―――…海が荒れている。
普段は心地の良い水音を聴かせてくれる海が今は怪物のように唸っている。
普段ならあんなに聴こえるウミネコたちの会話する声も、ちいさな魚たちが大型魚から逃れるために群れで奏でるベイトボールの音も、それを食べようとするサメやフォノヴォアの泳ぐ鈍い水音さえ聴こえてこない。
『世界はやがて滅びを迎える』
(……?)
『惑星にもいずれ魂となり、人と同じく輪廻へと還るときが来る』
(…………。)
『…ソティスもそうだ』
(…は?)
わたしの意識の外から現れた予想外な言葉。
荘厳な雰囲気を纏った女声は、困惑するわたしをよそに話を続ける。
『生を終え魂は真なる光にて浄化される。記憶や経験を宇宙の糧とし、純真無垢な魂となりて世界は巡り続ける。
故に死とは決して無駄ではない、それは人が何気なしに叩き潰した羽虫であろうと。』
(…あなたが何が言いたいのか、わたしには全く解らない。)
『解らない?…そんな訳があるか、貴様は幾度となく未来を予期するように考えていた筈だ。もし空をハサミで切り裂いたのなら、この世界はどうなるのだろう…と。
それは貴様が両親を持たぬ
(はっきり言って、あなたは何が言いたいの!!)
『…今の貴様は冷静さを欠いた状況にある。直情的な感情に囚われ、敵うはずもない相手に無謀な特攻を仕掛けた所で得られるのは無意味な犠牲のみだ』
(…そうだ。わたしはアレに殴り掛かって、暴風でよろけた体勢を立て直そうとした瞬間に撃ち落とされ…)
『ようやく思い出したか? 冷静にもなれないまま意識を取り戻したところで、他の風唄いと同様荒れ狂う海流に翻弄されて溺れ死ぬ他無い。』
(他の風唄い…みんなは……?)
『普通、死ぬだろうな。あの大空を繋ぐ洞は島や海ですら引き上げる異様な重力場の中心地となっている。運良く生きたまま洞まで吸い込まれた所で、ここよりも更に複雑かつ強固な海流に引き摺り込まれるだけなのだから』
(そんな…じゃあソティスは……)
『彼女は最期に母親との和解を果たせた、良かったでは無いか』
(良かった………?)
『ああ。生きとし生ける者の総ては自由である、だがその生の多くは意志と反して終着点を自在に選べる訳ではない。
いつか人は死ぬ、それは避けられ得ぬ命運だ。
然し、その終わり際を少しでも幸福な運命に傾けられたのなら。それはまさに一切の生きとし生けるものは幸せであれと、そう誰かが綴った言葉通りの結末を迎えられたのではないだろうか?』
(……。)
『叶わなかった夢、後悔、恐怖。死の淵を迎えた人が抱える感情とは残念ながら殆どが前向きでは無い…当然だろう。死という物はどれだけ安らかな言葉や風体で着飾ろうとも、痛く冷たく…極楽浄土とは程遠い感覚を伴うからだ』
(……………。)
『だが少なくともその中で、あの少女が最後に思い返すのは母親との和解だろう……死は極楽浄土から程遠いが、全くの救いが無い物語では無いと…』
―――…――って……」
『聞こえんな、喋るならハッキリと喋れ』
―――…黙って……」
『…慰めの言葉に対して、随分なご挨拶だな。』
(ソティスには未来があった、船長には夢があった。
風唄いの皆にも、色んな思いや目標なんかがきっとあったと思う…なのにあの怪物が突然現れて全部壊して行ったんだ)
意味の分からない事ばかりを響かせる煩い声に、段々と意識が鮮明となっていく。波の流れに翻弄される身体と意識は浮遊感に包まれ、未だ深い海溝を漂っているようだった。
けれど瞼ひとつ隔てた先には眩しいぐらいの光がある、そんな確信にも似た予感のようなものが存在していたのだ。
(だからもし、あなたの言うように人がいつか死ぬとしても。
……ソレは他の誰かに左右されるべき物じゃない。)
『ああ、違いない。だがお前は大きな思い違いをしている。
人の生き死にが他者に選ばれるべき選択肢では無いと言うのなら。誰かに生きていて欲しかったという願いこそ、他者である貴様の傲慢な我儘に過ぎないという事だ。
なによりも、仲直りを望み故郷での母娘の対話を望んだ貴様の傲慢さ故に死を手繰り寄せた事実から目を逸らすべきではないだろう』
「……っ」
ふっと、口端から溢れた空気が泡となって海面へと上っていく。
「……それでも。」
いま思い返しても、あの信じられないほど巨大な怪物を殴り付けた時の自分は無謀な事をしていたと思う。
「それでもわたしは、ソティスに生きていて欲しかった…―――