ロスト・コズミック   作:シグワン

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第41話 待っている人たち

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LC-396-H/arieSta

2048.02.08-Sat 03:22

Location : 中野区 東京都

MoonAge : 23.3

Sectors : 2/88 fired

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 午前三時。

 

 ハルは机に向かっていた。珈琲は八杯目だ。紙コップが三つ、缶が五本。数えたわけじゃない。でも視界に入る。

 

 先日、二回目の答えが出た。

 七つ揃えて、光だけで撃った。

 開かなかった。

 

 残る大きな差分は、三回目で追加した電波だけだ。

 

 これでダメなら、仮説を根本からやり直すことになる。一回目から三回目までの筋が大きく間違っているとは思わない。それでも、読み違いの可能性が捨てきれない。

 

 それでも、ハルの右目には数字にならないものが残っていた。

 

 右目の外側が、ちらつく。

 

 最初は光の粒だった。二〇四六年五月、りゅう座の照射前。夜空を見た時に視野の端で何かが瞬いた。目をこすると消えた。眼精疲労だと思った。

 

 消えなかった。

 

 半年、一年。頻度は上がった。

 

 昼間にも出るようになった。それでも一番ひどいのは夜空だった。

 

 暗黒星雲の表面に、縫い目のようなものが見える。

 

 計測データはない。

 他の誰にも見えない。

 ダイチの機器にもタキの解析にも引っかからない。

 ハルの右目だけが、何かを拾っている。

 

 根拠がないから言わない。

 

 そう決めて二年近く経った。

 

 でも先日、二回目の答えでも壁は開かなかった。

 三月八日まで、あと二十九日。

 

 もし自分の見たものが、壁の構造に関係しているなら。

 

 根拠がないことと、伝えなくていいことは、同じなのか。

 

 ハルは九杯目の珈琲に手を伸ばして、止めた。

 

 三月八日の前には、みんなに話そうと思った。

 

★★★

 

――――――――――――

LC-405-Y/arieSta

2048.03.06-Fri 23:10

Location : 豊島区 東京都

MoonAge : 21.6

Sectors : 2/88 fired

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 三月八日の二日前。

 

 ロクマルの屋上に四人が揃った。

 

 セッションではない。機器も持ってきていない。ただ、空の下に集まった。

 

 ハルは缶コーヒーを一本だけ持っていた。開けていない。

 

「話すよ」

 

 北の空を見たまま言った。

 

「二〇四六年の五月。りゅう座の照射の少し前に、五日間連絡取れなくなっただろ」

 

「うん。覚えてる。珈琲を淹れられなくてダイチと困った記憶がある」

 

「え!?」

 

「あ、ごめん。続けて」

 

「あの時、話さなかったことがある」

 

 ユキはあの時のことを思い出した。

 

 ――ハルが話す時が来たら話す。

 

 そう決めて、ずっと待っていた。

 

「あの頃、壁の表面も肉眼で観察し続けてた。ある夜、一瞬だけ線が見えた。縫い目。継ぎ目。壁の表面に走る、細い線みたいなもの」

 

「見えたのか」とダイチが繰り返した。

 

「俺の右目だけに。一秒もなかった。それ以来、頭痛と視覚異常が出た」

 

 沈黙。

 

「今、症状はどうですか」とタキ。

 

「完全には消えてない。右目の外側がちらつく。夜空を見ると特にひどい。珈琲を飲むと、少し気にならなくなる」

 

 だから増えたんだ、とユキは思った。

 

 ダイチとタキは、たぶんもう知っていた。数字として。

 

「なんで今まで言わなかったの」

 

「根拠がなかったから」

 

「根拠か」

 

「あの縫い目が見えたのは俺だけだ。計測データはない」

 

「でも今言ったよ」

 

「二回、壁が開かなかったから。黙ってる方が正しいのか、自信がなくなった」

 

 ユキは少しだけ息を吐いた。

 

「根拠がなくても、ハルの目が見たのは事実でしょ」

 

「それを科学の事実とは呼べない」

 

「うちらは学会じゃない。チームだから」

 

 ダイチが口を開いた。

 

「自分も、話してもらった方がいいと思う。嘘をつく人間じゃないことは、二年間のログで証明できる」

 

「そこを根拠の数字にするんだ?」

 

「信頼するには十分だ」

 

 タキが小さく笑った。

 

「ダイチさんらしいですね」

 

 ハルも少し笑った。

 

「開く時は」とハルが言った。

 

「シミュレーション上は、たぶん速い。最初の光が通ったら、構造の崩壊が連鎖して、数分で区域全体まで走る可能性が高い」

 

「ああ。数分だ」

 

「私の結論も同じです」

 

「うちもなんとなくそんな感じする」

 

「だから、俺はその瞬間を見逃したくない」

 

「全員同じ意見って危ないって聞くよ!? まあでも、うちらは明日、男鹿に行く! 開いても開かなくてもね」

 

「知ってた」

 

「行く」

 

「押さえました」

 

「うん! 四人で見るよ」

 

 ハルが頷いた。

 

「根拠は?」とユキ。

 

 ハルが小さく笑った。

 

「なんとなく」

 

 ユキも笑った。

 

 二日後じゃない。

 

 もう明日の夜から、待つ。

 

★★★

 

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LC-407-Y/arieSta

2048.03.07-Sat 14:30

Location : 秋田県 男鹿半島

MoonAge : 22.2

Sectors : 2/88 fired

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 三回目だけは、四人とも予定を空けた。

 

 通常業務は休み。

 

 必要な連絡と観測作業だけ、男鹿からリモートでやる。民宿は最初から三泊で取った。

 

「休みを取ったはずなんですけどね」

 

 座敷の壁際では、ハクが充電中だった。小さなランプだけが静かに灯っている。中央にある座卓には、それぞれのデバイスが並んでいた。

 

 タキの機構端末。

 ダイチの観測端末。

 ハルの星図とタブレット。

 ユキのスマホ。

 

 おばちゃんが延長コードを置いた。

 

「仕事を休んで仕事してるのかい?」

 

「星の方だけです」

 

「それを仕事って言うんじゃないの」

 

「今、うちもそう思いました」

 

 オンライン会議画面の向こうの三鷹は、もっとひどかった。

 

 観測室だけでは足りず、隣の会議室まで開いている。白いジャンパー。私服の研究員。紙コップ。コンビニの袋。誰かがケーブルを抱えて画面の後ろを横切った。

 

「……人、多くない?」

 

『中だけではありません』と村上。

 

『屋外広場は入場を止めました。フェンスの外に百人以上います』

 

「え!? 百人?」

 

『二月に三脚を持っていた若い方、覚えていますか』

 

「確か……。『見えなかったのも記録ですか』って聞いた人かな?」

 

『ええ。天文配信ではかなり知られている方だったようです。星野さんの「次は自信ある」という言葉と、三月八日午前三時十五分という時刻が投稿されて、広がりました』

 

 三人がユキを見た。

 

「……うち?」

 

『見学者は構内の上限を決めています。フェンス外には臨時の誘導線を出しました。警備も増員しています』

 

「ごめんなさい」

 

『謝る必要はありません。責任があるということは、判断できるということです』

 

『あと、観測班には、帰って構わないとは伝えました』

 

「帰らなかったんですね」

 

『ええ。私も含めて』

 

 タキが少しだけ笑った。

 

「観測データは、自動記録と三鷹へのリアルタイム送信を設定済みです」

 

「さすがタキ。じゃ、みんなで一緒に夜空を見れるね!」

 

「そのつもりです」

 

 別の小窓では、輝北(きほく)天球館(てんきゅうかん)の中園(なかぞの)が六十五センチ望遠鏡の指向を北の方角へ調整していた。

 

『輝北も、今夜は北極星に向けます。入ったら、こちらでも独立に測ります』

 

 O.L.A.F.(オーラフ)の接続表示は三十を超えていた。

 

 北欧チームは今回、三鷹には来なかった。

 

 日本の午前三時十五分は、あちらではまだ前日の夜。自分たちの空から同じ瞬間を見る、と共有欄に書いてある。

 

「その方がいいじゃん」とユキ。

 

「せっかくなら、自分たちの空で見たいよね」

 

「そうだね」とハル。

 

「自分たちの空で見たいのもわかる。でも、場所はどこでもいいから、その瞬間を見届けたいって気持ちも同じくらいわかる」

 

 南半球のチームはポラリスそのものを見られない。

 東南アジアの観測点では低い。

 北米の多くはまだ日中帯だ。

 

 それぞれ条件が違う。

 それでも、ログインしたまま誰も抜けなかった。

 

「みんな暇なの?」

 

 ハルが笑った。

 

「たぶん、暇にし(・)た(・)んだよ」

 

 NASAもJAXAも、公式には接続していない。機構へ問い合わせは来ている。でも最初の一つが開くまでは、組織として動く材料がない。

 

 関心のある研究者が公開ログを見ている程度だった。

 

 世界の大半は、まだこの夜を待っていない。

 二十年近く、空は何も答えなかった。

 期待し続けるには、長すぎた。

 

 それでも今、待っている人たちは世界中にいた。

 

 夕方、四人は画面を閉じた。機構との回線だけ残す。

 

 晩ごはんは刺身と稲庭(いなにわ)うどんだった。

 

「星って、何時に出るの?」とおばちゃん。

 

 ユキは時計を見た。

 

「午前三時十五分です」

 

「じゃあ今日は寝ないのかい」

 

「はい!」

 

「若いねえ」

 

 午後十一時。

 

 ハルが珈琲を淹れようとして、やめた。

 

「飲まないの?」

 

「やっぱり今夜は、眠くなってから考える」

 

 あと四時間。

 

 二年を待った最後の四時間だけが、急に短かった。

 

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