ロスト・コズミック   作:シグワン

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第2話 光らない石と、光る夜

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LC-047-Y/arieSta

2045.10.08-Sun 01:40

Location : 湘南海岸

MoonAge : 26.6

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「十八個目もダメだった」

 

 ユキはポーチのチャックを閉じて、砂を払った。

 

 湘南の砂浜。午前一時四十分。波の音だけがある。金髪のショートウルフが潮風に揺れて、白いコンバースに砂が入り込む。気にしない。そういう夜だ。

 

 空は星座のない暗闇だ。いつもと同じ空だ。

 

 ユキが物心ついた時にはもう、星はなかった。

 教科書で見た。

 プラネタリウムで見た。

 でも本物の夜空で見たことは一度もない。

 

 星のない空が「普通」で、満天の星空が「昔話」の世代。それがユキたちの世代だった。

 

「……べつに、普通じゃないけどね」

 

 誰にともなく呟いて、魔法瓶からカフェラテを飲む。甘い。少し苦い。

 

 電波望遠鏡を使えば、星がまだあることはわかるらしい。あの暗い壁の向こうで、何百億もの星が今も燃えてる。燃えてるのに、光が来ない。いるのに、見えない。

 

 それって、失ってるのと同じじゃないの、と思う。

 

 ポーチの中に十八個のハズレクリスタル。今夜の収穫はゼロだ。明後日は新月だ。それまでにもう少し集めておきたかったけど、今夜は終わりにしよう。

 

 砂を払って立ち上がりかけた時、足の下に硬いものが当たった。

 

 石じゃない。平たい。

 

 砂を掻いてみると、手のひらより少し大きい板が出てきた。焼き物みたいな質感。灰色がかった白。角が丸くて、海水に長いこと浸かってた感じがする。表面にびっしりと小さなくぼみがある。

 

 ゴミだ。たぶん。

 

 指で砂を拭った。くぼみの配置に規則性がある気がして、スマホのライトで照らしてみた。

 

 三つ、並んでる。

 

 板の中央あたりに、等間隔で三つのくぼみが斜めに一直線に並んでいる。他のくぼみより少しだけ深い。

 

 おじいちゃんの声が聞こえた気がした。

 

「冬の南の空にね、三つ並んだ星があるんだよ。あれがオリオン座の目印」

 

 おじいちゃんが指で空をなぞるのを、幼いユキが見上げていた。星のない空を指さして、「あの辺りにね」と笑っていた。見えないのに、楽しそうに。

 

 ゴミだけど。

 

 リュックに入れた。

 

 立ち上がった瞬間、スマホが震えた。

 

 ハル: 起きてる?

 ユキ: 砂浜にいる

 ハル: 今すぐ来られる?三鷹で動きがあった

 

 ハルの部屋は中野の古びたビルの三階にある。三〇一号室。

 

 本が多すぎて床が抜けそうだとダイチはいつも言うが、ハル本人は気にした様子がない。恒星図鑑、星座境界線の学術論文、古い天文台の観測記録、各国語で書かれた暗黒星雲関連の資料。

 

 星のことならなんでも知ってるのに、本人は星を見たことがない。元は機構の天文学研究員だったけど、お上に楯ついて干された。ユキと同じ、はみ出し者。

 

「見て」

 

 ユキが到着した。ハルはタブレットを差し出した。

 

 画面には三鷹の国立天文台跡地の衛星写真が映っている。深夜なのに煌々と照明が灯っていた。

 

「動き出した。こぐま座の石版、クリスタルが揃い始めてるらしい」

 

「ほんとに?」

 

「情報筋から。ここ数ヶ月で機構がかなりの数のクリスタルを調達してる。世界中の研究チームから買い上げたり、没収したり」

 

「没収」とユキは繰り返した。嫌な言葉だ。

 

 ダイチが画面の隅でキーボードを叩きながら、低い声で言う。

 

「こぐま座が最初の目標なのは全員わかってるしな。天の北極を基準にしないと他の区域の座標が定まらないから。機構は三年前から三鷹を押さえてた。あとはクリスタルを揃えるだけだった」

 

「増幅施設は?」

 

「ほぼ完成してるっぽい」とハルが答えた。

 

「石版だけじゃ光量が足りないってのが機構の判断で、だから増幅施設を作ってる。三鷹の旧観測棟を改装して」

 

 ユキは腕を組んだ。『動かなきゃ、誰が動く』

 

 こぐま座。

 

 北極星がいる場所。ここが開かなきゃ、何も始まらない。それは誰でも知ってる。だから機構も本気で動いてる。

 

「ねえハル。壁ってどれくらい遠いの」

 

 ハルが珈琲のカップを持ったまま、少し考えた。

 

「太陽まで、光の速さで八分。壁はその約七万倍先にある」

 

「……七万倍?」

 

「一光年。でっかいボールだと思ってくれればいい。月も木星も、太陽系ごとそのボールの中に入ってる。ちっちゃい点みたいに」

 

 ユキは窓の外を見た。星座のない空。

 

「月が見える夜もあるのに、星が見えないのって、そういうことか。月は壁の内側にいるから」

 

「そう。惑星も太陽も内側。壁の外にある星の光だけが遮られてる」

 

「じゃあ照射した光が壁に届くまで——」

 

「一年。壁が反応して、穴が開いて、星の光が戻ってくるのにもう一年。結果がわかるのは二年後」

 

「二年」

 

「気長にいくしかないよ」

 

 ユキはソファの背もたれに頭を預けた。七万倍。二年。途方もない数字だ。でも、途方もないからやる価値がある気もした。

 

 ふと思い出して、ユキは言った。

 

「ねえ、記録の名前。そろそろちゃんと決めない? ログとか、番号とか、ばらばらじゃん」

 

 ハルが珈琲を一口飲んでから答えた。

 

「Lost Stellar Records……とか? 失われた恒星記録。略してLSR」

 

「記録番号でいい」とダイチ。

 

「ロスト・コズミックは?」

 

 二人が振り向いた。

 

「失われた宇宙の記録。略してLC。コズミックの方が可愛いし」

 

「……可愛さで決めるの?」とハル。

 

「可愛いは正義」

 

 ダイチは何も言わなかった。否定もしなかった。

 

 ハルが小さく笑って、タブレットに「LC-」と打ち込むのが見えた。

 

 そうやって、アリエスタのログに「LC」がついた。それだけの話だったのに、この二文字は思ったよりずっと長く続くことになる。

 

 チーム名の「アリエスタ」も、少し前に同じノリで決まっていた。候補は四つ。ユキのかに座でキャンスタ、ハルのうお座でピスケスタ、ダイチのおうし座でタウラスタ——それから、まだ誰のものでもない、十二星座の一番目のアリエスタ。星座にスターをくっつけただけの安直な名前。全員一致で決まった。

 

「アリエスタは今、こぐま座のクリスタルを何個持ってる」

 

 ダイチが指を折った。

 

「確定が十四個。あとハルさんが先月入手した本に載ってた採石場のデータを照合中のが三個。たぶん十七になる」

 

「機構は」

 

「三十以上。ただ、石版の七つのくぼみに対応すると確定してるのは六つまで。残り一つは未確定だと思う」

 

 沈黙。

 

 ユキはタブレットの衛星写真をじっと見た。三鷹の旧観測棟。改装された宮殿みたいな建物の外観が、深夜の照明に照らされて浮かんでいる。

 

「明後日、新月だよね」

 

 ハルとダイチが顔を見合わせた。

 

「うちらの新月セッション、場所変えよう。三鷹の近くで」

 

「なんで?」とダイチが聞く。嫌みではなく、純粋な疑問として。

 

 少し考えてから答えた。

 

「今は、うちらにできることないかもしれない。でも、状況がどう変わるか分かんないじゃん。近くにいれば、何かできることが出てくるかもしれない」

 

 少し間を置いて、ユキは続けた。

 

「機構が動くなら、せめて同じ空を見てたい。全部終わってから知らされるのは、嫌だから」

 

 ダイチは何も言わなかった。ハルは小さく笑った。

 

「そういうこと言われると、反論できないんだよな、うちの子は」

 

「ハルさんはうちの親じゃないけど」

 

「チームの最年長ってことで」

 

 ソファに深く座り直した。スマホで明後日の新月を確認する。新月の夜は月がない。月の光がないから、クリスタルのかすかな光が拾える。一番暗い夜が、三人には一番明るい。

 

「ダイチ、計測機器の充電ある?」

 

「ある」

 

「採集バッグの予備は」

 

「ある」

 

「じゃあ明日の昼に三鷹の周辺を下見してから、夜に備える。二人ともスケジュール空けといて」

 

「最初からそのつもりだった」とダイチ。

 

 ハルがカップに珈琲を注ぎながら言う。

 

「一個だけ確認しておくけど、機構と鉢合わせたら?」

 

 即答した。

 

「笑顔で交渉する。うちのコミュ力、伊達じゃないから」

 

 窓の外、星座のない夜空。どこも指さないクリスタルが十八個、ポーチの中で眠っている。

 

 でも絶対に、どこかを指さすクリスタルが、まだ地面の中に埋もれている。

 

「よし。やろう」とユキは言った。

 

 

――――――――――――

LC-049-Y/arieSta

2045.10.10-Tue 23:25

Location : 三鷹市 東京都

MoonAge : 0.2 (New Moon)

――――――――――――

 

 下見は昼の間にやった。

 

 三鷹の旧国立天文台の周辺を、ユキとダイチで歩いた。ハルは来てない。

 

「『マルイチで待ってる』って」

 

「マルイチ?」とダイチ。

 

「三〇一号室。ゼロイチだからマルイチ」

 

 天文台の外壁沿いに、新しいフェンスが張られていた。工事用ではない。警備用。ゲートに「関係者以外立入禁止 国際スタークリスタル研究機構」のプレートが日光を反射している。

 

「でっかいね、施設」

 

「屋根のドームが外されてる」

 

 フェンス越しに双眼鏡を当てている。

 

「八角形の塔を増築中。まだ完成してない。先端の放射口が露出してる」

 

「あれが増幅器?」

 

「たぶん。SOAタイプに見える。ただ配線がまだ仮設だ。今夜は動かない」

 

「確実?」

 

「確実。あの状態で起動したら施設ごと飛ぶ」

 

 よかった。今夜はまだ三人の番だ。

 

 夜。

 

 三鷹から少し離れた井の頭公園の暗がりに陣取った。

新月の夜。月がない。壁のせいで星もない。空を満たすのは暗闇だった。月の光が完全になくなる。クリスタルにとって最高の夜だ。

 

 ユキはポーチを開けた。

 

 二十四個。一昨日の十八個に加えて、昨日の帰りに湘南でもう六個拾った。

 

 ダイチが計測機器を起動した。その隣に、見慣れない装置が置いてあった。木の板にコイルが巻いてあって、先端に鉱石みたいなものが留めてある。イヤホンが繋がっていた。

 

「ダイチ、なにそのゴツいの。新しい検出器?」

 

「ラジオ」

 

「……ラジオ?」

 

「鉱石ラジオ。電源がいらない。鉱石で電波を検波してる」

 

「スマホで聴けばよくない?」

 

「増幅回路がない分、周囲の電波環境がそのまま聴こえる。ノイズが少なければクリアに聞こえる。今夜の空の状態がわかる」

 

 ダイチが片耳にイヤホンを入れた。かすかにAM放送の音が漏れていた。クリアだった。

 

「今夜は良い。スクリーニング開始」

 

 一個ずつかざしていく。

 

 一個目。反応なし。

 二個目。反応なし。

 三個目——

 

 微かに震えた。光ではない。ダイチの機器のインジケーターが、ほんの一瞬だけ振れた。

 

「ノイズ?」

 

「閾値以下。でもゼロじゃない。キープ」

 

 ダイチが石に小さなシールを貼った。保留。白と黒の間の灰色。

 

 四個目から十二個目まで、反応なし。十三個目、インジケーターがまた振れた。保留。

 

 十八個目。

 

 光った。

 

 弱い。初めて石を拾った七月の夜より弱い。でも確かに、北に向けた瞬間だけ、石の内側に青白い点が灯った。

 

「確定。方向は北。座標……りゅう座方向。γ(ガンマ)星エルタニン付近」

 

「りゅう座? こぐま座じゃなく?」

 

「こぐま座じゃない。りゅう座だ」

 

 ユキは石を見つめた。りゅう座。こぐま座の隣。北天の、別の星座。

 

「こぐま座以外のクリスタルが取れたの、初めてだよね」

 

「初めてだ」

 

 二十個目、二十一個目。反応なし。

 

 二十二個目——湘南の、最初のあの石。

 光った。今度はもう少し明るい。

 

「方向……北北西。こぐま座β(ベータ)星。コカブ」

 

「こぐま座来た!」

 

 ——最初の一個に、名前がついた。こぐま座のβ(ベータ)星。コカブ。

 

 二十三個目、二十四個目。反応なし。

 

 結果。二十四個中、確定二個、保留二個。

 

 数字だけ見れば地味だ。でもユキの胸は跳ねていた。

 

「りゅう座のクリスタルが取れた」

 

「取れた」

 

「これ、でかくない? こぐま座を開けた後、りゅう座にすぐ行けるってことでしょ」

 

 ダイチが少し考えた。

 

「二手目の選択肢が生まれた。悪くない」

 

 ユキは井の頭公園の暗い空を見上げた。月のない空。星座のない空。壁が頭上を塞いでいる。

 

 三鷹の方角に目をやった。天文台の照明が見える。深夜なのに、灯りが消えない。

 

「あっちも準備してるね」

 

「次の新月は十一月九日だ」とダイチ。

 

「あの施設の配線が完了すれば、十一月には起動できる」

 

「うちらも十一月だね」

 

「十一月。新月の夜。勝負は同じ日だ」

 

 ユキはポーチのチャックを閉じた。確定二個。りゅう座一個、こぐま座一個。小さな成果。でも二手目の布石。

 

「帰ろっか。十一月に備えよう」

 

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