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LC-053-Y/arieSta
2045.11.09-Thu 22:47
Location : 杉並区 東京都
MoonAge : 0.7
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新月の夜。
日が落ちてから三時間、ユキたちは三鷹にいた。
「でっか」
ユキは旧国立天文台の外壁越しに、改装された観測棟を見上げた。もともとドーム型だった屋根が取り外されて、代わりに八角形の塔が増築されている。外壁は白く塗り直されていて、遠目には神殿の雰囲気があった。
でも頂点に取り付けられた金属製の放射口が、ここが祈りの場所ではないことを主張していた。
「光増幅器、あの先端に積んでる」とダイチが低い声で言った。
背負ったリュックには自作の計測機器が入っている。
「SOAタイプっぽい。レーザーガイド星と同じ原理で、クリスタルの光を整形して空に向けて照射する設計だと思う」
「今夜、起動させるつもりかな」
「クリスタルが揃ってれば、新月に合わせてくるのは当然」
ハルが腕を組んで塔を見ていた。
「問題は揃ってるかどうかだ。俺の情報では、七つのうち六つは石版に収まってる。空いてるのは
「石版は」
「原盤は搬入済み。三ヶ月前に記録がある」
ユキはもう一度、塔の頂点を見た。あの先端から、今夜、光の柱が伸びる。北極星の方向へ。一光年先の暗黒星雲へ向かって。
胸の中に、妙な感情が渦巻いた。嬉しいような、悔しいような、焦るような。
「うちらは今夜、何ができる」
「見届ける事、記録する事」とハルが静かに答えた。
「それだけ?」
「今夜のこぐま座セッションは俺たちには無理だ。クリスタルの数が足りない。でも」
ダイチが続けた。
「新月の夜なら、手持ちのクリスタルを全部試せる。ここで反応したものが確定になる。今夜の成果次第で、次の目標星座の準備が一気に進む」
正しい判断だ。
でもユキの胸のざわざわは収まらなかった。
「……わかった。やろう」
公園の外れの、街灯から外れた暗い芝生の上に三人は陣取った。
ダイチが計測機器を展開する。
黒いアルミケースから取り出された機器は、市販品とは似ても似つかない無骨な外見だったが、クリスタルのかすかな光を拾う力はたぶん機構の研究員が持ってるやつより上だ。独学で作り上げた、ダイチの傑作。
ユキはポーチを開けた。
三十一個。先月の新月セッションで確定した二個と保留の二個も含めて、残らず持ってきた。場所と日時が変われば反応する可能性がある。
「月光ゼロ、確認済み」とハルがタブレットを見ながら言った。
「新月の夜は、日が落ちた瞬間から条件が最大だ。いつでも始められる」
「この条件、朝までずっと続く?」
「日の出まで七時間以上ある」
七時間。ひと通り試すには十分すぎる。
ユキは芝生に腰を下ろして、膝の上にポーチを置いた。空を見上げた。月も星座もない、壁に閉ざされた暗い空だった。物心ついてからずっと見上げてきた空と同じだった。でも今夜だけは、この暗さが味方だ。
「なあ」とダイチが唐突に言った。
「なに」
「ユキって、なんで星を取り戻したいわけ」
唐突な質問だった。ユキは少し考えた。
「見たことないから」
「それだけ?」
「それだけじゃないけど、それが一番でかい。うちが物心つく頃には星なかったじゃん。おじいちゃんが昔、オリオン座のベルトの話してくれたんだよね。三つ星が一直線に並んでてさ、冬になるとすぐわかるって。何百年も前から船乗りが使ってた星だって。それ聞いた時、すごく悔しかった。うちには関係ない話みたいで」
ダイチは何も言わなかった。
「ダイチは」
「自分は別に……」
声に感情の起伏がなかった。
「計測が必要な場所にいるだけだ。仕事だから」
「嘘つき」とユキは笑った。
「仕事でこんな夜中に芝生に座らないって」
ダイチは黙った。肯定と否定の中間みたいな沈黙だった。
ハルがタブレットを閉じた。
「始めよう」
夜風が止んでいた。
二十三時五十八分。
ダイチが計測機器のカバーを外した。暗闇の中で、インジケーターの緑が小さく点った。
月がない夜空は、壁そのものだった。あの暗闇の向こうに、星座がある。見えないだけで、ある。今夜はその見えない星に向かって、光を撃つ。
「来た」とダイチが言った。指先が一瞬止まった。
ポーチの中のクリスタルが、光った。
一個じゃない。三個、同時に。
微かな光だった。目を凝らさないと見えないくらいの、でも確かな光。それぞれが違う方向を向いていた。
計測機器がピッと小さな音を立てた。
「座標記録。三個。赤経赤緯《せきけいせきい》、全部違う。既知の恒星カタログと照合する」とダイチが素早く言った。タブレットに数字が走っている。
ユキは残りのクリスタルを一個ずつ取り出して、機器の前にかざしていった。次々と試す。反応なし。反応なし。反応なし。四個目。
光った。
「これも取った」
五個目、六個目。反応なし。
七個目、光った。
「今夜だけで五個確定できればいい方だと思ってたのに」とハルが驚いたように言った。
「新月の効果、思ってたより大きい」
「月からのUVがここまで落ちると、反応の閾値《しきいち》が下がるんだと思う」とダイチ。
「感度が上がってる。今まで反応しなかったクリスタルが起きてる」
黙々と試し続けた。
十二個目、光った。
十五個目、光った。
ポーチの中身が減っていく。確定クリスタルが増えていく。
そしてふと、顔を上げた時。
三鷹の旧観測棟の塔から、光が伸びていた。
細い。でも真っ直ぐな光の柱が、夜空に向かって伸びている。何もない暗闇をまっすぐに貫いて、北の空へ。北極星のあるはずの方向へ。
「起動した」とハルが静かに言った。
施設から出た光が空気の中で散って、地上からでも柱みたいに見えていた。レーザーと同じ原理だ、とハルが後で教えてくれた。
三人とも、黙って見ていた。
一光年先の暗黒星雲へ向かう光。太陽まで八分の距離の、約七万倍先。届くまで一年。反応して穴が開くまで、さらに時間がかかるはず。その穴から北極星の光が地球まで届くのに、また一年。
今夜引かれた引き金の答えが出るのは、二年後だ。
「……綺麗だな」
ダイチが言った。仕事だからと言ったダイチが。
ユキは何も言わなかった。
光の柱は細く、でも確かに、星のない夜空に刺さっていた。
「アリエスタの方々ですよね」
声がした時、立ち上がりながら振り返った。
男が二人、こちらに向かって歩いてきていた。スーツではない。フィールドウェアだ。でも胸元に光るバッジが、国際スタークリスタル研究機構の所属を示していた。
「夜分に失礼します」と前の男が言った。
三十代後半くらい。穏やかそうな顔をしているが、目が笑っていない。
「機構の田中と申します。少し、お話しできますか」
「もちろんですよ」
ユキは満面の笑みを浮かべた。
ハルが隣で微かに息を飲むのがわかった。ダイチは無表情のまま機器を静かに閉じ始めた。
「今夜のセッションで、かなりの数を確定されましたよね」
田中が続けた。
「実は機構として、民間のハンターの皆さんとの協力体制を改めて構築したいと考えていまして」
「協力、ですか」
「そうです。クリスタルの情報共有、あるいは機構のデータベースへのアクセス権をご提供する代わりに、収集したクリスタルを機構に提供していただけないかと」
ユキはにっこりしたまま、一拍置いた。
「提供って、売買ですか。それとも寄付ですか」
田中が少し表情を固めた。
「正式な補償はご用意します。ただ、クリスタルの管理は機構が一元化した方が効率的かと思いまして」
「なるほど。でも一個だけ聞いていいですか」
「はい」
「機構って、この夏、うちが石を拾ったあとに、外部協力員の選考を受けさせてくれましたよね」
田中が一瞬、困惑した顔をした。
「落としたのは機構じゃないですか。その時、うちのどこが問題でしたか。星に詳しくなかったからですか。拾った石に個人的に関わりすぎているからですか」
沈黙。
「クリスタルの扱い方も、採集のノウハウも、今夜の新月の使い方も、うちの方が正直詳しいと思うんですよね。なのにこの夏落として、今夜はクリスタルが欲しいから話しかけてくるって、ちょっと都合よくないですか」
田中の隣の男が何か言おうとした。
ユキは笑顔のまま続けた。
「協力はしますよ。うちらも別に機構と争いたいわけじゃない。でも対等な条件でお願いします。データの共有は双方向で。クリスタルの所有権はそれぞれ。共同でアクセスできる石版を別途作る。この三点が最低条件です」
しばらく沈黙があった。
田中は表情を崩さないまま、「検討します」
「よかった。あ、名刺ありますよ」
ユキはリュックのポケットから名刺を取り出して差し出した。ネイルの施されたピンクの指先で差し出された名刺を、田中は少し間があってから受け取った。
機構の二人が去ってから、ハルが深く息を吐いた。
「……肝が据わってるな、本当に」
「コミュ力オバケって言ったじゃないですか」
「オバケにもほどがある」
ダイチがタブレットの画面を見せてきた。
「今夜の確定数、出た。十九個」
「え、十九」
「うん。あと、照合したら一個だけ、こぐま座の恒星に対応してるのが混じってた」
ユキは目を見開いた。
「こぐま座」
「
三人で顔を見合わせた。
空はまだ暗いままだった。
頬に夜風が当たる。
冷たい。頬だけが冬みたいに冷たかった。
新月の夜は長い。
三鷹の塔から伸びた光の柱はまだそこにあって、静かに、北の空に向かい続けていた。
二年後、北極星の光が届くであろう日まで。
「次の新月まで、できることやっとこうか」とユキは言った。
二人が頷いた。
新月の夜が、静かに更けていった。