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LC-371-Y/arieSta
2047.11.09-Sat 23:40
Location : 三鷹市 東京都
MoonAge : 21.5
Sectors : 2/88 fired
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申請したのはタキだった。
「観測枠を取りました。十一月九日の夜、機構の屋外観測広場。理由は『こぐま座方向の恒星光探索』。正規の手続きです」
「通るもんだね」とユキは言った。
「通ります。空いていましたから」
空いている。それが答えだった。
機構が待っているのはこぐま座三回目の完全照射の結果で、それが届くのは来年の春だ。ちょうど二年前に撃った一回目の不完全照射のほうは、
誰も期待していない。だから枠が空いている。
池袋のロクマルでもよかった。
屋上は勝手が知れているし、電車でも近い。でも三鷹のほうが空が暗い。二年待って迎えた夜に、街の明かりを背負う理由はなかった。
★★★
門を抜けて、ユキは足を止めた。
人がいた。
構内の観測広場に、十人以上いる。機構の白いジャンパーが四、五人。それから、白ではない上着の集団がいくつか。三脚を立てて、ケースを開けている。
「……なんで」
「私たちだけじゃないみたいですね」とタキ。
ユキは見回した。
見たことのある顔が二つ、三つあった。名前は知らない。去年の夏の合同計測で、隣のブースにいたチームだ。向こうも気づいたらしく、片手を少し上げた。ユキも上げ返した。
登録ハンターだ。
「まあ、それは、わかるんだけどね」
わからないのは、その先だった。
フェンスの外にも人がいた。
構内には入れない側。街灯の下に、十数人。若い男が三人でひとかたまり、家族連れらしいのが一組、一人で立っている中年の男。三脚を持っている人もいる。持っていない人もいる。
「……あれは?」
「登録されてないチームだと思います」とタキ。
「あとは、たぶん、ただ見に来た人です」
「見に来たって、何を」
「今夜のことを」
ユキは黙った。
二年前のあの夜、アリエスタはまだタキ不在の三人だった。機構の近くで新月セッションをしていた。機構は石版にスタークリスタルを載せて、光を撃った。一つ足りないまま。うまくいくかどうかもわからなかった。今思うと、あれは光増幅装置のテストも兼ねていたのかもしれない。
あれから二年で、機構のフェンスの外に人が立つようになった。
「橋田さん」
声がした。
振り返ると、村上が立っていた。機構のジャンパーの上にコートを羽織っている。
「申請は受理しています。広場の使用は問題ありません」
「部長。ありがとうございます」
「ただ……」
村上がフェンスのほうを見た。
「あちらは、申請がありません」
四人とも黙った。
村上も、しばらく黙っていた。
ユキはその横顔を見ていた。
この人は部長で、規則の側の人だ。二年前、まだ誰でもなかった野良チームのアリエスタに会いに来て、動いてくれた。でもあのときは「動いた」だけで、規則を破ったわけじゃなかった。
村上が息を吐いた。
白くなった。
「敷地の管理責任は私にあります」
「はい」
「責任があるということは、判断できるということです」
村上が近くの研究員に何か言った。研究員が門のほうへ歩いていく。
名前を記入してもらい、注意事項を伝えている。
しばらくして、フェンスの外の人たちが、ゆっくりと構内に入ってきた。
「ラインから内側には入らないでください。それだけです」
村上はそれだけ言って、ユキのほうを見た。
「星野さん」
「はい」
「今夜、何かが見えたら、あの人たちは見たことになります。何も見えなかったら、見なかったことになる。どちらでも、来た人が損をするわけではありません」
「……はい」
「私は、そう思うことにしました」
村上は少し笑って、離れていった。
ハルが缶コーヒーを開けた。
「一拍あったな」
「え?」
「判断できるって言う前。あの人、ちょっと考えた」
「うん。考えてた」
「考えないで開ける人より、俺は信用する」
★★★
二十三時四十分。
『気温八度。湿度五十二パーセント。電波天気、安定。北天、雲量ゼロ』
ハクが足元で読み上げた。
ハクの頭を撫でながら、ハクの声が白くならないのが、少しずるいと思った。
ユキはまず、肉眼で見た。
ポラリスがあるはずの場所。
真北、高度三十六度。木の梢の少し上辺り。ダイチが事前に教えてくれた方向。
光るものは何もない。
二年待って、最初にやったのがこれだった。
目で見る。それで済むなら、それがいちばん早い。
東の低いところに、欠けた月が昇っていた。六割ほど光っている。二時間前に出たばかりの月だ。
「月、出てるけど」とユキは言った。
「出てる」とダイチ。
「条件は今夜がいちばん悪い。来週のほうがきれいに撮れる」
「じゃあ、なんで今夜なの」
ダイチはモニタから目を上げなかった。
「ちょうど二年だからだ」
それ以上は言わなかった。言う必要がなかった。
「見えないほうに賭けてもいいよ」とハルが言った。
「でも、見えないことを確かめた夜がないと、見えた夜の正解が決まらない。照射した日を起点に測るなら、そこから二年の夜を確認しないと判断材料が不足するんだよね」
「見えるなら機器はいらない」とダイチが言った。
声が少し大きかった。周りに人がいるからだ。
「全部開いてればポラリスは二等だ。この空なら肉眼で見える」
「え、ちょっと待って」とユキ。
「じゃあ、この後、目で見て何もなかったら、答え出るじゃん」
「出るのは一つだけだ」
「ん? 一つ?」
「『全部が一度に開いた』はない。それ以外は全部残ってる」
「全部って? ……あの、じゃあさ。開き方って、一種類じゃないの?」
「一種類じゃないよ」
「まあ、仮説だけど思考実験は可能だからね」とハルが答えた。
缶を置いて、指を四本立てた。
「一つ、区域内の一部だけ開いて止まる。
二つ、区域内を一部から時間をかけて全体が開く。
三つ、区域内の全部がほぼ一度に開く。
四つ、区域内の全部が時間をかけて透けながら開く」
「二つ目と四つ目は、変化の曲線で判断できます」とタキ。
タキも、少し声を張っていた。
「望遠鏡をポラリスの位置に向ければ十一等まで確認可能。〇・〇二五パーセントだ。そこから下を探す」とダイチ。
ユキは振り返った。
少し離れたところで、聞いている人たちがいた。フェンスの外にいた側の人たちだ。三脚を持った若い男が、こっちを見て、口を少し開けている。
「最初の光が出てから、秒単位で透過率を追います。広がるのか、区域全体が同じように透けていくのか。傾きが違えば、壁の側で起きていることも違います」
「……それ、始まったら目ぇ離せないやつじゃん」
「そうだね」とハル。
「最初の一点が出た時刻がゼロ点になる。そこから数分が勝負だ」とダイチ。
「じゃあ、始まった瞬間を拾うの?」
「そう。そこを逃したくないよね」
誰かが、小さく「ああ」と言った。
ユキじゃない。ダイチでもハルでもタキでもない。
後ろのほうの、名前を知らない誰かだった。
「今夜、見えなくても失敗じゃないんですか」
後ろから声がした。
ユキは少し考えた。さっきハルに教わった言葉を、自分の中で一度ほどく。
「うん。見えなかったっていう最初の点になる。たぶん」
「たぶんで合ってる」とハルが言った。
「北天を全部舐める」とダイチ。
「最初の穴がポラリス方向とは限らない。その前に一回、空撃ちする」
「空撃ち?」
「二年経つ前の時刻で一周させる。二年前に照射した光の答えは、まだ届かない計算だ。ここで何か出たら、計測機器か、空のほうに何か問題がある」
「……何も出ないのが正解ってこと?」
「そうだ。出ないことを先に確かめておかないと、あとで出なかったときに、機器のせいか本当に無いのか、自分には区別ができない」
計測機器が動き始めた。
北天を、短く一周する。ノイズだけだった。
「機器は正常」とダイチ。
「ここまでが対照だ」
ユキは膝を抱えて座った。地面が冷たい。
二年。
湘南の砂浜で石が光った夜から数えたら、もっと長い。あの夜から今夜まで、ユキは石を拾い、仲間を集め、機構と交渉し、世界中のハンターと繋がり、二つの星座を照射して、オリオン座には挨拶の光を送った。
その全部の答えの最初の一つが、
今夜出るかもしれない。
出ないかもしれない。
誰も喋らなかった。
三十人近くいるのに、機械の駆動音しか聞こえない。
二十三時五十八分。
二年前の今、機構が引き金を引いた。
ユキは息を止めた。止めても何も起きなかった。
「開始」とダイチが言った。
ここからだった。
二年前に出た光の、一番早い答えが届きうる時刻。
その先の測定だけが意味を持つ。
一分。
二分。
三分。
ノイズ。
五分。
十分。
ノイズ。
二十分のスキャンが終わった。
日付が変わっていた。
「検出なし」とダイチが言った。短く。
それから、顔を上げた。人のいるほうを見た。
「記録する。
照射から二年経過後の二十分間。
肉眼で四等まで、
望遠鏡で十一等まで、
機器での北天スイープで異常なし。
ポラリス方向では透過率〇・〇二五パーセント以上を否定。
二年到達前の対照測定でも検出なし、機器正常」
拍手はなかった。
当たり前だった。何も起きていない。
でも、ざわめきも起きなかった。
約三十人が、黙って北の空を見上げていた。
「……まだ早いのかもしれない」とハルが言った。
「壁が反応するのに時間がかかるパターンで、反応が始まっていても、恒星の光はまだ途中かもしれない」
「あるいは、不完全だったから、何も起きないってことでしょ」とユキは言った。
「それもありえる。確認は続ける」とダイチ。
「来週もやろう」とハル。
「月のない夜に、同じ設定で」
「うん」
人が帰り始めた。
ケースを閉じる音。三脚を畳む音。誰かが誰かに「お疲れさまでした」と言っている。登録ハンターのチームが、通りすがりに片手を上げた。ユキも上げ返した。
フェンスの外から入ってきた人たちは、来たときより静かに出ていった。
三脚を持った若い男が、門の手前で一度だけ振り返って、北の空を見た。それから出ていった。
「何も出なくても、言うんだ?」とユキは言った。
「出なかったことも、わかったことのひとつだ」とダイチ。
「今夜、何もなかったって、みんなの前で言うのって……」
「言ったな」
「言い辛くない? 恥ずかしくなったりとかで……」
ダイチが手を止めた。
「恥ずかしいのは、測らないことだ」
四人だけになった。
広場に残っているのは、片付けかけの機材と、四人と一台の影と、あとは月だけだった。
ユキは立ち上がった。
服についた土を払う。
北の空を見上げた。
何も見えない。いつもの暗闇に見える。
でも今夜は、暗闇を「見た」。何もないことを確認した。それも記録だ。
村上が来た。
「橋田さん。来週も枠を取りますか?」
「取ります」とタキ。
「月齢の条件がいい夜を選びます」
「定例で構いません。こぐま座方向の恒星光探索、週一回。私の権限で通しておきます」
タキが少し目を見開いた。
「……よろしいんですか」
「空いていますから」
村上は同じ言葉を使った。でも意味が違っていた。
「星野さん」
「はい」
「今夜、何も出なかったことは、記録に残ります。機構の記録に。それは私が残します」
「ありがとうございます」
「お礼を言われることではありません。あったことを書くだけです」
村上が帰っていった。
ハルが空になった缶を潰した。
「あの人、たぶん今夜のこと、ずっと覚えてるよ」
★★★
門を出た。
三鷹の夜道は暗い。街灯の間隔が広い。
『駅まで、徒歩十二分。段差あり。注意』
ハクが先に立って歩いた。足元のライトが、アスファルトの継ぎ目を照らしている。
「誰が流したんだと思う?」とユキは歩きながら言った。
「フェンスの外に居た人たち。登録されてないなら、O.L.A.F.のネットワークには入ってないんでしょ。どこで知ったのって話じゃん」
「田中さんかもしれません」とタキが言った。
声が硬かった。
「先週、業務外のアクセスを指摘されました。私の動きは見られています。申請の内容も見られる立場にいます」
「タキさん、それ」
「わかっています。証拠はありません」
タキは前を向いたまま歩いていた。
「決めつけるのは、よくないことです。でも、疑わないでいるほうが、危ないかもしれません」
「田中って人が流したなら、賭けになる」とダイチが言った。
「賭け?」
「何も出なければアリエスタの信用を落とせる。でも何か出たら逆だ。人が多いほど、余計に止めにくくなる」
三人が黙った。
「じゃあ、誰?」
「誰かはわからないけど」とハル。
「でも、今は誰だったかより、こっちを覚えとこう。二年目の夜に、人が集まった。誰かがそうした」
ユキは振り返った。
三鷹の構内。フェンスの向こう。誰もいない広場。
今夜、あそこに三十人近くいた。
二年前は、数えるほどだった。
増えている。何も見えていないのに、増えている。
秋が深まる。星のない秋が。
でもこの冬か次の春までには、
答えが届くかもしれない。