遠足で一回。それから行ってない」
「行かない理由は?」
「作り物で満足したくない」
ハルが少し息を吐いた。笑ったのかもしれない。
「そうだね。でも今夜、二個見つかった。ニュー星と、ゼータ星。作り物じゃない。あの石の中に、本物の星の光が入ってるよ」
「うん」
「プラネタリウムの頭上で、本物を見つけてる。それ、結構すごいことだと思うよ」
少しだけ笑った。胸が詰まった。
「ハルっぽい言い方」
「根拠のある言い方だよ」
撤収の準備を始めた。
ダイチが機器を畳み、タキがデータの転送を確認する。ハルが空き缶を片付ける。ユキは二個の確定クリスタルを低温保存ケースに入れた。
エレベーターで降りる時、ユキはボタンを押しながら言った。
「ロクマル、今回、上々じゃない?」
ダイチが「ロクマルって言うな」と小さく言ったが、口元が少し動いていた。笑ったのだ。たぶん。
タキが「私はロクマル、好きですよ」と言った。
ハルは何も言わなかった。ただ、ユキの後ろで小さく頷いた。
池袋の駅に向かう道で、ユキは空を見上げた。月のない、暗い空だった。
ケフェウス座、三個。
八十八分の三つ目の星座が、今夜始まった。