ロスト・コズミック   作:シグワン

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第37話 川の果て

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LC-365-Y/arieSta

2047.10.19-Sat 23:00

Location : 宮崎県 串間市 都井岬

MoonAge : 0.4

Sectors : 2/88 fired

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『前方十五メートル、動物。三頭。停止してください』

 

 ハクの声で、ダイチがブレーキを踏んだ。

 

 ヘッドライトの中に、馬がいた。

 

 道の真ん中に三頭。避けない。

 思っていたより小柄だ。全身が長い冬毛に包まれて輪郭が少しふくらんで見えた。

 

「本当にいたね」

 

「御崎馬(みさきうま)です」とタキが言った。

 

「江戸時代に高鍋藩(たかなべはん)がここに牧場を開いて以来、一年を通して自然に近い形で放牧されています。国の天然記念物です」

 

「かわいい」

 

「……かわいいですね」とタキが小さく言った。

 

 ユキが振り向くと、タキはもうタブレットへ目を戻していた。

 

「窓から手を出さないでください。噛まれますよ」

 

 馬は、ユキたちを見なかった。

 

 草を食べて、ゆっくり歩いて、崖の方へ行った。空も見ていなかった。

 

 ユキは、それが少しうらやましかった。

 

 岬の先に灯台が立っていた。

 白くて、遠目には丸く見えた。

 海面から二百数十メートルの高みにある。

 

 観測する予定の地点は灯台から少し離れていた。

 

 十五秒に一度、白い光が海を掃う。暗順応には邪魔でも、機材には遮光フードが付き、閃光が入った瞬間は記録から切り分けられる。ここを南の低空観測の候補から外す理由にはならなかった。

 

 そこから南を見た。

 

 何もなかった。

 

 陸がない。島がない。灯りがない。水平線が、左から右まで一本、ずっと続いている。

 

「南の海上が大きく開いています」とタキが言った。

 

「種子島(たねがしま)も屋久島(やくしま)も南西側にずれます。低空の南天を見るには条件がいいです」

 

「本土最南端って佐多岬(さたみさき)じゃなかった?」

 

「佐多岬のほうがここより南です。ユキさんも調べていたんですね」

 

「じゃあ向こうのほうが……」

 

「佐多岬も候補です」とタキ。

 

「緯度だけなら、向こうが有利なのは確かです」

 

「じゃあなんでここ?」

 

「南の海上視界、車両での搬入、通信条件。今回の試験観測では、全部合わせて都井岬を選んだ」とダイチ。

 

「一番南に行けばいい、っていう話じゃないんですよね」とタキが言った。

 

「そう。緯度だけ見れば佐多岬が正しいよ」とハルも続けた。

 

 正しいけど、足りない。

 

 その言葉が頭の中で鳴った。

 

『新月は今日の十二時二十八分でした。現在の月齢〇・四』

 

 ハクが言った。

 

 月はどこにもなかった。空は東京より黒かった。

 

「日付が変わったころに南中する」とハルが言った。

 

「南中って?」

 

「一日のうちで、その星がいちばん高くなる時だよ」

 

「どの星?」

 

「アケルナル。エリダヌス座のα(アルファ)星で、今夜なら、ほぼ真南に来るね」

 

 ハルは南の水平線を見て続けた。

 

「エリダヌスは川の星座で、アケルナルは川の果てって意味だ。アラビア語で。北の端はオリオンの足元にあって、そっちは東京からでも見える。でも終わりだけが見えないんだよ」

 

「そうなんだ?」

 

「三鷹だと、南中しても地平線の下、二度半くらいだ」

 

「ここだと……」

 

「地平線の上、二度弱だ」

 

 二度弱。

 

 ユキは腕を伸ばして、水平線に手のひらを当ててみた。指一本ぶんくらい。

 

「あそこ?」

 

「うん」

 

「〇時二分」とダイチが言った。

 

「方位、ほぼ真南。計算上の高度一・六度。地平線近くでは大気が光を曲げるから、見かけでは二度前後」

 

 ユキは、そこを見た。

 

 何もなかった。

 

 まだ開いた星座の区画はゼロだ。

 

 当たり前だった。

 

 でもユキは、当たり前のことを確かめるために、九州の端まで来ていた。

 

「日本本土だと、南九州まで来てやっと地平線の上に出る」とハル。

 

「しかも、これくらい低い。空が開いたときに見るなら、南の水平線が開けた場所がいる。ここみたいに」

 

「開いたら、ここにまた来る」

 

「来よう」

 

「うち一人でも来る」

 

 ハルは何か言いかけて、やめた。

 

★★★

 

 カノープスの南中は四時四十七分だった。

 

 待った。

 

 四人で、崖の上で、四時間半。

 

 ハクが三十分ごとに気温を読み上げた。十二度、十一度、十一度、十度。

 

「カノープス、南中」ダイチが言った。

 

「計算上は五・九度。見かけでは六度を少し超える。方位真南。りゅうこつ座のα(アルファ)星。全天で二番目に明るい星だ」

 

「全天で二番目!?」

 

「シリウスの次だ。マイナス〇・七等」

 

「そんな明るい星なのに、東京だと」

 

「三鷹だと計算上で一・六度。ほぼ地平線だ。大気の影響が大きすぎる」

 

 六度。

 

 アケルナルの三倍。指三本ぶん。

 

 もちろん、何も見えない。

 

「検出なし。二十三時から五時まで。可視範囲を五回走査。想定検出限界、肉眼四等級相当、望遠鏡十等級相当。カノープス方位、アケルナル方位ともに検出なし。機器正常」

 

「まあそうだよね。記録して」とユキは言った。

 

「ああ」

 

★★★

 

 旅館に着いたのは六時前だった。

 

 鍵は本当に開いていた。

 

 玄関を入ると、廊下の電気が一つだけ点いていて、台所に鍋が置いてあった。ふたを開けたら味噌汁だった。まだ温かい。コンロの火は消えている。何時に温め直したのか分からない。

 

 紙が一枚、鍋の横にあった。

 

『先生方へ あっためて飲んで 馬にかまれんかったか?』

 

 ユキは、しばらくその紙を見ていた。

 

 入道崎のおばちゃんも、朝ごはんを取っておいてくれる。理由は訊かない。ただ、帰ってくることを前提に置いておいてくれる。

 

 北と、南の端で、同じことをする人がいる。

 

 ユキは味噌汁を四つの椀によそった。

 

 しょっぱかった。

 

 おばちゃんのより、ずっと。

 

 でも同じ味がした。

 

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