ロスト・コズミック   作:シグワン

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第36話 日本一の星空

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LC-364-Y/arieSta

2047.10.18-Fri 14:20

Location : 鹿児島県 鹿屋市輝北町

MoonAge : 28.5

Sectors : 2/88 fired

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 タキがマルイチで言ってから、一ヶ月も経っていなかった。

 

 九月の木曜に「鹿児島です。来月」と言われて、十月の頭には日程表が届いた。速い。機構がこんなに速く動くのを、ユキは初めて見た。

 

「本当に来るとは思いませんでした」

 

 空港で、村上はそう言った。皮肉ではなさそうだった。

 

「二拠点目を作ります。設計から始めます」

 

「結果、まだ出てないですけど」とユキは言った。

 

 二区画とオリオンの限定照射だけ。開いた区画はゼロだ。三回目の結果が届くのは来年の春で、それまで誰も何も分からない。

 

「出てからでは遅いんです」

 

 村上は少し黙って、それから続けた。

 

「候補地の調査と選定、設計、設備の改修。どれも時間がかかります。開いてから始めたら、その分だけ着手が後ろにずれます。この仕事は全部そうです。判断が遅れて効いてくる」

 

★★★

 

 鹿児島空港から車で一時間ほど。

 

 道はずっと上っていた。畑と杉林と、たまに牛舎。標高が上がるにつれて、窓の外の空気が薄い色に変わっていく。

 

『現在標高五百五十メートル。気温十四度。風速七メートル、北西。日没まで三時間二十分』

 

 ハクが足元で読み上げた。

 

「風、強いな」とダイチ。

 

「ハク、記録」

 

『記録します。──この地点の走行経路を保存しました。復路で使用します』

 

「え、覚えてくれてるの?」

 

『初めての経路は往路で記録します。電波が弱い区間が四箇所ありました』

 

 ハクは東京から出たことがなかった。

 

 ユキも、ハクを東京の外に連れ出したことがなかった。こういう時のために作られていたんだ、とユキは今さら思った。

 

 機構のワゴンが二台。

 

 前の車に村上と機構の職員が三人、後ろの車にアリエスタの四人が乗った。

 

 高台に出た瞬間、視界が全部ひらけた。

 

 西に湾。その向こうに山がひとつ、煙を上げている。

 北にも山の列。

 東は盆地。

 南は──南も、ずっと遠くまで。

 

「桜島(さくらじま)」とハルが言った。

 

「あれが錦江湾(きんこうわん)で、北が霧島(きりしま)。天気がいいと三百六十度見える場所らしいよ」

 

 ユキは車を降りて、しばらく突っ立っていた。

 

 風が真横から来る。耳が痛い。手袋をしてこなかったことを後悔した。

 

 それでも降りたのは、丘の上に建っているものが変な形をしていたからだ。

 

 灰色のコンクリートの柱が、何本も斜めに伸びている。その上に丸いドームと、何に使うのかわからない形がいくつも乗っていた。建物というより、巨大な機械か、何かの基地みたいだった。昔、三鷹で見た、動くお城みたいだった。

 

「輝北(きほく)天球館(てんきゅうかん)です」

 

 迎えに出てきた人が言った。六十くらいの、背の高い男の人。

 

「中園(なかぞの)です。ここの管理をしています」

 

 中は寒かった。

 

 一階から階段で上がっていく。

 三階に展示室。

 さらに上がった四階が観測ドーム。

 

 ドームの扉が開いた瞬間、ユキは息を止めた。

 

 白い筒が、斜め上を向いて立っていた。

 

 太い。抱えられない太さだ。金属の架台に乗っていて、床から天井まで届きそうな高さがある。

 

「口径六十五センチの反射望遠鏡です」と中園さんが言った。

 

「建設当時は、九州最大級でした」

 

 でした、と言った。

 

「昼間でも一等星が見えました。ここは環境庁の全国星空継続観察で、過去七回、日本一とされた場所です」

 

「えー!?」

 

「凄くない!? 何回も、星空の日本一に?」

 

「はい。日本でいちばん星が見える町でした」

 

 ユキは望遠鏡を見上げた。

 

 埃はかぶっていない。金属は光っている。誰かがずっと拭いている証拠。

 

「動きますか」とダイチが訊いた。

 

「動きます。月や惑星の観測には、今も使っています」

 

「じゃあ、ずっと使ってるんだ」とユキ。

 

「ええ。ただ、昔みたいにはいきません。恒星を使った指向の確認ができないので」

 

「指向って?」

 

「望遠鏡を狙った星へ正確に向けられているか、確かめることです」

 

 ドームの中で、風の音だけが聞こえた。

 

「それでも駆動系は定期的に、可動範囲いっぱいまで動かしています。いつ星が戻ってもいいように」

 

「星は?」

 

 中園さんは少し黙った。

 

「二十年近く、一つも」

 

 ハルが、缶を持ったまま動かなかった。

 

「施設の候補はここだけではありません」

 

 村上が言った。

 

「国内の天文台を順に回ります。使えるものから使います。既存天文台の転用候補として、ここが一箇所目です」

 

「一箇所目」とハルが呟く。

 

「はい。建物と電源と、光害の少ない暗い空があります。ゼロから建てるより早いですから」

 

 村上は望遠鏡を見ていなかった。窓の外の、南の山を見ていた。

 

「なんでここが一箇所目なんですか」とユキは訊いた。

 

「東京から遠いし、寒いし、風すごいよ」

 

「緯度だ」とダイチが言った。

 

 ダイチはタブレットを出して、数字を出した。

 

「三鷹は北緯三十五・七度。ここは三十一・六度。約四度南だ」

 

「四度だけ?」

 

「四度で、撃てる範囲が変わる。星は緯度の分だけ南に上がる。三鷹から高度二十度以上で撃てるのは、赤緯(せきい)マイナス三十四度までだ。ここならマイナス三十八度まで下がる」

 

「赤緯って、星の住所の縦のやつだったっけ?」

 

「そうだ」

 

「ということは、その間の星座は……」

 

「三鷹からは撃てない。何日待っても撃てない」

 

「待っても?」

 

「ああ。待っても。夜が回るのは自転だ。高さを決めるのは緯度で、どこにいるかだ。時間では上がらない」

 

 ユキは黙った。

 

 東京にいる限り、絶対に届かない空があるということだった。二年待つとか、そういう話ですらない。何年待っても届かない。

 

「あと、標高」とダイチが続けた。

 

「五百五十メートルある。三鷹は五十メートルだ。大気が六パーセント薄い。低い星を撃つときほど効く」

 

「六パーセントって、何が効くの?」

 

「大気が薄いことだ。低い星ほど、光が通る大気の量が増える。高度二十度でも真上の三倍近い。少しでも薄いほうがいい」

 

「望遠鏡は使いますか」とハル。

 

「使いません」と村上。

 

「照射光学系は規格品にします。ここで一台目を作って、次からはそれをベースにします。各種設定値も標準化します」

 

「写せますか? 三鷹のは、ダイチさんと私が現場で合わせた値が多いです」とタキが言った。

 

「だから四人に来てもらいました」

 

 村上はダイチを見た。

 

「頭の中にあるものを、形に。図面にしてください。二箇所目からは、それを渡すだけで済むようにして欲しいです」

 

 ダイチは何も言わなかった。指先で架台の脚をひとつ叩いて、それで終わりだった。

 

「この周辺の採集場所の候補、出ました」

 

 タキがタブレットを回した。

 

 地図の上に点が七つ。

 

「機構の鉱物データベースと、県と市の地質資料を突き合わせました。旧鉱山の記録が使えます。閉山していても、地表に出た岩や転がっている石は残っていることがあります」

 

「いつ作ったの、これ」

 

「候補の洗い出しは訪問が決まった日に。地図にまとめたのは一昨日です。アリエスタですから」

 

 タキは当たり前の顔をしていた。

 

「近いところでは、鹿屋(かのや)銅山跡《どうざんあと》があります」

 

「何が出るの?」

 

「古い地質調査記録では、鉱石と一緒に石英、方解石(ほうかいせき)、緑簾石(りょくれんせき)が出ています。周辺には石英の細い脈もある、とあります」

 

「石英の記録があるなら見る」とダイチ。

 

「旧坑には入らない。地表に出てる岩と、転がってる石だけだ」

 

『候補地点までの経路を表示します。日没まで二時間三十分』

 

 ハクが割り込んだ。

 

「ハク。いつの間に調べたの?」

 

『ユキ、地形データは出発前に取得しています。採集支援は基本機能です』

 

★★★

 

 旧鉱山跡の周辺は、地面が湿っていた。

 

 機構が事前に立ち入りを調整した範囲だけを歩く。旧坑口には近づかない。

 

『足元、注意。この先十メートル、傾斜が変わります』

 

 ハクが先に行って、足元を照らした。

 

「便利すぎない?」

 

「便利だ」とダイチ。

 

「自分は二回滑った」

 

 ユキはハクの横に来たとき、ハクの頭をなでなでした。

 

 草はまだ青かったが、斜面には岩が出ているところがいくつかあった。

 

「あった」

 

 斜面の途中に、灰色の岩を斜めに切る白い筋が入っていた。

 

 幅は腕くらい。上から下まで、まっすぐ。

 

「石英脈だ」

 

 ダイチが素手で触った。手袋を外して、爪の先で削って、粉を指の腹でこすった。

 

「硬い。ざらつきが均一。悪くない」

 

 脈の下は崩れた石が積もっていて、そこに白いかけらが混じっていた。

 

 ユキは拾ってみた。

 

 小さい。親指くらい。

 角が少し欠けている。ずっしりしている。

 ひんやりしていた。十月の山の、日陰の石だ。

 

 でも、湘南で最初に拾った石も、こんな重さだった気がした。

 

「五個。あと二時間半で暗くなる」とダイチ。

 

「持って帰る?」

 

「持って帰る。反応があるかは、ここでは分からない」

 

 ハクが記録を取っていた。

 座標、標高、採集時刻、石英脈の向き。

 

『採集地点を登録しました。座標、標高、石英脈の向き、周辺の地形。次回はここまで案内できます』

 

「次回、あるの?」

 

『あれば』

 

★★★

 

 その日の宿は、串間市(くしまし)の海沿いだった。

 

 都井岬(といみさき)まで車で二十分。木造二階建ての、看板の文字が半分消えかけている旅館。

 

 玄関でおじちゃんが待っていた。七十くらい。背が低くて、日に焼けていて、手が分厚い。

 

「先生方か」

 

「え?」

 

「機構さんから、先生方が四人と、あと他に四人て聞いちょる」

 

「うち、先生じゃないです」

 

 おじちゃんは聞いていなかった。

 

「風呂、沸いちょっで。夕飯は六時な」

 

 部屋は二階の、海に面した六畳だった。窓を開けると潮の匂いがした。

 

 晩ごはんは、刺身と、魚の味噌汁と、煮しめだった。

おじちゃんはユキたちが食べる横に座って、テレビを見ていた。

 

「こげん時期に何(なん)しに来たっちゃが?」

 

「星を、見に」

 

「星?」

 

 言ってから、ユキは自分で変だと思った。

 

 二十年近く、誰も星を見ていない。星を見に来た、は、今では意味の通らない文になっている。

 

 でもおじちゃんは「そうやっちゃ」と言っただけだった。

 

「岬な。あっこは風が横から来るかい。真っ暗やし、気ぃつけんな」

 

「え? あ、はい」

 

「あと、馬」

 

「馬?」

 

「野生の馬がおっとよ。道の真ん中で寝ちょる。轢かんごつ、気ぃつけんな。あと、噛むかい近づいたらいかんよ」

 

「噛むんですか」

 

「噛む」

 

 それだけ言って、おじちゃんは味噌汁のお代わりをよそってくれた。

 

 なんで来たのかは、二度と訊かれなかった。

 

 足元にいたハクを見て、一度だけ、

 

「これは何やと?」

 

「支援機です。気温とか測ってくれます」

 

「そうやっちゃ」

 

 おじちゃんはハクの前にしゃがんで、頭を撫でた。機械なので撫でる意味はない。ユキがいつもするのと同じだった。

 

「明日も出ると?」

 

『はい。明日は二十二時に出発予定です』

 

「返事すっとね?」

 

 おじちゃんはそれで笑った。歯が二本欠けていた。

「岬ん門、夕方には閉まっかいよ」

 

「夜間調査の調整は済んでいます」とタキ。

 

「ならよかっちゃが」

 

「夜中に帰って来るっちゃろ? 鍵は開けちょくわ」

 

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