――――――――――――
LC-312-Y/arieSta
2047.06.04-Tue 20:15
Location : 豊島区 東京都
MoonAge : 10.6
Sectors : 2/88 fired
――――――――――――
りゅう座の照射から、十二ヶ月。
こぐま座の三回目完全照射からは、一年と三ヶ月。
こぐま座の一回目不完全照射からは、一年と七ヶ月。
何も変わっていなかった。
空は暗い。月と惑星がある。それだけ。去年の六月と同じ空。一昨年の六月と同じ空。星が消えた二〇二八年の秋と同じ空。十九年間、何も変わっていない。
ロクマルの屋上で、四人がいつもの配置にいた。
ダイチが計測機器を広げている。タキが横でパラメータを確認している。ハルが壁に寄りかかって珈琲を飲んでいる。缶コーヒー。何本目かは聞かなかった。
ハクはダイチの機材の横に立って、いつもの数字を読み上げていた。
『気温二十二度。湿度七十一パーセント。電波天気、安定』
「OK。記録した」とダイチ。
納品から八ヶ月。ハクが数字を出して、ダイチが受け取る。四人と一台の、いつもの配置になった。
屋上の端に座って、足をぶらぶらさせていた。池袋の夜景が下に広がっている。ネオンが賑やか。人が多い。初夏の夜。少し湿った風が吹いている。
今夜は、いつもの観測夜だった。
二〇四七年六月。こぐま座照射から一年と三ヶ月が経っている。月に一度の新月セッションが定着したこの世界では、暗い夜を待つことも、もう珍しくない。
でもアリエスタにとって、新月の夜は今でも特別だ。最大出力が出る夜。待つための区切りになる夜。
ケフェウス座の石版が完成に近づいていた。主要星十個のうち確定クリスタルは八個。
ケフェウス座、残りの主要星はあと二個。
アルフィルクは遠隔計測で確定済みだが、現物はフィンランドにあり、輸送手続きが残っている。
今夜のセッションでは、先月オーラフ経由で届いた新規クリスタル五個のスクリーニングと、保留分の再チェック。
作業は順調だった。五個中一個がケフェウス座の恒星に対応した。
でも、気持ちは晴れなかった。胸の奥に、重いものが沈んでいる。
九個確定しても、石版はまだ完成していない。完成しても照射はまだ先。
「ねえ」とユキは言った。
足をぶらぶらさせたまま。
三人が振り向いた。
「こぐま座の最初の照射、不完全なやつ。あれの光って、もう壁に届いてるよね」
ハルが少し考えた。
「二〇四五年十一月に撃ったから……一年と七ヶ月。片道一年だから、七ヶ月前には届いてる」
「届いてるのに、何も起きてないよね」
「反応があっても、それが地球に届くのにまた一年かかる。結果がわかるのは今年の十一月だよ」
「それは知ってる。でもさ」
ユキは足を止めた。
「あれ、不完全だったじゃん。
三人が黙った。
「つまりさ」とユキは続けた。
「こぐま座は三回撃った。
「でもりゅう座は一回しか撃ってない。こぐま座が三回分で開いたんだとしたら、りゅう座は足りないんじゃない?」
ハルが腕を組んだ。
「出力の問題なら、増幅器の設定で管理してる。強すぎても弱すぎても波形が崩れるから、設定値の範囲で撃ってるよ」
「こぐま座の完全照射は出力107%、りゅう座は114%だ」
「そうです。どっちも正常範囲内になっています。量が不足している場合、出力のログに波形の乱れが出ると考えられますが、それはありませんでした」
「波形が正常でも、一回と三回で違いが出ない?」
「そこは正直わからない」
ハルが「わからない」と言った。ユキはそれを聞き逃さなかった。ハルが知識で答えられない問い。
ダイチが口を開いた。
「こぐま座の三回の照射でスペクトルデータに差があるかは確認できる。照射ログは残ってる。波形の比較解析、自分がやる」
「お願い」とユキ。
タキが続けた。
「機構側でも照射の回数と効果の相関は議論されています。ただ、サンプルがこぐま座とりゅう座の二つしかないので、統計的には何も言えない状態です。こぐま座の結果が出るまでは仮説にすぎません」
「つまり、開いてみるまでわからないっかー」
「はい」
ユキは空を見上げた。
都市の明かりの上に広がる暗闇を見上げると、あの夜のことを思い出した。二〇四五年の秋、三鷹の芝生の上で初めて暗闇の中にクリスタルが光るのを見た時のことを思い出した。あの夜、機構の塔から光の柱が伸びた。不完全な石版で。
あの光が今、壁に届いている。壁がどうなったかは、まだわからない。
「りゅう座のクリスタルって、もう一回集められる?」とユキは聞いた。
ハルが首を振った。
「エルタニンは照射で出し切った。もう一個同じ等級のクリスタルを見つけるのは、世界中探しても難しい。他のクリスタルも大半を使った」
「もう一回撃ちたくても撃てないってこと」
「現時点では」
沈黙が落ちた。夜の暗闇が、四人を静かに包んでいた。
ユキは膝を抱えた。
怖い。
一年待った。あと一年待つ。その先に「ダメでした」があったら。
りゅう座は一回しか撃ってないから足りませんでした、があったら。もう一回撃つクリスタルがありませんでした、があったら。
「なんとなく」で始めた。
「なんとなく」大丈夫だと思ってた。でも一年経って、「なんとなく」では足りない場所に来てしまった気がする。
「ユキ」とハルが言った。
「なに」
「今わからないことは、今考えても答えが出ない。こぐま座の結果が出るのは今年の終わりか来年の春だ。そこで初めてデータが揃う。それまでは」
「ケフェウス座を進めるんでしょ。わかってる」
「わかってるなら大丈夫だよ」
「わかってるのと、納得してるのは違うよ」
ハルが少し黙った。珈琲の缶を持ったまま。
「……そうだな。違うな」
立ち上がった。膝についた砂を払った。指先が冷たい。
「でもやる。待ってる間にできることをやる。ケフェウス座の石版を完成させる。それしかない」
「それしかない」とダイチが同意した。短く。
「星が待ってますから」とタキが言った。静かに。
ユキは三人を見た。
一年前より疲れた顔が三つ。でも止まっていない。
セッションが終わりに近づいていた。暗闇は変わらないまま、夜が少しずつ更けていく。
「帰ろっか。うち明日もバイトだし」
エレベーターで降りた。
池袋の夜。初夏の風。少しだけ暖かい。
「ねえ」とユキは歩きながら言った。
「うちらがやってること、合ってるのかな」
三人とも答えなかった。
それが答えだった。わからない。でもやめない。
ユキは空を見上げた。
観測の夜が更けていた。セッションは終わった。こぐま座の不完全照射から、もうすぐ二年。そろそろ結果がわかるかもしれない。
わかるかもしれない。わからないかもしれない。
なんとなく、大丈夫。
嘘だ。
なんとなくじゃない。
怖い。
でも言い続けないと、歩けなくなる。
だから言う。
なんとなく。