ロスト・コズミック   作:シグワン

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第23話 ロクマルの夜

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LC-212-Y/arieSta

2046.07.02-Mon 22:03

Location : 豊島区 東京都

MoonAge : 27.9

Sectors : 2/88 fired

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「今夜ロクマルね」

 

 ユキがグループチャットに打ったのは夕方五時だった。

 

ダイチ: ロクマル?

ユキ : サンシャイン

ダイチ: なんでロクマル

ユキ : 60じゃん。ロクマル。かわいくない?

ハル : 了解。22時に屋上

タキ : 業務後に向かいます

ダイチ: ……了解

 

 ダイチは了解したが、納得はしていない顔が文面から伝わってきた。でも次のセッションの時にはもう「ロクマル」と呼んでいるのだろう。ユキが名付けたものは、だいたいそうなる。マルイチもそうだった。

 

 バイトは六時に終わった。カフェの制服を脱いで、ロッカーに入れて、私服に着替える。白いコンバース。アクセサリーをつけ直す。鏡を見る。金髪のショートウルフが蛍光灯の下で明るすぎるくらいに光っていた。

 

「お疲れ様でーす」

 

 店長に手を振って外に出ると、七月初めの夕暮れの空が広かった。西の空がオレンジ色に染まっていて、太陽が沈みかけている。昼の空が終わって、夜の空が始まろうとしている。

 

 ユキの一日は、ここで切り替わる。

 

 昼間は普通だ。カフェでラテを作って、レジを打って、常連さんと雑談して、新人にスチーマーの使い方を教える。

 

 星のことは考えない。

 

 考える必要がない。太陽が出ている間は、クリスタルは光らないし、暗黒星雲は見えないし、星がないことすら忘れていられる。

 

 でも夕暮れになると、スイッチが入る。

 

 池袋に着いたのは八時過ぎだった。サンシャイン60の前で、ネイルを直していると、タキが来た。

 

「お待たせしました」

 

 タキが小走りで来た。スーツの上にフィールドジャケットを羽織っている。機構の業務から直行してきた顔だ。

 

「仕事終わり?」

 

「定時で出ました。今日は早めに抜けられて」

 

「タキ、最近ずっと忙しくない? 機構の仕事とアリエスタの掛け持ちって、身体もつ?」

 

「大丈夫です。機構の昼間の業務と、夜のアリエスタは頭の使い方が違うので。切り替えるとむしろ楽です」

 

「うちもそう。昼のカフェと夜のロクマル、全然違う頭だもん」

 

 タキが少し笑った。

 

「ロクマル、定着しそうですよね」

 

「だって長いじゃん、サンシャインシックスティって」

 

 エレベーターで屋上に上がると、ハルとダイチがもう来ていた。ダイチが計測機器を展開している。ハルは壁に寄りかかって珈琲を飲んでいた。

 

 缶コーヒー。今日は紙コップじゃない。ユキは本数を数えるのをやめた。数えても不安が増えるだけだ。

 

「今夜のメニューは、」とハルが壁から離れて言った。

 

「ケフェウス座のクリスタルを主軸に、保留クリスタルの全数再チェックを行う」

 

「保留って何個あるの?」

 

「四十七個だ。こぐま座とりゅう座の照射で使わなかった分と、前回以降に新しく採集した分を合わせて」とダイチ。

 

 四十七個。

 

 ひと通り試す。新月まであと二日。今夜は月齢二十八で、宵のうちは月も出ない。条件は悪くない。

 

「あと、オーラフから返事が来たよ」とハルが言った。

 

「早いね」

 

「ケフェウス座のクリスタルについて、北欧のチームに情報照会をかけてくれた。ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの採掘ネットワークにも」

 

「オーラフのおじさん、有能すぎない? 一人でどうやって三ヶ国同時に動かしてんの」

 

 ハルがちょっと笑った。

 

 ダイチは無表情のまま、少し肩をすくめた。

 

「まあ、オーラフは有能だよ」とハルは珈琲を一口飲んでから言った。

 

「何せネットワークが広いからね」

 

 ダイチが一瞬何かを言いかけて、やめた。ユキは気づかなかった。

 

「じゃあ、オーラフからの返事は?」とユキは話を戻した。

 

「ケフェウス座のクリスタル、北欧で三つ報告がある。α(アルファ)星アルデラミンの候補が一つ、ノルウェーのハンターが保管中。ただし未確定。確認するにはセッションが必要で、向こうは今、地域によっては、白夜(びゃくや)の時期に片足を突っ込んでる」

 

「白夜?」

 

「ざっくり言うと北欧の白夜の時期は、ほぼ太陽が沈まない。夜が来ない。セッションができない」

 

 ユキは声を上げそうになった。

 

「クリスタルがあるのに試せないの?」

 

「九月頃まで待てば条件が整うと思う。あるいは、低緯度のチームに送って試してもらうか」

 

「それ、うちらに送ってもらうのは?」

 

「交渉次第だね。オーラフとのルールで、未確定クリスタルの輸送にはリスク分担の合意が要る。壊れたら終わりだから」

 

 頷いた。

 

 パズルのピースがまた増えた。クリスタルの在処(ありか)、季節、白夜、輸送リスク。いくつもの条件が絡み合っている。

 

「とりあえず、今夜は手元の四十七個をひと通り試そ。うちらが持ってるものから始めよう」

 

「準備できてる」とダイチ。

 

 屋上の端に移動した。池袋の夜景が足元に広がっている。ビルの光、道路の光、電車の光。

 

「こんなに明るくて大丈夫?」

 

「街の光に紫外線はほぼないから、クリスタルには影響しない」とダイチ。

 

 その上にある空は月のない暗闇で、南に土星、西に火星が浮かんでいた。

 

 いつもの空だ。今夜は、惑星だけの空。

 

 でも今夜は、この空に向かってケフェウス座のクリスタルを探す。まだ誰も照射していない、三つ目の星座。

ダイチが計測機器を起動した。タキが横で増幅パラメータを確認している。DTコンビの連携は、りゅう座の照射の頃よりさらに滑らかになっていた。

 

 ユキはポーチを開けて、最初のクリスタルを取り出した。

 

 透明に近い乳白色の石。湘南の砂浜で拾ったものではなく、青森の海岸で採集した新しいストック。まだどの星にも対応が確認されていない。

 

 一個目。

 

 かざした。北の空に向けて。

 

 反応なし。

 

 二個目。

 

 反応なし。

 

 三個目。

 四個目。

 五個目。

 六個目。

 七個目。

 

 反応なし。

 

「……こぐま座の時もこうだったっけ」

 

「二度目の新月セッションで十九個確定したのは異常値だよ」とハルが言った。

 

「あれは月だけじゃなく、大気も街明かりも条件が完璧だった。今夜も月齢二十八で悪くはない。でも、同じ条件じゃない」

 

 八個目。

 九個目。

 十個目。

 

 反応なし。

 

 ユキは黙々と続けた。

 

 十五個目。

 

 二十個目。

 

 どれもハズレ。

 

 二十三個目。

 

 かざした瞬間、指先が温かくなった。

 

「……ダイチ」

 

「待って」

 

「ああ」返事をしつつ、計測機器を寄せた。

 

 クリスタルの内側に、微かな光が灯っていた。湘南の最初の夜よりずっと弱い。でも確かに光っている。北北東の高い空へ向かって。

 

「反応あり。座標は」

 

 タキがタブレットで日時と方角情報から、恒星カタログと照合を始めた。指が素早く動く。

 

「北北東、高い空。ケフェウス座の領域内です」

 

「星は?」

 

「照合中……ν(ニュー)星。四等星。ケフェウス座の構成星の一つだ」とダイチ。

 

「固有名は?」

 

「ない。バイエル符号だけの星だ」

 

「バイなんとか?」

 

「バイエル符号。アルファ星とかベータ星のことだよ」とハルが説明してくれた。

 

 ユキはクリスタルを見つめた。名前のない、四等星のクリスタル。地味だ。でも、ケフェウス座の最初の一個。

 

「一個目出た」

 

「一個目」とハルが繰り返した。

 

 ダイチは何も言わなかった。ただ、計測データを保存した。タキが静かに頷いた。

 

「ねえ、ファントム、試していい?」

 

 ハルが頷いた。

 

 ユキはポーチの底から布に包まれた石を取り出した。層を重ねた、あのファントムクリスタル。こぐま座照射で第一層を使ってから、ずっとポーチの底にいた。

 

 布を開けた。月の光の中で、内部のファントムが淡く浮かんだ。第一層は照射の時に光を放出して、今はもう反応しない。問題は第二層。ケフェウス座に対応していた層。まだ光が残っているか。

 

 ユキはファントムクリスタルを空に向けた。北北東。ケフェウス座の方角。

 

 三秒。

 

 五秒。

 

「……ダイチ」

 

「見えてる」

 

 ダイチの声がいつもより低かった。

 

 ファントムクリスタルの内側、第二層の位置に、微かな光が灯っていた。

 

 ν(ニュー)星のクリスタルより弱い。でも確かに光っている。こぐま座照射で第一層が放電した後も、第二層は独立して蓄積を保持していた。

 

「ケフェウス座の反応。さっきのν(ニュー)星とは別方向」とタキ。

 

「ケフェウス座δ(デルタ)星。セファイド変光星だ」

 

「ファントムの第二層がδ(デルタ)星に対応してる。しかもセファイドか。変光星のクリスタルは反応が不安定になるって言われてたけど、ファントムの層構造が安定させてるのかもしれない」とハルが言った。

 

「セファイドって、ケフェウス座のやつでしょ」

 

「名前はね。でも種類の名前だよ。ケフェウス座δ(デルタ)星もそうってだけで、他の星座にもある」とハル。

 

「え」

 

「北極星もセファイドだよ」

 

 ユキは顔を上げた。

 

「……こぐま座じゃん」

 

「こぐま座だね」

 

「ケフェウス座じゃないじゃん」

 

「うん」

 

 ユキは北を見た。何もない。三月に撃った光は、まだ半分も行ってない。

 

 ユキは手の中のクリスタルを見た。一個の石から、二つの星座の光。一つ目はこぐま座に捧げた。二つ目がケフェウス座に残っていた。

 

「二個目」

 

 ハルが笑った。

 

「セッション始めて三十分で二個。しかも一個はファントムの遺産。上出来だよ」

 

 残り二十四個を試した。

 

 反応したのはあと一つ。三十七個目の石が、ケフェウス座ζ(ゼータ)星に対応した。

 

 四十七個中、二個。プラス、ファントムの第二層。合計三個。

 

 こぐま座の最初の夜に比べれば少ない。でもゼロじゃない。

 

「次のセッションまでに、採集を増やす。青森と秋田にもう一回行く」とユキは言った。

 

「オーラフにも追加で照会をかけておくよ」とハル。

 

「白夜が明けたら、ノルウェーのアルデラミン候補も動かせる」

 

「九月か」とユキは空を見上げた。頬に夜風が当たった。

 

「遠いね」

 

「遠いけど、来る」とハルが言った。

 

 屋上の風が心地よかった。七月初めの夜の風。池袋の夜景が下に広がっていて、その上に火星と土星だけの空がある。

 

 ユキはふと、足元を見た。この隣のビルの下の階に、プラネタリウムがある。今は閉館時間だ。でも昼間は動いている。作り物の星空を映して、子供たちに「かつての夜空はこうでした」と教えている。

 

 屋上にいる。作り物の星空の上で、本物の星を取り戻そうとしている。

 

「ねえ。この下にプラネタリウムあるの知ってる?」とユキは言った。

 

「前に言った」とダイチが顔を上げずに言った。

 

「そうだっけ」

 

「ああ、初めてここに来た日に。ユキは興味ないんだと思った」

 

 覚えてるんだ、とユキは思った。

 

 あれは知ってるって意味じゃなかった。行きたくないって意味だった。でも言わなかったし、ダイチも聞かなかった。

 

「ダイチは行ったことある?」

 

「ある。三回」

 

「三回も?」

 

「投影機を見に行った。星じゃなくて、機械の方」

 

 ユキは笑った。ダイチらしい。

 

「どうだった?」

 

「よくできてる。恒星の色温度まで再現してた」ダイチは手を止めた。

 

「でも、あれは記録だ。星の光じゃない」

 

「うちらのは?」

 

「本物だ」

 

 それだけ言って、また手を動かし始めた。

 

「ハルは行った?」

 

「大学の時に何度か。資料として」

 

「どうだった?」

 

 ハルは少し考えた。

 

「正確だったよ。星の位置も、等級の明るさも、全部正しかった。でも出口を出たら、星座のない空だった。月や惑星だけが残った空に立つと、あの正確さが虚しかった」

 

 ユキは何も言えなかった。

 

「ユキは?」

 

「小学校の遠足で一回。それから行ってない」

 

「行かない理由は?」

 

「作り物で満足したくない」

 

 ハルが少し息を吐いた。笑ったのかもしれない。

 

「そうだね。でも今夜、二個見つかった。ニュー星と、ゼータ星。作り物じゃない。あの石の中に、本物の星の光が入ってるよ」

 

「うん」

 

「プラネタリウムの頭上で、本物を見つけてる。それ、結構すごいことだと思うよ」

 

 少しだけ笑った。胸が詰まった。

 

「ハルっぽい言い方」

 

「根拠のある言い方だよ」

 

 撤収の準備を始めた。

 

 ダイチが機器を畳み、タキがデータの転送を確認する。ハルが空き缶を片付ける。ユキは二個の確定クリスタルを低温保存ケースに入れた。

 

 エレベーターで降りる時、ユキはボタンを押しながら言った。

 

「ロクマル、今回、上々じゃない?」

 

 ダイチが「ロクマルって言うな」と小さく言ったが、口元が少し動いていた。笑ったのだ。たぶん。

 

 タキが「私はロクマル、好きですよ」と言った。

 

 ハルは何も言わなかった。ただ、ユキの後ろで小さく頷いた。

 

 池袋の駅に向かう道で、ユキは空を見上げた。月のない、暗い空だった。

 

 ケフェウス座、三個。

 

 八十八分の三つ目の星座が、今夜始まった。

 

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