ロスト・コズミック   作:シグワン

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第24話 昼の街と、夜の屋上

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LC-218-Y/arieSta

2046.07.08-Sun 16:30

Location : 池袋 東京都

MoonAge : 4.2

Sectors : 2/88 fired

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 カフェラテ、アイスで。

 

 シロップはバニラ。ミルクは多め。氷は少なめ。常連の木村さんの注文は、もう聞かなくてもわかる。ユキはカップに名前を書いて、エスプレッソマシンの前に立った。

 

 日曜日の午後。池袋のカフェは混んでいた。隣の席で大学生がレポートを書いていて、窓際のカップルがパフェの写真を撮っていて、カウンターの端でサラリーマンがスマホを見ながらコーヒーを飲んでいた。普通の午後。普通の日曜日。

 

「ユキちゃん、今夜も予定あるの?」

 

 店長の河合(かわい)さんが、レジを打ちながら聞いた。四十代の女性で、ユキのシフト希望を毎回快く受け入れてくれる。

 

「ありますー。夜はちょっと」

 

「毎週末だよね。彼氏?」

 

「星です」

 

「星?」

 

「星を探してるんです。チームで」

 

 河合さんは少し困ったように笑った。

 

「星って、見えないのに?」

 

「見えないから探してるんですよ」

 

 河合さんはそれ以上聞かなかった。ユキがときどき妙なことを言うのには慣れている。金髪のショートウルフに派手なアクセサリーをつけて、でもラテアートは店で一番上手い。変な子だけど仕事はできる。それでいいと思ってくれている。たぶん。

 

 エスプレッソを抽出しながら、窓の外を見た。鼻の奥がつんとした。

 

 七月の空。午後四時半。太陽はまだ高い。夏至を過ぎたばかりだから、日が長い。あと二、三時間は暗くならない。

 

 昼間はいつもこうだ。時間がゆっくり流れる。お客さんが来て、注文を聞いて、ラテを作って、レジを打つ。繰り返し。嫌いじゃない。むしろ好きだ。ラテアートはクリスタルの計測と同じくらい集中できる。フォームドミルクの注ぎ方ひとつで、葉っぱの形になったりハートになったりする。コントロールの快感。

 

 でも、夕暮れが近づくと、指先がざわつく。

 

 太陽が沈むのを待っていた。空が暗くなるのを、ずっと待っていた。星に近づける時間が来るのを待っている。

 

「お待たせしました。アイスカフェラテです」

 

 木村さんに渡して、次の注文に取りかかる。抹茶フラペチーノ。ホイップ多め。簡単な仕事だ。でもこの簡単な仕事が、ユキの昼間を支えている。バイト代がなければクリスタル採集の遠征費も出ない。青森も秋田も、交通費は自腹だ。機構からの予算だけでは足りない。

 

 星を取り戻すのにも、金がいる。当たり前のことだけど、なんとなく、最初は考えてなかった。

 

 なんとなく。

 

 最近、この言葉を使うたびに、少しだけ引っかかる。

 

 なんとなく始めた。

 なんとなく続けてる。

 なんとなく届くと思ってる。

 全部「なんとなく」だ。

 

 ハルみたいに論文を書いたわけでもない。

 ダイチみたいに機器を作ったわけでもない。

 タキみたいに施設を設計したわけでもない。

 

 持っているのは、石が光った夜の記憶と「なんとなく」だけだ。

 

 それで足りるのかな。

 

 ──足りる。今は、足りる。足りなくなったら、その時考える。

 

 ユキは頭を振って、抹茶フラペチーノにホイップを載せた。

 

 六時にバイトが終わった。

 

 制服を脱いで、私服に着替えて、アクセサリーをつけ直す。白いコンバース。夕暮れの池袋に出ると、空がオレンジ色に変わり始めていた。

 

 スマホを開く。グループチャット。

 

ハル : 今夜ロクマル。22時。月齢4.2。条件良い

ダイチ: 了解。新しいフィルター持っていく

タキ : 19時まで業務。その後向かいます

ユキ : りょ。ごはん食べてから行く

 

 駅前の牛丼屋で並盛りを食べた。テーブルの隅でスマホを見ながら、オーラフの共有掲示板をスクロールした。ハルに教えてもらったアクセス方法。英語が多い。翻訳アプリを通しながら読む。

 

 ノルウェーのチームが新しいクリスタルを三つ採集した。未確定。白夜が明けるまでセッションできない。

 

 フィンランドのハンターがケフェウス座δ(デルタ)星の候補を報告しているが、変光星のためか反応が不安定。

 

 スウェーデンの沿岸部で潮汐と連動して反応するクリスタルが見つかった、という未検証の投稿。

 

 世界中で動いている。四人だけじゃない。

 

 牛丼を食べ終えて、池袋の街を歩いた。週末の夜。人が多い。ネオンが眩しい。居酒屋から笑い声。カラオケの看板。ゲームセンターの電子音。

 

 この人たちは、星のことを考えているだろうか。

 

 たぶん考えていない。星がなくても生きていける。十八年間なかったんだから、今さらなくても困らない。困っているのは、ごく一部の天文学者と、クリスタルハンターと、プラネタリウムの職員くらいだ。たぶん。

 

 でも、知ってる。石が光るのを。北に向けた時に、内側から青白い光が滲むのを。あの光の先に、まだ何かがあるのを。

 

 あの日に知ってしまったから、もう戻れない。

 

 サンシャインシティが見えてきた。夜の池袋にそびえるビル群。その内のビルで、プラネタリウムが今日も上映を終えている。作り物の星空を映し終えて、暗くなった投影室。

 

 ユキはビルを見上げて、屋上を見た。あの上で、本物の星の欠片を探す。

 

 エレベーターで屋上に出ると、もうダイチが来ていた。風が冷たい。計測機器を広げている。見慣れない黒い筒が先端に足されていて、以前より筐体が少し大きくなっていた。

 

「新しいの、どう変わったの」

 

「ケフェウス座の方向だけを見るように、視野を絞った。ν(ニュー)星とζ(ゼータ)星の時に取ったデータで、反応が出る座標範囲を割り出した。他の方角のノイズが落ちる分、感度が二割上がるはず」

 

「ダイチ天才」

 

「仕事だから」

 

 ユキは笑った。

 

 ダイチの「仕事だから」は、もう聞き慣れた。最初の頃は本気でそう思ってるのかと心配したけど、今はわかる。

 

 ダイチなりの照れ隠しだ。「仕事だから」の裏には、「自分が一番面白いと思ってるから」がある。耳が赤くなければわからないけど。今夜は赤くない。まだ暗いから見えないだけかもしれない。

 

 ハルが来た。缶コーヒーを二本持っていた。一本をダイチに渡した。

 

「ダイチ、微糖でいいんだよね」

 

「微糖」ダイチが受け取った。

 

 ハルはユキには渡さなかった。二本とも微糖で、ユキが選ぶのはもっと甘い缶コーヒーだと知っているからだ。こだわりが強い。

 

 残りの一本を、ハルは自分で開けた。

 

 足元のビニール袋に、空の缶が三本入っていた。来る前に飲んでいた分だ。

 

 ユキは視線をそらした。でも、数えている。

 

 タキが到着したのは十時十分だった。

 

「すみません、少し遅れました」スーツのジャケットを脱いで、フィールドジャケットを羽織り直す。この切り替えの速さは、もう見慣れた光景になっていた。

 

「全員揃ったね」とユキは言った。

 

「今夜のメニュー。前回のセッションで確定したν(ニュー)星とζ(ゼータ)星とδ(デルタ)星の再確認と、新規クリスタル十二個のスクリーニング。ダイチの新しいフィルターの実地テストも兼ねよう」

 

「了解」とダイチ。

 

「タキ、機構の方で何か動きあった?」

 

 タキが少し間を置いた。

 

「アーカイブの閲覧履歴について、田中さんに声をかけられました」

 

 空気が変わった。

 

「何て声をかけられた?」とハル。

 

「『最近、古い電波観測データをよく見てますね。何か探してるんですか?』と。世間話の体裁でしたが、牽制だと思います」

 

「タキ、大丈夫なの?」とユキは聞いた。

 

「大丈夫です。閲覧権限の範囲内ですし、ケフェウス座の増幅施設設計に必要なデータだと説明しました。嘘ではありません」

 

「嘘ではないけど、全部でもない」

 

 タキが静かに頷いた。

 

「はい。でも今の段階で深入りしすぎないほうがいいと判断しています。もう少し時間をかけて、自然な形で情報を集めます」

 

 ハルが口を開きかけて、閉じた。何かを言おうとして、やめた。ユキにはそれが見えた。ハルが干された時のことを思い出しているのかもしれない。

 

 でもハルはタキの判断を信頼している。だから黙った。

 

「気をつけてな」とだけハルは言った。

 

「はい」とタキ。

 

 ユキは空を見た。月齢四・二の細い月が西に傾いていた。条件はいい。暗い夜だ。

 

「始めよっか」

 

 ダイチが機器を起動した。新しいフィルターの初期キャリブレーションが走る。タキが横でパラメータを読み上げる。DTコンビの連携。無駄がない。

 

 ユキはポーチを開けた。新規クリスタル十二個。先週、秋田の鳥海(ちょうかい)山麓(さんろく)で採集した分。まだどの星にも対応が確認されていない。

 

 一個目。かざす。

 

 反応なし。

 

 二個目。反応なし。

 

 三個目。反応なし。

 

 四個目。

 

 指先が温かくなった。

 

「反応あり」とダイチ。

 

「新フィルター、効いてる。前回より明瞭に拾えてる」

 

「星は?」とユキ。

 

 タキが照合した。

 

「ケフェウス座μ(ミュー)星。ガーネットスター」

 

 ユキの手が止まった。

 

 ガーネットスター。ベテルギウスの遠い親戚。ハルが「いつか超新星爆発するかもしれない」と言った星。

 

「ガーネットスターのクリスタル」とユキは繰り返した。

 

「赤い星の光を、この石が覚えているってこと?」

 

「五千光年先の、赤い光」とハルが静かに言った。

 

「赤色超巨星で。こぐま座やりゅう座の星とは桁が違う距離だ。それだけのエネルギーを蓄積してるクリスタルは珍しい」

 

「固有名に近いクリスタルだ」とダイチ。

 

「放電リスクがある。低温保存に入れる」

 

 ユキは石を見つめた。秋田の山の麓《ふもと》で拾った、何の変哲もない石。でもこの中に、五千光年先の赤い巨星の光が眠っている。

 

「鳥海山に落ちてたんだよ、これ。登山道の脇。普通の石ころだよ」

 

「三百円の北極星と同じだね。まあ、値段は関係ないよ」とハルが言った。

 

「だよね」

 

 残りの八個も試した。

 

 反応したのはもう一つ。八個目がケフェウス座ι(イオタ)星に対応した。

 

 今夜の成果。ケフェウス座の主要星十個の内、正式確定は四個。ファントムδ(デルタ)を仮枠に入れれば五個になった。

 

 ν(ニュー)星、ζ(ゼータ)星、δ(デルタ)星(ファントム)、μ(ミュー)星ガーネットスター、ι(イオタ)星。

 

「正式確定は四個。あと半分だね」とユキは言った。

 

「こぐま座の七個に比べたらまだ少ないけど、ペースは悪くない」とハル。

 

「ダイチの新フィルターが効いてる」

 

「仕事だ」とダイチ。それだけ。でも手元のタブレットに、フィルターの性能データを丁寧に記録していた。丁寧に。いつもより少しだけ丁寧に。

 

 撤収の準備を始めた。風が出てきた。七月の夜。梅雨の名残を含んだ、湿った風。

 

「次のセッションいつにする?」とユキ。

 

「八月二日の木曜。新月に」とハル。

 

「じゃあ八月二日ね。ロクマルで」

 

 ダイチが何か言いかけて、やめた。もう「ロクマルって言うな」とは言わない。定着してしまっている。

 

 エレベーターで降りる間、四人とも黙っていた。疲れてるけど、悪い疲れじゃない。少しずつ進んでいる。二年は長い。でも止まっていない。

 

 ビルを出ると、池袋の夜が変わっていなかった。ネオン。人。笑い声。カラオケ。ゲームセンター。

 

 ユキは駅に向かって歩きながら、ふと思った。

 

 昼の自分と、夜の自分。カフェラテを作る自分と、クリスタルをかざす自分。同じ人間なのに、違う時間に、違うことをしている。

 

 でも、両方ともユキだ。

 

 昼間にラテを丁寧に作る手と、夜に石を丁寧にかざす手は、同じ手だ。

 

「おつかれ」と後ろからハルの声がした。

 

「おつかれ」とユキは返した。

 

「ガーネットスター、でかい収穫だよ」

 

「うん。嬉しい。……ねえハル」

 

「なに」

 

「ハルって、大学の時、星に一番近づいたのっていつだった?」

 

 ハルが少し立ち止まった。池袋の雑踏の中で。

 

「大学三年の時、電波望遠鏡でベガの信号を受信した。リアルタイムで。二十五光年先から来た電波が、俺のモニターに映った」

 

「どうだった」

 

 ハルは少し考えた。人が横を通り過ぎていく。誰もこの会話を聞いていない。

 

「嬉しかった。俺の手で、星に触れた気がした。でも目を上げたら空は暗いままで、ベガは見えなかった。データとしてはそこにいるのに、光がない。あれが一番悔しかった」

 

 ユキは黙って聞いていた。

 

「データでは触れた。でも光では触れてない。それが俺の、星との一番近い距離だった」

 

「だった、って過去形?」

 

 ハルが少し笑った。

 

「今はクリスタルがある。クリスタルの中の光は、本物の星の光だ。電波より近い。でもまだ、俺の目で空の星を見たわけじゃない」

 

「もうすぐだよ」とユキは言った。

 

「根拠は?」

 

「なんとなく」

 

 ハルが笑った。いつもの笑い方だった。でもユキは、ハルの目の端が少しだけ赤いのに気づいた。笑ったからか。泣きそうだからか。それとも、また目をこすったからか。

 

 聞かなかった。

 

「じゃあね。また金曜」

 

「また金曜」

 

 池袋の駅に向かって、別々の方向に歩き出した。

 

 ユキは改札を通りながら、空を見上げた。ビルの隙間から見える空。月はもう沈んでいた。南に土星、西に火星が光っていた。

 

 明日もバイトがある。朝七時から。ラテを作って、レジを打って、常連さんと雑談する。昼の自分の時間。

そして夜が来たら、また空を見上げる。

 

 ガーネットスター。五千光年先の赤い巨星の光を覚えた石が、ユキのポーチの中で、低温保存ケースに収まっている。

 

 昼と夜の間を行ったり来たりしながら、星を取り戻していく。

 

 そういう人生なんだと思う。

 

 なんとなく。

 

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