もし夜空が一枚の大きな壁紙だったなら。
 空を見上げてはそんなことを考える少女はいつものように漁の時間に遅れ、いつものように迎えに来たしっかり者の友人に怒られた。

 そんな2人の前に現れたのは少女たちが乗る船よりも大きな堅鱗怪魚フォノヴォア。想定外の怪物を前に緊張の走る船員達。

…では、もし。
 そんな少女たちの背中に笛が生えていたとしたら?

1 / 1
少女と笛と海と風と

『もし夜空という壁紙をハサミで切り裂いたのなら、その先からは何が現れるんだろう?』

 

 星の瞬きも無い真の暗闇?それともこの世界は箱庭で、今もその外側から何者かがこちらを眺めていた…とか?

 

 幼い頃から──いや、今でも。

 わたしは空を見上げるたび、そんなことを考えてい…

 

「ロア!!」

 

 上空から女の子の声が聞こえて、わたしは空をぼんやりと眺めていた目を凝らす。そこには大きな紅葉のような翼を広げた女の子の影が、こちらへと一直線に飛び込んでくる。

 

「あ…ソティス」

 

「『あ』じゃないわよアンタ。さっきの合図(・・)の音、聴いてなかったの?」

 

「音…?」

 

 わたしの目の前に降り立った赤髪の女の子は鱗の並んだ長い尻尾をゆらゆらとさせながら仁王立ちでこちらを見下ろすと、座っていたわたしの腕を引っ張り上げようとした。

 

「ほらさっさと立つ、間に合わなくなるから」

 

「何処に行くの…?」

 

「何処って、漁の時間になっても来ないからこうしてアンタを呼びに来たんでしょっ!」

 

「あ…そっか。すっかり忘れてた…あとどのぐらいで出発だろ?」

 

「相変わらずマイペースなんだから。急いでって言ったら急いでくれてもいいのよ?」

 

 ただ確認しようとしただけなのに、また目の前で溜め息を吐いた幼なじみの姿にムッとしたわたしは躍起になってこう言い返した。

 

「急ぐことは出来る、聞き終わったら急ぐつもりだったし」

 

 腕を引く彼女の手を強引に引き戻しながら背中の翼を拡げると、鳥のばさりと言うような羽撃きとは違った金属の擦れるような音が響き渡る。

 

「待ってアンタまた(・・)あんなことするつもりじゃ無…」

 

「また舌噛んだりしないでね」

 

 わたしは引き戻して寄せた幼なじみの体をさっと抱え込むとひと言だけ注意してから一気に飛び上がる。途中で一羽の海鳥とぶつかりそうになり、きりもみ回転で避けてほっとしていると小さな悲鳴が腕の中から溢れた。

 

「い…ッ!!もう船が出てる…!?」

 

 上昇を止めて見下ろした視界に映り込む、蒼い海の中でぽつんと崖に囲まれる小さな島。

 

 わたしたちの住む島だ。

 

 その島唯一の船着場近くに浮かぶ一隻の船に狙いを定め、上空から一気に下降した。

 

―――ひゅうと、鋭く風を切る音が耳を撫でたのも束の間。

 

 空よりも紺い海が目前に近付き、わたしは翼の角度を変えて水面を滑るようにして波を立てる。

 沈んだ紙飛行機が翼に受けた風で自然と浮き上がるように翼の面で風を受け止め、そのままゆっくり船の甲板に降り立つ。するとすぐこちらに近付いてくる声が聞こえた。

 

「よし、間に合ったな!」

 

 その声に挨拶しようとしたわたしよりも先に、わたしの腕の上から飛び降りた幼なじみの怒る声が他に何も無い海の上で響いた。

 

「船長!!なんでもう舟が出てるのよ!?…アタシがロアを呼んでくるまで待つって言わなかった!?」

 

「ハハハっ悪い悪い!…今日はちぃっと野暮用ってヤツがあったんだよ!!ロアやお嬢なら追い付いてくるだろうしな!」

 

 船の甲板で身の丈と同じぐらいもある尻尾をブンブン振り回して怒るソティスを横目に、わたしはふと意識に紛れ込んだ声で空を見上げる。

 

―――…うみねこだ。

 

 わたしたち…『風唄いの竜族』が住む孤島は、海鳥の声がよく聞こえる。周囲が海と崖と海溝に囲まれた立地なので、様々な渡り鳥が安全な中継地として集まってくる場所なんだって。

 風唄いみたいに空を飛べない人には、ちょっとだけ不便な場所らしいけど。

 

―――キィィ……。

 

 それはうみねこの鳴き声では無かった。

 今度の法螺と似た音は、風唄いの竜族が奏でる竜笛の音色。遠くから繰り返される規則的な音の繰り返しに、わたしはどうして船長が急いでいたのかを知ることとなる。

 

「……『おおもの』?」

 

「そうだ、獲物がデカいとどうしても人手が居るからな。だから数日前から別の船にずっと追わせて居るんだ。この音色は…フォノヴォアだな」

 

「フォノヴォア…!!」

 

「フォ…ノヴォア…ってどれだっけ?」

 

 ソティスが不思議そうにこちらを見たので、わたしは身振り手振りで表現しながらフォノヴォアの説明をする。

 

「フォノヴォアは凄く大きい魚なんだよ…!ヒレの内側にあるお肉がいちばん美味しくてね、こんなに大きいのに凄く柔らかくて甘くて美味しいの…!」

 

「アタシが聴きたいのは味じゃなくてどういう魚なのかって話なんだけど…」

 

「え…」

 

 ソティスの呆れ交じりな声に説明を止めると、それからすぐに彼女はなんでか吹き出すように笑い始める。

 

「フ…ふふっ、何よ腕をあげたまま固まったりして。

 まあでも真っ先に味の話が出てくるのはなんだかんだアンタらしいわ…お腹空いてるの?」

 

「うん…あ、でも最近島の近くでいい魚獲りスポットを見つけたんだ。全体が海に沈んだ海底洞窟でね…」

 

 そんな他愛のない会話をしていたところで、船長の声が大海原に響く。

 

「そろそろ接敵するぞ!勇敢なる海の戦士共、せいぜい気を引き締めてけよッ!!」

 

 船首で振り返った船長は蒼い翼を帆のように拡げると、荒波に勝る声量で船員を鼓舞した。わたしはやるべき事の最終確認を頭の中で纏めながら、海鳥の群れが慌ただしく行き交う海上の一点に意識を集中する。

 

(海の音色が静まり返った……!)

 

―――次の瞬間、数十羽といた海鳥とその真下に居た魚群が黒い太陽のような何かに呑み込まれる。

 

 黒い太陽に見紛うソレこそが『フォノヴォア』だった。

 海面を山のように盛り上げ、あまりにも巨大な影は球状ではなくただの巨大魚の口元の一部分でしか無かったという事実を、空を舞う巨体が本物の太陽を覆い隠したことで否が応にも理解することとなる。

 

「あれがフォノヴォア…!?」

 

「呆けてんな!でけえ波が来るぞ!!」

 

 船の誰かの警鐘の言葉が聞こえ、船は殆ど跳ねるように打ち上げられ、一瞬の浮遊感の後に着水する。フォノヴォアが巻き起こす波ですらこの勢いでは、その尾ビレや巨体に触れれば船はただでは済まないに違いない。

 誰もが船の縁や手すりに縋り付く中、フォノヴォアの瞳孔がギラリと船のある方を見た次の瞬間。

 

「…!!」

 

 フォノヴォアのヨットの帆ぐらいある背ビレが海を裂いて、こちらへと向かってくる。その速度は巨体に見合わず、全速力で海原を跳ねるように走る舟の後端まで直ぐに追いついて来たのだ。

 

「船長!?」

 

「仕方ねえ…!勇敢なる海の戦士一番乗りは船長のオレだぁ!!」

 

 海面に勢いよく飛び出し、人の丈ほどある牙の並ぶ口を開けて向かってきたフォノヴォアの眉間を船長は拳で殴りつけた。

 弾かれたフォノヴォアは大きな水柱をたてて落下し、再び波に揺られる船に戻ってきた船長は素肌の赤くなった手の甲をさすりながら豪快に笑った。

 

「くぅう、コレコレ!…さすがフォノヴォア、あんな一撃じゃビクともしやがらねえ!!ぶん殴った手の方が痛え!!!」

 

「船長バカなの!?バカなんでしょっ!!?」

 

「おいおいお嬢、船長のオレをバカモノ扱いとは相変わらず辛辣だな…だがアレで『解ったこと』だってあるんだぜ?」

 

「そうなの?」

 

「ああ、あのフォノヴォアはさっきみてえにたらふく魚や鳥を丸呑みにして脂肪を蓄えてやがんだ、だから拳の感触に反してヤツの体は弾力性が高い。

 つまり脂肪分の多い極上の肉質を持ってやがる…!!あのフォノヴォアの肉は間違いなく美味え!!」

 

「おおー……!」

 

「おおーじゃないわよ!いまそんな事知ったって仕方ないじゃない!」

 

「仕方ある!だって、美味しいほうがやる気は上がるよ…?」

 

「なんでアンタはそんなどうでもいい所で食い下がってくるのよ…!」

 

「お肉の話だけに…?」

 

「そういう意味で言ってないっ!!あんなデカさだと船ごと丸呑みだって言ってんのよ!?」

 

「ハッハー!二人ともそろそろ出る(・・)ぞ!冗談はこのぐらいでいい。全員、準備は良いな!?…大物狩りの旋律だ!!」

 

 船長の声に二人で船が全力で進行する先に振り向き、翼を拡げる。わたしたち二人だけじゃない、船の甲板に立つ何人もの風唄いがそうすると同時に空を見上げたんだ。

 

―――…キィィイ……!

 

 何一つ遮るもののない大海原に響く風唄いの翼の音色を合図に風唄いは一斉に飛びたつ。

 翼の空洞から圧縮した空気を発射することで加速したり音色を奏でる風唄いの飛行能力は、海鳥や船の速度を優に凌駕して自在に空を舞う。

 

 空中でV字に並んだ風唄いの集団から何人かが離れて海面付近を低空し、その真下に黒い大きな影が映り込む。その様子が彼らよりも高いところを飛行するわたしたちにはよく見えていた。

 

「打ち込み用意!」

 

―――そして、再びの風唄い音色。

 

 海面近くの少数の風唄いは水飛沫をあげて一気に飛び上がる。それは高い位置から海の様子を観測してフォノヴォアが来ると仲間に知らせるものだった。

 海面の風唄いがその翼で風の流れに乗って急速な旋回をかけると、その真下から巨大魚の開いた大口が現れる。

 

「ッ撃てえぇーい!!」

 

「……!!」

 

 風唄いの音色は仲間と会話する手段であり、同時に風唄いが持ち得る強力な武器である。

 飛び上がったフォノヴォアを囲む風唄い達の攻撃的な音波は巨体を中心に共鳴し、空気の振動を衝撃に変化させて巨体を海面に叩き付ける。

 

「…っ!?効いてない…!?」

 

「いや、効いてるハズだ。だがあのフォノヴォアはデカ過ぎんだ…!不味いな、船に散開命令を出す…!」

 

 船長の風音で船が全速力で動き始め、わたしは上空から海に潜ったフォノヴォアの影を探すために海面を注視した。

…けれどほんの一瞬見失っただけのフォノヴォアは逃げ遅れた一隻を巨大な尾びれで空高く打ち上げてしまい、着水するもあえなく船体は真ん中から折れてしまう。

 

 中に乗っていた風唄いの仲間は間一髪で船が完全に沈む前に脱出する姿が見えたけど、中にはぐったりとした様子で抱えられて空を逃げる人も居る。

 ソティスの言った通りの出来事が実際に起きた事実に船には緊張が走っていた。

 

「どうする船長!アレを喰らってもピンピンしてるが、まだ他に秘策が?」

 

 船員の一人がそう問い掛ける隣で船長は苦い表情を浮かべる。

 

―――誰もが口を噤み、重い空気が流れた。

 

 その問いかけを口にした彼も、どうしようもなくて船長を頼っただけ。船長だけじゃ無い、その場の誰もがあれ以上の攻撃が存在しないという事を無意識の内に悟っていたのだ。

 

「チッしゃあねぇか……フォノヴォアを狩れないと他の漁業にも影響が出かねねェが、そもそも風唄いの竜笛が効かねえと手の出しようが無え。全船に通達だ、撤退を…」

 

「ひとつだけ。もし、勝機があるとするなら…」

 

「ロア…?」

 

 船長の言葉に対してわたしはゆっくり口を開く。

 僅かな思考の時間、僅かに見出した勝機。わたしはまだ頭の中で纏まり切っていない一つの考えを声の形にした。

 

「いまの攻撃を、水中でフォノヴォアに喰らわせられたなら…もしかしたら、何とかなるかもしれない。」

 

「確かにそれならやれるかもしれない…いや、成功さえすれば確実にやれる。だが危なすぎる」

 

「どういうこと?」

 

「先に指示を送る!負傷者の回収とフォノヴォアの追跡、こっちは船もデカいから乗せられるだけ乗せたら一旦ずらかるぞ!!」

 

 船長は背中の翼で鋭く短い音を何度か繰り返し、破壊された船の船員を回収してその場を離れる。

 なんとかひと段落した所で船長は船員を集めると、こう話を切り出した。

 

「お前らは手のひらで水面を思いっきり叩いたことはあるか? 無かったら今度風呂の水面でも叩いて見るといい、そうすると手のひらは痺れるんだ。これは水面が効率よくエネルギーを伝えた結果、その振動が手のひらに返ってくることで痺れを感じるからだ。

  要するに水は空気よりも衝撃が伝わりやすい。俺らが使う風音も同じで、空気に比べて水中は何倍もの威力になるって訳だ」

 

 船長の説明に船員の何人かが感心して声をあげる、しかしその声を静止してわたしに話しかけてきた。

 

「だが水中ではヤツの方が速いし機動力も持ち合わせてる。普段オレらが空中で待ち構えてヤツを狙うのは、餌を追い掛けて空中に飛び上がる瞬間だけは動きが単調で読みやすいからだ。

 同じように水中で音のタイミングを揃えるにはフォノヴォアを思ったように動かす為の囮が要る、どうするつもりだ?」

 

「………。」

 

 再び、場を沈黙が支配する。

…風唄いは空を自在に飛び、翼で音色を奏でることでフォノヴォアを狩ることができるのだから。魚に水中戦を挑むということは、獅子の前にエサを吊るすようなもの。

 それはオトリと言うにはあまりにも危険過ぎる。なら、その役割を果たすべきは…。

 

「もちろん、オトリならわた…」

 

「駄目、アタシが行くわ」

 

 !?ソティス…!?

 

 わたしの言葉を遮ってフォノヴォアの囮を名乗り出たのは、幼なじみのソティスだった。

 衝撃や意表をつかれた驚きで言葉を失うわたしに彼女はこちらの目を見てこう言った。

 

「ロア、オトリって言うのはあのフォノヴォアにちょっかいをかけながら逃げ続けなきゃならないのよ?

 アンタの翼も相手の方が速い水中じゃ意味がない、そもそもフォノヴォアの気を引きながら逃げるなんて器用な真似が出来ると思うの?」

 

「でも…」

 

「でもじゃない。アンタはいつもぼーっとしてるけど、何も考えてない訳じゃ無い。むしろ普段から色んな事を考えているからこそ、水中の方が音波も強いっていう方法も思い付けた…解るでしょ?

 アンタは無策でむざむざ水中でフォノヴォアの前に出て喰われるほどのバカじゃ無い…違うかしら?」

 

「……」

 

 彼女はたぶん分かっていたんだ、動きの小回りが効く人を思い浮かべて一瞬過ぎったのがソティスだったことも。だけど得意不得意だけがこの役割を決定していい問題ではない、そう思ったのはわたしだけじゃなかった。

 

「だがお嬢、オトリ役ってのはそう簡単な話じゃない。

 水中で戦うと言うことはもしヤツを仕留め損なった時、ここに居る全員が危険に晒される可能性があることを解ってお嬢は言ってるのか?」

 

「そ、それは…」

 

「……うん、わたしもそう思う。二人とも聞いて、囮はやっぱりわたしがやる」

 

「はあ?…あのねえ、話聞いてた? アンタは小回りがダメだからオトリに向いてな…」

 

 船長の言葉に続いてわたしが出した結論に、ソティスは納得が行かなさそうに口を挟む。納得していないのは船長も同じだったけど、わたしは強く意志を込めた声でこう言った。

 

「ううん、でもわたしだけじゃきっと成功しない。だから手伝って欲しいの」

 

「…何か策があるのかロア?」

 

「うん、少しでも成功させる可能性を高めるには船長やソティスの力が要ると思うんだ…―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――……水の中は波が行き交いうみねこの鳴く海上とはうって変わって、物静か。

 けれど完全な静寂に包まれた世界という訳ではなく小魚の群れの泳ぐ重なった水音が聞こえたり、視界には胴に黒い縞模様の入った魚の銀色の鱗が陽光を反射しては輝いている。

 

 そんな小魚の小さな群れの内のひとつが、びくりと驚きに跳ねるような形でその身を翻す。

 

(…!よし…!)

 

 わたしが両翼を拡げ、肺に取り込んでいた空気を体内から背中の翼の管へと送り込んだ次の瞬間。

 

―――キキ…キィイイン……!

 

 海上から、鋭い音波のような合図が鳴る。フォノヴォアがこちらに迫っている合図だった。

 

(…成功した!!)

 

 わたしが奏でたのは小魚がフォノヴォアのような巨大魚から身を守る為に作るベイトボールと呼ばれる現象。

 それは無数の木々の葉が風に揺れるような音と似ている。

 だからベイトボールの音を風唄いの翼で真似ればきっと、フォノヴォアはここに餌の群れがあると勘違いして近付いてくるはず。

 ひとつ目の目論見は成功し、合図を確認したわたしは一目散に逃げた。

 

(これなら無理に近付かなくても囮ができる…でも後ろを見る余裕は無い。水中ではフォノヴォアの方に分があるんだから、囮となるベイトボールの音色を奏でながら全力で泳ぎ続けるしかない)

 

―――ピィイイ……!!

 

「……!!」

 

 そんな瞬間に鳴り響いた音を聴き、わたしは考えるよりも早く一気に顔を持ち上げて水面へと進路を切り替える。

 水面近くは太陽に照らされた光が複雑な形で煌めいていて、海上の空へと飛び出したと同時に視界が眩む。

 

(空中で一気に突き放す…!)

 

 わたしは大海原に飛び上がるフォノヴォアの巨体や船長が乗る船を空から見下ろしつつ、更に上空を飛行するソティスに合図を返した。

 

(よし、行ける…!作戦続行の合図…!!)

 

 わたしがこうして空に飛び上がったのは、上空に居るソティスの翼の音色の合図を聴いたからだ。

 ソティスの合図でわたしは海の上に飛び出し、息継ぎをしつつフォノヴォアとの距離を離す。

 これなら難しい小回りの技術が無くても充分にフォノヴォアのオトリができる。魚の群れが泳ぐ音を知ってるわたしと、ソティスの竜笛の音色があるからこその作戦だ。

 

(目指すは…向こうに見える島の方角…!)

 

 

 

 

 

―――…ロアっ!!」

 

 再び海上に飛び上がったわたしの視界に、小さくソティスの姿が映り込む。

 さっきまでは上空からフォノヴォアとの距離を調整してくれていた彼女が海面付近まで降りて来ていたのは、目的地に辿り着いたからだ。

 

「急ぐから、しっかり着いて来てよね!」

 

 ソティスに続いてわたしが潜ったのはごぽごぽと水泡が鼓膜を揺らす音に包まれる海中で色の抜け落ちたように黒い穴…海底洞窟だった。

 

 海の中に空いた大きな空洞の入り口は、かなりの広さをしている。正確な広さは分からないけど… フォノヴォアが入ってもまだ余裕があるぐらい。

 わたしとソティスが洞窟の奥に進む途中、海底洞窟内に住み着いた魚やカニが珊瑚礁や岩陰に身を隠す姿が見えていた。

 

(……!)

 

 海底洞窟に必死に泳ぐ最中、洞窟全体が揺れるような音を聴いてわたしは振り返る。それは奥に進むほど狭まる海底洞窟の空洞にフォノヴォアの巨体が挟まった音だった。

 洞窟の岩壁は微かに削れて土埃もあがるけど、フォノヴォアがそこから動く素振りは無い。

 

 つまり…作戦通りにフォノヴォアを誘い込んだってことだ!

 

(ソティス!)

 

 わたしが目配せを送ると同時に彼女の翼が合図を送り、洞窟の細道で待機していた風唄いが一斉に翼を拡げる。

 その間にもフォノヴォアは力の限りに暴れようと身を捩る。けど自分の力によって洞窟に押し込まれた自然の拘束具は、そう簡単に外れるものではない。

 

(風唄いでも潜るのは十分が限界。だけど竜笛でフォノヴォアを狩るならほんの一瞬もあれば充分…!!)

 

 船長の指示で待機してた全員の翼がフォノヴォアに向き、風唄いの音が作り出したとぐろを巻いた水流はまるで、龍のようだった。

 海水に混じる赤黒い(もや)のような血液に、洞窟内でぐったりと頭を項垂れるフォノヴォア。作戦を成功させた実感がじんわりとわたしの胸中に湧き上がっていたそのとき、隣から何かが勢いよくぶつかる。

 

(……!!………!!!〜〜〜♪)

 

 そのぶつかった何かとは、ソティスだった。

 彼女は言葉の伝えづらい水中で喜びを身振り手振りで表現しているらしく、さっきの衝撃は彼女が抱き着いてきた際のものだったみたい。

 

(…よかった。)

 

 ソティスの普段見せたがらない喜びようを見て、わたしはようやく安堵する。

 わたしたちが乗る船よりも巨大な魚を仕留めた、なんて信じ難い言葉を現実として受け入れるのにわたしはソティスよりも少しだけ長い時間を要したのだ。

 

(フォノヴォアを仕留めたあとは、船のロープを使って港まで運ぶんだよね。船長は絶対美味しいって言ってたけど、ほんとかなぁ……?身が硬すぎたりしないのかな…?)

 

 洞窟に挟まるフォノヴォアを眺めていると、不意に音が耳に入ってくる。わたしは船長の船が近くまで来たと思い、ソティスに声をかけようと振り返ったそのとき、何かが崩れるような轟音が海中に響く。

 

(……!?)

 

 その異変の正体に気付くと同時に背中が引っ張られる。

 ソティスに引き摺られるわたしが見たのは一度仕留めたと思ったフォノヴォアが身を捩り、洞窟の壁を削りながらこちらへと前進してくる姿だった。

 

 生きるか死ぬかの自然の中で生き抜いてきた巨大魚が見せた死中求活の行動に、わたしとソティスは急いで海底洞窟の奥へと潜り込む。

 幸い海底洞窟奥は入り口と違って丸い空間が開いており、逃げ回れなくもないように見えた。

 

―――…とんっ。

 

「え…?」

 

 考えを巡らせながら泳いでいた最中、不意に横へと突き飛ばされる。目の前を大きな黒い影と血の煙が横切り、ようやくわたしはソティスに洞窟の横穴へ押し込まれたんだと理解する。

 

(…っ!どうしたら良…!?)

 

 わたしの思考を止めたのは音だった、フォノヴォアを引きつけるベイトボールの音色。ソティスは海底洞窟の中で数回聴いただけで音を完全に再現していた。

 その意図が当初の作戦会議で言っていた『囮』だと理解するまでに時間は掛からなかった、同時に決して長続きするような作戦でも無いということも。だからどうしたらいいか思いつかなきゃならないのに。

 

「ソティ…っ!!?」

 

 手を伸ばし泡に包まれたわたしの視界の中で、ゆっくりと距離の縮んでいくフォノヴォアとソティスの距離。その距離を測ろうとしたのか、振り返ったソティスと視線が合う。

 

―――それでバチン、って。

 

 まるで泡を潰すようなフォノヴォアの噛み砕く音。

 突破口を探ろうとして全てに遅れたその一瞬に、水中でフォノヴォアに挑まない船長の言葉をわたしは理解したのだ。

 

 

 

 

 

―――ピィイイッ!!

 

 正確には理解しかけた、と言うべきかもしれない。

 ソティスが呑み込まれたと思った次の瞬間フォノヴォアの頭が弾かれるように暴れ、巨体の向こう側から血の煙に紛れて小さな影が現れる。

 彼女はその翼の小回りの良さで体側に回り込むとそのまま音波による攻撃の反動で加速しフォノヴォアから距離をつき離したんだ。

 

 恐怖、安堵、感心。

 

 様々な感情の渦巻く中、あのままソティスが逃げ続けても呼吸を整えられる空中に出ない限りどちらが先にバテるかの勝負になると考えかけて…それだけじゃダメだと横穴から飛び出す。

 

(…だったらッ!!)

 

―――ガキンと、硬質な音が海中に響く。

 

 それは先回りしたわたしの両翼を覆う鱗が、フォノヴォアの牙が鍔と迫り合う音だった。

 

(たしかに速いけど。でも、さっきの一撃で確実に弱ってる…!)

 

 言い換えればわたしの翼の後端が直接フォノヴォアの口に向いているという事、それは喉元どころか体内に剣先を突きつけているも同然の状態…に、なる筈だったんだけど。

 

(思ったより余力を残してる…!もう少し…ダメ押しになりそうな威力を出すには、両翼の照準を合わせたいのだけど…!!)

 

 翼でフォノヴォアの牙を抑え込むまでは良かった。けれどその死に損ないの咬合力はそれでも全力で拮抗するのがやっとのものだった。

 そのせいで翼の先端が絶え間なく揺れ動き、上手く両翼の後端を同じ方向に向けられない。

 

(…っ!?)

 

 そんなとき視界の端に影のような物が映り込む、ソティスだった。

 彼女はわたしが抑える牙の隙間からフォノヴォアの口の中に潜り込むとわたしが考えていたような喉奥に向けての音を繰り出し、フォノヴォアの咬合力が弱くなる。

 

(ありがとうソティス…!!)

 

 アイコンタクトを送る先でソティスは普段から使う三拍子の合図をいつもより早く奏で、わたし達は同時に音の衝撃を送り込んだ。

 

(いい加減黙らせてッ、あげる…!!)

 

―――ゴアァァォアアア……。

 

 地鳴りのようなフォノヴォアの鳴き声が洞窟に鳴り響き、両翼に掛かっていたあれだけの圧力が不意に消失する。

 怪魚の巨体が自重で洞窟の底に沈んでいく間、わたしはフォノヴォアがまだ起き上がって来るんじゃないかと暫くのあいだ眺めていたけど、動く様子はない。

 

 そうしている内に洞窟の入口方面から船長や船員がやってきたことで、わたしは事態の終息をようやく理解した。

 洞窟の前まで来ていた船に上がると全身にどっと疲れが込み上げ、わたしは安堵やら張り詰めた緊張やらが集まった溜め息が口から溢れる。

 そして、戻ってきたわたし達を待ち望んだように船長は両腕を拡げた。

 

「よくやったなロア、ソティス!!」

 

 こうして、怪魚フォノヴォアとの戦いは終わりを告げた。けれど風唄いにとってこの出来事は日常のひとつでしかない…それでも。

 

「…!流れ星…!!」

 

「えっ!どこ!?」

 

「え…もう分かんないかも…風唄いの孤島方面の空に向かって尾を引いているのまでは見えたけど……」

 

「全員急ぐぞ、早くしろ!」

 

「? 船長どうかしたの?」

 

「どうも何もフォノヴォアを狩った後が本番だ、なんたって祭りが始まるんだからな!!」

 

 それでもわたしとソティスにとって、この出来事は大きな冒険の記憶として記憶に刻まれたのだ…―――

 

 




つづきそうに見えてつづかない。

続かないけど感想や評価は喜んで読ませて頂くので、良かったらくださいね?

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。