カインとアベル。   作:カズあっと

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4話 肩透かし。

 

 北門の長いトンネルを抜けると戦場だった。夕の空が白く瞬いている。核兵器が大地を薙ぎ払い、赤く染まった荒野となっていた。

 遥か先ではアベルの群れを追いかけながら核爆発を起こす、ホームセンターの制服が見える。

 

「……ぐっ、くぅ」

 

 赤き大地の只中で、佇む一人の老婆の背中。膝をつき、四つん這いになっている。吐く息が荒い。

 

「婆ぁ!」

「お婆様!」

 

 思わず駆け出したカインと、その肩に乗ったままのマグダレナ。街からは北北東の位置。その地平の真ん中にいたのは大家であった。

 

 放射線計がギュインギュインと鳴っている。核の行使によるものだ。とてもうるさい。

 

「しっかりしろ、婆あ!」

 

 叫ぶカイン。だが無情にも、大家は力無く突っ伏せた。赤い大地に老婆が斃れ、痩せた背中を晒した。

 

「ちっ……」

 

 カインが胸元を弄ると、手には青き小瓶。

 

「ちげぇ!」

 

 一瞬で消失し、次に手に持つのは手榴弾。

 拳銃、ピザケース、エール瓶。カインは手に持ったそれらを罵りながら大家の元へと辿り着く。

 

「あった!」

「カイン! お婆様を仰向けで支えてあげて!」

 

 同時に紫色の小瓶を手にし、痩せた老婆の身体を抱きあげようとする。その瞬間——。

 

「ぐぅぉぉぉぉぉ!」

 

 地獄の底から響くような、不穏な叫びがあがった。断末魔を思わせる絶叫は、大家の口から漏れている。

 息は、まだあった。

 

「婆あ、傷は浅いぞ! しっかりしろ!」

 

 カインは無理矢理に、蓋を開けた小瓶を大家の口へと突っ込む。この小瓶の中身は霊薬。傷を癒し命を繋ぐ、カインの切り札。

 

「死ぬんじゃねぇ!」

 

 そう、まだ生きている。嚥下してゆく喉元。

 この霊薬は死者さえ蘇らせるという、極め付けのものだ。

 ツンとした、それでいて粘っこくも激しい異臭が周囲に漂う。

 

「おふっ」

 

 実際は、そんな都合の良い代物なんてない。そんな事はカインもよく知っている。

 だから誇大広告で、瀕死の生命を繋ぎ止める程度の効果でしかないものだ。

 それでもまだ息があるならば、黄泉返らせる権能があった。

 

「がんばれ! がんばれ! お婆様!」

 

 必死に叫ぶマグダレナ。

 そういやこいつ、婆あには結構懐いてんだよな。大家に霊薬を飲ませながら、カインは思った。

 

「ぐっ……」

 

 あまりのマズさに死者さえもが文句を言いに還ってくるという謳い文句の霊薬だ。

 その広告は誇大でなく、確かな物だった。

 

 大家の息はまだ荒くともしっかりとしていて、その肉体は紫色に発光している。

 それは霊薬の効果による正しい現象であった。

 

「年寄りが、世話焼かせんじゃねーよ」

 

 少しだけ優しい顔付きとなったカインが呟く。

 もう心配ない。間に合った。そんな気分に、彼女の唇は綻んだ。

 

 大家がクワリと瞳を見開く。

 

 ——あ?

 

 顎へ、強烈な一撃。

 空に舞い上がったカインの思考は言葉にならない。ただ夕日の色をゆっくりと見ている。

 空中で静止した身体。重力に従い落下が始まった。

 

 何が起こったのかわからない。わからないながらもカインの思考は脅威を探す。何も見当たらない。

 いや、いた。

 

 地上を見下ろせば、立ち上がった老婆がいる。

 視線が交わされた.

 

「おえ、ゲロまずぅ……」

 

 紫色に輝き、猛る大家が口元を拭う。

 

「人がギックリ腰で苦しんでるっていうのに、なんてモン飲ましてくれるんだい、この糞餓鬼がぁっ!」

 

 とてもピンピンとしている。

 

 ——んーだよ、紛らわしい婆さんだな。心配して損したぜ。

 

 そんな事を考えながら。

 響き渡る轟音と共に、カインは大地と幸せなキスをした。

 

 

 

 

「さぁ、とうとう今日から開幕となりますナショナルバスケットボールリーグ、初戦は前シーズンの覇者、『レイダース』と、悔しくもシーズン最下位に沈んだ『ワイルドハニー・ローカスツ』の対戦となります。地元チームある『ローカスツ』の熱狂的ファンで知られるヨハネさん、今シーズンの意気込みや、いかに」

 

 調子の良いレポーターにマイクを差し出されるのは男の娘。天然ブロンドはコーンロウ。七色メッシュがキラキラ光る、とっても綺麗な男の娘。

 

「……おい、誰だ今『最下位のチーム』なんて不吉なジョークを吐いたクソは? データシートを見ろよ。オフの間にうちのフロントが何をしたか知らねえのか?

確かに昨季はガードのローテーションが崩壊してディフェンス・レーティングはボロボロだった。だがな、今年のドラフトで獲得したあのルーキーのリムプロテクト能力と、新体制のストレッチフォーのスペーシングを舐めるなよ」

 

 ドスの効いたヨハネの声が背筋に響いた。とても太くて重厚でありながら、僅かな掠れに煙たさがある。

 圧倒的な包容力と力強さ。顔に似合わぬこの声で、ヨハネはクソ喰らえと四文字すら扱き下ろす。

 だが、バスケには別だった。華奢な男の娘であるヨハネの愛は、バスケットボールへ向けられている。

 

「国家権力は腐っているが、俺たちの戦術理解度はいつだってピカイチだ。初戦の相手のトランジション・オフェンスをどうやってスローダウンさせるか、俺は昨晩から脳内でシミュレーションしすぎて頭がイカれちまいそうなんだよ。いいか、今日の試合では最初のゾーン・プレスを見逃すな。俺たちの反撃は、そこから始まるんだからよ! ローカスツはロースカツじゃねぇ、良い子でケツ穴舐めろや四文字(テトラグラマトン)!」

 

 四文字へ口汚く呪いを吐こうが、許されよう。カインもまた、彼のバスケットボール愛を認めている。

 ローカスツをロースカツなどと呼ぶ不届き者は、爆発すれば良い。

 

「痛てて……。大家の糞ババア、ちっとも容赦がないぜ……」

 

 とはいえ、そうして画面を食い入るように見つめながらも顎が落ち着かないカインであった。

 良いモノを、喰らってしまっている。

 おかげでビザがタダでは喉を通らない。二本のエール瓶で流し込みながらも、まだ三枚しか食べられてはいなかった。

 

「良いじゃないの。お婆様が無事だったんだから」

 

 ヨハネは相変わらず熱弁を振るっているが、チア衣装を着て、足を上げるマグダレナには関係がない。

 白熱して放送禁止用語が飛び出しまくるので、画面はアイドルグループ、マリア・マグダレナのメンバーたちへと移っていた。彼女たちも、チアコスであった。

 

「ふれっ! ふれっ! 男の子っ!」

 

 彼女たちも足を上げてダンスを披露している。高く上げるので、中が丸見えになりそうだった。

 だが、問題はない。アンスコを履いている。

 チア装束の一部であるので、見られても何ら支障がないようになっていた。

 

「頑張れ、頑張れ、元気になぁーれ❤️」

 

 画面上のアイドルたちと一緒になって歌い踊るマグダレナに、カインはやれやれと溜息を吐いた。勿論、マグダレナもアンスコを履いている。なので見られても恥ずか仕草ないらしい。

 カインはパンツ一枚でも恥ずかしくないので、無駄な拘りにしか思えないでいた。

 そうこうしているうちにも、開会式は進んでいく。

 

「——マリア・マグダレナの皆様、華やかなステージをありがとうございました。次は開幕戦を盛り上げる、ヨハネさんによる生歌となります」

 

 画面の中で司会者が告げる。

 

「きた、きた、きたきたきたー!」

 

 そうなれば、画面にかぶりつきとなるのがカインであった。彼女はどんな相手だろうが構わず中指を立てるヨハネの大ファンであるからだ。

 

「クソったれの世界に、中指を突き立てろ!」

 

 ステージに上がったヨハネが叫ぶ。

 

「誰にだって、牙を向けっ!」

 

 カインも画面の前で叫んだ。そして、ヨハネによる生歌が始まった。

 カインもノリノリで声を合わせている。彼女は男の娘ヨハネと共に、クソったれな世界へ向けてバスケットボール愛を叫び続けた。

 

「うるさ……」

 

 マグダレナがめんどくさそうにして、両手で耳を塞ぐ素振りを見せていても。

 

「ヨーっ! ワッツアップ、マザフアッカーズ!? 今夜の俺らは誰にも止められねぇ! 準備はいいか、このクソ野郎ども!」

 

 死霊聖女には音の大きさなんて関係ないし、カインはノリに乗っている。

 腐れ大家はレイダースのサポだ。今夜はここにやって来ない。

 リップにライムを乗せながら、カインはご機嫌に両手でファックサイン。騒ぎたい放題であった。

 

「見てみろよ、このクソイケてる景色をよ! 俺の人生、完全にキックアスだぜ、ハッハッハッ!」

 

 アイドル達がおっさんの隣に座り、ションボリとするマグダレナになんか構ってはいられない。

 明日の朝には婆あの吠え面が見れると思うと、もうそれだけでカインのテンションはぶち上がるのだ。

 ローカスツに敗北はない。ロースカツでもない。

 顎の敵を、忘れてはいなかった。

 

「本当、可愛くないわよね……」

 

 聖女が溜息を吐くが、カインは妹なのである。

 今夜はナショナルバスケットボールリーグ開幕戦。

 彼女達にとっての楽しい夜は、もう始まっていた。

 

 

 

 ガリっと栓を抜き、三本目のエール瓶を傾ければ、流し込まれた炭酸が喉を潤す。

 

「うまくねぇ……」

 

 ローカスツはダブルスコアをつけられて負けた。

 試合開始からのゾーンプレスは簡単に躱されて、ボロボロとなったディフェンスが大量失点を許したのだ。

 後半にはルーキーの活躍で鋭い反撃をみせたものだが、トリプルスコアを免れただけに留まった。

 

「ローカスツ、頑張ったんだけどねー」

「負けたら、意味ねーよ。勝ち点は何よりも重い」

 

 マグダレナも「負けないで!」と応援していたが、聖女であってもバスケの結果は覆せない。

 カインはソファで横になった。

 

「もー、頑張ったんだし褒めてあげなさいよ。贔屓のチームなんだから、一回負けたくらいでふてくされないの!」

 

 目の前でメッとするマグダレナにカインは「あぁ」と頷いて、切り替える。

 

「まぁ、レイダースも流石は前期の王者だよ。が、シーズンはこれからだ。ルーキーが即戦力だってことが収穫だったな」

 

 前向きに。リーグは始まったばかりであり、まだまだ先は長かった。

 

「戦力補強をしたのは、何もローカスツだけじゃないしね。シーズン中に力をつけて、逆転すれば良いじゃない。人は成長するんだから」

 

 マグダレナも前向きだ。ウンウンと頷きながら言っている。

 なのに、カインの目に入るのは食べかけのピザだけだ。三枚目がまだ残っている。もう冷めてしまったピザへ、手を伸ばす気にもなれない。

 

 首を捻れば画面はまだ、試合後の会場の様子を映していた。

 敗戦にブチ切れたヨハネは帰ってしまったが、勝利者インタビューを受けるレイダースの選手たちの姿が目に入る。

 その中心にいるのは、本試合におけるMVPとなったレイダースのルーキー。

 

「ええ。序盤におけるローカスツのゾーンプレス、想定内の動きでしたので、なんとか掻い潜れました。その間に大きく点差をつけられたので勝てましたが、コンディション一つで覆る差でしかありません。皆さんも見たでしょう? ロースカツの反撃」

 

 ロースカツじゃねぇ。殺すぞ。そう思ったカインはリモコンを探す。チャンネルを変えるか、消すつもりでいるからだ。

 

「マグダレナ、リモコンは?」

「知らないわよ。カインが持ってたじゃない」

 

 カインには、今どうしてもリモコンが必要だった。

 丁寧に、驕りなく語るレイダースのルーキーは、よく知った顔をしている。

 

「とはいえ、シーズンはまだ始まったばかりです。私どもは選手の皆様が怪我なく試合に挑まれることをお祈りしながら楽しむしかありませんね」

「ありがとうございます。皆様のご期待に応えられるよう、努力を続けていきます」

 

 レポーターが爽やかに笑う男へと、マイクを向けていた。見飽きた青年へ向けて。

 

「それでは、本日の勝利とシーズンへの誓いを、ファンの皆様への一言をお願いします。レイダース、今年の大型ルーキー『アベル』さん」

 

 マイクを受け取ったアベルは——。

 

「カインっ! 見ているかっ!? お兄ちゃん、勝ったぞ! ラビュー、ジュテーム、アモレ、アモーレ」

 

 カインはエール便を投げつけて、妄言を吐き出す兄のアップが映る画面を叩き割った。

 

 

 

「なぁ」

 

 ややあった沈黙の後、パチパチと火花を散らす液晶画面からは目を背け、カインは問い掛ける。マグダレナへ向けてであった。

 

「今日ので、この辺りのアベルは大体殺し尽くしたよな」

「そうね」

 

 液晶は壊れたが、スピーカーは健在だ。アベルの声はまだ、とめどない妄言を吐いていた。

 

「愛してるよ、カイン。さぁ、僕の胸へっ!」

 

 聞こえない。カインとマグダレナには、そんなものは聞こえない。そう思い込むしかできないでいる。

 

「……オレら、いなくてもよかったんじゃねーか?」

「そうね」

 

 カインは立ち上がると、スピーカーから繋がる線を引っこ抜く。アベルの妄言が、やっと物理的にも聴こえなくなった。

 

「ここ、みんな逞しいしな」

「……」

 

 マグダレナは返さない。返さないながらも液晶にトドメを刺して、動作を完全に沈黙させる。

 

「もう、寝ましょ」

 

 聖女はソファに戻ると、ポンポンと叩いた。

 

「ああ、そうすっか」

 

 カインは死霊に誘われ、ソファに倒れこむ。

 酒が回っているかのように、頭はぐるぐると回っていた。

 

 

 

 寝静まったノドの街の夜。その町外れ。

 曇天の空は、度重なる核爆発により舞い上がった粉塵により重い帳を下ろしていた。

 月光も、星明かりも灯火の消えた街には届かない。

 

 昼間のアベル出現により、炸裂した核兵器の影響を憂えた人々は大人しく寝ていた。

 そうでなくとも、ナショナルバスケットボールリーグの開幕日である。

 応援に疲れた人々は、夢の中へ遊びに出ていた。

 

 そんな、静まり返った街。

 人通りのない街道。

 その真ん中には、マンホールの蓋がある。道の下にはこの街の下水道が走っていた。

 

 ズリ、ズリ、ズリ。

 

 異音は誰の耳にも届かない。

 

 ズッ、ゴッ、ゴッ。

 

 重い音が軋む。鋼鉄のマンホールが浮き上がる。

 下から。

 その闇の中からは、爛々とした光が浮き上がる。

 それを誰も、見ることはない。空に舞う灰塵は、曇天さえも覆い隠していた。

 また、別の場所では——。

 

 いくつかあるノドのゴミ集積場。その一つは主に家庭ゴミが行き着く先となる。

 その一箇所に集められたゴミ山の中で、ガソゴソと何かが蠢く音がする。

 ゴミ山の中から、突き出されたもの。

 手で、指がある。肌色をしていた。

 ただそれすらも、誰も見ることはなく——。

 

 昼間は賑やかなホームセンターも、夜間は静かなものである、はずであった。

 緑の常夜灯の下に、影が伸びている。

 

 ガサゴソ、ベチャクシャ、ガツガツ。

 

 なのに、音がする。騒がしくなく、されど無遠慮な咀嚼音。棚も扉もさしたる音を立てることなく外れていった。

 誰も、気付かない。警報器は潰されていた。

 夜の中、何かが蠢いている。

 

 それは、普段とは異なり人通りの途絶えた街の中央通り、住宅街の只中であっても——。

 

 ミシリ、ミシリ。

 

 音が鳴る。

 それは硬く敷き詰められて、大地とも等しくなったアスファルト。

 強化され、核爆発の直撃に耐えるアスファルトの道が、割れていく。

 

 大地の中から、何かが生まれようとしていた。

 

 ミシリ、ミシリ。

 

 音が鳴る。

 それは段々と大きくなって——。

 盛り上がる。大地を食い破るようにして。

 やがて、弾けた。

 

 そこに立つは影。

 成人男性の平均を、優に超える巨体が立っている。

 影は僅かに戦慄いて、バラバラとアスファルトの欠片が地へ堕ちた。

 

 巨大な影は遠い月明かりに僅かに照らされて、伸びている。

 影は見果てぬものを追うように、空を仰いだ。

 

 異常。

 明らかな異常。

 だが、誰も目にしない、

 誰一人として耳にもしない。

 たった一人すら、気付かないでいた。

 

 ノドの街の人々は今夜、夢の中にいる——。

 

 

 

 




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