カインは手に持つ聖槍——如意槍を見て、とてもウンザリとしてを吐き出した。
「水よ、流れろ。ついでに浄化」
謎の光が煌めき反射する。
既に棒となってしまった聖槍を洗い流すのは、洗浄、消毒の権能を有する術式。
生活術式と呼ばれる、基礎的な術式であった。
「後で、ちゃんと洗ってやるからな」
槍を見ながら言ってやる。急場や旅先などでは重宝する術式であるが、気分的にはしっかりと洗いたい。
何せ第二の相棒とも呼べる如意槍は、つい今しがたまでアベルの唾液塗れだったのだから。
もう一度、カインは聖骸布へと口付ける。
純白のコートは染み一つなく、一切の汚れがない。
どころが金の髪と白い肌のみならず、彼女の纏う衣服も綺麗なままだった。
黒いタンクトップも赤シャツも、出掛けと変わらず清潔なままでいる。
褪せたインディゴブルーのダメージジーンズは元から汚れて見えるものの、手入れを欠かしたことのない革の編み上げブーツは鈍く輝きを放ってい。
聖女の骸を用いし聖骸布の権能は、平穏。
無垢なる聖女の権能が、カインを守護してくれていた。その祝福は破壊も汚濁も防いだ。
だがそれは、彼女にとって何の慰めにもならない。ただ、目の前には事実のみがあった。
「こうしちゃ、いられねーか……」
もう既に、巨根合体グレート・アベルは勃ったまま絶命している。
裁きの光がアベルの遺骸を焼いていた。その炎が外に漏れることはない。
平穏は一つの滅びと共に、ここに齎された。
「ごめんな、マグダレナ」
首を振り、カインは歩き出す。
耳に捉えた声が、足取りを重くする。
深い闇の底から、幼い慟哭が夜の冷たい風を震わせていた。
ズッ、ズサと砂利となった地面を踏みしめて歩む。
慌ただしい物音と共に行き交うのは、次々と運ばれてゆく担架。
人の乗るものも、人だったモノの乗るものも、丁寧に、だが迅速に運び出されて行った。
悲鳴や呻きをあげる者達は、比較的原型を保っている。彼らは翡翠の光に包まれていた。
シーツを被せられた者達に、それはない。
物言わぬ彼らこそが、聖女の取りこぼした者達。
兄殺しは静かに十字を切っていく。
——ざっと、三十か。半分は間に合わなかったか。
カインは胸の奥で呟いて、ギシリと奥歯を噛み締めた。喧騒の中で、まだ生と死が隣り合っている。
その中でも一際耳に響くのは、幼い少女の祈り。
カインはあしを止めていた。
「だめっ! だべっ! おねがい、目をあけてよ、おじいちゃん……」
涙と鼻水で掠れた、マグダレナの声である。
翡翠の光が溢れ出て、周囲に満ちてゆく。
ある者は光を纏い、またある者は纏わない。
それは現実であり、決して抗えないものだった。
「がん、ばれぇっ、……がんばれぇっ、……っ、げんきに……」
つっかえて、ヒクリと喉を鳴らしたマグダレナが老爺の胸に縋り付く。
その側には無傷の大家が膝をつき、お爺さんの手を握っていた。彼は、大家の旦那さんだった。
「……ははっ、ゴボ、……マギーちゃんは、優しい子じゃのう」
「しゃべんないでよぉ……」
光は、傷だらけのお爺さんには届かない。
「泣くな、泣くな。婆さんや、飴はないかえ?」
唇だけが動く。もう目は開いていなかった。
「さっき、食べたばかりでしょう。アナタ」
大家が手を取ったまま、その手をマグダレナの頭へ乗せた。
「なんじゃい、泣く子にゃ飴が一番じゃのに。おお、温い、温い。儂の孫は優しい子ばかりで、儂らは幸せじゃて。なぁ、婆さん」
二人に孫はいない。
婆さんの腹に子供がいる時にノドが襲われて、その子は流れた。娘さんだったそうである。
それからずっと、二人でいたそうな。ご近所では有名な話であった。
「あの子にも、久しくあっとらんのぉ」
カインは前へ進み出る。誰も、何も言わない。それを良いことに、お爺さんの手を取って。
「何を言うのよ、お父さん。近頃は、ずっと一緒にいるじゃない。ねぇ?」
そんな言葉を告げていた。カインは彼らの過去をほとんど何も知らないが、そうするべきだと思った。
「そうか、そうだったな」
安心したようにして、細く息が抜けてゆく。
「婆さんや。儂は今度こそ、守れたのかのう?」
「ええ。皆無事でございますよ。この子たちも」
そう返した大家の声は震えていた。
「そいつはよかった。ちょいと眠くなってきたぞ。婆さんや、先に寝ておくからゆっくりしておれ」
「ええ、爺様。いってらっしゃい」
そして彼は事切れる。その顔は、穏やかなものであり——。
「ごめんなさい、ごめんなさいっ!」
突っ伏して泣き喚くマグダレナへ、何一つ言えないでいる。そんなカインの肩に、手が置かれた。
「世話になったね。ありがとうよ」
大家の手を振り払う気も起きなくて、カインはマグダレナを見つめていた。
「ババア、無理すんな」
その小さな背中へ、手を伸ばせないままに。
「はっ! 旦那を見送れたんだ、アタシは。同情なんかいらないよ。くたばったのも、覚悟のあるヤツだけさ。これで済んで、良かったんだよ」
皺だらけの顔で老婆が笑う。シッシと手を振って。
「お行き。まだ、あるんだろうが。やることが」
カインは眩しいものを見るように目を瞬いた。目は乾いていて、流れるものはない。
空を仰げば地上には、紫の柱が立っている。
「悪いな。ちっと行ってくるわ」
「マギーちゃんは見ておくからね。しっかりおやり」
無事だった者、そうでなかった者ともすれ違い、カインは穴から這い出た。
アベルが立っていた場所に、淡く輝く光。
柱にも見えるそれは、霊核と呼ばれるものだった。
一説によれば、魂が具現化したものであるらしい。
地域最後のアベルを殺すと、これが出る。消失反応を起こして消せば、アベルの発生も収まった。
勘と経験則でしかないが、アベルの大量発生はここ数年で始まった災厄だ。
研究は進んでおらず、カインたちもまた、深くは知らない。頼りとなるのは、心許ない知識であった。
アベルの霊核へ、カインは手を伸ばす。
紫の柱は輝きながら塵となり、光となった。
魂は世界へ還元されてゆき、流れ巡るものらしい。
カインには、かなりどうでも良いことで。
「待ってな兄貴。きちんと送ってやるからよ」
そう鼻を鳴らした。
喧騒は段々と落ち着きながら、夜が更けてゆく。
今夜、幾つかの終わりを見送って。
兄殺しのカインは、ノドに現れたアベルという災厄を一つだけ滅ぼした。
世界は何も変わらない。戦場跡も冬の夜空の下、今までと何も変わらないでいる。
それから七日が経った。
霜降る朝。けれども冬の空にしては柔らかな光の中で、ノドの街は平穏を取り戻しつつあった。
スーツ姿の男女が道路を行き交い、家にいる者は掃除をしていたり、洗濯物を干してもいる。
日常が、帰ってきていた。
そんな中、早起きしたカインは大荷物を廊下に出して、アパルトメントの鍵をかける。
「はぁ、結構買い込んじまったな」
背負い鞄に詰め込まれているのは水と保存食、薬や生活必需品。
ついでに着替えなんかも大量に用意してある。この先に続けてゆく、野営の準備であった。
アベルに侵蝕された故郷の街。その故郷を消し飛ばした余波で、単車も荷物も消え去ってしまっている。
残ったのは、身に付けていた物と収納されていた物くらいでしかない。
ここ、ノドへ辿り着いたときにはカインは素寒貧であった。
この街に留まったのも、近場に湧いていたアベルの駆除ついでに働いて、金を貯めて補給をしようという考えからだった。
思えば一ヶ月。長くもないが、そう短くもない日々を過ごしていた。
「おい、マグダレナ。少しは手伝えよ」
死霊聖女は出てこない。あの日から、ずっと塞ぎ込んだままだ。その癖に、ずっと聖骸布の権能は発揮されたままである。
今日のカインはピンクのパーカーを着ていた。ジーンズは変わらない。履きこむほどに味が出る。
「ったくよぉ……。良い天気だってーのに、辛気臭いヤツだな」
返事がないので、独り言ちてしまう。
この街は、居心地が良かった。
死霊でも、アベルの妹でも区別せず、普通の女の子として扱ってくれていた。
カインには、マグダレナの気持ちが良くわかる。
取り戻せないものを振り返ってしまうのは、「人」であるならば仕方がなかった。
だからこそ、皮肉の一つくらいしか言えやしないでいる。
「大家に鍵を返しに行くぜ。ババアの顔も、今日で見納めだ」
返事はなかった。
今日は借りていた部屋を、引き払う日であった。
大家の家に来てみれば、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ。
音がする。庭からのそれは、低く重く轟く排気音。
朝の冬空へ、重低音が響く。
「おい、ババア。近所迷惑だぜ」
火が入り、鼓動を奏でる鉄の二輪。
「あん? んーだ糞ガキ、おはようさん」
単車である。跨るのは、老婆であり大家であった。
「大体、迷惑なことなんかあるかい。近所はウチの店子だよ。もうすっかり慣れっこさ」
爺さんが毎朝走り回るので、慣れているらしい。昼から起き出すカインには、預かり知らぬ話であった。
「ま、おはようさん。鍵、返しに来たぜ」
カインはチャラチャラと鍵を揺らし、キーホルダーから外す。
髑髏や龍や剣などが沢山ついた、ロックでバンクなキーホルダーから。
「……あぁ、そうかい。アタシゃ、何も言わないよ。もう、行くんだね?」
カッコ良いキーホルダーを白い目で見た大家の言葉にカインは頷く。
羨ましがられようが、コレはあげられないものだ。
この一か月、コツコツと揃えてきたオシャレアイテムであった。
「ま、オレらもちっと長居しすぎたしな」
大家は単車を一吹かししてからエンジンを切って鍵を抜く。単車から降りて、彼女は口を開いた。
「マギーちゃんは?」
カインは肩を竦め、首を振る。
「そうかい、残念だねぇ。最後に、可愛いお顔を見せて欲しかったのにさ。ああ婆さんは、このまま誰に看取られることなく朽ちていくんだねぇ」
残念そうにして、わざとらしく棒読みで老婆が言った。カインはつい、苦笑してしまう。だって——。
「最後だなんて言わないでっ!」
翡翠の光がブンブンと形を持って、怒鳴っているのだから。
死霊の癖にまだ目は腫れぼったくて、涙の跡さえ拭えていない。だけど、婆ちゃんに手を伸ばされて。
「うんうん、そうだね。ありがとよ、マギーちゃん」
頭を撫でられた表情は、安らいでいた。
死霊でも、聖女でも。
マグダレナはまだ十歳の女の子。
「やっとお目覚めかい、寝坊助さん」
「カインと一緒にしないでよ。屈辱だわ」
軽口が、いつものように出ている。
「子供は元気が一番さ。二人とも、爺さんにも顔を見せてやってくれないか?」
二人は揃って頷いた。
生意気で、淑女ぶったり格好つけたりしていても、感じやすく繊細な、心優しい女の子。
そんな二人は七日ぶりの軽口を叩き合いながら、大家の背中を追っていった。
大家の家に上がらせて貰い、爺さんの遺影へ手を合わせる。
遺影はごく最近のものらしく、爺さんは飴を持ってイェーイのポーズをしている。やたらとファンキーなジジイであった。
カインは出された茶菓子を貪って、マグダレナは大家の膝の上へ座っていた。
生きている二人は茶を啜り、マグダレナも茶を啜るフリをする。
爺さんも、きっとそうしているに違いない。益体もない世間話が暫く続いた。
日はすっかり、高くなっている。
「ん。そろそろ昼だね。二人とも、食べてくかい?」
大家の誘いにカインは首を振る。
マグダレナを抱き上げて、立ち上がった大家の手が彼女の頭を梳いた。
「んーだよ、ババア」
「なんでもないよ」
死霊であるマグダレナは食事を取れない。一人だけ楽しむつもりにはなれなかった。
「じゃ、オレ達は行くぜ。くたばれ糞ババア」
ニヤリと笑い、カインも立ち上がる。マグダレナもその肩へと乗った。
「はっ! 糞ガキが。夜のギターは禁止だよ。わかってんだろうね?」
「サイレンサー付きで、やってやってんよ。苦情、なかったろ?」
コツコツと色々揃えているのだ。カインは浪費家であった。
おかげで、オシャレアイテムを数多く持っている。
そのせいで、収納では足りないほどに大荷物を抱えることとなっていた。
してやったりとドヤ顔を晒すカイン。老婆は呆れて息を吐く。
「道理で苦情が減ったと思ったら。ま、綺麗に使ってくれたから、敷金礼金を返さないとならんねぇ。今は持ち合わせがないんだが」
なんだか契約書にそんな記述があった気もするが、カインはあまり気にしない。
「あー、くれてやった分だし、いらねーよ」
宵越しの金を持たない彼女には、よくわからない話であった。普段のお金の管理は、マグダレナがしている。この七日間、彼女は何もしていない。
「そーもいかないのが、社会だよ。ああ、そうだ」
大家が何かを投げる。金属製の小さなもの。
放物線を描いて、それは手皿を作ったカインの手のひらへと収まった。
「持っておいきよ。どう処分したものかと迷っていてね。丁度良い当てが、いるじゃないか」
それは単車の鍵である。さっき、見たばかりのものだった。そして、ゴツくてデカい単車はずっと、カインの心を離してくれない。
「おいババア」
かと言って、素直に受け取れるほど彼女は子供でなかった。
「旧いもんだが、手入れは欠かしてないよ。釣り代わりなら、そんなもんだろ」
大家は背中を見せた。その背中は隙だらけだった。
「ま。ちっとの間、預かっておくぜ」
握りしめたのは、誰かの、大家の大切な思い出。
それはいつか、誰かに返したいもので。
見送る背中が、先に失くすものであっても。
「アタシゃ、昼飯の用意をせんとならんからね。用が済んだなら、さっさとお行きよ」
台所へ向かう大家へ頭を下げ、二人は。
「ババア」
「お婆様」
声を揃えて。
「「行ってきます」」
そう言った。
——ドッ、ドッ、ドッ。
鉄騎の作った長い影は一つ所に留まらず、揺れながら流れていった。
空は高く晴れている。響くのは、幼い歓声。
「可愛いっ! 可愛いっ! キューティちやーん!」
ご機嫌に死霊聖女が両手を上げて、振っている。
聖女にネーミングセンスはなかった。
彼女が収まるのは峡谷である谷間。
「ちげーよっ! なっ、
——ドゥルン、ドゥルン、ドゥルルン。
金髪ポニテで蒼い目の、爆乳少女はアクセルを吹かす。
ピンクのパーカーの、フードが大きく膨らんだ。
「なー、マギーっ! 次は、どこに行く?」
「決まってるじゃない! 良い所よ!」
音よりも速く衝撃波を振り撒いて、ご機嫌な二人は進む。
道路でも、荒野でも。人が作っても、自然が作っても。そうして声を合わせる。
「「アベルがいなけりゃね!」」
キャッキャと笑いながらも、二人は楽しんで度をする。目的は、アベルを殺し尽くすこと。
だから二人はもう一度、声を合わせて。
「「グッドバイ、ノド!」」
笑い続ける。街道は、気持ち良い風が吹いていた。
「わたし、ひとがだいすきっ❤️」
幼い声が歌うなら。
「オレは、なんでも好きだぜっ!」
ちょっと蓮っ葉な、不良少女も謳った。
二人はアベルを殺すもの。
兄殺しのカインは、昨日も今日も明日でも。
旅をしながら、楽しみながら。
「カインっ! 逸れアベルがいるわっ!」
「なら、殺るしかねーなっ!」
ただ、アベルを殺してゆく。
「カインちゃーん!」
すれ違ったアベルは、変わらず妹萌えであった。
今日も明日も明後日も。
相棒二人は賑やかに、ただ笑っていく。
お読みいただきありがとうございます。
読まれないので、一旦ここで停止しますね。かなりweb向けにしてこれですね。何がつまんなくて、読む気がしないかわからない。
ありがとうございます。せっかくブクマして貰いましたが、面白くならなくてすみません。未完になります。続きは、気分で描きたくなれば。