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LC-224-H/arieSta
2046.07.18-Wed 14:20
Location : 中野区 東京都
MoonAge : 14.2
Sectors : 2/88 fired
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マルイチに四人が揃うのは珍しかった。りゅう座の照射から約六週間が経っており、光はまだ一光年の八分の一程度しか進んでいない。
土曜でも日曜でもない、水曜の午後。ユキはバイトのシフトを交代してもらった。ダイチは自宅での作業を中断して来た。タキは機構の昼休みに抜けてきた。スーツのままだ。
ハルが壁に貼った世界地図の前に立っていた。地図には赤いピンが刺してある。ヨーロッパに三本。北米に四本。南米に二本。オーストラリアに一本。アフリカに一本。日本にはない。
「オーラフ経由で集めた報告。過去三ヶ月間で、世界中の固有名クリスタルの放電報告が十一件」
ユキは地図を見た。赤いピンが、まばらに、でも確実に増えている。
「十一件」
「うん。こぐま座の照射の頃に話した時は、半年で五件くらいのペースだった。今は三ヶ月で十一件。倍以上に加速してる」
ダイチがタブレットを広げた。オーラフの共有データベースに接続している。
「内訳」とダイチが読み上げる。
「ベガのクリスタルが三件。全部完全放電。回復不能。シリウスが二件。うち一件は部分放電で、出力が七割に低下。カノープスが一件。完全放電。カペラが二件。両方完全放電。アルタイルが二件。完全放電。プロキオンが一件。完全放電」
「ベガが三件」とユキは繰り返した。
ベガ。こと座の一等星。
全天で五番目に明るい星。夏の大三角の一つ。ユキは見たことがないけど、名前は知っている。誰でも知っている。その星のクリスタルが、三つ死んだ。
「ベガのクリスタルって、世界に何個確定してるの?」
「オーラフのデータベースで七個。機構が把握してるのを含めると、たぶん十二から十五個だよ」とハル。
「そのうち三個が死んだんだ……」
「そう」
ユキは椅子に深く座った。窓の外は七月の午後で、太陽が白く光っていた。昼だ。星に近づけない時間。でも今日は昼間の話題の方が重い。
タキが口を開いた。
「機構でも同じ問題が議論されています。先週の会議で、固有名クリスタルの保全計画が議題に上がりました」
「保全って?」
「低温保存の徹底。世界中の主要クリスタルを、機構の管理する低温施設に集約する案です」
「集約」とユキは繰り返した。嫌な言葉だ。田中に「クリスタルを提供してくれ」と言われた夜を思い出す。
「アリエスタも対象か?」とダイチが聞いた。
「現時点では民間所有のクリスタルは対象外です。でも、放電報告が加速、増加すれば、対象が拡大される可能性は」
「ある。ということか」
タキが小さく頷いた。
沈黙が落ちた。
低温保存。五度。冷蔵庫レベル。放電速度を三割減らせる。でもゼロにはできない。三割減っても、加速のペースが上がれば追いつかない。
「低温以外に、何か方法はないの」とユキは聞いた。
ハルが首を振った。
「今のところない。クリスタルの光は物理的な蓄積エネルギーだから、放出を完全に止める方法は見つかっていない。減速させることしかできない」
「じゃあ、クリスタルはいつか、みんな死ぬってこと?」
ハルが少し黙った。珈琲のカップを見つめていた。
「理論上は、そうだよ」
ユキは立ち上がった。壁の地図の前に行って、赤いピンを見た。ヨーロッパ、南米、オーストラリア、北米、アフリカ。
「こぐま座とりゅう座の照射で使ったクリスタルは、照射で光を出し切ったんだよね。あれは放電じゃなくて、使い切った」
「そう。照射は能動的な消費。放電は受動的な漏出。どっちもクリスタルの寿命を縮めるけど、照射は意味がある。放電はただ消えるだけ」
「つまり、照射する前に放電で死んだら、使えなくなるってこと」
「そういうことだ」
ユキは赤いピンの一つに指を触れた。フランスのどこか。ベガのクリスタルが死んだ場所。
「ねえ」ユキは背中を三人に向けたまま、続けた。
「うちらのガーネットスター、大丈夫?」
ダイチがタブレットを操作した。
「昨日の計測データ。出力は確定時の九十九パーセント。一パーセント低下。低温保存中」
「一パーセント」
「一ヶ月で三パーセント。このペースだと、単純計算で」
「あー。大丈夫」
ダイチが黙った。
ユキは振り返った。三人の顔を見た。
ハルは珈琲を持ったまま黙っていた。三杯目の珈琲は冷めかけていて、冷めた珈琲の苦味は、悪い予感の味に似ている。
ダイチはタブレットに視線を落としている。
タキはスーツの膝に手を置いて、静かにユキを見ていた。
「計算は聞かなくても大丈夫。でも、やることは決まってるよね」
「何を」とハル。
「早く集める。早く照射する。放電で死ぬ前に、使う。それだけでしょ」
「そうだけど」とハルが言った。
「ケフェウス座の石版はまだ完成してない。主要星が足りない。アルデラミンはノルウェーの白夜で確認できない。九月まで待つしかない」
「待ってる間にガーネットスターが死んだら?」
ハルは答えなかった。
ユキは椅子に戻って座った。腕を組んだ。天井を見た。
なんとなく、大丈夫だと思ってた。
前はうまくいった。
見つけて、集めて、照射して。
クリスタルは見つかるもので、
照射は成功するもので、
光は届くもので。
でも今、目の前にあるのは「減っていく」という事実だけだ。見つける速度より、消える速度の方が速いかもしれない。コミュ力でも行動力でも解決できない。交渉相手がいない。物理法則が相手だ。
なんとなく、大丈夫。
……本当に?
「ユキさん」とタキが言った。
「一つ、提案があります」
「聞かせて」
「機構の低温施設。温度を五度ではなくマイナス二十度まで下げた場合のシミュレーションデータがあります。理論上、放電速度がさらに五割減になる可能性があります」
「マイナス二十度って、冷蔵庫じゃなくて冷凍庫じゃん」
「はい。ただし、クリスタルを冷凍温度に長期間さらした場合の結晶構造への影響が未検証です。割れるかもしれない」
「割れたら」
「蓄積光が消失します。意図的切断と同じです」
ダイチが顔を上げた。
「自分がテストする」
三人がダイチを見た。
「ハズレのクリスタルで試す。温度を段階的に下げて、結晶構造が壊れる閾値を探る。固有名クリスタルでやるのはリスクが高い。だがハズレなら失っても問題ない」
「ダイチさん」タキの声に、少しだけ熱が入っていた。
「データ、共有してくれますか。私も機構側で並行して検証します」
「了解」
DTコンビが動き始めた。タブレットを並べて、実験プロトコルの設計を始めている。温度帯、時間、測定項目。二人の声は低く、速い。技術者の言語だ。
ハルがユキの横に来た。
「悔しいよな」
「うん」
「俺も」
「ハルは悔しいっていうか、悔しいどころじゃないよね」
「悔しいよ。星が減っていくのを見てるしかないって」
ユキはハルの手を見た。
今日は震えていなかった。それだけで少し安心した。
「ハル」
「なに」
「大丈夫?」
「何が」
ハルは少し笑った。
「これか? 暑いから飲みたくなるんだよ。七月だし」
でも聞かなかった。今は聞けない。
クリスタルの放電問題だけで手一杯だ。ハルの珈琲まで抱えたら、潰れる。
……潰れる、って思ったのは初めてかもしれない。
「ユキ」とハルが言った。
「なに」
「さっき、やることは決まってるって言ったよね。早く集めて、早く照射する。放電で死ぬ前に使う」
「うん」
「それでいいと思う。考えすぎない方がいい。今できることをやる。それがユキのやり方だから」
「……うん」
「根拠は?」
ユキは少し驚いた。ハルが根拠を聞いてきた。
いつもなら証明を求める言葉なのに、今日は答えを知っているような聞き方だった。
「なんとなく」
いつもの言葉だ。でも今日は、少しだけ重かった。
ハルが笑った。
「よし。それでいい」
窓の外、七月の太陽が白く光っていた。昼の街が暑い。夜まであと五時間。
ダイチとタキが実験プロトコルを仕上げた。
来週から冷凍テストを始める。ハルがオーラフに放電報告の集約を依頼する。ユキは来週、秋田に採集遠征に行く。
撤収しながら、タキがぽつりと言った。
「壁のノイズの件、少し進展がありました。まだ確証はありませんが、奇妙なパターンは確かに存在しています。もう少し時間をください」
ハルが一瞬だけ、タキを見た。
何かを言いかけて、やめた。
動ける。まだ動ける。減っていくものがあるなら、増やす速度を上げるしかない。
「帰ろっか。うち、明日朝からバイトだし」
マルイチを出ると、中野の路地に夏の日差しが溢れていた。アスファルトが熱い。白いコンバースの底から熱が伝わってくる。
ユキは歩きながら、ポケットの中のスマホを握った。
オーラフの掲示板を開こうとして、やめた。今日はもう数字を見たくなかった。
代わりに空を見上げた。
太陽だけの空。青い。暑い。何もない。
あの向こうで、クリスタルの中の光が、少しずつ、少しずつ、消えていっている。
ユキには止められない。
でも、使える。消える前に。
「なんとなく」
声に出してみた。
誰にも聞こえない小さな声で。
重い。
前より重い。
でもまだ言える。
言えるうちは大丈夫だ。
たぶん。