ロスト・コズミック   作:シグワン

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第38話 二年目の夜

――――――――――――

LC-371-Y/arieSta

2047.11.09-Sat 23:40

Location : 三鷹市 東京都

MoonAge : 21.5

Sectors : 2/88 fired

――――――――――――

 

 申請したのはタキだった。

 

「観測枠を取りました。十一月九日の夜、機構の屋外観測広場。理由は『こぐま座方向の恒星光探索』。正規の手続きです」

 

「通るもんだね」とユキは言った。

 

「通ります。空いていましたから」

 

 空いている。それが答えだった。

 

 機構が待っているのはこぐま座三回目の完全照射の結果で、それが届くのは来年の春だ。ちょうど二年前に撃った一回目の不完全照射のほうは、η(イータ)星が欠けていた。

 

 誰も期待していない。だから枠が空いている。

 

 池袋のロクマルでもよかった。

 

 屋上は勝手が知れているし、電車でも近い。でも三鷹のほうが空が暗い。二年待って迎えた夜に、街の明かりを背負う理由はなかった。

 

★★★

 

 門を抜けて、ユキは足を止めた。

 

 人がいた。

 

 構内の観測広場に、十人以上いる。機構の白いジャンパーが四、五人。それから、白ではない上着の集団がいくつか。三脚を立てて、ケースを開けている。

 

「……なんで」

 

「私たちだけじゃないみたいですね」とタキ。

 

 ユキは見回した。

 

 見たことのある顔が二つ、三つあった。名前は知らない。去年の夏の合同計測で、隣のブースにいたチームだ。向こうも気づいたらしく、片手を少し上げた。ユキも上げ返した。

 

 登録ハンターだ。O.L.A.F.(オーラフ)のネットワークに入っている。タキが申請を出せば、枠の情報は共有される。誰も隠していないのだから、伝わるのは当たり前だった。

 

「まあ、それは、わかるんだけどね」

 

 わからないのは、その先だった。

 

 フェンスの外にも人がいた。

 

 構内には入れない側。街灯の下に、十数人。若い男が三人でひとかたまり、家族連れらしいのが一組、一人で立っている中年の男。三脚を持っている人もいる。持っていない人もいる。

 

「……あれは?」

 

「登録されてないチームだと思います」とタキ。

 

「あとは、たぶん、ただ見に来た人です」

 

「見に来たって、何を」

 

「今夜のことを」

 

 ユキは黙った。

 

 二年前のあの夜、アリエスタはまだタキ不在の三人だった。機構の近くで新月セッションをしていた。機構は石版にスタークリスタルを載せて、光を撃った。一つ足りないまま。うまくいくかどうかもわからなかった。今思うと、あれは光増幅装置のテストも兼ねていたのかもしれない。

 

 あれから二年で、機構のフェンスの外に人が立つようになった。

 

「橋田さん」

 

 声がした。

 

 振り返ると、村上が立っていた。機構のジャンパーの上にコートを羽織っている。

 

「申請は受理しています。広場の使用は問題ありません」

 

「部長。ありがとうございます」

 

「ただ……」

 

 村上がフェンスのほうを見た。

 

「あちらは、申請がありません」

 

 四人とも黙った。

 

 村上も、しばらく黙っていた。

 

 ユキはその横顔を見ていた。

 

 この人は部長で、規則の側の人だ。二年前、まだ誰でもなかった野良チームのアリエスタに会いに来て、動いてくれた。でもあのときは「動いた」だけで、規則を破ったわけじゃなかった。

 

 村上が息を吐いた。

 

 白くなった。

 

「敷地の管理責任は私にあります」

 

「はい」

 

「責任があるということは、判断できるということです」

 

 村上が近くの研究員に何か言った。研究員が門のほうへ歩いていく。

 

 名前を記入してもらい、注意事項を伝えている。

 

 しばらくして、フェンスの外の人たちが、ゆっくりと構内に入ってきた。

 

「ラインから内側には入らないでください。それだけです」

 

 村上はそれだけ言って、ユキのほうを見た。

 

「星野さん」

 

「はい」

 

「今夜、何かが見えたら、あの人たちは見たことになります。何も見えなかったら、見なかったことになる。どちらでも、来た人が損をするわけではありません」

 

「……はい」

 

「私は、そう思うことにしました」

 

 村上は少し笑って、離れていった。

 

 ハルが缶コーヒーを開けた。

 

「一拍あったな」

 

「え?」

 

「判断できるって言う前。あの人、ちょっと考えた」

 

「うん。考えてた」

 

「考えないで開ける人より、俺は信用する」

 

★★★

 

 二十三時四十分。

 

『気温八度。湿度五十二パーセント。電波天気、安定。北天、雲量ゼロ』

 

 ハクが足元で読み上げた。

 

 ハクの頭を撫でながら、ハクの声が白くならないのが、少しずるいと思った。

 

 ユキはまず、肉眼で見た。

 

 ポラリスがあるはずの場所。

 

 真北、高度三十六度。木の梢の少し上辺り。ダイチが事前に教えてくれた方向。

 

 光るものは何もない。

 

 二年待って、最初にやったのがこれだった。

 

 目で見る。それで済むなら、それがいちばん早い。

 

 東の低いところに、欠けた月が昇っていた。六割ほど光っている。二時間前に出たばかりの月だ。

 

「月、出てるけど」とユキは言った。

 

「出てる」とダイチ。

 

「条件は今夜がいちばん悪い。来週のほうがきれいに撮れる」

 

「じゃあ、なんで今夜なの」

 

 ダイチはモニタから目を上げなかった。

 

「ちょうど二年だからだ」

 

 それ以上は言わなかった。言う必要がなかった。

 

「見えないほうに賭けてもいいよ」とハルが言った。

 

「でも、見えないことを確かめた夜がないと、見えた夜の正解が決まらない。照射した日を起点に測るなら、そこから二年の夜を確認しないと判断材料が不足するんだよね」

 

「見えるなら機器はいらない」とダイチが言った。

 

 声が少し大きかった。周りに人がいるからだ。

 

「全部開いてればポラリスは二等だ。この空なら肉眼で見える」

 

「え、ちょっと待って」とユキ。

 

「じゃあ、この後、目で見て何もなかったら、答え出るじゃん」

 

「出るのは一つだけだ」

 

「ん? 一つ?」

 

「『全部が一度に開いた』はない。それ以外は全部残ってる」

 

「全部って? ……あの、じゃあさ。開き方って、一種類じゃないの?」

 

「一種類じゃないよ」

 

「まあ、仮説だけど思考実験は可能だからね」とハルが答えた。

 

 缶を置いて、指を四本立てた。

 

「一つ、区域内の一部だけ開いて止まる。

 二つ、区域内を一部から時間をかけて全体が開く。

 三つ、区域内の全部がほぼ一度に開く。

 四つ、区域内の全部が時間をかけて透けながら開く」

 

「二つ目と四つ目は、変化の曲線で判断できます」とタキ。

 

 タキも、少し声を張っていた。

 

「望遠鏡をポラリスの位置に向ければ十一等まで確認可能。〇・〇二五パーセントだ。そこから下を探す」とダイチ。

 

 ユキは振り返った。

 

 少し離れたところで、聞いている人たちがいた。フェンスの外にいた側の人たちだ。三脚を持った若い男が、こっちを見て、口を少し開けている。

 

「最初の光が出てから、秒単位で透過率を追います。広がるのか、区域全体が同じように透けていくのか。傾きが違えば、壁の側で起きていることも違います」

 

「……それ、始まったら目ぇ離せないやつじゃん」

 

「そうだね」とハル。

 

「最初の一点が出た時刻がゼロ点になる。そこから数分が勝負だ」とダイチ。

 

「じゃあ、始まった瞬間を拾うの?」

 

「そう。そこを逃したくないよね」

 

 誰かが、小さく「ああ」と言った。

 

 ユキじゃない。ダイチでもハルでもタキでもない。

 

 後ろのほうの、名前を知らない誰かだった。

 

「今夜、見えなくても失敗じゃないんですか」

 

 後ろから声がした。

 

 ユキは少し考えた。さっきハルに教わった言葉を、自分の中で一度ほどく。

 

「うん。見えなかったっていう最初の点になる。たぶん」

 

「たぶんで合ってる」とハルが言った。

 

「北天を全部舐める」とダイチ。

 

「最初の穴がポラリス方向とは限らない。その前に一回、空撃ちする」

 

「空撃ち?」

 

「二年経つ前の時刻で一周させる。二年前に照射した光の答えは、まだ届かない計算だ。ここで何か出たら、計測機器か、空のほうに何か問題がある」

 

「……何も出ないのが正解ってこと?」

 

「そうだ。出ないことを先に確かめておかないと、あとで出なかったときに、機器のせいか本当に無いのか、自分には区別ができない」

 

 計測機器が動き始めた。

 

 北天を、短く一周する。ノイズだけだった。

 

「機器は正常」とダイチ。

 

「ここまでが対照だ」

 

 ユキは膝を抱えて座った。地面が冷たい。

 

 二年。

 

 湘南の砂浜で石が光った夜から数えたら、もっと長い。あの夜から今夜まで、ユキは石を拾い、仲間を集め、機構と交渉し、世界中のハンターと繋がり、二つの星座を照射して、オリオン座には挨拶の光を送った。

 

 その全部の答えの最初の一つが、

 今夜出るかもしれない。

 出ないかもしれない。

 

 誰も喋らなかった。

 

 三十人近くいるのに、機械の駆動音しか聞こえない。

 

 二十三時五十八分。

 

 二年前の今、機構が引き金を引いた。

 

 ユキは息を止めた。止めても何も起きなかった。

 

「開始」とダイチが言った。

 

 ここからだった。

 

 二年前に出た光の、一番早い答えが届きうる時刻。

 

 その先の測定だけが意味を持つ。

 

 一分。

 二分。

 三分。

 ノイズ。

 

 五分。

 十分。

 ノイズ。

 

 二十分のスキャンが終わった。

 

 日付が変わっていた。

 

「検出なし」とダイチが言った。短く。

 

 それから、顔を上げた。人のいるほうを見た。

 

「記録する。

 照射から二年経過後の二十分間。

 肉眼で四等まで、

 望遠鏡で十一等まで、

 機器での北天スイープで異常なし。

 ポラリス方向では透過率〇・〇二五パーセント以上を否定。

 二年到達前の対照測定でも検出なし、機器正常」

 

 拍手はなかった。

 

 当たり前だった。何も起きていない。

 

 でも、ざわめきも起きなかった。

 

 約三十人が、黙って北の空を見上げていた。

 

「……まだ早いのかもしれない」とハルが言った。

 

「壁が反応するのに時間がかかるパターンで、反応が始まっていても、恒星の光はまだ途中かもしれない」

 

「あるいは、不完全だったから、何も起きないってことでしょ」とユキは言った。

 

「それもありえる。確認は続ける」とダイチ。

 

「来週もやろう」とハル。

 

「月のない夜に、同じ設定で」

 

「うん」

 

 人が帰り始めた。

 

 ケースを閉じる音。三脚を畳む音。誰かが誰かに「お疲れさまでした」と言っている。登録ハンターのチームが、通りすがりに片手を上げた。ユキも上げ返した。

 

 フェンスの外から入ってきた人たちは、来たときより静かに出ていった。

 

 三脚を持った若い男が、門の手前で一度だけ振り返って、北の空を見た。それから出ていった。

 

「何も出なくても、言うんだ?」とユキは言った。

 

「出なかったことも、わかったことのひとつだ」とダイチ。

 

「今夜、何もなかったって、みんなの前で言うのって……」

 

「言ったな」

 

「言い辛くない? 恥ずかしくなったりとかで……」

 

 ダイチが手を止めた。

 

「恥ずかしいのは、測らないことだ」

 

 四人だけになった。

 

 広場に残っているのは、片付けかけの機材と、四人と一台の影と、あとは月だけだった。

 

 ユキは立ち上がった。

 

 服についた土を払う。

 

 北の空を見上げた。

 

 何も見えない。いつもの暗闇に見える。

 

 でも今夜は、暗闇を「見た」。何もないことを確認した。それも記録だ。

 

 村上が来た。

 

「橋田さん。来週も枠を取りますか?」

 

「取ります」とタキ。

 

「月齢の条件がいい夜を選びます」

 

「定例で構いません。こぐま座方向の恒星光探索、週一回。私の権限で通しておきます」

 

 タキが少し目を見開いた。

 

「……よろしいんですか」

 

「空いていますから」

 

 村上は同じ言葉を使った。でも意味が違っていた。

 

「星野さん」

 

「はい」

 

「今夜、何も出なかったことは、記録に残ります。機構の記録に。それは私が残します」

 

「ありがとうございます」

 

「お礼を言われることではありません。あったことを書くだけです」

 

 村上が帰っていった。

 

 ハルが空になった缶を潰した。

 

「あの人、たぶん今夜のこと、ずっと覚えてるよ」

 

★★★

 

 門を出た。

 

 三鷹の夜道は暗い。街灯の間隔が広い。

 

『駅まで、徒歩十二分。段差あり。注意』

 

 ハクが先に立って歩いた。足元のライトが、アスファルトの継ぎ目を照らしている。

 

「誰が流したんだと思う?」とユキは歩きながら言った。

 

「フェンスの外に居た人たち。登録されてないなら、O.L.A.F.のネットワークには入ってないんでしょ。どこで知ったのって話じゃん」

 

「田中さんかもしれません」とタキが言った。

 

 声が硬かった。

 

「先週、業務外のアクセスを指摘されました。私の動きは見られています。申請の内容も見られる立場にいます」

 

「タキさん、それ」

 

「わかっています。証拠はありません」

 

 タキは前を向いたまま歩いていた。

 

「決めつけるのは、よくないことです。でも、疑わないでいるほうが、危ないかもしれません」

 

「田中って人が流したなら、賭けになる」とダイチが言った。

 

「賭け?」

 

「何も出なければアリエスタの信用を落とせる。でも何か出たら逆だ。人が多いほど、余計に止めにくくなる」

 

 三人が黙った。

 

「じゃあ、誰?」

 

「誰かはわからないけど」とハル。

 

「でも、今は誰だったかより、こっちを覚えとこう。二年目の夜に、人が集まった。誰かがそうした」

 

 ユキは振り返った。

 

 三鷹の構内。フェンスの向こう。誰もいない広場。

 今夜、あそこに三十人近くいた。

 二年前は、数えるほどだった。

 

 増えている。何も見えていないのに、増えている。

 

 秋が深まる。星のない秋が。

 

 でもこの冬か次の春までには、

 

 答えが届くかもしれない。

 

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