ノドの街に朝が来る。
年寄りたちの朝は早い。
当然、朝食の時間も早かった。
「婆さんや、マンデー・ナイトメア・ソースを取っておくれや。社畜の朝には、必須の味だからのぅ」
頭は禿げ上がり、長い白髭を蓄えた爺様が連れ合いに頼み込む。
亭主関白で膝に矢を受けた老人は面倒がってソースの一つも取りには行かない。よくある日常の光景だった。
「はい、爺様。どうぞ」
「おう、あんがとよ」
そう言ったのは長年の連れ合いである老婆の嗄れ声ではない。若い、男のものだった。
手渡されたマンデー・ナイトメア・ソースを目玉焼きに掛けると、鼻の奥にツンと来る刺激臭がする。
目玉焼きも赤、紫、トドメ色に彩れ、大変にマズそうな色合いとなっていた。
「くぅ。この刺激、きくぅ。ないと週が始まった気がしないぜ」
「そうじゃろ、そうじゃろ。これが、我等シャチクマシーンのガソリンよぉ」
若々しい声と老人が笑い合う。安息日明けの、しかもナショナルバスケットボールリーグ開幕日明けだ。
社会の荒波を乗り切るには、ただの元気ではいられなかった。
「おーい、爺さんや、お茶沸いたから取りに来ておくれやー」
「ほいよー。……いたたっ」
婆さんに声をかけられ、爺さんも立ち上がろうとしたがそれは叶わない。何せ、膝に矢を受けている。
「ならば、僕が行きますよ」
老人と食卓を囲んでいた若い男が立ち上がる。デカイ。プロのバスケットボール選手くらいはあった。
「すまんのぉ、膝に矢を受けてしまってな」
「はははっ、無理をしないでくださいお爺さん。何のために、僕がいると思っているのですか」
男は軽快に笑い、お婆さんの元へ向かった。
「あらあら、すまないねぇ。世話になって、ありがたいことだよ、アベルさん」
茶を受け取ったのはアベル。お盆に乗った三つの湯呑みの中ではどれも、茶柱が立っていた。
「なんの、なんの。孝行の一つもさせてくださいな。今日は茶柱も立ったことだし、良い週初めとなりそうですね」
カラカラと笑ったアベルはお婆さんと共に、食卓へと戻った。
ノドの街はそれなりに大きな都市で、朝から勤め人が行き交う。
列車で、車両で、単車で、自転車で、徒歩で。中には、戦車で通勤する淑女達もいた。
「きゃー、どいてどいて、遅れちゃうー」
ガーリックパンを咥えた若い娘も、戦車を駆る淑女であった。まだ女学生である彼女は遅刻しそうであって、大層慌てている。
少女が洗車したての戦車を駆って進めば——昨日の夜、開幕戦の時間に磨いた戦車である。
彼女はあまり、バスケが好きではなかった。
ガタゴトとキャタビラを鳴らし、角を曲がったその時に——。
グシャリ。
何かを轢いていた。この感触は人のモノ。戦車慣れした彼女は急ぎ、ブレーキペダルを踏んだ。
「いっけなーい! テヘペロ」
戦車のハッチから出てきた乙女はキャタビラに巻き込まれ、大分グシャグシャとなった肉塊を見て、肩を落とした。
「いやーん、アベルじゃない、最悪ぅ」
目に涙を浮かべる少女。そんな彼女へ顔と右腕だけは無事であった。その指でサムズアップをしている。
「す、すまんな。お嬢さん」
キャタビラに巻き込まれ、瀕死であるのはアベルであった。その息は荒い。瀕死であるからだ。
「このままでは遅刻してしまう。さぁ、お嬢さん。俺に構わす、先へ行け」
アベルは消えそうな目の光のまま、優しく微笑む。遅刻はいけない事であり、そういった気遣いの出来る男であった。
「さっすがアベルぅ、話がわかるぅー。ありがとね」
女学生がハッチを開けて、戦車の中へ戻ればやがて再び戦車も走り出す。
アベルは挽肉となった。
「アベル、アタイ、アンタのこと忘れないよ。どうせ遅刻だし。サヨナラ、アベル」
女学生は溢れる涙を飲み込んで、通学路を進んだ。
曲がり角でぶつかり、いっけなーい、テヘペロからの恋の始まりはない。
「アベルみっけ。ファイア」
少女は道路を歩いていたアベルを見つけると、ごく自然に砲撃している。
周りにいるのは大人であるので問題もなかった。
戦車に轢かれたり、戦車砲程度で吹き飛んだりする軟弱な大人は、ノドにはいない。
立て続けに、砲撃が繰り返される。
「いえーい、ターキー!」
取り敢えずアベルを三十匹仕留め、歓声をあげる少女。
アベルは確かにイケメンであるが、変わりはいくらでもいるのだから、割と自然な話であった。
「お、アベル君じゃないか出勤かい?」
「ハッハッハ。君こそアベル君じやないか。僕は就活中でね、今日からだからさ。君はお留守番かい?」
当然、アベル同士が行き交うことも珍しい話ではなかった。ビジネススーツを纏ったアベルと、フリフリエプロンを裸に着けたアベル達が語り合う。
井戸端であった。まさに井戸端会議である。
「いやー、それにしてもノドは平和で飯屋も多いし、働き甲斐があって良い街だな」
スーツ姿は爽やかに目を細めていた。街の店舗などはこの時間帯に開く。就活は昼からなので、スーツアベルにもまだ余裕があった。
「そうたね。僕たちみたいな異邦人をこうやって受け入れてくれるなんて、なんて人柄も良いんだろう。それに、この街にはさ……」
エプロンも二人、爽やかに笑い合う。
二人の前を通り掛かった親子連れなどは、「見てはいけません!」などと言い目を逸らした。
マッチョマンの裸エプロンなど、教育に悪いだけである。アベルは背が高い。下半身だけは塀に隠れていることだけが、一般人には慰めであった。
「うふふ、確かにこの街にはさ」
男二人が笑いあう。
パァン。
音が鳴る。二人は手のひらを打ち合って、手を握り合っていた。
「なんてったって、カインがいるからねっ!」
二人は腰をカクカクと振って、笑い合う。道行く誰もが目を逸らし、通りを駆けてゆく。
二人のアベルは勃起していた。
ノドの街中にアベルが、沸いて出て来ている。
日はもう随分と高くなっていた。
集合住宅の窓ガラスから、差し込む陽射し。それを受け、キラキラと煌めくは金の髪。
「……んっ、……すぅ……」
色白で、小柄な少女がソファの上で眠っていた。その枕元にはジッピザのケースが置かれたままだ。
空になったエール版も二本置いてあり、少女は安らかな寝息を立てている。
もう昼なのに。
仰向けに眠る肢体には、黒のタンクトップがよく映えた。その黒は、大きな盛り上がりを見せている。
胸だ。デカイ。
細身の身体にこんな凶悪なモノをお餅の、もといお待ちの美少女など、ノドにはそういない。
寝息を吐き出す度に、そのお胸は重力に抗い形よく、大きく揺れていた。カインであった。
彼女の枕元にはもう一つ、物品が置かれている。
その箱から漏れる声は。
「えー、続きましてはお昼の臨時ニュースです。只今、ノド市内にてアベル警報が発令されました。市内部にて、アベル警報が発令されております」
ニュースを流す、ラジオであった。トランジスタラジオというものであり、カインはトランジスタグラマーである。
だがそれは、彼女の睡眠とは何も関係していない。
「アベル警報が発令されております。ノド市民には速やかな駆除を推奨しております。アベルの特徴は、デカイ、マッチョ、イケメンでありますので、ご注意ください」
ラジオから流れ出たニュースはアベル警報であった。
「アベルらしき者を見掛けたら、生命大事に速やかな駆除をお願いいたします。アベルは同じ顔をしておりますので、お間違えなく。もし、間違えられてしまった男性はご愁傷様ですが、コラテラルダメージです」
垂れ流しになるニュースに、カインは眠りながらも眉を顰める。悪い夢を見ているようだった。
「アベルは割と簡単に死にますので、ちょっとした運動不足の解消にでもお役立てください。くれぐれも、子供さんなどに、いっぱいいるんだから、アベルの一匹くらい飼ってもいいよね、などと言わせてはなりません。繰り返します。本日も、アベル警報が発令されております——」
耳元で繰り返されるアベル。その後に、カインの眉間の皺は益々深まった。そして——。
ガシャン。
「だーっ! うっるっせぇ!」
クワリと蒼い瞳を見開いて、振り上げた拳はラジオを叩き潰した。ガバリと起き上がるカイン。その胸部は豊満に揺れている。
「いてて、なんだよ。ラジオか……んっ」
ビービー、ガーガーといったノイズを走らせるラジオを見て、伸びをする。その唇からは、少しだけ艶っぽい吐息が漏れていた。
「つい、やっちまったか」
カインの白い指先に、僅かな血が滲む。ラジオを叩き壊した際に、浅く切れてしまったのだろう。
そっと、自らの指先を口に含んだ。
「……ん、ベロ、レロ、ふ……、チュバ」
唇を離せば、唾液が糸を引き、指先もテラテラと濡れている。傷口へ唾液を絡めたので、当然であった。
消毒であるのだから仕方がない。
指先を舐めれば、治療は完了だ。
「薬も、買っておかねーとな……」
カインは立ち上がり、ラジオだったモノをゴミ袋に放り込んだ。
大家はゴミの分別にうるさくて、カインもそれなりに旅をしている。
郷に入っては郷に従え。
カインにもそんな諺を守る程度の分別があった。
「おーい、マグダレナ」
カインが呼ぶものの、返事はない。ただの死霊のようである。虚しく響いた自分の声に苦笑して、カインはリモコンを探した。
「あ」
だがその前に、壊れた液晶を見てしまう。もう一度彼女はゴミ袋を取り出すと、その放送受信機器だった物体を詰め込んだ。
カインが冷めて硬くなったピザを頬張っていると、ぷよぷよと浮きながら、マグダレナが帰って来ているのが窓から見えた。
「しっかしマグダレナのヤツ、婆さん好きだよな。あれか? ババアコンプレックスとかいうヤツか?」
カインが昼前に起きるので、退屈したマグダレナが退屈凌ぎに大家の元へ通うのも、ノドに来てからの習慣になっている。
最初は大変焦りを覚えたカインだが、今ではすっかり慣れていた。口の中にピザを入れたまま、独り言をするくらいには。
「あら、寝坊助さん。おそよう」
窓から入ってきたマグダレナからの挨拶を受け取って、カインはモンスターなんちゃらとかいうエナジードリンクで、ピザを胃袋に流し込んだ。
「おう、おはよう。また大家のところか?」
「……それ」
何気なく尋ねてみれば、死霊聖女は指を差す。
ゴミ袋に入れられた、ラジオと液晶に向けて。
「テヘペロ。ちよっと、やっちまったよ」
道具を大切にしないと、マグダレナは怖い。死霊なんだから怖くてなんぼだが、ほぼオカンな怖さであった。だからこそ、カインにとってはバツも悪くなる。
「……じゃ、ないわ。何してんのよ」
聖女様はお冠なようでいて、頬を膨らませていた。カインはその頬っぺたを指で突く。先程の唾液は乾いており、一応は顔を洗ったついでに洗ってもいる。
「いや、夢見も悪くてな。よりによって、兄貴が夢に出てきやがんの。オエッ」
言い訳じみて答えれば、マグダレナは盛大な溜息をを吐き出した。お手上げのポーズで、首を左右にも振っている。
「本当、カインはお気楽よねー」
「いや、お前に言われたくねーんだけど」
これほどまでに陽気で元気な死霊少女に言われると、自分のガサツさを身に摘まされた。
言動は荒っぽいところもあるがカインも実は結構な乙女であって、
「よく言うわ。外、見てみなさいな。どーせラジオを壊したせいで、放送も聞いてないんでしょうし」
何言ってんだ、コイツ。と思ったカインだが、背中に回ったマグダレナにグイグイと推されている。
面倒ながらも窓から外を眺めれば——。
「……あんにゃろ」
如意槍を収納解除し、窓ガラスを叩き割り——。
「カインっ! 服っ!」
かけたところで、マグダレナに止められた。
カインの姿は白いパンティと黒のタンクトップのみである。そんな姿で、外に出る訳にはいかない。
彼女は息を大きく吸って、大きく吐き出す。
「おう、ちっと出掛ける準備をするぜ」
危ないところであった。部屋は大家のものである。窓ガラスなど割ってしまえば、折檻が待つのは当然の未来であった。
カインは靴下と、ジーンズを身につける。
靴下は黒。デニム地のジーンズはインディゴブルー。
袖を通すは洗いたての赤いシャツ。先日見つけたお気に入り。
「はいどうぞ」
マグダレナが手にしたモノは、赤いキャップにサングラス。
赤い帽子を被り、サングラスも掛けた。
「さんきゅ。ついでに元栓とかも見といてくれな」
「おっけー」
槍を手に下げたまま、玄関へと向かったカインは靴を履く。その色もまた、黒だった。
磨き抜かれた編み上げブーツ。
紐をキュッと締めれば、足によく馴染む。いつもの靴で、いつもの足元だ。
何をするにせよ、足元は大事なものだった。
「うっし、行くぜ。マグダレナ」
「よくってよ、カイン」
立ち上がったカインの肩には翡翠色。
小さく綺麗な少女の像。神秘的に輝いて、ちょこんと座るは死霊聖女のマグダレナ。
「「行って来ます」」
二人の声が重なった。ドアを閉め、鍵を掛けたらボケットへ。戸締りは充分に。
「じゃ、殺るぜ」
槍を道路へ向け、ニヤリと笑うカイン。
「うん、殺っちゃおー❤️」
相槌を打つはマグダレナ。小さな淑女の身体は、光の粒子へと変わった。
カインは白く眩いコートを羽織ってる。
それは聖骸布。
聖女の骸から紡がれた、呪いであり祝福であった。
二人は離れない。
厳しい極寒にあっても、過酷な猛暑にあったとしても、片時も離れることのない相棒。
それが、カインとマグダレナ。
「伸びろ、如意槍。——くたばれ、アベル」
意のままに伸びた「如意槍」が、路上にいるアベルの心臓を刺し穿つ。
パツンと破れた感触が返り、ストリートスタイルのアベルが倒れる。その身体は血溜まりに沈んだ。
カインたちの住まいはアパルトメントの三階だ。その廊下、立てられた柵から飛び降りる。
そのまま槍を振るい、ジョギングをしていたアベルの首を刎ねた。血が吹き出して、首が転がってゆく。
「カイン! カインがいたぞー! ラービュー!」
当たり前のように街に溶け込んだアベル達がいる。
「ジュテーム、アモーレ、カモン、カモン、カイン」
槍を振って黙らせる。更なる鮮血が舞って、肉体が弾けた。
「そうれっ! 鏖殺だっ!」
カインは獰猛に笑う。
ノドの街中は、どこを見てもアベル。アベル、アベル、アベルであった。
たからこそ、殺す。
首を貫き、胸を裂き。
血風が吹き荒び、若く逞しい男の身体が肉片へ。
「全員、ぶっ殺しちゃおー❤️。GOGOGO❤️」
マグダレナの声援は、カインの殺る気に油を注ぐ。
二人はプリティでキュートな女の子。
そしてアベルを殺す者。
お読みいただきありがとうございます。