――――――――――――
LC-064-Y/arieSta
2045.11.10-Fri
Location : 三鷹市 東京都
MoonAge : 1.7
――――――――――――
翌朝、珈琲メーカーの電源を入れようとして、ハルからのメッセージに気づいた。
ハル: 田中さんから連絡あった。上と話したいって
ユキ: はや
ハル: こぐま座
ユキ: だよね。いつ?
ハル: 今日の午後。三鷹で
三鷹の機構施設内に入るのは初めてだった。
正門で身分証を出して、担当者に案内されて、会議室に通された。テーブルを挟んで向こう側に田中と、もう一人、白髪の混じった五十代くらいの女性が座っていた。
「機構で部長をしています、村上です」と女性は言った。
「昨夜の新月セッション、拝見しました。十九個というのは民間では過去最高の成果です」
「ありがとうございます」とユキは言った。
「率直に話しましょう。こぐま座
「条件次第ですね」
「条件というのは昨夜おっしゃっていたこと?」
「そうです。データの双方向共有、クリスタルの所有権、共同石版のアクセス権。この三点」
村上は少し間を置いた。
「所有権は難しい。機構の管理下に置く必要がある」
「管理はしていいですよ。でも使用についての決定権はアリエスタに残してください。機構がこぐま座の石版に使う時は事前に共有して、アリエスタも立ち会えるように」
「それは……」
「村上さん、昨夜の照射、見ましたか」
村上が少し表情を変えた。
「ええ」
「うちも見ました。綺麗でしたよ。でもあれ、空いてたのは
沈黙。
「足りない星がある。届くかわからない。でもやってみた。そういう照射でしたよね。うちらはそれを否定したいわけじゃないです。試行錯誤しながら前に進んでいくのは、機構もアリエスタも同じだと思ってる。だから協力したい。でも対等に」
ダイチが隣でタブレットを操作して、テーブルの中央に向けた。
「これ、全部共有します。
村上が画面を見た。
田中も見た。
ハルが静かに付け加えた。
「機構が持っていない恒星対応のクリスタルが、リストの中に七個あります。こぐま座だけじゃなく、他の星座区域の分も含めて」
「……七個」と田中が繰り返した。
「そうです。うちらのデータ、悪くないでしょう」
長い沈黙があった。
村上が小さく息を吐いて、テーブルに両手を置いた。
「わかりました。条件を受け入れます。ただし段階的に。まずこぐま座の完成を最優先として、共同作業の実績を積んでから、他の星座区域に広げていく」
「それで十分です」
「一つだけ聞いていいですか」と村上が言った。
「どうしてそこまでするんですか。民間のままでいれば自由に動けるのに、機構と組む理由は」
ユキは少し考えてから答えた。
「一人でできることに限界があるから」
「それだけ?」
「あと、早い方がいいから」
村上が首を傾げた。
「星を取り戻すのって、どうせ時間がかかる。照射してから二年待って、また次の星座やって、また二年待って。気の長い話じゃないですか。だったら機構とアリエスタが別々にちんたらやってる場合じゃないなって」
村上は少し笑った。
初めて目に表情が出た笑いだった。
「若いですね」
「そうですよ。星、見たことないんで」
施設を出た時、空は夕暮れに変わり始めていた。胸の中も、少しだけ明るくなった気がした。
西の空がオレンジに染まって、その色が少しずつ紺に変わっていく。そして完全に暗くなる前、薄明かりの残る南西の空に、一つだけ明るい光点が現れた。
「金星だ」とハルが言った。
三人で立ち止まって、空を見た。
金星は白く、強く光っていた。
惑星は瞬かない。星みたいにチカチカしない。どっしりと、揺れない光。なかでも金星が、暗くなり始めた空でぐっと構えていた。
その周りは、真っ暗だった。
かつてはここにおとめ座があったはずだ。スピカという青白い一等星が金星の近くで輝いていたはずだ。航海士たちが金星とスピカを結んで「春の夜空の道標」と呼んでいたはずだ。
「おとめ座は今、太陽の向こう側にいるんだよ」とハルが静かに言った。
「地球が太陽の周りを回ってるから、季節によって夜空に見える方角が変わる。夏はさそり座が見えて、冬はオリオン座が見える。……見えてた、って事だけど」
「じゃあ開放しても、季節が合わないと見えないってこと?」とユキが聞いた。
「そういうことだ。でも、こぐま座は北天の周極星座だから、日本からなら年中見える。最初に狙うなら、やっぱりこぐま座だ」
「じゃあ撃つ時も、その星座が出てないとダメなんだ」
「正確には、その方向が地平線より上にないと撃てない。弓で的を射るのと同じで、地球の裏側には撃てないから」
「でもさ、光が壁に届くの、一年後でしょ。届く頃には壁も動いてるよね。弓だったら、動く的の先を狙って撃つじゃん。ずれない?」
「計算するのは、一年後の壁の位置だ」
「でも、太陽系ごと銀河を動いてるんでしょ?」
「壁も、その動きを一緒にしてるように見える」
「ように?」
「世界各地の観測所や宇宙望遠鏡で調べても、どの方向にも、ほぼ一光年先に同じ境界がある。何年観測しても、太陽系からの距離はほとんど変わってない」
ハルは画面上の球殻を回した。
「銀河の中に置き去りなら、太陽系が動くにつれて、壁の中心からずれていくはずだ。でも、そうなってない」
「じゃあ、壁が太陽系についてきてる?」
「観測結果からは、そう見える。仕組みまでは分からないけどな。仮説だけど、オールトの雲付近で、太陽系との相対位置を保つように造られてるんだと思う」
ハルは壁までの距離を示した。
「地球の公転半径は、一光年の六万分の一ほどだ。壁の区域の広さに比べれば小さい。地球の位置も、壁の移動も、照準には入れる」
「じゃあ、まっすぐ撃てばいいの」
「補正した方向へ、まっすぐ撃てばいい。弓と同じなのは、的に背を向けてたら撃てないってことだけだ」
今、その方角では金星だけが目印だ。
「変な感じだよな。惑星だけ残って星がない空って」
「ダイチが感想言うの珍しいね」
「別に」
「でも変だよね、たしかに。木星も土星もあるのに、星座がない。絵の背景だけあって、キャラが消えてる感じ」
ハルが静かに言う。
「昔の船乗りは金星だけじゃなくて、周りの星座と合わせて位置を測ってた。金星がどの星座の近くにいるかで、季節と場所がわかった。今は金星だけじゃ、半分しか読めない」
半分だけの地図。三人が見ている空は、まだ半分だ。
しばらく金星を見ていた。
指先が冷えてきた。暗黒星雲の向こうで、おとめ座のスピカは今も青白く燃えているはずだ。電波望遠鏡はその存在を確認し続けている。見えないだけで、ある。
「村上さん、ちゃんと動いてくれるかな」
「動くと思う。あの人、元々は本気で星を取り戻したくて機構に入った人だ。官僚的になってたのは、手がかりがなかったから。俺たちのデータは、久しぶりに火をつけたんじゃないか」
「だといいけど」
「ユキが火をつけたんだよ」とダイチが言った。小さく顎を引く。
また珍しいことを言う、とユキは思った。
「星があった時代の方が、惑星の見え方って賑やかだったんだろうな」とユキは言った。
「周りに星座があって、惑星がその中を動いてて。木星がふたご座に入ってるとか、土星がおとめ座の近くにいるとか。今はその光がない。惑星だけがある」とハルが補足する。
「位置の基準がない。星座がないと、惑星がどこにいるか説明しにくい。天文学的な座標はあるけど、見た目の文脈がない」とダイチが言った。
「文脈か」とハルが繰り返す。
「うまいこと言うね、ダイチ」
ダイチは何も言わなかった。でも視線を木星に向けたまま、少しだけ、表情が緩んだ気がした。
「帰ろうか」とユキは言った。
金星を背にして、三人は歩き出した。