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LC-261-Y/arieSta
2046.10.04-Thu 19:30
Location : 豊島区 東京都
MoonAge : 4.3
Sectors : 2/88 fired
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九月が終わって、最初の木曜日。ロクマルの屋上には、月齢四の細い月だけが浮かんでいた。
セッションでもないのに四人が集まったのは、ダイチが「渡すものがある」と言ったからだった。
「ユキ」
「ん?」
ダイチが足元から白いハードケースを持ち上げた。
「これ」
「なに?」
「誕生日」
ユキはケースとダイチを交互に見た。
「……うちの誕生日、七月十四日なんだけど」
「知ってる」
「今、十月なんだけど」
「知ってる」
「二ヶ月どころか、だいぶ過ぎてるけど」
「知ってる」
「知ってるしか言わないじゃん!」
ハルが横で笑った。
「本当は七月に渡す予定だったんだよ」
「だった?」
「基板を二回やり直しました」
「タキまで!?」
「ダイチさんが妥協しなかったので」
「余計なこと言うな」
「開けていい?」
「いい」
ユキがケースを開けた。
中にいたのは、白い子虎だった。
もちろん本物じゃない。丸い耳。短い鼻先。太い四本の脚。白い外装に黒い縞。額から伸びた小さなアンテナの先が、青く光っている。
ユキは固まった。
「…………かわいい」
「採集支援機だ」とダイチ。
「そこじゃない。いや、そこも大事だけど。なにこれ、
白虎が目を開けた。青い二つの光が、まっすぐユキを見る。
『星野ゆき。ユーザー認証、完了』
「しゃべった!」
『現在地、豊島区。気温十八・二度。降水確率十パーセント。電波天気、安定』
「いきなり天気!」
「採集担当だからな」とダイチ。
「気象、電波環境、メール、徒歩ナビ。地図や採集候補地の地形データも入れといたよ」とハル。
「通信系とセンサー系の基板は私が担当しました」とタキ。
ユキは三人を見た。
「ありがとう! めっちゃ嬉しい! この子みんなで作ったの?」
「まあ」とダイチ。
「名前は?」
「ちび白虎」
「そのまんまじゃん」
「そこはハルさんだ」
「俺?」
「決めただろ」
ハルが少しだけ姿勢を正した。
「ユキって、雪のゆきでもあるだろ」
「うん」
「雪は白い」
「うん」
「だから白い動物」
「その時点で連想ゲームじゃん」
「白熊」
「でかい」
「白蛇」
「怖い」
「白鳥」
「飛んでっちゃう」
「白鯨」
「採集について来れない!」
「白猫」
「普通」
「白兎」
「かわいい」
「白狐」
「かなり良い」
ハルが一拍置いた。
「……白虎」
ユキはもう一度、白い機体を見た。
黒い縞。
丸い耳。
小さな牙。
尻尾がゆっくり左右に動いている。
「あー……白虎だね」
「そこでダイチが即決した」
「四足で山道を歩かせるなら都合がいい」
「絶対あとづけ」
「違う」
白虎の背中で、小さな蓋が開いた。
丸い機体がせり上がり、四本のアームが展開する。四つのローターが回り始め、ふわりと浮いた。
「ドローンまでいる!」
「先行確認用。上から道を見る」とダイチ。
ドローンは屋上を小さく一周して、白虎の背中の横へ戻った。ローター音は思ったより静かだった。
九月の終わりに、ハルから「疲れてるだけだ」と言われた。この子はあの夜のユキを見て作られたわけじゃなかった。七月の誕生日より前から、三人がユキのために作っていた。
その事実の方が、胸の奥にゆっくり効いた。
「ちび白虎、かぁ」
ユキはしゃがんで、白い頭を撫でた。機械なのに、撫でやすいように丸く作られている。
「長い。ハク」
三人がユキを見た。
「この子、ハク」
『呼称、ハク。登録します』
尻尾が一度、大きく揺れた。
「ほら。本人も気に入った」
「そういう機能じゃない」とダイチ。
「今日からよろしく、ハク」
『了解、ユキ』
白いユキの隣に、白い相棒が増えた。
光が帰ってくるまでの長い道に、小さな足音が一つ増えた。
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LC-282-Y/arieSta
2047.01.17-Thu 23:20
Location : 中野区 東京都
MoonAge : 21.2
Sectors : 2/88 fired
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ユキはバイト先のカフェの鍵を閉めて、中野の商店街を歩いていた。
一月の夜は冷たい。マフラーに顔を埋めて、コンバースの底で霜を踏む。さくさく、と、足音だけが聞こえる。午後十一時の商店街は居酒屋の赤提灯が二つ三つ光っているだけで、あとは暗い。
ハクは、今日は部屋の充電ドックで留守番だ。出る前に「路面凍結、注意」と二回言われた。二回目は、たぶんダイチの設定だ。
四ヶ月前のあの夜——九月の秋分過ぎに、アルデラミンの確定を祝った夜——から、何も動いていなかった。ケフェウス座の追加セッションは続いているけれど、成果が見えるのは遠い先の話だ。
一光年の先に光を撃って、それがたぶん壁に当たって、結果が返ってくるまでに二年。二年という時間は、今までの人生の十分の一だ。
★★★
——ひとつだけ、動いたことがある。
昨年の十一月二十二日。マルイチ。ハルがホワイトボードにオリオン座を描いた夜だ。
「提案がある。オリオン座に、限定照射をやっておきたい。本照射はずっと先だ。主要星二十二個のクリスタルなんて、いつ揃うかわからない。でも、あの領域だけ他とは違う何かがある。応答するかどうかだけでも、先に知りたい。三つ星の方向に、細いテスト光を一本」
「指向の基準が必要だ」とダイチが言った。
「石版はまだ作れない。三つ星の正確な配置。角度と間隔。手動だと精度不足は必至だ」
胸の内で、何かがカチッと鳴った。
「……ちょっと待って」
リュックをひっくり返した。低温保存ケース、ルーペ、ジップロック。一番底から、あれが出てきた。灰色の、ボロボロの、海の匂いの板。十九歳の秋に湘南で拾って、ゴミだと思って、でも捨てられなかったやつ。
「これ、三つ並んでる」
ダイチが板を受け取った。
ノギスとルーペ。くぼみの間隔を測って、角度を測って、タブレットのオリオン座のチャートと重ねた。長い三十秒だった。
「等間隔。斜めに一直線。角度、実天と一致。縮尺の規格——機構の石版と同じ系統だ」
「ゴミじゃなかった」
声が少し震えた。
機構でこぐま座の石版に初めて触れた時の、あの「なんか」。指はずっと覚えてた。全然違うのに同じだった理由が、やっとわかった。
「材質は機構のとは違うね」とハルが板を覗き込んで言った。
「
「名前つけよう」とユキは言った。
「おじいちゃんの石版」
三人がユキを見た。
「拾った夜、おじいちゃんの声が聞こえたの。冬の南の空に、三つ並んだ星があるんだよって。だから」
誰も反対しなかった。
タキが手帳に書いた。
おじいちゃんの石版。
指向基準物として機構に申請、名目は民間供出。
「十一月二十八の新月。窓は四十六分」とダイチ。
ハルが頷いた。
「本照射じゃない。挨拶だよ」
そうして十一月二十八日の新月に、アリエスタは一つだけ例外的な照射を済ませていた。
オリオン座、三つ星方向の限定照射。星座全体を開くための本照射ではない。おじいちゃんの石版と、世界中から集まり始めた機構所有の主要クリスタルも借りて、オリオン座領域の中心寄りに細い光と電波を送った。
深冷可能なクリスタルは三十六時間前から復温に入れた。マイナス三十度から五度へ、そこで十八時間待ち、照射六時間前から二十度へ。
九月に決めた手順を、本番で使う最初の夜でもあった。
例の周期性ノイズの解析結果を待ってから決めたわけではない。待っていたら間に合わないと、ハルが言った。
「基準がなくて、星も見えないのに」とユキは言った。
「どうやって狙うの?」
「
「昼のうちに太陽と惑星で装置を合わせて、撃つ直前に座標を補正する。狙うのは星そのものじゃなくて、星座の領域の内側。星座区域の境界から離れた、安全な一点」
「見えない的に当てるんだな」とダイチは言った。
ハルは首を振った。
「見えないんじゃない。住所はわかってる。明かりが消えてるだけだ」
その光が壁に届くのは一年後。もし向こうに誰かがいて、オリオンの穴に気づくなら、返事は二年後の冬。ユキはそれを、スマホのメモに残していた。二〇四八年冬。まだずっと先の、でも確かに来る日付として。
★★★
自販機の前で足が止まった。
ホットの缶コーヒー。ハルが飲んでるやつより甘いのを選んで、プルタブを引いた。両手で包む。冬の指先にぬくもりが沁みた。缶を頬に当てると、外気で冷えた皮膚に金属のぬくもりが押し寄せてくる。この感触が好きだった。コーヒーの味より、手のぬくもりの方が今は大事。
立ったまま空を見上げた。
下弦間近の、まだ厚みの残る月が、ビルの隙間に浮かんでいた。あと八日で新月。新月セッションがある。でも今夜はただの木曜日で、何もない夜。何もない夜が、もう七週続いている。
光は今、どのへんにいるんだろう。
一年以上前に撃ったこぐま座の一回目の不完全照射は、壁に届いてこちら側に六分の一位は進んでいるかも。
三回目の完全照射の方はあと、ひと月かふた月で到達する頃だ。でも届いたかどうか、ここからは見えない。
壁に変化があっても、その変化の光が地球まで戻ってきて、結果がわかるのは来年。それまで目には何も映らない。
暗い空の下で缶コーヒーを飲んでいる二十歳のユキと、壁に向かって走っている光。どっちが速いかなんて考えるまでもない。
でも、必死さでいえば、ユキの方かもしれない。
光には意志がない。光はただ物理の法則に従って走っている。
意志で立って、意志で空を見上げて、意志で待っている。
待つことを選んでいる。意志って、速度じゃ測れない。
「——すみません」
声がした。自販機の横に、知らない女の人がいた。三十代くらい。ダウンジャケット。両手にレジ袋。
「その自販機、お茶ありますか。ホットの」
「あ、はい。左の列の上から三番目」
「ありがとう」
女の人は小銭を入れて、お茶のボタンを押した。がたん、と落ちてきた。取り出して、ユキと同じように両手で包んだ。
「寒いですね」
「寒いですね」
それだけだった。女の人はお茶を持って歩いていった。レジ袋の中身がかちゃかちゃ鳴っていた。
この人は知らない。ユキが光を撃ったことを知らない。壁に穴を開けようとしていることを知らない。「星が見えない空の下で、星を取り戻そうとしている二十歳がいる」なんて、夢にも思っていない。
この人にとって、ユキは自販機の前で突っ立ってた若い金髪のねーちゃんだ。それだけ。
それが、なんだか、よかった。
世界はユキを知らなくていい。
何をしているか、誰も知らなくていい。光は、見られていなくても走る。ユキも、誰かに見られていなくても、走れる。
ポケットのスマホが震えた。
ダイチから。写真が一枚。三鷹のモニターのスクリーンショット。検出器の波形データ。ユキには読めない。
でも、ダイチが夜中の十一時にスクリーンショットを送ってくるのは珍しかった。
「何これ」
三十秒後に返信。
「例のノイズの周期性の件。たぶん気のせいだ」
「たぶん、って、どっち」
「九十五パーセント気のせい」
五パーセントは本物かもしれない。ダイチの五パーセントは、普通の人の五十パーセントくらいの価値がある。それを知っている。
「明日ハルに見せる」
「よろしく」
スマホをポケットに戻した。缶コーヒーの最後の一口は冷めかけている。飲み干した。苦い。ハルのブラックよりましだけど、やっぱり苦い。ラテの方が好きだ。でも夜中の自販機にラテはない。
歩き始めた。商店街の出口。コンビニの明かりが目に沁みた。
今この瞬間も、あの光は走っている。商店街を歩いている間も、眠っている間も、カフェで新しいラテアートの練習をしている間も。光は止まらない。光は疲れない。秒速三十万キロで壁に向かい続けている。
ユキは止まる。疲れて、眠くて、バイトが忙しくて、やる気が出ない日がある。
でも光は止まらない。怠けている夜も、光だけはちゃんと走っている。だから、いい。全部やらなくても、いい。光が走ってくれている間は、一回止まって、息を吸って、また走り出せばいい。
アパートの階段を上がった。
鍵を開けて、暖房をつけて、布団に潜った。冷たい部屋が温まるまで天井を見た。暗い。いつも暗い。物心ついてからずっとこの空は暗い。
でも暗いのは、たぶん、今だけだ。
光は走っている。
だからユキも、明日、走る。
目を閉じた。
五時のアラームをセットした。
明日はカフェの早番。