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LC-258-Y/arieSta
2046.09.27-Thu 18:40
Location : 豊島区 東京都
MoonAge : 26.6
Sectors : 2/88 fired
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秋分を過ぎたばかりの夜だった。ユキにとっては、星に近づける季節の始まり。
昼と夜の長さがほぼ並んで、ここからは夜の方が長くなっていく。星に近づける時間が増える。夏の間ずっと「暑い、長い、太陽うるさい」と思っていたユキにとって、九月の秋分は正月より嬉しかった。
池袋の駅前で、秋風を感じていた。肌がひんやりする。半袖では少し寒い。でもまだジャケットはいらない。中途半端な季節。おじいちゃんが好きだった季節だ。
「秋はな、空気が乾くから星が綺麗に見えるんだよ」
おじいちゃんはそう言っていた。ユキが小学生の頃。星が見えない空の下で、見えない星の話をしてくれた。
「秋の空は高いから、星がくっきり見えるんだ」
ユキは「ふーん」と言いながら、おじいちゃんの膝の上で空を見上げた。月が浮かんでいた。星座はなかった。でもおじいちゃんが楽しそうだったから、ユキも楽しかった。
おじいちゃんの友達が家に来ると、ユキはお茶を出す係だった。「ユキちゃん、大きくなったねえ」「おじいちゃんに似て美人だねえ」
近所のおばちゃんにも可愛がられた。商店街の魚屋のおじさんにも。八百屋のおばちゃんにも。ユキの周りにはいつも大人がいて、ユキはいつも笑っていた。笑っていればおじいちゃんが安心するから。笑っていれば、みんなが優しいから。
それがいつの間にか、ユキの「普通」になった。
コミュ力オバケと呼ばれるようになったのは高校の頃で、田中みたいな大人に臆せず交渉できるのも、ハルみたいな年上と対等に話せるのも、全部おじいちゃんの家の延長線上にある。
おじいちゃんは三年前に死んだ。静かに、冬の朝に。星を一度も見せてあげられなかったことだけが、ユキの中でずっと引っかかっている。
「ユキ」
タキの声で我に返った。サンシャイン60の前。
「ごめん、ぼーっとしてた」
「大丈夫ですか」
「大丈夫。秋だなって思ってただけ」
エレベーターで屋上に上がった。ハルとダイチがもう来ていた。
ロクマルの屋上に出ると、風が変わっていた。夏の夜の湿った風じゃない。乾いた風。涼しい。
「空気が違う」とユキは言った。
「秋だからね」とハル。
「湿度が下がると大気の透明度が上がる。
「つまり、秋はセッションの成績が良くなったりする?」
「理論上は」
「よし」
ダイチが計測機器を起動しながら言った。
「今夜の報告、二つある」
「聞かせて」
「一つ目。オーラフからの連絡。ノルウェーの白夜が明けて、アルデラミンの候補を試した。結果、確定。
ユキの目が光った。
「確定!?」
「今朝の六時にオーラフからの報告が来た」とハル。
「ノルウェーのチームが九月一日の新月に合わせてセッションをやった。反応明瞭。座標照合完了。ケフェウス座
「アルデラミン……うちの右腕」
「覚えてたんだ」
「当たり前じゃん。ハルが教えてくれたんだから」
ケフェウス座の正式確定は六個、ファントムを仮枠に入れれば七個になった。
「二等星が入った意味はでかい」とダイチ。
「こぐま座のポラリス、りゅう座のエルタニンと同じで、明るい星のクリスタルは石版の出力の基準になる。アルデラミンがあるとないとじゃ、照射の安定性が段違いだ」
「輸送の方は?」
「オーラフが手配してる。
「あ、二つ目は?」とユキはダイチに聞いた。
ダイチがタブレットを見せた。表が映っている。
「冷凍保存テストの中間結果。マイナス二十度で六週間保存したハズレクリスタル、結晶構造に損傷なし。マイナス三十度も四週間経過で問題なし。マイナス四十度で微小クラックが一個出た」
「つまりマイナス三十度までは安全?」
「現時点では。もう二ヶ月続ける。でも、常温保存に比べて放電速度が六割減になってる」
「六割」とユキは繰り返した。
「それ、めちゃくちゃでかくない?」
「大きいです」とタキが頷いた。
「機構にもデータを共有しました。保全計画に反映される可能性があります」
五度保存で三割減だったのが、マイナス三十度で六割減。ガーネットスターの寿命が倍近く延びる計算だ。
「DTの冷凍テスト、神じゃん」
ダイチは何も言わなかった。タキが少しだけ笑った。ダイチの耳は見えなかった。暗いから。
「ただし条件がある」
ダイチが表を次のページに送った。
「復温テスト。マイナス三十度から常温へ一気に戻した個体、二個中二個が割れた。割れ方まで同じだ。決まった面に沿って、一直線」
「割れた? 保つんじゃなかったの」
「保つ。出し方を間違えると割れる」
「ダイチの言う通り。クリスタルの母体は、ほとんどが石英系だから」とハルが言った。
「石英でも、急激に温度を変えると表面と内部で膨張や収縮のタイミングがずれる。結晶内部の微細な欠陥や成長境界に力が集中すれば、そこから亀裂が走るんだ」
「表面と中で、ってこと?」
「そう。温度差そのものより、短時間で表面と内部に温度差ができることが問題なんだ。冷やすのも、戻すのも、ゆっくりじゃないと駄目だよ」
「昇降温速度の安全上限は毎時五度。通常運用は毎時三度だ」とダイチが続けた。
「マイナス三十度から常温へ直接戻すのは厳禁。密閉したまま三度毎時で上げる。結露対策も同じ。ケースを開けるのは、中まで照射室と同じ温度に揃ってからだ」
「復温だけでも半日以上はかかる計算ですね」とタキが答えた。
ユキは考えながら指を折った。
「……冷凍庫に入れた石って、当日思いついて使うのは無理ってこと?」
「駄目だ」
「六割保つけど、すぐには出せない……って」
得したはずなのに、何かを取り上げられた気がした。
「急いだら割れるんだ」
「割れる」
「で、段階復温の本番条件も出揃った」
「ん? 本番条件?」
「三日前、二日前、当日。三条件とも回した。結論、照射三十六時間前に開始」
「三十六時間」
「マイナス三十度から五度まで、標準三度毎時。十二時間。五度に着いたら十八時間保持する」
「なんで五度で止めるの?」
「五度なら放電三割減が残る。それと、そこで一度、中まで同じ温度に揃えられる」とハルが言った。
「照射六時間前から、五度から照射室の約二十度へ上げ始める」とダイチ。
「五度から二十度までも毎時三度。五時間かける。二十度に着いたら、ケースを開けずに一時間待つ。開封は照射直前だ」
「温度差五度毎時は安全上限。通常運用は三度毎時。わざわざ限界値の五度で回す理由はない」
「まって! 細かい数字の羅列言われても混乱する」
「つまり、三十六時間前に準備開始。前日に五度まで上げて休ませて、照射前に約二十度へ調整ってことだよ」
「そうだ」
「じゃあ、新月の三十六時間前から、もうセッションは始まってるってことね」
「準備は」
安全と残量の両方を取るための三十六時間。ユキはそれをスマホにメモした。照射はまだ先だ。石版すら揃っていない。それでもダイチは、その日のための時間割をもう作っている。
「ねえ」とユキが言った。
「あの子は?」
「あの子? 誰だ?」
「ファントムの」
「冷凍は駄目だ」とダイチが即答した。
「やっぱり」
「層と層の間に不純物の膜がある」とハルが言った。
「膜と本体で伸び縮みの量が違う。冷やせば、その境目に力が集中する。それに微細な液体包有物があれば、低温で相変化して体積が変わる。内側から押されて、境目から剥がれる可能性があるね」
「深冷は使えない」とダイチ。
「だが冷蔵の五度までなら問題ない。三割減はかかる」
「普段、ポーチの底に入れてるのは?」
「保冷ケースだ。ポーチの中に入れてるだろ。五度を維持してる。それでいい。使う時だけケースから出す」
ユキは少し安心した。第一層を使ってから、ファントムはずっと布に包んで、ポーチの底に入れた保冷ケースの中で保管してきた。
「じゃあ、あの子だけは最初から踊り場暮らしなんだ」
六割減が効くのは、中まで一様な石だけだ。層のある石は三割減が上限になる。
ユキはポーチの底の保冷ケースを思った。布に包まれた、層を重ねた石。第一層はこぐま座に渡した。第二層はケフェウス座の
「一番大事な石が、一番冷やせないんだ」
「そうだ」
「その間、あの子は三割減で待つんだね」
「待つ」
「減っていくんだよね」
「減る」
今夜のセッション。新規クリスタル八個のスクリーニング。月齢二十六。次の新月まであと三日。細く欠けた月の夜で、条件は悪くない。
結果は一個確定。
ケフェウス座
フィンランドのハンターが報告していた「反応不安定」の候補とは別の石で、新しく見つかった分。
ファントムの第二層で既に
「冗長性は正義だ」とダイチ。
バックアップ。ユキはその言葉を、いつもより強く受け取った。深冷に入れられない石の代わりが手元にあるということは、あの子を無理に冷やさなくていいということだ。
「
「でもクリスタルに蓄積されてるのは長期間の平均スペクトルだから、照射には使えるはずだよ」
ケフェウス座
撤収作業しながら、ユキは屋上の端に立った。
池袋の夜景。
九月の夜。
空を見上げた。
夏と空が違う。体感でわかる。空気が澄んでいる。月のない宵で、木星が東に昇ってきている。
そして、見えないけど、北の空にこぐま座とりゅう座とケフェウス座がある。
四ヶ月前、りゅう座に光の柱を撃った。あの光は今、どのあたりを飛んでいるだろう。半分より手前。まだ片道の三分の一ほど。壁があるとされる場所にはまだ届いていない。
こぐま座の不完全照射の光は、もっと先にいる。あと一ヶ月半で壁に届く距離。
どうなるかはわからない。
わからないまま、季節が変わった。
夏が終わって秋が来た。
冬が来て春が来て、また夏が来て秋が来る。
そうやって二年が経つ。
「長いね」
声に出してみた。誰に言うでもなく。
「長いよ」とハルが後ろから言った。
片付けを終えて来たらしい。
「でも短くする方法はない」
「うん。知ってる」
「季節が一つ変わった。あと六つ変わったら、こぐま座の完全照射の結果が届く。良くも悪くも」
「六つかー」
「季節六回分。一年半くらいだよ」
「それ、長いって言うんだよ、ハル」
「わかってる」
二人で空を見た。秋の空。高い。澄んでいる。何もない。でも何もないことが普通で……。
星がないことが当たり前の世代。
「ねえハル。うちさ、星がない空を普通だと感じたり、慣れてしまうのが怖い」
「怖い……。でも星を見たことない世代だよね?」
「うん、そうなんだけど。最近、夜空を見ても何も感じない時がある。おじいちゃんが居た頃は夜空を見上げて毎回悔しかったのに……」
「居なくなってからは、おじいちゃんの話を思い出して、うちが見れなかったものを数えてた。でも最近は、空を見てもただの暗い天井に見える」
ハルは少し考えた。
「それは慣れじゃなくて、疲れだと思うよ」
「違いある?」
「ある。慣れは戻らない。疲れは休めば戻る。ユキが星を見たくなくなったわけじゃないだろ」
「……ないよ。見たい。めっちゃ見たい」
「じゃあ慣れてない。疲れてるだけだ」
少し笑った。首の後ろが温かかった。
「ハルっぽい切り分け方」
「根拠のある切り分けだよ」
エレベーターに向かって歩いた。ダイチとタキがもう中で待っている。
「ねえ」とユキは歩きながら言った。
「おじいちゃんがさ、秋は星が綺麗に見える季節だって言ってたの」
「本当だよ。大気の透明度が上がるから」
「二年後の秋に、ここから星が見えたらさ。おじいちゃんの言った通りになるんだね」
ハルは少し黙った。
「なるよ」
「根拠は?」
「……なんとなく」
ユキは振り返った。
ハルが「なんとなく」と言った。初めてだ。
「ハルが言うなら信じる!」
エレベーターの前で、ハルがぽつりと言った。
「日中にタキから連絡が来てたんだけど、壁のノイズを却下した人物、おそらく特定できたって。同一人物が二回、根拠なしで却下してる」
「根拠なし二回」とダイチが繰り返した。
「隠してるのか、慎重なだけなのか。まだわからない。でも意図がある」
タキは頷いた。
ユキは黙った。
点が増えている。
線になるのは、いつだろう。
エレベーターに乗り込んだ。四人で降りた。
池袋の秋の夜。少し肌寒い。
季節が一つ変わった。あと六つ。