『やはり俺の青春ラブコメは、性別が違っていてもまちがっている。』   作:ケーケーケー

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第六話 葉山隼人は誰も選ばず、比企ヶ谷八幡は最初から選択肢に入らない。

 

 誰にでも優しい人間は、本当に優しいのだろうか。

 

 一人を助ければ、助けられなかった誰かが生まれる。

 

 一人を選べば、選ばれなかった誰かが傷つく。

 

 だから、誰も選ばない。

 

 全員に同じ笑顔を向け、同じ言葉をかけ、同じ距離に置く。

 

 それは平等に見える。

 

 しかし、誰かを特別にする責任から逃げているだけとも言える。

 

 まあ、私には関係のない話だ。

 

 選ぶ以前に相手がいない。

 

 ぼっちに人間関係の優先順位など存在しない。ゼロはいくつ並べてもゼロである。

 

     *

 

「ヒッキー。今日、一緒にお昼食べよ」

 

「嫌だ」

 

「まだ何も説明してないんだけど!」

 

「一緒に食べるという部分は聞いた。だから断った」

 

 昼休み。

 

 購買で買ったパンを持って、いつもの場所へ向かおうとした私を、由比ヶ浜が教室の入口で捕まえた。

 

「何で嫌なの?」

 

「一人で静かに食べたいから」

 

「昨日も一昨日も一緒に食べたじゃん」

 

「昨日は雪ノ下にクッキーを食べさせられただけだ。一昨日はお前が勝手に隣へ来た」

 

「じゃあ今日も勝手についていく」

 

「選択肢を与えた意味がないな」

 

 由比ヶ浜は笑いながら、私の腕へ自分の腕を絡めた。

 

「ほら、行こ」

 

「引っ張るな。歩ける」

 

「逃げるでしょ?」

 

「当たり前だ」

 

「じゃあ離さない」

 

 私は抵抗しようとした。

 

 だが、由比ヶ浜の腕が思ったより強く絡んでいる。無理に振りほどけば転ばせるかもしれない。

 

 仕方なく、そのまま歩いた。

 

 教室内から複数の視線が飛んでくる。

 

 最近、由比ヶ浜が私と行動する機会は明らかに増えていた。

 

 三浦たちのグループにいる時間が減ったわけではない。由比ヶ浜は昼休みの一部や放課後を、奉仕部で過ごすようになっただけだ。

 

 それでも周囲にとっては珍しいらしい。

 

「結衣」

 

 後ろから声をかけられた。

 

 由比ヶ浜の足が止まる。

 

 振り返ると、三浦優美子が腕を組んで立っていた。海老名姫菜も一緒だ。

 

「あ、優美子」

 

「今日もそっち行くわけ?」

 

「うん。ゆきのんとお昼食べるから」

 

 三浦の視線が、由比ヶ浜と私の腕へ向く。

 

「ふーん」

 

 明らかに機嫌が悪い。

 

 こういう場合は早々に退散するのが正解である。

 

「由比ヶ浜。私は先に行く」

 

「あ、待って」

 

 腕を外そうとするが、由比ヶ浜は離さなかった。

 

 三浦が眉を寄せる。

 

「何でそいつまで一緒なわけ?」

 

「何でって、ヒッキーも奉仕部だし」

 

「昼まで部活する必要なくない?」

 

「優美子も一緒に来る?」

 

「行かないし」

 

「じゃあ放課後――」

 

「今日、みんなで遊びに行くんだけど」

 

 三浦が由比ヶ浜の言葉を遮った。

 

「結衣も来るよね?」

 

 質問の形をしている。

 

 だが、断られることは想定していない。

 

 由比ヶ浜は困ったように笑った。

 

「ごめん。今日は部活があるから」

 

「その部活、毎日行かなきゃいけないわけ?」

 

「そういう決まりじゃないけど……」

 

「だったら一日くらいよくない?」

 

 三浦の声に、周囲の空気が張り詰める。

 

 由比ヶ浜は人に合わせる。

 

 以前の彼女なら、ここで三浦の誘いを断れなかったのだろう。

 

 私は由比ヶ浜の腕から自分の腕を抜いた。

 

「行ってこいよ」

 

「え?」

 

「奉仕部には私と雪ノ下がいる。依頼が来ても問題ない」

 

「でも……」

 

「お前がいても役に立つとは限らないしな」

 

「それひどくない!?」

 

「なら決まりね」

 

 三浦が口元を緩めた。

 

 由比ヶ浜は私と三浦を交互に見る。

 

 その表情には迷いがあった。

 

「……やっぱり、今日は部活に行く」

 

 三浦の笑みが消えた。

 

「あーしより、そっちを選ぶんだ?」

 

「そういうんじゃないよ」

 

「どういうこと?」

 

「優美子と遊ぶのも楽しい。でも、だからって毎回一緒じゃなくてもいいっていうか……」

 

 由比ヶ浜は言葉を探しながら、それでも続けた。

 

「あたし、奉仕部も好きだから」

 

 はっきりと口にした。

 

 三浦は黙り込む。

 

 私は少し意外だった。

 

 由比ヶ浜が自分の意見を通すとは思わなかった。

 

 もっとも、素直に感心したとは言わない。言えば調子に乗る。

 

「……好きにすれば」

 

 三浦は顔を背ける。

 

 そのまま教室へ戻ろうとしたが、海老名が肩へ手を置いた。

 

「優美子。今日は私と二人で行こうよ」

 

「姫菜と二人?」

 

「たまにはいいじゃん。結衣とは明日遊べばいいし」

 

 三浦は不満そうだったものの、最後には小さくうなずいた。

 

「じゃ、明日は来なよ」

 

「うん!」

 

 由比ヶ浜が明るく返事をする。

 

 三浦たちが離れてから、私は再び歩き始めた。

 

「ヒッキー」

 

「何だ」

 

「さっき、あたしを行かせようとしたでしょ」

 

「人間関係の火種に巻き込まれたくなかっただけだ」

 

「そうじゃなくて。あたしと優美子が喧嘩しないようにしたんじゃないの?」

 

「そんな立派な理由はない」

 

 由比ヶ浜が隣へ並ぶ。

 

「ヒッキーは、すぐそうやって嘘つくよね」

 

「嘘じゃない」

 

「嘘だよ。自分が悪く思われるような言い方するもん」

 

「事実を言ってるだけだ」

 

「もう。全然かわいくない」

 

「見た目はかわいいぞ」

 

「自分で言うところは、いつものヒッキーだ……」

 

 由比ヶ浜が呆れたように笑う。

 

 次の瞬間、私の頭を撫でた。

 

「やめろ」

 

「今日のヒッキーは優しかったから、ご褒美」

 

「雪ノ下みたいなことするな」

 

「最近、ゆきのんの気持ちがわかってきたかも。ヒッキーって、撫でやすい高さなんだよね」

 

「撫でやすさで人の頭を評価するな」

 

 手を払いのけると、由比ヶ浜は楽しそうに逃げていった。

 

     *

 

 奉仕部の部室へ着くと、雪ノ下はすでに昼食を広げていた。

 

 私を見るなり、眉を寄せる。

 

「八幡。髪が乱れているわ」

 

「由比ヶ浜のせいだ」

 

「ヒッキーを褒めたら照れたから、撫でたの」

 

「照れてない」

 

「こちらへ来なさい」

 

 雪ノ下が自分の隣を軽く叩く。

 

「自分で直せる」

 

「鏡も見ずに?」

 

「適当に手で押さえればいい」

 

「あなたの適当は信用できないわ」

 

 由比ヶ浜に背中を押され、雪ノ下の隣へ座らされる。

 

 雪ノ下は鞄から櫛を取り出した。

 

「何で持ってるんだ」

 

「身だしなみを整えるためよ」

 

「私に使うためじゃないよな?」

 

「今までは違ったわ」

 

「これからは使うみたいに言うな」

 

 雪ノ下は私の髪を片手ですくい、丁寧に梳かしていく。

 

 櫛の歯が頭皮へ触れ、くすぐったい。

 

「動かないで」

 

「毎回言われてる気がする」

 

「毎回動くからよ」

 

 由比ヶ浜は私たちの向かいへ座り、弁当箱を開けた。

 

「ゆきのんって、ヒッキーの髪いじるの好きだよね」

 

「放っておくと乱れたままにするから、仕方なく整えているだけよ」

 

「じゃあ今日は、どんな髪型にする?」

 

「何もしなくていい」

 

「ハーフアップはどうかしら」

 

「聞けよ」

 

「似合いそう!」

 

「由比ヶ浜も乗るな」

 

 雪ノ下は鞄から細いリボンを取り出した。

 

「用意よすぎない?」

 

「たまたまよ」

 

「どんな偶然があったら、その色のリボンを学校へ持ってくるんだ」

 

 淡い青色。

 

 明らかに自分で使うつもりの色ではない。

 

「八幡に似合うと思って、先日購入しただけよ」

 

「それを『たまたま』とは言わない」

 

「細かいことを気にするのね」

 

「お前の行動に関する疑問は細かくない」

 

 抵抗しても無駄だと悟り、私は大人しく髪を結ばれた。

 

 由比ヶ浜が携帯電話を向ける。

 

「撮るなよ」

 

「まだ撮ってないよ?」

 

「撮ろうとしてただろ」

 

「記念に一枚だけ!」

 

「何の記念だ」

 

「ゆきのんがヒッキーのために初めてリボンを買った記念」

 

「必要ない」

 

「私は欲しいわ」

 

「雪ノ下まで言うな」

 

 結局、今日も写真を撮られた。

 

 雪ノ下は満足そうに画面を確認している。

 

「よく似合っているわ」

 

「はいはい」

 

「あら。今日は外さないの?」

 

「外したら、またお前が結び直すだろ」

 

「学習したのね。偉いわ」

 

「撫でるな」

 

 昼休みが終わるまで、私は青いリボンをつけたままだった。

 

 教室へ戻ったあと、戸塚から「かわいいね」と褒められたので、その日だけは悪くなかったことにする。

 

     *

 

 放課後。

 

 奉仕部の扉を開けると、先客がいた。

 

 葉山隼人である。

 

「やあ、比企谷さん」

 

「どうも」

 

 昼休みにつけられたリボンは外してある。

 

 雪ノ下に見つかれば再び結ばれるため、ポケットの奥へ隠した。

 

「今日は依頼で来たんだ」

 

「それは見ればわかる。お前が理由もなくここへ来るとは思えない」

 

「相変わらず手厳しいね」

 

 葉山は苦笑する。

 

 机を挟んだ向かい側には、雪ノ下と由比ヶ浜が座っていた。

 

 雪ノ下の隣だけ椅子が空いている。

 

「八幡。こちらへ」

 

「私の席みたいになってるな」

 

「違うの?」

 

「……もういい」

 

 最近、反論することにも疲れてきた。

 

 素直に雪ノ下の隣へ座る。

 

 雪ノ下は私の頭へ手を伸ばしたが、途中で止めた。

 

「先ほどのリボンは?」

 

「外した」

 

「どうして?」

 

「教室で目立つから」

 

「似合っていたのに」

 

「似合うかどうかの問題じゃない」

 

「あとで結び直しましょう」

 

「やらない」

 

 葉山が私たちのやり取りを穏やかな表情で見ている。

 

「本当に仲がいいんだね」

 

「違う」

 

「ええ」

 

「そのやり取り、もう何回目?」

 

 由比ヶ浜が笑う。

 

 私は葉山へ向き直った。

 

「それで、依頼は?」

 

「ああ。これを見てほしい」

 

 葉山は携帯電話を机の上に置いた。

 

 画面には、一通のメールが表示されている。

 

 差出人は知らないアドレス。

 

 件名は空欄。

 

 本文には、短い文章が書かれていた。

 

『戸部は調子に乗っている。葉山の友達でなければ、誰にも相手にされない』

 

「チェーンメールか?」

 

「似たようなものだよ。最初は一通だけだった。でも、それから何度も届くようになった」

 

 葉山が画面を操作する。

 

 別のメールが表示された。

 

『大岡は部活で足を引っ張っている。先輩からも嫌われている』

 

 さらに次。

 

『大和は真面目なふりをしているだけ。裏では人の悪口ばかり言っている』

 

 どれも葉山の友人たちを中傷する内容だった。

 

「俺だけじゃない。クラスの何人かにも届いているらしい」

 

「先生へ相談すべきではないかしら」

 

 雪ノ下が冷静に答える。

 

「それも考えた。でも、まだ誰が送っているのかわからない。騒ぎを大きくすれば、あいつらが余計に傷つくかもしれない」

 

「だから、犯人を見つけてほしい?」

 

「できれば。ただ、相手を罰してほしいわけじゃない。メールをやめさせて、前のように戻したいんだ」

 

 前のように。

 

 便利な言葉だ。

 

 人間関係が壊れかけたとき、誰もが使う。

 

 だが一度知った疑いは消えない。

 

 元に戻ったように振る舞うことはできても、本当に何も知らなかった頃へ戻ることは不可能だ。

 

「三人の様子は?」

 

 私は尋ねた。

 

「表面上はいつもどおりだ。でも、互いに少し疑っていると思う」

 

「どうして本人たちが受け取っていないメールの内容を知ってるんだ」

 

「受け取ったクラスメイトが戸部に見せたんだ。そこから三人全員に伝わった」

 

「なるほど」

 

 親切なクラスメイトである。

 

 本人が知らなくてもいい悪意を、わざわざ届けてくれた。

 

 世の中では、それを善意と呼ぶこともある。

 

「このメールを書いた人間は、三人のことをある程度知っているわね」

 

 雪ノ下が画面を見る。

 

「部活動や普段の言動に触れている。少なくとも、同じ学年の生徒である可能性は高いでしょう」

 

「同じクラスかもしれないね」

 

 由比ヶ浜が不安そうに呟く。

 

「でも、どうしてこんなことするんだろ……」

 

「嫌いだからだろ」

 

「ヒッキー、身も蓋もないよ」

 

「ほかに何がある」

 

「嫉妬や不満だけとは限らないわ」

 

 雪ノ下が言う。

 

「三人の関係を壊すこと自体が目的かもしれない。あるいは、三人のうち誰か一人を孤立させたい可能性もある」

 

 葉山の表情が曇る。

 

「どうすれば、全員を傷つけずに解決できるかな」

 

「無理だろ」

 

 私は即答した。

 

「ヒッキー」

 

「すでに傷ついてる。メールを受け取った時点で、三人は互いを疑ってるんだ。何もなかったことにはできない」

 

「それでも、できるだけ穏便に解決したい」

 

 葉山は真っ直ぐ私を見た。

 

 目を逸らしたくなるほど、善良な目だった。

 

「誰も悪者にしたくないんだな」

 

「ああ」

 

「仮に犯人が三人のうちの誰かでも?」

 

 葉山は答えなかった。

 

 一瞬だけ、迷いが見えた。

 

 それだけで十分だった。

 

 葉山も可能性には気づいている。

 

 メールによってもっとも得をするのは誰か。

 

 戸部、大岡、大和。

 

 三人のうち二人の評判が落ちれば、残った一人が葉山にとって最も近い友人になれる。

 

 しかし三人全員を中傷するメールが出回っている。

 

 それは、自分への疑いを逸らすためとも考えられた。

 

「八幡」

 

 雪ノ下の手が、机の下で私の手首へ触れた。

 

 私が何を考えているか察したらしい。

 

「まだ推測だけで断定すべきではないわ」

 

「わかってる」

 

「それに、あなたが一人で余計なことをする必要もないのよ」

 

「何も言ってないだろ」

 

「あなたは、追い詰められると自分が傷つく方法を選ぶもの」

 

 雪ノ下は静かに言った。

 

 テニスの試合のことを指しているのだろう。

 

「今回は関係ない」

 

「そうだといいのだけれど」

 

 彼女の指が私の手首をつかむ。

 

 逃がさないとでも言うように、少しだけ力が込められた。

 

 葉山が私たちの様子を見つめている。

 

「雪ノ下さんは、比企谷さんを大切にしているんだね」

 

「ええ」

 

 雪ノ下は迷わず答えた。

 

 今度は私のほうが言葉を失う。

 

「ちょっとは否定しろよ」

 

「なぜ事実を否定する必要があるの?」

 

「そういうことを平然と言うからだ」

 

「ヒッキー、耳赤いよ」

 

「由比ヶ浜は黙れ」

 

 葉山は小さく笑ったあと、少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。

 

「羨ましいな」

 

「何が?」

 

「誰か一人を、迷わず大切だと言えることが」

 

 その言葉に、雪ノ下の表情がわずかに動いた。

 

 しかし何も答えない。

 

 葉山は誰にでも優しい。

 

 誰も選ばない。

 

 それは臆病だからかもしれないし、過去に誰かを選んで失敗したからかもしれない。

 

「葉山」

 

「何だい?」

 

「犯人を見つけても、お前はそいつを責めないつもりだろ」

 

「できれば、話し合いたいと思っている」

 

「なら、犯人捜しはしないほうがいい」

 

 葉山が目を見開く。

 

「どういうこと?」

 

「お前が求めてるのは、誰が送ったかという答えじゃない。三人の関係を壊さず、メールを止める方法だ」

 

「そんな方法があるのか?」

 

「まだわからない」

 

 私は三通のメールを見比べる。

 

 文体は似ている。

 

 文章は短く、断定的。

 

 わざと特徴を消しているようにも見える。

 

「メールが送られた時間は?」

 

「最初が一昨日の午後八時過ぎ。昨日は朝と夜に一通ずつだ」

 

「学校にいる時間には送られてないんだな」

 

「ああ」

 

「受信した人間の一覧はあるか?」

 

「確認できた範囲なら」

 

「三人がどのメールを受け取ったか。普段どこで一緒にいて、いつ別行動を取るか。最近、三人の間で何かなかったか。それを知りたい」

 

「わかった。できるだけ調べるよ」

 

 葉山はうなずいた。

 

 雪ノ下が私の横顔を見つめる。

 

「八幡。何か気づいたの?」

 

「まだ何も。ただ、悪口の内容が妙に具体的だ」

 

「同じクラスだからではないの?」

 

「それだけじゃない。戸部は葉山との関係、大岡は部活、大和は普段の言動。三人がそれぞれ気にしていそうな部分を狙ってる」

 

「本人たちに近い人間の仕業、ということ?」

 

「あるいは――」

 

 言いかけて、やめた。

 

 三人自身が互いの弱点を書いた。

 

 そう考えれば、内容の具体性には説明がつく。

 

 しかし、今は口にするべきではない。

 

 葉山が望むのは犯人ではなく、関係の維持だ。

 

 真実が常に人を救うとは限らない。

 

「明日までに考える」

 

 私は葉山へ携帯電話を返した。

 

「ありがとう、比企谷さん」

 

「まだ何もしてない」

 

「引き受けてくれただけでも十分だよ」

 

「勘違いするな。面倒な空気がクラス全体へ広がると、私まで居心地が悪くなるからだ」

 

「うん。そういうことにしておく」

 

 葉山まで同じ反応をするようになった。

 

 私の言葉は、そんなに信用がないのだろうか。

 

     *

 

 葉山が部室を出ていく。

 

 扉が閉まると、雪ノ下は私の手首をつかんだまま言った。

 

「八幡。一つ約束して」

 

「内容による」

 

「この問題を解決するために、自分を悪者にしてはいけないわ」

 

「そんなことをする理由がない」

 

「本当に?」

 

「本当だ」

 

 雪ノ下は私の目を見つめる。

 

 嘘を見抜こうとしているらしい。

 

 私は視線を逸らさなかった。

 

「今回は、な」

 

「今回は?」

 

「必要がない限り、やらない」

 

「必要があっても駄目よ」

 

「選択肢がほかにない場合は仕方ないだろ」

 

「仕方なくないわ」

 

 雪ノ下の声が強くなる。

 

「あなたは、自分が傷つくことを簡単に選びすぎる。自分なら構わないと思っているのでしょうけれど、今は――」

 

 そこで言葉が止まった。

 

「今は?」

 

 私が尋ねる。

 

 雪ノ下は少し迷い、手首を離した。

 

 代わりに、私の手を握る。

 

「あなたが傷つけば、私も嫌な気持ちになるわ」

 

「……そうか」

 

「由比ヶ浜さんも、戸塚君も、小町さんも同じでしょう」

 

「小町はともかく、ほかはわからない」

 

「わからないのではなく、認めたくないだけよ」

 

 反論できなかった。

 

 雪ノ下の手は細く、冷たい。

 

 だが私の手を包む力は優しかった。

 

「約束して、八幡」

 

「……できるだけ善処する」

 

「駄目」

 

「努力する」

 

「駄目よ」

 

「厳しいな、お前」

 

「当然でしょう」

 

 雪ノ下は私の手を引き、自分のほうへ近づけた。

 

 そのまま腕を回し、私の頭を胸元へ抱き込む。

 

「苦しい」

 

「約束するまで離さないわ」

 

「由比ヶ浜。助けろ」

 

 向かいを見る。

 

 由比ヶ浜は微笑みながら、携帯電話を構えていた。

 

「いい写真撮れそうだから、ちょっと待って」

 

「お前に頼った私が馬鹿だった!」

 

「八幡」

 

 頭上から雪ノ下の声が落ちてくる。

 

「約束は?」

 

 私は諦めて息を吐いた。

 

「……自分から悪者にはならない」

 

「絶対に?」

 

「絶対にとは言えない」

 

 雪ノ下の腕に力が入る。

 

「わかった、わかった。絶対にやらない」

 

「そう。よくできました」

 

 頭を撫でられる。

 

 この扱いには納得がいかない。

 

 それでも、不思議と振りほどく気にはならなかった。

 

 誰かが自分のことを心配する。

 

 その事実に、まだ慣れていないだけなのだろう。

 

 こうして葉山隼人からの依頼を受けることになった。

 

 匿名の悪意。

 

 疑い始めた三人。

 

 誰も傷つけたくない依頼人。

 

 最初から、すべてを叶えることなど不可能に思えた。

 

 だが雪ノ下と約束してしまった以上、いつもの方法は使えない。

 

 自分を犠牲にせず、誰か一人を悪者にもせず、それでも問題を終わらせる。

 

 そんな都合のいい答えが本当にあるのか。

 

 少なくとも、そのときの私にはまだ見えていなかった。

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やはりボクが八幡をおちょくるのはまちがっていない(作者:モンゴル産シーラカンス)(原作:やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。)

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総合評価:2269/評価:8.41/連載:6話/更新日時:2026年08月29日(土) 12:00 小説情報


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